麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

今さら脳内メーカー

2007年12月29日 | 身辺雑記
 本当に今更ですが、脳内メーカに自分の名前を入れて、エンターしてみました。
 訪中公演の旅中に、音響の宗野恵さんから「脳内だけじゃなくて、Tシャツとか高校とかあって、これがまた面白い!」と聞いて、それをこないだ思い出した末の行動でした・・・

 とゆーのは、文化庁の提出書類を作成中のこと。
 だから11月の末か12月のアタマくらいのことです、書くのは遅くなったけど…。

 訪中公演を終えての報告書を横川と作っていて、基礎の数字を横川が拾っている間(領収書などを整理して計算する間)、僕は腹ごしらえのおにぎりを買いにコンビニに走って、焼たらこと鮭を一つずつ買って・・・帰ってきても、まだしばし時間があったのでアクセスしたのでした。

 確かに「脳内メーカー」には派生系がたくさんありました。

 「高橋俊也弁当」を試してみたら、弁当箱全部が「鮭」で、話が前後するが、横川はたらこを選んでいたので、結果、僕の手には「鮭」のおにぎりが。。。ナルホドそういうことか(何が?)

 さらに「横川功弁当」は“米6割、卵4割”。OH~、たらこのおにぎりってば「米」とタラの「卵」巣だもんネ

 で「高橋俊也高校」の校歌の2節に“窓から見える建築現場”というのが出てくるのだが、うちの父は土建屋の社長だ!
 
 どれも単なる偶然というか、占いモノ、この手の遊びではよくあることなわけである。。。それでも尚、同校歌の“3位を目指す龍が如く”なんてフレーズは、判官贔屓というか、巨人とかブランド品とかが嫌いで、今いる劇団も、この世界では中堅どころのポジションだったりという僕には、確かにアテハマると考えられる。
笑ったというか、納得したのは「高橋俊也カレンダー」で、1~31日まで全日“空想”でした。

 そうそう、肝心の脳内だが・・・ほぼ99%が「嘘」で真ん中にたった一文字の「」。
 敏腕プロデューサーとして、夢を実現する為には嘘をつく!と…良く取れば、取れるけど…

 さて、名前は伏せるが、僕の先輩にあたる制作の名前を入れたら、脳内が全部“嘘”で、校歌には“青春売春また自習”“凛々と「女」が好きだと空を見る”“裏切られても×××高校 君に会うため×××高校”と、見るも無惨にエッチなワードが並んでいた。
 嗚呼。
 それに較べれば、夢がひとつでもあって良かった。
 こんなブログで2007年を終える僕ってば…
 来年は、頑張ろう

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携帯メール送受信機

2007年12月27日 | 身辺雑記

 僕の携帯が、この年末のセワシイ時期に故障しました

   先方の声は聞こえるのですが、向こうには聞こえないらしいのダ。その症状が出た最初の相手が父親だったので「耳が遠くて聞こえないのかなぁ…」と思ったのですが、その後も携帯のスピーカーからは「もしも~し」「あれ?」的な反応で、僕はコントのお爺さんよろしく「もしも~し」と叫ぶしかなく、さすがに気付かされました。

 メールは送受信OKなので、今僕は“携帯型のメール送受信機”を持ち歩いているってわけです。

 ちなみによく携帯を落下させるので、カメラはとっくにお釈迦になっています。写るには写るのですがピンボケです
 まあ、写メ撮らない人だから、それは全然不自由しなかったのですが、さすがに通話のできない“携帯電話”はなぁ・・・

 時節柄、忘年会のシーズンで…、昨夜も製作協のHP委員会のあと、ちょいとした呑みの約束があって、やはり難儀しましたガナ……。

  で、久しぶりに公衆電話にお世話になりました

  年内に3月公演の宣材の入稿もしなくちゃだし、忘年会もまだ3ツばかり残っている…。 ここまで読んだ方、みんなが「買い換えろヨ」と、モニターの向こうからツッコミ入れてるのが目に見えますが…、ハイ、明日ドコモショップに行こうかと。

 とても便利なモノのの、その素晴らしさを普段つい忘れがちな小市民の僕に、一年を振り返る師走の暮れに「ちゃ~んと顧みなさいヨ」という天からのイマシメなのかも、ですネ。

