麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

すりっぱ

2012年09月30日 | 制作公演関連
W・ローズ公演『ROSE』は
稽古初日から中三日あけて
昨日二度目の稽古。

翻訳者・堀真理子さんも
稽古場にいらっしゃって、
頭から10頁をゆっくり進めた。

9/26のブログにも書いたが
初日は通して一度読んだあと
テキストレジをして
全体の大きな構造を、
演出と役者、それぞれが
どんな風に捕らまえているか
胸襟を開いて台本を閉じた。

そして昨日は、細かく場面ごと
さらなるテキレジを施しながら
返しては進み、進んでは返して。

演劇において。序盤は人物説明
及び時代設定に費やされ、
退屈を感じることが多いけれど、
『ROSE』は一人芝居。
序盤から「見せ場」が連なっている。

父と母と、主人公ローズの関係、
そして運命の人との出会い
舞台は生まれ故郷から
ポーランドへとスピーディーに
展開する。

ローズには兄と妹がいる。
父は若くして人生を達観し、
母は聖者のように生きる。
ウクライナのユダヤ人集落で
貧しい生活を送りながら、
彼女は成長していく・・・。



突然挿入したのは
現代の日本の居酒屋さん。
靴を脱ぐ店で、写真は
店内のトイレに行くための
履物を撮ったもの。
左っかわに子供用スリッパが
並んでいるのが分るかしら。

今や居酒屋チェーンは
ファミレス感覚なんだな。

1940年頃のローズ達の
「家族の在り方」とは大きく
形が異なっている。当たり前だが

『ROSE』の稽古は
主演にして企画製作者である
志賀澤子の所属する
東京演劇アンサンブルの拠点
「ブレヒトの芝居小屋」で
ずっと稽古をする。
なので今日、自前のスリッパを
持って行った。
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なんのきのう?

2012年09月28日 | 身辺雑記
本日は観劇二本。
昼は西荻窪の朋友。
アトリエvol.13『蝿取り紙』。
夜は下北沢の東演。
『結婚の申込』『めくらぶんど』

その移動に「すぎ丸」という小型のバスを利用。
細い住宅街を擦り抜けて、久我山駅まで。
百円。
久我山からは井の頭線。
ちょいと時間はかかるが安い\(^O^)/

安いといえば。携帯電話が壊れて、
とにかく安く交換できる機種にした。
数ヶ月前のことだが。。。謎な機能がある。

ある作業をする。終わると、
その開始時間が画面に残ってるのだ。

必要性が解らない。
例えば、11時半に家を出る予定でいて、
そこにメールが届き、返信する。
11:15…あれ?
二つ折りの携帯を閉じる。
くるりと表示がかわり11:29!
わぁ(><)出る時間じゃないか!
。。。みたいなこと。

本日は観劇二本。
二本とも、劇団拠点での公演で、
前者は「朋友芸術センター」。
後者は「東演パラータ」と、
それぞれのアトリエを呼ぶ。

長くなっちゃったから、感想は改めて。
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稽古初日

2012年09月26日 | 制作公演関連
9月25日、W・ローズ公演
『ROSE』の稽古、
始まりました。

本番は11/7~11。
八十歳女性の波瀾に満ちた
生涯を描いた翻訳劇。

その一週あとの開催となる
ぬ企画その10『赤い羽毛』は
二週早くスタートしてます。

出演者が多く、また役者達が
三方(主宰と演出と制作)の
呼びかけに馳せ参じた
集合体ってことが大きいかな。

そうそう、その稽古初日に
テーブルを囲んで自己紹介とか
やったら「何かテレビみたい」
「こうゆうの初めてで緊張した」
等の声を、飲み会で聞いた。
全員じゃないけど。

そういえば、僕が
小劇場から新劇に転じた頃
スタッフも全員鎮座して
(また出演者も多いのだよ
それこそ「会議(?)」の如く
進行するのを部屋の隅っこで
体験し、びっくらこいたもんだ。

小劇場じゃ、芝居が固まって
(それも本番の結構ぎりで)
初めてプランナーってのは
稽古場に来るのが当たり前だの
クラッカーだったもんな…。

なのだが。
領域からいえば勿論、新劇の
『ROSE』は、昨日
主宰兼主演、演出、演助と
制作のたった四人でこぢんまりと
はじめの一歩を踏み出しました。
緩やかに・・・。

稽古期間一ヶ月ちょいな上に
演出を交えた稽古実数は
25日を切ります。
手を抜いてるわけじゃなく
ベテラン女優の一人芝居だから。
(詳細は改めて)

