麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

260

2019年08月29日 | 俳優座
前回33、前々回が23と数字タイトル。
流れでいえば43?
いやいや、そう単純にはいかない。
流行りの「ナゾトレ」であれば
法則性があるのだろうが……



劇団俳優座『八月に乾杯!』
(作/アルブーゾフ、
翻訳・演出/袋正)は
まもなく北海道巡演に向かいます。

出演俳優ふたりと演出家の、
年齢を足すと、約260歳に達する。



旭川から始まり、函館、江別、釧路と
北の大地を縦横無尽に移動
(それほどでもないかしらん
9月上旬から中旬の話である。

詳しくは改めて・・・

さて超ベテランも頑張るが、
若手も稽古に汗している。

劇団俳優座研究所29期から31期の
中間発表も来月に控えているのだ。



劇団俳優座演劇研究所
29・30期生中間発表公演
『友達』(作/安部公房、
指導・演出/眞鍋卓嗣)
9月20~22日

劇団俳優座演劇研究所
31期生中間発表公演
『少年口伝隊一九四五』
『子どもに伝える日本国憲法』
(作/井上ひさし、
指導・演出/森一)
9月13~15日



会場はともに、俳優座稽古場
料金は2000円

劇団の将来を背負うだろう
「未来達」の公演・・・
お時間あれば、是非!

      

そうそう。「こども」といえば、
子どもor子供の表記問題がある。

「子供」は差別的だから「子ども」が良い派、
「子ども」は交ぜ書きだから、
二字熟語としての「子供」派と・・・。

個人的には後者派である。
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参拾参

2019年08月24日 | 身辺雑記
昨日、我がヤクルトの山田哲人
少々触れたのだが、その夜に
〈連続盗塁成功日本記録〉を樹立!

その数33。

昨季の8月26日DeNA戦から繋いできた。
前ホルダーはホークスの福田秀平。
11~15年に渡って成した記録。

ちなみに1シーズンでの連続は
広瀬叔功の31連続だという。
山田は今季28盗塁だから、
この記録も視野に入った!


・・・イメージとしては、
1072年に106盗塁、通算1065の
福本豊が、もっととてつもない数字を
叩き出していそうだが

てか。
福本の盗塁しかり、はたまた投手の
年間勝利数42とか、昔の記録はエグい。
(1939年スタルヒン、61年稲尾和久)


33といえば。
長嶋監督が返り咲いた際の背番号
(1993~99年。2000年からは90)。

古い話で知らない人も多いか?
今ならやはり、西武の主砲
山川穂高を連想するのか……
あるいはセの王者・広島の
「魔法使い」菊池涼介選手…

我が燕の長距離砲・畠山和洋も
お忘れなく・・・

  

修学旅行で京都に行って、
個人的には三十三間堂が
一番印象に残ったのだけれど…
遠い記憶ゆえ、何に感動したかは
定かでなく、ちょいと調べた。

「三十三間堂の仏の数は
三万三千三十三体」・・・
嗚呼、なんかそんな説明あったかも。
また、三十三は観音に縁のある数だと。
言われてみれば・・・
西国三十三所とか坂東三十三箇所とか
目にするな……。

中学の修学旅行から10年後、
いや少し欠けるくらいか…
後輩に誘われて劇団旗揚げに参加。
その集団が「観音芝居」といった。
単なる偶然か? 仏の導きか?

