敏腕Pの日々のつぶやき

テアトルシアター代表。担当舞台作品について他、演劇やスポーツ等々の雑感を気の向くままに。

ジュンナン

2020年04月28日 | 制作公演関連
【序】
劇団俳優座2020シーズン。
秋に『火の殉難』という作品を予定。
でも、その「ジュンナン」とは別の話。

【破】
メジャーリーガーの田中将大と
ジャイアンツのキャプテン坂本勇人が
ちいさい頃おなじチームにいて、当時は
マー君が捕手、坂本が投手というのは
今や有名な話である

少し地味になり野球ファン以外は
ハテナになるかもしれないけれど、
光星学院高でGハヤトの六個下、
北條史也と田村龍弘も前述に近い関係だ。
小四で出会った北條と田村は、
小六で全国制覇、中三で世界四強に(※)。
田村がピッチャー、北條がキャッチャー。
大阪を離れ、青森の高校に進んだ二人、
甲子園では田村がマスクを被り、主将、
北條がショートストップを守った。

高校卒業年の2012年ドラフト会議。
阪神2位、内野手指名で北條、
ロッテ3位、捕手指名で田村が、
憧れのプロ野球の道に進んでいる。

※全国制覇は単独チーム、
世界四強はリーグ代表。

二つの話はともに、ライバルの多いなか、
幼くして出会った二人がともに精進して
ピラミッドの高き場所に辿り着いた話だ。

【急】
昨日、新劇界を代表する二人の製作者と、
日本の演劇鑑賞運動を牽引する二人、
あわせて四人の強者と肩を並べてトークした、
演出家・磯村純と俳優・南保大樹。
ジュンとナンもまた、演劇の道に踏み込んで
早々に出逢い、切磋琢磨して階段を駆け上がり、
昨夜のYouTube出演に至ったのだった。

前者は青年座、後者は東演と所属は異なるが、
優れた演出家のひしめく青年座の若手時代、
サッカーのレンタル移籍よろしく東演で
作品を創る機会の多かった磯村と、
その東演の若手として注目されていた南保の
邂逅は2000年。世紀と年号をまたいでいる。

その年、『楽園終着駅』(作/近石綏子)で
南保は出演、しかし磯村は越光照文
(現在は桐朋学園芸術短期大学学長)の
演出助手として舞台を支える位置だった。

磯村演出、南保出演が実現するのは三年後、
文化庁創作劇奨励賞入選作品を
劇団協議会主催の人材育成支援事業として
東演が制作した『温室の花』(作/今井一隆)。
同年、南保がプロデューサーに専念し、
磯村にタクトを任せたのは『燕のいる駅』
(東演自主企画公演。作/土田英生)。

そして2008年、演劇の殿堂のひとつ
紀伊国屋ホールで『空ゆく風のこいのぼり』
(作/藤井貴里彦)演出と出演へと昇華する。

その後、南保は劇団で数々の大役を担い、
磯村は所属の青年座に留まらず、文化座、
銅鑼、朋友、イッツフォーリーズ等々、
外部演出でもその才能を発揮。
そんな二人の2020年現在の姿が、
イッツフォーリーズのYouTubeチャンネル
《オールスタッフ・社長企画
トークセッション
「私の大好きな演劇人仲間 2」》で視聴可能。
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『美しきものの伝説』延期のコピペ

2020年04月27日 | 俳優座
劇団俳優座から荒木真有美、
斉藤隆介、天明屋渚が出演予定だった
新劇交流プロジェクト2
『美しきものの伝説』公演が延期となった
・・・ことは既にお知らせしましたが、
(このblogではまだだったかな?)
チーフプロデューサーから発信された
言葉を未掲載だったので遅ればせながら……。
以下、ママ掲載。

