とだ九条の会blog

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「田母神論文」徹底検証(3)

2009年02月28日 | 国際・政治

昨日に引き続き、山田教授の指摘に基づき「田母神論文」全文に沿いながら、その歴史修正主義の問題点を検証してみたいと思います。(文責:サイト管理者)

 我が国は満州も朝鮮半島も台湾も日本本土と同じように開発しようとした。当時列強といわれる国の中で植民地の内地化を図ろうとした国は日本のみである。我が国は他国との比較で言えば極めて穏健な植民地統治をしたのである。満州帝國は、成立当初の1932年1月には3千万人の人口であったが、毎年100万人以上も人口が増え続け、1945年の終戦時には5千万人に増加していたのである。満州の人口は何故爆発的に増えたのか。それは満州が豊かで治安が良かったからである。侵略といわれるような行為が行われるところに人が集まるわけがない。農業以外にほとんど産業がなかった満州の荒野は、わずか15年の間に日本政府によって活力ある工業国家に生まれ変わった。朝鮮半島も日本統治下の35年間で1千3百万人の人口が2千5百万人と約2倍に増えている「朝鮮総督府統計年鑑」。日本統治下の朝鮮も豊かで治安が良かった証拠である。戦後の日本においては、満州や朝鮮半島の平和な暮らしが、日本軍によって破壊されたかのように言われている。しかし実際には日本政府と日本軍の努力によって、現地の人々はそれまでの圧政から解放され、また生活水準も格段に向上したのである。

■【極めて穏健な植民地統治をした。人口が増え続け、治安が良かった】=>①朝鮮における武断支配、満州における過酷な「討伐」の実態を無視した言い訳である。②満州国へ労働力として華北から流入したもの(また、人口増は“平和”のためとは言えない)。③満州国では毎年、数千人、年によっては1万人以上が処刑されている。これでも穏健な植民地統治、治安が良かったといえるか。

 我が国は満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している。また1924年には朝鮮に京城帝国大学、1928年には台湾に台北帝国大学を設立した。日本政府は明治維新以降9つの帝国大学を設立したが、京城帝国大学は6番目、台北帝国大学は7番目に造られた。その後8番目が1931年の大阪帝国大学、9番目が1939年の名古屋帝国大学という順である。なんと日本政府は大阪や名古屋よりも先に朝鮮や台湾に帝国大学を造っているのだ。また日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた。戦後マニラの軍事裁判で死刑になった朝鮮出身の洪思翊(ホンサイク)という陸軍中将がいる。この人は陸軍士官学校26期生で、硫黄島で勇名をはせた栗林忠道中将と同期生である。朝鮮名のままで帝国陸軍の中将に栄進した人である。またその1期後輩には金錫源(キンソグォン)大佐がいる。日中戦争の時、中国で大隊長であった。日本兵約1千名を率いて何百年も虐められ続けた元宗主国の中国軍を蹴散らした。その軍功著しいことにより天皇陛下の金賜勲章を頂いている。もちろん創氏改名などしていない。中国では蒋介石も日本の陸軍士官学校を卒業し新潟の高田の連隊で隊付き教育を受けている。1期後輩で蒋介石の参謀で何応欽(カオウキン)もいる。

■【満州や朝鮮半島や台湾に学校を多く造り現地人の教育に力を入れた】=>主に現地を統治する日本人のための大学を造っただけ。

■【道路、発電所、水道など生活のインフラも数多く残している】=>日本本国の国力増強、統治費用調達のための必要最低限の社会資本整備、産業振興のためだった。

■【日本政府は朝鮮人も中国人も陸軍士官学校への入校を認めた】=>親日派エリート養成のためだった。

■【洪思翊(ホンサイク)・金錫源(キンソグォン)は創氏改名などしていない】=>創氏は法的に強制(洪・金が新しい「氏」)、改名は一応「任意」とされた。

(つづく)

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「田母神論文」徹底検証(2)

2009年02月27日 | 国際・政治

昨日に引き続き、山田教授の指摘に基づき「田母神論文」全文に沿いながら、その歴史修正主義の問題点を検証してみたいと思います。(文責:サイト管理者)

 この日本軍に対し蒋介石国民党は頻繁にテロ行為を繰り返す。邦人に対する大規模な暴行、惨殺事件も繰り返し発生する。これは現在日本に存在する米軍の横田基地や横須賀基地などに自衛隊が攻撃を仕掛け、米国軍人及びその家族などを暴行、惨殺するようものであり、とても許容できるものではない。これに対し日本政府は辛抱強く和平を追求するが、その都度蒋介石に裏切られるのである。実は蒋介石はコミンテルンに動かされていた。1936年の第2次国共合作によりコミンテルンの手先である毛沢東共産党のゲリラが国民党内に多数入り込んでいた。コミンテルンの目的は日本軍と国民党を戦わせ、両者を疲弊させ、最終的に毛沢東共産党に中国大陸を支配させることであった。我が国は国民党の度重なる挑発に遂に我慢しきれなくなって1937年8月15日、日本の近衛文麿内閣は「支那軍の暴戻(ぼうれい)を膺懲(ようちょう)し以って南京政府の反省を促す為、今や断乎たる措置をとる」と言う声明を発表した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。

