Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

シアターコクーン『NODA・MAP 贋作 罪と罰』1回目 A席2階前列上手寄り

2005年12月28日 | 演劇
シアターコクーン『NODA・MAP 贋作 罪と罰』1回目 A席2階前列上手寄り

野田作品はほぼ初見といっていいです。舞台は円形劇場のように設置され、舞台前方、後方、両方に座席がありました。私の席はA席の2階前列上手寄りでしたので役者の細かい表情はきちんと見えないのですが、全体がよくみえて今回の演出の舞台を観るのにはかなり良い席だったかも。

スロープと階段が囲む菱形の舞台。舞台の周囲には様々な椅子が置かれ、出番のない役者が座り(ようするに役者さんたちは出ずっぱり)、またその椅子を小道具にし、家具にしたり、船にしたり、手錠にしたりと様々な形で使っていました。シンプルなつくりの舞台でしたが見事に場面場面で情景が浮かんできました。

最初はテンションの高い動きやあまり抑揚が無く叫んでいるような台詞廻しに戸惑い、付いていくのが精一杯でしたがいつしか話のなかに惹きこまれ、笑ったり泣いたりしていました。絶えずスピーディに動いている芝居なのですが、その動きに慣れて来ると「言葉」の舞台だと、そう思いました。その言葉ひとつひとつが美しい。特に後半、英と才谷が紡ぎ出す言葉が泣きそうになるくらい綺麗。発せられる一言一言が煌き、透明感溢れる空間がそこにたちあがっているかのよう。最初のうち馴染めないものを感じていた舞台に引き込まれた瞬間、それは才谷が「英、たまには笑えよ」から始る大川での才谷と英の会話でした。才谷がこの言葉を発した瞬間、暖かい空気が流れ、英が「この大川の岸辺に立つと、この景色に抱かれる気がした」そう発した瞬間、大川の水面がキラキラと光り一陣の風が吹いた。私にはそう感じたのです。そして私のなかに幕末の空気が立ち上がり、そして言葉ひとつひとつが流れこんできた。

「人間はすべて凡人と非凡人のふたつに分けられ非凡人は既成の道徳や法律を踏み越える権利がある」その理念のもと、人殺しをする英。だが理想のためと言いながら「人」として追い詰められ崩れていきそうになっていく。人を殺すということがなんなのか、その「罪と罰」。その問いかけは観客にゆだねられる。とても切ないラストでしたが、「人」というものへの希望は捨ててないラストのようにも思いました。とても感動したのだけどなんだか自分で咀嚼しきれないもどかしさも感じています。カタルシスがあるわけでもなく、登場人物たちに共感できるかといえば、実はそうではなく。しかしそこにいる人々は私の身の内に存在する、そうも感じたのです。

松たか子、古田新太、段田安則がとても素晴らしかった。野田さんは最後の台詞のとこがなんだか凄まじかった。

英は松たか子さん。真っ直ぐなまなざしと凛とした姿が美しい。そしてあまりに真っ直ぐな余裕のなさに英のひりひりするような精神の危うさがありました。そして理想を信じようとして、また信じるがためにした「人殺し」という事実に追い詰められおびえていく焦燥感がじわじわと伝わってきました。松たか子さんのあまりにのびやかな精神の英ゆえに彼女がしでかした事が特殊な出来事ではない事として伝わってくる。ただ、まだ松たか子さん自身が英というキャラクターを消化しきれてない部分があったようにも思います。特に最初のうち松たか子さんは英を受け入れることが完全に出来ていないような気がしました。「人殺し」を正当化することができる英に捉えられるのが怖いのではないのか、と少し思いました。英は純粋さが狂気となっていて、ある意味とても残酷で陰惨なキャラクターでもあると思う。それでも、英@松たか子から発せられる言葉は風を呼びキラキラと光っていました。その美しさゆえに私は英をどう受け入れればいいのか、つい考えてしまうのです。

