麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

屠畜場の聖ヨハンナ

2014年03月31日 | 鑑賞
創立60年を迎えるフットボールクラブ。
名前をTEEという。

長くドイツサッカーを彷彿とさせる
組織的で堅牢なスタイルを伝統とした。

その中心には名匠・ヴェイツゲーヘンの
強力な指導力があった。
彼の死後、ヘッドコーチやGKコーチを
昇格させ、そのシステムは継承されたが、
2010年、チームの生え抜きで、
エースストライカーとして人気実力とも
抜きん出ていた「若き至宝」
アムトゥリッヒを監督に抜擢。

瑞々しい才能に期待は高まったが、
なんと今季、クラブは大冒険に打って出た。
長年フロントでクラブを支えてきた
選手経験のないヴェニグヴォルトに
記念すべき年を委ねたのだ。

これまでの伝統を踏まえた上で
自由にボールを回すアグレッシヴで
華やかなサッカーをチームに持ち込み、
そのピッチの中心で輝いたのは
三年ぶりに帰ってきた背番号10、
クーガ・ミュアー。
ブランクをまるで感じさせない存在感。

TEEは新しい一歩を歩み出した!



3月30日に千秋楽を迎えた
東京演劇アンサンブル創立60周年
記念公演第一弾『屠畜場のヨハンナ』
作/ベルトルト・ブレヒト
訳/加藤衛、構成/庭山由佳・小森明子、
演出/小森明子

大変素晴らしい芝居でした。
拝見したのは金曜日。
入団以来制作部で劇団の力となってきた
小森の、とても初演出とは思えない
現代性と遊び心に溢れた力強い舞台。

巨星・広渡常敏の薫陶を受けつつも
彼女らしいブレヒト劇に昇華されていた。

産休から復帰の看板女優・久我あゆみの
抜擢をはじめ、ほぼ総出演といえる37名
(ほか音楽家一人とラストに登場する
ダブルキャストの子役)の役者を熟知した
適材適所の配役は物語に厚みを持たせ、
さらには創立記念公演の一本目に
ふさわしい祝祭性が香り、鳥肌が立った。

・・・ってのを、前半必要もないのに
サッカークラブに例えて書きました。

記念公演第二弾を公家義徳、
第三弾を松下重人。
劇団のエース俳優二人が演出で競うのも
大いに期待できる!!
異彩を放ってきた劇団の輝きは、
増すばかりだ
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再会の半歩先

2014年03月30日 | 身辺雑記
前回ブログで「声の再会」について書き、
仮名に「甲」と「乙」を用い、
「へえ~」で終わるという展開で
お茶を濁した、続きと言えなくもない話。

    

昨夜、新宿ゴールデン街劇場で見た
非シス人‐Narcissist‐第19回公演 
『地下室の弔』(構成・演出/間天憑)
の客席で再会した丁さん
……もう面倒だから夏井さんでいいや。

「東演パラータでやった『無頼』を最後に
舞台からは遠のいて今は映像ばっかり」と
彼は言った。
「39歳だったから十年以上経つな」と。
嗚呼、またまた二桁ぶりの再会。

しかも。

その呑みの席で聞いた事務所のHPを
さっきチェックしてみたら、
じぇ、じぇじぇじぇ
前回「乙さん」と書いた田中さんと
並んで写っているじゃありませんか。

なんだかな~。
そいでもってね。

夏井さんと演出の間さんがそもそも
『夏の夜の夢』で共演したのが出会い
ってくだりから気遣いの人・間さんが
「今度、高橋も『夏夜』やるんだよ」と
六月の俳優座劇場でのオールアクトの宣伝を
絡めてくれたのだが……。

やはり芝居を見に来た岩崎さんという
僕とは初対面の女優さんが、
「わたし石山さんとご一緒しましたよ、
TYPESって劇団さんで……」と。
(※オールアクト代表の石山雄大氏)

