2007年7月30日に75歳で亡くなられた小田実さんの憲法九条を守り生かしていこうという志を受け継ごうと、2008年3月8日に東京・渋谷のC.C.レモンホールにて行われた「九条の会」講演会『小田実さんの志を受けついで』より、小田実さんと同じく「九条の会」呼びかけ人のおひとりであり、作家の澤地久枝さんのお話(要旨)が川越「九条の会」(文責:ぱちくりさん)に掲載されていました。大変感銘を受ける内容でしたので、転載させていただき、当ブログでも何回かにわたりご紹介させていただきたいと思います。
<小さな人間がみんなでいやだといえば大きな人間は戦争などできない! >
みなさん こんにちは よくいらっしゃってくださいました。
小田実さんとは45年くらいの付き合いがあり、私にとってこれほど大きな人だったのかということで“小田実失調症”みたいなことになっていたが、そんなことではしょうがないと、何とか気持ちを取り戻そうとしているところです。
去年(2007年)の5月31日に世界一周の船に乗っていて船がブエノスアイレスに寄港したときに留守宅から来た手紙を読みました。手紙には小田実さんが絶望的な状態であることが書かれていましたが、それから45日くらい航海しなければ日本に帰ってこられなかったのです。4月2日に出て7月14日に帰ってきたのですがすでにホスピスに入っておられ、びっくりしました。何とかして会いたいと7月18日に聖路加病院へ行き、痛み止めのために目を半眼にしている小田さんに会うことができました。小田さんに言いたかったことは「小田さんありがとう」という言葉でした。そして「あなたは立派よ」と言いました。「立派でした」と過去形で言うのをよそう、命の軌跡ということを信じようとしてそう言いました。しばらく脈を取ったり、手当て療法などするわけではないけれどお腹に手を当てたりすると動かないかもしれない胃の辺りが動くんです。で、何とか助かって欲しいと傍にいました。「小田さん 玄さん(小田さんの奥さん)やならちゃん(子供)という友達を作ってくれてありがとう」とそれも言いました。小田さんも幸せだったろうと思うけれど、私たちも小田さんにそんないい家族が在ったということで、「会」のためにうれしいと思ったし、これからお二人はつらい人生を生きていくことになるけれども、そのそばに一緒に生きていく私たちがいて小田さんのことは忘れないということを約束しました。
そして亡くなり、7月31日のお通夜に伺いました。最後の小田さんの顔を見て心の中でこう言いました。「あなたはこんなに美男子だったの!」 お世辞とか、亡くなった人のことだからというのではなく、普段は仕事に追われる日々を送っていて、今は永遠の安らぎの中に居る、ということで、小田さんは、額の秀でた、鼻筋の通った実に美男子なんだなあと思わせる風情で眠っていました。
小田さんについて玄さんは、これからずーっと心の上で人生の同行者として生き続けていくということを書いていますが、私は自分が生きている限り、小田さんがやってきてまだこれからやろうとしていることの何十分の一もできないけれど、それを埋めるべく努めていこうと思っています。
(つづく)
※このブログをお読みの方で、「私も九条の会のアピール(「とだ九条の会」HPをご覧ください。)に賛同し、憲法九条を守る一翼になりたい」という方は、 「とだ九条の会」HPに「WEB署名」がありますので、「賛同署名」にご協力ください。
■「とだ九条の会」公式ホームページもご覧ください。
http://www15.ocn.ne.jp/~toda9jo/
<小さな人間がみんなでいやだといえば大きな人間は戦争などできない! >
みなさん こんにちは よくいらっしゃってくださいました。
小田実さんとは45年くらいの付き合いがあり、私にとってこれほど大きな人だったのかということで“小田実失調症”みたいなことになっていたが、そんなことではしょうがないと、何とか気持ちを取り戻そうとしているところです。
去年(2007年)の5月31日に世界一周の船に乗っていて船がブエノスアイレスに寄港したときに留守宅から来た手紙を読みました。手紙には小田実さんが絶望的な状態であることが書かれていましたが、それから45日くらい航海しなければ日本に帰ってこられなかったのです。4月2日に出て7月14日に帰ってきたのですがすでにホスピスに入っておられ、びっくりしました。何とかして会いたいと7月18日に聖路加病院へ行き、痛み止めのために目を半眼にしている小田さんに会うことができました。小田さんに言いたかったことは「小田さんありがとう」という言葉でした。そして「あなたは立派よ」と言いました。「立派でした」と過去形で言うのをよそう、命の軌跡ということを信じようとしてそう言いました。しばらく脈を取ったり、手当て療法などするわけではないけれどお腹に手を当てたりすると動かないかもしれない胃の辺りが動くんです。で、何とか助かって欲しいと傍にいました。「小田さん 玄さん(小田さんの奥さん)やならちゃん(子供)という友達を作ってくれてありがとう」とそれも言いました。小田さんも幸せだったろうと思うけれど、私たちも小田さんにそんないい家族が在ったということで、「会」のためにうれしいと思ったし、これからお二人はつらい人生を生きていくことになるけれども、そのそばに一緒に生きていく私たちがいて小田さんのことは忘れないということを約束しました。
そして亡くなり、7月31日のお通夜に伺いました。最後の小田さんの顔を見て心の中でこう言いました。「あなたはこんなに美男子だったの!」 お世辞とか、亡くなった人のことだからというのではなく、普段は仕事に追われる日々を送っていて、今は永遠の安らぎの中に居る、ということで、小田さんは、額の秀でた、鼻筋の通った実に美男子なんだなあと思わせる風情で眠っていました。
小田さんについて玄さんは、これからずーっと心の上で人生の同行者として生き続けていくということを書いていますが、私は自分が生きている限り、小田さんがやってきてまだこれからやろうとしていることの何十分の一もできないけれど、それを埋めるべく努めていこうと思っています。
(つづく)
※このブログをお読みの方で、「私も九条の会のアピール(「とだ九条の会」HPをご覧ください。)に賛同し、憲法九条を守る一翼になりたい」という方は、 「とだ九条の会」HPに「WEB署名」がありますので、「賛同署名」にご協力ください。
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