町つくりの話には、それを支え続けた人物の話が必ず出て来る。それも伝説的な人物が多く、別言すれば、そんな人物がいなければ歴史に残る町つくりは出来ない。そして由布院にもそのような人たちがいたのである。
それを代表するのが三人――いずれも旅館業者で、「玉の湯」の溝口薫平、「亀の井別荘」の中谷健太郎、「山のホテル夢想園」の志手康二、の各氏であった。この類まれな才能を、神は「由布院を守るために」その地に集めたと言うしかあるまい。
溝口薫平氏は、日田の博物館に勤めていたが、「玉の湯」の養女喜代子さんと結婚して由布院を生きる場と定め、中谷健太郎氏(雪博士中谷宇吉郎の甥)は東京で東宝の映画助監督をしていたが父の死去で已むなく由布院「亀の井別荘」に帰り、ちょうど代替わりした「夢想園」の志手康二氏を加えた運命的なトリオが組まれることになるのである。
日本が高度成長に踏み出す1964年、溝口薫平、志手康二とも31歳、中谷健太郎30歳の春であった。
中谷健太郎氏は抜群のアイデアマンで、想像を絶するような町おこしアイデアを次々と出していく。しかしそれを自治体や周囲が納得するものにするためには、工夫と折衝力が要る。それをやったのが「気配りの天才」と言われた溝口薫平氏であった。まとめられた案は実行されねば意味が無い。その先頭に立ったのが、周囲に強力な仲間を持ち行動力抜群の志手康二氏と言うわけだ。
350頁に及ぶこの分厚い本に、奇想天外な発想を何とかものにして実現していく三人の活動が面白いように出てくる。しかも学ぶことを怠らない。1971年、三人は45日間のヨーロッパ旅行に出かける。1ドル360円時代に一人70万円を銀行から借りて、無銭旅行のような旅を重ね、ヨーロッパの町や旅館のあり方を学ぶ。そのくだりを読むだけでもこの本は面白い。その教訓を次々と由布院に生かしていったのだ。
もちろん、町つくりは「攻める」ことだけではない。むしろ「守る」ことが大半だ。前回書いたようなゴルフ場進出などを阻止するために、三人は戦いまくる。戦記物など読んで「攻めるときより退くときの方が難しい」という実践版のようなものだ。
とにかく面白い。(面白いなどと言っては失礼だが・・・)
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