Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

パルコ劇場『SISTERS』ソワレ S席前方センター

2008年07月26日 | 演劇
パルコ劇場『SISTERS』ソワレ S席前方センター

パルコ劇場に長塚圭史作・演出、松たか子主演『SISTERS』を観に行きました。これからこの芝居を観る人は前知識なしのほうが確実に楽しめるので読まないほうがいいと思います。

長塚圭史さんの芝居は今回がお初。上演時間は約2時間15分で休憩なし。終始緊張感が保たれ長さをまったく感じませんでした。とはいえ、淡々と進むので物語に沿えないと退屈する可能性もある微妙なバランスでの芝居でもあったと思います。この芝居好き嫌いが分かれそうです。私はといえば嫌いではない。むしろ好きな方向。ただし、「うわあ、これ見てよかった~!!!!」と素直に言えない。何かが足りない。 (観た直後より後になってジワジワきました。物足りなさ、という部分は最初思ったのと変化はないが、題材の捉え方に対してはもっと考える余地が出て、あれこれ咀嚼する面白さを感じています。8/4追記)

まず良いところ。とにかく役者たちが皆良すぎです。長塚さん、イギリス留学前にパルコから贅沢な壮行会を開いてもらった(いい役者を揃えて長塚さん好きに芝居作っていいよ~)ってとこじゃ、と勘繰りたくなったよ(笑)この役者たちにこの芝居やらせんのか!って感じ。いや、まあこの役者陣だから緊迫感溢れた芝居になったわけで。ここにヘタな人が入ったらまったく台無しになったと思う。それほど危うい芝居でもあった。

松たか子、鈴木杏、田中哲司、中村まこと、梅沢昌代、吉田鋼太郎の6人が相当レベルの高い芝居をしています。特に松たか子、鈴木杏の熱演が圧倒的だった。なんか力技でどーんとやられたって感じ。なんというか神経がザワザワして感情移入できない登場人物ばかりなのに(田中哲司だけは別だが)、意識をどこかに投げる暇を与えない。どうしても集中して観てしまう。

馨@松たか子さんは、前半はいつもの役柄と違ってかなり弱々しいです。終始おびえている。自分の存在への肯定と否定が絶えず葛藤している、そんな役柄のたか子ちゃんは妙に可愛くて色ぽかった。後半は感情を剥き出しにしていくのだけどここはもう、なんというか彼女独特のオーラが出て、凄いとしかいいようが。怒りと哀れさとが交じり合った台詞に惹き込まれる。馨は自分が汚いというけど、たか子ちゃんの馨はあくまでも真っ白で無垢な女性。その繊細さゆえの精神の崩れが尚更痛々しい。高麗屋はほんとこういう純粋な狂気の芝居が上手い。でもって心身ともに体当たりすぎて「大丈夫かな?」とつい心配にもなってしまう。

このたか子ちゃんに対峙する美鳥@鈴木杏さんがまた良い。いやあ、杏ちゃんも元々、天才少女ではあるけど、でも数年前に比べすんごく上手くなった。芯の太さと繊細さ、そのバランスがよかった。それとやっぱ杏ちゃんには華がある。たか子ちゃんの華とは違った色の強い華。美鳥の片意地張った強さと弱さのなかに毒々しさが秘められていた。

信助@田中哲司さんはたぶん儲け役。でもニュートラルな役柄にぴたりとハマってイヤミがまったくない。普通さをそのまま納得させて存在感もきちんとある、ってなかなか難しいんじゃないかと思う。個人的に信助というキャラクターはそのままニュートラルな状態で先に行って欲しい。馨と共に生きることで変質していかないといいな、なんて思いながらみていました。支配されることに慣れてしまった馨を解放してあげられるのだろうか。

礼二@吉田鋼太郎さんは男の身勝手さ、弱さ、父としての苦悩、不安、そんなものを等身大の男として体現していた。上手いです。

優治@中村まことはいやらしい小市民な男をストレートに徹底的に。愛嬌とかそういうものを見せないところが見事だ。

稔子@梅沢昌代さん、妙な存在感。背景がみえないキャラだけに不安感を一番誘う。

それから演出&美術もかなり良かった。長塚さん演出の腕前はかなり良いんじゃないかと思う。舞台は一つの部屋のみ、にもかかわらず別々の2つの部屋として成り立つ。厳密にいえば3つの部屋になる。そのうえで時空も簡単に超える。空間、時間の立ち上げ方がかなりスムーズで洗練されていて上手い。美術も良かった。部屋はリアルなところと微妙に書割な雰囲気とがmixされているのだけどそれが効果的。バスルームの使い方も上手かったな。不安感を象徴的する部屋。ラストも照明と水の使い方がある種幻想的で印象的(ただしラストに関しては個人的に不満なので舞台の使い方の上手さとして、ということではあるが)

