麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

桜の集い

2008年03月30日 | 東演

 昨日は、東演の“春のお楽しみ桜の集いが賑々しく開催されました。
 相手が「自然」ということもあり、とても寒かったり、桜が終わりの頃だったりもしますが今年は“ど真ん中のストライク”に当たりました。

  

 北沢川遊歩道は、てなわけで多くの花見客で一杯でした。

 花見だけに途中の出入りもありましたが、我々の宴は30名を超す盛況。
 少々肌寒くなったところで腰を上げ、散策をしつつ場所をパラータに移して、あったか~いおでんなどで更に盛り上がりました。
    
 終わったばかりの『紅い荒野』の話・・・はたまた訪中公演観劇ツアーに参加したメンバーの思い出話に、東演との出会いなどなど・・・、いろんな話が咲き乱れましたが、中でも驚きだったのは、3/11付の弊ブログで少し触れた。。。新宿駅で僕が、東演後援会「ぱら~たの会」会員さんに偶然会って、てっきり“卒業する娘と、それを祝う父と母”と思われた3人をパチリと撮ってあげた。。。何気ない話が、なんと“還暦を迎える男性と、その妻になる33歳年下の女性と、その母親”だったという衝撃発言であった

いやはや事実は小説より奇なり。
 おめでたい話だから良いのだけれど・・・。

そんなこんなで桜の集いは、                               今年も大いに盛り上がったのであった。

*写真は、いずれも「ぱら~た会員」福田勲氏

 

 

 

 

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東演のお店~ちっチャ(イ)ナおはなし/九

2008年03月28日 | 中国公演07
 上海に「東泉酒家」というレストランがあります
2002年の訪中公演in上海の会場「上海話劇芸術センター」とホテルの間にあった、小さなお店。
 稽古や本番を終えて帰る途中に寄っているうち、その味と、店員達の人なつっこさにも惹かれて、やがて昼食も含めてツアーメンバーの食事はほとんど「東泉酒家」になった。
 バラシを終えて、深夜になった日の帰り道
 当然店は閉まっていたが、我々を見つけたオーナーが「いいから入れ!」と店を開け、我々を促すや、奧の従業員控室でテーブルを枕に寝ている従業員を叩き起こすと、ニコニコしながら「特別に蛇を仕入れたから食え!」と勧めるなんてこともあった。
 まあ、そんなこんなで前回の中国3都市巡演の数々の思い出の中でも、上位にランキングされる印象を残し、「うちの店」と言ってハバカラない劇団員もいるほどダ。
 その筆頭格の制作・横川は、今回の訪中の下見の際にも「東泉酒家」を訪れていた。店から離れた劇場だったにも関わらず足を運び、なんと帰りにはオーナーの車でホテルまで送ってもらうVIPぶりであったらしい
 帰国後には、冗談で「5年前に我々が落としたお金で店の改装と新車購入もできた」と語る始末。

 前述したように上海話劇芸術センターが近く、その隣には映画館もあるなど元々立地条件は良く、料理も美味しいから当然地元でも人気は高く、それに加えて上海バブルの波が押し上げたのが、言うまでもないが“メチャ右肩上がり”の要因。
数行前に書いた「従業員控室」は今では個室。それでも足りずにさらに店自体が大幅な拡張&改装で、聞けば支店も出したのだと言う。
 そりゃ、オーナーも“ぴかぴかのワンボックスカー”を所有できるわナ。
思えば、今回の1ヶ月に及ぶ旅の中でも、美味しいものを随分と食べました・・・長春のホテルのすぐ裏の餃子屋や北京の劇場近くの麺店など庶民的なところから、各地懇親会での少々ハイソなレストランまで・・・でも、やっぱ前者の方がお口に合ったかしら、僕には。
  
