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沖縄防衛局、辺野古で周辺サンゴ移植せず新たな護岸工事強行

2021年08月31日 | 国際・政治
8月28日付け当ブログで沖縄海兵隊のPFOS(ピーホス)汚水の放出問題で玉城デニー知事らが抗議したことを紹介しましたが、このほど沖縄防衛局が名護市辺野古の新基地建設で、周辺のサンゴ移植をしないで大浦湾側の「N2」護岸の新たな工事に着手を強行した件でも抗議の声が上がっています。2021年8月28日配信「琉球新報」、27日配信「RBC」から記事を転載させていただき、紹介することにします。(サイト管理者)


※以下、転載はじめ↓


<沖縄防衛局、辺野古で新たな護岸工事に着手 周辺サンゴ移植せず強行>

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設に伴う名護市辺野古の新基地建設で、沖縄防衛局は(8月)27日、大浦湾側の「N2」護岸の工事に着手した。新たな護岸の長さは250メートルで、完成後は埋め立て用土砂の運搬船からの土砂陸揚げに使用するとみられる。建設予定地周辺には、大型サンゴやショウガサンゴなどが生息しているが、防衛局は移植をせずに工事を進める方針だ。

米軍キャンプ・シュワブ内の大浦湾側にある護岸建設予定地では27日午前、クレーン車を用いて砕石を海に投入する様子が確認された。投入した砕石はショベルカーで平らにならし、27日午後には砂浜の一角が砕石で埋め立てられた。護岸建設予定地の周辺水域には汚濁防止膜のフロートが3重に張り巡らされていた。

小野功雄沖縄防衛局長は27日、日本共産党県委員会の抗議要請の場で「必要な準備が整い、石材の投入を始めた」と説明した。「普天間飛行場の1日も早い全面返還のため、移設工事を進めたい」と強調した。

新たな護岸工事着手は2019年3月の「K8」護岸以来で、10カ所目となる。玉城デニー知事は27日の定例記者会見で「多くの県民から『認められない』と厳しい見方がされると思う」と批判した。護岸建設予定地周辺に現在も生息しているサンゴについて、防衛局は自ら設置した有識者会議「環境監視等委員会」で、独自のシミュレーションを根拠に移植をせずに工事に着手しても問題ないと判断。予定地に重なるサンゴ830群体は11日までに移植したが、高水温期の移植回避など県の許可条件をほごにして作業を強行した。


【出典】2021年8月28日配信「琉球新報」


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辺野古で新護岸工事開始
<緊急事態宣言下 「県民理解 得られない」>


ーーデニー沖縄知事が批判ーー

■対米追随 断固抗議 あかみね議員
 
沖縄県民多数が反対する同県名護市辺野古の米軍新基地建設で、沖縄防衛局が(8月)27日に「N2」と呼ばれる新たな護岸の工事に着手したことに、玉城デニー知事は同日の県庁での記者会見で、「県民感情的に到底理解できるものではない。県との対話に真摯(しんし)に応じてほしい」と訴えました。

デニー知事は、新型コロナウイルスの緊急事態宣言中で、国からの同新基地建設の設計変更申請を県が審査している最中にもかかわらず、「防衛局がスケジュールありき、工事ありきで進めていることは非常に遺憾」だと語りました。

同日、米軍が前日に強行したPFOS(ピーホス)汚水放出の問題で、同県嘉手納町にある防衛局に抗議・要請で訪れた日本共産党の、あかみね政賢衆院議員(沖縄1区)は小野功雄・防衛局長に、「(汚水放出で)主権が侵害されている時に米軍基地を造るのは、我慢できない話だ」と迫りました。

あかみね氏は「やはり対米追随だ。ここまで馬鹿にされている米側に基地を造って提供しようとすることに、県民に寄り添うところは何一つない。断固抗議する」と強調。新基地建設の工事中止を求めました。


【出典】2021年8月28日付け「しんぶん赤旗」


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<PFOS排出で岸防衛相 米側に中止要請>

アメリカ海兵隊が(8月)26日、普天間基地で保管している有機フッ素化合物=PFOSを含む汚水を下水道に排水した問題で、岸防衛大臣は27日、「極めて遺憾である」と述べ、アメリカ側に中止するよう申し入れたことを明らかにしました。
この問題はアメリカ軍が普天間基地内に保管しているPFOSを含む汚水を、日米合同委員会で処理方法が協議される前に、26日、一方的に下水道に排水したものです。

これを受け、岸防衛大臣は27日午前、次のように述べました。

(岸防衛大臣)「今般の米側による処理水の放流は極めて遺憾であるというふうに思います。直ちに米側に対して強く抗議するとともに、放流を中止するよう申し入れを行いました」

