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麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

zomervakantie2025/een/三つ並べたい

2025年08月07日 | 身辺雑記

魏・呉・蜀は『三國志』。

ラン・スー・ミキは「キャンディーズ」。

日本橋・錦帯橋・眼鏡橋とくれば

「日本三名橋」。

 

つい人は、三つ並べがちだけど、

長崎空港を降りたら、

〈Youは何しに長崎へ?

キリシタン大名、ボートレース、海上空港

〜はじまりは大村から〜〉

という看板が迎えてくれた!

 

並びのバラバラっぷりが逆に見事だし、

たしかに大村市は長崎県にあるのだが、

ナガサキと振っておいて三つ全てを

オオムラで縛るのも、なかなか凄いなぁ

 

勿論、大村市の掲げる大看板だから

正しくはある。

 

カステラ(長崎)、ハンバーガー(佐世保)、

黒田五寸人参(大村)と

県内の食で束ねるのでもなく、

大名にギャンブルに建設物とゆー

繋がりゼロな、いや〈大村発〉なのは

重々理解できるし、

むしろこのチャンポンなことが

長崎らしいとも言える。

 

 

そんな街で過ごしたのは、

さる8月5日から7日の3日間だった。

 

長崎原爆忌は避けて、けれど

ヒロシマの日は含む2泊3日の夏休み

zomervakantieは蘭語の「夏休み」。

 

多くの人が知るように、

まず日本にやってきたのはポルトガル。

種子島漂着は1543年、室町時代。

 

しかしポルトガルはスペインに

1580年併合され、一方オランダは翌年、

スペインに独立を宣言する。

そんなこんなで1609年の平戸商館は

オランダが設置。

世は徳川が治め、長崎は天領だった。

 

冒頭の3人組アイドルが、

少年隊でもスターボーでもなく

キャンディーズを掲げたのは、

ここで蘭とリンクするから。

とか言ってるあいだにリムジンは

長崎駅前に到着。

風情ゆたかな終着駅から

生まれ変わったのは22年。

フルオープンは今年で、

個人的には「シン長崎」はお初。

 

 

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国際日本学部

2025年08月04日 | 身辺雑記

ある女優が8年かけて大学を卒業。

その学部名も記事にあり、

〈国際日本学部〉というのを

初めて知った。

 

自身のキャンパスライフ及び

受験は遠い昔で、こどももない。

故に、その手の情報に疎い

 

ただ小さなパイを取り合う

大学の生き残り戦略のなかで

絞り出した策なのは解る。

なんと一校二校じゃない事に

少々オドロいた。

 

疎かったから、どこかが先行し

割と受験者数増えたみたいよ!

と業界に瞬く間に広がったのか、

イマドキ国文なんて

見向きもされないから

頭に〈国際〉つけとけば

何とな〜く、いいんじゃね!?

とほぼ同時期に生れたのか、

知る由もない。

 

日本文学系に限らず、

かつて当たり前の経済だの商学だの

シンプルな名前〜いわば孝や洋子的な

昭和ネームからキラキラネーム

〜変わったよーにカタカナ学部が

めっちゃ増えているのである。

 

根拠のない憶測でいえば、

昭和どころか明治大正の學問を

大教室の大きな黒板に板書する

名誉教授に対して一学生で、

授業より学外活動(?)に熱心ゆえ

センセイの親心で卒業できて、

その後は励んで今や学長の

〈かつての教え子〉としては

「センセイそろそろ辞めて」と

言いづらく⋯⋯

「学部刷新に当たり今後は講義も

プロジェクターを使い、

学生はPCを持ち込んでですね⋯」

「ドン辻よ〜、まどろっこしいなぁ

相変わらずよぉ。解ったよ」

みたいな光景もあるのかしらんと。

 

 

で、タクシーを拾って着いた店は

映画のセットみたいな佇まいの

バラックみたいな一杯呑み屋・・・

「センセイこの店まだあったんですか」

 

かつてはクッション性があったけれど

海辺に晒された旗みたいなボロ布が

へばりついた黒光りの椅子に

ひょいと座った名誉教授は

「吃驚はこれからだぜ、ドン辻ぃ」

 

「いらっしゃい」と奥から現れた初老の

しかしガタイはしっかりして

薄暗い店内では50代に見える漢。

 