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中国で日本の芝居を観る~ちっチャ(イ)ナおはなし/八

2008年03月27日 | 中国公演07
【文中敬称略】

 中国では、まず長春で漫才のステージを見た。
 照明にムービングが使われ、大音量のサウンドが劇場を揺する、さながらショーアップされた格闘技のような派手な演出にまずド肝を抜かれたが、何より客席がいっぱいなのには驚いた。
 日本も“お笑いブーム”だけれど、長春のそれは一時的でなく完全に生活の一部になっているなぁという印象を受けた。
 通訳さんに後から聞いたが、長春は言葉が綺麗でスピード感もあり「笑い」のメッカなのだという。そういう意味でいえば、僕らはまさに「なんば花月」に入ったようなものだったのダ。

 それから北京では話劇を。(弊ブログ「訪中譚⑨北京その3」07/12/17に詳細)
 そして上海では、我々同様、中国公演にやって来た日本のカンパニーの公演を観る機会を得た。

 文化座の橘さん、弊団の星野と僕の3人で『恋森』の仕込みを終えた「蘭心大劇院」から徒歩で向かったのは「上海芸海劇院」。
 ダウンタウンを抜け、やがて伊勢丹などがある目抜き通りに至り、一気に街の灯が弱まる新興のオフィス街の一角の、新しい劇場へ。
 約30分ほどのお散歩になった

 観たのは東京ギンガ堂『孫文と梅屋庄吉』(脚本・演出/品川能正)
 中国人俳優2人を配し、中国革命に賭けた孫文と、彼との盟約に生きた日本映画界の風雲児で日活の創始者でもある梅屋庄吉との30年に渡る交流を描いた舞台。
 東京を皮切りに日本国内7都市を巡ったあと、北京へ。この上海で公演の後、南京へ移動するツアー。

 実は、通訳の朱海慶からチケットを貰い、チラシ等の情報を得ずに椅子に座ったので、「ルイルイ♪」の太川陽介が梅屋庄吉役で登場したのに続き、その妻として、劇団昴の米倉紀之子が和服姿で登場したのには驚いた!

 僕の好きな女優さんの一人であり、少々懇意にしてもいただいている。ので、1~2幕の休憩の間に慌てて花を買いに走るも、時既に遅く、店は閉まっており…仕方なく、日本のビールを買って差し入れした(笑

 まあ、そんなミーハーな行為はともかく。
 星野も橘氏も、口を揃えて言ったのは「母国語の公演を異国で観て、その客席の反応がすごく勉強になった!」と。
 なるほどである
 我々制作者は、例えば訪中公演でいえば、中国人のお客様とともに客席にいて「ああ、こんなタイミングで受けるのか」「へえ、こういうシーンで笑うのか」と実感でき、それを出来るだけ役者に伝えるようにはしているが、それは間接的なもので、この日のように直接肌で感じることが自分たちの芝居に大いに参考になったというのである。

 それから観劇後・・・孫文役の演技について「日本人があえてたどたどしく話しているんだ」「いや、あのカタコト感は中国人特有ダ」さらには「太極拳もすごかった!」「あれくらいは頑張れば出来る。それよりあの膨大な日本語を覚えるのは無理」と評価が二分した。
 結果は冒頭書いたように、中国人俳優の一人、張春祥だった。

 日本に帰って解ったのだが、彼は北京の京劇院に13年間所属したのち、フィールドを日本に移している俳優であった。在日京劇団「新潮劇院」を主宰し、京劇の普及に務める傍ら、中島みゆき『夜会』、新国立劇場『セツアンの善人』、野田マップ『パンドラの鐘』などで活躍していたのダ。
 なので、どちらも当たりとも言えますわナ


 

  
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訪中譚⑯~上海その3

2008年03月26日 | 中国公演07
 さて。すっかり御無沙汰の、訪中公演の話です。
 いよいよ最終公演地・上海に来ていて…(※文末に解説あり)

◎預園(撮影/笹山栄一) 

 まず、劇場に入って一番驚いたのは『臨時病室』で使う、鉄製のベッドのひとつが下手の袖に、真っ二つになって虚しく置いてあったのを見た時である。
ベッド中央の腰が乗るあたりからポッキリと