岸大臣は処理水の排水を中止するよう求めるとともに、再度協議するようアメリカ側に働きかけていることを明らかにしました。
一方、県も27日午後、謝花副知事がキャンプフォスターを訪れ、アメリカ軍側に抗議しています。


【出典】2021年8月27日配信「RBC」


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政界きっての軍事通・石破茂が語る「原発と核抑止力」

2021年08月30日 | 国際・政治
8月27日当ブログで、「原爆」と「原発」――核抑止力について科学者はどう考えているのか、「東洋経済ONLINE」から青木美希さん取材の記事を転載させていただき、紹介しました。その連載で今度は「石破茂『本心は原発ゼロ』なのに表立って言わぬ訳――政界きっての軍事通が語る『原発と核抑止力』」を紹介させていただきます。唯一の戦争被爆国で、二度と戦争はしないとの憲法9条を持つ日本。平和を維持するために「原爆」と「原発」、そして「核抑止力」については両方面の意見があるのも現実です。双方の意見を考える上でも2021年8月22日配信「東洋経済ONLINE」から記事を転載させていただき、紹介することにします。(サイト管理)



※以下、転載はじめ↓



<石破茂「本心は原発ゼロ」なのに表立って言わぬ訳>

ーー政界きっての軍事通が語る「原発と核抑止力」ーー


青木 美希 (ジャーナリスト)


東京電力福島第一原子力発電所の事故後、欧州のドイツやイタリアなどは脱原発を決断した。当の日本には、なぜ、それができないのか。背景には「原発と核抑止力」の関係があるとの見方は根強い。この問題を考える2回目は、「核抑止力の保持につながる原発を本当に捨てていいのか」と問題提起する自民党の石破茂衆院議員へのインタビューをお届けする。


■「核抑止力を考慮せよ」と主張する石破氏


インタビュー内容を紹介する前に、以下の流れを押さえておきたい。

原発事故から約4カ月後の2011年7月、菅直人首相(当時)は「原発に依存しない社会を目指すべきだと考えるに至った。計画的、段階的に原発依存度を下げ、将来は原発がなくてもやっていける社会を実現していく」と脱原発を打ち出した。

すると、産業界などからエネルギー需給は大丈夫かという不安や疑問が沸き起こる。その中には「核抑止力」の観点からの異議もあった。代表的なものは、同年8月10日の読売新聞社説である。社説は菅直人首相の脱原発路線を「無責任」と評し、以下のように主張した。

「日本は、平和利用を前提に、核兵器材料にもなるプルトニウムの活用を国際的に認められ、高水準の原子力技術を保持してきた。これが、潜在的な核抑止力としても機能している。首相の無責任な言動には、こうした配慮がうかがえない」

当時、自民党政調会長だった石破茂氏もその6日後、テレビ朝日「報道ステーション」に出演し、以下のように語っている。

「原子力発電というのがそもそも、原子力潜水艦から始まったものですのでね。日本以外のすべての国は、原子力政策というのは核政策とセットなわけですね。ですけども、日本は核を持つべきだと私は思っておりません。しかし同時に、日本は(核を)作ろうと思えばいつでも作れる。1年以内に作れると。それは一つの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですかということは、もっとそれこそ突き詰めた議論が必要だと思うし、私は放棄すべきだとは思わない」

いずれも、原発政策を議論する際には、安全保障問題としての核抑止力を考慮せよ、という主張だ。

これには反論もある。例えば、長崎市の田上富久市長は「基本的にその考え方はおかしい。核抑止力という考え方そのものが違う。核保有国が増えている現状を見る限り、(核の保有が)安全に寄与していないことは歴史的に明らかだ」(2011年10月31日の定例記者会見)と述べた。ほかにも広島・長崎の被爆者らが核抑止論を徹底批判するなどしている。

原発事故から月日が流れ、原発と核抑止力をめぐる議論は一時の熱を失っている。しかし、問題の所在や構造が変わったわけではなく、東アジアの国際環境はますます厳しさを増している。核抑止力との観点からたくさんの意見を出してきた石破氏の考えはその後、どうなったか。真意は何か。石破氏に問うた。あらかじめ、「原発と核抑止力のことについて見解をうかがいたい」と示し、ビデオ撮影しながらのインタビューである。


■いざとなったら核を持てる能力は議論する価値がある


――原発は潜在的核抑止力という発言について、これまで多くの方に意見をうかがいました。「原発があること自体がテロの標的になる。あんなに多数あることのほうが危ないんじゃないか」と。そういう意見もよく聞きます。


日本は北朝鮮、中国、ロシア、アメリカと周りを核保有国に囲まれている状況。核を使わないというハードルが低い国だってあるかもしれない。脅威は、意図と能力のかけ算だから。どんなに能力があっても意図がゼロならかけ算の答えはゼロ。だからアメリカは日本に核なんか撃たない。

