「沖縄戦で、本土決戦を遅らせるための捨て石とした人たちを、今度は米軍基地の土台にするつもりなのか――」軟弱地盤が判明したことで埋め立て工事が難航していて米有力シンクタンクが「完成する可能性は低い」と述べ、1966年の海兵隊基地建設計画で「建設費が高くて実現できない」と記していた辺野古米海兵隊新基地建設。今、その埋め立てに沖縄戦で犠牲となった県民の遺骨が埋まり、血のしみ込んだ土砂を使用しないよう菅政権に求めています。
昨日に引き続き、この問題について2021年4月21日配信「現代ビジネス」から沖縄タイムス・福元 大輔記者の記事を転載させていただき、紹介することにします。(サイト管理者)
※以下、転載はじめ↓
<辺野古埋め立てに「沖縄戦の犠牲者の遺骨」を含む土が使われる…理不尽すぎる日本政府の方針>福元 大輔(沖縄タイムス記者)
■ガマを掘る理由亡くなった身内の骨が混じっているかもしれない土砂を、埋め立て工事のために海へ放り込まれたら、どんな気持ちになるだろうか。いま沖縄はそのような事態に直面している。
「沖縄戦で、本土決戦を遅らせるための捨て石とした人たちを、今度は米軍基地の土台にするつもりなのか」
沖縄の言葉で、ガマを掘る人という意味の「ガマフヤー」を名乗る具志堅隆松さん(67)は、怒りに震えている。
ガマとは、沖縄特有の石灰岩が作り出す鍾乳洞、自然の洞窟だ。1945年の沖縄戦で、日本軍や住民が避難するために利用した。その中で、多くの人たちが犠牲になった。
具志堅さんはなぜガマを掘るのか。理由は簡単だ。沖縄戦から76年目の今も、まだ、そこに骨が残っているから。ガマを掘る——。それは戦没者の遺骨を収集することを意味する。
具志堅さんは28歳の時、ボーイスカウトの成人リーダーとして、遺骨収集のボランティアに初めて参加した。マッシュルーム型の岩があり、自分ならあの下に身を潜めるだろうなとぼんやりと考えた場所で、土をどかしてみた。骨が出てきた。
ここで死んだ人が何十年もほったらかされていたなんて。戦没者への申し訳なさで胸が詰まった。一方で遺族でもない自分が掘り出してもいいのだろうか、と葛藤した。
なぜ沖縄の人々はガマに逃げ込むまで追い詰められたのだろうか。
沖縄本島の中でも南部地域は激戦地となった。次から次に陣地を攻略された日本軍は南へ南へと戦線を下げた。当然、米軍は追い詰める。南部には多くの住民が避難していた。日本軍が逃げたことで、住民たちを巻き込み、被害が拡大した。
太平洋の島々で敗戦を続けた日本軍は、武器も兵士も枯渇していた。日本本土での決戦に備え、体勢を立て直す時間が必要と考え、沖縄を捨て石にした。
日本軍が南部に撤退した時にはすでに勝負は決していた。にもかかわらず、時間稼ぎの目的のためだけに犠牲者の数は膨らんだのだ。
具志堅さんはかつて、沖縄本島南部の糸満市の小さなガマで、ひざを抱えるようにうずくまった少年の遺骨を発見したことがある。県立中学の校章がボタンにあった。「学徒隊」だったとみられる。
沖縄戦の動員数は、米軍が約55万人、日本軍が約10万人。日本軍10万人のうち2万人以上は、急きょ集められた沖縄の人々だった。
今の中学生や高校生くらいの生徒たちでつくったのが「学徒隊」。「ひめゆり学徒隊」や「鉄血勤皇隊」がよく知られている。日本軍は少しでも時間を稼ごうと、十分な訓練も受けず、武器もない少年、少女を戦場に放り出した。
具志堅さんは小さな遺骨の近くで、日本兵の鉄帽も見つけた。中には、頭蓋骨が残っていた。周囲の壁は、米軍の火炎放射器で焼かれのだろうか、れんがのようだった。
「お母さん、熱い、熱い」。二人の叫び声が聞こえてきた。せめて遺骨を遺族のもとに返したい、まず掘り起こさなければ。真っ暗なガマで、うっそうと茂った雑木林で、40年近く、ひたすら遺骨を探し続けてきた具志堅さんの原点となった出来事だ。
■埋め立てに「遺骨を含む土」が使われる具志堅さんは今年3月1日から6日間、沖縄県庁の前でハンガーストライキを実施した。米軍普天間飛行場の返還条件として、防衛省が名護市辺野古の海を埋め立て、代わりの施設を造る作業を進めている。その埋め立て工事に、遺骨を含んだ可能性のある沖縄本島南部の土砂を使う計画が明らかになったからだ。
辺野古の海を埋め立てるために、防衛省は2020万立方メートル、東京ドームの約16・3杯分の土砂を使用する予定だ。