「あ、じゃ制作、田中さんでしたね」
この時、夏井さんは席を移動していて、
田中さん云々は耳にしていない。

まあ割と大所帯の事務所だから
二人が親しいのか知らないのだが…。

とにかく、そんな訳で。
「非シス人」と書いて「ナルシスト」と読む
カンパニーの次回公演からお手伝いする話が
進んでいます。

2014年、甲午(きのえうま)。
十干でいうところの「甲」は
『草木の芽生え、鱗芽のかいわれの象意』
なのだそうだ。
再会をきっかけに新しいものが
創り出せたら良いと終電車での帰路思った。
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再会の一歩手前

2014年03月28日 | 身辺雑記
電話は突然鳴るに決まっているが、
その着信表示に昨夜は少し驚いた。

江戸川乱歩の短中編小説四本の
オムニバス映画『乱歩地獄』の一編
成宮寛貴主演「鏡地獄」など映画や
舞台で活躍する女優の甲さん。

甲は仮名。
アルファベットじゃ芸がないかと

十数年、いや二十年に迫る御無沙汰。
けれど電話の向こうの声は
変わらぬゆっくりした甘い声で、
要はロシア風の上着が手に入らないか、
と。
「どん底の東演か、東演のどん底か」と
言われる老舗劇団に僕がまだいると思い、
問い合わせて来たのだ。

確かに古巣はかの国の芝居を
結構上演していて、いやまさに今
ロシア人演出家のプログラムで
全国を巡演中である。
てなわけで期待には応えらなかった。

さて。
今年のテーマの一つに「再会」を掲げたら
なんだか次々と達成されて愉快。
ま、彼女には実際は会ってないけれど。

会ってないといえば。
五月が本番のJ-Theaterに出演の中山くんが
その前に出る『マクベス』のチラシを
稽古場に持ってきて宣伝。

その制作チーフに懐かしい名前を見つけ、
当時の番号に掛けてみたら、
本人が出て、向こうから「久しぶり」と。
乙氏と話すのも十五年以上は経っている。

フェイスブック等々便利なものが出来て
再会が容易くなったわけだが、
個人的には余り恩恵に与っていたい。

かみさんがPC画面を見ながら
「わぁ~」と声をあげた。
昔の友達が今NYにいると語り始めた。
メガバンクに勤めていて、
私の卒業公演も見に来てくれた、と
最近の気候のよーにうきうきした調子で。

さて男というのは愚かなもので、
その一連の流れから勝手に女性と
思い込んでいた。冷静に考えれば、
四十半ばで海外勤務ってことは
(本当はそれではいけないのだが)
男性の可能性が高いのである。

なのに完全に女性と思って会話してて
かみさんから「男だよ」って、
しかも何故だかトーンを下げて言われ、
「あ」と気付かされたのだった。
でも、そこは冷静さを装い
「へえ~」と返事したのだった。

【つづく】





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溟い……海とか政治とか

2014年03月24日 | 制作公演関連
池袋、いや豊島区でも屈指の
「巨大さ」を誇る我が家
ここでいう巨大とは、
単純な三次元の広さでははない。

居住空間と、僕が代表を務める
テアトルHD(株)事務所、
さらに撮影スタジオ「フロ・スタ」、
音楽スタジオ「ウタ・スタ」と
一見30平米ほどに見える空間に
「無限の宇宙」が広がる。

自分で書いておいて、
やや切なくもなるな

ややではなく、
「巨きく」切なくなったのは。
大阪市長選。
過去最低の投票率23.59%。
無効票約67000超は、次点藤島氏の
得票数の3倍に迫る驚愕の数で、
内訳は白票が45098、その他に
「×」「該当者なし」「ふざけるな」
「税金を大切に使いましょう」等
足を運んだ選挙民の切実な声が
溢れるものだった……。

お隣の京都の動物園では選挙前日、
国内最高齢のジャガーが25歳10カ月、
人間でいうと100歳以上の大往生と。

同じ哺乳類でも「寿命」が異なる、
ってことは。
きっと人としてのそれとは別に
「政治家の寿命」ってのがあって、
再選された方は残念ながら……
もう辞めた方がいいのだと思う。

