竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 五十四 「万葉集と韓国語」への与太話

2013年11月23日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 五十四 「万葉集と韓国語」への与太話

 以前に取り上げました「万葉集への与太話 万葉集は漢字で書かれているのか」をテーマにしたブログを準備する時に、「万葉集は漢字で書かれている」や「万葉仮名は漢字の用法の一つである」と云う言説について調べ物をしている折に気になった話題がありました。今回はその気になった話題を取り上げます。
 なお、ここでのブログは万葉集の鑑賞を目的とするものであって、特定の思想・心情には組みしたものではありません。そこを御理解のほど、お願いいたします。

 さて、朝鮮半島での古代文章表記法に吏読(りとう)と云う失われた表記方法がありました。この吏読は漢字の音と訓を利用して朝鮮語を表記し、さらに朝鮮語の語順に合わせて漢字を配列するものです。これを「朝鮮」を「大和」に、「吏読」を「万葉仮名」に置きかえると、現在の万葉仮名の説明と同等なものになります。また、HP「日本語千夜一夜~古代編~」(小林昭美)に載る「第50話 日本語のなかの朝鮮語」では、多くの古代朝鮮語と大和言葉とで共通する単語が紹介されています。その理由として、小林氏は、次のような文章を示されています。

「弥生時代以来、朝鮮半島も日本列島も強力な漢字文化圏のなかに飲み込まれて、中国語から数多くの語彙を借用した。日本語と朝鮮語は、語順が同じであり、助辞(てにをは)を使い、動詞や形容詞に活用があり、敬語を使うなど共通点が多い。日本語と朝鮮語はともにアルタイ系の言語だと考える学者も多い。しかし、日本語と朝鮮語に共通な語彙をくわしく調べてみると、もとは両方とも中国語からの借用語である場合もある」

 この解説からすると、多くの古代朝鮮語と大和言葉とで共通する単語について、それは共に漢字文化の導入に伴う外来由来の単語の増加が根源であって古代朝鮮語と大和言葉とが同じ言語集団に集約される訳ではないようです。
 他方、古代日本では中国大陸や朝鮮半島から大量な移民が日本列島に到来したことも事実です。畿内では、大和国の大和川を中心とする低湿地帯、河内国の低湿地帯、近江国の南部琵琶湖の両岸での湿地帯の住民は、渡来系の人々で過半を占めていたとも伝えられています。また、九州国東半島や関東武蔵野丘陵も有名な一帯です。
 こうした時、過去に「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる話題がありました。確かに古代朝鮮には吏読と云う書記システムがあり、文法は日本語と類似しており、また、漢字文化を背景として単語に多くの共通点がありました。さらに、古代日本では大量な移民が日本各地に生活しており、天智天皇の近江朝時代には朝廷の中級官僚に多くの百済系貴族・学者が就いています。さらに、日本語の進化を見るに、古事記・万葉集時代には一音節名詞の比率が高く、平安時代以降の二音節以上の多音節名詞が中心となす状況とは違っていました。
 説明文章をより判り易くするために、以下にウキペディアから引用した吏読と漢字ハングル交じり文の関係を例文から紹介します。

養蚕経験撮要(1415年)に見られる吏読の例である。1.は漢文、2.は吏読文(下線部が吏読、カッコ内は吏読の日本語翻訳)、3.は吏読部分をハングル表記(現代語式のつづり)したものである。
1. 蠶陽物大惡水故食而不飲(蚕は陽物にして大いに水を悪(にく)む、故に食して飲まず)
2. 蠶段陽物是乎等用良水氣乙厭却桑葉叱分喫破爲遣飲水不冬(蚕ハ陽物ナルヲモッテ水気ヲ厭却、桑葉ノミ喫破シ飲水セズ)
3. 蠶딴 陽物이온들쓰아 水氣을 厭却 桑葉뿐 喫破하고 飲水안들