だけど、北朝鮮、ロシア、中国は国の意思決定システムが日本と違うんですね。(私は)原発ゼロであるほうが望ましいと思っている。そして、核がない世界であってほしいと思っている。実現のために何ができるか考えるのが、われわれの仕事だと思っている。

一方で、日本も核を持つべきという論だったことは一度もない。

いざとなったら核を持てるという能力を持つということはまったく無意味かというと、それは議論する価値はあるんだろうと。私は持つべきではない、という立場だけど、(このままでは)原子力に対する知識がなくなる。いま、大学でも研究する学生がほとんどいなくなっている。そうなると、抑止力の核って何だい、と。ないほうがいいっていうのと、抑止力としての核って何なんだ、ということが整理できていない。

片方は核廃絶をしながら、アメリカの核の傘に頼っている。この矛盾をどう解決していくのかということだと思います。日本が他国から侵略を受けない。報道の自由、思想、信条、みんな否定される国にしたくない。そのために抑止力が必要だろうと思っている。


――広島で被爆した物理学者の沢田昭二さんは「(国際紛争は)武力ではなく、話し合いで解決するべきだ。話し合いでしか解決しない」と言っています(『「安全保障に原発必要」は本当?被爆科学者の答え』参照)。


そうありたいと思います。思っているが、人類の歴史はずっと戦争の歴史だった。ユートピアがすぐ来るか。私は政治家なので、理想をつねに失わないということと、今日ただいま、どうやって戦争のない状態をつくるかの両方を考えていかないといけない。

私が小学6年のときの昭和43(1968)年に、アメリカから原爆のフィルムが公開されたと思う。そのときのことを一生忘れない。これがどんなにむごたらしくて、どんなに悲惨か。ときどきフィルムを見直すことがある。絶対こんなことやっちゃダメだと、よくよくわかっています。

「武力ではなく話し合いで」というのは、そうあるべきだというのはそのとおりだと思います。一方で安全保障をやってきた者は、バランスオブパワー、力が均衡しているときは(戦争が)起こらないというのは経験則としてある。

アメリカが原爆を持てば、ソビエトが持ちました。ソビエトが人工衛星を打ち上げれば、アメリカも打ち上げました。アメリカが原子力潜水艦を持てばソビエトも持ちました。恐怖の均衡とか言われるなかで、大きな戦いは起きなかった。


■「何も起こらない」と断言できない

いま、アジア太平洋地域において、中国がものすごい軍拡をやっている。北朝鮮が国民生活を犠牲にしながら軍事力を強化する(なかで)、日本が防衛予算を減らしていくのか。アメリカが世界の警察官をやめたとき、軍事バランスが崩れて何が起こるか。

「何も起こらないだろう」は、「だろう」であって、「だ」という断言ができない。バランスオブパワーを保つために北朝鮮、中国の軍事力をあなどることはできないし、過大評価であってもならない。アメリカの日本防衛はどこまで実効性があるのかをつねに検証しなければならない。だけど戦争というのは相互不信とか、ミス・コミュニケーションで起こることが多い。「こんなはずじゃなかった」というのがほとんどですよ。

防衛庁長官就任のときは、こんなやつを長官にしていいのかと朝日新聞に叩かれた。『週刊朝日』にこんなやつを長官にしていいのかというマンガも書かれた。今や私は軍事オタクの左翼ですから。言っていることは何にも変わらないわけです。

慰安婦も徴用工も、日本の主張が正しいと思っています。だけど、私たちはどれだけ韓国のことを知っているか、北朝鮮の歴史を知っているか、それは自信がない。勉強しているけれども、知らないことだらけ。そういうミス・コミュニケーションとか、相互不信とかで戦(いくさ)が起こるのがほとんどだから、そうならないような努力を一生懸命する。話し合いで解決できる社会を理想として放棄してはいけない。(しかし)いま軍事バランスを保たないと何が起こるかわからない。


――原発がミサイルで狙われる恐れも指摘されています。自衛隊の装備を担当していた人に聞いたら、これだけ原発が点在しているとイージス艦とパトリオット(地対空ミサイル)で守りきれないと言っていました。守りきるだけの装備はない、と。


そうですね……その方が実名をあげて言ってくださればいいけれど。私は(2007年9月~2008年8月、防衛)大臣として、「どうするんだ、それ」と言ってきました。そういうリスクを少しでも減らしていかないとならない。でも怖いことを語っちゃいけないという雰囲気がある。


――原発が安全ということを崩すからですか。


安全じゃない、ということがわかったじゃないですか。要は悩んでいる、というのが正しくて。悩んでいても、考えても考えても答えが出ない。原発ゼロにしたいです。平和な世の中つくりたいです。その思いはなくしません。

石破氏はここで、原発をゼロにしたいと明言した。私はそれまで、石破氏の「原発ゼロ」発言を聞いたことがない。しっかり確かめたかった。


■原発ゼロに至る道筋をどうするか、納得できていない


――原発ゼロにしたいと思う理由は?


