麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

続・それでも夜は明ける

2014年03月05日 | 身辺雑記
昨日書いたボルシチの話の中に
ソ連崩壊及びウクライナ独立の
年として1991年と記した。

23年も前だ。……早いな~
さてその頃の日本といえば・・・

センバツで広陵が優勝し、
ル・マン24時間レースではマツダが
日本車として初めて総合優勝を、
そしてセ・リーグをカープが制する
「広島イヤー」であった。

この年の広陵は昨季で引退した
二岡智宏の、兄が二塁だったチーム。
カープの監督はミスター赤ヘル・
山本浩二で、日本一を賭け西武と戦い、
先に王手を掛けながら最終戦で敗れた。

奇しくもこの年、これからのカープを
必ずや背負って立つ堂林翔太が誕生。
(背番号7/09年ドラフト1位)
その他
宮沢りえの「santa-Fe」発売。
ドラマ『東京ラブストーリー』。

千代の富士が引退し、優勝力士が
全場所異なった珍しい年でもある。
(初場所=霧島、春=北勝海、
夏=旭富士、名古屋=琴富士、
秋=琴錦、九州=小錦)
そして流行語大賞に「若貴」。

そんな日本にゴルバチョフがやってきた。
それは春、四月

ところが八月にはクーデターが起きて、
翌月バルト三国が独立、そして
年末「ソ連」が崩壊……吃驚したな。

日本の話から個人的な話になるが、
生まれ変わったロシア初上陸は99年。
うわっ、15年も経つのか
モスクワとサンクトペテルブルクへ。
ボリショイ(モスクワ)、マールイ(ペテ)、
モスクワ芸術座……毎日どこかの劇場で
芝居やらバレエやら観て、そうそう
特別にゲネプロを観た日もあったぞ。
着いた夜のユーゴザパト劇場(モスクワ)は
公演がない日で、劇場のレストランで
交流会になったのだった。

それでも夜は明けて21世紀になり、
04年再露。上記二都市に加え、
この年はニジニノブゴロド(旧ゴーリキー市)
へも足を伸ばした。

当時所属していた劇団東演の海外公演、
を観劇するツアーに劇団代表とともに
同行したので本隊とは別行動という、
なかなかユニークな仕事だった……。

作品は『どん底』。演出はベリャコーヴィッチ。
同じく彼の手掛ける『ハムレット』が、
今日から本多劇場で幕をあける。
製作は、古巣・東演(3/9迄)。
ほとんどチケットはないらしいが、
興味ある方は、アクセス!
http://www.t-toen.com/

話がもうしっちゃかめちゃかだが。
…それでも夜は明ける。
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