 今回、トラックへの荷積みと荷降ろしを現地スタッフに完全委託。
 その分、スタッフ及び若手の役者達の負担は軽減されたが。。。それはそれ、お国柄というか、芝居に対する思いと言おうか。。。とにかく「物扱い」(まぁ、実際「物」には違いないのだが…)で乱暴に扱うので、実は他の公演地でも、まず劇場に着くと修繕から入っていたのは事実。
 でもそれは、キャスターのコマ(台が動くような小さなタイヤ部分)が取れたのを直すとか・・・まあ、これもよほどのことがなければ壊れないと思うが・・・
 で。さすがにベッド真っ二つはお手上げなわけである

 けれども“お芝居の神様”は、ちゃんといて
 中国の美術家さんが溶接面を被り、自らバーナーでベッドを「手術」しててくれました
 今回『恋でいっぱいの森』の、妖精達のアジトであったり、知事の屋敷になったりする鉄製のヤグラを上海で作製してくれた彼が、劇場に駆け付けて来てくれていたおかげダ。

 そんなアクシデントを乗り越えて、いよいよ最終公演地・上海は「蘭心大劇院」の幕は開きます。
 赤い制服の女性と黒い制服の男性が開場が近づくと準備に入る頃、僕たちの舞台を楽しみに待つ観客とダフ屋が劇場前で錯綜するのが、ロビーのガラス越しに見えました。

 ところが、黒服くんは・・・クラブ『香蘭』のお仕事がメインのようで。
7時30分の開演後に訪れる男性を次々と2階へ案内するではないか…。2/27付ブログにも書いたように、ホテルオークラに近いため、日本人ビジネスマンをターゲットにした「日式クラブ」が劇場の2階に2軒もあった(もう一軒の名前は失念)。

 音響さんや照明さんのオペレートルームも、壁を隔てた同じ階にあったから、カラオケが盛り上がると役者の声が聞こえなくて大変だった、と、後から聞いた。

 ⑰に続く。

 ※初めて、このブログに迷い込んだ方へ・・・
  劇団東演が2007年10~11月の30日にわたって巡演した
  訪中リポートです。
  帰国後の11/19から、遅々として進まぬ(?)駄文を
  シリーズでお届けしています。

◎預園は上海の有名な観光地(?)。
 その壁の一部の装飾です。 
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ザ・ズー・ストーリー

2008年03月24日 | 鑑賞
 小鳥が鳴き、子供達の声が響き渡り、管楽器が遠くに、アコギが近くに聞こえる公園の片隅で上演されたのが。。。劇団ジコマンゾク『ザ・ズー・ストーリー』(訳/鳴海四郎、演出/中野宏文、3/21~23)だ。
        

 かの名作・オールビーの『動物園物語』を、杉並区は東高円寺のランドマーク(?)とも言える蚕糸の森公園にて。
 第5回杉並演劇祭参加公演でもあり、第1回から区役所ロビーでの公演を目玉の一つとしている同演劇祭の中で、また新たな動きとしても評価したい試みであった。

 僕は日曜に拝見したが、正門から入ってすぐの広場。。。よくフリーマーケットも行われる。。。「遊びの広場」と呼ばれる場所のベンチを二つ使い、頭とケツに音楽が掛かる以外は、勿論照明なんてないのだが(ちなみに3日間とも2時開演の3ステージ)、それでも十二分に“演劇”の醍醐味を感じられる“舞台”であった。
 
 ベンチの向こうには木々が立ち、それが野外劇場のプロセミアムのように上から覆い被さっていて、その隙間から奧の広場の滝が見えて・・・で、冒頭書いたようなナチュラルな「効果音」が舞台を盛り上げる(?)。観客の背後には青梅通りがあって、その交通量でたまに台詞が掻き消されるのが残念だったが、ジェリー役の北川聡(劇団ジコマンゾク主宰)がとにかく魅せる
 受け芝居のピーター役・小川賢勝(演劇集団BAD3*代表)とのコンビネーションも良く、一気に作品の世界に引きずり込んでくれた。
                           *3は、本当は3乗