再生可能エネルギーで、エネルギーの供給は可能だということです。今すぐ可能ではない。原子力は相当減ったとはいえ、(現実にはまだ)あるし、保守管理で電力会社の人たちは一生懸命やっているのも間違いない。原発ゼロだと断言して政策を正面に掲げないのは、そこに至る道筋をどうするんだというのを自分で納得できていないから。


――首相が決めれば予算もつく。民間の力だけでは難しいかと。


そうでしょう。そこに向けて国家予算をどう振り分けるかに、政治家は正面から向き合わなければならんでしょうね。

一方において、(エネルギーの)自給はどうするか。それだけじゃないよ。だけど、経済封鎖を受けてエネルギーが立ちゆかなくなるときに、どうするんだというのがある。エネルギーが逼迫したというのが、(かつての)戦争を引き起こした原因の一つでもある。「どう賄っていくの?」というのを、もっと自分の知識を深めたいと思う。


――ゼロにしたいと思ったのは、原発の危険性がわかったからですか。


ゼロにしなきゃいけないけれども、道筋を示さなければ政治家として責任を取れないでしょと。エネルギーが足りない、足りないんだったらと、そうならないようにしないといけない。

一度そうやって(戦争が起きて)いる。技術をどうするのか、納税者がお金を負担するのか、電力会社が負担するのか、誰が負担するか。議論を詰めないと、理想は理想で終わってしまう。


――原発をゼロにしたほうがいいと思ったきっかけは?


それはないほうがいい。つまり福島第一原発事故で、決して安全ではないということがわかったからでしょ。すぐにゼロにいくかといったら、そうはいかないでしょ。エネルギーを確保しないといかんでしょ。エアコンがなければ熱中症で亡くなる人もいるわけでしょ。温暖化で、炎暑の中、公共事業で働いている土木作業の人たち、いっぱいいるんでしょう。それをどうしていくんだと。



▲原子力発電の現状(2021年7月5日現在)


■政治家として悩んでいる


――再生可能エネルギーで電力需要を賄えるとなった場合、核抑止力をどうするかということになる。


一番の悩みかもしれない。だから核兵器を持つべきだという議論を、割り切れば語れるんだろう。けれども責任ある政治家としてできるか。原発ゼロで、話し合いで軍備を放棄して……それは素晴らしいだろう。それが政治家としてできるのか。悩んでいます。


――元原子力委員会委員長代理の鈴木達治郎氏は「核抑止力で必要としても、小さな研究用原子炉と再処理施設があれば足りる。巨大な原子力産業はいらない」と言っています。


そうかもしれない。(しかし)正しいと自信を持って言うだけの知識がない。間違っていると言うだけの知識もない。核兵器(の研究)は日本もずっとやっていた。紙の上だけだったら大学院生でも造れると言う人がいますよね。実験炉(で足りる)というのは、(そうかもしれないと)思いますけど、断定できるだけの知識がない。

廃炉には気が遠くなるだけの時間がかかるし、でも、諦めてはいけないし。次の世代に委ねるべきだとも思っていない。目いっぱい享受した、われわれ世代が解決すべき問題だと思っています。


【出典】2021年8月22日配信「東洋経済ONLINE」


※「原発を考える戸田市民の会」ブログと同文


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戸田市「平和の鐘つき」に述べ165人参加

2021年08月29日 | 国際・政治
8月15日の終戦記念日の当ブログでも紹介しましたが、被爆76年目のこの夏、今年も戸田平和委員会主催の「平和の鐘つき」が市内6寺院で行われました。

8月6日「広島原爆の日」、8月9日「長崎原爆の日」、8月15日「終戦記念日」です。

それぞれ集合時間に集まった市民は、黙祷後、それぞれかわるがわる鐘をつきました。人数が多いところは2人一組で行い、最後に「平和の鐘つき」のアピール文が朗読されました(8月15日付け当ブログ掲載)。



▲8月15日「平和の鐘つき」海禅寺


今年の「平和の鐘つき」には、3日間、6寺院で、のべ165名が参加しました(別表参照)。

毎年参加している人、3日間連続して参加している人、市外に引越ししたものの、この日に参加するために駆けつけた方もいました。

参加者は、今年は核兵器禁止条約が発効された特別の年。「被爆者も高齢化する中で、核兵器廃絶、戦争反対の想いを継承していくことが大切だ、との気持ちで参加した」と感想を語っていました。

