旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

山形酒蔵めぐり④ ・・・ やっと訪れた米鶴酒造

2010-04-11 13:23:52 | 

 

 今度の蔵めぐりで初めて米鶴酒造さんを訪ねることが出来た。思えば米鶴さんとのお付き合いは長い。私が酒の勉強を初めたころ、純粋日本酒協会に教わることが多かったからだ。米鶴酒造の梅津伊兵衛氏は、今こそ第一線から退いてご子息の陽一郎氏に社長を任せているが、京都伏見の招徳酒造の木村善美前社長等と共に、同協会でご活躍なさっていた。
 
私は同協会の催しに参加し、またいろいろな資料をいただきながら純米酒の勉強をしてきたのである。そして当時好きだった酒の一つに「米鶴盗み吟醸」があり、よく飲んだ。また、今はもう出してないようだが「吾妻の白猿」などを、山形県を旅するときは温泉に持ち込んだりして飲んだものだ。音楽好きの前社長が名づけた「ベートーヴェン物語」なども懐かしい。
 今度やっと訪問できて、「盗み吟醸」が展示され、白猿の写真が飾ってあるのを見て懐かしく思った。残念ながら伊兵衛前社長は町内の会合に出かけておられ会えなかったが、ご子息の陽一郎社長に蔵を案内していただいた。

  
 

 

 また、名杜氏として名高い須貝智氏にお会いでき、酒つくりの話を聞くことが出来た。須貝杜氏の名刺を頂くと、そこには「米作りからの酒造り」と大書されてある。今回の蔵めぐりで感じたこととして書き続けている「酒造りの原点」をここでも見る思いがした。日本酒の原料としての米の性質、その性質を生かした酒造り・・・、そこにこそ、われわれが掲げる「純米酒こそ日本酒」とする原点があるという思いを強くした。

   須貝杜氏

 試飲の席では、同行のS氏発案の「試験かんすけ(携帯用お燗器)」を使用させていただき、大吟醸造りの様々な酒をお燗でも飲むなど、贅沢な試飲をさせていただいた。このような点からも、この酒蔵めぐりは贅沢な催しであった。蔵元のご配慮があったればこそである。

     


熊野紀行⑨ ・・・ 心に残る人々

2010-04-10 11:02:20 | 

 

 意外に早くコンピューターの修理が終わり、たまった仕事を片付けている。たまったといえば、熊野旅行から一ヶ月が経つので、未だ書きたいことは山ほどあるが一応けりをつけておく。

 
          川湯温泉露天風呂

 旅の思い出で最後に残るのはやはり人とのふれ合いだ。三日間で3人の語り部に案内されたが、それぞれ特徴があり、何よりも豊富な知識で案内をされて勉強になった。中でも82歳の坂本勲生老は味があった。カリスマと言われているようだが頷(うなづ)ける。

 熊野の人物といえば、これは会うわけにはいかなかったが、何といっても南方熊楠(1857~1941)であることを今回知った。語り部たちの解説の中でもたびたび出てきたが、彼の粘菌やキノコの研究をはじめ、植物学、民俗学、宗教学の原点はすべて熊野にあったようだ。「この世のあらゆる現象はすべて関連しあって存在する」とする彼の思考は、当然のこととして自然を守ることに通じ、既に100年前に「エコロジー」と言う言葉を使って明治政府の神社合祀に反対して鎮守の森を守ってきたという。偉いものである。われわれは100年遅れでようやく環境保護の重要性に気づき始めているのだ。 

    
                    瀞峡

 南方とまではいかないが、わがツアーメンバーも皆いい人ばかりだった。8人とこじんまりして実にさわやかな旅であった。義兄と一緒のご夫人二人はいずれも明るい元気おばさん。一人は西馬音内盆踊りの普及に努め旦那は落語を演ずるのが趣味というし、もう一方はお酒の好きな笑い上戸、とにかく元気がよくてなんにでも挑戦する。わが夫婦を含め5人がいつもつるんで楽しい旅であった。

