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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

zomervakantie2025/vijf/稲佐山

2025年08月12日 | ぶらり

オランダ語の1〜5は、順に

een (エーン) 、 twee (トゥェー) 、

drie (ドゥリー) 、vier (フィア)、

vijf (ファイフ)⋯⋯

やはり西洋の言葉は親戚関係だと判る。

発音だったり、スペルの並びだったり。

 

 

さておき。

2泊3日のぶらり長崎のブログも5回目に。

そろそろ終わらないと。

 

ナイトといえば長崎は夜景も有名だ。

1000万ドルの夜景と言われ、

モナコ、上海とともに

〈世界三大夜景〉に選定されている。

そのnacht uitzichtを望むのは

当然稲佐山が一番の場所!

あ、夜景まで蘭語にしなくてよいか

 

一葉目はスタジアムシティから撮った

曇天の稲佐山。

 

8月5日〜7日の短い旅では

長崎スタジアムシティ、出島、

新地中華街、原爆資料館と

もう一箇所。

このくらいがやっとこだった。

勿論、足早に効率的に巡れば

もっと沢山楽しめたはずだ。

けれども大概の名勝はこれまでに

一度は訪れている。

何より前述の333mの山に

一番時間を費やしたことも大きい。

 

それが「もう一箇所」で南こうせつ、

今井美樹、湘南乃風、スガシカオに

ホストのさだまさしらが歌った

「夏 長崎から2025」。

1987年から毎夏8月6日に

あえてナガサキから発信した

野外コンサート。

2006年の20回を最後に終焉。

 

が、被爆80年目。

変わらぬ世界情勢⋯⋯寧ろ

危うい空気の今、還ってきた。

と綴れば、平和を声高に叫ぶ、

端からみると「引く」イベントに

思われるかしら。

 

無料のコンサートは、地元の方々が

夕涼みがてらピクニック気分での

参加も多いと聞く。

大半は、私を含めさだマニアだが。

 

 

歌いはしなかったが、

大石賢吾県知事、鈴木史朗市長、

JリーグV長崎の高木琢也監督、

笑福亭鶴瓶に立川談春も駆けつけ、

曇天の下、あっという間の4時間

 

興に乗った勢いで「10年後!」と

口から出してしまったまっさんだが、

傘寿超えてるぞ

2035年はdrie­ën­tachtigよ!!

 

てか。

ファンには彼より年長も少なくない。

いやそれが生きる糧になって良いのか?

 

21回も重ねていれば、

台風が迫り来る年もあった。

が、逸れた!

雨が降ったのは僅か25分、

97年の南こうせつのステージのみ。

(他のゲスト時は降らず)

だから今年も、おいちゃん登場時、

厚い雲が空を覆い、

めちゃ小粒のH2Oを肌に感じた。

 

 

なんだかんだ。

雨は回避〜例えば資料館を観て回る間

降ったようで道路は濡れていたが、

出た際はやんでいた〜できた長崎。

けれど、帰りの飛行機が遅延。

帰宅はてっぺんを過ぎていた。

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zomervakantie2025/vier/ふるきをたづねて

2025年08月11日 | ぶらり

 

オランダとの貿易が、ナガサキの

特異な文化形成に寄与したことは

いうまでもない。

 

その、まさに礎の場が出島。

徳川の世、鎖国の約200年間で

「外」に開かれた扇形の人工島を

その地に復元したテーマパーク

 

 

再現された建物群のなかには

発掘された貴重な資料とともに

最新映像技術・・・いにしえとNEWが

同居していた。

フォローするのは江戸から明治と

長い期間で、また再現された島の中に

ミニチュアの出島町が造られている。

 

長崎と出島を繋いでいた橋は

あえて今をまとったスタイリッシュな姿で

我々を歴史にいざなう。

 

 

