とだ九条の会blog

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渡辺洋三著『日本国憲法の精神』を読んで(3)――「国連憲章の集団安全保障体制とは」

2007年11月30日 | ニュース
昨日に引き続き、『日本国憲法の精神』(渡辺洋三著、新日本出版社刊)から、渡辺氏が指摘する国連憲章と日本国憲法の基本精神について見て行きます。(文責:サイト管理者)


国連加盟国が、国連憲章にもとづいて武力の行使やその威嚇の禁止を前提としたとしても、世界の平和は守られるのか、第二次世界大戦のときのようにヒットラーや日本軍国主義のような侵略者が出てきたらどうするのか、といった疑問が出てきます。
そこで国連は、こうした場合に備えて「集団安全保障体制」という仕組みを設けました。
これは、国連が、全体として世界の平和を守る責任をとるという考え方です。国連憲章は、国と国との争いで主権国家の武力行使を認めないというのですから、争いの解決は、中立で第三者の立場にある国連の手で解決する以外にはありません。そこで、国連憲章第6章で、国連がまず紛争の平和的解決に努力し、それでも解決しない場合には、安全保障理事会に対し解決を付託したり、安全保障理事会の手で紛争の調整や勧告をするとしています。もし侵略国が出現したとしたら、安全保障理事会が中心となっていろいろ手を打ちますが、この場合もまず非軍事的措置が優先するのは当然です。例えば経済措置とか外交関係や通信手段などを止めるとか、いろいろ考えられます。しかし、どんな非軍事的なやり方での制裁でも侵略が終らない場合の例外中の例外として、国連憲章では、いわゆる国連軍をつくって武力制裁することも認めているのです。
この点が、いかなる武力行使も認めていない日本国憲法と決定的に違う点であり、国連憲章が軍隊そのものを禁止していないことの当然の結果であるというわけです。
しかし、国連憲章の規定がそうなっていても、実際には今まで一度も国連軍なるものは作られなかったといいます。というのは、この国連の集団安全保障体制を動かす安全保障理事会の5つの常任理事国(米・英・仏・ソ〈当時〉・中)が「拒否権」という特権を持っており、1国でもその「拒否権」を主張すれば、この集団安全保障体制は動けない仕組みになっているからです。そうした意味では、世界の平和を守るための国連の集団安全保障体制という仕組みは、現在まで凍結状態だったというわけです。(つづく)


【参考】『日本国憲法の精神』(渡辺洋三著、新日本出版社刊、1800円+税)


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渡辺洋三著『日本国憲法の精神』を読んで(2)――「日本国憲法の平和理念」

2007年11月29日 | ニュース
昨日に引き続き、『日本国憲法の精神』(渡辺洋三著、新日本出版社刊)から、渡辺氏が指摘する日本国憲法の基本精神について見て行きます。(文責:サイト管理者)


「国連憲章」が武力による威嚇まで禁止した点は、国際法としては歴史上最初のことであり、画期的なものでしたが、この「国連憲章」をさらに徹底したものが、国連憲章制定後に誕生した日本国憲法だと渡辺氏は指摘します。 日本国憲法では、第九条1項に「武力行使の禁止及び武力による威嚇の禁止」を掲げていますが、これは先に述べた国連憲章の平和理念と同じものです。しかし、国連憲章では「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」(第2条)と、「慎まなければならない」という書き方ですが、日本国憲法は「永久にこれを放棄する」と、絶対的禁止の書き方になっていると、渡辺氏は述べています。 そして、さらに日本国憲法の優位性として、それだけではないと強調します。それは、国連憲章では、軍隊の保持そのものを禁止してはいないが、日本国憲法第九条2項では「戦力」すなわち軍隊の存在そのものを禁止している点です。 このように国連憲章と日本国憲法は、新しい平和に対する考え方の基本は同じであるものの、日本国憲法は国連憲章より徹底さにおいて勝っているわけですが、同時に日本国憲法は、国連憲章の精神に最も忠実だと言えるということです。