 さて、ご存知の方はご存知だが『動物園物語』は1958年、今から50年も前に書かれた作品。それなのに、まったく古さを感じさせない。
 ラスト。孤独なジェリーは、ピーターを挑発して自ら用意したナイフを持たせ、その切っ先に体を預けるのだが・・・僕がジコマンゾクの『ザ・ズー・ストーリー』を観た日、茨城では痛ましい無差別殺傷事件が起きた。
 犯人は、刃を何の罪もない多くの人間に向けた。
 
 「何かがおかしくなっている」
 これこそ古い言葉で、常に言われ続けているのだろうけれど、ヘコタレないで言い続けなくては。
 何より僕たち劇団は「演劇」という有効な道具を持っているのだから・・・
 「何が、間違っているのか」を告発していかなければと、小さな子供達が。。。恐らく意味の半分も解らない芝居を、普段自分たちが絵本を読んだり、高鬼でオニから逃げるのに使っているベンチで展開されているのを。。。つぶらな瞳で熱心に見つめているのをみて、思った。

 改めて「演劇」の力に確信を得た。
 そんな午後の昼下がりだった。

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はい、奥田製作所

2008年03月22日 | 鑑賞

 劇団銅鑼35周年記念公演第2弾『はい、奥田製作所』 
(作/小関直人、演出/山田昭一 於:俳優座劇場 3/19~3/23)

 蒲田の町工場を舞台にした“劇団力”を大いに感じさせる一本
 キャスト20名! まさに劇団一丸の作品ダ

 ガンコ一徹、職人としても腕の立つ社長(鈴木瑞穂)が倒れ、大手企業を辞めた息子(横手ひさお)が後任として辣腕を震う! が、社長の人柄を慕って働いてきた従業員たちとの溝は広がるばかり。

 リーフレットのスペシャルサンクスに、ずらりと「製作所」や「精機」が並ぶことからも解るが、綿密な取材の元に丁寧に描かれたホンである。

 言うまでもなく架空の「奥田製作所」と、それに寄り添う近隣の町工場で働く、個性豊かで優しい面々の躍動や苦悶は、どこか「劇団銅鑼」とも重なる。

  それを納得させる一言がリーフレットにはあって。。。
 『町工場を生きるということは、ほとんど理不尽を生きるというのに等しい』
 。。。本作の参考にもなった数々の著作を書いた小関智弘は、旋盤工として50年働いた経験を持つ作家で、彼がリーフレットに寄せたのが前述の言葉。

  まさに町工場を劇団と置き換えることが可能ダ。

  少々自虐的になるが、同じ文章に『高校卒で就職してまだ間のない娘のボーナスを聞いて、経験四十年の旋盤工が自分のボーナスの額を娘に言えなかったときのみじめさ』という一文がある。
 劇団にはボーナスという制度自体なかったりする
 (全てではないが、決して少なくもない…)
 まあ、その分たま~に海外公演に行けたりするが…

 暗い話はこれくらいにして。話を戻せば・・・やはり同じ「ものづくり」という共通項が浮かび上がってくる。
『一人だけでは、決して何もつくれない。(中略)ものづくりは“もの”ではなく“人の心づくり”であること(後略)』。。。これは、小関直人の挨拶文だが、それをビンビン感じることが出来る、笑いと涙に包まれた芝居である。

 最後に一言。アンサンブルの効いた役者陣は皆好演だが、中でも、ガンコ社長と長~い付き合いの、奥田製作所に材料を納める会社社長で、肝っ玉おっかあ風の石川弓枝を演じた菊地佐玖子が絶品

 【文中敬称略】

        劇団東演俳優工房修了公演
                本日仲日(昼夜2ステージ)

