憲法記念日を迎えたが、各紙の論調は低調であると言わざるを得ない。つまり世論は、憲法が身近に重要でないのかもしれない。
だいたい憲法問題といえば「憲法九条」が主題となる。そしてこれは、現今においても至上命題であろう。
ところが今朝のNHK日曜討論では「憲法第25条」を取り上げた。これは出色の企画と言うべきだろう。「全て国民は、健康にして文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という文言が、この21世紀の世に輝いて映るのは何故か?
この条文は、マックァーサー司令部の提示した原文にもなかったと言う(アメリカ憲法にもこのような条文はない)。これを提起したのは、焦土と化した日本の中でも、特に原爆の災禍のただ中にあった広島大学の学長森戸辰男の提起であった。社会党代議士森戸は、並み居る反対意見に断固抗してこれを主張し続けたと言う。
そしてこの条文は、60年後の日本にも「現実の課題として」生き続けているのである。つまり、21世紀の世代にあっても、まさかと思われた「生存が危ぶまれる」状況が起きているのである。ワーキングプア、ネットカフェ難民、年収2百万円以下が一千万人以上・・・、このような状況を森戸辰男は見抜いていたのか? 「一生懸命働き続けても食べていけない・・・」 この状態が必ず来ることを想定して、森戸は反対を押し切って『憲法25条』を譲らなかったのかもしれない。
恐ろしいことである。
そして、その不安は21世紀の今も生きていることに「怖さ」を感じます。
人類はいつの時代に「人間らしい心を発揮する」ことができるのでしょうか?
人類が未だその域に到達できない以上、日本国憲法――特に25条と9条は光り輝いているのではないでしょうか?