麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

叔父さんが逝った~告別の章

2014年03月18日 | 身辺雑記
昨日告別式日に参列。
以下は事実に基づいたフィクションの
16日のブログの続きです。

※※※

僕の母のおばあちゃんの妹。
その一番下の娘と結婚したのが
「野川の叔父さん」だ。

つまりは父とは血縁のない男と
何故だか馬があって、
母の従姉妹と離婚したあとも、
いや寧ろそれ以後の方が
関係が深まったような気もする。

囲碁という共通の趣味があったこと、
(それ以後と掛けた洒落みたいだが
ある時期土木建設と精密機器開発、
分野こそ違え会社の経営もしていて、
また時をたがえて、どちらも潰した点など
共通点が多かった二人であった。

一方、着るものに頓着のない父に対し、
髭をたくわえソフト帽にダブルのスーツ、
「野川の叔父さん」はお洒落だった。

父は会社を興しすのが遅かった。
僕の小さい頃、叔父さんは既に順風満帆で
外食の時など気前よく御馳走してくれた。
生まれて初めてクレジットカードってものを
目にしたのは叔父さんのだ。

一昨日書いたように、数年前全てを失い、
生まれ育った山梨県に移り住んでからも、
我が家にちょいちょい遊びに来た。
立場がかわって父が支払いするのを
「お義兄さんごちそうさま」と
てらいなく言うのが逆にかっこ良かった。

そんな伊達男の胃に癌が見つかった。
昨年の夏のこと。

たまさか研究中の症例に合致したと
「試薬」の検体になったので
治療費が掛からないどころか
協力費を手に入れるという「幸運」。
思えば経営者時代もピンチのたび、
叔父は「目に見えない力」を得て
乗り越えてきていた。

一週間入院したら二週間は自宅暮らし。
大月の家と横浜の病院の往復も秋になり、
癌との闘いでも強運ぶりを発揮する。

その送迎を川崎在住の父が引き受けていた。
持病の痛風が痛くなったと、
掛かりつけの病院に行った父は、
あべこべに叔父の見舞いを受けて、笑った。
「背中まで痛い」と調べたら、末期癌で、
その一ヶ月後帰らぬ人になった。

「順番が違う」と僕たち家族以上に
葬儀で号泣した「野川の叔父さん」。
牧野恵由紀、享年74歳。

最後に会ったのは一月。父の四十九日。
ネージュキャップを丸坊主に被って来た。
出物のマンションがあるから買わないかと
法要後の会食の席で僕を誘う、
最後まで山っけの抜けない男だった。

金のかからない友人葬で、が遺言。
そういうところはしっかりしていた。
その胸に置かれた真っ白なスーツも
ソフト帽も靴も全てイタリア製の仕立て。

今頃はもう父と碁盤を囲んでいるかしら。
安らかに。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 叔父さんが逝った~通夜の章 | トップ | 何時来るかわからない。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