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キッズとレッズと連休と

2008年03月21日 | 身辺雑記
             劇団東演俳優工房修了公演
                    いよいよ本日初日
劇団近くの遊歩道のせせらぎ
19日20日と連休をいただきました。

 で、水曜は、某小劇場系劇団の主宰の家に遊びに行き、助成金のあり方や劇団の行く末について語り合った…が、メインは長女さくら(一歳)の遊び相手だった。
 5月にはお姉ちゃんになるさくら
 無垢な無限の元気で体当たりを繰り返してくる子供から沢山パワーを貰い、中目黒の稽古場に移動。

 去る12月にニューヨークライヴを敢行し喝采を浴びて凱旋した「ラヴィニア」が4月に公演するというので覗きに行った。
 基本的に台詞はなく、歌とダンスとマイムで展開するユニット「ラヴィニア」は上演を重ねるごとに参加アーティストの質が高まっているが、今回もコアメンバー3人(橋本千佳子、宮内彩地、辻奈緒子)に加え、フォーリーズの若きエース小野文子やダンススタジオ「たんとたんつ」主宰・柳下久美子などを招いて、史上最強の布陣を揃えている。
 東演にも客演いただき中国公演でもご一緒した文化座の橘憲一郎も初顔組の一人。本番は4月4日(金)~6日(日)。ザムザ阿佐ヶ谷にて。
 タイトルは『PEACH TOM』(作・演出/高円寺圭子)

            
 あけて昨日、春分の日はゴロゴロと過ごす
 夜は「テレ玉」でレッズ×ヴィッセルの試合を観戦。
 我がマリノスの前に立ちはだかるであろうライバルの不調は、ある意味嬉しいのだけれど、日本代表が欠けているとはいえ、エンゲルス監督の初陣を飾れなかった昨夜のゲームを見る限り、少々重症だなあ、と他人事ながら心配になった。

 さて。その時間帯、キー局に見る番組がなく(勿論僕的にはだが…)、ナビスコ杯を録画ながら中継してくれたUHF局に感謝するととともに“地デジ化”を含む放送新時代の中、うかうかしてると「そーいえば昔は○チャンネルって人気あったよナ」「へえ、あのヘッポコTVにもそんな時があったんダ」なんて下克上が起きないとも限らないなあ…と、経営規模やらなんやら細かいことは抜きにふと思ったりした。

 それを受けて言えば、我が東演も一所懸命ガンバれば、今以上に注目される劇団になれるチャンスは十二分にあるってことダと、チグハグな浦和レッズのサッカーを見ながら考えた。

 まずは10月の紀伊國屋ホール『空ゆく風のこいのぼり』(作/藤井貴里彦、演出/磯村純)が小さな一歩になる。
乞うご期待

【文中敬称略】

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はだしの青春

2008年03月18日 | 東演

劇団東演俳優工房修了公演

2008年3月21日(金)~23日(日)
東演パラータ

  はだしの青春(作/宮本研)

  出演/大久保悠依小川由樹枝小泉みち 
               (以上、俳優工房)
  客演/飯田光 伊藤奈緒美 (以上東演準劇団員)

  全席自由1000円(前売・当日とも) 
  21(金) 19:00
  22(土) 14:00/19:00
  23(日) 14:00

  演出/原孝 (東演演出部)
  美術/原野寛之   照明/南保大樹  音響/星野真広
  舞台監督/姶良勇一 (以上東演演技部)

興味のある方は劇団まで
03-3419-2871 またはinfo@t-t-en.com

左は、中間発表の舞台写真!

一年間の成果をいよいよお披露目!         
先輩の客演を受け、未来を担う“若い才能”たちが 
「昭和の青春」に挑みます!!             

