Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

金丸座『こんぴら大歌舞伎 第一部』上場平場席

2005年04月16日 | 歌舞伎
『彦山権現誓助剱』「杉坂墓所」「毛谷村」
「毛谷村」だけの上演が多い演目ですが「杉坂墓所」がつくとかなり話がわかりやすくなります。剣術の名手六助は母を亡くしたばかり。そこに微塵弾正から病気の母のために御前試合に負けて自分に仕官の道を開かせてくれと頼まれ了承。また多勢に襲われ死にかけていた男から頼まれ幼子の弥三松を引き取ることとなる、そこまでが「杉坂墓所」のお話。そして「毛谷村」では弾正にわざと試合に負けてやったり、子供をあやして遊んだり、一夜の宿を老女に貸してあげたり。そんな一日の終わりかけに、虚無僧の格好をした女性が敵だと六助に切りかかってくる。その女性をみた弥三松は「おばさまか?」と縋る。女性は六助から子供を預かった仔細や六助の名を聞くと、いきなり「わしゃ、お前の女房」としおしお。その女性は六助の師、一味斎の姉娘で許婚のお園であった。そして恩師、一味斎の仇が微塵弾正と知れ、六助はお園ともども仇を討つ決心をするのであった。

いわゆる仇討ちものだが、六助の鷹揚とした人の良さや、男勝りながら六助が許婚と知った途端に急に女らしくなったりするお園の姿が描かれ、ほのぼのするシーンも多い。そのようなほのぼのシーンから弾正が敵討ちの相手と知り、仇討ちを決意するるシーンの怒りの迫力の落差も見もの。

六助役の染五郎が予想以上の出来でうれしい驚き。上手になった、と本当に思う。存在感と大きさがあれほどきちんと出るとは。それと台詞の調子もいい。きちんと義太夫にのって、心地良い台詞も聞かせる。また軽く言う部分と張る部分のメリハリも効いてるし、主役としての存在感がしっかりと出てました。姿はやはり二枚目で、朴訥とした雰囲気がうまく出るかなあ?と思ったのだけど、六助の人のよさがうまく出てました。特に子供をあやすシーンでのやりとりでのほのぼの感がかなり良い。それにカッコイイ部分があるほうが、お園が相手が六助と知れた途端に女らしく恥ずかしそうにする気持ちがよくわかるし(笑)お園じゃなくても、染ちゃん六助みたいな許婚だったら皆、ああなるわ(笑)。

またわざと負ける場面でも実は相手より上手なんだよ、と剣術の達人としての腰の座り方はさすがに堂に入っているので、仇を討つ決心をする部分で「まずは御前試合で意趣返し」をしてから仇討ちをと言う部分の説得力にも繋がる。それにしても微塵弾正に騙されたと知り怒る部分での迫力が素晴らしかった。一段と体が大きく見え、台詞に怒りの激しさがきちんとのっていました。こういう感情の出し方に上手さをみせる。それと見得を切るシーンの決まりがピタッと決まっていた。最後、弥三松と一緒に見得を切るシーンでは子役の子に「はい、右」「はい、こんどは左」と小さい声で教えてあげていた。このシーンは演出かもしれないけど、六助の優しさと染ちゃんの優しさが重なって素敵な場になってました。ところどころ台詞や型に気を取られ雑になってる部分や、声がかすれてしまう悪い部分もありましたが初役でこの難役をこれだけこなせれば大したものです。

線の細さを感じさせない六助の姿を見て、私は感動してしまいました。染ちゃん、ようやく自分のところの芸をみせるだけの大きさを身につけてきたんだなあと。年齢的にちょうど合うようになってきたのかもしれない。20代までの線が細すぎて、また押し出しがあまりない繊細な雰囲気が、自分でも周囲でも「染五郎」にどんな役が似合うのかよくわからないでいたかのように色々な役に挑戦してきた染ちゃん。でもやっぱりあなたには高麗屋と播磨屋の芸を受け継ぐだけの資質がちゃんとあるんだよ。勿論、今まで高麗屋の家の芸になかった上方の役も、これからどんどん挑戦してもらいたい。でもやはり高麗屋と播磨屋の芸が一番のニンになるよう頑張ってね。