 例文において、2.は日本の宣命大書体と等しく、3.は漢字ひらがな交じり文体と同等であることに気付かれると思います。この背景からすると吏読文を研究された人からすると「万葉集は韓国語で記述されたもの」と唱える誘惑に取り憑かれるのも無理は無いことではないでしょうか。
 なお、ここでの「万葉集は韓国語で記述されたもの」との主張には、その主張態度から「日本に帰化し日本文化に溶け込んだ渡来人が万葉集に載る歌を大和言葉で詠った」というものは含まないと規定します。つまり、確認しますが「小泉八雲の日本語による作品は日本語で記述されたもの」と同等の意味と解釈し、同様に吉田宜の万葉集に載る集歌864の歌のような作品もまた日本語で記述されたものと規定します。

集歌864 於久礼為天 那我古飛世殊波 弥曽能不乃 于梅能波奈尓母 奈良麻之母能乎
訓読 後れ居(い)て長恋せずは御園生(みそのふ)の梅の花にもならましものを
私訳 後に残され居ていつまでもお慕いしていないで、御庭の梅の花にもなりたいものです。


 ここで話題を変えて、次の五種類の万葉集歌を楽しんで下さい。この楽しみ方は、ここのブログで提案する「万葉集は漢語と万葉仮名と云う漢字で書かれている」と云う視点からのものですし、本歌取りや掛詞の技法は、既に奈良時代には使われていたと云う判断からのものです。つまり、歌は単線的な読解ではなく、複線的な読解が必要になると云う提案からの解釈です。確かに万葉学者によっては、本歌取りや掛詞の技法は古今和歌集以降のものであるし、日本語書記システムは「漢字と仮名による漢字ひらがな交じり」でしかないと云う主張もあります。だだ、それについては「表記論争」のテーマで意見を述べていますので、ここでは割愛します。

<浄御原宮時代初期:漢詩体歌>
集歌2334 沫雪 千里零敷 戀為来 食永我 見偲
訓読 沫雪(あはゆき)し千里(ちり)し降りしけ恋ひしくし日(け)長き我し見つつ偲(しの)はむ
私訳 沫雪はすべての里に降り積もれ。貴女を恋い慕って暮らしてきた、所在無い私は降り積もる雪をみて昔に白い栲の衣を着た貴女を偲びましょう。
<別解釈>
試訓 沫雪し散りし降りしけ 戀し来(き)し 故(け)なかき我し 見つつ偲(しの)はむ
試訳 沫雪よ、天から散り降っている。その言葉の響きではないが、何度も貴女を恋い慕ってやって来たが、貴女に逢うすべが無くて、私は遠くから貴女の姿を見つめ偲びましょう。

<浄御原宮時代初期:非漢詩体歌>
集歌1783 松反 四臂而有八羽 三栗 中上不来 麻呂等言八子
訓読 松(まつ)反(かへ)り萎(し)ひにあれやは三栗(みつくり)し中(なか)上(のぼ)り来(こ)ぬ麻呂といふ奴(やつこ)
私訳 松の緑葉は生え変わりますが、貴方は脚が萎えてしまったのでしょうか。任期の途中の三年目の中上がりに都に上京して来ない麻呂という奴は。
<別解釈>
試訓 待つ返り強ひにあれやは三栗し中上り来ぬ麻呂といふ奴
試訳 貴方が便りを待っていた返事です。貴方が返事を強いたのですが、任期の途中の三年目の中の上京で、貴方はまだ私のところに来ません。麻呂が言う八歳の子より。

<天平年間初期:常体歌>
娘子復報贈謌一首
標訓 娘子の復た報へ贈れる謌一首
集歌639 吾背子我 如是戀礼許曽 夜干玉能 夢所見管 寐不所宿家礼
訓読 吾が背子がかく恋ふれこそぬばたまの夢そ見えつつ寝(い)し寝(ね)らずけれ
私訳 愛しい貴方がそんなに恋い慕ってくださるので、闇夜の夢に貴方が見えるので夢うつつで眠ることが出来ませんでした。
<別解釈>
試訓 吾が背子がかく請ふれこそぬばたまの夢そ見えつつ寝し寝るずけれ
試訳 愛しい貴方がそれほどまでに妻問いの許しを求めるから闇夜の夢に貴方の姿は見えるのですが、でも、まだ、貴方と夜を共にすることをしていません。