あら、ここまで書くと大絶賛かよ、な勢いですが。でもね~、違うんです。肝心の長塚さんの脚本なんですよ。物語の構成力は見事です。ミステリ好き的にこの構成のうまさには惹かれました。また題材(近親相姦、それも父の娘に対しての性的虐待)に関しても誠実に向き合っている。だけどね骨格はしっかりしているのに血肉があまり付いてないんです。言葉の使い方かなあ。日本語なんだけどどこか翻訳調で綺麗なんだけど膨らみがないというか。この題材だともっとヒリつくものがあるべきかと思うんだけど、そこが足りない。ドロドロした題材なのに、いやなものをきちんと見せようとはしているのに、でもどこか綺麗。終始不安を煽る台詞であり、演出であり、それに沿った役者たちの熱演。ここまで揃ってるのに足りない。たぶんこの芝居には必要なのは「剥き出しの長塚圭史」。理論武装しすぎてるのではないか。あえてこの題材を選んだんなら、もっとギリギリの研ぎ澄まされた感情が欲しい。問題の捉え方は悪くない。ただ、なんていうのか頭で組み立てすぎ、というか。感情の部分で曝け出せてない。じゃあ長塚さんはこのテーマをどう考えてるの?ってところで知識以上のものが出てきてない。こういう題材をテーマにしたいなら自分自身がもっとキツいとこまでこないとダメじゃないかなと。勝手なこと言ってますが…表現者としてもっと自身の感情に自信を持ってくれ、と。 たぶん、その象徴がラストの父と娘の選択。ダメだよ。あれは絶対ダメ。


【ストーリー】
舞台は・・・ある寂れたホテル。

このホテルの女主人でありレストランを切り盛りしていた操子が数ヶ月前に亡くなった。今は彼女の夫であり、このホテルのシェフである三田村優治(中村まこと)がホテルを経営している。しかし、操子の死後、客は遠のき、優治の料理の評判もいまひとつ。そこで優治と従業員の稔子(梅沢昌代)は、優治の従兄弟で、東京のビストロでシェフをしている尾崎信助(田中哲司)にレストランの新メニューを作ってもらうよう依頼した。

新婚である信助は、妻の馨(松たか子)と共にこのホテルにやって来る。このホテルの一室には10年ほど前から、操子の兄であり小説家の神城礼二(吉田鋼太郎)が娘・美鳥(鈴木杏)と共にひっそり暮らしていた。美鳥が馨に近づいてくことにより、馨の隠された過去がじわじわと忍び寄ってくる。

【配役】
尾崎馨-----------松たか子
尾崎信助---------田中哲司
神城美鳥---------鈴木杏
神城礼二---------吉田鋼太郎
三田村優治-------中村まこと
真田稔子---------梅沢昌代

【スタッフ】
作・演出---------長塚圭史
美術-------------二村周作
照明-------------小川幾雄
衣裳-------------伊賀大介
ヘアメイク-------河村陽子
演出助手---------山田美紀
舞台監督---------菅野将機

宣伝美術---------有山達也
宣伝写真---------久家靖秀
宣伝PR---------る・ひまわり

プロデューサー---佐藤玄/毛利美咲
制作協力---------伊藤達哉
製作-------------山崎浩一
企画製作---------株式会社パルコ

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完全ネタばれ補足:自分用覚書(8/4追記)

>長塚さん、作・演出に対して
視点は絶えず弱者の女性側にあって、男性側の支配的な「愛」は否定している。どちらかというと娘の親としての父に対する愛情のほうが焦点。その違いはちゃんと描いている。でもこの部分、どうしても「愛」で括られてしまうのできちんと区別しては描けない。これはどうしようもないところで、性的虐待じゃなくても色んな虐待児が結局は親を求めてしまう部分を描かざるおえない。その人間の哀しさみたいな部分で描いてる。父のほうはまったく正当性を持たないままではあると思う。でもやはり「死」というものを選ぶ安易さは否めないし突き詰めて描ききれてない。

またその帰結の部分で物語上、2重構造になってて、彼らの「死の意味」が曖昧にされてるのが一番の難点。そこら辺、ちょっと逃げ、だと思う。ここにいたって死を選ぶ当事者の葛藤がないまま。だから傷ついても親を求めるしかない娘の哀れさが立ち上がってこない部分を感じた。

>水の演出
演出が綺麗すぎるのが個人的にはマイナス。やった意味合いはわかるんだけども。水を大量に使う。父娘の小さい世界の崩壊、馨の精神の不安定さ、女の生む性であるための弱さと強さ(羊水への連想)、そして象徴的に使われたバスルームでの「死」等々、すべてを孕んでそのなかでもがき苦しむ。でもねえ、実際問題、透明な水って綺麗だし、すべてを包み込むイメージがあるので罪を内包してしまう。それでいいのか?照明にあたってキラキラしてる様の美しさをどう判断すればいいのか。これが血の色だったら?と考えたが長塚さんはあえて封印したとのこと。確かにそれだけで痛みを表現するのはかえって安易か。それにしても水には包み込むイメージもあるから使い方が難しい。観る人によっては気持ち悪いとか怖いと思ったらしいのでこれは解釈は人それぞれにという部分でもあったかな。