叔父様に習った通り丁寧に演じているのだと思うけど、やはりきちんとやる、ということがどれだけ大切かというのがよく見えた演目だった。見てて気持ちいいんだよねー。ファンになる前から観てきた人間なので贔屓目だけで書いてるわけではありませんよ、と書いておこう。今回ばかりは贔屓目通さない部分でも褒めたい気分です。

お園役は芝雀さん。お父様の当り役というだけあってかなり気合の入った演技。いつも以上に所作ひとつひとつ丁寧に演じていらっしゃいました。虚無僧姿ではやはり小柄で、すぐに女と知れる後ろ姿。というかなぜにあの格好でも女に見えるのだ?(笑)。六助に「女」と見破られる部分の驚きが残念ながら無いのだけど、いつもと違うキリッとした表情で、男勝りの女剣士として立ち回る姿に凛としたものがあって魅力的。でもやっぱり、六助を許婚と知り、いきなり女ぽく、なよなよしちゃう姿のほうが可愛らしくって似合う。

ひょいと臼を持ち上がる力持ちな部分をこそっと隠してみたり、舞い上がって夕餉の仕度をしはじめる姿がかなりキュート。でも空焚きしちゃうし(笑)。こういう時の仕草の可愛らしさで観客を引き込みます。また父、一味斎を殺されてからのことを六助に訴える部分がきれいに糸にのったクドキでとても良かった。芝雀さんの高い声での嘆きは悲しさと悔しさが入り混じった表情をもっておりました。この方も心情の出し方がとても上手いと思う。

敵役、弾正は信二郎さん。おおっ、悪役がこんなに似合うとは。信二郎さんは優男のイメージが強いのですが、こういう憎々しげな役も似合いますねえ。体の動きがとてもきちっとした、楷書の演技が際立ちます。信二郎さんの良さを再確認させていただきました。特に今回、様々な役をこなしていらっしゃいますがどんな役でも隙なくこなす。ここまでメリハリのあるものを見せてもらえるとは思っていませんでした。

一味斎後室お幸には吉之丞さん。この方の武家の女の姿は本当に上品です。最初のちょっとあやしげな老女といった場でも雰囲気が柔らかで、決して悪役ではないだろうと最初からわかる。六助との会話のシーンがだからなんとなくユーモラスでもあったりして、ほんとは何者なんだろう?と気になる存在になっているのがいい。

脇では源八役の染二郎さんがかなり頑張っていた。きちっと体を動かしトンボもきれいに決め、拍手をもらっておりました。こういう目立つ役を貰っていけるとどんどん良くなっていくんですよねー。三階さんの活躍もうれしい限り。

『身替座禅』
狂言を元にしたユーモラスな恐妻家と嫉妬深い妻の夫婦間の物語。恐妻家、右京は座禅をすると偽り、愛人花子の元へ太郎冠者を身代わりに置いいくものの、奥方の玉の井に見つかってしまう。嘘をつかれた玉の井は太郎冠者に成りすまし右京を待ち受ける。そんなこととは露知らず朝帰りの右京。

右京役に吉右衛門さん。白塗りお殿様の吉右衛門さんも珍しい。こういう役、似合うのかな?と思っていたのですが、やっぱり上手い。なんつーの、ちょっと情けない浮かれ殿様をかなりキュートに演じておりました。個人的に、こんな表情もできるのかとかなりの驚き。右京で一番難しいと言われる、花子宅よりほろ酔い気分で帰ってくる花道での場の吉右衛門さんのほけーっ、にま~っとした表情がなんともいえない。この表情で観客の拍手をかっさらっていくんだからほんと凄いよ。この役、猿之助さんと菊五郎さんのを観ているはずだが、これほど印象に残る出だったかな??『身替座禅』はどちらかというと、立役がやる玉の井のほうが強烈で右京の印象がそれほど強く感じたことはないのだけど、今回はかなり右京の存在も全面に出てました。さすがだ。この表情を見て、吉右衛門さんの『一條大蔵譚』を観たくなりました。相当な迫力がありそうだ。今度やるときは絶対見逃せない。

玉の井は歌昇さん。これまたすごーくキュートな玉の井なんですよ。鬼瓦と言われてしまうごつい顔で目を剥いた顔は迫力満点。なんだけど、なんだか心根は優しい、旦那一途な女心が見えるのです。ジタバタ足を鳴らすとこなんて、いじらしくってほんとうに可愛い。右京に心情を重ねるであろう男の人でもこの玉の井も可愛いと思うんじゃないかなーと思いました。