湯原王亦贈謌一首
標訓 湯原王のまた贈れる謌一首
集歌640 波之家也思 不遠里乎 雲井尓也 戀管将居 月毛不經國
訓読 愛(はしけ)やし間(ま)近き里を雲井(くもゐ)にや恋ひつつ居(を)らむ月も経(へ)なくに
私訳 (便りが無くて) いとしい貴女が住む遠くもない里を、私は雲居の彼方にある里のように恋い続けています。まだ、一月と逢うことが絶えてもいないのに。
<別解釈>
試訓 はしけやし間近き里を雲井にや恋ひつつ居らむ月も経なくに
試訳 ああ、どうしようもない。出掛ければすぐにも逢える間近い貴女の家が逢うことが出来なくて、まるでそこは雲井(=宮中、禁裏のこと)かのように思えます。私は貴女を恋焦がれています。まだ、貴女の身の月の障りが終わらないので。


<天平年間中期:常体歌>
集歌3854 痩々母 生有者将在乎 波多也波多 武奈伎乎漁取跡 河尓流勿
訓読 痩(や)す痩すも生けらばあらむをはたやはた鰻(むなぎ)を漁(と)ると川に流るな
私訳 痩せに痩せても生きているからこそ、はたまた、鰻を捕ろうとして川に流されるなよ。
<別解釈>
試訓 易す易すも生けらば有らむを波多や波多鰻を漁ると川に流るな
試訳 すごく簡単に鰻が潜んでいたら捕まえられるだろう、だが、川面は波だっているぞ。その鰻を捕ろうとして、川に流されるなよ。


<天平年間後期:一字一音万葉仮名歌>
集歌4128 久佐麻久良 多比能於伎奈等 於母保之天 波里曽多麻敝流 奴波牟物能毛賀
訓読 草枕旅の翁(おきな)と思ほして針ぞ賜へる縫はむものもが
私訳 草を枕とする苦しい旅を行く老人と思われて、針を下さった。何か、縫うものがあればよいのだが。
<別解釈>
試訓 草枕旅の置き女(な)と思ほして榛(はり)ぞ賜へる寝(ぬ)はむ者もが
試訳 草を枕とする苦しい旅の途中の貴方に宿に置く遊女と思われて、榛染めした新しい衣を頂いた。私と共寝をしたい人なのでしょう。

集歌4129 芳理夫久路 等利安宜麻敝尓 於吉可邊佐倍波 於能等母於能夜 宇良毛都藝多利
訓読 針袋(はりふくろ)取り上げ前に置き反さへばおのともおのや裏も継ぎたり
私訳 針の入った袋を取り出し前に置いて裏反してみると、なんとまあ、中まで縫ってある。
<別解釈>
試訓 針袋取り上げ前に置き返さへば己友(おのとも)己(おの)や心(うら)も継ぎたり
試訳 針の入った袋を取り出し前に置いて、お礼をすれば、友と自分との気持ちも継ぎます。


 紹介しました歌の特徴は、全て同音異義語からの言葉遊びの世界です。場合によっては掛詞の技法を使った歌と呼ぶべきかもしれません。『万葉集』にはこのようにその歌が実作されたと推定される浄御原宮時代から後期平城京時代までの通期に渡り、同音異義語からの言葉遊びの歌を見つけることが出来ます。
 なお、ここでのものは『万葉集』原文からの解釈です。確かに奈良時代人がこのように詠んだという確証はありません。訓読み万葉集も然りです。最大、『古今和歌集』や『伊勢物語』での重複歌に遡るのが限度です。従いまして、別解釈で紹介したものも、標準的な解釈も、「万葉集は韓国語で記述されたもの」と云う立場からは、紹介したものが確認・確定した事実ではないと云う観点から成立しないとの指摘があるかと考えます。ただ、その場合は、主張は互いに平行線で、論議はここで終わります。

