麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

じえい〜「ボランティア」改題

2024年09月30日 | 身辺雑記

ゆるく蛇行する道を歩いていた。

その道に当たる路地から園児たち。

園児は5〜6人が小さな塊で、

そこに飛び石みたいに先生がいて。

黄色と薄紫の帽子達の狭間に

取り込まれる格好になった。

 

ちっちゃい兵隊さんは、薄紫のあと

緑、青、ピンクと続いて、

端からみたら私は引率者のよう。

ここで時計を巻き戻して1982年。

高1の担任に呼び出されて職員室。

真面目だが勉強はそこそこの、

温厚な連中がほかにも数人。

どうやら叱られる空気ではなかった。

 

英語なのにいつも白衣をまとった

ベテラン女性教諭が言うには、

近くの女子大で開催される

赤十字のイベントに参加せよと。

自閉症の子どもと交流するのだと。

 

入学して時期が浅く、

受け持つ生徒の特性を担任とはいえ

捕まえきれていないはずで、

接した短い感触に、頼りはきっと

内申表だったのだろう。

 

二週ほどあとの日曜に、

そうゆうわけで女子大の門をくぐる。

その中の一人は看護師になったし、

保育の専門学校に進んだ野郎もいた

(資格は得たが、結局家業を継いだ)。

今思えば、中野先生のジャッジ

(むしろ内申を書いた中学の先生か?)

は間違っていなかったのだな。

 

まるで忘れていたエピソードを

園児に囲まれた瞬間に思い出し

……いやオモイダシタというより、

砂場で何をしてよいやら

なかば呆然としている16歳の私が

脳内スクリーンにいきなり写り、

前述の職員室や、行きの電車で

まだ親しくもないクラスメートと

会話もなく吊り革につかまる画像

などなどが追いかけてきて、

それを脳内書記係(?)が

文書化してくれてようやく、

〈思い出した〉のだった。

 

人間の頭ん中って凄いな

 

【「あある」につづく】

 

 

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先輩後輩対決

2024年09月29日 | スポーツ

自民は石破茂が悲願の総裁に。

野田佳彦第95代内閣総理大臣は

立憲民主の党首に返り咲いた。

奇しくも67歳同士となった

「二大政党」のトップ対決に

報道は「同い年」を強調

 

どちらもわりと地味だから

「何か」欲しくなるのは人情か?

 

ただ与党党首は早生まれなので

学年でいえば「一個上」。

・・・それは永田町の話。

 

同じ日、広島マツダスタジアム

カープ対タイガース

こちらでも先輩後輩対決!!

 

2対2で延長戦に突入した11回裏、

岡田監督はマウンドに村上を送る。

今季ここまで全て先発で

23試合7勝9敗の村上頌樹は、

前年、開幕から破竹の31イニング

連続無失点記録という偉業※を含む

快投で、セリーグ初となる

新人王とMVPのW受賞※※!

阪神の「アレ」に貢献した右腕だ。

が、今シーズンは苦しんでいた。

 

【※中井悦雄とタイ記録。

 ※※パ・リーグでは木田勇、

 野茂英雄が記録】

 

今季初のリリーフとなった

背番号41はしかし、

鯉のクリーンアップを3人でピシャリ!

12回裏もまず6番菊池を一邪飛に。

つづく代打野間も打ち取った、

が、ファースト大山の悪送球で

一死二塁。

 

ここでカープは、8番會澤に代えて

末包昇大(かねすえしょうた)。

名門・高松商で1年秋からレギュラー、

2年から三塁を守り、3年夏は4番に座るが

甲子園の土は踏めず東洋大学に進学。

同期の甲斐野央、梅津晃大、上茶谷大河、

中川圭太が卒業即プロ入りする中、

大阪ガスへ。

社会人3年目の日本選手権で

打撃賞を受賞し、チームは優勝する。

2021年ドラフト会議で広島6位指名。

 