太郎冠者に信二郎さん。きびきびとした動きで演じる。ひょうきんな顔を作り、なかなかにユーモラス。信二郎さんの意外な一面をまた見せてもらえた。ちょっと気弱な感じは信二郎さんだからか(笑)。この方の丁寧な動きもみていて気持ちのいいものだった。日々鍛錬さえているのだろうなあ。

金丸座『こんぴら大歌舞伎 第二部』上場西孫桟敷

2005年04月15日 | 歌舞伎
『金毘羅のだんまり』
だんまりというのはいわゆる無言劇。無言のままお話が進み、ある時は暗闇のなかで探りあい、スローモーションで立ち回りし、ところどころで見得を切る。いわゆる動く錦絵見せるといったもの。これは好きな役者がいないとわりと退屈しがちなものと今まで思っていたのですが、金丸座という尺のなかで観るとこれが面白い。役者が密に舞台にいるので絵が決まるのだ。華やかさが引き立ち、いかにも歌舞伎役者を観た~という気分になる。また金毘羅にまつわるお話なので、ご当地ものとしてこの演目を金毘羅で観ているのだという楽しさ気分倍増。

華やかに決めた後、信二郎さんと芝雀さんはお遍路姿に早変わり。そこからは「あれ?どこかで見た顔を思えば、京屋のにいさん」と「そういうお前は萬屋の~」と楽しい会話が始まり、お客さんに受けまくり。この演目で一気に私も江戸の町娘気分ですわ。芝雀さんファンのくせして華がそれほどない役者が揃った舞台とか最初思っていたのですが、とんでもございませんでした。いやあ、華やかだったよー。

『日向嶋景清』
吉右衛門さんが松貫四という名で実父八世幸四郎(白鸚)さんがそれまで共演を禁じられていた文楽の太夫と組んで演じた『嬢景清八嶋日記』を歌舞伎に書き下ろした新作。文楽を元にしたものということもあるのだろう少数人数でのシンプルな舞台。

平家の侍大将だった悪七兵衛景清が源氏に下るのを拒み盲目となって島に流されている。そこに娘が父会いたさに、そして父の生活のためにと遊女屋に身を売りお金を作り尋ねてくるという筋立て。父と娘の愛情劇を中心にした物語。最初、筋立てや背景、景清の姿含め俊寛にちょっと似ているなあと思いました。先月、幸四郎さんの俊寛を観ているせいもあり、似た拵えだと吉右衛門と幸四郎さんてほんと似ているなあ、兄弟だなーと思いました。でも演技の質はやはり違うなあとも。

このお話はなんといっても吉右衛門さんの気合の入った演技が素晴らしかった。最初のかたくなまでに自分の内の怒りだけに身を焦がしている様、そして娘の情に触れ一気に娘への思いが溢れ出る様に迫力がありました。娘が身を売り自分のためにお金を用意したと知り、去っていった船に向かい「娘を売るな~」と悲痛な叫びを出すシーンでは胸が締め付けられました。

また、娘、糸滝を演じる隼人くんの一生懸命な姿にも胸打たれました。娘役は初めて、また多分こんな大役を任されるのも初めてだったと思うのですが、必死に勤めている姿が糸滝の心情とうまく重なり健気さ、哀れさがストレートにこちらに伝わってきました。決して芝居上手ではないし、声も不安定なのですが、今回の役にはピッタリ合っていたと思います。お父さん譲りのきれいなお顔での娘姿が愛らしい。

人買いの佐治太夫役の歌昇さんはそれほど悪さを出さず、職業として割り切ってやっている感じを出して糸滝の付き添いとしてちょっと人のいい部分も見せる。悲劇を際立たせるためには最初からもうちょっと悪そうでもいいと最初は思ったけど、景清を騙す部分での信用されやすそうな口調など、あらすじを知らなければ、そのまま観客も騙され、実は娘が身を売っていたと判明する時に驚きがあったかもとも思った。あらすじ調べていかなきゃよかったかも。