 残るお三方はいずれも男性、物静かで何となく気品があり熊野の風情に似合っていた。中でもそのうちの一人がマラソンをやる方で、フルマラソンを3時間50分台で走ると言う。聞けば65歳で定年を迎え66歳から始めてやがて4時間をきるようになり、ホノルルマラソン2回、ボストンマラソン1回、いずれも3時間50分台で走ったと言うから驚きだ。現在私と同年の74歳、とても信じがたい気持ちで話を聞いた。
 こんな人がいるから世の中油断ならないのだ。同時に無類の酒好きで、今月の「純米酒フェスティバル」に何としても参加したいと言うので券を送った。再会が楽しみである。

      
           ツアーメンバー8名


コンピューターが壊れた!

2010-04-07 15:15:24 | 時局雑感

 

 昨日大分から帰京すると、卓上に一通のメモあり。読めば娘からの知らせで「コンピューターが壊れた。電源が入らず一切動かないので修理に出した」とある。
 やがて現れた娘の言によると「点検の上、中の記録が全て失われるようなことになれば連絡する」と修理屋が言っているという。これは参った。気になって記録を保存しようと思いながら怠っていたのだ。何とか無事であることを天に祈る。
 従ってブログはしばらくお休み。この書き込みは会社のCPからアクセスしているが、いつもこのようなわけにはいかない。やや長期のお休みを覚悟している。

 九州の旅はほぼ計画どおり無事に終わった。ハイライトは日出の「城下カレイ」フルコースであった。残念ながらわが臼杵の「ふぐのコース」を上回ると思った。(値段はいずれも8千円) 詳細はいつの日か書くが、刺身、煮付け、から揚げに始まるカレイ料理が10品は出てきた。酒は杵築の「智恵美人」純米酒で冷も燗も料理を邪魔することなく、しっかりした味わいで申し分なかった。
 外は桜が満開。坂と石段の杵築の町、木下藩の静かな城下町日出町とも満開の桜の中をゆっくり歩いた。瓦屋根と白壁と石畳の道には、桜の花がよく似合う。
 残念であったのは「別府湾ロイヤルホテル」からの展望。部屋も自慢の露天風呂も立派なもので大満足したが、黄砂の影響で展望が利かない。別府湾に臨む10階の部屋で、本来なら最高の景観のはずであったが、恨めしきは中国の砂漠化か・・・?

 とりあえず近況を報告して、コンピューターの修理出来上がりを待つのみ。 しばらくバイバイ。


大分に行ってきます。

2010-04-03 10:25:26 | 時局雑感

 

 今日から6日まで大分に帰郷します。従ってブログはしばらくお休み。
 4日は臼杵で母の法要(一周忌)、5~6日は杵築、日出を回る予定。

 松沢病院の桜は満開。九州は盛りは過ぎたかもしれないが、美しい桜を満喫できると期待している。なんと言っても母は桜が好きだった。その思い通り、昨年満開の花の下で死んだ。一周忌の法要も桜の下で行なうことができるだろう。
 ではしばらくバイバイ。

  

          
          松沢病院の桜


熊野紀行⑧ ・・・ 熊野の酒

2010-04-02 20:59:52 | 

 

 熊野でも、もちろん毎日酒を飲んだ。和歌山、奈良、三重の三県にまたがる地では、それぞれの地の銘酒が思い浮かぶ。とはいえ、熊野といえども紀伊半島南部の「中辺路」を歩くだけなので、やはり「その地の酒」を求めねばならない。

 初日の宿は川湯温泉卿の「川湯みどりや」・・・、熊野川の支流大塔川のほとりの宿。川そのものが温泉という豊かなせせらぎに沿い、夕食の部屋も1階“せせらぎの間”で、川の水位と同じ目線で、周囲の緑に溶け込みながらの夕食。
 
酒のメニューを見ると、さすがに地元和歌山県新宮市の尾崎酒造さんの酒が並ぶ。その中から「熊野三山」と「那智の滝」を選ぶ。どちらも今回の旅の目的そのもの様な酒だ。「熊野三山」は山田錦を55%まで磨いた吟醸酒、「那智の滝」は掛米に日本晴を使い、精米歩合60%の純米酒。私は「那智の滝」の方が好きだ。純米酒として米の味が豊かであった。