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劇団の年末年始とブログのお休みについて。

2007年12月26日 | 東演
クリスマスが終わり、
街は一気に年末年始・・・お正月ムード

    東演の道すがらの花屋さんの顔も
    ポインセチアから門松に・・・
    そんな12月26日、東演は大掃除。

一年の血と汗と涙の染み込んだ稽古場はじめ
劇団の隅々までを洗い浄めて
シャンシャンと手締めをし、
来年1月10日の「年始顔合わせ」
翌11日の『紅い荒野に洗濯機』の稽古初日まで
しばしの休息です。
掃除するのは建物ばかりではありません
劇団の財政の方もきっちり洗って報告します。
なので、制作部の片隅では会計担当の腰越と酒田が
帳簿と通帳とニラメっこ。

  ちなみに常勤の制作部は28日に納めて7日から。

  僕は29日にパラータの劇場管理があり
  年明けは区民Aの稽古があるので
  ちょい早く、日本代表GK川口能活と同じ5日始動
  きっと劇団大好きな制作部長の横川は
  年賀状を見に元旦から出てくるのだろう…。

そんなことを踏まえて、弊ブログは年内は29日まで。
2008年は1月7日あたりからボチボチ始めようかと。

いよいよ「訪中公演レポート」は
“第二の故郷”“中国のフランチャイズ”と
東演が称して止まない「武漢篇」から・・・

え、まだやるの?
と言わずお付き合いくだされ……。

  
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探し物は見つからない~ちっチャ(イ)ナおはなし/四

2007年12月25日 | 中国公演07
 旅の楽しみに「絵ハガキ」がある。
 普段お世話になっている方やお世話になりたい方へ、異国の地からのエアメール
 貰う方も嬉しいだろうが、出す方も楽しい

 今回、旅の序盤は時間がなくて、と言うか、絵ハガキは主に観光地でないと手に入らないので、ホテル-劇場の往復の制作にとってはなかなか入手が困難だったこともある。
 長春の溥儀の博物館に土産物屋が並んでいたが時間がなく、ようやく北京で絵ハガキを手にいれ、劇団員に割り振って書いてもらった。

 ハガキというのは、書いたら「切手」を貼って出すのが万国共通で、中国→日本は、4.5元。
 ところがこの4.5元の切手がなかなか手に入らなかった
 日本では、50円や80円の基本的なのは勿論、置いてない額の切手はないと言っていいと思うが、使われることの少ない4.5元が「没有(メイヨウ)」な局が多く、あっても10枚も買うと売り切れた。
 なので、また別の郵便局へ・・・。
 4元と0.1元を1枚ずつに0.2元を2枚ってふうに分けて買えばいいのですが、それだと切手が大きすぎて貼りきれないってことになり・・・できれば1枚で行きたかったのである。
 余りに見つからず、カシャコンカシャコンと機械に通すと、ハガキに赤いスタンプが押印される「切手なし」のでも数葉出したが、できれば異国情緒の「切手」をさ、貼りたいじゃありませんか…。
 それに絵ハガキは役者の手元で、僕の買う切手を待ちわびている場合、この手は使えない。

 それでだいぶ「中国郵政」を探す時間を要して、北京では結局出し切れず(何しろ150を超える枚数だったので…)武漢、そして上海でも切手探しの旅は続いたのだった。
 バス移動の窓からグリーンの看板(中国は看板もポストもグリーン)を見掛けても、いざ劇場やホテル近辺になかったりして・・・。
 武漢と上海の宿泊ホテルが切手を扱ってなかったことも大きかった。

 不思議なもので、探してる時は見つからず、どーでもいい時はよく目にするのだ。
 まさに井上陽水の世界

 郵便局に限らず、上海ではPCのマウスパッドを求めて歩き回った。
 
 素直にデパートにでも行けば良いのだが、より安くと思って街を歩いているうち「上海工科大学」に突き当たったので、意を決して学生を装いキャンパスへ。
 まあ、さすがに四十路越えて学生ってのはネ校門の警備の方にすれば助手や職員に見えたか?
 とにかく生協みたいなところで買えるだろうと潜入(?)するも、あえなく撃沈。その周辺には、マウスパッドに限らず学生生活に必要なモノが揃う店すら見あたらず・・・
草臥れ果てて、思わず日本から進出したラーメン店に入ってしまった。
 それも今では、楽しい冒険()           
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ゴキンジョさんと紅い荒野と