天野四郎の信二郎さん、槌屋郡内の染五郎さん、この二人は最初、景清を世話している島人として登場。二人ともすっきりな二枚目で島人にはちょっと見えません(笑)。二人とも絶対怪しいって、きれいすぎて目立ちすぎだよ(笑)。しかし、この美しい顔立ちの二人が並ぶとなかなか見ごたえが。信二郎さんはちょっと古風な、染ちゃんは今どきなと同じ二枚目でも雰囲気が違う。この二人がちょっと地味な演目に華を添えた感じでした。ここでは、信二郎さんが染ちゃんより年上の貫禄を見せましたね。脇に控えている立ち姿にちゃんと心情が見えてのきっちりした姿。隼人くんが出ているだけに、脇役としてしっかり役を捉えていたように見受けられました。染ちゃんは、叔父様を観るのに必死という感じで好感は持てましたが、こういう脇の時もきっちり役になりきって立ちましょうね。

『釣女』
この演目はとにかく楽しいです。独身の大名がそろそろ妻を娶りたいと太郎冠者を連れ、恵比寿様へ詣出にいく。そこで夢のおつげを聞いた大名は釣り竿で美女を釣り娶る。うらやましがる太郎冠者も同じように釣り竿を投げて女を釣り、添いましょうとねと誓ってから被り物を取ったらなんと醜女だったという、いかにも狂言仕立の演目です。「あはは」とお腹から笑って楽しく過ごしました。

大名は染五郎さん。うわー、こういう拵えがほんとに似合うんだわ。出た瞬間ぱあっと明るくなる華がやはりあるんだよねえ(惚)。そんな染五郎さん扮する大名が「この年まで定まる妻がない」とか言うものだから、そこでもう笑えます。「妻も子もあるだろうがっ」と。この台詞、普段結婚している役者がやっても笑いは起きないんだけど、新婚さんな染ちゃんだからなおのこと暖かい笑いが起きたような感じでした。染ちゃんは楽しそうにちょっとわがまま大名を可愛らしく品よく演じていました。そして叔父様から「染ちゃん、おめでとう」と言われて拍手が起きたときには思わず笑ってしまってましたね。でもそれがまたキュートで、絶対ファンを増やしたと思う。

太郎冠者が歌昇さん。やっぱりこの方、うまいなー。それに体のキレが本当にいい。歌舞伎座では赤っ面を拝見することが多いのだけど、ひょうきんな太郎冠者もぴったり。体型もちょっとふっくらしているのでおおらかさが出て、わがままな大名を懲らしめようとする場面も本当にユーモラスになる。体ひとつひとつの動きが見てて気持ちのいい役者さんです。

上臈は芝雀さん。か、可愛い~。なんでこんなに可愛いの~。上品で可愛らしくって、釣った大名がうらやましくなる、そんな女性を可憐に演じておりました。芝雀さんは小柄で顔がふっくらされているので美女というよりは別嬪さんって感じなのです。この方の品のいい優しげな雰囲気が、そして桜の蕾のようなちょっと硬い色気といった持ち味が大好きなのです。この方は一途に思う気持ちを本当にまっすぐに出すことのできる役者さんだと思うのです。今のところ、だから健気な娘とか、おっとりしたお姫様、そして旦那を一途に思う女房といったような役が一番似合う。でもいつかお父様のような満開の桜色のオーラが出るような役者さんになっていただきたいとも思います。

そして、醜女がなんと吉右衛門さん。まじですかー?(笑)。見事なおかめ顔のでかい醜女で盛大に笑いをかっさらって行きました。こりゃ、反則技だよ。めったに見られない吉右衛門さんの女形はなんとも凄かったけど何気に可愛げでした。ちゃんと女形の声も作っているんですよね。すごーい、やっぱ役者のプロ根性ってすごすぎるというか…もしや吉さまったら遊んでたかも?。しかし、このおかめ顔で「染ちゃん(ほんとに染ちゃんって言うんですよ)、おめでとう」だもん。そりゃ、染ちゃんも噴出すわな(笑)。