■【蒋介石はコミンテルンに動かされていた】=>ソ連の援助を受けていたことは確かだが、英米からも支援されており、コミンテルンに動かされていたならば、国共内戦など起きようがない。

■【我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者】=>満州事変・華北分離工作・日中戦争の拡大は日本側に主導性がある。

 1928年の張作霖列車爆破事件も関東軍の仕業であると長い間言われてきたが、近年ではソ連情報機関の資料が発掘され、少なくとも日本軍がやったとは断定できなくなった。「マオ( 誰も知らなかった毛沢東)( ユン・チアン、講談社)」、「黄文雄の大東亜戦争肯定論( 黄文雄、ワック出版)」及び「日本よ、「歴史力」を磨け( 櫻井よしこ編、文藝春秋)」などによると、最近ではコミンテルンの仕業という説が極めて有力になってきている。日中戦争の開始直前の1937年7月7日の廬溝橋事件についても、これまで日本の中国侵略の証みたいに言われてきた。しかし今では、東京裁判の最中に中国共産党の劉少奇が西側の記者との記者会見で「廬溝橋の仕掛け人は中国共産党で、現地指揮官はこの俺だった」と証言していたことがわかっている「大東亜解放戦争( 岩間弘、岩間書店)」。もし日本が侵略国家であったというのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい。よその国がやったから日本もやっていいということにはならないが、日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない

■【張作霖爆殺はコミンテルンの、廬溝橋事件は中国共産党の陰謀】=>なんら確証のない議論であり、冷戦時にアメリカで流布されたものである。

■【日本だけが侵略国家だといわれる筋合いもない】=>誰もそんなことは言っていない。欧米列強が侵略したことは動かしがたい事実であり、日本もそれに追随して侵略したことが問題なのである。

(つづく)

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「田母神論文」徹底検証(1)

2009年02月26日 | 国際・政治

田母神航空幕僚長がアパグループの懸賞論文「真の近現代史観」に「日本が侵略国家というのは濡れ衣」との内容の論文を発表して最優秀賞を受賞したということが明らかになって、更迭されました。
この問題に関し、『Will』などの雑誌で田母神航空幕僚長の発言を支持する大特集が展開されました。ネット上での投票でも支持が多いということを田母神航空幕僚長自身が国会の参考人招致でとくとくと述べていました。ただこれは、その後、「日本会議」などが組織的に操作していたことが週刊誌等で暴露されました。
さらに自民党の国防部会等で「なぜ、あれが悪いのか」という擁護する発言がありましたし、内閣官房副長官にいたっては「国民の大多数はあのように思っている」とさえ発言しています。また、平沢勝栄元防衛政務次官は『朝まで生テレビ』で「自民党は中身を言っているのではない。手続きが問題」などと田母神発言を擁護する始末です。
すでに当ブログでは、田母神問題が明らかとなった翌日の2008年11月1日付けブログから何回かにわたってこの問題を取り上げ問題点を指摘してきました。さらに2月17日からは4回にわたって「歴史ゆがめる『田母神論文』の狙いと本質」と題し、2月12日に埼玉・浦和のさいたま共済会館で行われた埼玉弁護士会主催の勉強会「田母神問題と憲法九条--自衛隊の変容と歴史修正主義--」から、講師・山田朗明治大教授(歴史学)の講演概要を紹介してきました。
そこで今回は、山田教授の指摘に基づき「田母神論文」全文に沿いながら、その歴史修正主義の問題点を7回にわたって検証してみたいと思います。■以降のコメントは、山田教授が反論した問題部分の指摘です。(文責:サイト管理者)

「真の近現代史観」論文顕彰制度 最優秀 藤誠志賞
『日本は侵略国家であったのか』

  防衛省航空幕僚長 空将・田母神俊雄

 アメリカ合衆国軍隊は日米安全保障条約により日本国内に駐留している。これをアメリカによる日本侵略とは言わない。二国間で合意された条約に基づいているからである。我が国は戦前中国大陸や朝鮮半島を侵略したと言われるが、実は日本軍のこれらの国に対する駐留も条約に基づいたものであることは意外に知られていない。日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や中国大陸に軍を進めることになるが相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。現在の中国政府から「日本の侵略」を執拗に追求されるが、我が国は日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために条約等に基づいて軍を配置したのである。これに対し、圧力をかけて条約を無理矢理締結させたのだから条約そのものが無効だという人もいるが、昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない

■【条約に基づいたもの】=>①条約そのものが侵略・パワーポリティクス(軍事力を中心とした権力を行使、または背景にして、国家の利益を追求しようとする政策)の結果だった。②「合法的」であれば侵略にならない、という論理そのものが侵略国の論理である。③了承済みでない事例もあった(北部仏印進駐、タイ進駐、東チモール進駐)。

