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旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

90歳の記録④ 株主総会

2025-07-28 13:09:00 | 政治経済
2025年7月23日、マザーズ社第37期 定時株主総へ参加。
役員15人、しっかり議論。
私は目がダメ、ことばナシ、記念写真もない。一枚欲しいなぁ…

90歳の記録③ 三井従組「心友会」

2025-07-13 10:22:27 | 政治経済
2025年7月4日三井従組「心友会」で八重洲で参加。
組合書記局在住する1960~70年代した組合員有志で、木下、塚田氏で結成。
参加者40名強、本日12名、35年間の歴史あり

塚田親分と
左:首藤90歳2ヶ月 右:塚田90歳3ヶ月




90歳の記録② 東京臼杵人会

2025-07-03 09:28:13 | Weblog

2025年6月29日、東京臼杵人会(於:四谷)


東京臼杵人会世話人 吉田君と



臼杵商工会議所 小手川会頭と


左:きらすまめし   右:酢味噌付きフカ



90歳の記録① オペラ

2025-06-30 10:05:03 | 文化(音楽、絵画、映画)
2025年6月21日 ミャゴラトーリオペラ「名もなき男」


終演後のスナップ



5月23日 90歳1ヶ月

2025-05-22 10:55:41 | Weblog

弱視の進行で書けず。
右目の中心部分に侵食ありで読めず。
パソコン作業もダメ。
ブログもダメか?
書き続けるのは無理か?

5月15日、良い日です。

2025-05-16 15:02:30 | 時局雑感

 快晴、薫風、好温…、最高の季節だ。
 大相撲夏場所は五日目で王鵬は3勝2敗、金星(対横綱豊昇龍)、銀星(対大関琴桜),関脇(対霧島)と3勝と見事であった。
 野球では広島カープが半月間で8勝4敗1分と立派。阪神を追って2位になった。
 実にいい気持ちであった。

     




臼杵人物記の投稿を止めました

2025-05-08 15:30:53 | 時局雑感



 臼杵人物記については既に4稿を書いたが、続いて荘田平五郎(三菱商事支配人)、首藤定(事業家、満州稼ぎ人)、日名子実三(彫刻家)、村上アヤ(臼杵小学校長)などなどのほか、異色の人物、大友宗麟(臼杵に十数年も住んだ)や、外国人で臼杵に初めて住み着いた二人、ウイリアム・アダムス(三浦按針)、ヤン・ヨ-ステン(耶揚子)などを準備していたが、書くことを止めた。
 止めることになった理由は、記述力を失ったことによる。①視力を極端に失ったことによる。②記入力(パソコン作業力)の弱化、③失語症の進化による言葉の失調、による。
 根本的原因による問題である。



「卒寿おめでとう」をたくさんいただきました

2025-04-30 14:10:51 | 時局雑感


 4月23日に90歳の誕生を受けました。親子家族から孫まで、祝ってくれました。弟夫婦たち、会社の社員の方々、多くの手紙やメールを届けていただきました。
 焼肉屋さんでたっぷり食べ、時期の煮魚を造ってくれた料理屋さんに満足しました。いろんな会合を楽しみました。沢山なお酒もいただきました。
 私は本当に幸せ者でした。
 

   
   きれいな、嬉しい手紙たち…

ある老農の「90歳の死」について

2025-04-21 15:54:35 | 時局雑感


 わが社員(某N氏)の話によれば、その父親は病気もなく、元気で農業を働き続けたが、90歳になり突然亡くなったと言われた。告別式の際、N氏が語った言葉である。
 「父親は良く働いた。畑では朝8時から夕方午後4時まで働いた。ところが、 90歳になった途端、畑仕事を止めて、自宅の床に臥せて、食事も全て採らなかった。そして一週間、ちょうど7日目に死にました。水以外、一口も食べなかったことには驚きましたが、私としても「おやじ! 見事な死に様(生き様?),天晴れだ」と言いました」

 
 あの老父が死亡した際、一言も弁解もなかったと聞いている。また、死後に及んで伝言の一言もなかったと聞いている。







  




臼杵人物記 野上弥生子

2025-04-09 15:48:45 | 時局雑感

 野上弥生子(小手川ヤエ)は、明治18(1885)年5月6日、小手
川酒造業の父角三郎と母マサの長女として生まれた。6歳となり4月臼杵尋常高等小学校に入学、後に15歳となり上京、明治女学校に入学。17歳では 同郷の野上豊一郎が一高等学校入学、21歳に明治女子学校卒業、豊一郎と結婚した。
 22歳の弥生子は、夏目漱石の紹介で処女作『縁』を「ホトトギス」
に発表。以降、作家活動を80年間活動した。
【主要な作品(小説)】
・『海神丸』(大正11(1922)年) ・『大石良雄』(1926)
・『真知子』(昭和3(1928)年) ・『欧米の旅』(1943)
・『迷路』(1948) ・『秀吉と利休』(1963) ・『森』(1972~)
【主要な受賞歴】』 
・女流文学賞(1964年) ・文化勲章(1971年)
・朝日章(1981年) ・日本文学大章(1986年)
【経済・政治・文化活動】
・第二次世界大戦下で西欧諸国に参画、戦後もハンガリー反乱を支
援している。
・宮本百合子と親しく、百合子没後(1951年)も弥生子は恒例に
献花を続けた。
・東京都知事美濃部亮吉の「明るい革新都政をつくる会」に、弥
生子も署名。

等々、膨大かつ長大な作品のごく一部記録を並べたが全て省略、
単なる二点だけを記録しておく。
第1点。臼杵市「小手川酒造(創業安政二(1855)年)」は、本格大分麦焼酎
を製造してきたが、野上弥生子の99歳を記念して、昭和59(1984)年5月、『白壽』と自筆して記録した。
第2点。弥生子は引き続き現業を続け、昭和60(1985)年1月『森
』第15章「春雷」』を発表。同3月30日死去した。
実に99歳11ヶ月(正に100歳!)の生涯であった。

  

    
    野上弥生子の自筆「白壽」   



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