 ところで、この同音異義語からの言葉遊びは日本語が持つ特性からのもので、古代・中世での朝鮮語や中国語では楽しむことの出来ない文学世界です。文末に参考資料を紹介していますが、日本語は開音節言語に分類される言語です。一方、朝鮮語や中国語は閉音節言語に分類される言語です。この発音方法の違いから、日本語が開音節言語であることにより音節の型は数百程度であるのに対して朝鮮語や中国語が閉音節言語であることから音節の型は数千から万を超える程多く持つことになります。つまり、この保有する音節の型数の絶対的相違から、同音異義語の数が違って来ます。そのため、日本語が特徴的に同音異義語からの言葉遊びを持つことが出来るのです。他方、中国語では発声の言葉遊びとして漢詩などでの押韻が発達しています。
 古代において書記システムからすると漢字だけの表記スタイルからこれらの国々は同じ漢字文化圏に含まれるかも知れませんが、発音や文法ではそれぞれの民族言語に基づき独特なものが認められます。さらに、日本語は開音節言語であることから外来語の名詞を容易に五十一音の音節に分解し、複合名詞の多音節化の作業をしてしまいます。この特性が同音異義語からの言葉遊びを産む源なのでしょう。また、『万葉集』では漢字表記の視覚情報とその文字の発声での聴覚情報とのギャップを楽しむこともしています。例で云うと紹介した集歌1783の歌の「松反=まつかえし」や集歌639の歌の「戀礼許曽=こふれこそ」がそれに相当します。単純な同音異義語からの言葉遊びだけではないことが『万葉集』の特殊性です。
 さらに、先ほど「古代朝鮮語と大和言葉とで共通する単語」の説明で、古語において多くの単語が共通するとの文章を紹介しましたが、文末に紹介する姜美愛氏の研究では「単独語ではほぼ同じアクセント構造を持つ言語であっても、複合語のアクセント規則では共通点がほとんどない」と結論付けるように、外来語を多音節に開くと云う日本語独特の言語特性からは、古代朝鮮語と大和言葉とが、どれほど言語を共有できるのかと云うと疑問ではないでしょうか。
 先に同音異義語からの言葉遊びの和歌を紹介しましたが、これらは漢詩体歌、非漢詩体歌、常体歌、一字一音万葉仮名歌と、それぞれの書記システムは違いますが、万葉集中においてはその書記システム変化の連続性は確認出来ます。従いまして、漢詩体歌や非漢詩体歌だけを切り取り、それだけを評論することやサンプルとすることは出来ないのです。連続性を担保する必要があります。もし、「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる話題を追求するのであれば、『万葉集』の全書記システムでの歌に対して共通性を持った解説や論が必要になります。当然、その課程で漢詩体歌から一字一音万葉仮名歌までにおける短歌での三十一音での口調とリズムに対する説明が必要です。木簡などの発掘から、一時期、流行った略体歌からの和歌進化説は否定され、漢詩体歌と一字一音万葉仮名歌とには同時代性が認められますから漢詩体歌が特殊な口調を持った歌との説明から三十一音での口調とリズムから大きく離れる解釈をすることは出来ません。そして、『万葉集』から『古今和歌集』へと繋がる重要な和歌作歌技法の一つである掛詞技法を古代朝鮮語法や文芸面(ハングル成立以前の朝鮮での同音異義語遊び文学の証明)から解説する必要があります。
 当然、表記システムにおいても、『万葉集』の大伴旅人や家持に代表される「一字一音万葉仮名歌」は『古今和歌集』、『後撰和歌集』、『千載和歌集』、『新古今和歌集』へと、三十一文字仮名表記とその仮名文字の母字となる漢字文字については連続性がありますから、『万葉集』単独で古代朝鮮語との関係を述べる訳にもいきません。その後の和歌の進化過程も視野に入れて語る必要があります。『古今和歌集』以降の和歌を単純に「ひらがな」表記の和歌と思いこむ訳にはいかないのです。歌での視覚情報と聴覚情報との関係から変体仮名連綿による「ひらがな」表記の和歌であってもその母字となる漢字文字は場面ごとに選択されているのです。この姿もまた古代朝鮮語法や文芸面から解説が必要です。
 当然、主張のために都合の良い単語を切り出せば、語彙充足の為に古代に漢語・漢字輸入と云う共通の過去歴史を持ちますから、類似は必ず現れます。しかし、言語分類や発音特性に基づけば、違う言語体系を持つのですから、本格的に『万葉集』を理解すればおのずから結論は導かれるものと考えます。