[お知らせ]
新劇交流プロジェクト公演として
新劇六劇団による「美しきものの伝説」
(宮本研/作 鵜山仁/演出
俳優座劇場 6/4~16)は、
新型コロナウイルス感染拡大の影響により、
来年度への延期と致しました。
期待してお待ちいただいた皆様には
心からお詫び申し上げます。
芝居は本番の約二ケ月前からの
準備、稽古が必要です。
出演者だけではなく、裏を支えるスタッフの
活動も並行して進めていきます。
ですから稽古場の安全の維持は不可欠となります。
そして何よりも、観客の皆様が不安なく
芝居を楽しめる環境の確保はとても大切な要件です。
昨今の推移を冷静に見つめますと、
ますます無理ができない様相に思えます。
新劇交流プロジェクト制作委員会では
様々な見地から検討し、
誠に残念ですが今回の上演を
やむなく延期することに致しました。
しかし、あわせて来年度の上演を目指し
各方面と調整を進め、なるべく早く具体的な展望を
創りたいと協議しているところです。
具体的になりましたら速やかにお知らせし、
迫力ある舞台創造に向かいたいと念じています。
全国至る所で劇団も、そして鑑賞者も
苦しみながら立ち向かっています。
演劇の灯を、文化の灯を灯し続けるために、
この苦境を乗り越えていきたいと強く思っています。



弊ブログは概ね1000文字を目安としています。
あと300ほどあるので、作品概要をば。

大杉栄、伊藤野枝、平塚らいてう、
堺利彦、荒畑寒村、島村抱月、小山内薫ら、
大正を彩る実在人物をモデルに展開する
虚実混交のドラマは、1968年文学座初演以来、
上演の絶えない名作。

その文学座はじめ、02年に上演している青年座、
民藝、青年劇場、製作面ふくめ中心を担う東演と、
俳優座の新劇6劇団が協力して紡ぐ公演。

仕切り直しての来年度のお披露目にご期待ください。
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涙くんさよなら

2020年04月26日 | 鑑賞
〈序奏〉
『涙くんさよなら』
(作詞・作曲/浜口庫之助)は
坂本九の歌唱で1965年5月15日
シングルリリースされて以来、
数え切れないほどのカバーを生んでいる。

〈提示部〉
中でも、昨日弊ブログでも取り上げた
ドラマシリーズ『天までとどけ』の主題歌
としての印象は大きいだろう。
川越美和 (1・4〜6)、Emu(3)、
安達祐実(7〜8)と受け継がれたが、
圧倒的に川越版が多く採用されている。

川越は1988年、歌手デビュー。
同期に田村英里子、島崎和歌子、中山忍ら。
翌年にはドラマ『時間ですよ・平成元年』の
7代目マドンナに抜擢され、以後も
『スクールウォーズ2 』『HOTEL2』
(3作品ともTBS)などに出演している。
一時、初瀬かおるの芸名で活動し、
天海祐希の映画主演第一作となった
日米合作の『クリスマス黙示録』では
誘拐される日本人令嬢・香織役も……。
順序が逆になるが『時間ですよ~』の
挿入歌『夢だけ見てる』でレコ大の
新人賞を獲得している。
(作詞:小椋佳、作曲:玉置浩二)

〈展開部〉
『涙くんさよなら』をテーマ曲とした
大家族ドラマの母親役が急逝した23日は、
劇団俳優座を、千田是也、東野英治郎らと
創立した小沢栄太郎の没月日でもある。

1953年のヴェネツィア国際映画祭で
銀獅子賞に輝いた『雨月物語』や
山崎豊子の不朽の名作『白い巨塔』などが
代表作の小沢も、『雨月~』の頃は
小沢栄を使うなど芸名をよく変えていた。
享年79歳。

そして、川越は35歳の若さで旅立っている。
しかも報道されたのは、その死から9年後。
2007年に芸能界を引退していたこともあり、
翌年の死去はマスコミから発表されなかった。
また、2017年5月30日発売の週刊誌は、
推定死亡日として4月22日を報じている。
……23日の可能性も?