一方、村上は奈良の智辯学園で

1年夏と3年春夏、甲子園に出場。

3年春は1番を背負い、

全5試合を一人で投げ抜き、

甲子園初優勝を同校にもたらす。

東洋大に進むと2学年上に、

甲斐野や末包らがいた。

彼らが去り、エースとなった3年春、

6勝負け無し、防御率0.77で投手3冠と

ベストナインの獲得とともに

東洋の春季4連覇を牽引した。

2020年ドラフトで阪神5位指名。

 

つまり、大学では末包が2年先輩。

だが村上は1年早くプロ入りし、

実績も残している……。

 

 

ふたたび9月27日、広島。

カウント2-1から末包の打球は

ライトへのサヨナラツーベース

軍配は大学の先輩にあがった

村上は悔し涙を流した

 

このような闘いが365日、

スポーツに限らず展開している。

 

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五度目の挑戦

2024年09月28日 | 身辺雑記

1.高市、2.石破、3.小泉、

4.林、5.小林、6.茂木、

7.上川、8.河野、9.加藤

・・・野球の打順のようだが、

自民党総裁選の1回目の結果。

備忘録として留めておく。

 

ついでに何点かメモ

 

9位加藤勝信氏は国会議員票16票と

推薦者20人から4人減。

空前絶後の立候補9人による

激しい票取合戦、引剥しの攻防が

わかる数字。

 

3年前、党員票169票のトップで

決選投票に進むも岸田現総理に

敗れた河野太郎氏が

今回まさかのブービー。

時の流れは早い。

 

第1回トップは高市早苗氏

181票(国会72、党員109)。

154票(国会46、党員108)の

石破氏が続いたが決戦投票で

石破氏215票、高市氏194票と

今回も逆転劇

国会議員票が72→173の高市氏、

対する石破氏は46→189と爆増。

 

過去四度苦杯をなめた鳥取県に

2月4日に生まれた愛称「ゲル」は

ついに悲願の総理の椅子。

言わずもがなだが「なる」のが

目的ではないだろうから、是非

この国の舵取り……鉄オタゆえ

「ワンハンドルマスコン」裁きを

見せてほしい。

 

3位で決戦に進めず終戦となった

小泉進次郎は136票

(国会75、党員61)で目を赤くした。

「まだ若い」と票を持った人々。

ただ良い悪いは別にして近い将来、

万歳をする政治家。

 

野党の某議員が「どんな飛行機も

右の翼だけでは飛べません」と。

歴史上初の女性総理を掌中に

しかけた奈良の、学生時代は

ヘビメタバンドでドラムを叩いた

彼女は果たして……。

 

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しゅうねん

2024年09月27日 | 身辺雑記

カステラ本家福砂屋が

400周年を迎えた2024年は、

ほかにも節目の企業が沢山あって、

ダイキン工業、タカラトミー、

ブルボンなどが100周年。

 

 

ノルウェーの『叫び』が

つとに有名な画家ムンク、

オランダの抽象画家

モンドリアンがともに没後80年。

後者の代表作は

『赤、青、黄のコンポジション』。

『ティファニーで朝食を』の

カポーティは半分の没後40年。

地球も随分歴史を重ねたから

世界中でさまざまな節目、あり。

 

演劇界も今年は「周年イヤー」

まずは何といっても、

築地小劇場100年。

 

1924年、友田恭助・小山内薫・

和田精・浅利鶴雄・汐見洋・

土方与志の同人6人で発足した

劇場であり、劇場附属劇団であり、

ここから日本の現代演劇は始まる。

 

その流れを汲む「新劇」の劇団も

周年、周年、周年で・・・俳優座80年。

そのスタジオ衛星劇団の青年座、仲間、

東京演劇アンサンブル、新人会が70年。

東演と東京芸術座65年。青年劇場60年。

 

また俳優座が、劇団・劇場・研究所の

三位一体を標榜して造った

俳優座劇場が70年。

だが、惜しまれつつ来年には閉館。

「終年」となってしまう。

 

劇場はなくなるけれど、

俳優座劇場という会社は続く。

大道具製作が基業ながら

演劇作品の製作も存続と聞いた。

……ある意味「執念」ともいえるか。

 