2007年12月24日 | 東演
 パラータにて今日まで公演中の「グルッポ・テアトロ」の主宰は、元東演にいた白岩知明くんで、客演陣を、やはり元東演の八木沢賢くん率いる「青果鹿」や、僕のかみさんが所属する「木山事務所」などから迎えている。
 だから小屋には知った顔が多い。
 
 どの仕事でもそうだろうけれど、横のつながりってのは自然と出来ていくもので、今の僕は演劇という国の「新劇ムラ」に属していると言える。
こないだ丸の内線で西村清孝さんに会った。

 TBS系列でオンエアーされていた長瀬智也主演『歌姫』にレギュラー出演(小日向晋吉役)していた彼とは、僕が小劇場にいた頃ご一緒したことのある素敵な俳優さんの一人だ。
 12/6付の弊ブログで触れた田中伸一くんとも、その頃からの縁になる。当時二人は「アクトB―Gun」という集団にいた。

 僕は大学の後輩が旗揚げした「観音芝居」で制作人生(?)をスタートさせたのだが、その頃に遡る前記の出会いは、いえば、醤油の貸し借りのかわりに、役者の貸し借りをし、受付の手伝いをしあったゴキンジョさん。

 ただ彼らは当時東京芸術劇場小ホールで集客1000人規模の公演を打っていたから「小劇場ムラ」の中でもなかなか立派な門構えのゴキンジョさんで、僕らといえば、ムラの本当に端のハシのちっちゃな掘っ建て小屋に暮らしていたようなものダ。

 そんな「故郷」に仲間達を残して、創立40周年を迎えようとする歴史ある土地へ上京したのが97年。
 ああ、もう10年経ったのだなあ・・・。

 と感慨に耽っている場合ではない。
 いよいよ50周年が迫った中で、少子高齢が進む「新劇ムラ」のご多分に漏れず、我々東演も世代交代が命題になっている。

「グルッポ・テアトロ」の座組は、若さ漲る俳優たちに、木山事務所から中堅を、青年劇場からベテランを招いた正ピラミッドで、正直羨ましくもあるが、それは隣の芝生、我々は来年3月の『紅い荒野に洗濯機』では客演を迎えず、東演オールスターで臨む!
 中には老け役に挑む俳優もいる。また意表をつくカップリング(?)もあって…そのどれもが、50年に向け劇団力を向上させる狙いである

 その『紅い荒野~』だけれど、ヒロインたまきは、東北の田舎町から満州に渡る・・・。僕が「小劇場ムラ」から「新劇ムラ」に渡ってきたように・・・。

 そうそう、今日はやけに風が強くて、満州の首都新京(現長春)の強い風が思い出される。

 風は強くても、イヴはイヴ
 東演からのクリスマスプレゼントは、お歳暮とお年玉とバレンタインをまとめて、3月3日、デラックスにお届けの予定です。
お待ち下さい。
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お迎え渋滞と中国サマザマ事情~ちっチャ(イ)ナおはなし/参

2007年12月22日 | 中国公演07
 長春のホテルと劇場のまわりは「学校」が多かった。小学校に中学校に、塾もあった。
 武漢もホテルから少し歩いた一角に大きな中学校があって“学校城下町”って感じでした。

 さて中国には、給食や弁当という習慣はないらしく、お昼になると校内から揃いのジャージを来た子供らが飛び出してきて、ファストフード店などに押し寄せていた。それから余った時間にお買い物。

 なので、学校の回りは飲食店や文房具店、CDショップにオタクの店(?)まであった。オタクの店は武漢や北京、上海で見掛けたのだが、ガンプラ、テニ王やエヴァのグッズに、コスプレものまでと充実(?)していた。

(言うまでもなく我々のホテルや劇場との絡みで、大都市だから云々ではなく、これらのカルチャーは広く中国に広まっていると察しました。)