   

 そのほかに私の大好きな「黒牛」(和歌山県海南市の名手酒造。晩酌でよく飲む酒)があったのはうれしかった。和歌山に行くにはどうしても飲もうと思っていた酒だ。

 もう一つ「やたがらす」を是非のみたいと思っていたが、「川湯みどりや」にも翌日泊った「勝浦観光ホテル」にも置いてなかった。「やたがらす」は奈良県吉野の酒で、これは吉野から本宮大社を目指す「大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)」をこなした者しか飲む資格が無いのかもしれない。この修験道は、「中辺路」の一部を歩くのとはわけが違い、標高1700m級の山々を越える280キロの道程である(JTBパブリッシング『熊の古道を歩く』122頁)。そのような野望を抱くには年をとり過ぎたことを痛感した。

 
              目張り寿司

        
            まぐろのカマ焼き

 しかし夜だけでなくお昼の料理も大変に美味しく、地元が造る酒はいずれもその料理に合って満足した。料理の珍しいところでは、初日昼の「目張り寿司」(目を見張る美味しさからその名が付いた)、勝浦観光ホテルの「まぐろのカマ焼き」などいろいろあった。川のせせらぎを聞きながら食べた「みどりや」の小アユの塩焼きは、純米酒「那智の滝」の柔らかい味に良く合った。
 いずれにせよ、酒はその地と共にあるのだ。


4月を迎える

2010-04-01 16:51:08 | 時局雑感

 

 4月を迎えようやく春めいてきた。3月はとにかく寒かったという印象しかない。しかし、その寒い中をよく動き回った月でもあった。

 79日の二泊三日で「熊野古道」を歩いてきた。快晴と大雨という熊野らしい天候の中で、寒いどころの騒ぎではなかった。もちろん「行ってよかった」という思いがいっぱいで、未だ紀行文をブログに書き続けている。
 
19日には息子の婚約騒ぎで鎌倉から逗子を訪ね、翌20日から一泊二日で「山形県酒蔵ツアー」に出かけ、欲張って四つの蔵を回った。さすがに東北、雪混じりの天候で寒さが身にしみた。それでなくても酒蔵というのは寒いのだ。ただこの四つの蔵は大変勉強になって、これまたブログに『蔵めぐり』を書きつづけている。
 
26日は桜を求めて茗荷谷の「文京桜祭り」から小石側植物園を歩いた。当初は満開の桜を当てこんでいたのだが、以上のような寒さで桜は三分咲き程度であった。もちろんその後の、神保町「咸亨酒店(かんきょうしゅてん)」での美味しい料理と紹興酒で大満足をしたのであったが。

   

 さて四月はどのような月になるか・・・
 
こちらも結構いろいろな行事が詰まっている。まず、3~6日は母の一周忌のため臼杵に帰る。4日に法事を済ませ、5日はワイフを案内して杵築、日出をまわり、日出町の老舗「幸喜屋」でかの『城下カレイ』を食べ、その夜はそこの「別府湾ロイヤルホテル」にとまり、ご自慢の露天風呂から別府湾を眺めるつもりだ。大分空港から大分にバスで向かう途中、日出町を通るときに高台に聳え立つロイヤルホテルがいつも気になっていたので、この機会に城下カレイともどもやっつけておく。

 23日には75歳の誕生日を迎えついに後期高齢者の仲間入りをするので、生きているうちに気になることは始末しておきたいと考えている。
 
その23日当日は「山形県新酒発表会」、その二日前の21日は「栃木県新酒発表会」と続くので、いずれにも参加して前期高齢者最後の酒の味を体全体に残しておこうと思う。だいたい政府(自公政府)が後期の前期のレッテルを貼るからこのようなことになるのだ。自然にしておいてくれれば、無理をして酒を呑むこともないのだが・・・。

 4月もまたたく間に過ぎていくだろう。ぱっと開いて散り急ぐ桜の花が象徴するように、春はあわただしいのだ。


投票ボタン

blogram投票ボタン