〈再現部〉
『涙くんさよなら』をリリースした
アーティストの一部・・・
ジャニーズ、ジミー・オズモンド、
天地真理、三田寛子、ダ・カーポ、
トワ・エ・モア、ビリー・バンバン、
はいだしょうこ、五木ひろし、
涼風真世・・・ほか多数。

〈終奏〉
前例のない新型コロナウイルス禍。
他の病や事故で亡くなる命も勿論あって。
「命」について改めて深く考えられる時期。
小さな我慢で、涙とさよならできれば…。

川越の『夢だけ見てる』の一節
♪夢だけ見ても 仕方ないけど
 楽しくなれたら 優しくなるから
 誰かのために 夢見てる


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愚弟と四大人

2020年04月25日 | 身辺雑記
昨日、4月24日は愚弟・宏の誕生日。
「愚弟」はあくまで謙遜としての表記で、
実際は駄目な長男にかわり
家の諸々に献身する、偉い49才である。

宏は無名だけれど、同じく4月24日生まれの
賀茂真淵(かものまぶち)は有名だ。
教科書に出てくる学者で、とにもかくにも
「名前がへんてこ」ってことで覚えている。

少し補足すると・・・
江戸時代中期の国学者、歌人。
荷田春満、本居宣長、平田篤胤とともに
「国学の四大人」の一人。

ついでに言えば。
四大人と並び称しても、断然本居が知られ、
荷田がやや後塵を拝すイメージ(私だけ?)。
ちなみに荷田春満は「かだのあずままろ」、
他は「もとおりのりなが」「ひらたあつたね」。
念のため。
それにしても難読多し。

あ、難読と言えば
wikiでは四大人を「しうし」と読ませている。
アラフィフ世代にはそんな記憶がない。
普通に「したいじん」と習った気がする…。

いいくに(1192)つくろう鎌倉幕府と
昔は覚えたが、昨今は幕府成立年に
1185年を採用しているのと同様、
変化しているのだろうか?
wikiはじめ複数のサイトで散見された。

さておき、歳嵩順では・・・
荷田、賀茂、本居、平田となり
辛うじて荷田から本居は同時代に生きた。
とはいえ、荷田没年に本居は6歳。
一番若い平田誕生の1776年、
荷田と賀茂はすでに鬼籍に入り、
本居とは46歳もの年の差があった。
ゆえに平田が本居の名や著作を知ったのは
没後二年後で、入門は長男の本居春庭に。

また平田姓は江戸在住の備中松山藩士
平田篤穏の養子になってからで、
もとは大和田姓。



日本の女優、タレント、司会者
岡江久美子さんが母親役を務め、
1991~99年の間、8シリーズにわたり
放映された大家族のドラマ
『天までとどけ』のほとんど(2以外)の
主題歌『涙くんさよなら』その一節

♪この世は悲しいことだらけ
 君なしではとても
 生きて行けそうもない
 だけど僕は恋をした
 すばらしい恋なんだ
 だからしばらくは君と
 逢わずに暮らせるだろう
 涙くんさよなら さよなら涙くん
 また逢う日まで

を思い返した人が多いことだろう。
慎んで大和田久美子さんの
ご冥福をお祈りいたします。
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トリカブトの渚

2020年04月24日 | 俳優座
外出自粛の折、いろいろしている中、
テレビも見る機会が増えた。

少し前の話になるが、スタローン主演の
映画『バレット』が流れていた。
殺し屋のスタローンが、東洋人の刑事と
タッグを組んで街に巣喰う巨悪を倒す、
いわゆるB級アクション。
前の番組からの成りでたまたま見た。
その刑事の声に聞き覚えを感じて、
ググってみたら、やはり我が座の内田夕夜。
韓国系アメリカ人俳優のサン・カンの声。

22日には天明屋渚。
番組は忘れたが見ていたテレ朝がCMに。
6、7、8、9とザッピングするなか
一瞬映った面差しに「あれ?」と感じるより早く、
指が昇順から降順に切り替えてフジに戻す。
「世界の何だコレ!?ミステリー」という
バラエティーのコーナーVTRに出演していた。



番組構成上、謎解きのかたちをとっていて、
不可解な死を遂げた女性を再現ドラマで見せる。
その主人公を天明屋が演じた。
画面右上には「日本中を震撼させる大事件に」と
煽りながら、トリカブト保険金殺人事件を描いた。

すっかり忘れていたけれど、ありましたね。
1986年に
トリカブトとフグ、相反する毒で作用時間をずらし、
アリバイを作るという計画殺人でした。



あの頃は、日常会話にトリカブトが使われたほど。
92年には、早見優主演のドラマにもなり、
早見演じるフリーライター・赤嶺マリーが追うのは、
神谷力ならぬ神木涼子。
ドラマでは妻が夫を殺すストーリーに。
演じたのは元ピンクレディーの増田恵子。