 なので以下の話もたまさか僕が見たのが長春ってだけで、チャイナ中で起きてる現象だと思われます。

 小学校の終わる時間、その周辺の一車線は「お迎え」の車で覆われ、その近辺が渋滞になり、タクシー等はクラクションを鳴らし…ってな風情になるのです。
 校門に鈴なりのお母さんお父さん。子供達を迎えるだけでなく、その後の塾や習い事への送迎も兼ねているようでした。

教育熱はいずこも同じです

 さて、5年前の訪中公演の際は、いかにも“中国”という頑強で古いタイプの自転車を大人達が乗っている中、子供達はマウンテンバイク等の新型にまたがっていたのが印象的でしたが、今回はジャージのブランド化が一層進み、繁華街での私服などは、もう日本と遜色ない勢いでした。
          
 さらに大人達のチャリ率が下がって、自動車7に原チャリ2.5、自転車は0.5ってな道路事情ではなかったでしょうか。

 これは矢野による北京でのレポートになるのですが、夕方は帰宅する中国人がタクシーを捕まえるので、まるで乗れないとのこと。ホテルのフロントもお手上げで、その時間は「流しを捕まえるしかない」と言われたそう。で、街に出て、止まったと思うと、脇から猛烈に中国人が来て、ワーワー言って乗ってしまうのだとか…。
                                  
 あ、大連でも、笹山たちがやはり帰宅時間にタクシーが捕まえられず、劇場からホテルまで路線バスで帰ったことがありましたネ。

 これらは中国が「自動車社会」に入った一例と言えましょう。
あ、そうそう。皆、中国に行く前には空気の悪さをかなり気にかけていたのですが、思ったほどではありませんでした。
 乾燥対策として掛けていたマスクは、長春の猛烈な砂埃にも役立ったり、5つの都市の中では盆地であり工業地帯である武漢のスモッグは気になったけれど、相対的には普通に生活できました。
 勿論、実際には汚染が進んでいるのでしょうが、日本のマスコミが流す強烈な映像にショックを受けていた僕らの行動範囲内で、それを目にすることはありませんでした。 
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速報☆紅い荒野に洗濯機

2007年12月21日 | 東演
 訪中公演のレポートは、ようやく半ばを迎えたところ。
 過去の話ばかりでINGな方がオロソカ気味でしたので、来春の本公演についても、たまには触れなくてな・・・

 3月3日(月)から本多劇場で上演する第129回公演は『紅い荒野に洗濯機』という作品。サブタイトルが「ほんだらおたおた昭和庶民伝」。
 3月9日(日)までの全7ステージ。

 ひなまつりが初日なだけに、ウエスカーの名作『根っこ』を思わせる、新しい時代を標榜する女性達の姿を描く喜劇です!

 キャストは。。。
 矢野泰子、腰越夏水、小池友理香、安田扶二子、古田美奈子、江上梨乃、笹村香苗、
 笹山栄一、山中康司、豊泉由樹緒、土橋隆弘、能登剛、南保大樹、奥山浩、星野真広、原野寛之
。。。東演の精鋭16名で臨みます。

 粗筋に少し触れると・・・

 1935年、東北はM県でも大きな素封家の広瀬一族。
 当主の広瀬辰造(能登)は仙台の愛人宅に入り浸りで、妻の和子(腰越)が、執事の善平(土橋)や、作男の喜作(星野)らと切り盛りしている。
 嫡男の宗男(南保)は米の研究に没頭。個性の強い姉妹に挟まれ、頼りない印象だ。
 そんなある日。町役場に勤める水元徹(原野)に嫁いでいる長女・敏恵(小池)が実家にやって来る。徹が駅でたまきを見掛けたというのだ。
 末娘・たまき(江上)は二年前、旅の手品師と駆け落ちしており、六代目に当たる祖母のマツ(矢野)、前述の現当主・辰造に続く淫蕩の血を引くと言われている…。
 と、そこに鍔広の麦藁帽子にパンタロン、いわゆるモガスタイルのたまきがまさに帰還! お手伝いのつゆ(笹村)らを驚かせる。
 ここから先はお楽しみ
 その他、宗男が密かに思いを寄せる小学校教師・青山みどり(古田)や、その父の町長(豊泉)、学校長(笹山)に警察署長(山中)など町の人々に加え、満州人の男(奥山)と女(安田)らも絡んで、上へ下への大騒動が繰り広げられます。

 作/堀江安夫、演出/鈴木完一郎、美術/川口夏江、照明/鵜飼守、音響/柳原健二、舞台監督/古舘裕司。
 演出以下舞監までは、訪中公演『臨時病室』のスタッフ陣。

 また堀江×鈴木は『時の筏を漕ぎゆけば…』で骨太な群像劇を放ったコンビです。何かと暗いニュースの多い今日この頃、とにかく思いっきり笑っていただこうと考えております!
 