同様の「平和の鐘つき」はお隣・蕨市でも、また全国各地でも取り組みが広がっています。



▲2021年「平和の鐘つき」寺院別参加者一覧


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米軍普天間PFOS汚染水が放出、沖縄振興費も10年ぶりに3000億円下回る

2021年08月28日 | 国際・政治
在沖縄海兵隊はこのほど、沖縄県宜野湾市の米軍普天間基地から出る汚染水を一方的に基地外の下水道に放出しました。この汚染水には有害で残留性の高い有機フッ素化合物PFOS(ピーホス)などが含まれています。
玉城デニー知事は、処理方法や安全に処理できるか確認作業をしようとしているさなかに一方的に実施された今回の放出に強く非難しました。
一方、政府は沖縄振興費について、これまで年間3000億円を維持してきましたが、2022年度の沖縄振興費はこれを割り2998億円が計上されました。辺野古新基地に反対する玉城デニー県政が近く、辺野古埋め立て設計変更申請の不承認判断を出すことを想定した、露骨な圧力だとの批判が上がっています。
2021年8月27日付け「しんぶん赤旗」から記事を転載させていただき、紹介することにします。(サイト管理者)


※以下、転載はじめ↓


<米軍PFOS汚水放出>
ーー沖縄・普天間基地 知事、強く抗議ーー


在沖縄米海兵隊は(8月)26日、米軍普天間基地(沖縄県宜野湾市)から有害で残留性の高い有機フッ素化合物PFOS(ピーホス)等を含む汚水を、一方的に基地の外の下水道に放出しました。

玉城デニー知事は同日、県庁での記者会見で「断じて許されない。強く抗議する」と憤りを示しました。
 
米軍は、県などに同日午前9時すぎに連絡し、同9時半ごろから放出を開始。

県はすぐに放出の中止を求めました。汚水のPFOS等の濃度は、1リットル当たり2.7ナノグラム以下だといいます。日本政府の暫定指針値・基準値は1リットル当たり50ナノグラムです。
 
米軍側は、これまでの業者に委託する焼却処分では財政的な負担が大きいことを理由に、放出したいと説明していました。県や宜野湾市、日本政府は放出を認めない考えを示していました。
 
日本政府や県、米海兵隊は先月にサンプリング調査を実施し、合同で結果を公表する予定でした。
 
デニー知事は会見で「処理方法や、安全に処理ができるかどうかの確認作業を、これから行おうとしている矢先(の放出)だ。(汚水の濃度が)基準より下だから良いとかの話ではない」と、強く非難しました。


【出典】2021年8月27日付け「しんぶん赤旗」


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<沖縄振興費3000億円下回るーー県に圧力>
 

内閣府は(8月)26日の自民党沖縄振興調査会で、2022年度予算概算要求に関し、沖縄振興費について2998億円を計上すると報告しました。沖縄振興費の概算要求が3000億円を下回るのは10年ぶり。同調査会は内閣府の報告を了承しました。

政府は13年、沖縄県名護市辺野古の米軍新基地建設をめぐり、当時の仲井真県政が新基地容認に転じる条件として、沖縄振興予算を21年度まで毎年3000億円台を確保すると約束し、これまでは実行していました。

このため、22年度予算案で3000億円台が維持されるかどうかが注目されていました。
 
今回、3000億円を下回る額を提示したのは、新基地に反対する玉城デニー県政が近く、辺野古埋め立て設計変更申請の不承認判断を出すことを想定した、露骨な圧力といえます。県民の反発は避けられません。
 
また、公共事業関係費などの一部は金額を明示しない「事項要求」としました。


【出典】2021年8月27日付け「しんぶん赤旗」


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「原爆」と「原発」――被爆科学者の答え

2021年08月27日 | 国際・政治
福島第一原発事故から10年の2021年、まさにこの年1月22日に核兵器禁止条約が発効されました。しかし、唯一の戦争被爆国・日本は原発を安全だと言って今も原発再稼働と新増設、輸出の推進の方向に向かったままですし、核兵器禁止条約も署名せず、批准もしません。76年前に原爆に被爆し、その後被爆科学者になった複数名の識者にジャーナリストの青木美希さんが取材をしています。
「原爆」と「原発」――核抑止力について科学者はどう考えているのか、2021年8月21日配信「東洋経済ONLINE」から記事を転載させていただき、紹介することにします。(サイト管理者)


※以下、転載はじめ↓


<「安全保障に原発必要」は本当?被爆科学者の答え>

一一原爆投下76年、あらためて考える「戦争」と「核」一一


青木 美希(ジャーナリスト)


日本の8月は「戦争」と「原爆」を考えさせる月でもある。今年は、核兵器禁止条約が発効してから初めての8月だった。私は、東京電力福島第一原子力発電所の事故後、現地や避難者の取材を続けているが、脱原発を考えるうえでは「核による抑止力」の問題も避けて通れない。