「⋯カジハラ⋯⋯先輩?」

名誉教授の隣に掛けた途端に

思わず立ち上がった辻学長。

「お前が学長だってな、世も末だな」

とカジハラが口を開けば、

「今日はこいつの払いだから、

ドンペリにキャビアに何でも出せ」

言いながら恩師は角瓶に手を伸ばし、

ストレートで一舐めしている。

「時効は成立してるから安心しろ。

どん辻にも妻子はあるもんな」と

棚から密閉瓶を下ろすと、辻に渡す。

教え子は先輩をまじまじ見つめ、

立ったまま金具を開く。

 

座ったまま老いた右手で

ピーナッツの小袋を取り出し、

「ありがとう」。

 

数十年の研究室でもセンセイに

乾き物を提供する係は彼だった。

カジハラは既に卒業していて、

時折姿を現すと、

ゼミに集った学生を置き去りに

高次元の話を二人だけで応酬し

風のように去った。

 

そうだ。聞き齧りの浅い知識で

くちばしを突っ込んでは

カジハラにあっさり論破されていた

同級生はのちにテレビで論説を担い、

政治家に立候補との噂もあった。

彼も今や学長だ。

短大から四大になった東北の、

あの大学も「国際」や「ウェルネス」

「コミュニケーション」などを

学部名に冠していた、

とそれでやっとこ現在に戻り、

ストンと腰を降ろす。

 

 

失礼しました。

学部名の話をしていたのに

タクシーに乗って遠くに行っちゃった。

 

ある大学の国際日本学部の説明

〈世界から注目される

日本の文化と社会構造に対する

深い理解と、実践的な英語教育・

日本語教育による優れた発信能力を有し、

かつ自国文化・他国文化の両者に対する

広範で柔軟な理解力を兼ね備え、

グローバル化した現代社会において、

「世界の中の日本」という視点に立って

主体的に世界に価値ある情報を発信できる

人材を育成します〉

 

なるほど。

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80

2025年08月03日 | 身辺雑記

8月になった

夏休みはとうに始まり、

友達といつもより長く遊べて

家族で行楽地に繰り出したり

楽しいことも沢山あるだろうけれど、

宿題そろそろやんなきゃな〜と

頭では考える時節だ。

ん?

そーいえば「夏休みの宿題なし」

の傾向てな記事を読んだよぅな。

 

と、それは子供目線で、

給食がないから3食作らなきゃだし、

もろもろ親御さんは大変とも聞く。

 

いずれしたって8月といえば、

6日ヒロシマ、9日ナガサキ、

そして15日に連なる「戦争」を

考えないわけにはいかないのである。

2025年は、加えて節目の80年。

 

 

今年に限らず、平和を希求する

映画や演劇は発表される。

 

昨日封切の映画『長崎閃光の影で』

もその一編。

長崎出身・松本准平監督作品に

旧知の加藤亮佑が出演。

 

また映画主題歌のプロデュースを

担ったやはり長崎出身の

福山雅治が機長のFM番組も連動し、

監督の手によるオリジナル作を

福山が5夜連続で朗読するそう。

(8月4日~8日)。

 

新作は勿論、毎年繰り返し上演する

作品も少なくない。

 

かつて私のいた劇団も、

『ピアノソナタ「月光」による

朗読劇「月光の夏」』を2003年から

地道に全国各地で続けている。

〈今生にベートヴェン『月光』を

ピアノで弾き、知覧から飛び立った

特攻隊員の話。

一人は散り一人は生き残る。

命長らえた者にもまた別の悲劇が⋯⋯〉

 

映画館、劇場にとどまらない。

書店に行けば特集が組まれている。

 

 

昨夜は、スポーツニュースの流れで

『72時間』を眺めて、

次に始まったのは『時をかけるテレビ』。

1988年放送の「夏服の少女たち

~ヒロシマ・昭和20年8月6日」だった。

 

今日は別の番組で、その広島での

平和教育に対して「毎年毎年なぜ」と

ネガティブながらあっさりした声。

彼は大学生で、小学生は率直に

はにかみながら「怖いから嫌」。

 

大切だとは承知だけれど、

テーマゆえに真面目で教育的な

作りになりがちで、

受け手のまごうことなき本音だ。

 

さて。

当たり前だが、80年を迎えるのは

日本だけじゃない。

多くの国の新聞や今時はネットなど

「忘れない」「記憶の継承」「非戦」が

掲げられる。

 

