麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

忘年会のお知らせ

2016年11月30日 | 制作公演関連
寒い日が続く
雪も降ったしな・・・
紅葉の盛り、でもあるが、
気分は冬。暦もまもなく師走だ。

という書き出しで11/29にアップ
・・・仕掛けて南半球の悲報を聞き、
思い止まり、今回再構成してお届け。



忘年会のお招きが11月後半から届く。
早速一本目の宴が先月最後の月曜に。

シニア演劇集団を掲げて2011年創立の
劇団櫂人(かいと)は定例稽古を
拠点のアトリエそらで17時に終え、
最寄駅前の居酒屋に移動、
(我々外部のゲストは直接店に)
2016年を少し早めに労い、
来年春の大作、宮本研の
『ブルーストッキングの女たち』
成功を誓い盃を交わした。

結成は11月だから、まる5年経ち、
新しい仲間が増える一方で、
旗揚げからのメンバーは僅かとなり、
次の局面を迎えたと言えるだろう。

と。ここで唐突ですが。
本日のブログタイトルは
「忘年会のお知らせ」が沢山届く、
そーゆー季節になりましたよね、
の意味で僕からの「やろうよ」
という内容ではありません。
念を押して先に進む。

その酒席へ向かう途中、
すれ違ったサラリーマンの歩く姿勢、
髪型、横顔、それら総合した雰囲気が
~と言っても、ほんの一瞬だが~
損保代理店の一等最初の担当社員
「吉田くん」に似ていた。
わっ!と思う。

まるで忘れていた名前と姿が
暫く閉ざされていた脳細胞の
片隅から、ごろりと転がって出た。

吉田氏とは歳が近く、気があった。
「吉田くん」は自由が丘支社内の
彼のニックネームである。

高校時代、ホッケー部で鳴らし、
大学もホッケーで入った体育会系
・・・ながらムードメーカーというか、
運動部にありがちな「ゴツさ」はない
見た目スマートかつ誰からも愛される
支社には欠かせないキャラクターだった。

嗚呼、なかなか忘年会に至らない。
至らないついでに、乗った東武線は
踏切に人が侵入して緊急停車。

我々の乗った車両が居た所が
「通電のないエリア」だそうで
自家発電の灯りのみで数分、
暗めの車内で立ち往生となった。

そんなこんなの櫂人の宴。
本公演『谷間の女たち』の好評、
アトリエ発表の横光利一は
縁あって横光研究会での上演という
発展もあった豊かな2016年を
振り返りながら、来年五月後半と
少し長い先だが、次回本公演に向け
一丸となる、あっというまの三時間。

11月28日夜、ときわ台での話。


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哀悼

2016年11月30日 | スポーツ
西にアルゼンチン。東に大西洋を面す
ブラジル・サンタカタリーナ州は
多くの海水浴場を有するリゾート地。
内陸にはドイツ移民が多く、
オクトーバフェストも行われる
南米大陸の中でも一際南に位置する。

州には7つのプロサッカークラブ。
シャペコを本拠地に1973年誕生した
「アソシアソン・シャペコエンセ・
ジ・フチボウ」を襲った事故に
心よりの哀悼の意を表します。

Futebol(フチボウ)はフットボール。
世界のサッカー界がコロンビアでの
悲劇に衝撃を受けた昨日だった。

彼らが目指した「コパ・スダメリカーナ」。
南部と北部で開催されていた
南米クラブカップを2002年統合した、
日本でも知られる「コパ・リベルタドーレス」
に次ぐビッグタイトルである。

ブラジル8、アルゼンチン6、
他の国々からはそれぞれ4クラブと
前年優勝チームを加え争われる。
栄冠を勝ち得ればリベルタドーレスの
勝者と戦う「レコパ・スダメリカーナ」が待つ。
さらには。
Jリーグカップ優勝クラブと雌雄を決す
「スルガ銀行チャンピオンシップ」の
出場権も与えられ、7~8月に来日。

スダメリカーナ決勝戦は延期
(事実上中止)となり、
対戦相手のA・ナシオナルは
「シャペコエンセが永遠の2016年王者」
と連盟に嘆願したとニュースは言う。
また。
複数の強豪クラブが無償レンタル移籍や
成績不振に際しても降格免除を、等々
やはりCONMEBOLに要望したとも。
(CONMEBOL=南米サッカー連盟)