才谷の古田新太さん、好きな役者さんですが、生の板の上での古田さんを初めて本当に魅力的だと思いました。彼が演じる才谷にはとても暖かい空気が流れていました。懐の大きいキャラクターを自分に引き寄せ、かなり自由にてらいなく演じているようでした。受けの芝居が本当にいいです。本当に自然に受け止め受け入れる。とても大きいものを感じさせました。決して、滑舌がいい台詞廻しではないのですが言葉のひとつひとつが活き活きとしていました。気持ちがあったかいってカッコイイことなんだなあって素直に感じさせてくれました。

刑事、都の段田安則さんはクレバーな存在。冷静に真実を求めていく。断罪するのではなく、見極めようとする視線。この人が出てくると空気が締まる。そこにいる存在として一番ハマっていたのが段田さんでした。

金貸しのおみつ、英の母の清、徳川慶喜の三役を野田秀樹さん。終始テンションの高い役作りにビックリ。でもそのテンションの高さがイヤミではなく、どこか厳しさを湛えている。とても不思議な存在感でした。この物語のなかの三役の役割は混沌とさせるキーの存在。そして憎まれるものとしての象徴として繋がっている。同じ人が三役をすることでその繋がりが表われてきていました。その構成の見事に感嘆。ラストの清と慶喜の二重写しでの台詞には圧倒させられました。「愚かで無意味な存在は殺されてもいいのか?」と…。それを受けて英から出た言葉の美しさ。とても単純な言葉です。でも必要な言葉でした。作家としての野田さんの凄さ。

国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』3回目 1等A席 1階花道脇前方

2005年12月25日 | 歌舞伎
国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』3回目 1等A席 1階花道脇前方

千秋楽の本日、役者さんたち皆さんがたーっぷりやってらして楽しかったです。1回目、2回目観劇の時は「芝居を観た~」という感覚だったのですが今日は「歌舞伎を観た~!」という感じでした。

特に、河内山@幸四郎さんと松江候@彦三郎さんが、二人してたーっぷり台詞を転がしておりましたよ。お互い自分の役柄を楽しみつつ丁々発止していた感じ。メリハリの利いた台詞回しのなんとかっこいいこと。「松江邸書院の場」がこんなに楽しいなんて。高木小左衛門@段四郎さんとか宮崎数馬@高麗蔵さんとかもとっても素敵なのになんで皆寝ちゃうの~?

大膳@幸右衛門さんもぐっと台詞回しを低くされ目つきも強くし悪役としての存在感をだしてました。そのおかげで「松江邸玄関先の場」でのやりとりがより面白くなっていました。

玄関先で河内山がいきなりべらんめい口調になる部分での幸四郎さんのくだけかたが一段とメリハリがきいていたなあ。その開き直りっぷりといかにも下町のべらんめい口調がいかにも庶民のヒーロー。それだけじゃなくて、しっかり緻密な計画のうえでの大ハッタリの緊張感といい、そして見破られてからは頭の回転の速さがあるというのがよくみえる部分といい、今回の幸四郎@河内山には本当にニンマリしてしまう。

染五郎@直次郎は若手だけあって成長著しい。初日と千秋楽では別人のようだ。今後、直次郎は確実に持ち役に出来るな、と思いました。特におっと思ったのが「吉原大口三千歳部屋の場」で、前回まではまだまだひよっこという感じだったのだけど、しっかり丑松の兄貴分としての大きさがでてました。役に対してのメリハリが利いてきた感じ。また「入谷蕎麦屋の場」での逃亡者としての緊迫感が増していました。だから股火鉢やそのあと手を温め、足を暖めするシーンが妙に印象的。寒さのなか凍えながら来たんだなあと感じることができる。この場では一瞬たりとも緊張を解かない直次郎でした。

それにしても染五郎は場に緊張感を持たせるのが本当に上手くなったと思う。だから、ふっと緊張が解けたシーンでみせるふわっとした色気が際立つようになってきたのかもしれない。三千歳との最後の別れの引っ込みで涙が滲んでいました。やっぱり最後「三千歳、もうこの世ではあわれねえぞ」って言わせてあげたかったかも、なんて思いました。ラスト、河内山ってば邪魔とか思った(笑)。でも河内山がいないと絶対三千歳のとこに戻って捕まっちゃいそうな直次郎でもありました。染直次郎は完全に破滅型だなあ。

