旅のプラズマ

これまで歩いてきた各地の、思い出深き街、懐かしき人々、心に残る言葉を書き綴る。その地の酒と食と人情に触れながら…。

旅さまざま

2015-03-02 10:04:58 | 

 

 先月の日経新聞「私の履歴書」は、日揮グループ代表の重久吉弘氏であったが、その中に「東海道を妻と徒歩旅行」という項があった。それによると、氏は日揮の社長から会長職を務めるという多忙な時期に、その間隙をぬって、お江戸日本橋から京都三条大橋までの500キロ超を、奥様と徒歩旅行をしたという。一日に最短10キロ、最速25キロを歩き、5年かけて延べ37日を要したという。
 松尾芭蕉や種田山頭火を引き合いに出すまでもなく、「歩く」というのは旅の原点ではないか? 重久氏もその中で、「たくさんの町を通り、多くの人たちと出会った。道を尋ねた老婦人に『家でお茶を』と誘われたり、お店の人に励まされたり。歩くのがこれほど爽快で、楽しいものとは予想していなかった」と書いている。
 外国に行くには、特に日本の場合、歩いて行くわけにはいかないが、その着いた国や町でも列車やバスや車を飛ばして駆け巡ることが多い。国内にあっても飛行機や新幹線で時間を稼ぎ、着いた街をバスや車で駆け巡る。
 2011年10月に出した自著『旅のプラズマ(パートⅡ)』を読み返すと、冒頭に、「30年間勤めた銀行を退職して、既に23年になろうとしている。この間、20回の海外旅行に出かけ、22か国(延31か国)を訪ね、76都市(延86都市)を回った」などと書いてあるが、思い起こせば、その旅はほとんど上記のような「駆け巡り旅」であった。
 俺は本当に旅をしてきたのだろうか? なにか空しいものが心をよぎる。ひとつ歩いてみるか…、と思うにも、今や、一日何十キロの歩行力はない。海外にはここ3年出かけてないし、国内旅行も減ってきている。その背景には、この空しさがあるのだろうか?

     
                 北鎌倉「円覚寺」の梅(2月21日撮影)


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