さて、そんなことを痛感しながら、
「巨大な」事務所の片隅で、
現在、二作品の公演チラシ制作と
二つのワークショップの準備を
同時に進めている。

別のデスクではかみさんが
ラヴィニアのライブのリーフレットを
作っているらしい。

毎度ライブでは、直近の舞台で
歌った曲を中心に構成されるから
昨年ウッディーシアター中目黒で公演した
『君の目覚めに微笑を』のナンバーが
セットリストされるのだろうが、
詳しいことは知らない。

おっと、詳しいといえば。
こないだのブログでは著作権の関係で
明らかにできなかった情報を
ドーン、と。

J-Theater
日本人作家シリーズVol.6
『溟い海(くらいうみ)』
2014年5月19日~20日
小劇場・楽園(下北沢)
前売/3300円、当日/3500円
学生・和装の方/3000円

キャスト・スタッフ等は改めて。
あ、『溟い海』は藤沢周平の小説で
彼の出世作と呼ばれる作品です。
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春分、選抜、宣伝

2014年03月22日 | 身辺雑記
学校生活を離れると「祝日」に
まったくもって疎くなる。

ちゃんと就職していたなら、
暦通りの出勤で意識が違ったやも。
いや、仕事に関係なく「文化」として
国民の祝日を捉えている人は沢山居る。
僕がただ怠惰なだけなのだろう。

どのくらい怠惰かと言えば、
「春分の日」が20日または21日と
年によってちゃうことに無頓着だった。
成人の日や体育の日が、
本来の成り立ちをほったらかして、
「第二月曜日」に変わったことには
大いに憤慨してたくせに。

まぁ連休にすることで上がる経済効果、
飛び石の煩雑さの緩和など
有効性について合点がいかぬこともない。
ないのだけれど……まぁいいや。

兎にも角にも天文学の「春分」を基に
変動している「春分の日」に
今年の「選抜高校野球」は開幕した。

僕にとっては大した意味はないが、
かみさんにとっては「春の到来」で
毎年夢中になるわけだが・・・
今年は少々集中力がない(?)
来月早々に控えたライブの影響だろう。

ライブハウスなどで歌うコーラスグループの顔と
劇場で「演劇的試み」をする顔を持つ
「ラヴィニア」っつ~のがあって。
四月三日「四谷天窓」(でも所在は高田馬場)
でのライブ『オディーガnight』は、
メンバー変更後の初陣だったりする。
二十時開演(開場は三十分前)
三千円(ドリンク付)

で。新メンバーとなる「ヒコ」は
最初ラヴィニアに客演した頃はまだ
日本屈指の某ミュージカル劇団に
在籍していて、のちフリーの時期を経て、
昨年の舞台『君の目覚めに微笑を』の
打ち上げの席で僕にこっそり
「あたしラヴィニアのメンバーになる」
とのたまい、それから暫くして
正式申し入れをしたのだった。

昨年末活動に終止符を打った
演劇制作会社「山彦の会」。
その現場に、女優でありながら、
演出助手としてやってきたヒコの
健気に働く姿に感動した僕が
「コーラスのゲストで参加しない?」
と、長年三人で活動していた
ラヴィニアが二人になった時誘ったのが
思えばそもそもの始まり・・・。

さて他人の宣伝をしてる場合じゃない。
今月末、三月三十一日十九時から
両国シアターΧで『ROSE』
(W・ローズ+シアターΧ)上演です!