少しこまかにいえば。

オランダ商館の次席(ヘトル)の住居、

輸入品の砂糖蔵、時代をくだって

幕末の商社の石蔵などなど

ボリュームもあり、じっくり眺めたら

1日は過ごせる充実ぶり。

足を休め喉を潤す店も

雰囲気満点の建物にあって

少し懐かしいメニューも。

それでいて、オーダーはQRコード。

新と旧のコラボはここにも。

 

 

オランダ坂に中華街、グラバー園に天主堂。

みどころ満載の街はとても小さく、

市電(この移動手段自身もスポットの一つ)

で簡単に巡れるけれど、例えば

出島と新地中華街などは徒歩圏内。

 

その短い時間にも、名もなき小公園や

古い店をリノベしたカフェなどが

目や舌を愉しませてくれる。

 

 

一等最初のオブジェは

新地中華街近くの橋の端に佇んでいた。

 

温故知新。

故(ふるき)を温(たずねて)

新(あたらしさ)を知(しる)。

オランダ語の夏休み「zomervakantie」

と題した長崎ぶらり。

あちこちでそれを想わせてくれる街。

 

vier (フィア)は蘭語の4

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zomervakantie2025/drie/折鶴

2025年08月10日 | ぶらり

昨日は長崎原爆忌。

長崎原爆資料館を訪れたのは7日で

5日からの短い旅の最終日。

学生時代とは雰囲気が異なると

坂を登りながら感じたのは当然で、

原爆資料館は1996年の開館。

友人と二人、館を出て互いに暫く

黙ったままだったのは80年半ば。

40年も経っている。

 

平和公園の一角なのは変わらないが

少し北側にあった長崎国際文化会館の

原爆資料センターが前身で、

老朽化などを理由に被爆50年を機に

取り壊されていた。

麦藁帽子にGパンで訪れたのは前身。

 

 

つまり現館には初来館になる。

螺旋回廊(写真上)を降りてから

チケットを購入して始まる展示は

焼けた浦上天主堂の再現や

ファットマンの原寸模型など

以前にはなかったものが多かった。

11時2分で止まった時計や

溶けたロザリオ、永井隆博士の紹介、

被爆者の証言映像など

ナガサキに関わる資料に加えて

核兵器開発の歴史など

幅広く「平和」を訴える姿勢はままに

地下に大きくは4つのブース。

 

また「平和案内人」が常駐し、

無料で展示解説もお願いできる。

 

 

昨日はまた、ソ連軍の満州・樺太侵攻から

80年という日でもあった。

 

新宿の住友ビル33階にある

平和祈念展示資料館では

『戦争に奪われた青春

〜少年兵のシベリア抑留体験』

(朗読:猪熊恒和、演奏:スーマー)が

上演された。

 

ナガサキの原爆に対して、こちらは

抑留者・引揚者にフォーカスした施設で

定期的に体験者の生の声を聞かせていた。

しかし、語り部たちの高齢化により

登壇が難しくなっている。

 

ビデオシアターでは関連映画の上映と

語り部の2本立てだったが、

後者はリモート、過去映像の上映に⋯。

そこで俳優による朗読劇も組み込まれ、

10年くらいになるだろうか。

 

昨日もその一本に当たるのだが。

特筆すべきは、日本でも有数の社会派劇団

「燐光群」所属の猪熊恒和が、

実の父で長く語り部をつとめた故・得郎氏の

実体験を朗読すること。

そして、そんな父の薫陶を受けて俳優に、

とふつう考えるが、

他の引揚者同様父も長く口を閉ざして、

子は無関係に演劇の道に進み、

父は晩年になって証言者になったという。

 

14時開演の席は一杯で、追加された椅子に

なんとか座ることができた。

正直驚いた。

こんなに賑わいだ33階は初めてだった。

 

満州に関わる方々にとって

昨日は特別な日のひとつなのだ。

 

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zomervakantie2025/twee/生まれるものあらば