 

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誰もが皆、最初はルーキー

2008年03月17日 | 東演
 昨日、劇団東演の準劇団員の試験と、
 弊団の養成機関「俳優工房」の面接が行われました。
 (前者は今月30日にも行い、後者は30日と定員に満たない場合は4月6,13日にも)

 

 思えば僕も、面接を受けたのだった…。
 
 昨日も、東演の試験や面接が3階で行われているのと並行して、外部団体がパラータを使って公演を打っていたのだけれど。。。11年前の3月24日(月)~30日(日)には「クレイジーJAP/月下美人」というユニットが東演パラータにて公演を行っていて、そこに僕は制作として参加していた。
 で、バラして打ち上げして、当然朝まで呑んだその足で、東演からほど近い環八沿いのファミレスに向かい、当時の劇団代表と面接し、さらに劇団の幹部達との面通しが劇団稽古場であって。。。
 1997年・・・嗚呼、あの頃は若かったのダナ

 さて。では、めでたく4月から東演にお世話になったかといえば、当時僕は「THEATRE-THEATER」という屋号を持って、フリーの制作として活動しており、次の仕事が4月末まで決まっていた。だから1ヶ月はそちらの制作優先で、空いた時間にアルバイトとして東演に通い、電話番などしつつ、劇団の歴史や役者さんの顔と名前など覚えたりして過ごしたのだった。。。
                   
 そんな流れだったから、同年4月29日に幕を開けた紀伊國屋サザンシアターでの『月光の夏-挽歌』のロビーに僕の姿はなく、中央線下り快速で一駅目にある「中野あくとれ」という小劇場で公演していた「ぬ企画」の千秋楽をさばいていた。
 まるで再放送のようでお恥ずかしいが、やっぱり朝まで呑んで、翌日のソワレから本番に加わったのだった。

 こうして書き出したら思い出したがいやはや懐かしいおハナシでごじゃる。

 そんな僕は、昨日、受験者の案内役として試験会場と控え室を行ったり来たりしていたが、明日を夢見る彼ら彼女らを厳しい表情で迎える試験官席の、劇団代表・山田珠真子以下、ベテランから中堅までの役者たちにだって、言うまでもなく、カチコチになって審査された日はあったのダ。
そんな狭き門をくぐり抜け、東演俳優工房で頑張って来た07年度の面々の、修了公演はいよいよ3/21(金)からだ!
 詳しくは明日書くけれど、今日からその準備が始まった
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花粉舞う、それでも良き天気かな、はや三月半ば…

2008年03月15日 | 東演
 早いもので三月も半分

 東演は明日、第1回目の準劇団員と俳優工房の試験を行います。
 11日付の弊ブログで卒業についてチョイと触れましたが、専門学校や他劇団の養成所を卒業した(含む卒業見込み)“若い才能”たちが、期待と不安で胸をいっぱいにして下北沢の賑わいだ街を抜け、閑静な住宅街を抜け、僕たちの拠点・パラータにやって来ます。
その道すがらには、北沢川緑道という遊歩道があり、もうすぐ見事な桜色に染まる。。。唐突に宣伝になるが、
3月29日(土)には、劇団と、東演をご愛顧いただいている(含むご愛顧予定?の)方々との春の懇親会がございます。

 弊団に限らず、宴が大好きな劇団・・・概ね、忘年会か新年会(一部クリスマス会ってところもある…)があり、春には花見、夏にはバーベキュー・・・みたいなイベントをいずこも行っているようだ。
かくいう東演も、新年会-桜の集い-夏のビアパーティーと、年がら年中呑んでいたようですが、近年は『朗読劇/月光の夏』をこだわって8月15日を中心に上演しているため「夏」はお休みしております
 そんな「宴」の歴史はともかく

 今年は前述のように3.29、天気予報によれば「満開」になるだろう絶好の日の午後1時から、会費1000円で行いますので、どうぞお気軽にお立ち寄りください。
 興味のある方、詳しい場所などはinfo@t-toen.com、または03-3419-2871まで。
今日は完全なインフォメでしたナ。

 週明けには「まだ続けるのか」と言われつつも、訪中レポート、いよいよラストスパートだよ
 (年度内には終わらせたい
 
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