昨日も、二時に着席するも
一時間ほど雑談して、
じゃあ、ぼちぼち読みますか、
と。

一度読んだあと、テキレジして
どんな方向性で行こうかって話が
なかなか面白かったのだが、
長くなったので次回に、ね。

とにかく。
名匠・高瀬久男(文学座)と
東京演劇アンサンブル代表の
志賀澤子による骨太の舞台は
大変インタレスティングな作品に
なることだけは確信できました。
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喜寿

2012年09月24日 | 鑑賞
舞台上には一期生から
現役の中学生までが並んで
彼の指揮で『べこべこ赤べこ』
など4曲を歌った。

昨日、田無で鑑賞したのは
「歌と語りのコンサート」と
題されたイベント。
中心は、今年喜寿を迎えた
平野元清さん。

東京城北少年少女合唱団を
長年指導されてきた方。
元教師でもあるそうだ。

第一部は《三人の歌手による
「和洋の名歌・愛唱歌」より》

平野氏ほか二人のソプラノが
『浜辺の歌』『旅愁』等
14曲を熱唱

第二部が《東北の風土が生んだ
「語り・歌・語り節・合唱」》

冒頭は、その合唱で
合唱団の一期生はじめOGOBが
結集したのだった。
中には、現役のオペラ歌手も居
(一部にも登場)
この機会に数十年ぶりの再会と
なった者も居・・・
現在の職業や、また合唱との
関わりも十人十色の、
けれども同じ「教え子たち」が
奏でる合唱は心打つものだった。

同じ釜の飯を食う。

僕ですら感動したのだから
平野氏の胸中たるや・・・

彼は二部では指揮のほか
語り節も披露。
矍鑠として、また
少しコケティッシュでもあり
大変魅力的。

紹介が遅くなったが、この会は
東日本大震災復興支援として
開催のコンサート。

田無には、子供達に開放された
私設図書館「わかば文庫」がある。
そこで時折活動している
「ひろ&みな」や、
宮沢賢治の作品を語りと歌で
構成し学校等で公演する
「賢治の会」等が二部には出演。

田無の文化的コミュニティが
平野氏の喜寿を支えた祭典とも
言えたコンサートは、とても心地よい
心洗われる二時間でした。

仲間のこと、それも遠い昔の仲間に
思いを馳せたりもして……

例えば。中一で越していった
親友の、よっちゃんこと吉田喜寿
(きじゅ、じゃなくよしひさです)
は、今頃、どこでどうしてるだろう。




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竜虎と、黒豹

2012年09月22日 | 鑑賞
『シベリア』
脚本・演出/福田善之
10月4日~8日、代々木能楽堂
が、今から楽しみです。

俳優座と青年座の《中堅エース》
あいまみえます!!

      

時間をかけて築き上げた
クラブチームの
緻密な組織力と
劇団公演の魅力は近しい。
とすれば、プロデュース公演の
それは、代表チームでの
スター選手の華やかな競演、
或いはまた普段見られない
陣形から繰り広げられる
ファンタスティックな展開。

なでしこJAPSNで、
クラブではトップ下の
沢穂希が一つポジションを下げ
ボランチを務め、ワールド杯
初制覇
大きな要因になったように……。

さて。早野ゆかり(俳優座)は、
闘志溢れる果敢なアタックが
特性の典型的なストライカー。
そんな彼女が『シベリア』では
二列目でプレーする。
おそらく、ザックジャパンでの
岡崎の如く、ごりごり行くだろう。

一方、野々村のん(青年座)は、
後方からのロングフィードも
駆け上がってのアーリークロスも
絶妙だった名波のような
中盤のファンタジスタだが、
今回は前線に張る。

二人の絡み、絶対に見逃せない。

      

題名の龍虎は上記の二人を指す。
では黒豹は?

それは橋本千佳子である。

自ら率いるラヴィニアでは
プレーイングマネージャーを
務め、好き勝手にピッチを
縦横無尽に走るまわるが……
外部出演では、鉄壁の守備で
玄人をうならせる。

敵の攻撃の芽を次々に消す
献身的なプレーを、さらりと。
特にボールのないところで
スペースを消すプレイは
素人に分りづらいが圧巻だ。

ちなみに黒豹と評したのは、
プレースタイルもさることながら
動物占いが、それだからである。
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ノンアルコール飲料