2025年08月09日 | ぶらり

九州の新幹線延伸にともない、

風情豊穣この上なかった「長崎駅」は

生まれ変わり、その駅に連動して

商業施設、ホテル等も次々に誕生。

 

停滞する日本において、

勢いのある稀有な場所・長崎といえる。

駅にとどまらず、昨年10月には

新スタジアムも産声をあげた

 

「長崎スタジアムシティ」。

シティというだけあって、

サッカー専用競技場にアリーナ、

ホテル、オフィス、店舗と

大型複合施設はまさに「街」だ。

 

 

J2で現在6位と昇格が視界にある

V・ファーレン長崎のホームは

兎に角、客席からピッチが近く

迫力満点

 

 

写真右の青が、同クラブの

ラッピングが施された自販機。

隣の赤はプロバスケ国内最高峰

B1で闘う長崎ヴェルカ。

シティのエスカレータを上ると

すぐに目についた。

 

ヴェルカは上述したアリーナ

「ハピネス」をホームコートに

23-24、24-25シーズンと

2季つづけて西地区6位と健闘

 

さて、そんな「シティ」は

広島の「ピースウイング」等と同じ

「まちなかスタジアム」のひとつで

自由に往来が可能

 

それ故か、筆者が訪れた時

(平日10時前)他県からの視察団が

説明を受けていた。

 

 

始まりがあれば終わりもある。

冒頭記したように駅は新しくなり、

「長崎街道かもめ市場」「アミュプラザ」が

注目を集めている。

一方で、駅前のバスセンターと物産館は

昭和で時を止め、中二階の喫茶店は

姿を消していた(4枚目の写真)。

 

 

個人的には味わいがあって好ましいが

人はまばら。

土産の並ぶ片隅のモニターには

シティのオープニングアクトを務めた

長崎の顔・福山雅治の映像。

彼の顔も少し寂しく感じた。

 

 

今日は8月9日。

あの閃光から80年になる。

焦土から立ち上がったナガサキは

100年、1000年に向かい

力強く前進する。

姿をさまざまに変えながら!

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zomervakantie2025/een/三つ並べたい

2025年08月07日 | ぶらり

魏・呉・蜀は『三國志』。

ラン・スー・ミキは「キャンディーズ」。

日本橋・錦帯橋・眼鏡橋とくれば

「日本三名橋」。

 

つい人は、三つ並べがちだけど、

長崎空港を降りたら、

〈Youは何しに長崎へ?

キリシタン大名、ボートレース、海上空港

〜はじまりは大村から〜〉

という看板が迎えてくれた!

 

並びのバラバラっぷりが逆に見事だし、

たしかに大村市は長崎県にあるのだが、

ナガサキと振っておいて三つ全てを

オオムラで縛るのも、なかなか凄いなぁ

 

勿論、大村市の掲げる大看板だから

正しくはある。

 

カステラ(長崎)、ハンバーガー(佐世保)、

黒田五寸人参(大村)と

県内の食で束ねるのでもなく、

大名にギャンブルに建設物とゆー

繋がりゼロな、いや〈大村発〉なのは

重々理解できるし、

むしろこのチャンポンなことが

長崎らしいとも言える。

 

 

そんな街で過ごしたのは、

さる8月5日から7日の3日間だった。

 

長崎原爆忌は避けて、けれど

ヒロシマの日は含む2泊3日の夏休み

zomervakantieは蘭語の「夏休み」。

 

多くの人が知るように、

まず日本にやってきたのはポルトガル。

種子島漂着は1543年、室町時代。

 

しかしポルトガルはスペインに

1580年併合され、一方オランダは翌年、

スペインに独立を宣言する。

そんなこんなで1609年の平戸商館は

オランダが設置。

世は徳川が治め、長崎は天領だった。

 

冒頭の3人組アイドルが、

少年隊でもスターボーでもなく

キャンディーズを掲げたのは、

ここで蘭とリンクするから。

とか言ってるあいだにリムジンは

長崎駅前に到着。

風情ゆたかな終着駅から

生まれ変わったのは22年。

フルオープンは今年で、

個人的には「シン長崎」はお初。

 