81名と速報された乗員乗客が77名に。
生存6名のうち選手3名など、
少しずつ聞こえてくるニュース。

いったい何が?
原因究明も待たれるけれど、
6名の生命が繋がることを
今は祈るのみ。

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ベトナムこぼれ噺~後編

2016年11月28日 | 制作公演関連
家の目の前の東武ストアに行けば、
このところの冷え込みに、
シチューの素や、具材をプッシュ。

国内外の旅先でスーパーマーケットに
足を向けるのは、観光客向けの
土産品を並べた店を覗くより
数億倍愉しいものだ\(^-^)/



ベトナム、ハノイ。
大きなスーパーマーケットは、
観光客向けの品揃えをしている感も
なきにしもあらずだったが・・・

日本や韓国の菓子類が並ぶ。


一階に食料品、二階に生活雑貨。
広くて清潔な大型店。

バックは持ち込み禁止で、
入店前、店外の警備室のような
小ぶりな一室のロッカーに預ける。



話は一変、受賞式。
公演レポートでは感動的に
七冠獲得をお伝えしましたが
(弊ブログ11/20~26を参照下さい)



お国柄、の一言で片付けていいのやら、
壇上に一気に呼ばれたタイトルホルダーに
渡す賞状が合致していなくて、
そのうち「あ、それ俺んだよ」
「その三枚目のあたし、あたし」
てな感じで、重なった額入りのそれを
受賞者がだんごになって手に取る、
まぁよく言えば和やかな、
一般的には「ぐだぐだな」セレモニーに。

照明とかは頑張ってたんだけどね(^-^;
ただ決して嫌な気持ちにはならない
清々しいクロージングであったのだ。

実はまだまだ書き足りないのだけれど、
一週間以上、越国のことを綴ってき、
さぞやお腹いっぱいだろうから、
こちらもクローズいたします。

最後に「いかにも」な一葉を添えて。


お世話になったハノイの「友人」や
フィリピンやパナマからの参加者たち、
出逢った人々に感謝を込めながら・・・

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ベトナムこぼれ噺~前編

2016年11月27日 | 制作公演関連
演劇の客席は概ね舞台と客席が正対。
また円形劇場のように舞台の
ぐるりを観客が囲むものや、
話題の地「豊洲」に、例のあれより
一足早く完成した「ステ・アラ」は、
逆に客席を三百六十度ステージが囲む
「アジア初」を謳う・・・。

前置きが長くなった。
飲食においては、対面が多い。
カウンターで横並びもあるけど。

第3回ベトナム国際前衛演劇祭
(11/12~19会期)に参加すべく
初めて首都ハノイを訪れた。



店内には当たり前にテーブルがあり
向かい合って食べ話すけれど
上のように店の外を向いて並ぶ
風景をいたるところで目にした。

日本人がいつでも蕎麦ばかり
食べてはいないように、彼らも
フォーばかり食してはいない。

ホテルの食事が多かったから
市井の食事情を詳しくは語れないが
豊富な野菜を中心にバランス良い
食文化があることは感じた。



こうゆうのも昼食に出たが、
日本だってイナゴや蜂の子を食べる。

それよりも。
フランス領だったせいか、
朝食バイキングのフランスパンが
めっちゃやたら美味しかった\(^-^)/
そのホテルが三ツ星から四ツ星に
最近昇格したグレードだった、
という点を勘案する必要もあろうが
その土地にベースとなる
「仏蘭西麦麺ぢから」がないと
あの味はいきなり出ない。

休日。
ハノイの中でも一番活気のある
「旧市外」に連なるホアンキエム湖、
その周辺は歩行者天国になっていた。





パフォーマーが演奏などして、
新婚さんは記念撮影。
子供用の乗り物の貸し出しに加え、
セグウェイもレンタルされていた。


(中央に立つ青年の足元にセグウェイ、
左のこども自動車、どちらもレンタル)

今日のベトナムの気温は20度ほど。
滞在時は、ほんとなら秋の時期ながら
とても暑かった。
でも、むしろ良かったのかな?