2012年09月21日 | 身辺雑記
ノンアルコールビール。

我々演劇人は随分昔から
舞台上の消え物
(食べたり飲んだり壊したり、
本番ごとに無くなるもの)
としてお世話になってきた。

数年前、技術革新により
完全0%を実現したのを機に、
味はもちろん、パッケージや
生活スタイルにまで踏み込んだ
戦いが一気に加速したのは
周知の通り。

で、それは落ち着くどころか
チューハイだぁカクテルだぁ
梅酒にまで飛び火して、
スーパーに立ち寄れば
その棚にかなりのスペースを
得るまでに拡張してますネ。
     
色とりどりのノンアルコールを
眺めながら、ふと頭に浮かんだのは
最近の政治家たちの顔。

「ノンポリティクス政治家」

ノンアルコール飲料の方が
値札見ると高いってことも
高給な「すぇんせい」と結びつく。

天に唾吐くという言葉があって。
ただ芝居するだけじゃなく
社会と向き合ってた演劇界の
先輩たちを知る方々から見れば
君の方こそ「ノン演劇芝居人」と
言われそうだけれど……。

…まもなく民主党党首選。

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十二夜

2012年09月18日 | 鑑賞

台風の影響で、東京は変てこな
天気。空は青いのに雨

さて冒頭嵐から始まるのが
シェイクスピアの『十二夜』だ。

先週、紀伊国屋サザンシアターで
観た。その有料パンフレットに
シェイクスピア作品を
歴史劇、喜劇、悲喜劇、悲劇と分け
それを年代順に並べるという
素晴らしい表が掲載されていた。

不勉強で、個人的に関わった作品
(夏の夜の夢、から騒ぎ、
お気に召すまま)と、
見た作品(ヴェニスの商人、
ロミオとジュリエット他多数)が
ありながら、年表はまるで
意識していなかった。
だから「な~るほどぉ」と思った。

喜劇に関していえば、1592年の
『間違いの喜劇』に始まり、
1599年の『十二夜』まで十作ある。
つまり彼の中の喜劇の到達点が
『十二夜』という考え方ができる。

スタジオライフ、円演劇研究所、
今回の青年劇場と二年余りの間に
三度見たが、何度見ても面白い、
その理由の一端が判った気がした。

作家(に限らずアーティスト全般)
には一発目が最高傑作だったり、
山を登るように頂に達して、
そこから後は下るパターン
もあるから、最後の作品が一番!
とは一概に言えないけど
『十二夜』には集大成の匂いがある。

そのパンフレット(青年劇場)には、
劇団の歴史を振り返る読み物二本も
載っていた。創立メンバーによる
回顧録。来年、五十周年を迎える
劇団にとっては、まことに用意周到な
手立てだと感心した。

節目の年は、やれ記念公演だ、
記念誌だ、パーティーだと忙しいから
地味だけど、早めの準備は内部的にも
そして外部には広報的な意味で
大いに作用するだろう。

流石です
近頃は、人気タレントさんが
出演する舞台でもない限り、
パンフレットなぞ売れないから、
二つ折りのリーフレットを
全員に配るのが主流の中、
気概があります。
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二分七秒零一

2012年09月17日 | スポーツ
昨日は「ぬ企画」の節目の年
について書いたけれど。
スポーツ界においては
一部を除き、やはり最大目標
っちゅうか最高の晴れ舞台が
オリンピックなんで、
四年に一度が「節目」になる。

水泳界では北島や寺川
の去就に注目が集まる中、
ブレストの世界新を高校生が
おっ立てましたな。
しかも条件の悪いで屋外で。

岐阜国体。山口観弘は
男子200M平泳ぎで、
2分7秒01
インタビューでは
「スタートの時点でいける
と思った」「人類初の6秒台を
出したかったので悔しい」と、
北島ばりのビッグマウス!

黙して闘う侍タイプより、
有言実行のアスリートの方が
今は人気。スター性もGood

さてさて。
バレーボール界では木村の
海外移籍が話題になったが、
昨夜飛び込んできたのは
狩野舞子の移籍……というか
久光製薬への復帰の報だ。
それ自体は大したことなく、
セッターへ転進する
というの驚きである。

甲子園の優勝投手がプロでは
野手として活躍する。。。
遠い昔でいえば世界の王、
今年大ブレイクの広島・堂林
etc。。。とは訳が違う。

ウイングスパイカーとして
この夏の五輪にも出場した24歳。
十二分の実績と人気を持つ
狩野の「挑戦」なのだ

ただ、勧めたのは中田久美。
史上初、中学生で全日本入りし、
長く日本の司令塔として君臨。
しかも、そのスタイルは
松田や竹下ら「伝統的セッター」
とはスタイルの異なる
「攻撃的な大型セッター」。