結局、未だ芝居の世界にいる。
その残党の一人も別の劇団で活動。

その初日が昨日サンモールで開いた。
ほぼ完売のようだ。

こちらは来月の北海道巡演の準備。
『八月に乾杯!』という二人芝居。
岩崎加根子、小笠原良知のベテランが
アルブーゾフの代表作を演じる。
演出・袋正も同世代で、三人あわせて
二百五十歳を超える・・・舞台だ。

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弍拾参

2019年08月23日 | スポーツ
今日は8月23日。
夏の甲子園の優勝校決定や、
サッカー久保健英の期限付移籍、
ラグビーW杯の報償金などの
活字が新聞に踊った。

背番号23。
六月のコパ・アメリカでブレイク、
世界にその存在をアピールし、
海外移籍の決まった三好康児は
アントワープでその数字を背負う。

23といえば香川真司。
ボルシア・ドルトムント(独)、
ベシクタシュ(トルコ)でも馴染んだ
ユニフォームに、新天地となる
スペインのサラゴサでも袖を通す。

ベッカムも、レアル・マドリード、
ギャラクシー(米)で選択。
アメリカでいえばバスケットの神様
マイケル・ジョーダンの代名詞。

あるいは我がヤクルトの青木宣親が
入団年から長らく背負い、
さらにメジャー在籍七球団中
ロイヤルズ、ジャイアンツ、
ブルージェイズで、そして
昨年のスワローズ復帰時からと
一番長い相棒としているのも23。

青木は2010、11年は背番号1。
2011年から燕の23を受け継いだのが
山田哲人。トリプルスリーを
三度達成しているヤクルトの星は
2016年、四季空いていた1を継承。

ミスター・スワローズ若松勉(1972~89)
から始まり、池山隆寛(1992~99)、
岩村明憲(2001~06)と連なる系譜
・・・あれれ? 弍拾参から逸れた。

阪神の永久欠番のひとつが23。
「今牛若丸」と称され、のちに
タイガース監督も務めた吉田義男。
阪神を初の日本一に率いたのは1985年。
掛布・バース・岡田のいた時代だ。

優勝といえば・・・前述の山田哲人は
履正社の卒業生である。

今日は8月23日。
夏の甲子園の決勝の模様が
朝刊に記されていた。
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ふと、ターミナル

2019年08月20日 | 身辺雑記
『八月に乾杯』北海道巡演の
稽古が進んでいる……。
日曜日も休まずに稽古。


その18日。
稽古後に、ある集まりがあり、
六本木から中目黒経由で溝の口へ。
途中、自由が丘で乗り換えて、
「あ」と思った。そういえば、
自由が丘で働いていたなぁと。

  

六本木常勤になって間もなく
一年になろうとしている……。
その前は自営だったから一応、
池袋の自宅がオフィスであった。
その前が下北沢……。で、自由が丘。

わりと主要な駅が勤務先だったな~と
今更ながらに思った・・・。

二歳から柿生という田舎町で暮らし、
普通、色気づいて原宿だ渋谷だと
繰り出すお年頃になっても、
まるで興味がなく、町田で充分で、
一生、愛する柿生を離れない……と
信じて疑わなかったのだが。

さて。
つい題名にはターミナルと書いたが、
元々は「終着駅」の意味である。
とすれば、六本木も池袋も下北沢も
自由が丘も、それには当たらない。

いや、池袋は西武線や東武線の
始点・終点ではあるか・・・

ただ。現在の日本においては、
相互乗り入れが多くなり、
厳密な「終着駅」でなくても、
路線が集中し発着する駅に拡大して
「ターミナル」を用いてもいる。

例えば、前述の溝の口。
2009年、東急大井町線が乗り入れ、
終点になったけれど
東急田園都市線としては、
急行や準急なら二子玉川と鷺沼の、
各駅なら高津と梶ヶ谷の、間の駅だ。
また。
JR南武線の武蔵溝ノ口の乗換駅。

こういう場合「ターミナル」と
称されるのかしら?

以上、壮大な前置

18日、日曜日の溝の口。
駅から数分の事務所・・・
「川崎市民劇場なかはら」にて、
暑気払いをしたのである。
会員(役員)とともに劇団からも
十数人が駆けつけた。

前身団体から分離独立し、
再出発してから六年、
紆余曲折、山あり谷ありを越えて、
今、とても元気のある鑑賞会に成長!