積み重ねながらも一方で

80年の歳月はズレも生じさせる。

いかに「今」に繋げられるかに

尽力される方々も多いのだ。

 

推敲の合間にデータが消えたりして、

あらら零時を回ったけれど、

2日25時の投稿のてーでお許しください。

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京橋の路地裏で追憶

2025年07月31日 | ぶらり

17時過ぎの京橋あたりを

Gパン姿で歩いている人の

なんと少ないことか。

あ、その珍客は筆者と

他にはインバウンドな方々。

ビジネスマンと次々にすれ違う。

 

僕なぞがあの辺りに行くのは、

今はなき「銀座セゾン劇場」での

観劇くらいだ。

つまりは随分とご無沙汰していた。

 

 

1955年、映画上映館として生まれて

87年ビルごと建て直して芝居小屋

(中劇場の銀座セゾン劇場と

ミニシアターの銀座テアトル西友)に。

2000年からの「ル・テアトル銀座」が

13年に閉館し「コナミ」が入手。

上の姿になったのは2019年。

 

真横には首都高速が走り、

そう、此処よりも少し有楽町寄りの

高架近くのビルにあったのが

「MAKOTOシアター」。

 

横文字だけれど大衆演劇に軸足の

「劇団誠」の小劇場があった。

〈生きる博多人形〉〈長谷川一夫の再来〉

とも言われた松井誠が率いた劇団の

若手公演のほか貸し館でもあった。

 

出向いたのは一度だけなのに

印象に残っている⋯⋯いや、

実はすっかり忘れていたのだが、

銀座一丁目からの道すがら、

交番と、柳だろうか樹の姿やら

ちいさい公園やら混ざった風景に

唐突に思い出された。

 

試写会まで時間があったから

確かめに周辺を歩いたが

グルグルした末に

「強いていえばこの辺かなぁ」で

正解にはたどりつかなかった

 

閉館したのは知っていたから

ビルの大きさや雰囲気からの

あやうい推察⋯⋯。

 

さて、京橋といえばやはり明治屋。

 

 

創業130年の老舗は

コカ・コーラを初めて販売し、

京橋ビルは区の指定有形文化財。

京橋エドグランの一部として

今なお現役だ!

そして、上の一葉のように

新しさも吸収する日々。

〈ソムリエAI〉?

それを実体験するほどの余裕はなく、

超近代的な新しいビル群の中、

路地裏にぽつねんと佇む蕎麦屋で

小腹を満たして試写を観た。

 

 

美味い蕎麦だった

 

よく江戸三大蕎麦として

「藪」「更科」「砂場」を聞くけれど

「丸屋」もよく見掛ける。

ほかにも「長寿庵」「更科」「増田屋」

「満留賀」などなど。

これらはチェーンとは異なる

暖簾分け制度なのかしら?

〇〇はそうだけど、△△は自由に使える

などあるのかな〜

 

試写作品は『アイム・スティル・ヒア』

  • 詳しくは昨日綴った。

 

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京橋の路地裏で試写会

2025年07月30日 | 鑑賞・まなび

昨日の拙文で触れた「丸の内TOEI」の

最終上映作品は、1980年公開の

『動乱〜第1部「海峡を渡る愛」

第2部「雪降り止まず」』だったらしい。

高倉健と吉永小百合の競演作で

後者がサプライズ登場も。

 

さて、同ビル内の東映本社は一足先に

「京橋エドグラン」に移転済み。

東京メトロ京橋駅直結の複合施設は

2016年11月オープン。

 

 

そんな京橋に昨日偶然行ってきた。

有楽町線銀座一丁目駅から

上のエドグランを左に見て過ぎ、

京橋テアトル試写室にて

『アイム・スティル・ヒア』を鑑賞。

 

鎮かな、けれど力強い映画だった。

公開は来月8日。

1970年代、軍事政権下のブラジルの

実話を元にしている。

 

元国会議員のルーベンス・パイヴァが

突然軍に連行され、妻のエウニセも

数日後に拘束・尋問を受ける。

パイヴァ家には監視がつき、

電話は盗聴される。

 

同じ頃地球の反対側で僕は

すりむいた膝小僧に赤チンを塗り

無邪気に遊んでいた。

 

恐らく似た年頃の少年マルセロは

仲間たちとの裸足のサッカーや

野良犬を飼うことに熱中するも

生活が一転。

そして成長し『Ainda Estou Aqui』

(日本未発表により原題)を上梓。

映画の原作になる。

 