[後編へ]
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『かもめ』ハノイ記~bay~帰国と表彰

2016年11月26日 | 制作公演関連
6で終わると書きながら、
7(bay)回目に突入(^_^;)


(上演会場のドラマ劇場にて
メンバーで集合写真)

本隊は11/14ベトナム入りし、
19日24時半頃のフライトで
20日朝7時、成田に降り立った。

演出の杉山、俳優のチェ、東ヶ崎と
志賀の四人は、ベトナム演劇界を
リードする「青年劇場」の求めで
ワークショップのためハノイに残った。

そんな中・・・志賀澤子は
所属の東京演劇アンサンブル公演『沖縄』
(1997年)に始まる20年の歳月、公私に渡り、
両国の交流に寄与した功績を認められ、
ベトナム文化芸術家協会より表彰された。




協会の外。受賞の志賀(右から二人目)を囲んで、
右に宗重、左にチェと杉山。
三人は「壁なき演劇センター」のメンバー。

※※※

ついでと云うとなんだけれど……。
昨日省いた、表彰式後のことを少々。

クロージングセレモニーが18時に終わり、
役者陣は「おめかし」していたので、
全員で一度ホテルに戻り、着替と休息。

制作と若手俳優は劇場に向かい、
日本に持ち帰る道具類や工具を
ワゴン車にパンパンに積み込み、
五泊したHoaBinhホテルで
メンバーをピックアップし21時半、
ノイバイ国際空港へと向かった。

ベトナムと7-7(bay-bay)ならぬ
(⌒0⌒)/~~bye-bye。

今度こそ「ハノイ記」は完結。
明日以降は「こぼれ噺」を予定。
ま、まだあるんかい~(*_*)



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『かもめ』ハノイ記~sau~受賞

2016年11月25日 | 制作公演関連
第3回ベトナム国際前衛演劇祭。

フランス、ドイツ、ギリシャ、中国、
マカオ、フィリピン、そして日本と
海外7か国8団体\(^^)/
(中国は北京と上海から2カンパニー)。
ベトナム国内からも参加があり、
合計16の演目で一週間に渡り
競いあった祭典も最終日の
クロージングセレモニーを残すのみ。


(壁なき演劇センター『かもめ』より)

11月19日(土)
少し郊外にあるStar Galaxy Theaterにて。





広いロビーにはウエルカムドリンクと
プチケーキ等がお出迎え。
そこに次々と参加団体や関係者が集う。

定刻より随分遅れてドアオープン。
まずは四組のオープニングアクト。





民族舞踊に続いて
竹製ながらテルミンみたいな音色。
次も竹製楽器。
ベトナムマリンバ?
最後に華やかな舞踊と歌。



ムードを高めて、いよいよ表彰式。

まずは俳優部門・銅賞。
どうやら受賞者は複数のようで、
次々と名前と所属が告げられた。

続いて銀賞。
壁なき演劇センター『かもめ』で
トレープレフを演じた松田崇の名が。
さらに安藤繭子(マーシャ)もコールされた。

勢いに乗った『かもめ』は、
大女優アルカージナ役のチェ・ヘミ、
西村清孝(流行作家・トリゴーリン役)、
東ヶ崎恵美(女優志望のニーナ役)が
最高賞の金賞に輝いた。


(受賞した三人の女優。
右から安藤、チェ、東ヶ崎)

スタッフも受賞者が連呼されたが、
耳を澄ますと部門ごと一名なのが判る。
そして、演出者としてただ一人
杉山剛志の名前が呼ばれた。



作品賞。
銀賞三団体がまず壇上へ。
残すは金賞のみ。
その一等最初に呼ばれたのが
「壁なき演劇センター」日本!!!

計七冠
日本の演劇レベルを世界に知らしめ
その夜、本隊は帰路についた。

6(saw)おしまい。
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『かもめ』ハノイ記~nam~本番

2016年11月24日 | 制作公演関連
な、な、なんと、54年ぶりに雪
寒い寒い24日の首都圏。
都心の積雪は観測以来、初!
先週はベトナムにいて28度前後
Tシャツ一枚だった、、、。