日本が原発を放棄しないのは、プルトニウムや再処理技術を持つことが核兵器の潜在的な開発能力を意識させ、抑止力になるという考えもあるからだ。まずは原子爆弾の被害者となった科学者たちに、考えを聞いてみた。

東京都立大学の元総長、佐野博敏(さの・ひろとし)さん(93)は東京都三鷹市に住んでいる。70歳を過ぎてから被爆者として講演するようになった。2015年には、三鷹市主催の講座で広島の被爆体験を話し、「政治家は(国民が)望みもしないのに国民を(戦争に)引っ張っていった。ものを言わなかった国民全体にも責任がある」と訴えたのを聞き、あらためてゆっくり取材したいと思っていた。


■会社の寮の玄関を出ようとしたときに被爆

取材の日、自宅の呼び鈴を鳴らすと、マスク姿の佐野さんが現れた。客間では互いに距離を取り、斜めに相対。年齢を感じさせない、滑舌のよい語り口だった。

ほかの大勢の被爆者と同様、佐野さんの体験も壮絶だ。広島工業専門学校(旧制)の生徒で17歳だった佐野さんは当時、広島県大竹町(現・大竹市)の三菱化成工業(現・三菱ケミカル)大竹工場に勤労動員され、その寮で暮らしていた。

1945年8月6日は朝8時すぎに寮の玄関を出ようとしたときに、被爆した。爆心地からは約30キロ。辺りがピカッと強く光った後、青く晴れた広島市の上空に黒い雲が上がり、キノコ雲になっていく。夕方、その広島市の空が真っ赤に燃えているのが見え、大騒ぎになった。

広島市には母がいる。自宅は爆心地から1キロ足らず。翌日、自宅に急ぐと、川は死体で溢れていた。手の先から皮が剥けた人たち、焼かれた人たち、うずくまっている人たち、動かず倒れている人たち。母を捜して市内じゅうを歩き回った。顔の識別が難しいほどやけどを負っている人も多い。負傷者に「お母さん」と呼びかけ反応を見る。死体を焼くところ、首が焼け落ちた死体が火の中に入れられる様子も目撃し続けた。

そんなことを繰り返し、母の死を覚悟した矢先、原爆投下から6日目ごろ。ようやく母と再会できた。国民学校の講堂。息も絶え絶えの負傷者に交じって、横たわっている。全身にガラスが刺さり、出血も凄まじい。髪の毛は抜け、頭は薄くなっていた。正常値で3000~8000/マイクロリットル程度の白血球は当初、2000を下回っていたという。

数カ月後、周囲では無傷の人に紫斑(しはん)が出て、死亡する事例が立て続けに起きた。母が通った医師にも紫斑が出て、白血病で亡くなった。その後、母は回復し、80歳すぎまで生きた。佐野さん自身は2度大腸がんを患ったが、原爆との因果関係はわからないという。


■東京大学に入学して放射能研究の道へ

戦後の混乱を生き抜いた佐野さんは東京大学理学部に入学。放射能の研究で名高い木村健二郎(きむら・けんじろう)教授の講座に入り、大学院に進んだ。

佐野さんが大学院生のとき、第五福竜丸事件が起きた。木村教授は同船の乗組員が浴びた放射性降下物、いわゆる「死の灰」や、半年後に亡くなった船員の久保山愛吉さんの臓器、船員の所持品や衣類などの分析を依頼された。

木村教授には第2次世界大戦中に旧陸軍の要請で原爆を研究した経験もある。木村教授が「死の灰」を解析した結果、そこからウラン237を検出。それに基づき、アメリカ軍が製造した水爆の構造を突き止めた。

2007年8月23日の読売新聞に掲載された第1回国連原子力平和利用国際会議の事務局員・原礼之助氏の言によると、「第五福竜丸の灰に含まれる特殊なウランを手がかりに、軍事機密の水爆の構造を暴き、破壊力が限りなく大きくなることを示した(この)研究は、その後の核軍縮の流れを作った」とされる。

佐野さんは、手伝いとはいえ、この木村教授の下で放射能の研究に携わるようになった。ソ連も核実験を行い放射能雨が頻繁に降るようになり、東京都文京区の東大本郷キャンパスの校舎の屋上で雨を集めて、研究に利用した。母には「そんな危ないもの、やめとけ」と言われたが、被爆者たちを苦しめる放射能の正体を知りたいと考え、大学院修了後は木村研究室の助手になる。基礎研究であるメスバウアー分光学をアメリカ留学などで学ぶ。