八十歳のユダヤ人女性を演じる
志賀澤子は、なんと所属する
東京演劇アンサンブルの六十周年記念公演の
千秋楽を終えた翌日の公演となる。
料金は、千円(前売・当日とも)。
タッチミスではありません。
野口英世一枚で観劇できる
珠玉の二時間です。
四月以降のスケジュールなど詳細は
http://w-rose.jimdo.com/

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何時来るかわからない。

2014年03月21日 | 身辺雑記
今日は……いや日をまたいだので……
昨日はアトリエ・センターフォワードの
第10回公演の打ち合わせでした。
夜、渋谷で。

終わって軽く飲んで乗った山手線。
新橋で人身事故が起き、
僕の乗った車両は新宿で止まった。
運転再開は約一時間後とアナウンス

一斉に人の流れが出来、改札には長蛇の列。
どうやらタッチ式のカード処理のよう。
切符派の僕は横をすり抜け地下鉄へ。
何とか副都心線の終電に間に合った。
あの列の人々はどうなったのだろう?

そもそも終電近い時間の事故で
帰宅の人々が不安に思う状況下、
拡声器でインフォメがあるのが相場だが
昨夜は見受けられなった。

池袋駅から改札へ向かうエスカレータは
上りのみ稼動で下りは停止していた。
僕のように徒歩で帰れる人は呑気だが、
まだ先のある人は一刻を争うから、
停まったエスカレータを懸命の小走り。
新しくできた線なので深く掘ってあり、
結構な距離である。

中には、ここは何処状態な人もいた。
普段、副都心線を使っていない人は
どの出口に出ればよいのか等、
まごつくのは当然だ。
事故はJRで、東京メトロには関係ない。
そりゃそーだが、もう少し使う側への
配慮があっても良かったような……。

そして。時間が時間なので
良い心持ちの……そう、世の中は三連休
しこたま飲んだ人が沢山いたぞ

さて、そこで思った。
自然災害は何時起こるかわからない。
多くの家庭が火を使う御飯時も困るが、
酔っ払い多数の時間帯に揺れるのも怖い。
もちろん「へべれけ」の数より
一つ屋根の下に揃っている方が多いだろう。

駅のホームでチューしてるカップルもいた。
まだ一緒に暮らしてはない二人……
だって同棲中なら、そんな場所でする
必要はきっとないだろうから……には、
離れ離れにならずに済んでラッキーだが、
そーゆーレアケースは別にして。
深夜の震災のシュミレートもしておこう!
と、思った夜であった。
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叔父さんが逝った~告別の章

2014年03月18日 | 身辺雑記
昨日告別式日に参列。
以下は事実に基づいたフィクションの
16日のブログの続きです。

※※※

僕の母のおばあちゃんの妹。
その一番下の娘と結婚したのが
「野川の叔父さん」だ。

つまりは父とは血縁のない男と
何故だか馬があって、
母の従姉妹と離婚したあとも、
いや寧ろそれ以後の方が
関係が深まったような気もする。

囲碁という共通の趣味があったこと、
(それ以後と掛けた洒落みたいだが
ある時期土木建設と精密機器開発、
分野こそ違え会社の経営もしていて、
また時をたがえて、どちらも潰した点など
共通点が多かった二人であった。

一方、着るものに頓着のない父に対し、
髭をたくわえソフト帽にダブルのスーツ、
「野川の叔父さん」はお洒落だった。

父は会社を興しすのが遅かった。
僕の小さい頃、叔父さんは既に順風満帆で
外食の時など気前よく御馳走してくれた。
生まれて初めてクレジットカードってものを
目にしたのは叔父さんのだ。

一昨日書いたように、数年前全てを失い、
生まれ育った山梨県に移り住んでからも、
我が家にちょいちょい遊びに来た。
立場がかわって父が支払いするのを
「お義兄さんごちそうさま」と
てらいなく言うのが逆にかっこ良かった。

そんな伊達男の胃に癌が見つかった。
昨年の夏のこと。

たまさか研究中の症例に合致したと
「試薬」の検体になったので
治療費が掛からないどころか
協力費を手に入れるという「幸運」。
思えば経営者時代もピンチのたび、
叔父は「目に見えない力」を得て
乗り越えてきていた。