俳優座劇場プロデュースに

それは限らなくて、

他の「新劇団」も活動の原動力に

「執念」は要素としてあると、

僕ではない誰かが言っていた。

 

ちなみに今日は、新劇を代表する

俳優のひとり宇野重吉(1914-88年)が

生まれた日である。

 

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夢二

2024年09月26日 | 身辺雑記

 

今は「あかり、ともるとき」展を

開催中の東京都庭園美術館が、

その前に竹久夢二をやっていた。

 

目黒駅から歩いてほどない場所。

駅から美術館までの道沿いには

フラッグが道標になっていて、

大概は表裏違うデザインの

1種類がはためいている。

 

 

だけれど。

さすが〈大正ロマン〉の雄

岡山に生まれ雑司ヶ谷霊園に眠る、

画家であり詩人の、本名茂次郎

(もじろう)は人気もあって、

予算も豊富だったのだろう

いつもの倍の4パターンが

ルートを飾っていた。

 

 

という枕から演劇の「チラシ」のこと。

若い世代はその響きに違和感があるのか

「フライヤー」を使いたがるが

いずれにしろ、創り手側は劇場に

一人でも多く足を運んでもらうべく

知恵をしぼる。

 

用いる写真は勿論、フォントや紙質

……紙の形そのものに変化をつけたりも。

デザインを同じテイストで続け、

「劇団」を印象づけるCI

(コーポレートアイデンティティ)の

方向から攻めたり……。

 

 

さて。

夢二の戦略を目にして思い出したのが、

やたら〈二種類のチラシ〉を作りたがる

制作者がいたこと。

確かに、Aという劇場で見たデザインと

Bで手にしたものが違うことで

フックになることはある。

そこに物語があったりすれば尚。

 

ただ。

そこには更に綿密な戦略が必須。

金額的には、二種類作ると倍掛かる

わけじゃないけれど、何でもかんでも

やりゃいいってもんじゃない。

 

と、当たり前だのクラッカー的な

能書きが本筋ではなく。

彼の勢いがオモシロかったという話。

 

新しさの中に懐かしさのある

夢二の美人画のように……。

まぁ、彼は故人ではなく、

現役バリバリなわけだけれど。

 

それから。

駅名は「目黒」だが、駅自体は

目黒区ではなく品川区にあって、

美術館の手前からは港区になり、

自然教育園も隣接した

都心とは思えない豊かな緑の、

ある意味不思議な空間が

・・・乱暴にみえて優しさに満ち、

予算や決算をサクッと作るのに、

受付の現金とチケット半券の数字が

なかなか合わない不思議な男と、

どこか似ていなくもない。

 

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アイロン台

2024年09月25日 | 身辺雑記

昨日は「アイロン」について綴った。

 

アイロンにはアイロン台がつきもの。

楕円形で折り畳みの足もついて

……という〈洒落た〉アイロン台は

私的には縁遠くて

 

がっちりしたわりと大振りの

真四角の頑丈な、足のないのが

昭和世代にとっての、それだ。

 

足踏みミシンと箪笥の隙間か、

何ならミシンの扉の中に

やや斜めにして収納されていた、

最初は真っ白だけれど、

やがて家々の物語を刻んだ焦げが

芸術的に刻まれるアイロン台に

思いを馳せてみた。

 

あれは、いかにも壊れにくそう。

買い替えることもそうそうないはず。

となれば、製造会社は技術を活かして

アイロン台以外の商品も出していた?

 

逆に「ある製品」がメインで片手間に

〜腐るものではなく、収納場所も

余り取らないから〜閑散期にまとめて作り、

注文がくれば出荷していたのか?