そういう意味では神奈川ブロックの
ターミナルとして、鑑賞運動を、
さらに牽引してくれるだろうと、
手作りの料理に舌鼓を打ちながら、
思ったのでした。
ごちそうさまでした。









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昨日は八月十五日

2019年08月16日 | 身辺雑記


唐突に。
虫が苦手な方には芳しくない写真から。
家の近くの公園を囲む木々……
その樹木を護るロープで脱皮した蝉。

太い幹ではなく、不安定な場所で
短い生涯のスタートを切った蝉の、
その「波瀾」ぶりが予見される・・・

生涯といえば。
五日ほど前に、BS朝日で放送された
ザ・ドキュメント『家政婦は見た!
~女優・市原悦子の真実』という
番組を見たかったのだけれど、
生憎、我が家では視聴不可能

今年一月、惜しまれつつ逝った市原さん。
番組タイトルともなったドラマは、
「土曜ワイド劇場」の歴代最高視聴率を
記録するほどの、国民的な作品。
また『まんが日本昔ばなし』も、
その冠をいただく番組といえるだろう。

そんな昭和の名優は「俳優座」の出身。
もちろん、2018年に入った僕と
劇団での接点はないのだけれど、
人の縁とは不思議なもので、
女優・市原悦子最後の収録となった
ドラマCDの現場に、何故か僕はいた。

2014年、藤沢周平の『溟い海』に始まり、
三島由紀夫、太宰治……はたまた、
森達也、さだまさしと幅広い作品を網羅した
小林拓生主宰の「J-Theater」の舞台に
フリー時代、数多く関わらせて頂いたが、
その小林が粘り強く製作に励んだのが
『KENJI MIYAZAWA.
Galaxy Spectacle Drama CD』だった。



その水先案内人を市原さんが承諾。
音響監督、音楽監督に交じり、
プロデューサー小林の片腕の風情で
現場の隅に座っていた・・・
彼女の自宅ということもあり、
笑いもある家庭的な雰囲気と
鬼気迫る空気感があいまった、
言葉にしがたい「現場」であった。



地上波で放映されないかしら?
J-Theater常連から、怪しげな
スマホで撮った絵は観られたけれど…
やはり本編が見たかった。

8月15日の翌日。
終戦記念日ではなくお盆の意で
雑文を綴った・・・。
合掌。


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明日は八月十五日

2019年08月14日 | 俳優座


劇団俳優座は、さる10日、11日と
『戦争とは…』を今年もお届けしました。





ベテランから若手まで16名の俳優が
八つの朗読を紡ぎました。

一人あり、二人あり…六人の大所帯あり。
あるいは映像も駆使して。
絵本から長崎平和宣言まで硬軟
織り交ぜた作品・・・

お陰様で多くのお客様にお越し頂き、
平和について想うひとときを共有。
長く、劇団がこだわって続ける企画。



翌12日は納涼会。
・・・実は8月4日終幕したラボ公演
『血のつながり』のセットを一部残し、
朗読劇、そして後援会会員の皆様を
招いてのパーティーにも活用しての
「夏の祭」

ささやかな手料理とともに、
ラインナップ紹介やゲーム等々で
会員と劇団員の親睦を深めました。



9月には研究所の中間発表
(今春入所の31期、続いて、
29,30期の合同公演)が、やはり
五階稽古場で控えています。

その前に、明日からは『八月に乾杯』
北海道巡演の稽古が始まります。

歩みを止めない俳優座、
七十五年目の夏も、熱い!
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工事中の劇場を見ながら・・・

2019年08月09日 | 身辺雑記
旅公演から帰ってきたのは、
8月5日だから数日経った。

帰京は夕刻。自宅最寄駅を出ると、
まだ陽は高く、ひとつき前は
基礎工事をしていた西口公園に、
野外劇場の外観が立ち上がっていた。



池袋には、駅の反対側の公会堂跡に
「Hareza池袋」を建設中でもある。
秋にはオープン予定で、8階建ての中に
約1300人収容の「豊島区立芸術文化劇場
(仮称)」も入るわけだけれど……。

     