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訪中譚⑩~北京その4

2007年12月18日 | 中国公演07
 訪中レポートは基本的に、1都市3話。
 こぼれ話があれば別枠で語らせていただいておりますが…。北京には、日本から東演の芝居を観て、観光もしてというツアーに参加された方々との交流もあったので。。。その話をば。
                 
 11/2(金)、本団としては北京5日目。
 『恋でいっぱいの森』の本番日。キャスト・スタッフの劇場入りは午後一で、そこから開幕へのテンションを上げて行こう!という時間帯。

 僕はひとり(まあ正確にはタクシーなので運ちゃんと二人…)空港へ向かい、北京入りした御一行をお出迎え。
JL781の到着は、予定より早まると掲示板は語っていたけれど、結果的には遅れ気味に到着ロビーから出ていらっしゃいました。
 東京、神奈川、千葉は勿論、富山、静岡等、全国各地から結集された10代から70代まで年齢層も幅広い18名。
 それに添乗員さんと、武漢の「中国芸術祭」に劇団代表として列席する予定の弊団の山田珠真子を加えた20名。プラス僕と現地通訳さんで一路北京市内。。。

 まずは天安門。僕はここで劇場に移動。
 ツアーメンバーは市内観光をしてからの劇場入り。
 と、このペースで語ると万里の長城くらいの長さになるの・・・あ、うまい具合に話が出たが『恋森』を観劇いただいた翌日は、

 09:30 ツアーメンバーがホテルを出発
 10:00 劇団宿泊ホテルで合流
    (劇団より選抜メンバー?がツアーバスに移動)
 11:00 万里の長城到着(散策-昼食等)
 15:00 万里の長城出発
 17:00 夕食交流会
    (俳優は若干名参加/他のメンバーは移動の準備)
         
 ってなスケジュールで交流しました。
 僕にとっては初めての万里
 だのに、下から見上げると、悲しいかな、絶景の中でも特にいい位置に「北京五輪」のコマーシャルの看板。
 嗚呼、中国らしいよね、このセンス
 ちなみに、売店でも盛んに五輪公式グッズを販売しているのですが、例えば諏訪温泉に行って長野五輪のグッズを買うだろうか?(…絶対に買わないってことはないだろうが
時期的に長春(10月下旬)と、この万里の長城で“寒さ対策”が必要だなぁと予測していたのですが、いやあ、最高の天気で、暑かったくらいです。

 観光地恒例の「帽子1000円」「バッチ1000円」攻撃。。。最初2個1000円があっと言う間に3個、5個と増えて行くのです。あれも、その瞬間はコマリモノですが、今となっては楽しい思い出です。

 健脚組は、かなり先の方まで行ったとか。
 ※詳しくは「役者のブログ」にて。

 キャスト・スタッフは、この日の夜行(21:00北京西駅発)で武漢へ移動するため、夕食交流会は余り時間が取れませんでしたが、アワビダケ等の豪華な食事を楽しみながら、それぞれの移動地(ツアー組は翌日北京観光後に大連へ…)への無事を願いながらの会食となりました。

 さあ来年12月、ブラジル公演を予定する東演は、決定次第ツアーの準備に入りますヨ。
 ご期待あれ
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訪中譚⑨~北京その3

2007年12月17日 | 中国公演07

 ツアーにも慣れて、時間的余裕ができた上に、その時間を使える“モノ”が沢山あるのも北京でした。
 
 洋服を買ったり、北京ダックを食べたり
 京劇や話劇を楽しむメンバーも、多くいました。

 能登は中国語を解することもあって、話劇(ストレートプレイ)を2本観ました。岸並、古田、原野、古賀が1本。…僕も1本観ました。
 京劇を2本観たのは客演の橘さん(文化座)。
 1本目を音響(臨時病室)の板津くんと、2本目は南保、江上と。