歌舞伎座『四月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 夜の部』3等A席

2005年04月09日 | 歌舞伎
四月歌舞伎座は演目がほぼ同じ面子で演じられているのをわりと最近(と言っても5、6年経っているのもありますが)観ていた為、わざわざ高い襲名披露価格の時に観なくてもと思っていたのですが、やはり観に行ってよかったと思いました。まずは一年ぶりの歌舞伎座復帰の団十郎さんが勢いを取り戻されているのが拝見できたのがうれしかったですね。あと、5年前、同じ新・勘三郎&玉三郎コンビで観た『籠釣瓶花街酔醒』が5年前と思った以上に印象が違っていたのが面白かったです。

『毛抜』
なんといっても団十郎さんの完全復活を印象づけた場ではなかっただろうか。活舌の悪さもなんのその、朗々と声が響き、また役柄にぴったりの稚気溢れる表情のおおらかさがなんとも言えない。お話自体はいかにも荒事の荒唐無稽なナンセンスぶりを楽しみ、一場、一場の見せ所の積み重ねで見せる演目なのでそれほど面白みのあるストーリーではない。だからこそ役者の魅力で見せていく。のんびりとした運びなので弾正に魅力がなければ退屈してしまうかもしれない。そんなお話を退屈させずに魅せた団十郎さん。よくぞここまで回復してくれました。

『毛抜』は他の役者では段四郎さんで観ている。ケレン味という部分でさすが澤瀉屋といった感じで派手さでは段四郎さんのほうが面白かったが、団十郎さんの独特のおおらかさも良いねえ。それと「真っ平ごめんくだせい」と客席に頭を下げる時の客席からの「歌舞伎座へおかえりなさい」といった観客からの暖かい拍手もありその一体感で非常に気持ちのいい空気が流れておりました。

勘太郎くんのお小姓姿もなかなかでした。弾正に言い寄られ、困った風情がなかなか色ぽかったかも。また同じく弾正に言い寄られる腰元役の時蔵さんの「困ったお人」と軽くあしらう風情も素敵。時蔵さんの「びびびびー」は品が良い。

『口上』
三月に較べると人数が減っているので、一瞬少し寂しい感じがしましたが先月がちょっと特別にすごかっただけで、やはり豪華な面子での口上でした。今回は勘三郎さんのお母様の命日ということを芝翫さんがお話されその頃の思い出話から始められ、胸にジーンときました。あと団十郎さんが1年ぶりに歌舞伎座のこの席に居られることの感謝を述べられ、一際拍手が湧いてました。海老蔵さんも自分の襲名披露で慣れているのか、早口だけどきちんとした挨拶でなかなか好感。やっぱり彼は声がいいねえ。姿は私にはやっぱお父さんに似てると思うんだけどな。七之助が今月の『口上』で復帰でした。これから、がんばれ。それと…ええっと実は口上で一瞬、仁左衛門が我童さんに見えたのは内緒だ…声も似てるしやっぱ兄弟。

『籠釣瓶花街酔醒』
この演目は5年前に観た時に玉三郎さんの強烈なオーラをあらためて思い知った&勘三郎さんのくどきのうまさを知った演目だったのだけど、全体的に観たときには物語としてはいまいち説得力がなかった。特に勘三郎さんが人の良い次郎左衛門を造詣していたのだが、前半はそれが役柄合っていてとても良かったのだが、後半もそのまま単に人の良いままで、必要な狂気が全然見えてこず、縁切りの場から最後の殺戮の場までにいまひとつ説得力がなかったのだ。それで、今回もう一度このコンビで観てもなあ、どうなんだろう?と思っていたのだ。でも今回観て良かった。この5年の間に勘三郎さんが演技の幅を広げ、狂気に説得力を持たせたことでかなり良いものになっていた。この5年でますます演技の幅を広げてきた勘三郎さんはすごいね。

勘三郎さんの次郎左衛門はいかにも田舎の朴訥した人柄を見せる。傾城八橋を見染めるシーンは、実は前回のほうがいかにも惚けた感じが可愛げで純朴な人という感じで、私はこちらのほうが好みで好きだったのだが、今回は惚け方に愛嬌をあえてあまりのせてこなかったように思う。すでに最後を暗示するように、全身で魂抜き取られたといった風情を出していた。ここはいかにも田舎ものの世間知らずな愛嬌を出していたほうがラスト活きる気もするのだが…どうなんだろう?