この夏から久光の監督に就任。
その中田の元での転身となる。

中田(と大谷)以来24年ぶりの
中学生日本代表が、狩野。
その高いバレーセンスに
期待は大きかったが、
怪我もあり、決して周囲の声に
応え切れたとは言いがたい。

186cmの超大型セッターが
もし誕生すれば、リオ五輪の
大きな武器になり、連続メダルが
見えて来る
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「ぬ」と、98年

2012年09月16日 | 制作公演関連
ぬ企画その10『赤い羽毛』
脚本・潤色/しはかたしなの
同協力/小松豊
演出/難波善明
制作/高橋俊也
2012年11月15日~18日
中野あくとれ

    
前回、1998年のことを
何だかたっぷりと書いた。

その前年の97年、ぬ企画は
その6『工場物語』を上演。
旗揚げ以来、僕はずう~っと
制作で関わっていたが
この公演で「ぬ」を離れる。

フリーの制作だったので
「メンバー」としてではなく
その都度、乞われて参加する
「レギュラー」だったが、
とある劇団に正規雇用された
のが、理由となる

さて。
高橋信吾の個人ユニット
「ぬ企画」は『あぶらむし』で
演劇界に打って出た93年、
いきなり年間三本のトップギアで
走り出して以来
94、95、96、97と年一回
コンスタントに活動していた。

ここまでの6公演、既成の戯曲を
高橋ならではのコラージュ術で
構成演出してきた「ぬ」は、
翌年その7で初のオリジナル
『EN-KO』を発表する。

かたや創立四十周年目前の
中堅劇団に草鞋を脱いで
二年目のシーズンに、
僕は初めて「制作責任」を負い
『行かせてッ!』を担当。

それが98年。奇しくも、
こたび取り組む『赤い羽毛』
上演の年だ。
高橋信吾は客演者として出演。

     

結果的に98年は転換期となる。
年一ペースだった「ぬ企画」は
翌年からしばし沈黙
三十路の大台に乗った彼に
心境の変化があったのか?

長くなったので筆を置くが、
そんなターニングポイントに
出会った作品『赤い~』が、
ぬ企画の記念すべき(?)
10本目の作品になる。
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『赤い羽毛』の時代?

2012年09月15日 | 制作公演関連
1963年、僕の生まれる前に
誕生した「ファンシーケース」。
弟が生まれた71年には、
31万個、通算で230万個出荷の
ヒット商品だったそうだ。

11月の芝居『赤い羽毛』の話を
書きますって昨日言ったのに、
また懐かしい簡易箪笥(?)の
話から始まっちゃった。


さて『赤い~』には
「言語明瞭意味不明」も登場。
いわずと知れた昭和最後の
総理大臣・竹下登を評した
言葉だが・・・
その頃勢いがあったのが
ポケベルだ。
93年にはテレビドラマ
『ポケベルが鳴らなくて』が
同名主題歌とともにブレイク。
最盛期の加入者数は、96年6月で
約1077万件にまで達している。

そうそう。
あの頃演劇界では、開演前
「携帯電話、ポケットベル、
時計のアラームなど音の出る
機器の電源はお切りください」
と前説を入れていて……
それはやがて
「携帯電話、PHS、時計の~」と
変わって。最近ではPHSも
除外することが多い。

またまた横道でした
『赤い羽毛』は、
(羽毛は「はね」と読みます)
1998年に劇団第六感事務所により
初演された戯曲です。

宝塚歌劇団に宙組が誕生し、
一月に長州力、四月に
アントニオ猪木が引退試合。

太陽党、国民の声など三党で
民政党を旗揚げしたと思ったら、
新党友愛、民主革新連合とともに
その民政党も民主党に合流、
いわゆる「新民主党」が誕生。
総理は橋龍から小渕へ・・・

サッカー・フランスW杯
長野冬季五輪が開催され、
横浜高校は春夏連覇
(松坂が夏の決勝で
ノーヒットノーラン
その勢いで(?)横浜ベイと
横浜フリューゲルス
日本一に輝いた・・・
そんな1998年。

※フリューゲルスはリーグ戦
ではなく天皇杯優勝。
決勝戦は99年元日なので
正確にいえば98年ではないが

長々書いたけれど上記は
芝居とは直接関係がない。
ただこの年のトピック、
黒沢明死去や毒入りカレー事件は
台詞に出てきます。
が、この再演に当たっては
「設定」を具体的に何年かは
まだ決めていません。

決めてませんが、少~し昔を
舞台にして進行することでしょう…。
ノスタルジックま世界を
お届けする予定です。

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