壁なき演劇センター『かもめ』
ついに迎えた公演初日。
ベトナム・ハノイのドラマ劇場。
11月17日(木)20時開演。

国際実験演劇フェスティバル参加。
なのだが、、、それは明日。
せっかくだから、より多くの方に
と、お願いして1ステージ、
フェスとは別に上演させて頂いた。

公式プログラムにも別枠で掲載。
その他、日本語学校への公報等で
客席は七割がた埋まった。

開場を15分押してしまったが、
開演は5分遅れでなんとか。

照明操作の助手も請け負い、
客席に居られなかったけれど
客出しには飛び出してご挨拶。
その表情は軟らかくホッとした。

字幕のマシントラブル等あって
舞台に打ったベトナム語が
読みづらかったという大きな課題は
翌朝8時に、これまた無理を云って
ドラマ劇場を開放して貰うことに。

午後から緞帳を降ろして、
シンポジウムがあり、まるまる
5時間舞台が使えないため。

11月18日(金)
客席二階席から下手ギャラリーに
場所を移して字幕を出すことに。

そして、その助手も。
本番中に上手オペ室から
上手ギャラリー、二階楽屋を経て、
下手ギャラの字幕オペレーションへ。
芝居終盤、逆さまに移動して
ライティング補助に従事。

ああ、そういえば。
紀伊国屋ホール、サザンシアター、
どちらの「初制作」も客入れ後に
受付対応のジャケットを開演後、
黒上下に着替えて、転換をしたなぁ……
随分と昔だけれど・・・
と感慨に浸っている場合ではなかった。

来るわ来るわ、お客様が押し寄せて、
一階、二階はあっという間に埋まり、
両サイドの通路には立見客が溢れた。
その裁きにてんてこ舞い(*_*)

何とか開演し、裏方に変身。

遅れてきた方々は会場に入ることすら
出来ずにお帰りいただいた、そうだ。
(ロビーにいないので伝聞)

昨夜は客席に笑いもあったが、
この日は集中力の高さが、
オペ室やギャラリーからも伝わった。
終演後、役者も同様の感想。
もちろん。
スマホ等でバシャバシャ写真を撮ります。
演劇先進国以外の海外公演では
当たり前の光景で、でもそれは
「楽しんで頂いている」バロメータのひとつ。

終演。
熱狂のカーテンコール。

バラシを終えた頃、日付はかわり、
ホテル下のレストランで軽めの打ち上げ。
時計の針は3時を指していた。

と。
怒濤の二公演は写真なし(^_^;)
辛うじて、初日開場直後の1階ロビー。



アオザイを着たスタッフがお出迎え。
会場は2階。キャパは200席ほど。

5日続けて報告した「ハノイ記」も
明日で最終回の予定です。

※namはベトナム語の5。

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『かもめ』ハノイ記~bon~準備万端

2016年11月23日 | 制作公演関連


11月16日(水)
劇場は午後から使用可能。
午前中は屋上で前日の続きの作業。

演出と役者陣はフェス主催の昼食会。
国際交流基金ベトナム支部などと
親睦をはかるランチタイムは
超豪華ホテルでのビュッフェ
・・・だったらしい(>_<)

裏方は屋上から降りて午後から
劇場に入り仕込みを始めた。



三時過ぎには役者たちも小屋入り。

小道具などの調達にも動き、
ピアノを借りにいった場所には
寿司屋が一軒、わりと大きな構え。


その隣の楽器店・・・かと思いきや、
フェスティバルの通訳さんは
観光客には無縁の路地に入ってゆく。

少し怪しげなエリアを進み、
奥まった角を曲がると冒頭の
洒落たバーが忽然と現れた。


その店の片隅の電子ピアノを使え、と。


そんなこんなで着々と本番が近づく。
とはいえ。
字幕用のプロジェクターが駄目になり、
代替機の手配を何手か考え連絡し、
仕掛けの幕に手間取ったり、
宿題も残しながら23時過ぎに退館。

そして、本番の朝。
9時から作業を始め、昼前から場当たりに。

ある時は音響のレベルチェック助手、
ある時は客電を落とすため照明ブースへ、
スーパーに舞台美術備品の買い出しにも。

最少人数で海を渡っているため
さまざまなポジションを兼務。

むしろ。
ホテル、劇場、フェスが用意したレストラン、
他のフェス参加作品を観る劇場を
行き来する日々だったので、
ハノイの街をようやく体感できて良かった。

地元民はもちろん、観光客も多く集まる
「旧市街」にあったチュオンヴァン劇場



この界隈にはサークルKのみ大量に。
他の大手チェーンは全く見当たらなかった。

こちらは地元のこぶりなコンビニ





劇場近くのディオールではショーを開催中。
そして。
壁なき演劇センターのパフォーマンスは
いよいよ今夜(11/17)だ。

4(bon)おしまい。5へつづく。

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『かもめ』ハノイ記~ba~全員集合

2016年11月22日 | 制作公演関連
「333」は日本でも有名なビール。
読み方はベトナム語で「バーバーバー」。
ただ南のビールだから北の首都では
「ハノイビール」がメインだ。

