コロナの蔓延状態が収まらない。緊急事態宣言が全国各地に広がりつつある。しかし、この「宣言」はあくまでも国による国民への要請であり、それに従うかどうかはすべて国民に委ねられている。つまり、国民の「自粛」という高い規範性に依存しているのだ。
諸外国では、罰則を伴う法的措置により外出や人流を規制しているが、日本は政府の呼びかけに応える国民の自粛により蔓延の根(人流)を断とうとしている。しかし、グローバル化の下での若者の変化も含め、自粛は果たして可能か?
自粛とは何か? 孔子の教えによれば、「子曰わく、吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(した)がう。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」とある。
心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず、という境地に達すれば、自粛も何もないのであろうが、私など70を遥かに超えて86歳に達しても、とてもそうはいかない。とてもそうはいかないが、時に及んでは何とか努力して「社会の掟を守るように努めよう」というのが自粛ということかもしれない。
しかしこれは、相当に高い資質というか、精神状態を意味しているとも思われる。寺子屋いらい、論語を学び続けたた日本人が、コロナ危機という国難に対して、この高い資質を発揮できるか、問われているのかもしれない