暮れも押し迫ったこの13日、次弟浩己が他界した。10月の中旬(確か13日であったか?)、脳幹出血で倒れ、意識が回復せぬまま闘病生活が続いたが、2か月を経てついに事切れた。満81歳と10か月、ちょうど平均年齢ぐらいではあるが、3年前の三弟の死に次ぐ弟の死は、私にとってはショックであった。世の不条理を嘆いている。
浩己は囲碁が強かった。アマ七段を誇っていた(日本棋院アマ六段免許取得)が、赤旗新聞主催の全国囲碁大会に大阪代表で出場し準優勝したことがあるので、本当に強かったのであろう。また歌がうまかった。大阪のフロイデ合唱団でバスのパートを歌い続け、親族など人が集まると、「ダニー・ボーイ」や「マイ・ウエイ」など得意な歌を披露していた。
三弟の淳は絵がうまかった。大分県の美術展では常勝的に入賞していたし、得意な「ブナの絵」は、何回かの個展でそれなりに売れていた。子供の頃から山を愛し絵を描いていたのが実った生涯だった。
男ばかりの五人兄弟を誇ってきた私たちも、長男の私と四男、五男の三人だけになった。いずれも東京組だ。このすさまじい東京を生き抜くエネルギーが、この三人を生かし続けているのだろうか?