さて、ハノイ二日目のことを書く。



日本から運び出せる荷物に
航空会社的には総重量の、
カンパニーとしては予算的な
それぞれリミットがあり、
材料を現地調達し、自分達で叩くことに。
まだ劇場には入れないのだが、
ドラマ劇場の厚意で屋上にて作業。





ドラマ劇場はオペラハウスの裏手。
逆にいえば劇場屋上からは
オペラハウスの背中が見える。

ここで改めるまでもなく、
歴史の中で翻弄されてきた国。
影響を与えた国が幾つかあり、
中でも中国のそれは色濃い。

例えばロビーにあった
終演した舞台の花や宣伝物の形、
客席、トイレもチャイニーズスタイル。





見づらいでしょうが席番が
中央が「1」。右に偶数、左に奇数
順に大くなっていくのだ。
つまり若い数字ほど良い席。

片側から数字が並ぶ場合、例えば29。
一列30席なら端、70席なら真ん中辺り、
と総数によって位置が変動する。

そんな11月15日。
日本での他の本番や仕事を終えた
役者とスタッフが一日遅れで合流。
壁なき演劇センター『かもめ』の
キャスト・スタッフが全て顔を揃えた。


お世話になったドラマ劇場外景。

こちらは内観。

劇場の歴史のわかる一階のロビー。

4(bon)につづく。
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『かもめ』ハノイ記~hai~入国

2016年11月21日 | 制作公演関連
11月14日(月)
現地時間15時。

ベトナムの首都ハノイの空港を一歩出る。
やはり日本とは異なる匂いと風。

ガイドブック等には「秋」とあるが
この日の気温は29度。
メンバーのほとんどがTシャツ一枚になる。

フェスティバルのスタッフのアテンドで
長閑な風景を走り、やがて市街地。

クラクション。
原付を避ける車は中央車線をはみ出し、
今度は対向車をよけるハンドル裁きは
さながらマリオカート。

昔の造りを残しつつリノベーションした
瀟洒なホテルに着いたのは
まだ陽の高い夕刻。



そのロビーの空調はsumikura。



トイレの洗面台はおなじみ東陶。


ちなみに我々の公演する劇場の空調は
nagakawa
・・・と余り聞かないメーカー。

恐らくTOTO以外は日本製じゃなく
台湾製だろうと、現地にいる
ある日本人の意見。

この日は夕食後にフェス参加の
『ホワイトスネーク』を見る。
白い蛇?
かの有名な『白蛇伝』だな、さては。

IT技術を駆使した、新しもの好きな
「上海」らしい演目だった。



上海話劇芸術センターとの出逢いは
もう14年前になる。
当時僕が所属していた劇団東演は
日中国交正常化30周年記念公演の
作品のひとつとして三都市を巡演。

その際とてもお世話になったのが、
「上海」で上演も彼等の拠点を使用。

翌年、今度は日本に彼らを招いて、
中国の戯曲『WWW.COM』を
日中両国で競演し友情を深めた。

閑話休題。

そうそう。
思えばこのフェスは「実験劇」の
祭典なのだと改めて思う。

そして。
このフェスティバルは賞があり、
そのための審査がある。
あるのは知っていたけれど、、、
審査員が最前列にずらりと並ぶとは。
(・_・)
さらにヘッドフォンによる
同時通訳が行われていた。

下手最前列に、守衛がいるような
大きな部屋が出来ていて、
そこからオペレーション。
理由はわからないが、裏仕事を
見せたくないという心理ではないか。

ロビーに絵の溢れたハノイ劇場でのこと。


我らが作品『かもめ』の音響さんが
操作をギャラリーでと要望した時、
回りを全て覆うならOKと言われた。

という二つの現象を総合すれば、
あぁ、それがベトナムの常識かと知る。

こうしてベトナムの最初の夜は更けた。

つづく。

(haiはベトナム語の2)
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