それにしても最後まで緊張感の保った良いものを見せてもらえた今月の国立でした。

国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』2回目 1等A席 1階花道脇後方

2005年12月17日 | 歌舞伎
国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』2回目 1等A席 1階花道脇後方

今回は新七(黙阿弥)さんに惚れた。というか『天衣紛上野初花』のなかの江戸、あの世界観に惚れた。金子市之丞が刀をきら~ん☆と振り下げた時に河内山が言う台詞が「星が落ちたか」ですよ。ぎゃーーーっ、なんてカッコイイの。ピカレスクロマンとかハードボイルドが好きな人は観に行くべきですねっ。

黙阿弥らしいエッセンスが凝縮されちりばめられていながらも過剰さを廃し、シンプルにぎりぎりまで削ぎ落とされた語り口。それこそ「粋」で「洒落た」味わいがある物語だ。黙阿弥の「江戸」末期を生きてきた人間としての「江戸」への郷愁、滅びいくものへの哀切、そしてなにより「生きてきた時代」への愛情、そんなものが感じられる。これは通しで見るべき芝居ですよ。まずはごく普通の暮らしをする商家を見せ、次にアウトサイドな場、遊郭で生きる人々を見せ、それから特権階級の旗本の暮らしを見せる。これらの場、全てに河内山が絡むことにより一つの「江戸」として繋がっていく。ある意味、河内山は江戸を見せる触媒でもあるのです。その河内山がアウトローなところが心憎い。なんとも上手い構成ですよ。通しだからこそ見えてくるものがあった、そんな感じです。

そしてこの黙阿弥のエッセンスを上手く構成して見せてくれた国立スタッフと幸四郎さん、そしてその意図を見事に表現してくれた役者さんたちの力に感銘を受けました。「江戸」の空気感というのはこういう感じだったのかもしれないと思わせるだけの「空気」が流れていました。そして彼らはそこに生きているという手触りがあったように感じました。リアルでないところのリアルさというのでしょうか。歌舞伎という舞台だからこそ見せられる世界観だとも思いました。

初日周辺で観た時にはその「生きた江戸」の雰囲気の片鱗は見えていましたが、まだ薄かった。しかし中日以降になってその「空気」が密になり濃くなっていました。ふわっと物語が立ち上ってきたかのようでした。いつもなら役者のいわゆる役者ぶりや芸に目が行きがちなのですが今回はすっかり『天衣紛上野初花』の世界のなかを楽しんでいました。

それにしても今回は役者さんそれぞれがストンとその場にハマっていたような感じ。アンサンブルが良いのです。そのバランスの良さをまとめ引き締めたのが河内山@幸四郎さんの存在感と華でしょう。

幸四郎さんは英雄より人間の多重性を備えた人物のほうがより魅力が出る方なのではないだろうか。善と悪、その両極端を同時に備えられる。そして「人」としての業を真正面から受け止めたものを醸し出す。だからこそ、「悪」は「悪」になりそこになにかしらの「義」が見える。にしても今回の幸四郎さんの河内山の造詣は見事だったと思う。豪胆と繊細、どちらの顔を見せる。人の小ささと大きさとをてらいなくみせるからこそ河内山は庶民のヒーローたりえる。すっきりした造詣ながら、たっぷりとした存在感がある。これが相反してないのだからねえ…見事だ。前回、12/4に拝見の時は少し声の調子が良くなかったのだけど、今日は絶好調だった。メリハリの利いたなんとも魅力的な台詞回し。いわゆる一人オーケストラ状態だ、と思いました。<ソロ(ピアノやヴァイオリン等)なのにオーケストラを聴いたような豊かな音を聴かせてしてくれる演奏家がいるのですが、そういう方々を聴いた時と同じ感覚を受けました。