ミーとケイでいえば「ケイちゃん派」で、
花の82年組の中では「早見さん推し」の
私には最高のツートップ
・・・絶対見ていたはずだが、記憶にはない。
再放送しないかしら。

さて、この類の凶悪犯罪において思うのは、
その労力を別に使えば・・・である。

神谷は、トリカブト69株を福島県から取り寄せ、
捨てる種のクサフグを「大学の研究で使う」と
1000匹以上入手し、自宅アパートで
毒薬を生成したそうだが、大学仕様の機材と
マウス実験まで試みている。


【文中敬称略】

話を戻しつつ、まとめ。
劇団俳優座の演劇活動は自粛。
映放も撮影等できない状態ですが、
放送中のCMや前述のVTR等で
お会いできることもあるかと……。
秋以降を目処に舞台の準備も
テレワークで可能な範囲で進めています。
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巣籠折返の写真館

2020年04月23日 | 身辺雑記


「宣言」発令から二週間をすぎて、
5月6日までの前半戦を終えたとメディア。
概ね宣言は継続…またはより強い要請か、
という空気に満ちている。



17日にアップした隣家の解体から二日後。
が、上の写真。さらに数日経った昨日。
下の写メ(別角度)のように、もう跡形もない。



マスクが届き始めた。我が家はまだだが、
不要な人は必要な所へ……という動きが
トレンドになりそうだ。



マスクのかわり、という訳でもないが、
知人からホットプレートが宅配された。
断捨離を含む様々な整理の時間に
巣籠生活を充てる人も多い。





てなわけでホットサンドを食す。
せっかくだから青空の下、緑の中で…
と行きたいところだが、
公園の多くも閉鎖されている。





我が家からわりと近い豊島区のオアシスも
上記のようにクローズ。
幾組かのカップルが残念そうに踵を返していた。
中には、ここで過ごす気満々で、
テイクアウトしたフード&ドリンクを
休業中のカフェの階段で広げる若者も……。

そういう我々も結果、街をぶらぶらした結果、
寺に辿りついたのだった。冒頭がその境内。

日本中がさまよう2020年卯月。
何にかは判らないが疼きの日々だ。
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莞爾、喜んでにっこり笑う。

2020年04月22日 | 制作公演関連
石原莞爾。
1889年生、1949年没。
「帝国陸軍の異端児」との異名を持つ
日本の陸軍軍人。関東軍作戦参謀として、
柳条湖事件、満州事変を実質指揮したとされる。

と、確かに日本史で習った
なので、イメージは「悪い人」だ。

俳優座は今年度のラインナップのひとつに、
二・二六事件を扱う予定である。
石原はその時、反乱軍の鎮圧に当たった。

軍中枢部の将校のほとんどが反乱軍により
登庁を阻止された中、統制派、皇道派の
どちらにも属さない自称「満州派」の石原を
反乱軍が敵か味方か判断できず、
本部に入れたことが鎮圧の起因となった。

この件でいえばクーデターを止めた「良い人」。

・・・作家や演出、役者には及ばないまでも
制作も作品に関連する周辺を学ぶ。
当然だが、今日はそれとは少し別の話。

巣籠生活で読んでいた小説のなかに、
【莞爾と笑う】という一文があって、
「莞爾」には「にっこり」とルビが振られていた。
ムムムとググッてみたら、blogタイトルの
〈莞爾とは、喜んでにっこり笑う様子〉や
〈形容動詞。にっこりとほほえむさま〉と。

恥ずかしながら、そんな意味があるとは
知らずに今日まで生きてきた。

軍服を着た石原莞爾の印象は
幼ごころに「怖い人」と刻み込まれている。
まさか真逆の意味が、としばし茫然。

我を取り戻してまず思ったのは、
山形県鶴岡市で産声をあげた我が子に
両親はどんな思いで命名したのか、と。
そして次に「軍事の偉才」と謂われた彼も
得意の「毒舌」を四六時中吐いていた
・・・わけではなく笑うこともあった筈で
実際に茶目っ気の逸話も残っている。