東口に豊島区立芸術文化劇場、
西口に東京芸術劇場・・・って、
新宿東口の紀伊國屋ホールと
同南口の紀伊國屋サザンシアターは
間違える人が多発する小屋だが、
それを凌駕しそうである。


ま、後発の「区立」のほうは、
ネーミングライツを採用するそうで、
であれば混乱は免れるのかも。
(ちなみに東京芸術劇場は都の所管)

さて、西口の芸劇の前の広場に
建設中の野外劇場も今秋がこけら。

2040年、二十三区で一番に「消滅」と
ある研究機関が発表したのは
五年ほど前だったろうか?
豊島区は、それで発奮したのかどうか、
巻き返しが「半端ない」
財政は大丈夫なのだろうか……。

私は7月3日からの巡演のなかで、
各地の経済疲弊を素人ながら見て取った。
ある中都市の公民館は住民の運動で
取り壊しを免れ、存続となったが、
楽屋の貴重品ロッカーすら
公金でかなわず使用者のカンパで設置。

また妻の地元の東海のある街では
利便な会館を閉じ、郊外に新設するが、
閉館と開館にタイムラグが発生してしまう。
予算など致し方ない部分もあろうが
例えば、自宅の浴室が半年使えない、
という状況が健全ではないように、
そのあたりは計画的にお願いしたい。

九州の、とある会館存続の署名も
今、全国で集められている。
県指定の史跡になっている城内に
新たに建設できない、というのが理由で
1974年以来、市の文化の中心を担った
文化会館の廃止が発表され、
それに対するアクションが地元のみならず
広く拡散しているのだ。

条例も大事だけれど、そこに「人」が
いないのは絶対に可笑しい。

そうそう。
前述の、芸劇と野外劇場のあたりで
『野外劇 我輩は猫である』が
10月に上演される。それに愚妻も出る、
らしい・・・
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はかとも旅にっし番外篇

2019年08月06日 | 俳優座


足早に・・・『七人の墓友』巡演の
旅日誌を拙くつづったけれども。
だいぶん落とした内容が多い……。

なかでも。
7月23日の鳥取から広島への移動は
カテゴライズできずに浮いた話だ。



JR因美線の起点・鳥取駅から乗車。
智頭駅から智頭急行に乗り入れた。



男の子たるもの、小さい頃
電車やバスに憧れるのものだが
まるで、その気がなかった僕でも
この路線は魅力的であった・・・。

国鉄の路線として計画されながら、
赤字により工事が凍結。
三県(鳥取、岡山、兵庫)による
第三セクターで開通された鉄道。

なかなかユニークで・・・



駅全体がピンクに染まる「恋山形」や
「宮本武蔵」といった駅があった。







個人的には各地でラーメン。
上の写真は、制作者仲間のМ氏お薦めの
「あまいからい」(岡山)。
倉敷では、地元で「ヌー」と称される
「又一」を、呉や周南では屋台発祥の
ラーメンを美味しくいただいた。



小豆島には行っていないけれど…。
「醤(ひしお)そば」も実食

ざっくりいえば。
醤油ベースの濃色ながらくせのないスープ、
具は、もやしと青ネギと肉が共通。

そうそう。とある街で、
別の街から仕事でたまに来る常連に
「いや~○○は本当に景気悪い」と
しみじみ語るのを小耳に食べたのが
強く印象に残っていたりする。

よりによって、8月6日に書くには
余りにも内容が薄いと反省する・・・。
と同時に。
のんびり鈍行列車で旅をして、
降りた駅で地のラーメンをすする、
そんな「平和」を続かせねば!と
広島を含む中国地方を巡ったからこそ
強く思う。・・・言うまでもないが、
ヒロシマ以外の街も空襲等を受け、
深く傷ついていることを、今回、
その土地土地で、より実感もした。

劇団俳優座はこの夏も
『朗読劇・戦争とは…』を届けます。
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はかとも旅にっし15~周南篇