>馨@たか子ちゃん
精神的にも肉体的にも不安定な役。馨は父に犯され、守ろうとした妹も餌食され彼女を守れなかったことへの後悔に打ちひしがれているのだけど、それでも父が妹を連れ死んだことに対してなぜ父は自分を選んでくれなかったのかと怨んでもいる。<ラスト判明する。結婚したものの自分がこのまま幸せになれるかどうか不安がっている。そして自分と同じ目にあっている杏ちゃんを助けようとするのだけど、精神のバランスも崩れていってしまう。

>美鳥@杏ちゃん
現在進行形で父と関係を持ち、それが愛情だと信じ込もうとしている娘。近親相姦を知った叔父(血の繋がりはない)からは脅され、肉体関係をもたされている。妊娠(父のほうの子)してしまったことで、確固たる自信がなくなり不安がって誰かに助けてもらいたいと自分で知らず知らず信頼おけると思った人に父との関係を話してしまう。が妊娠は美鳥の選択でもある。今回の「物語」を生み出すきっかけのキャラクター。

この物語のなかで不幸になるのは女ばかり。この二人だけではない。ただ、心根がまっすぐな青年が一人いるので救いは少しだけだけどある。でもその青年もどう転ぶかわからない危険もはらんでいる<これは私の解釈。

>ラスト
美鳥@杏ちゃん親子を馨@たか子ちゃんの父&妹に重ねてる。そこでようやく馨の父が妹を連れ死んだことを観客は初めて知る。馨がなぜ美鳥親子に深入りし、そこまで狂えるのか、って部分を見せるという部分で物語構成は上手い。<小説的、なのかもしれない。

馨が「なぜ私じゃないの」と父の遺体にすがり「父さん、父さん」と繰り返す。その前のシーンで凄まじい憎しみ&心の傷を美鳥父に向けるだけにそれだけじゃないものも抱えてしまった娘が立ち上がってきます。
*舞台上には美鳥と美鳥に父の死体。馨のなかで自分の父と妹に変換されている。

だけど、その二重構造は美鳥親子と完全に重ねられるものではなく、そこでじゃあ美鳥親子の選択はどうなんだ、という部分が曖昧になっちゃう。

>美鳥父
児童文学作家で自意識が少々過剰な人間。美鳥のことは完全に囲い込もうとはしていない。自分のしていることの自覚はあるが、それ以上に人間として弱い。言い訳をしながら毎日を生きている、そういうタイプ。彼なりの美鳥に対する愛情の言い訳は馨の前じゃまったく意味を成さない。という構成。共感を起こさせる一歩手前に押さえられている。ここの場面は力量がないと無理。吉田鋼太郎さんがよくぞギリギリの部分で演じてくれた、と思うし、そこに松たか子の凄まじい身を抉るような対峙があるので成り立っている。

美鳥といえば、父の愛情を試すために妊娠する。これは美鳥の選択。この事実を馨から告げられた美鳥父は愛と言い訳していたものが完全に崩れ、動けなくなってしまう。そこに馨と父の会話をすべて聞いていた美鳥がそれでも父のほうに飛び込んでいく。美鳥はあくまでも子供が親を愛する感覚のみだけで突き進んだのか。

そのまま倒れこむ美鳥と父→馨のなかで自分の父と妹の死体になる。それまでにも芝居の途中で馨の妄想が視覚化されているので美鳥と父の感情の部分が「曖昧」なまま馨の父と妹の死体になってしまう。

>馨自身の過去、
妹を父から守ろうとするけど、父がいわゆる暴力だけで支配していないので<馨の言葉で「最初の頃は優しいの、騙されないで」という台詞がある。妹のほうは関係を持たされたあと、馨に忠告されるのを振り切り、父のご機嫌を取りにいってしまう。 たぶん性的関係を強いられた妹は11,2歳。父は娘の生理が始まった途端性的関係を始めるという設定なので馨も年の時にだろう。母は不在(死に別れか離婚かはわからず)の家庭。

馨と妹の過去は短くて示唆するだけのシーンだけどすべてが読み取れる。演出、上手い。

>馨と旦那の関係。
馨の旦那は優しいし暴力は振るわない。少し不安定な馨を受け止める度量のある男性。ただ、優しすぎるゆえか、馨が支配的なものを求める(コンプレックスゆえ?)のでその求めに応じてしまう面がある。この夫婦のありようは愛情のあり方って難しいと考えさせられる部分だった。どう受け入れるべきかってとこで。

>>ラストのラスト
馨の旦那が精神のバランスを崩しかけた馨に「帰ろう、家に帰ろう」って呼びかけるの。馨はふっ、と我にかえって「うん」と応える。

このシーンは最初からこの夫婦の関係性をみてないと解釈が難しい。また役者の芝居の仕方とかでも変化する場面だし。演出意図もどこまで含まれるかな部分も。このシーン、信助@田中さんは怒鳴るように命令口調だ。なぜだろう?