■【昔も今も多少の圧力を伴わない条約など存在したことがない】=>①歴史的段階性の無視、②日本は20世紀になっても欧米列強がそれまで行っていた19世紀的な対外膨張政策を実行し続けた。

(つづく)

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あの石原都知事がオリンピック招致に「平和」を強調

2009年02月25日 | 国際・政治

2016年夏季五輪の開催を目指す東京オリンピック・パラリンピック招致委員会の石原慎太郎東京都知事らは、2009年2月13日、東京都庁でスイス・ローザンヌの国際オリンピック委員会(IOC)本部に提出した立候補ファイルについて記者会見し、「大会理念」に「平和に貢献する 世界を結ぶオリンピック・パラリンピック」と「平和」を掲げたことを報告しました。

報道では、改憲派の論客として知られる石原都知事が、オバマ米大統領の地元で最大のライバル都市といわれるシカゴとの決戦に向け、「“タカ派”返上か」と紹介し、「現憲法に一定の評価をする姿勢を見せた石原都知事に、いささか唐突な印象はぬぐえない」と論評しました。

石原都知事は、「大都市として世界最高の環境の中で、ヒーローたちがつくりだす最高のドラマを見せる」とあいさつ。「戦後60年間、日本は平和の歴史を築いた」とし、「世界に紛争は絶えないが、幸い私たちの国は、憲法という理念だけではなく、地政学的な条件も含めて敗戦以来、今日まで大小問わず危機にさらされることなしにきた。世界の他の地域で起こっている物事を眺めると、私たちの努力が正しかったという気がする。胸を張って、オリンピックの舞台を通じて世界に平和を呼びかけることができる」「日本でオリンピックを開催することは、世界平和への大きな貢献になると信じている……」などと述べました。

立候補ファイルに掲載した国際オリンピック委員会のロゲ会長への石原都知事の書簡でも「私の祖国日本は、第二次大戦の後、自ら招いた戦争への反省のもと、戦争放棄をうたった憲法を採択し、世界の中で唯一、今日までいかなる惨禍にまきこまれることなく過ごしてきました」と記しています。

石原都知事はかねてから「改憲」に意欲的な発言を重ね、靖国神社に2000年から昨年まで9年連続で8月15日に参拝している人物。なのにこの発言。ならば現行憲法を評価しているかというと「いや、そうじゃない」。石原都知事は「日本の平和をもっと確かなものにするために、いまの憲法は変えたほうがいいと思っている。ただ、その憲法の効果もあって平和でこれた。そりゃやっぱり歴史の事実としてたいしたもんだと思いますよ」と言及。「平和」という言葉については「新鮮でもない、さんざん言い尽くされた言葉」としたうえで「世界で眺めれば、あんまり実現されていない。だからこそ改めて使った」と強調しました。

 
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ちょっと“深イイ”話

2009年02月24日 | 国際・政治

2009年2月20日、戸田市内において「2009年・明治乳業争議団埼玉旗びらき」が市内労組、民主団体の代表者と市民ら数十名の参加で開催されました。
「明治乳業争議団」とは、昭和40年代から長きにわたって明治乳業から賃金・昇給の差別を受けた全国64名の労働者の人権侵害に対する闘争ですが、戸田市においては4名が闘っています。

この日、各団体からの激励メッセージが披露されたのですが、その中でちょっと“深イイ”話を聞きました。それは戸田市教職員組合の先生の話です。
その先生は、小学校5年生を受け持っているそうですが、ある日、クラスの男子から猛烈な“抗議”を受けたというのです。それは「先生は、女子に対して“えこ贔屓(ひいき)”している」つまり男子を「差別」しているのだと。その先生は、そんなつもりはなかったのですが、子どもたちの“差別”に対する「権利意識」の高さに改めて感心したと言うのです。
そんなことから、ある時、子どもたちに「どんなクラスを望むか」と聞いたそうです。そうしたら、子どもたちは、子どもたちが望むクラスとは、とどのつまり「何事もみんなで平和的に解決し」「一人ひとりの人権を尊重し合い」「クラスのみんなが主人公」であるクラスにつきるということに行き着いたと言うのです。

この激励メッセージの時、この先生は言葉にはしなかったものの、これは「平和主義」「基本的人権」「国民主権」の3つ、そう何を隠そう「日本国憲法」の3原則に他なりません。
そのとき会場にいた参加者は、誰しも「日本国憲法」がこの5年生のクラスの子どもたちの中にしっかりと生きていると感じ取ったに違いありません。
この先生は、子どもたちでさえ、こうした「差別」を嫌い、「人権」を尊重する真摯な考え方をしているのだから、私たち大人も、明治乳業争議団が闘っているような企業の横暴、人権をないがしろにするような不当な“差別”は断じて許してはならないと決意を語り、大きな拍手に包まれました。
子どもたちから教わったちょっと“深イイ”話でした。

【明治乳業争議団ホームページ】=http://meinyu-sougi.web.infoseek.co.jp/

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