今回、急激に存在感を増したのが三千歳の時蔵さん。柔らか味が増し、けだるい空気を纏いつつ、年下の悪党に惚れきった可愛い女としての存在感。直次郎との距離感が良いんですよねえ。年下に惚れたことでの不安感が言葉に出ていて、私のことどのくらい好きなのかしらって絶えず確かめてる感じ。それでいて姉さん女房としての誘い込むような女の色気がたっぷり。女の意地と弱さの同居。いやーん、いいわあ~、可愛いわっ。そして「入谷大口寮の場」ではもうただ一途な恋する女。直はんしか見えてない、彼と一緒に居られればいつ死んでもいいと思いつめた女。だからこそ逢瀬がかなった時の嬉しそうで一時でも離れたくない表情に恍惚としたものが現われる。うひゃ、今回の逢瀬はエロかったすよ。

染五郎@直次郎もぐんと良くなっていた。前回、若旦那風だった「吉原大口二階廻し座敷の場」で線の太さが出てまた台詞廻しの部分に芯が入った感じがあり、しっかりと御家人崩れの小悪党風情になっていた。それと三千歳@時蔵さんとの距離が近づいた。恋人同士としてのじゃれ合い、甘えあいになってる。三千歳に一緒に死んでと言われ「おらあ、金のために死ぬのはいやだ」というのが、本気でいやがっているというより、甘えて言ってる感じ。自分に惚れてくれてると信じている、その自信がそう言わす。一人寝はいやだから三千歳が部屋に帰ってくるまで寝ないって可愛い男じゃん。直はんも三千歳に惚れてるから言うんだよね。三千歳&直次郎って年上女&年下男の組み合わせでしっくりくるカップルなんじゃないのかと今回思ってしまった。それくらい今回は三千歳@時蔵さん、直次郎@染五郎二人に説得力があった。

後半「入谷蕎麦屋の場」では丁寧に芝居をするところから抜け出てきて、思い切りのよさがありその部分に「粋」が近づいてきた感じがあった(でも「粋」というまでにはまだまだかな)。またそれだけじゃなく、人目を避けてきた逃亡者としての不安感、緊張感のほうをより強く感じさせていた。蕎麦屋夫婦と丈賀ののんびりした空気のなかのこの直次郎の緊迫感を感じさせる空気がこの場を見ごたえのあるものにしていたと思う。「入谷大口寮の場」での花道の出の途中、ちょうど直次郎が周囲の様子を伺うシーンがある。これを真横で観た。まだ花道が高くなっていない場所なのでかなり近くで顔を見ることができたのだけど、その時の染五郎はほんの少し不安そうに油断なくしっかり周囲を伺う直次郎の顔だった。目線がかなり遠くにあって視界には風景しか見えてないそういう表情だった。染五郎ファンにはかなり美味しい位置だったのだけど染ちゃんを見惚れるのではなく直次郎の不安さを見つめる結果となった。悪党になりきれない悪党。人恋しい寂しさのある直次郎。

その直次郎の不安さが三千歳に会うことで癒された。その表情にかなり色気があったように思う。なんというか、しっかり恋人同士の逢瀬に見えた。清元に乗っての三千歳とのキメのシーンが二人ともやたらと美しく色っぽかった。青臭さのなかに男の芯があったという感じかな。台詞廻しが良くなっていたせいかな。どこがどう変化したのかわからないのだけど。そしてラスト、三千歳を置いていくことへの逡巡がよく見えて「もうこの世では会われねえぞ」の台詞がなくてもその辛さを湛えた引っ込みであった。近くでみると染直次郎は別れるのがとっても辛そうな顔してました。

全体が良かったなかで得に今回印象に残ったのは松江候の坂東彦三郎さん。より殿様らしい雰囲気と悪役としての自己中心的ないやーな恐さがありました。彦三郎さんて悪役のイメージが全然ないんですが、今回の悪役はかなりいけてる。