 

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京橋の路地裏で追憶

2025年07月31日 | ぶらり

17時過ぎの京橋あたりを

Gパン姿で歩いている人の

なんと少ないことか。

あ、その珍客は筆者と

他にはインバウンドな方々。

ビジネスマンと次々にすれ違う。

 

僕なぞがあの辺りに行くのは、

今はなき「銀座セゾン劇場」での

観劇くらいだ。

つまりは随分とご無沙汰していた。

 

 

1955年、映画上映館として生まれて

87年ビルごと建て直して芝居小屋

(中劇場の銀座セゾン劇場と

ミニシアターの銀座テアトル西友)に。

2000年からの「ル・テアトル銀座」が

13年に閉館し「コナミ」が入手。

上の姿になったのは2019年。

 

真横には首都高速が走り、

そう、此処よりも少し有楽町寄りの

高架近くのビルにあったのが

「MAKOTOシアター」。

 

横文字だけれど大衆演劇に軸足の

「劇団誠」の小劇場があった。

〈生きる博多人形〉〈長谷川一夫の再来〉

とも言われた松井誠が率いた劇団の

若手公演のほか貸し館でもあった。

 

出向いたのは一度だけなのに

印象に残っている⋯⋯いや、

実はすっかり忘れていたのだが、

銀座一丁目からの道すがら、

交番と、柳だろうか樹の姿やら

ちいさい公園やら混ざった風景に

唐突に思い出された。

 

試写会まで時間があったから

確かめに周辺を歩いたが

グルグルした末に

「強いていえばこの辺かなぁ」で

正解にはたどりつかなかった

 

閉館したのは知っていたから

ビルの大きさや雰囲気からの

あやうい推察⋯⋯。

 

さて、京橋といえばやはり明治屋。

 

 

創業130年の老舗は

コカ・コーラを初めて販売し、

京橋ビルは区の指定有形文化財。

京橋エドグランの一部として

今なお現役だ!

そして、上の一葉のように

新しさも吸収する日々。

〈ソムリエAI〉?

それを実体験するほどの余裕はなく、

超近代的な新しいビル群の中、

路地裏にぽつねんと佇む蕎麦屋で

小腹を満たして試写を観た。

 

 

美味い蕎麦だった

 

よく江戸三大蕎麦として

「藪」「更科」「砂場」を聞くけれど

「丸屋」もよく見掛ける。

ほかにも「長寿庵」「更科」「増田屋」

「満留賀」などなど。

これらはチェーンとは異なる

暖簾分け制度なのかしら?

〇〇はそうだけど、△△は自由に使える

などあるのかな〜

 

試写作品は『アイム・スティル・ヒア』

  • 詳しくは昨日綴った。

 

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ぶらり吉川〜後文

2025年07月24日 | ぶらり

埼玉県の43番目の市、吉川で

芝居をみた件の最終回

 

まずは南口の木売公園。

すなおに「きうり」と読むそうだ。

 

 

北口には「ほ」という町名。

たもつではなく1音! 珍しい!!

この看板の裏手にも公園があり、

また川や用水路があちこちに見られ

自然豊かな町並みに安らいだ。

 

駅前には自転車預所があり、

駅近くに駐車場も多い印象。

通勤通学において公共機関が

近くを走ってない等の理由で

自家用の二輪及び四輪を使う人が

相当数いるからの預所やPだろう。

 

サラリーマンなら交通費として

バス定期代を頂いて、それを丸っと

塾費用に回す方もいたりするかしら。

 

で、その駐車料金が1日駐めて450円。

5分と駅から離れていないスーパーの

真裏のコインパーキング。

 

15分ほど離れた場所は

同じ会社で、さらにお安い350円

 

都心の繁華街には30分500円

なんてのがザラだ

 