なぜ、これだけ徹底したものとなったかという理由として、渡辺氏は次の3点を挙げました。 第1に、国連憲章が制定されたときは、まだ第二次世界大戦が終っていなかったので、日本のようなこわい敵の存在が頭にあったということ。 第2に、日本がアジア諸国を侵略し、2000万人以上を殺傷した戦争犯罪を悔い改めるためにも、徹底した非武装、平和の誓いを世界に示す必要があったということ。 第3に、日本がアメリカの原爆投下を受けた最初の被爆国であったが、原爆のおそるべき惨禍や核戦争のこわさといったものを、国連憲章の制定時点ではまだ世界のほとんどの人が知らなかったということ――です。(つづく)


【参考】『日本国憲法の精神』(渡辺洋三著、新日本出版社刊、1800円+税)


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渡辺洋三著『日本国憲法の精神』を読んで(1)――「国連憲章の平和理念」

2007年11月28日 | ニュース
最近、新装刊行された『日本国憲法の精神』(渡辺洋三著、新日本出版社刊)を読みました。
この書は、1993年に初版が発行され、2000年に新版として出版された後、今年までの7年間に起こった国会の憲法調査会の論議、自民党の新憲法草案の発表、アフガンやイラクへの自衛隊派兵、改憲手続き法の成立、防衛省への昇格問題など、憲法九条を中心とした改憲の動きが急速に強まった情勢の変化の中で、このほど新装版として刊行されたものです。
渡辺洋三氏は2006年に既に他界していますが、本書の結びとして「21世紀の主役となる若者に悪いつけをまわさず、21世紀が今以上に憲法の輝く世紀になってほしい」と述べているように、日本国憲法の精神の先駆性を改めて理解する上で本書は大変分かりやすく、平和・人権・民主主義の憲法の学習書として多くの若者に読んでもらいたい書です。
そこで、何回かにわたって、渡辺氏が指摘する日本国憲法の基本精神について見て行くことにしましょう。(文責:サイト管理者)

本書の第四部ですが、「平和の基礎」という章に「国連憲章の平和理念」さらには「日本国憲法の平和理念」について書かれている部分があります。
まず、渡辺氏は、「平和を守るとはどいういうことか」という点で、2つの考え方を指摘します。
1つは、「平和を守るには、何よりも軍事力が必要である」とする考え方。
2つ目は、「それに反対する」考え方です。
前者の考え方は、古くからある伝統的なもので、戦争を肯定する結果となり、後者は新しい考え方で、これこそ国連憲章、そして日本国憲法の考え方であると述べています。

人類の歴史は、戦争を繰り返した歴史でもありました。特に20世紀は「戦争の世紀」といわれたように、第一次世界大戦、第二次世界大戦から朝鮮戦争、ベトナム戦争、近年では湾岸戦争やイラク戦争などなど。こうした戦争のくり返しの歴史の中で、国際法の上でも「戦争をしてはいけない」という考え方が広まり、第一次世界大戦後に「国際連盟」が作られ、「不戦条約」(1928年)が結ばれました。そして第二次世界大戦末期には、これが発展されて「国際連合」が作られ、「国連憲章」が採択されたのです。
「国連憲章」は「正義」という目的を掲げれば戦争をしてもよい、という従来の古い考え方を一掃する「新しい平和の考え方」を宣言したのです。

【国連憲章の主な平和理念】
第1.すべての主権国家は平等であり、内政や内戦に他国が介入してはならないという原則
第2.国と国との間の争いごと(紛争)は、非軍事的手段で解決するという原則
第3.そのために、国連に参加している国が、武力行使することを禁じ(第2条第4項)、さらに、武力を実際に使わなくても、武力を使うぞとおどかすこと(武力による威嚇)をも禁止するという原則(同条)
(つづく)


【参考】『日本国憲法の精神』(渡辺洋三著、新日本出版社刊、1800円+税)


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「九条の会」事務局長が語る「憲法を巡る情勢と『九条の会』の課題」(4)

2007年11月27日 | ニュース
昨日に引き続き、「北・九条の会」が開催した「施行60周年 輝け憲法九条! 文化と講演の夕べ」での小森陽一氏(「九条の会」事務局長、東京大学教授)の講演から、その概要を紹介します。(文責:サイト管理者)