また丑松の市蔵さんに小ずるい表情が出てきていて存在感が出てました。泥の世界にどっぷり浸かった悪党。

歌舞伎座『十二月大歌舞伎 夜の部』 1等2F下手寄り

2005年12月10日 | 歌舞伎
歌舞伎座『十二月大歌舞伎 夜の部』 1等2F下手寄り

『恋女房染分手綱』重の井
児太郎くんが福助さんに非常によく似ていることもあり実の親子で演じたところの面白さがあった。三吉が重の井に自分の母だと言うシーンが無条件に観客が受け入れられる。そのため三吉の必死さにその時点で感情移入することが出来、その後の展開にハラハラすることになる。ただ児太郎くんが子役としてはギリギリの年齢で「健気さ」を感じるには危ういところにあった。声もしっかりしているし、形もしっかりやっている。ところがそれゆえに大人びすぎており、あざとさが見えてしまうのだ。とても頑張っているのはわかるだけにあと1年早かったらとつい思ってしまった。

福助さんの重の井は母であり女。母としての情愛がたっぷりで、子供が可愛いという部分がハッキリしておりその部分の嘆きがとても上手い。現代的な感覚の嘆きなので知らず知らず胸が締め付けられる。しかし感情が激しすぎるため三吉を思い切れるような女性に見えない。後悔がありすぎて弱い女なのだ。きっぱりと子供を思い切る、その部分の哀しさがあまり伝わらない。どこかで重いものを背負って行きていかなければならない哀れさとそのなかで前を向くしかなかった強さがあるほうが説得力があると思う。そのせいか最後の泣き笑いが物足りなかった。糸にのった形はとても美しかった。福助さんはもう少し格と豪胆さを出せるようになるといいんだけどな。

七之助の腰元若菜のテキパキとした造詣がすっきりとした可愛らしさにもなりとてもよかった。

弥十郎さんの弥三右衛門の飄々とした爺ぶりもなかなかよかった。もう少し愛嬌をのせてもいいかも。


『船辨慶』
期待していた玉三郎さんの『船辨慶』は期待外れ。能に近づけた新演出という意欲は認めるが…。玉三郎さんが能の表現方法と歌舞伎の表現方法の違いを見極めて無いとは思えないのだがどうしてああいうものにしてしまったのか?今回はただの真似の域でしかなく歌舞伎に消化されておらずアラばかりが目立つ。従来の『船弁慶』でさえ静御前の舞は能役者とつい比べてしまいがちなのに…。今回はあまりに能に近づけすぎて、あらためて能役者の凄さに思いをはせる結果になってしまった。謡い、足捌き、まるで違う。玉三郎さんのは真似事にしか見えないし、そもそも、声も体型も能に向いているとは思えない。柔らかいしなやかさ、それが玉三郎の身上ではないのかしら。なぜそちらの方向に行かないんだろう?存在感は相変わらず素晴らしかったんだけど…それだけじゃ納得はしない。玉三郎さんの静御前、さぞかし義経への切々とした恋情を表現してくれるに違いないと思っていただけに残念すぎる。知盛はあまりに迫力不足。妄執、怨念のオーラがみえず、人外の異様さもない。後半の場で張り詰めた空気感を作り出せてなかった。玉様の出、引っ込みどちらにもほとんど拍手が沸かなかった。これほど拍手が沸かないのも珍しい。観客がどう思ったか端的に表れてると思う。

弥十郎さんの弁慶は大きさもあり朗々とした声も良くピッタリ。

唯一、盛大な拍手を貰っていたのは船頭の勘三郎さん。明るい華、観客を惹きつけるオーラがお見事。間狂言をしごく真面目にしっかりと歌舞伎らしくみせてさすがの底力。

薪車さんの義経は美しい。どことなく緊張していたような感じも。あのメンバーのなかにいたらねえ(笑)

ああ、そういえば曲と囃方はとても良かったです。緊張感の保ったいい演奏だったと思います。

#それにしても今年になって玉様の方向性にだんだんついていけなくなっている。どうしてだろう?玉様のやることなすこと「素敵」としか思ってなかったのに(涙)<私、玉様ファン歴17年です。この年季で今更ついていけないと思うとは…。