俳優座公演『血のように真っ赤な夕陽』
(2019年上演)は満州が舞台だった。
が、満蒙開拓団を主に描いたので
石原は劇中に登場していない。
勿論、彼は満州において影響力大であり、
少し詳しく言えば、ある時期からは力を失い、
最終的に挫折して終わっている。

という話も枝葉。



名前と実際の人物のギャップ、
同じ人物の善悪や喜怒哀楽などなど
多面性を当たり前と知っているはずなのに、
つい、小さな自分の眼鏡の内に納めたがる性
(なのか業なのか、はたまたもっと科学的なこと)
を、巣籠生活で再確認する毎日……は嘘だな……
再確認を珠にしたりする、と綴る4月下旬。

そう、昨日は母の誕生日。喜寿を迎えたのだった。

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本屋さんにて

2020年04月21日 | 身辺雑記
書店は開いている。
僕が訪れた日は、いつもより人が多かった。
「いつも」と書いたが、さほど頻繁に覗く方ではない。
そんな僕も含め、巣籠対策で本を求める人は
当然少なくはないわけだ。
百貨店、映画館などなど閉じた場所も沢山あって、
水が低きに流れるように、書店に向かう。
・・・これを機に、本屋さんとの関係を復活させたい。
あ、まずは僕自身がね。

自動ドアから入ってすぐの平積みはまず目につく。

その書籍を手にパラパラと頁を繰ってみたら
驚くほど平易なのに驚いた。

『大学1年生の君が、はじめてレポートを書くまで』
(川崎昌平:著、ミネルヴァ書房:刊)

昔むかし、大学に進むのがマレだった時代、
学帽に下駄の出で立ちで、国家世界を語った、
それが大学生……と懐かしんでも詮ないことで、
かくいう僕も晃弥や竹内のノートのコピーで
卒業したようなもので偉そうなことは言えない。
それに。
解りやすい「テクスト」で学問することに異論はない。

ひょいと目線を移すと、ペストペストペスト。
『異邦人』や『変身』で有名なアルベール・カミュの
『ペスト』がドドンと並んでいた。

1947年に書かれた不条理小説が、
コロナ禍に大層売れているらしい。
俳優座は、このような時勢を知らずに、
そのカミュの戯曲『正義の人々』を
来年1月にラインナップしているのだが、
売れ筋の『ペスト』に差し替えようかと
一瞬頭でソロバンを弾いた

さて。
その頃にCOVID-19は落ち着いているかしら。
一人ひとりの自粛の積み重ねは奏功するのか。

それはそうと。
SARS、MERSときて、新型コロナ
という並びはモゾモゾする。
秋田犬、ブルドッグ、マメちゃん的な。
犬種並びに何故個体の名前が……
という違和感である。アルファベット括りで
COVID-19を置けそうだけれど、
そのカテゴリーでいえば、
SARS-CoV、MERS-CoV、SARS-CoV2になる。

重症急性呼吸器症候群(SARS)、
中東呼吸器症候群(MERS)のような名称が
「新型」くんには何時か授けられるのか?

エスカレーターを上りながらぼんやり思う。
店内にはコロナ対策のアナウンスが流れている。
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クラウドファンディング最終報告を兼ねて

2020年04月20日 | 俳優座
何度か、このblogでも書いてきた
クラウドファンディングが4月15日に終わり、
89人のサポーターの皆様から
409,500円の支援を受けることができました。

改めて御礼申し上げます
また目標額を大幅に上回ったことも
重ねてご報告申し上げます。

台本等すでに用意できている製品は
翌16日からリターンを始めておりますが、
本番を撮影したDVDの編集が鋭意制作中
映像を含むコースを希望された方は
今しばらくお待ちくださいませ。

以上、今日はこれで書くことは終了です。



さて、以下は駄文。
個人的には初体験だった「クラファン」。
昭和世代の私には「無尽講」が連想された。
無尽(むじん)や頼母子(たのもし)、
あるいは頼母子講とも呼ばれる金融形態は
総じて「講」と呼ばれている。

鎌倉時代の『貞永式目追加法』にも記される
庶民の相互扶助のことで、江戸時代には大衆化。
明治以降は、営業を目的とした無尽業者もでき、
信金や相互銀行に至る(…かなり説明を省いています)
のだが、ここで言うのは、これら大規模な講ではなく、
近所や職場の仲間内で行う小規模なものだ。

親父がおかんに「今日は講だから」と家を出る日は
泊まりを意味していた。
月々一定額を納める会合は、集まって呑む方に重心?
と今になれば思わないでもないのだが、
子供の頃は「父が何か悪事に手を染めている」と
結構真剣に心配していた。

実際、江戸時代には無尽を賭博化した
「取退無尽(とりのきむじん)」が
陰富とともに禁制となるなど
際どさを内包したシステムを幼心に見抜いたか?

