敏腕Pの日々のつぶやき

テアトルシアター代表。敏腕演劇プロデューサー目指し、長らくフリーで活動。2018年11月から修業の場を俳優座に置いた。

宇井さん、さようなら

2019年06月10日 | Weblog
「あれ、Tシャツじゃないの?」
宇井さんを、からかったのは
新婦の父・さだまさし氏。

宇井さんは「会う人会う人に
言われちゃったよ~」と
いつものニコニコ顔で言った。

ゴスペラーズの北山陽一氏、
ピアニストの佐田詠夢氏の
結婚披露宴でのエピソード。
だから四年と少し前の話だ。

そうそう。
宇井さんはいつもラフな服装。
若い役者にもラフに付き合い、
けれど、とても厳しくもあった。



J-Theater主宰の小林拓生氏から、
『風に立つライオン』を
舞台化したいと聞き、まず
「著作権取れるの?」と答えた。

敬愛するまっさんの、しかも
名作『~ライオン』である。
やりたいのは言うまでもない…。

そして「宇井孝司」と出会った。
冒頭の逸話からさらに一年以上
時計の針を戻さねばならない。

さだ家と親交のあった宇井さんが
あっけなく上演許可を得てくれ、
自らが構成・演出を務めた公演は、
上品かつ熱量の高い朗読劇に仕上がり、
とても高い評価を得た。
2014年12月、下北沢の「楽園」。



その後も『東京スタンピード』や
音楽朗読劇集『希望』などで
制作としてご一緒させて戴いた。

劇場以外でも、打ち合わせを兼ね、
拓生さんと三人で酒を酌み交わせば、
必ずや「次はあれをやろう!」と
盛り上がったのは決まって安い居酒屋。

その小林氏からのメールは、
宇井さんが前日に倒れ、
予断を許さない、と6月1日に。
我々には祈るほか手がなかった。

【人気アニメ『タッチ』の演出や
『ジャングル大帝』監督・脚本を
手掛けたアニメーション映画監督の
宇井孝司(うい・たかし)さんが、
5日午後3時2分に死去した。57歳。
家族が宇井さんのSNSを通じて発表】
(スポニチアネックスより)

常に紳士的でありながら、
平和について等、譲れないものには
断固引かなかった宇井さんだから、
志半ばで天に召されることに
抗った120時間超だった。

「(前略)兄の言葉を借りると、
人の希望(のぞみ)の美しさを
信じ抜いた、人生だったのではないか
と思います」と、前述のSNSに
遺族が綴った通りの一生・・・。



手塚治虫氏の右腕として活躍し、
前述のほか『葉っぱのフレディ』等、
代表作にアニメ作品が多い宇井さん。
けれども。
実写映画の監督、オペラや音楽劇の演出、
さらには我々演劇人ともタッグを組み、
そして、それらを横断融合した
独自の世界観を創りあげた
稀有な存在だったことを、
私たち知るものは声をあげたい。
もっと、もっと。

8日通夜、9日告別式。
仕事で東京を離れていて、
両日とも不義理をした。

そして今日の東京は涙雨。

式の前の6日に川口の斎場で
お別れ。その日は快晴で、
夕暮れも美しかった・・・。

さようなら、宇井さん。


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やべ

2017年07月12日 | Weblog
今はすっかり少なくなったけれど、
ワルグループには番長も必須だが、
斬込隊長の存在も欠かせなかった。

今は活動を停止しているけれど、
若手制作人会議(仮)は、
会長、委員長、征夷大将軍など
やたら役職の並ぶ任意団体で、
その斬込隊長役が「書記長」の
矢部修治であった。

斬込隊長は敵対する集団に
いの一番に突っ込んでいくが、
矢部も飲み会を開き、会報を作り、
アグレッシブに我々の先頭に居た。

※※※

彼との出会いは1997年。
僕が、いわゆる「小劇場」から
「新劇」に属する劇団に入った年。
彼は昴の制作部所属だった。

が。彼が日芸の学生であり、
まだ「役者」だった頃の舞台を
今はなき吉祥寺のバウスシアターで
偶然僕は観ているのだった……。

私がプロアマ問わずに見てきて、
ベスト5に入り続ける松下美枝という
素晴らしい女優を目当てに行ったから、
矢部のことは眼中になかった。

話の拍子で、その舞台のことか、
或いは松下の名前が出たのか、
そこは今はもう定かではないが、
兎に角接点が見いだされた時に
「新聞記者役だったでしょ」と
こちらから先に言えるくらい
脳味噌の引き出しに留まる
芝居をしていた・・・のだろう。

推量になるくらい、昔の話。

制作人生を歩み始めた昴を辞め、
一度芝居から離れたけれど、
文学座からリスタートして、
世田谷パブリックシアターへ、
この春から移った道筋は、
演劇界においては表街道といえた。

文学座から神奈川芸術劇場を経て、
京都ロームシアターへと転身した
蔭山さんのように……。

昨日訃報を聞いたばかりで、
まだ詳しい経緯がわからぬまま、
哀しいというより悔しいような、
言葉にしづらい感覚で書き殴った。
読み直しもしないでアップする。

たぶん、心落ち着いた頃、例えば
来月五日の矢部の誕生日にでも、
……いや、その日は仲間を集めて
へべれけに酔うことになるか・・・

そうそう。
若手制作人会議(仮)の面々で、
真夏、勿論矢部の仕切りで、
デパートの屋上のビアガーデン。
結婚前の、奥さんのお披露目も。

ありゃ、ほんと楽しかったな~。
な、矢部! じゃあな。

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木山潔逝く。

2013年01月23日 | Weblog
木山さんが亡くなった。
1月20日に。

20日といえば、
演劇製作者の任意団体
「日本新劇製作者協会」の
新年の集まりがあった翌日だ。
それを入院先の病院で
見守ってから逝ったのか。

研究会のテーマは
「演劇は仕事になるか」。

我々演劇製作者の先頭で
まさにその道を切り拓いてきた
プロデューサーの一人であり、
近年は演出家としても
高い評価を得始めていた。

昨年末、演出家K.KIYAMAとして
フランスとドイツへ。
別役実『やって来たゴドー』で
海外公演を成功させたばかり。

渡航前に癌だと解かりながら
覚悟の渡航だったと聞いた。

マスコミ発表は本日夕刻。
関係者に小波のように
訃報が届いたのは少し早い
今日の昼過ぎか……。

   ※  ※  ※

個人的には、僕とかみさんの
仲人のようなものだ。
前回のブログで、僕が
キューピッド役に結果なった
披露宴の話を書いたけれど、
演劇界の雲の上の存在の
氏と初めて言葉を交わしたのは
「うちの橋本を何とかしてくれ」
という内容だった。

当時妻は彼のカンパニーである
木山事務所の女優で、
僕は劇団東演に入って
まだ二年だったか三年だったか。

   ※  ※  ※

人は哀しいとき食べ物が
喉を通らないというけれど、
巨星墜つ、の報を聞いて以来
今日二人して食べてばかりいる。

昼に雑煮を食べたのに、
かみさんは突然、
残り飯で炒飯を作り出し
それを二人で食べ、
珈琲用の牛乳を買いに出た筈の
かみさんは何故か天丼まで
買ってきて、それをまた食べた。

食べても食べても
お腹がすいて堪らないよ、
木山さん。
哀しみをこらえるのに
力を使っているのかなぁ……。
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