【憲法を変えてどうしようとしているのか――自民党「新憲法草案」に示されている(3)】
小森氏は、続いて自民党の「新憲法草案」のねらいと本質について言及。
「新憲法草案」第9条3項の「法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び緊急事態における公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる」と規定している点をさし、その中に出てくる「公の秩序」という言葉を追うと共に、そのことが何を言っているのかという点を次のように語りました。
「公の秩序」という言葉は、自民党「新憲法草案」の第12条「国民の義務」に「~国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び“公の秩序”に反しないように自由を享受し、権利を行使する責務を負う」という箇所と、第13条「個人の尊重等」に「~生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び“公の秩序”に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(“ ”はサイト管理者が記載)と出て来ることを指摘した上で、小森氏は、自民党「新憲法草案」の「前文」には「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概をもって自ら支え守る責務を共有し」と“国民の国防の義務”が書かれていることを紹介して、それを守らないのは国民ではなく非国民ということになり、「公の秩序」に反することになって、自衛軍の最高指揮権者の内閣総理大臣がこの「公の秩序」が維持されていない緊急の事態と判断した場合は、自衛軍をもって取り締まることができる内容になっている。そして、第76条「裁判所と司法権」の項では「軍事の関する裁判を行うため、法律の定めるところにより、下級裁判所として、軍事裁判所を設置する」と規定しているように、「公の秩序」を乱した者、維持を妨げたと判断された者には軍事裁判にかけることまで用意している――小森氏は、そう指摘し、自民党「新憲法草案」がめざしている憲法改悪のねらいと本質について「証拠はあがっている」と批判しました。


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「九条の会」事務局長が語る「憲法を巡る情勢と『九条の会』の課題」(3)

2007年11月26日 | ニュース
一昨日に引き続き、「北・九条の会」が開催した「施行60周年 輝け憲法九条! 文化と講演の夕べ」での小森陽一氏(「九条の会」事務局長、東京大学教授)の講演から、その概要を紹介します。(文責:サイト管理者)


【憲法を変えてどうしようとしているのか――自民党「新憲法草案」に示されている(2)】
改憲派がどんな理由をつけようと、「自民党『新憲法草案』で“証拠”は既に上がっている」と言う小森氏は、まず、「新憲法草案」で、現行憲法の第二章「戦争の放棄」が「安全保障」にすりかえられ、「戦争の放棄」がなくなっていることを指摘。
「新憲法草案」の九条2項では、「自衛軍」として内閣総理大臣を最高指揮権者とする自衛軍を保持すると、現行憲法と全く逆な規定をしていると説明、九条は2項の「戦力の不保持」があるからこそ1項の「戦争の放棄」が実現できるわけで、この2項を削除し、逆に自衛隊を自衛軍に昇格させた自民党の「新憲法草案」を厳しく批判しました。
これは、自民党がアメリカの要求(米軍になりかわって「不安定の弧」一帯で自衛隊がアメリカの戦争を支援できるようにすること)に応えて、憲法九条2項を骨抜きにしようとしているからだと指摘しました。
つづいて小森氏は、国連憲章と日本国憲法とを交互に示しながら個別的自衛権と集団的自衛権について解説しました。
自衛隊は、憲法九条によって武力行使は出来ないことになっていますが、自衛隊は“実力”であるから実力行使はできると都合のよい憲法解釈で軍事力を増強してきました。また日米安保の軍事同盟を、これまた都合よく拡大解釈し、米軍とともに海外で作戦行動がとれるような状況を作り上げてきました。それに加えて、国連の集団的自衛権の規定を憲法下でもつかえないか画策してきたのです。
国連憲章は、その第1条で、国際連合の目的として「国際の平和及び安全を維持すること」と述べ、「そのために、平和に対する脅威の防止及び除去と侵略行為その他の平和の破壊の鎮圧のため有効な集団的措置をとること並びに平和を破壊するに至る虞のある国際的の紛争又は事態の調整又は解決を平和的手段によって且つ正義及び国際法の原則に従って実現すること」と掲げています。
そして第2条では、「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」としています。
しかし、その上で、第51条では、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和および安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」と規定しているのですが、小森氏は、この国連憲章の自衛権の拡大解釈が、現在、問題になっている「テロ特措法」「集団的自衛権」の問題に繋がっていると解説しました。(つづく)


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