お金でいうと。 

北口の450円Pのほど近くに

栃木銀行吉川支店。

南口駅前には亀有信用金庫吉川支店。

 

メガバンクのない街を

僕は根拠もなく良いと思う。

せっかく訪れたので、

「鯰どら焼」を家の土産に買って、

武蔵野線の駅へと向かった。

 

 

少し時計の針の動きが緩やかに

感じられた5時間

⋯⋯腕時計をしていないから

あくまでもイメージだし、

実際には昨日明日と同じ

18000秒なんだけれど。

 

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ぶらり吉川〜前文

2025年07月22日 | ぶらり

我々世代で〈吉川/よしかわ〉

といえば森田健作演じる熱血高校生が

クラスメートを「よしくぁ〜君」と

呼ぶ、あの吉川操が筆頭だ!

 

1971〜72年のテレビドラマ

『俺は男だ!』の登場人物で、

早瀬久美が演じた委員長は

アメリカ帰りのバトン部で

「ウーマンリブ」に熱心という

時代を背負うキャラクターだった。

 

1990年代後半から台頭したモデル

吉川ひなのでも、

巨人の第92代四番打者でセカンドの

吉川尚輝でもない。

 

ただ一等最初には出てこないが、

二人を思いつきはする。

そして、バレーボール経験者的には

古豪・妹背牛(もせうし)商高から日立。

日本代表のセンターにも君臨した

吉川知子

大林とともに〈日立内紛〉での解雇は

びっくらこいたけれど、日本初

プロ選手としてイタリアでプレー!

人間万事塞翁が馬だ。

 

 

埼玉県人なら吉川市も挙がるのか?

神奈川出身の私には縁遠く

1996年に北葛飾郡「吉川町」から

「吉川市」になった地に、

昨日生まれて初めて降り立った。

 

JR武蔵野線という、首都圏民でも

乗らずに一生を終えることの多い

(エビデンスなしです

筆者のイメージ

府中本町と西船橋を結び、

ぐるり東京埼玉千葉を大周りする鉄路。

競馬場、競艇、オートレース等

公営ギャンブルとも高親和

 

が、吉川に関していえば、

穏やかなベッドタウン。

隣接は越谷、草加、三郷など

埼玉県の東南の端で、

千葉の野田、流山とも接している。

 

どうやら「鯰」が名物らしい。

上掲のなまずコーラ以外にも

どら焼、煎餅、サブレ等

口にするもの、他にも

市のキャラクター「なまりん」の

缶バッジ、キーホルダーなど

なまず商品を北口駅前の

「ラッピーランド」に並べていた。

 

逆の南口にはこがねに輝くオブジェ。

 

そんな人口7万人ほどの、

「ボンバー」こと中澤佑二

ヒールレスラーから鬼嫁を経て

今やお茶の間の人気者・北斗晶らを

輩出した街に芝居を見に行ったのだ。

 

お茶の間の人気者⋯⋯って単語、

もー使われてないのかな。

けれども観劇した一人芝居の内容は

その名詞の生まるより少し昔でした。

 

【『ぶらり吉川〜本文』に続く】

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よろしく原宿〜後奏

2025年06月09日 | ぶらり

 

原宿駅で降りて、代々木体育館で

バレーボールや夢の遊眠社を観たり、

中村恭子姐さん仕切りの公演が

明治神宮内の施設であって手伝ったり。

つまり!