以上、相違点のほうが多いことは知った上で
「講」の話を少々……。

さてさて。
文中に登場した信用金庫。
統一キャッチフレーズは「Face to Face」。
94年から随分長く続いている。
演劇もまさにFace to Faceの芸術……。

時節に敏感な企業が、企画から稽古、公演まで
全てをオンライン上のZoomで行うと
発表したところがあるかと思えば、
ある行政は、映像配信に対して、
その出演料及びスタッフ費を補助する準備に
入っていたりもする。

言葉では言い尽くせない窮状だから、
嬉しくもあるのだけれど・・・
「演劇のFace to Face」の
一日も早い「復活」をただただ願うばかり。
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記憶のイトマキ

2020年04月19日 | 身辺雑記
珈琲を淹れる。・・・と言っても、
豆を挽くとか、フィルターは布製、
なんて凝った淹れ方ではない。

スーパーで買える大袋の中挽豆を
無着色の紙フィルターで。
それでも。
フィルターの豆は平らに均して、
まず豆を蒸らすためにお湯をひと回し。
それから、ある高さからできるだけ細く、
同一方向に湯を回す、程度の作法は行う。

昔いた劇団の、制作部の部屋が何故だか
ショーケンのドラマみたいに屋上にあり、
そのマンションの一階にあったカフェの
マリちゃんに教わった……淹れ方
なので珈琲を落とす時はマリちゃんを思い出す。

これは一例。
そして、人にはモノやコトから繋がり出てくる、
糸を巻きとるような記憶が其々にあるだろう。

公園でキャッチボールをする父子がいる。
僕も父とした経験はあるけれど、むしろ。
母の弟。
だから僕からすれば叔父さんにあたる
「ミッキ兄ちゃん」とのキャッチボールが浮かぶ。
小三の僕に対して、少しずつ距離を伸ばし、
球速も徐々に上げていった兄ちゃんが
「次のは、もっと速いぞ」と投じた一球・・・
バッティングは苦手ながら守備には自信があり、
その瞬間も「いけた」と思ってグラブを出した。

パコーンと軟球はおでこに直撃
何故だか、この画が今でも良く浮かぶ。

塩の効いたおにぎりから引き出されるのは、
小料理屋のカウンターの隅っこの椅子。
弟が生まれ、幼稚園のない日曜日、
土建屋だった父は現場があって、僕を同行した。
仕事中は車の中で絵本を読んだり、
公園での一人遊びで時間を潰したのだろう。
夕食。
ファミレスなんて便利な店はなく、
父の普段使いで一番健全な(?)飲食店が
きっとその小料理屋だったのだろう。
刺身も煮物も焼物も……五歳児には
ずいぶんと大人な食べ物で、かつ当時の僕は
好き嫌いがとてつもなく激しかったりもした。

川崎区のどこか、鋼管通あるいは渡田か。
店の名前も、女将さんの顔も覚えていない。
ただ、塩の効いたおにぎりだけが鮮明

珈琲のくだりのドラマは、1974~73年、
日本テレビ系で放送の『傷だらけの天使』のこと。
我々世代には、本編はもちろんタイトルバックも
強く印象的な萩原健一と水谷豊コンビが
住んでいた「エンジェルビル」の屋上。

調べると、昨年ビルが解体されたらしい。
奇しくもショーケンの逝った同じ年に・・・。
我が父も今はなく。

そうそう。
最近多くの人が口にする「人は二度死ぬ」。
永六輔の言葉や松田優作の金言と言われるが、
意味は「一度目は肉体が滅びた時、
二度目は皆から忘れられた時」というもの。
記憶の糸巻は、それと少しく繋がっているかしら。
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