『松浦の太鼓』
今年の歌舞伎はNHK大河とコラボしたのか?と思うほど源平に明け暮れた1年だったと思います。そのわりに『義経千本桜』を通しでやってくれませんでしたけどねっ(不満)。しかし年の瀬には、やっぱりあれが観たいじゃないですか。そーですよ、忠臣蔵。12月の歌舞伎座夜の部の打ち出しを『松浦の太鼓』にしたのは非常に良い了見ですよ。はい、それだけで勘三郎さんの株が私のなかでちょっとばかり上がりました(笑)

全体的にかなり軽く仕上がっていましたが前の演目とのバランスを考えると、このくらいのほうが良いのではなかと思います。気分よく楽しく見ることができました。喜劇の方向性を強く打ち出したところに仇討ちを応援している周辺の浮かれ気分を現しているようにも見える部分があり、そういう皮肉な部分がさりげなくみえたのも面白かったです。

松浦侯の勘三郎さんは、ご自分の愛嬌を全面に出し少々軽薄なお殿様を造詣。へたすれば軽佻浮薄になりかねない一歩手前で押さえ、殿らしい品もきちんと備えている。自由気ままで自分の欲望に忠実、だけど情に厚く天真爛漫で憎めない、そんな松浦侯。勘三郎さんの人を惹きつけるオーラがそのまま松浦侯へと転化されたようでした。ただ、このキャラクター造詣のためか、陣太鼓が聞こえてきて、指折り数え意味を図るシーンで笑いが起こるのは痛し痒しかもしれません…。あそこは笑うとこじゃないと思うんだけどなあ。

宝井其角の弥十郎さん。夜の部は全ての演目に出演されていました。脇役で核になるような役者さんが少ないということでしょうか。弥十郎さんは三演目ともしっかり演じ分け、それぞれに存在感を見せました。しかし、其角はちょっと俗ぽい部分がありすぎたかな。もう少し枯れた味わいが欲しかった。勘三郎さんのテンションについていくには、あのくらい俗ぽさがないと負けちゃいそうですが(笑)

お縫の勘太郎くんが、とても可愛らしかった。ごつい顔と体格があまり気にならないほど、しっかり体を作っていました。とてもしなやかで健気な雰囲気を出すのが上手い。

大高源吾の橋之助さんは、風流人には見えませんが一本気な雰囲気が赤穂浪士としては良かったと思います。最後の場の語りに緩急がなさすぎて、聞きづらかったのが残念。

殿様よいしょ5人衆が結構笑えました。

東京オペラ・シティ『ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル』B席3F R4扉

2005年12月06日 | 音楽
東京オペラ・シティ『ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル』 B席3F R4扉

現代音楽の旗手と言われているフランスのピアニスト。現代音楽に苦手意識を持っている私だが、今年4月に聴いた国立パリ管弦楽団の演奏が楽しくてフランス系の音作りに興味を持ったのと、ドビュッシーのピアノ曲ってどんなんだろうという興味から今回の演奏会に足を運びました。私、クラシックコンサートに関しては我ながらいつもツイていると思うのだけど、今回も素晴らしい演奏を聴くことができて本当に満足。

ピエール=ロラン・エマール氏の音は非常にクリアで硬質感を感じさせとても明るさがある音色でした。ひとつひとつの音が綺麗すぎるくらい綺麗でとてつもなく明快。しかも曲によって様々に多彩な音を聴かせてくれる。あまりにクリアな音なので曲の骨格がシンプルに伝わってくる。かといって平坦なわけでもなく非常にパッションを感じられる演奏で曲の表情はとても豊か。

それにしてもブーレーズとクルタークの現代音楽の演奏はちょっと凄かった。うわー、音楽だよ!と心から思いました。宇宙というかSFを感じた。今までこの手の曲は不協和音にしか聞こえてなかった私…。全然違うやんけ。認識を改めました。またドビュッシーも素晴らしかった。まさしく情景や空気感が肌に感じられるような豊かな演奏。繊細で余韻の残る響きが素晴らしい。特に低音は弦楽器の合奏を連想させた。そういえばピアノって弦を弾かせる楽器なんだよな、と。にしてもああいう音が出せるなんて驚いた~。ラヴェル『夜のガスパール』は私のイメージするものと違っていた。なんだろう?暗い曲というイメージだったんけど洒落た明るい曲になっていた。逆にシューマンもシューマンらしくないというか、こういうシューマンもありなのねーとこれも驚く。叙情とはほど遠い、剥き出しの音というか…うわー、なんて書けばいいんだーー。書きようがないけどなんかすごかったよ。