山手線の外側には馴染が多少ある。

 

けれども駅の反対側のおしゃれサイド

となると……神宮前交差点の一角、

「A・WEEK」にたまに顔を出した程度。

2001年に閉店しているから昔の話。

 

その八角館ビル自体も近々解体される模様。

 

はす向かいには「The Harajuku」的な

ラフォーレ原宿。

その6階のラフォーレミュージアムで

結城が働いていたので、

脇の路地を入った事務所前で落ち合い

芝居だのコンサートだのに。

 

小学校の途中で転出して、

完全に連絡が途絶えていたのに

ひょんなことから交流するようになる。

10年ほどの空白があったのだが…。

もう「ひょん」が何かは思い出せないが、

原宿に出向く一番は、それだった。

 

あの頃、早見優が同潤会の一室で

開いていた「CUTIE PIE YU」も覗いたが

教会前の緩い坂で待った数には敵わない。

 

♪ヨロシク原宿 寂しがりが

木漏れ陽を踏むサカミチ♫

6/7にも書いた『ヨロシク原宿』の

一番のサビを思い出す背中から、

ラップが聞こえた。

2025年のラフォーレの前での

パフォーマンス。

 

おっと、書き忘れたが上述の

「A・WEEK」は、さだまさしの店。

流行とは無関係のファンの聖地で

タレントショップ勃興よりも

先に存在していた。

そして「CUTIE PIE YU」は、

タレントのイラストやロゴの入った

Tシャツやらアクセサリーを商う店とは

大きく一線を画したブティック。

 

そう。ある時代、原宿・竹下通りに

所ジョージ、タモリ、山田邦子に

森口博子や悪役商会、etcの

ショップが実に40軒以上、

まさに「だらけ」だったけれど

今はひとつもない

 

どれもこれも遥か彼方の話。

さて。

さる6月5日に訪れたのは

キャットストリート

 

 

一歩先を行くブランド等が

立ち並ぶ中にド昭和な八百屋さんは

ある意味目立っている。

 

時計の針を逆回しすれば、しかし!

鮮魚店に金物屋やらが軒を並べ、

「何だか毛色の違う店ができたね」

と比率は逆だったのだ、たぶん。

その毛色違いがポリツぽつりと増え、

魚や乾物の売り声が減って。

 

・・・時間  時計。

てなわけで次回、詳しく書くのは

とある時計メーカーでの40分。

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よろしく原宿〜中間奏

2025年06月08日 | ぶらり

 

ほとんど縁のない原宿に行った話、

の2回目

竹下通りを下るも、馴染まないので

東郷神社の参道に折れた。

 

とたんに喧騒は消えて、静寂。

夏なら蝉時雨だろう巨木たち。

 

 

神社を抜けると渋谷区中央図書館。

5階建ての4階の一角には

「和田誠記念文庫」。

彼が装幀を担った沢山の本達、

ほかに彼の蔵書も置かれていて、

借りることは不可ながら、

その部屋で読むことはでき、

座布団も彼のイラスト!

 

 

日本を代表するイラストレーターは

『麻雀放浪記』『怪盗ルビー』などで

メガホンをとり映画監督の一面もある。

その父・和田精は音響効果の創始者。

築地小劇場創立に名を連ねた演劇人で、

のちテレビラジオの音効を牽引した。

また戦後は演出で才能を発揮し、

「ラジオの神様」とも呼ばれている。

 

 

話が逸れた。

2階の展示室は、西のほうで開催中の

ビッグイベントの特集を、

こぢんまりと展開していた

 

図書館最寄の原宿駅から

博覧会までのアクセスを書いた

A5のペラまであった。

 

 

図書館前の駐車場では

ティーンエイジャーがリフティング。

女子ながら巧みな足さばき。

 

明治通りに出れば、

当然表参道方向に向かうわけだ。

セコム本社、竹下通りを過ぎれば、

まもなく神宮前交差点。

 

昨日、この街には両手ほどしか

と書いたが、突拍子もない衣装を

芝居で必要とした時、

原宿に来ればなんとかなった。

まだ百均が少なかった頃、

竹下通りの大きなダイソーで

安く小道具を揃えたりもした。

 

けれども一番多かったのは、

ラフォーレ原宿・・・

1978年に森ビルが竣工し、

交差点の顔として半世紀近く

独特のフォルムで立つ

地上6階地下2階・・・の横、

細い路地を入ったところにある

ラフォーレの事務所前の待ち合わせ。

 

(さらにつづく)

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