30代で留学から戻ると、国内で第一人者になった。1983年の著書『放射化学概論』(東京大学出版会)は、放射線を学ぶ学生に今も読まれるロングセラーとなっている。

佐野さんは、被爆者であることを長く明かさなかったという。なぜですかと問うと、こんな答えが返ってきた。

「僕が被爆者だと話すと、被爆者づらをするなと言われる。高度成長の中で不景気なことを言うな、と。弟子たちにも被爆者とはいっさい言ってなかった」

福島原発の事故から10年以上が経過し、各地に散ったままの原発避難者たちは自ら避難者であることを明かしにくくなっている。「いくら賠償金もらっているの」「いつまで被害者のつもりでいるのか」などと言われ、バッシングの対象になりかねないからだ。佐野さんが口をつぐんできた事情とそっくりなのかもしれない。

ただし、佐野さんには転機があった。東京都立大学の総長を退任し、大妻女子大学の教授を経て2000年に学長に就任した際、「人生で一番つらかったことをテーマに講演してください」と依頼され、被爆体験を初めて公の場で話した。母を捜して広島市内をさまよったこと、広島市に入ったとき、太田川河口で背びれを失い、ウロコが半ば焼け落ちてふらふらと漂う「泳ぐ焼き魚」を見たこと。自分が描いた絵やほかの被爆者が描いた絵も見せた。教室は静まりかえっていたという。

「みんなしっかり聞いてくれて、いいレポートもくれた。『初めて原爆の実情を知って驚いた』『皮がめくれて膿(うみ)がでているようなところまでの話は初めて聞いた。生々しい話だった』と。それから小学校や高校でも話すようになりました。みんな熱心に聞いてくれます」


■かつては核兵器と原発を切り離して考えていた

佐野さんは福島第一原発の事故まで、核兵器と原発を切り離して考えていたという。「原発には5重の防護があって安全だ、と。国民はそう刷り込まれてきたし、私も平和利用であれば、(日本を)良いほうに発展させられるからいい、と。80%パーセントぐらいはそう信じていた」からだ。今は、その考えに立っていない。

「原発事故を起こし、核実験で汚れていた地球をさらに汚してしまった。ドイツのように日本は早く原発をやめるべきだ。(原発による)被曝当事者の国が真っ先にやめられないとは……。首相が賢ければやめられる。自然エネルギーでやっていける」

佐野さんは、東京の被爆者の会「東友会」で顧問を務めている。その東友会も参加する日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は「福島原発の事故による被害者には、もれなく健康管理手帳を交付し、年1回以上の定期検診を国の責任で行うこと」を政府に何度も求めてきた。

原子爆弾の被爆者に交付される被爆者健康手帳では、医療費の自己負担はゼロになる。佐野さんの2度の大腸がん手術も、この手帳のおかげで費用負担はなかったという。

低線量被曝のリスクについては、科学者としてどう考えるのだろうか。それを尋ねると、「どこまでなら被曝しても安全という値はない。浴びなければ浴びないほどいい」との回答だった。

各国の放射線防護対策は、国際放射線防護委員会(ICRP)の勧告にならっている。ICRPは、広島・長崎の原爆被爆者の追跡調査などを基に全身への被曝が100ミリシーベルトになると、がんの死亡リスクが約0.5%増えるとみている。100ミリシーベルトより低い線量の影響については、「線量の増加に正比例して発がんや遺伝性の影響が起きる確率が増える」との考え方を採用している。「どこまでなら安全」という値は示されていない。

では、核抑止力について、佐野さんはどう考えているのだろうか。日本が原発を放棄しないのは、核兵器への転用という政策の選択肢を捨てていないからだともいわれる。「北朝鮮が日本を攻めようと思えば、原発のどれかにミサイルを打ち込めば済む。あれだけ多くの原発が日本海側に並んでいる。日本は国防上、日本海に弱点をさらけ出している。国防を思うのなら、原発をやめるべきだ」


■原爆で母を失った理論物理学者

素粒子を専門とする理論物理学者の沢田昭二・名古屋大学名誉教授(89)は、13歳のときに広島の自宅で被爆した。自宅は呉服店で、周囲には商店が密集。爆心地からは1400メートルほど離れていたが、原爆の投下後は建物がすべて吹き飛ばされ、何も遮るものがない風景が広がっていたという。

36歳だった母は家の下敷きになり、身動きできなくなっていた。沢田さんが引っ張り出そうとしても、崩れた柱や梁はまったく動かない。父は出張で不在。弟も国民学校に行き、不在。通りかかる大人に助けを求めても、大人たちもまた負傷していた。

炎が迫る中、身動きない母は沢田さんに「生き残って勉強して社会に役立つ人間になりなさい。早く逃げなさい」と促す。沢田さんは「お母さん、ごめんなさい」と泣きながらその場を離れ、がれきの上をひたすら走った。