 

〈昨日の〉ついでに記すと

当時は日本一多い姓は鈴木で、

佐藤は2位と言われていた。

高橋は5番手あたりにランキング。

 

で、昨日のブログに登場した

クリーニング屋さんが佐藤さん、

その向かいの郵便局の局長は

鈴木さん。我が家は高橋。

 

2024年現在のワンツースリー

(1佐藤、2鈴木、3高橋)が

王禅寺という長閑なまちの一角に

揃って暮らしていたのでした。

 

正確には、郵便局と住まいは別。

ついでに、鈴木家のせがれの

ベンちゃんは僕と同級生。

中学では柔道部の主将、

僕はバレー部のキャプテンで、

二個上の佐藤家の長男は

柔道部副将だった。

 

その柿生中学校の、我ら34期の

同窓会が来月にある。

前回は欠席だったが、第2回は出る。

 

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アイロン

2024年09月24日 | 身辺雑記

母はアイロンをこまめに掛ける人

ではなかった。不精ではなく、

父がブルーカラーで白いワイシャツを

シュッとする必要がなかったから、

と勝手に思っている。

学校に着ていくワイシャツには

ちゃんとアイロンしてくれていた。

あとハンカチも。

と書きながら思い出した

 

当時の住処の斜め向かい〜

と書けば激近に感じるけれど、

実際は道路の向かいに広い空き地、

小さな畑があって歩けば80歩ほど。

ただ遮るものはないから、

ある意味お隣さんともいえた

〜にクリーニング屋さんがあり、

家族ぐるみの付き合いだった。

 

なので、例えば冬物を春先に出せば、

我が家のクローゼットよろしく

次のシーズンまで預けたまま。

それが春夏秋冬だ。

 

 

アイロンから多くの人が連想するのは、

あの、発明王エジソンが開発した

「電気式アイロン」なわけだが、

熱源の異なるアイロンの歴史は古く、

平安時代に「火熨斗」があった。

銅製で片手鍋のようなものに

炭を入れてシワを伸ばした。

読み方は「ひのし」。日本の場合。

 

当たり前だが、似たものが

世界のあちこちにあって、

生活に潤いを与えていたわけだ。

 

検索していたら……

1882年に米ニューヨーク州の

ヘンリー・W・シーリーがはじめて

電気アイロンを発明

という記事もヒットした。

遅れること1915年に、

日本では芝浦製作所(現東芝)が

国産第一号を発売と。

 

はてさて

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港の雨

2024年09月23日 | 身辺雑記

♪私の港に降る雨は

 心と同じ忍ぶ雨

 あなたの港に降る雨は♪

・・・なんて歌詞の演歌が

思い浮かばないでもない

ブログタイトルだけれど

 

今朝、テレ朝の天気予報で

「六本木は雨がやんで」

とキャスター

池袋も起きた時間、

地面は濡れていたけれど

降ってはいなかった。

折畳傘がカバンにあるのを確認し

家を出た途端に、ぽつりぽつり。

「こりゃ、海の方からの雨かな」

・・・という流れから生まれた題名。

 

たいして大きくはない23区ですから

空模様は違ったりする。

移動先の新宿区は昼過ぎには青空に

 

さて六本木のある「港区」。

誕生は1947年と歴史は浅い。

芝区、麻布区、赤坂区が統合し誕生。

最初は「東港区」に決まりかけていた。

東京都東港区では音が重なるとの声に

旧3区の議決を経て「港区」に。

 

ちなみに池袋が中心の「豊島区」は

1932年の東京市20区新設の折、

巣鴨町、西巣鴨町、高田町、長崎町の

4町が合併して成立。

遠い昔、地域には深く海が入り込み、

多くの島があったことに由来。

かなり古くからある地名らしい。

 

そうなのだ。

現在の23区は上述の1947年から。

明治に15区6郡(荏原、南豊島、

東多摩、北豊島、南足立、南葛飾)

から始まり、35区だった時代も。

そんな変遷を経ての23区。

 

 

変遷といえば。

東京都の島しょ(伊豆諸島の9島、

小笠原諸島の2島)はある時代、

静岡県だったという番組で、

その当時の地図が映し出された。

 

ちゃきちゃき(!?)の神奈川県民の

私が驚いたのは、

小田原あたりが神奈川県とは

異なる色分けをされていたこと。

 