一週間入院したら二週間は自宅暮らし。
大月の家と横浜の病院の往復も秋になり、
癌との闘いでも強運ぶりを発揮する。

その送迎を川崎在住の父が引き受けていた。
持病の痛風が痛くなったと、
掛かりつけの病院に行った父は、
あべこべに叔父の見舞いを受けて、笑った。
「背中まで痛い」と調べたら、末期癌で、
その一ヶ月後帰らぬ人になった。

「順番が違う」と僕たち家族以上に
葬儀で号泣した「野川の叔父さん」。
牧野恵由紀、享年74歳。

最後に会ったのは一月。父の四十九日。
ネージュキャップを丸坊主に被って来た。
出物のマンションがあるから買わないかと
法要後の会食の席で僕を誘う、
最後まで山っけの抜けない男だった。

金のかからない友人葬で、が遺言。
そういうところはしっかりしていた。
その胸に置かれた真っ白なスーツも
ソフト帽も靴も全てイタリア製の仕立て。

今頃はもう父と碁盤を囲んでいるかしら。
安らかに。
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叔父さんが逝った~通夜の章

2014年03月16日 | 身辺雑記
本日通夜参列。
以下は事実に基づいたフィクションです。

※※※

「野川の叔父さん」は、厳密にいうと……
母方の祖母の妹で僕らが「大師のおばさん」
と呼んだ家の、末娘と結婚した人だ。
はたして何と呼ぶべきなのだろう。

僕の母とその末娘は従姉妹になる。
ただもう三十年以上前に離婚したから、
他人といえば他人である。

ところが互いに「連れ合い」であり、
血の繋がりは一切ない僕の父と
「野川の叔父さん」は馬があって、
ずっと往来があった。

ちなみに野川は姓ではない。
結婚当時住んでいた川崎市野川に由来。
離婚を機に住まいはかわったけれど、
その名前で定着していたから
以来ずっとそう呼んでいる。
もちろん本人と会えば、
父は下の名前で母や僕は苗字で呼んだ。

「お義兄さん」と父を慕い、
子供をもうけず別れた頃に
まだ蒙古斑の残る僕の弟を、
我がの子のように可愛がった。
残念ながら、弟本人の記憶には
まるで残っていないけれど……。
ただ。
中三の僕に五万、小四の弟に三万、
驚愕のお年玉をくれた年が一度あって、
その衝撃は彼に深く刻まれた。
ちゃっかり者の弟は、叔父さんを伴い、
デパートに繰り出すと、お年玉とは別に
ゲームウォッチ等のおもちゃをねだって
総額で僕より高額をせしめたのだった。

そんなわけで「野川の叔父さん」は
弟の結婚式にもはるばる台湾から
飛んで来たのだった。
親戚のテーブルに座るわけにもいかず、
二十歳そこそこの友人達の中に
ぽつりと五十路が混ざっていた。

バブル崩壊とともに副業はすべて失敗。
自己破産にも追い込まれたが、
本業だけは何とか残そうと手を尽くした。
この文章をフィクションする理由が、
つまりはそのあたりにあるのだが。
兎に角。
1993年、高雄の工場は機能していた。
台湾人名義にした会社を畳んだのは
それから二年後だ。

世話になったのは弟だけじゃない。
話は少し遡り、叔父さんの絶頂期。
五階建てのマンションを建て、
一階には当時目新しかったレンタルビデオ店、
二階には喫茶スナックを開いた。

予備校には行かずに迎えた一浪の僕に
「どうせ暇だろ」と一階を手伝わせた。
棚にはVHSとベータが並んでいた。
映画はもともと好きだったし、
実はひょんなことから演劇に嵌ったのも
ちょうどその頃。
店では古今東西の映画を見まくって、
バイト代は芝居と名画座に消えた。
参考書を買うべきだったのだが、
結果的に今の僕の「栄養」になった。

そんな「野川の叔父さん」の通夜が
今日、粛々と執り行われた。
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引きの強い一日

