東映の岡田茂社長(当時)から招かれ、
黒澤満は東映セントラルフィルムへ。
1977年のこと。
彼は凄腕の映画プロデューサー
1955年「日活」に入社。
梅田や名古屋の支配人等、劇場職から
製作畑に移ったのは70年。
が、日活はかつての栄光からは凋落し、
翌年大きく路線を変更する。
〈ロマンポルノ〉
その命名も黒澤だと言われている。
他のいわゆるピンク映画とは一線を画し、
のちに日本映画界を牽引する
神代辰巳、周防正行、相米慎二、森田芳光ら
多くの監督を輩出したロマンポルノ……。
黒澤は73年、日活の撮影所長に就任するが、
77年、役員会がリストラを敢行。
古参社員更迭動議に、黒澤もともに退社。
ここで文頭の、東映移籍となる。
セントラルフィルム旗揚げ第一弾は
『最も危険な遊戯』。主演は松田優作。
殺し屋・鳴海昌平が主人公のハードボイルド
「遊戯シリーズ」は3作品製作された。
東映にとどまらず『Wの悲劇』など角川映画、
『あぶない刑事』などテレビドラマも手掛けた。
優れたアンカーマンで、企画から実現までの
スピードが早く、予算に厳しく、大胆なカットが
作品性を高めたこともしばしば。
そんな黒澤の、今日が命日。
肺炎のため85歳で亡くなったのは2018年。
やりたいことどはなく、できることをやる。
そんな映画プロデューサーだった。
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とうえい(序文)から10日も空いてしまった。