番組(ぶっちゃければ

『チコちゃん』なんだが)では

そこにはノータッチ。

仕方がないから調べてみた。

 

1876年から2年間、静岡県だった

伊豆・小笠原諸島群は、

その前の5年(71年〜)は

「足柄県」だったのだ。

 

小田原に県庁を置いたその県は

71年〜76年だけ存在し、

東は神奈川、西は静岡に合併され

今はない「幻の県」。

 

 

ついでに歌も調べてみた。

2004年、大川栄策が『港雨』をリリース。

また『サーカスの唄』で知られる松平晃に

どんぴしゃ『港の雨』という曲が

あるみたいだが詳細不明。

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終りに見た街

2024年09月20日 | 鑑賞

敬愛する山田太一の『終りに見た街』が

宮藤官九郎バージョンで放送される。

明日の夜

まるでテイストが異なるクドカンは、

どんな「終り」をみせてくれるのか?

 

山田オリジナルの主人公・清水要治は、

名前も田宮太一とかわり、

妻はドッグウェア専門店にパートで働く

・・・なるほどクドカンの味付も

た〜っぷり効いていそうだ

 

1981年小説(中央公論)として世に出て、

翌年、細川俊之主演でドラマ化。

さらに2005年の中井貴一版では

山田自身が新たに再執筆した。

ドラマは今回の大泉洋主演含め、

すべてテレビ朝日系。

ほかにラジオドラマにも。

 

そのテレビ第一作目には

当時私が在籍していた劇団東演の

小池幸次が出演していた。

北野映画にも常連だったベテランは、

『座頭市』での船八の親分などが代表作。

 

同じく82年版出演の宝亀克寿。

現在は青二プロ所属だが

以前は東演に在籍していた。

彼は2010年から引き継いだ

『ONE PIECE』のジンベエ役、

海外刑事ドラマ『クローザー』の

プロベンザ警部補役などで知られる。

ただ私の在籍とは重なっていない。

 

『クローザー』の同僚で元鑑識の

マイケル・タオ役だった小高三良。

彼とは海外公演も伴にしたが、

随分前に座を離れ、

今はプロダクション・タンク。

と、それはまた別の話。

 

【文中敬称略】

 

『終りに〜』の頃といえば、

山田が『思い出づくり。』(81年TBS)、

『早春スケッチブック』(83年フジ)、

『ふぞろいの林檎たち』(同年TBS)

などなど次々に傑作を書いた、

脂が乗りにのっていた頃だ!!!!

 

1934年浅草生れ、昨年11月29日没。

終焉の地は川崎。

不世出の作家の作品がこれからも

多くの方々に鑑賞されたら素敵

 

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ウェルシュ菌

2024年09月19日 | 身辺雑記

便利な世の中で色々教えてくれる。

カレーライスの保存方法も

僕の常識が実はよろしくなかったと判る。

 

  

 

ウェルシュ菌というのが居て、

こいつは熱に強いから、

温め直したくらいじゃ死なないらしい。

ただ、さほど悪さもしないっぽい。

 

昭和の、バイキンとある意味一緒に

遊んで育った世代である。

遊具に防菌加工などなかったし、

トイレは汲取から水洗への過渡期。

体内には様々な菌が巡っていたはず。 

けれども共生できていて、

例えば花粉症など「現代的な病」に

罹らなかったとも訊く。

 

もう砂場で遊ばなくなった年頃に

「砂場使用禁止」のニュースに

びっくらこいたりもしたな〜。

 

それとあれとの関連性は知らないし、

1892年にドイツ人のウェルチにより

バチルス アエロジェネス カプスラータ

と命名ののち、学名の変遷を経て、

現在の正式な登録名は、

クロストリジウム パーフリンジェンス

なんだけれど、発見者の名にちなんで

ウェルシュ菌という通称の桿菌の話は、

完全にオイテケボリだったりする。

むむ

置いてけぼり? 置いてきぼり?

・・・その話は改めましょう。

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