当初、土砂の7割を沖縄県外から調達する計画だったが、埋め立て工事に反対する沖縄県が、外来種の侵入を防止するために県外土砂の運び入れを規制する条例を制定した。
防衛省はこれに対抗するように、沖縄県内からの調達可能な量を調査し、沖縄本島南部の糸満市と八重瀬町で、約3200万立方メートルの調達が可能と報告した。
具志堅さんはそれを知り、がく然とした。戦争につながる辺野古の米軍基地を造るために、戦争で亡くなった人たちの遺骨を含む可能性のある土砂を使用することがどうしても、どうしても許せなかった。
沖縄戦で無念のうちに亡くなった人が何を望むか。
遺骨収集を通じ、二つの結論にいたった。一つは「家族の元へ帰りたい」、もう一つは「二度と、こんなバカな戦争はしないでくれ」
■数万人分の遺骨が埋もれている沖縄戦で亡くなったのは約20万人。米国側が1万2520人、日本側が15倍の18万8000人に上る。このうち沖縄県出身以外の日本兵が6万6000人で、軍人・軍属、一般住民を含む沖縄県民全体が12万2000人以上、県民の4人に1人が亡くなったといわれている。
これまでに収集できた遺骨は18万柱を超えたとされる。実際にはダブルカウント、トリプルカウントがあるとみられ、本島南部を中心に数万人分の遺骨がまだ埋もれていると考えられている。
防衛省は「遺骨の混入している土砂を資材として使用することはあってはならない」との認識だ。「開発前に遺骨がないか、業者が目視で確認する」と対策を示すが、具志堅さんは「知識のない人が目視で探し出すのは、技術的にも物理的にも無理」と話す。
その理由は、(1)小さく、風化した骨が多い(2)赤土や石灰岩の色に同化している(3)手にとって重さを比べなければ石との違いが分からない―というものだ。破砕した骨もあり、どんなに時間をかけてもすべての収集はできない。
具志堅さんのハンストは大きく報道された。玉城デニー知事は「県民の心を深く傷つける」と南部地域の土砂の使用に反対の姿勢を鮮明にしている。
県議会も4月15日の臨時議会で、沖縄戦戦没者の遺骨が混入した土砂を埋め立てに使用しないよう国に求める意見書を全会一致で可決した。辺野古新基地建設に容認か反対かのスタンスを問わず、党派を超えて、「遺骨が混入した土砂の使用」には反対している。
一方、新たに沖縄本島南部で土砂採掘の開発を届け出た業者に対し、沖縄県は4月16日、現場周辺が沖縄戦跡国定公園に指定されていることから、自然公園法に基づき、「風景を保護するための必要な措置を求める」と命令を出す方針を発表した。
現場周辺には沖縄戦後すぐに、住民たちが散乱していた遺骨を集めて建立した魂魄之塔をはじめ、多くの慰霊塔がある。あちらこちらに遺骨も残っているとみられる。
国内唯一の「戦跡」国定公園だが、自然公園法を根拠としており、都道府県知事が開発を制限するには「風景を保護するために必要な限度」と定めている。遺骨が風景に当たるかどうか。沖縄県は検討を重ねた結果、遺骨を風景の一部として保護対象とした。
しかし、自然公園法4条は鉱業権の尊重を定めている。業者はすでに鉱業権と事業計画を国から認められており、沖縄県は弁護士と協議し、私権の制限につながることから土砂採取の全面禁止の命令を見送った。
つまり、「風景を保護するための必要な措置」を求めただけで、「土砂を取ってはいけない」と命じることはできなかった。
遺骨を風景と解釈するのは異例で、玉城知事は「最大限の対策。百点満点を望んでいる方もいるが、法制度上の限界もある」と理解を求めた。土砂採取の全面禁止を要望してきた具志堅さんは「残念を通り越して、憤りを感じる。国に誤ったメッセージを送った」と怒りの矛先を沖縄県や玉城知事にも向けている。
ただ、国によると、沖縄戦跡国定公園内には18業者、21鉱山が存在し、すでに土砂を採取、搬出しているところもある。新たに開発を届け出た業者だけに土砂採取の禁止命令を出したところで問題の根本的な解決にはつながらない。沖縄防衛局が沖縄本島南部地域からの土砂調達計画を変えない限り、遺骨を含んだ土砂が辺野古新基地建設のための埋め立て工事に使われる可能性がある。