ただ、その後の次郎左衛門は、5年前とは比べ物にならないほど、役にハマっていてよかった。八橋に惚れに惚れこみ、自慢したくてたまらない、そんな朴訥さが表現されたあとでの人前で縁切りの場は素晴らしかった。人前で恥をかかされ、何より信じてきた八橋に裏切られた、そんな絶望感での必死のかきくどき。このシーンでは息を詰めて見るしかなかった。そしてそこですこんと狂気陥ってしまったのかもと思わせる表情を出してきて、ラストの場で完全に狂気に陥った様を見せつけ、八橋を殺す場に説得力がでた。以前は朴訥さのほうが全面にでて狂気が見えず、なぜ殺すのか?に説得力がなかったのだ。狂気をきちんと表現できるようになったのだなあと感心した。

さて、もう一人の主役、八橋の玉三郎さん、相変わらずの美しさと存在感はダントツ。ただ三月にもちらっと思ったのだが会場全体を完全に支配するほどの強烈なオーラがこのところ半減しているような気がしてならない。なぜなのだろう。演技の質を少し変えてきてる部分で、華だけで見せようとしていないのかもしれないとも思うのが、私にはまだ判断つきかねる。ただ、今までたっぷりとみせていた部分をかなり押さえているのには間違いない。見染めの場での八橋の歩みは以前よりあっさりめの足運び(海老蔵襲名の『助六』の揚巻のときもそうだったなあ)。また笑みも、「傾城八橋とは私のことよ」と自信たっぷりに婉然と微笑むというより、もう少し抑えた「あら、田舎から出てきた人がうろちょろしてるわ」と思わずにっこり、という風情のような。うーん、あの強烈な笑みを期待していたのでちょっと物足りない…。

ただ、縁切りのシーンで間夫のために、どうにもならなくて縁切りするという部分は見事だった。ほとんど表情を変えないのだが、それがかえって心が引き裂かれ後先考えず口から言葉だけが発せられてるといった風で哀れさがでた。そこがラストのシーンでの次郎左衛門にすまなさそうにしている姿に説得が出て、殺された八橋への哀れを感じることができたのだと思う。

八橋の間夫、栄之丞は仁左衛門さん。すっきりとした色男ぶりと、女を食い物にする悪さを感じさせない可愛げのある栄之丞でした。それにしても着物を着替えているシーンの手つきのかっこいいこと、惚れ惚れする。また、八橋と会う場での色気のある立ち姿…ああ、八橋が惚れこみのもしょうがないと思わせる。

脇では先月に続き、治六役の段四郎さんと九重役の魁春さんが素晴らしい出来。なんというか役柄と風情を一致させ、きちんとした心根を見せる。この二人の存在が物語の幅を広げている。佐野での次郎左衛門と治六との主従の生活、廓での八橋と九重の生活が垣間見えるのだ。特に魁春さんは以前の松江時代の楚々とした美しい容貌が衰えてしまい、ちょっと悲しい思いをしていたのだけど、役者は容貌だけじゃないぞ、と思わせる演技をきちんと身につけていらしたのだなあと先月に続き非常にうれしく思った。

また七之助の初菊もなかなか良かった。七之助だからということだけではなく、華のある姿で3階までジワがきました。初々しさがあり必死さもきちんと出た。それと女形の声がとてもきれいでしたね。

サントリーホール『国立パリ管弦楽団 Bプログラム』C席 2F P席

2005年04月06日 | 音楽
指揮/ミシェル・プラッソン

軽やかな音色と管楽器の美しい音色が印象的。聴きなれた楽曲が並んでいたなかで初めて聞いたショーソンの曲もかなり印象に残りました。とにかく非常に楽しい音楽会で特にラストの曲『ボレロ』からアンコール曲までは私、ノリノリ状態でした(笑)。指揮者のプラッソン氏がサービス精神旺盛な方でアンコールは4曲。会場が明るくなっても結構な人が残り拍手が鳴り止まず、プラッソン氏と楽団員の方々がうれしそうに応えてくれていました。

ドビュッシー『牧神の午後への前奏曲』
ショーソン『交響曲変ロ長調』
ドビュッシー『海』
ラヴェル『ボレロ』

アンコール曲:
ビゼー『「アルルの女」よりアダージェット』
ビゼー『「カルメン」より間奏曲アラゴネーズ』
ビゼー『「カルメン」より前奏曲』
サティー『ピカデリ』