メガホンをとったウォルター・サレスも

幼少期にパイヴァ家と親交があり、

その記憶が作品に厚みを持たせていた。

 

陽気にサンバを踊る国ブラジルの

別の顔が、心に刺さった。

 

拷問シーンなどを一切入れ込まず、

だからこそ恐ろしさが極まる137分。

繰り返すが、鎮かだが深く強い映画。

 

 

冒頭紹介した『動乱』は、

五・一五事件から二・二六事件、

つまり日本にも軍靴の音が高まった

季節を描いている。

そして、第二次世界大戦へ。

 

終戦から80年。

日本は奇跡的に平和の中にある。

けれど多くの国々では

理不尽な戦争や内戦等が起き、

いまなお不幸に喘いでいる。

これは事実。

 

そして参院選の結果も事実。

だけれど、今立ち止まらないと危うい!

と早計には言葉にしない。

 

紙幅が尽きたので別稿にて。

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一生売れない心の準備はできてるか〜サビ

2025年07月29日 | 鑑賞・まなび

7月26日と28日のブログは

既に閉館した沖縄の小さな映画館

「首里劇場」の話から始めた。

 

 

27日「丸の内TOEI」が幕を閉じた

と知ったのは28日、朝のニュース。

 

あ、『相棒』の右京さんと亀山くんが

舞台挨拶ってのはネットでチラ見

⋯そうか、あれがカウントダウンの

催しのひとつだったのか

 

最近は映画館にわりと通う筆者でも

この有様だ

⋯⋯てか、封切館には足繁くなく、

名画座がメイン。

その27日も「目黒シネマ」に居た。

 

 

1960年、東映本社の一角に開館した

「丸の内東映」、「丸の内東映パラス」。

洋画系のパラスは一度名を

「丸の内シャンゼリゼ」に改め、

2004年2館揃って現在の館名に。

 

閉館理由は、経営の困窮ではなく

ビル老朽化による本社移転に伴うもの。

ただ、これで本社直営館が「消滅」

という事実は、文字にすると重い。

いまどきは分社化が当たり前だから

あくまで字面の印象だが。

 

さて、丸の内TOEI最期の日に

目黒シネマで観た2本の最初は

『ネムルバカ』だった。

 

明日の見えない女子大生・柚実

(演:久保史緒里)は学生寮で

先輩ルカ(演:平祐奈)と同居。

ルカはインディーズバンドで

メジャーデビューを夢見ながら

現実の壁とも葛藤している。

 

今をときめく河合優実が

2021年に出演し、

ヨコハマ映画祭最優秀新人賞などを

獲得した、もう一編の

『サマーフィルムにのって』が

目当てだったが、同じく青春映画の

『ネムル〜』も良かった

 

夏休み中の日曜日だったからか、

ネムルに「現役」の久保、

サマーに「元」の伊藤万理華と

新旧「乃木坂46」が出演していたからか、

「目黒」は珍しく混んでいた

 

さてさて。

遡ること木曜夜「阿佐ヶ谷Morc」で

『一生売れない心の準備はできてるか』に

ハマった筆者の目前で、

20代前半の女の子が売れた

フィクションの世界で。

 

還暦過ぎの、宮崎生れ沖縄在住の

おじさんが〈一生売れない〉かもと

惑いながらも明るく、

日々リアルに生きている一方、

大化けしたルカはスクリーンの中

まるで楽しそうではないのだ

 

 

高校生が文化祭に向けて映画を撮る

『サマーフィルム〜』は、

勿論クロウもするけれど、

そりゃぁ、あなた滅茶キッラキラ

120パー青春

 

嗚呼、人生は深い。

 

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一生売れない心の準備はできてるか〜Bメロ

2025年07月28日 | 鑑賞・まなび

 

1950年に開館。2階席も有する

沖縄最古の映画館・首里劇場は

映画界の斜陽という大きな波の中

70年代以降には成人映画館、

コロナを経て、22年までは名画座として

老舗の灯をともしたが、

3代目館長の急逝を機に幕を閉じた。

 

2010年代には「渋さ知らズ」や

「やむちん刺激茄子」などの

音楽ライブも発信し、

最期までぼっとん便所を貫く(?)など

様々な意味でユニークな小屋だった。

 