2014年03月14日 | 身辺雑記
昨日は、時折強い風が吹く
雨の一日でしたが
個人的には引きの強い日となった。

下北沢でマチネ(昼公演)をみたあと、
稽古場下見と打ち合わせのため、
劇団Hi-TOUCHの主宰と合流した。

小劇場が二つ入っている駅前のビル。
その日の上演チラシが貼ってある
壁の前で待ち合わせ。
上段の演目に亀田梨紗の名前。

2009年の『池袋わが町』再演に
戦争孤児役で出演していた頃は
まだ大学生だった。
そのパンフレットの彼女の隣に
警官役で載ってたのが黒瀬義明。
昨年旗揚げしたHi-TOUCH主宰の一人。

昨日はダブル主宰のもう一方
高梨由と待ち合わせしたが、
前段『池袋~』では演出助手、
僕は制作助手として東京のあと
遊佐町(山形)、箕輪町(長野)、
名張市(三重)を巡演したのだった。

劇場が十以上ひしめくシモキタ。
共通の知り合いが芝居やってても
不思議ではない。
実際、東京公演のみ出演した
あんどうさくら(当時は安藤さくら)
も別の劇場で本番中だった。

引きの強さは、これからである。

稽古場として借りるスタジオで
対応してくれたのは河野さん。
細かい日程なども調整し、
小一時間でおいとました。
その帰り道。
ライブバーに明かりがついていたので
アポなしでお邪魔した。

「バッチョ」こと柴野弘志が関わる
小屋で前から気になっていた。

Hi-TOUCHの六月の公演も
劇場ではなくフリースペース。
それは両国だが、ここ下北沢も
塩梅が良ければ今後使わせて欲しい。
そんな目論見で階段を上った。

バッチョの姿はなかったが、
僕の後から入ってきた高梨が
「あ、川野さん」と声を上げた。
柴野と二人で切り盛りする彼と
高梨は旧知だった。
嗚呼、本当に世の中は狭いな~。

河野(こうの)さんと川野(かわの)さん。
こんな偶然もあるのだな……。

さらに続く。
宣伝美術の打ち合わせで
新宿に移動すべく下北沢駅の、
我々が何の気なしに立ってた
まさに目の前のドアから
降りて来たのは斉藤真。
『池袋わが町』の製作をした人物。
びっくり

とどめは新宿駅ホーム。
随分久しく会ってなかった
鶴巻が俺の前をよぎった。

彼女の名前は「圭子」。
稽古場の下見に行った日に、
嘘のような本当の話。
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ひまわり

2014年03月11日 | 身辺雑記
まだまだ寒い日が続く今日この頃。
最近の対策は暖房とか銭湯とか、
物に頼ってばかりなわけだが……

子供の頃は《激しく遊ぶ》という
己の力で体を温めていた

♪子供は、喜び庭駆け回り、
大人は炬燵で丸くなる~♪
てな風情だ。

いろんな遊びの記憶が甦るが、
「ひまわり」は盛り上がった。

地域によって呼び名やルールが
異なるらしいが・・・
地面に大きめの円を描き、
もちろんラインカーなど使わず
ズックの爪先でね
その外側に今度は曲線とゆーか、
波状の不規則な線をぐるりと。
その形がひまわりに似ているので、
まぁ、我々はそー呼んでたのだが…。

やたら狭いところがある一方で、
まるで花びらが飛ぶように、
離れたところに島を作ったりもした。

さて、そんなフィールドを使い、
二組に分かれ覇権を争う。
一方は円の内側に陣取り守備に当たる。
他方は円の外、波線の内側を走る。
守備側が押したり引いたりするのを
掻い潜って一周できれば得点になる。
途中で中心円内に引きずりこまれるか
外周円の外に出たら「アウト」で、
押し出されてされても前段の
「島」に着地すれば「セーフ」。
攻撃側が全員「アウト」で「チェンジ」。

当然力が均衡しないとつまらないので、
現代のゲーム風にいえば「レベル」の近い者で
グーパーするか、リーダーがドラフトして
チーム分けがなされていた。



日本中の子供達が元気に
走り回って遊べる日が、
早く戻ってくることを願う
三月十一日。


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