「母は焼き殺されてしまいました。生きていたら、いろんなことをやったと思う。大正の女性としては珍しく、高等女学校を出て、東京の専門学校に進みました。町内会の副会長や婦人会の会長も務めました。すばらしいことができる人だった」

沢田さんは戦後、広島大学理学部に進み、物理学を専攻した。そのさなかの1954年、アメリカはビキニ環礁で水爆実験を行った。第五福竜丸が被曝した実験である。

実験後、核兵器の威力と影響力を知った物理学者アルベルト・アインシュタインと哲学者バートランド・ラッセルら11人の学者が「核兵器が人類の存続を脅かしている」として、ラッセル=アインシュタイン宣言を発表した。この宣言に賛同した世界中の科学者らは1957年、カナダのパグウォッシュ村に集まり、会議を開く。日本初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士も参加した。世界の科学者が核廃絶を議論するパグウォッシュ会議の始まりである。

ビキニ環礁で使用された水爆の爆発力は、広島原爆の1000倍もあった。沢田さんはその事実に驚愕。「自分の専門にしようとする物理学が人類を滅亡させることになるかもしれない」と考え、やがてパグウォッシュ会議・日本グループの事務局で活動するようになった。

しかし世界は、核兵器禁止どころか、その後も安全保障を核兵器に頼む状況が続く。核兵器の拡張競争もやまない。

これに対し、湯川博士やノーベル物理学賞受賞者の朝永振一郎博士は1975年、「軍備管理の基礎には核抑止による安全保障は成り立ちうるという誤った考え方がある。したがって、もし真の核軍縮の達成を目指すのであれば、私たちは、何よりも第一に核抑止という考え方を捨て、私たちの発想を根本的に転換することが必要である」という「湯川・朝永宣言」を発表した。

湯川氏は戦中、京都帝国大学の原爆開発「F研究」に加わっており、沢田さんは「核兵器をなくす行動を熱心にされたのは、(F研究に)関わったことへの後悔の思いを持っておられたからではないか」と振り返る。

では、湯川・朝永両博士と行動を共にした沢田さんは、原発と核抑止について、どう考えているだろうか。コロナ禍のため、名古屋に出向くことを控え、沢田さんとは電話による取材が長く続いた。原発については「やめるべきだ」と即答である。

「原発は安全に処理できません。原発を動かすと、放射性廃棄物が地球上にどんどんたまる。世界中で原発をやっているので、廃棄物が増え続けている。許してはいけない。原発は使ってはいけないと思います。日本は山や川が多い。自然エネルギーを使える優れた環境にあるのに原発をやっている。逆をやっている。自然エネルギーに転換することで原発をなくせば、本当に豊かになると思う」


■軍事力で何かをやるというのは時代遅れ

では、核抑止力に基づく安全保障の考え方についてはどうだろうか。

「戦争では問題は解決しないことを人類は学びました。国際紛争は話し合いでしか解決しないのです。軍事力で何かやるというのは時代遅れ。日本も韓国も北朝鮮も含めて話し合いでやっていく態勢を作れば、戦争のない人類社会を実現できる。そうすれば、日本は軍事力に使うお金をコロナ(対策)に回して人を助けることもできます」

核兵器禁止条約が発効したのは、今年の1月22日である。その前日の時点で、地球上には1万3000発以上の核兵器があった。核兵器の使用、保有、開発、実験などを一切禁じるこの条約を批准した国・地域は今年の8月6日現在55。核保有国および日本を含む「核の傘」に依存する国々は署名・批准していない。

実は、沢田さんの電話インタビューでは、核抑止に関する部分で「石破さんの核抑止力の発言は時代遅れだと思う」との言葉が飛び出した。防衛大臣なども務めた自民党の実力者、石破茂氏のことを指している。沢田さんに古くさいと言われた、石破氏の主張とは「原発政策を議論する際には、安全保障問題としての核抑止力を考慮せよ」というものだ。そこで今度は、石破氏にインタビューすることにした。


(石破氏のインタビューは8月22日配信予定)


【出典】2021年8月21日配信「東洋経済ONLINE」


※「原発を考える戸田市民の会」ブログと同文


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(安倍9条改憲NO!全国市民アクション)
■これまで取り組んできた「3000万署名」にかえ、あらためて「安倍9条改憲反対!改憲発議に反対する全国緊急署名」に取り組みます。


※「唯一の戦争被爆国 日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」
http://www.antiatom.org/Gpress/wp-content/uploads/2020/10/08e558ee75f3516054b5145b2b1b9440.pdf


2021年1月22日、核兵器禁止条約が発効へ!
引き続き署名国・批准国を増やし、実効性ある条約に! 
♯日本政府は核兵器禁止条約に背をむけるな
♯米国など核保有国は核兵器禁止条約に参加、署名・批准を


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