木曽路に入って一番感じたことは、御嶽山がこの地のシンボルであるということだ。当然のことと言えば当然だが、今更ながらそれを感じた。
子供のころから「木曽節」を歌うことは多かった。「木曽のナ~なかのりさん 木曽の御嶽山はナンジャラホイ…」と楽しげに歌う気持ちには、軽い茶化し気分こそあれ信仰や霊験を感じるようなことはなかった。
今度の旅で、地元の人の御嶽に対する感情は、私たちよそ者には到底わからない崇高なものがあることを感じた。何よりも御嶽山は美しかった。その美しさは想像をはるかに超えた。そしてどこからでも見えた。
御嶽教の存在も初めて知った。そういえば、藤村の『夜明け前』に、主人公の青山半蔵が父の病気全快を祈って御嶽山の神社で修業を重ねる場面があった。木曽の人々にとって、全存在は御嶽とともにあるのだろう。
私たちを案内してくれたH氏は、現在は京都に住む根っからの木曽人であるが、「この山を見てエネルギーをもらう。ここに帰って一番に見るのはこの山だ」と何度も、感慨深く語った。
木曽の人に信仰と生気を与え続けた御嶽山は、壮大な独立峰で、人を惹きつけてやまない美しさを放っていた。
逆光に暮れなずむ御嶽山(開田高原のホテル『風里』より)
「おんたけロープウエイ」乗り場より
御嶽山を見つめるH氏
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