2019年08月05日 | 俳優座
劇団俳優座『七人の墓友』
中国ブロック巡演、お蔭様で
無事全日程を終えました。

演劇鑑賞会の皆様はじめ、
劇場、ホテル、交通機関の皆様、
そしてキャスト・スタッフ
ありがとうございました。



最後の例会は周南市民劇場。
7月2日夜に「徳山」に入り、
3日夜、4日昼の二回公演。



会場となった周南市文化会館
(旧称・徳山市文化会館)は
1982年開館ながらバリアフリーが
施されている稀有なホール。
前事務局長の安田氏も設計に関与。
山口県最大の1800キャパ。
地下のロビーには、開館以来
このステージを飾った公演の
歴史が綴られていました。



道を挟んだ美術博物館では
竹久夢二展などが・・・





文化会館の隣には動物園。
ということで、手前の交差点の
地下通路はカバさんでした。

そんな周南。
高校演劇の盛んな街でもあり、
華陵高校舞台芸術部は、
日本一に輝いたことも…。
(ここでいう「周南」は市ではなく、
地域を指す。華陵高校所在地は
周南地域内の下松市にある)

現役の部員が「会員」でもある。
華陵と鎬を削る光丘高校の部員もだ。
(名称からも分かるやも…。
光丘は周南地区の光市にある)

終演後のロビーでは、OBも交えて
若人が語らう場面も見受けられた。



4日昼のカーテンコールには
「祝千秋楽」というプラカードが
客席に掲げられ、感極まる役者も……。


そんな感動の余韻のなか打ち上げ。



そして本日、無事帰京いたしました。


○おまけ○



徳山駅には「周南市駅前図書館」。
指定管理者は蔦屋書店等を展開する
カルチュア・コンビニエンス・クラブ(株)
が当たり、全面ガラス張りの外観は
おしゃれこの上ない。
それはそれとして…。

駅は「徳山」だが現在は合併により
2003年より「周南市」となった。
一方、近隣の下松市、光市などと
「周南地区」としての歴曽が長い。


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はかとも旅にっし14~柳井篇

2019年08月03日 | 俳優座


柳井演劇鑑賞会は、
周南市民劇場の別例会場として
生まれ、歴史を重ねた、
山口県柳井市にある演鑑だ。

江戸時代は岩国領の領地として栄え、
明治維新後も商業都市として発展。
白壁の街並が美しい、県南東部の街。
大戦後も繁栄を謳歌したが、
国道2号、山陽新幹線、山陽自動車道
などインフラがことごとく経由せずに
高度経済成長期の時流に十分乗れず、
今に至った・・・とwiki等には
説明されている。



しかし。
僕にとっての柳井は、亀石の故郷。
大学時代の旧友の出身地という印象。

たまさか単位履修の関係で、
書道を、講師一人に学生二人という
稀有な状況に追い込まれたことから
細く長いつきあいが続いているが、
「その地」に立ったのは初めてだ。



そんな僕をはじめ、俳優座
『七人の墓友』一座を、
「よう、きちゃったねぇ。
金魚ちょうちんと白壁の町、柳井へ」
と温かく迎えてくれた。

会場も、開演直後から受けが良く、
終盤の歌の場面でも自然と手が来た。

奇しくも。
名物の金魚ちょうちんの季節。
柳井の例会では「花束」のかわりに
カーテンコールで頂けるのだが、
町のおちこちにはためくのを
目にできるのは八月・・・

八月三日からは夜灯がともったが
それを見ることは叶わず、我々は
最終公演地へと移動したのだった。


(初演舞台写真より)

そうそう。
講師一、学生二の深い関係は、
書道家・上田先生との縁を頂き、
卒業から十八年後、僕が、
演劇の殿堂・紀伊国屋ホールで
初めてプロデュースにあたった
『空ゆく風のこいのぼり』の
題字をねだって書いて貰った……。

柳井を泳ぐ金魚を見ながら、
そんなことも思い出した、夏。
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