 ただ、現在までの文化人類学上の研究では、漢文以外の文字記録への資料不足に由来し、言語学上での百済国の住民やその後の朝鮮半島の南西部の住民と現在の韓国民との言語の連続性については未確定のようです。従いまして、逆説になりますが、次のような主張は可能です。
 古語朝鮮語には吏読の文章表記システムがあり、これは万葉仮名によるものと同等である、
 文章構文において吏読と万葉集歌とに共通点がある、
 古語朝鮮語と大和言葉とに共通の単語が多数、存在する、
 古語朝鮮語が開音節言語か、閉音節言語かは確定できないから、大和言葉と同じ開音節言語の可能性がある、
 万葉集の歌が詠われた時期、大和には多数の古語朝鮮語を使う人々が生活していた、

 つまり、古代の朝鮮半島南部の人々は『万葉集』から『古今和歌集』への連続性を持つ大和言葉と同等の言語・発音を持つ人々であり、そして、文章構文や単語も共通していたと主張することは可能です。ただ、このような場合、『万葉集』を通じて古代に少なくとも朝鮮半島南西部の人々は言語・文化において大和と一体であったと示唆するものですから、論者は任那日本府による朝鮮半島南西部支配とその住民は日本人またはその亜人種であったと云う学説の支持者になることと等しいものになります。
 再度、確認しますが、本来の「万葉集は韓国語で記述されたもの」との主張には、その主張態度から「日本に帰化し日本文化に溶け込んだ渡来人が万葉集に載る歌を大和言葉で詠った」というものは含まないと規定します。従いまして、日本文化に溶け込み、大和言葉で日本文化を背景とした歌を詠う人が戸籍上では大和人種ではない帰化人であったとしても、文学的にはその人物は日本人と考えます。こうした時、以上の考察からしますと、「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる主張での「韓国語」の言葉は、実質上、大和言葉の一方言であり、その言葉を使う人々は文化・文芸面では大和人種との区別が出来ない人種ということになります。ある種、現代における方言からの青森県人や鹿児島県人と同等な朝鮮半島全羅道県人と云うような区分になるでしょうか。
 現在、韓国と日本の学説では「任那日本府による朝鮮半島南西部支配とその住民は日本人またはその亜人種」と云うものについては否定するものが大勢と考えます。文化人類学的には、古代においても海峡両岸地帯での文化や社会交流があったが生活習慣や文化態度は違うものであり、人種的にも同一性は認められていないようです。また、「任那日本府」と云う「国家」の存在もまた否定するのが大勢と考えます。さらに、もし、「万葉集が朝鮮半島で作られた」と云う説が存在するならば、その説を唱える人は「その地域は言語と文化上では日本であった」と考えていることになるのではないでしょうか。その時、韓国の人の心情からすると、なかなか、難しい問題になると考えます。
 個人の考えとしては、百済や新羅と云う国家は朝鮮半島南部に存在した独自の文化や言語を持った半島の韓人の国家と思います。従いまして、「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる主張で、古代韓国語は大和言葉の一方言であり、文化的人々は大和人と同等の発音・文法を持つ人種であったと、その独立性について卑下する必要はないと考えます。やはり、百済や新羅は誇り高い高度な漢詩・漢文文化を持つ国家であったと考えます。

