スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

大山名人杯倉敷藤花戦&難点

2016-10-01 19:19:34 | 将棋
 9月28日に指された第24期倉敷藤花戦挑戦者決定戦。対戦成績は上田初美女流三段が5勝,室谷由紀女流二段が2勝。
 振駒で上田三段の先手。室谷二段は9筋の位を取ってから角道オープン四間飛車。右の銀を8二~7三~6四と上がっていく風変りな作戦。ただ凝りすぎで,明らかに作戦負けになったと思います。
                                     
 後手が7筋で歩を交換して引き上げた局面。ここで先手は☗2八飛と引いていますが,どういう意図であったかよく分かりません。ただ,あまりいい手ではなかったようです。
 後手は☖3五歩と突きました。飛車が引いてしまったのでこれは☗同銀の一手。そこで☖3八歩の垂らし。ふたりで協力したような形で事前に歩を交換しておいたのがよい方に出ました。
 ☗同飛は☖2七角ですから取ることはできません。しかし☗6五歩☖同銀☗6六歩☖7四銀☗5六角☖8五銀☗8六歩☖9四銀の手順で後手の銀を僻地に追いやったのは大きなポイントでしょう。とはいえ最初に9筋を突き越しておいたのが変なところで生きる形にはなりました。
 ここで☗6八金上と陣形を引き締めたのが失着。すかさず☖4八角と打たれました。
                                     
 もし金が6九にいればこれには☗3八飛で角の行き場所がありませんから成立しませんでした。それでも☗3八飛と歩を払って☖5九角成としておけばまだ難しかったよう。しかし☗2七飛と上がって受け☖5九角成に5筋を突き捨てて☗2三角成から攻め込んでいきました。さすがにこれは暴発。一気に後手がよくなりました。
 室谷二段が挑戦者に。倉敷藤花戦三番勝負は初出場。第一局は11月8日です。

 少女が捧げたマントが,時代的にどういう意味をもっていたかは僕には分かりません。それは単に身を隠す衣服のひとつにすぎなかったかもしれません。しかし英雄に相応しい衣服であった可能性も排除できません。とくに現代の読者にとっては,後者のように解することができるアイテムなのではないかと僕には思えます。状況として少女はセリヌンティウスにはマントを捧げることはできず,メロスに対してだけ捧げることができたのは確かですが,物語の最後を飾るこのプロットが,第三者の目線によって,メロスだけが英雄とされ,セリヌンティウスはそうでないという印象を読者に与え得るようになっているのは,間違いないのではないかと僕には思えます。
 あっぱれと声を発した群衆は,メロスが帰って来ないという点で,ディオニスと同じ目線に立っていたのは間違いありません。ただし,ディオニスと同じ人間観がこれら群衆のすべてに適用できたというようには僕は考えません。もしもメロスが間に合わなければセリヌンティウスは処刑されたわけですが,その場合にはディオニスはメロスを簡単に信頼したセリヌンティウスの自業自得であるというように感じ,セリヌンティウスに対する同情には駆られなかったことでしょう。ですが仮にそうなっていた場合,群衆のすべてが同じように感じたとは僕には思えません。少なくとも中には,セリヌンティウスは気の毒であると感じた市民もいた筈であると思います。ですから許せといった民衆は,必ずしも帰ってきたメロスを助けたいと思ったのではなく,セリヌンティウスの方を助けたいと思っていたかもしれません。ですがこのプロットは必然的にメロスが帰った直後にしか挿入できないものであるがゆえに,あたかもメロスだけがあっぱれであると大勢の第三者が思ったという印象を読者に与えるものになっていると僕は思います。
 結果的に『走れメロス』のプロットの構成がこのようなものになったことで,読者はディオニス目線でメロスとセリヌンティウスをみて,メロスだけが英雄であるという印象を有するような物語になっていると僕は思います。それがこの小説の難点と僕には思えるのです。

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