んでもって、作曲家のイメージから離れたものを聴かせたかと思うとモーツァルトのソナタで、もうモーツァルト以外の何者でもないモーツァルトを聴かせてくれるし。子供っぽい可愛らしいモーツァルトが踊ってるのよ。<感想が意味不明になってきた…。いやはやもう、聴きに行ってよかった~。

曲目:
ブーレーズ『ピアノ・ソナタ 第1番』
ドビュッシー『前奏曲集 第1巻』より「沈める寺」「野を渡る風」「雪の上の足あと」
ラヴェル『夜のガスパール』「オンディーヌ」「絞首台」「スカルボ」
シューマン『交響的練習曲 Op.13』(遺作変奏付)

アンコール曲:
ドビュッシー『前奏曲集第1巻』より「亜麻色の髪の乙女」
モーツァルト『ピアノ・ソナタ第16番変ニ長調K.570』より第三楽章
ブーレーズ『4つのノタシオン』
ドビュッシー『前奏曲集第1巻』より「パックの踊り」
クルターク『3つのゲーム』
ドビュッシー『前奏曲集第1巻』より「音と香りが夕べの大気に漂う」

国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』 2等3階前方センター

2005年12月04日 | 歌舞伎
国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』2等3階前方センター

この演目は現在「上州屋見世先の場」「松江邸書院の場」「松江邸玄関先の場」を『河内山』として、「入谷蕎麦屋の場」「入谷大口寮の場」を『雪暮夜入谷畦道(『直侍』)』として別々に単独でかけ、通しでかかることは少ない。今回は「吉原大口三千歳部屋の場」「吉原田圃根岸道の場」をいれ、また普段は短縮版で演じられる大詰の「入谷大口寮の場」を原作通りにし、河内山宗俊と直次郎との関係を明確に見せ、また「吉原大口三千歳部屋の場」で登場し三千歳と身請けしようとしてた金子市之丞の正体を明かしています。

通し狂言は物語の人間関係がきちんとわかるし、やはり面白い。でもラストはあれなの?続きは~?ねえねえ、あの後どうなるの?黙阿弥さん、続き書いて~といいたくなるラストでした。『雪暮夜入谷畦道』だけ観るとそう思わないのに、なんでだろう?と思ったんですが、短縮版ではラスト、直次郎の捨て台詞があるんですね「三千歳、もうこの世では会われねえぞ~」と。この捨て台詞が今回、無かったからだ。今回、もしかしたら助かる道もある?とか思わせちゃうラストでした。

初日開けて2日目でしたがそれぞれ役がかなりしっかり入っててそれほど段取りを追う感じにはなっておらず、主役から脇までしっかり揃っていて思った以上に面白い芝居になっていた。全体的に芝居の流れがすっきりとしていながら、一場、一場が締まっており、また黙阿弥らしいちょっとイキな雰囲気がよく出ていたと思う。この時点のあの出来であれば、後半にいくにつれかなりメリハリの利いたもっと絞まったいい芝居になっていくだろうなと期待。

幸四郎さんの河内山はピカレスクロマン風。小悪党部分が強調され、軽みを出しているので「お金が大好き」で「悪さ」をすることが楽しみでしょうがないといった感じの河内山。前回の国立での河内山&直次郎一人二役の時は拝見していなのだが、その前に歌舞伎座で拝見した時は根っからの悪党の鋭さがみえていたように思うけど、今回は愛嬌がのっていて、ちょっと小粋な悪党になっていたように思う。直次郎との関係性がみえたことで、仲間に対する義があるところがみえたせいかもしれない。今日は幸四郎さんには珍しく声の調子が不安定であった。黙阿弥独特の七五調にはとてもきれいに乗っているのだけど、強弱をつける部分で割れたり掠れたり。そのため幸四郎さん独特のメリハリが十分に効いておらずもったいない。