 当然、一部の漢詩体歌や非漢詩体歌を、吏読の文章表記システムで三十一文字の和歌の縛りに縛られず、ハングル翻訳することについては、実験としてその行為を否定するものでは有りません。しかし、出来ましたら、日本語が持つ同音異義語からの言葉遊びや『万葉集』特有の漢字表記の視覚情報と発声からの聴覚情報とのギャップを楽しむことを、『万葉集』の歌、全体を通じて鑑賞していただけたらと考えます。
 最後に柿本人麻呂の歌を紹介して終わります。これが、万葉人を代表する大和貴族の感覚だったようです。この感覚を現代韓国語で訳すのは精神的に辛いのではないでしょうか。ですから、この人麻呂歌を鑑賞すると「万葉集は韓国語で記述されたもの」なる主張は、韓国の方では、一部の日本に媚び自国を卑下する人を除けば、そのプライドから決して主張しないことと考えます。
 ここで、韓国の方にお願いですが、以上の説明をなるほどと思われた時、過去にそのような主張をした御方を御国の売国奴とは考えないで下さい(イスラエル問題から見ると、重大な問題ですが)。でも、それは日本人でも難しい古語大和言葉に果敢にチャレンジしたことからの勇み足だけと推察します。
 今回はそのような事情があり、紹介は原文だけです。この同音異義語の遊びがふんだんに入る訓読みと意訳文を紹介しなかった事情をお察し下さい。

柿本朝臣人麻呂従石見國別妻上来時謌二首并短謌より抜粋
原文(集歌135)
角鄣経 石見之海乃 言佐敞久 辛乃埼有 伊久里尓曾 深海松生流 荒磯尓曾 玉藻者生流 玉藻成 靡寐之兒乎 深海松乃 深目手思騰 左宿夜者 幾毛不有 延都多乃 別之来者 肝向 心乎痛 念乍 顧為騰 大舟之 渡乃山之 黄葉乃 散之乱尓 妹袖 清尓毛不見 嬬隠有 屋上乃(一云、室上山) 山乃 白雲間 渡相月乃 雖惜 隠比来者 天傳 入日刺奴礼 大夫跡 念有吾毛 敷妙乃 衣袖者 通而沽奴

 今回もまた、与太話で埋めてしまいました。反省です。



<資料一>
吏読 (ウキペディア)より抜粋引用

 吏読は漢字の音と訓を利用して朝鮮語を表記しているが、漢字の読み方は古くからの読みが慣習的に伝わっている。
 吏読では名詞・動詞語幹などの実質的部分は主に漢語が用いられ、文法的部分に吏読が主に用いられる(名詞・動詞部分に吏読が用いられる例もある)。朝鮮半島では漢字を受容してしばらくは正統な漢文が用いられたと見られるが、その後朝鮮語の語順に合わせて漢字を配列した「誓記体」などの擬似漢文が現れる。吏読はこのような朝鮮語の語順で書かれた擬似漢文に、文法的要素がさらに補完されて成立したものと考えられる。

<資料二>
音節 (「文字と文章」 内海淳)より引用

 「バナナ」/banana/の中の、/b/、/a/、/n/のように、これ以上は分割できない個々の音のことを分節音(segment)または音素(phoneme)と呼びます。これに対し、「バナナ」/banana/の中の、/ba/と/na/のように、母音を中心とした発音しやすい音の集まりを音節(syllable)と呼びます。英語のstrike /straik/という単語は、これで1音節ですが、日本語の「ストライク」/sutoraiku/という単語は5音節です。このように、音節の形は言語毎に異なります。/ba/や/na/のように、母音で終わる音節を開音節(Open Syllable)と呼びます。開音節は形が単純になる傾向があります。これに対して、/straik/のように、子音で終わる音節を閉音節(Closed Syllable)と呼びます。閉音節は形が複雑になる傾向があります。
 日本語は、閉音節もありますが、閉音節は特殊な環境に限られていて、開音節が中心の言語です。このような言語は開音節言語と呼ばれます。これに対して、英語は、閉音節が特殊な環境に限られていません。このような言語のことを閉音節言語と呼びます。
 日本語やイタリア語、スペイン語などは、開音節言語で、音節の型は数百程度と比較的少なくなります。これに対して、英語、中国語、朝鮮語等は、閉音節言語で、音節の型は数千から万を超える程多くなります。