「やむちん〜」25周年ライブは

劇場外にキッチンカーも並び、

場内飲食も撮影もOKのまさに宴

 

上記コンサートを軸に

リーダー奈須重樹のインタビューで

構成された映画を観たのは24日、

阿佐ヶ谷。

 

昨日も書いたが、コロナ禍で

「やむちん〜」30周年ライブが頓挫し、

替わりに25thアニバーサリーの映像を

世に出そうと新曲なども加え、

とにかく楽曲がたわわな一編が生れた。

 

『ヒッピーと結婚しよう』『床屋の孫』等

すべてがフルバージョン

さりとて単なる歌モノではなく

人間・奈須が浮かび上がる不思議。

 

『アイム ダンディ』はジュリーに捧ぎ、

ほかの曲中には「サスケ」「UFO」等が

ぶっ込まれる〈昭和〉に、ドはまり。

 

それにならって例えるなら・・・

イーグル、ジャガー、ベアーの3機の

ゲットマシンが合体する組合せで、

それぞれ空陸海に特化したロボットになる

『ゲッターロボ』のような魅力!!

 

ライブシーンがゲッター1、

インタビューがゲッター2。

そして終映後の舞台挨拶は

めったにお目にかかれない3に

匹敵する珠玉の生ライブ。

 

 

ミニシアターのスクリーンの前でも

披露してくれた

『一生売れない心の準備をできてるか』。

前回のブログにサビがリフレインしている

と書いたけれど、3日経ってもまだ、

ぐるぐるしている

 

♫一生売れない 心の準備は

みんなできてるかい 俺はできてるぜ♪

と。

それは1番。2番では

♪俺はできてない♫ となる!

実に実に、好い

 

誰もが夢見て、音楽や絵画や

或いはスポーツを職業を選んだ時、

食べていくのは大変だ。

けれど、諦めてカタギの道を歩んでも

実はそこもまた茨だ!

多少安定はしているけれど⋯⋯。

そんなこんなを詰め込んだ楽曲。

 

こんな宝物をめっけるのに

10年遅れたわけだけれど。

今だから染みたのかもしれない。

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一生売れない心の準備はできてるか〜Aメロ

2025年07月26日 | 鑑賞・まなび

 

沖縄最古の映画館・首里劇場。

開館の1950年当時は主流ともいえた

演劇共用の小屋だから

スクリーンとステージがある。

 

そのステージで2016年に開催された

沖縄発のバンド「やちむん刺激茄子」

結成25周年ライブ

 

30周年もライブをと考えたが、

時折りしもコロナ禍

代替として〈伝説の一夜〉を

フィルムにした⋯⋯のが2021年

公開は2022年。

 

ということは・・・

結婚式の余興をきっかけに

ギター2本のデュオに始まり、

スリーピースかと思えばビッグバンド、

メンバーが激減しバイオリンとの

たった2人になった時期も。しかし、

逆にフットワークの良さを利にかえ

本土でのライブ数を増やすなど、

変幻自在の活動を続けて

・・・間もなく35年を迎える。

 

バンド名の「やむちん」は

うちなー口の焼き物・陶器だが、

視点は「や」と「ん」の間に

「ちむ=心」があるところ。

いうまでもなく「刺激茄子」は

リーダーの奈須重樹。

 

そんなこんなを、昨日の121分、

いや終映後の舞台挨拶は

ほぼほぼライブで5曲披露した

約30分があったから

約2時間半で初めて知った。

知ったというより触れたが正しい。

 

それでも宮崎に生れ、大学から沖縄。

人生の3分の2を過ごした奈須重樹の

魅力にがっつり「ちむ」を掴まれた。

 

写真中央が奈須氏。

 

♪一生売れない 一生売れない

心の準備は みんなできてるかい

俺はできてるぜ♫

 

映画タイトルであり、そも奈須の曲の

サビが昨日から延々と

脳内で流れ続けている。

いや、歩きながら溢れて口からも

メロディが⋯⋯

 

監督は、オムニバス映画

『パイナップル・ツアーズ』の一編

「爆弾小僧」などの當間早志。

 

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『夜明けまでバス停で』もしくは二度目のMorc(伍)

2025年07月25日 | 鑑賞・まなび

〈二度目のMorc〉と題して書いたのは

月のはじめのこと。

『夜明けまでバス停で』を絡めて

4回も書いたのに、その映画館を

「モーク」と読むことを記し損ねた。

そのミニシアターで今月10日まで

上映されていた『コルチャック先生』。

6月13日から約1ヶ月。

 

ユダヤ系ポーランド人の彼は、

医師であり児童文学者、

そして孤児院院長だが、

弊ブログで2020年5月6日に

『コルチャックと余録』と題して

綴っていた。

コルチャックと余録。 - 麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

完全に失念していたが。

 

書いた頃日本(及び世界)は

covid-19禍にあった。

コビッド?⋯⋯という語を、

思い出すのに少し時間を要した方も

いるのではないから?