 話劇組は、中国の最高峰「北京人民話劇院」へ。
 王府井を北にズンズン進んだ首都劇場・・・中国話劇の聖地だけに、その前に立っただけで、ある感慨が体を貫きました
 英国のNT(ウォーター・ルーのほとりのナショナル・シアター)、ロシアのモスクワ芸術座(バックヤードまで行けたのは新館だったけど…)に続き、世界に冠たる劇場にまたひとつ足を踏み入れることができました。

 首都劇場・大劇場では、巨匠・林兆華演出の『白鹿原』(ベストセラー小説『白鹿原』の舞台化)。
 10/30に僕と能登が、11/1に古田、原野、古賀が。
 同小劇場では『我不是李白』。11/1に能登、岸並が観劇。
 なんと、入口でいきなり演出家に出くわすという幸運
 おっと、これは10/30の『白鹿原』の話です。
 能登が、日本で林兆華演出作品に関わった縁で旧知ということもあり、ロビー中程までエスコート頂く栄誉にも浴しました

 舞台面から上手下手に溢れ出す豪勢なセット。劇中には本物の羊が大挙出演(?)するなど、仕掛けの多いスペクタクルな展開で観客を引き付けました。

 また客席のお行儀がとても良くて、5年前そして今回と経験したことは何だったのか?と思わないでもありませんでしたが、我々の購入した席が僕らの公演のS席に近い280元で、これが『白鹿原』では3番目のチケット。つまり、かなりのアッパーグレードの方しか観劇できない作品というわけで…。
正直、すっかり中国の物価に慣れた僕は、このチケット購入に結構勇気がいりました
 なんたって、夜みんなでタラフク食って呑んで20~30元でいけちゃうわけですから、その感覚で言えば日本の28000円! まぁ気分としては、気合入れてオペラに行く…って勢いとでも言えましょうか。
                              
 話を戻せば、やはり役者は巧い。
 ただ巧すぎて、伝わってくるエネルギーが…まあ、これは小劇場育ちの僕の感想で、うちのベテラン陣が観れば反応は違ってくるだろう…。

 まだまだ沢山語りたいところだが、長くなるのでこのへんで。
 一言でいえば、とても勉強になったのは確かです

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定着へ~基礎からビルドアップへ

2007年12月16日 | 東演
 週末なので、区民ネタ

      ※下北沢演劇祭・世田谷区民上演グループA
       08.2/2~3『非常怪談』於/北沢タウンホール

 レッズが世界クラブ3位へ向けてスタジアムに入り、そして死闘の始まった時間。我々、世田谷区民上演グループAの稽古は次のステージへ進んだ…。

 これまで演出の磯村純は、役者たちを自由に駆け回らせていた。
 が、いよいよ稽古回数も限られてきて、ついに「なぜそこに走り込むのか」「なぜパスのコースはそこでないとならないか」e.t.c具体的なサジェッションを出し始めた。
 最初から言っても伝わらない。いや頭では解るだろう。
 そうではなく、これまで走って来て、汗を流して、息を切らして、体が覚えたことに意味づけすることで、深く吸収できるのだ!

 地道な基礎工事を終えて、ようやく形として目に見える上モノのビルドアップが始まった。
 ここからは早い!

 「迷宮のかなたに…」と題してから僅か一週間。大きく舵は切られた。
 PKから先制されながら、流れを引き寄せて優位にゲームを進めたレッズのように・・・。
 そう、どうやらレッズは見事3位の栄冠を勝ち得たようだ

 浦和に負けぬよう、我々も頑張らねば
 …チラシもできたし、今日、根来美咲の美術も上がってきた。模型を見ながら、メンバーも自分たちの闘うフィールドを実感したようだ。

 次週からは、その寸法に合わせたバミリを稽古場に施して、さらに“実践モード”へ。

 通夜の一夜。
 亡くなった父の、あるいは訪れる者たちの、秘密や思惑が交差する・・・静かなサスペンスに満ちた、それでいて優しく温かい物語・・・。

 そして、13人の登場人物それぞれが輝く舞台です
 是非、ご観劇くださいませ。

【文中敬称略】
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