<資料三>
複合名詞アクセントの韓ㆍ日対照研究 -大邱方言複合名詞アクセント規則を中心として
(姜美愛、日語日文學 第42輯)より引用

 日本語の複合名詞のアクセント規則は、複合語を構成する後部の単語が3拍以上のものと2拍のものに大別でき、後部が2拍の和語の場合をのぞいて漢語ㆍ和語ㆍ外来語の間での違いはほとんどあらわれない。これに対して大邱方言の複合名詞では複合語の音節数によってそれぞれ違ったアクセント規則があらわれ、また漢字語ㆍ固有語ㆍ外来語の間でも幾らかの違いが見られる。
 日本語の複合名詞において漢語ㆍ和語ㆍ外来語の間で際立った違いがあらわれないのは、日本語では外来語の歴史が長く、新しく入ってきたものでも本来閉音節で発音されるものが日本語の特徴である開音節で発音されるため容易に日本語化されるためではないかと思わる。一方、韓国語では韓国語が閉音節を持つ言語であるため、本来閉音節で発音される外来語についてもそのまま発音されることが多く、容易に韓国語化されない。例えば、英語の5音節語の「In-ter-net bank-ing」は日本語では12拍の「インターネットバンキング」になるが、韓国語では英語と同じ5音節語の「인터넷 뱅킹」であり、アクセントもほぼそのまま維持される。このようなことが韓国語の複合名詞において漢字語ㆍ固有語ㆍ外来語に共通するアクセント規則があらわれない理由の一つになると思われる。
 複合語のアクセントを決定する要因としては、日本語の複合名詞では主に後部要素のアクセントであり、大邱方言では先ず前部要素と後部要素の音節数であり、次に前部要素のアクセントであり、そして後部要素のアクセントが係わってくる。大邱方言の6音節以上の漢字語複合名詞において前部要素のアクセントと後部要素のアクセントが連続しないものが多い。日本語の漢語名詞においても「悠々自適 ユーユー/ジテキ」のように発音されるものがある。これは複合語の音節数や前部と後部の単語が持つ意味の上から発話者にとって複合語とは認識されにくく、そのために前後の結合が弱くなるためであると思われる。
 以上が本研究において得られた結果であるが、本研究の目的とした日本語と大邱方言の複合語のアクセント規則における類似性の調査については、類似の部分よりも相違の部分が多くあらわれた。漢字語ㆍ固有語ㆍ外来語といった共通の語種を持ち、派生法と合成法という共通の複合語の造語法を持ち、共に高低アクセントを持ち、更に単独語ではほぼ同じアクセント構造を持つ言語であっても、複合語のアクセント規則では共通点がほとんどないことが明らかになった。

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2 コメント

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難訓歌について (作業員)
2014-03-28 23:41:01
万葉集の難訓歌が読解出来ていないことを論拠に、過去に遊びとして古代朝鮮語から解読を試みたことがあったそうです。
ただ、ここのブログ「難訓歌を鑑賞する」でも紹介していますが、日常的に「訓読み万葉集」をテキストにする好事家には、一部の歌は難訓だったかもしれませんが、現在では万葉集歌は適切に日本語によってすべて解読・解釈されています。
ここのブログでも全万葉集歌に訓と意訳文を付けていますように、現在では一般人レベルでも日本語ベースにおいて難訓歌は存在しません。
不思議な話 (作業員)
2021-05-04 06:02:29
李寧熙氏が亡くなられました。偶然の一致か知りませんが、また、郷歌と万葉集との関係を取り上げ、万葉集は漢半島人の手によるものという珍説の書籍が発表されたようです。
まじめに和歌の表記の歴史と古代史を研究すると、「万葉集は漢半島人の手によるもの」の説が意味するものは、反って朝鮮半島南部は大和の植民地だった説の補強になります。
本当にそのような説を韓国で発表しても大丈夫なのでしょうか。
実に心配です。

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