 

アルファ、デルタなど

馴染みのあるギリシャ文字では

株の変異に追いつかず、

オミクロンなるギリシャ第15字母まで。

それでも「株」の変化は止まらず、

BA.5だのXBB.1.16株だの

命名に挫折(挫折でないか)した

あのウイルスの総称がcovid-19だ。

 

いずれにしろ今は5類になったが、

23年4月1日迄に国民の25%超の

33,462,859人が感染した

新型コロナウイルス感染症が

猛威をふるっていた時期に起きた

「幡ヶ谷ホームレス殺人」が

モチーフとなり『夜明け〜』は誕生。

 

そしてあくまで事件は創作動機で

亡くなられた64歳の半生を描かないのが

映画の肝になっている。

 

彼女は若い頃、演劇に傾倒していたが、

『〜バス停で』の主人公は

アクセサリーデザイナー。

まだそれでは食べていけず

アルバイトもしているが、

居酒屋店長は悪気なく

「プロになれば良いのに」と。

 

このシーンは刺さる場面

私の俳優仲間達もリアルに何度も

周辺から掛けられた言葉のはずだ。

「役者を目指してるんだ!」

 

「いや、ドラマには余り出てないけど

舞台俳優として全国巡演とかしてて

既に役者ではあるんです。

バイトもしてるし、舞台のギャラより

そっちの収入が多い年が多いのは

ぶっちゃけあるけど」と内心思いながら

「え、いや、まぁ」。

そう言葉を濁すことが。

 

そしてボクサーなど他の職種にも⋯。

全員が世界ランカーではないし、

誰もがハリウッド俳優ではない。

 

そう補足することを思い立ったのは

昨日、阿佐ヶ谷北口のミニシアターを

また訪れたから。

あ、『〜バス停で』を観た日に

近くで撮影されていた『じゅん散歩』は

まだその様子がオンエアされていない。

⋯⋯編集もしなきゃだしな

 

さて昨夜鑑賞したのは

『一生売れない心の準備はできてるか』

というタイトル。

上に書いた内容とドンピシャだ。

たまたまだが

ちなみに、2スクリーンのMorc。

みたのも「ウエ」!

 

そちらについては後日に。

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ぶらり吉川〜後文

2025年07月24日 | ぶらり

埼玉県の43番目の市、吉川で

芝居をみた件の最終回

 

まずは南口の木売公園。

すなおに「きうり」と読むそうだ。

 

 

北口には「ほ」という町名。

たもつではなく1音! 珍しい!!

この看板の裏手にも公園があり、

また川や用水路があちこちに見られ

自然豊かな町並みに安らいだ。

 

駅前には自転車預所があり、

駅近くに駐車場も多い印象。

通勤通学において公共機関が

近くを走ってない等の理由で

自家用の二輪及び四輪を使う人が

相当数いるからの預所やPだろう。

 

サラリーマンなら交通費として

バス定期代を頂いて、それを丸っと

塾費用に回す方もいたりするかしら。

 

で、その駐車料金が1日駐めて450円。

5分と駅から離れていないスーパーの

真裏のコインパーキング。

 

15分ほど離れた場所は

同じ会社で、さらにお安い350円

 

都心の繁華街には30分500円

なんてのがザラだ

 

お金でいうと。 

北口の450円Pのほど近くに

栃木銀行吉川支店。

南口駅前には亀有信用金庫吉川支店。

 

メガバンクのない街を

僕は根拠もなく良いと思う。

せっかく訪れたので、

「鯰どら焼」を家の土産に買って、

武蔵野線の駅へと向かった。

 

 

少し時計の針の動きが緩やかに

感じられた5時間

⋯⋯腕時計をしていないから

あくまでもイメージだし、

実際には昨日明日と同じ

18000秒なんだけれど。

 

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