「基地建設はだめで、他の工事に使ってもいいのか」「沖縄本島全体が戦場になっており、南部だけではなく、中北部にも戦没者のいくつを含んだ土砂はある」といった疑問も残されたままだ。
■「あいまいな喪失」を避けるために具志堅さんは「辺野古の埋め立て工事に沖縄本島南部の土砂を使用することを国に断念させることが最終的な目標」と前を見据える。
沖縄戦の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日には、沖縄全戦没者追悼式が開かれる糸満市摩文仁の平和祈念公園で、さらに、終戦記念日の8月15日には、全国戦没者追悼式の開かれる日本武道館でハンストを実施し、多くの国民にこの問題を伝える決意を固めている。
東日本大震災や新型コロナウイルス感染症でも注目されるようになった「あいまいな喪失」という言葉がある。
最後にさよならを言えなかったり、遺体に触れることさえできなかったりすることで、喪失が不確実となり、ストレスを抱える状態だ。
沖縄戦では、いつ、どこで、どのように亡くなったのか分からないという遺族が多い。その痛みやストレスを少しでも和らげ、行き場のない感情のよりどころとなってきたものの一つが、遺骨であるといえる。
車に日の丸のシールを貼り、スマホの着信音が君が代で、「生粋の自民党支持者」という76歳の男性が、具志堅さんのハンスト現場で私に話し掛けてきた。
「76年しかたっていない。まだ遺族も体験者も、その子や孫も沖縄で、この場所で暮らしている。この問題を許すことができない」
思想や信条に関係ない。うちなーんちゅ(沖縄人)としてダメなものはダメだ、とその男性は早口でまくりたてた。「あいまいな喪失」を身近で見てきたのだろうと想像した。
■これは「本土の問題」である«でいごの花が咲き風を呼び嵐が来た»
ザ・ブームの「島唄」は、1945年の沖縄戦を歌っている。真っ赤なでいごの花が咲く4月、米軍が沖縄に上陸し、空、海、陸から「鉄の暴風」といわれる銃弾を浴びせた。
「島唄」はほとんどの部分で「レ」と「ラ」のない「ドミファソシド」の琉球音階を使うが、サビ前の«ウージの森であなたと出会い、ウージの下で千代にさよなら»ではその琉球音階を使っていない。
なぜか。
ウージとは、沖縄の言葉でサトウキビ。生活の場を追われ、住民が逃げ込んだのがウージの下。つまり、「ガマ」だ。
地上で出会った僕らが、ガマで死ぬ――。
日本兵から「米軍の捕虜になると男は戦車でひき殺され、女は米兵の慰みものにされる」と恐怖心を植えつけられた。「ウージの下」は、親が子を、夫が妻を手にかける悲惨な集団自決(集団強制死)の現場にもなった。
ボーカルで作詞作曲を担当した宮沢和史さんは、琉球音階を使わなかったのではなく、使えなかったと語っている。
「非常にデリケートな歌詞。琉球の音階はつけられなかった。琉球音階にしてしまったら僕はそこから離れてしまう。本土の問題だと言いたかった」(2012年4月13日、沖縄タイムス)
沖縄戦はまだ終わっていない。宮沢さんのように、「本土の問題」として、しっかり向き合ってほしい。
■【福元 大輔】 沖縄タイムス記者/沖縄タイムス政経部県政キャップ。1977年生まれ。信州大学卒業。宮古毎日新聞で記者を務めた後、2003年沖縄タイムス入社。沖縄県警キャップ、八重山支局長、米軍基地・自衛隊問題担当などを経て、2017年から現職。
【出典】2021年4月21日配信「現代ビジネス」
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※「唯一の戦争被爆国 日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める署名」
http://www.antiatom.org/Gpress/wp-content/uploads/2020/10/08e558ee75f3516054b5145b2b1b9440.pdf2021年1月22日、核兵器禁止条約が発効へ!
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♯日本政府は核兵器禁止条約に背をむけるな
♯米国など核保有国は核兵器禁止条約に参加、署名・批准を
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