染五郎が初役で臨む直次郎。なんともすっきりと美しい、いい男っぷりを見せました。この一年で役者として一回り成長してきた感がありますね。かなり存在感が出るようになったし、姿が美しくなった。七五調の台詞回しもただ謳いあげるのではなくそのなかに感情の強弱もしっかり聞かせる。ただ初役ということもあるのだろう、やはり一生懸命やっている部分が滲み出て、アウトローとしての崩れた色気が少々足りない。特に最初の出の「吉原大口二階廻し座敷の場」では品が良すぎて、悪党というより身を持ち崩した若旦那風情にみえてしまう。御家人崩れで、いい女にモテる男なので、ただ崩れきった悪党ではなく骨格に品はあったほうがいいとは思うのだけど、それにしてもお行儀が良すぎるような。時蔵さんとのコンビネーションもこの場が一番年の差を感じさせてしまうので、もう少しこなれてくるといいなあ。この場では河内山@幸四郎さんが入ってきたくらいから、染ちゃんに少しづつ鋭さと色気が出てくるので、まだ時蔵さん相手に少々緊張しているのかな?と思う。

後半の「入谷蕎麦屋の場」の染五郎のほっかむり姿はかなり美しい。またかなりしっかりここを見せ場にしているのには感心。まだ「粋」という段階にはいってないけど、丁寧にやっていて、ひとつひとつの仕草がきちんと明確に伝わり、雰囲気もよくでている。あくまでもカッコイイ直次郎で通して悪党らしい鋭い雰囲気に色気も漂う。また次の「入谷大口寮の場」では若い青臭い部分があるからこその三千歳一途な部分の可愛らしい色気が見えるような感じがある。なぜ別れ話を持ち出すのか、その部分の説得力もある。道連れにしたくない、そんな男の純情ってやつが見える。またそのなかに小悪党の小心さもあり、染五郎らしい造詣だなと思った。

時蔵さんの三千歳は当り役だけに一番こなれた芝居をみせた。しっとりした美しさ、どことなくけだるい雰囲気。前半は売れっ子としての貫禄があり、後半は清元にのって直次郎とつぎつぎとキメを見せていく場の姿の美しさが見事。ただ、その余裕さが菊五郎さん相手だと大人な恋人同士な雰囲気でいいんだけど、染五郎@直次郎にはも少し可愛気な雰囲気を出して、直はん一途さをもう少し全面に出してくれるともっといいなあ。

金子市之丞の左團次さんは剣豪という雰囲気はあまり無いのだけど、しっかり存在感を出して場を締めてくれる。悪そうに見えて実は良い役を珍しく骨太に演じてなかなか。いつもならもっと飄々とやりそうな役柄なのだが押さえたところに大きさをみせた。

高木小左衛門の段四郎さん、上手さをみせる。懐の大きさ、思慮深さが滲み出る台詞回しがとても良い。また貫禄がありながらも一歩引いた家老らしさが姿にあり、お見事。最近、台詞の入りが悪いことが多い段四郎さんだが、今回は台詞もしっかり入っており安定感抜群でした。

松江候の坂東彦三郎さん、セクハラお殿様を品よくおさめ、またプライドの高さを見せた。

大膳の幸右衛門さん、重役としての格を持ちつつちょっと短絡的な大膳をみせる。いかにもな雰囲気がいい。

浪路の宗之助さん、とても可憐。女形として体のつくりがしなやかでとても良い。いい役をもらえると伸びるのではないかなあと先月に引き続き当たり。

按摩丈賀の芦燕さん、飄々とした雰囲気でかなりいい味だしてひさびさに当たりかも。この方も最近台詞の入りが悪くてハラハラさせられることが多かったのだけど、今回はしっかりこなしてました。

新造、千代鶴の段之さん、千代春の京妙さんコンビが美しくいい味わい。