Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』夜の部 3回目 C席3階センター

2005年10月26日 | 歌舞伎
日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』夜の部 3回目 C席3階センター


『夢の仲蔵 千本桜』3回目観劇(笑)。1回は全体を俯瞰して見たかったので一番安いC席で実質4階からの鑑賞です。本当は楽日を見たかったのですがさすがに平日昼は行けないので前楽の夜の部。

全体的に皆さん、お疲れ気味かな?という感じがしました。それでも終始、テンポを崩さず緊張感を保った芝居となっていました。体が動かない分、どこかしら気持ちの部分で勢いをみせ、踏み込んだ部分を見せてくれたような感じもありました。ああ、でも歌舞伎の部分が荒かったのは否めません。

ここからは今回は完全に染ふぁんの戯言です。感想であって感想でなし。

染五郎が演じてるというのを忘れそうになるほど染ちゃんは怖いくらいに此蔵でした。そしてぼろぼろでした。たぶん、半分は気力で演じていたんじゃないかな。

身体がかなりぼろぼろだろうというのは最初の踊りの時点でわかりました。いつもと較べて腰が落としきれていないし、手先の動きもいつもなら美しく柔らかく動かすところが硬い。もしや腰を痛めた?と思ったくらい(そうでないことを祈りますが…)。「四の切」のときもいつもの安定感のある動きがほとんどできていない。そのためか力を入れようとしてそれこそリキみすぎ?と思う部分も。考えたら2ケ月もの長丁場を昼夜、あれだけのものを演じてきたんですから、相当疲れが溜まっているだろうことは想像つきましたが、もう痛々しいくらい必死でした。

でも、その代わりと言っては変かもしれませんが、「此蔵」の生の顔が出てました。決して染五郎の顔ではない。此としての顔、そして此の心からの叫びでした。世の中を恨み拗ね、心の底から愛情を求め、そしてなにより役者としてか生きていけない、そんな気狂いの目をした此でした。人を殺め、すっぽんから出て来た時の狂気を纏ったオーラが4階で見てすら伝わってきた。そして仲蔵に向ける愛憎半ばの悲痛な叫びは己が魂を芝居小屋に残していきたいという執念でもありました。


なぜ「染五郎」なんだろう?と自分で思う時がある。なぜこの役者を好きになったんだろう?と。実はまだ自分自身でも把握しきれていない。ただ一つ確かなことがある。染五郎という役者は「役柄」の人物の魂の一端を見せてくれる瞬間があると、そう思わせてくれる、そこが好きなんだと。残念ながらそれは毎回あることではないのだけど。今回はそれを見せてくれたなと思う。今年は今のところ忠兵衛と此蔵で。さて来月もそういうものを見せてくれるでしょうか。

日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』昼の部 2回目 A席前方センター

2005年10月22日 | 歌舞伎
日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』2回目 A席前方センター

今回、先週観た時より全体的にかなり芝居が引き締っていました。特にラストの仲蔵と此蔵の愁嘆場のやりとりに緊迫感が増し、より哀切に満ちたものでした。

幸四郎さんの渾身のラストシーンは凄まじかった。なんだろうね、この方は。時に本当に凄まじい爆発力を見せる。仲蔵として「役者としての狂い」を本当にあの舞台で取り戻して見せた。そしてその業の深さのなかに此蔵への深い愛をも包括した知盛の「おさらば」の慟哭が胸の奥に響いてきた。

それといつもはもっと出来るはずなのに性根の部分でちょっと薄いかな?と思って気になっていた染五郎が良くなっていた。前回、染五郎@此蔵がどことなくピリッとしない部分があったのだけど、どこが?と思ってもどうしても2年前と較べるしかなくて雰囲気が変わったとしか書けなかったのですが、その薄さの原因がちょっとわかったような気がします。此蔵を演じることに気を取られかえって此のほうも忠信のほうも性根の部分があまりきちんと表に出てなかったのではないかと。それと体のキレを見るに前回は少々疲れ気味だったのかもしれない。特にいつもと何か違うと思っていた「四の切」が表情豊かになって元気いっぱいだったのが嬉しい。此として必死にやっているという部分の他に、きちんと源九郎狐としての親への愛情が体全身から出ていました。

また後半の「道行」はやはり暗さや狂気を纏いつつもっと入り込んだものになっていた。目つきがちょっと尋常じゃないんですよね。「何かが違う」そう思わせる。それが人ではない狐を演じているからなのか、此蔵という役者が殺人ということを忘れようと「狂い」なのかに身を投じているからなのか。きっとそのどちらでもあるような気さえ今回はしました。美しい忠信なのにどこか歪みを感じる。

そしてバックステージで此の部分ですが前回、役者バカと言われるガツガツしたものが2年前と較べてあまり感じなかったのですが、今回「役者バカ」としての意地がしっかり見えました。明るさを装った屈折、その部分が前に出てきたような感じです。此の素が見える部分でかなり負けん気の強さが表情に出ていました。そして、ラストの愁嘆場の此蔵のなんと哀しいこと。親恋しい、ただの子供でした。そして役者でしか生きていけなかった哀しい人でした。

私がどうしても秀太郎さん@里好の呪縛から逃れられないまま較べてみてしまった上村吉弥さん@里好。改めてきちんと観ることができました。この方の里好のプライドの持ちようはとても優しいんですよね。非常にまっすぐに生きてきた女形さんという感じで、素直に役者を評価できる懐の深さをもっている。クセの強さはないけど一言に説得力があって、今回この里好さんもとても好きだなあと思いました。

今回、もしかしたらこの方も一皮向けるかも、と思ったのが友右衛門さん@河竹新七。品の良いおおらかさが身上の友右衛門さんですが、いつもとかなり違った面を見せました。こんなに印象的な芝居が出来る人だったんだ。役者たちとは一歩引いた位置にいながら、彼らとは別の作家としての「業」を見せる。人死にを嬉しそうに語るその姿に怖さを感じました。品の良さを失わないだけに、かえって怖い。

今回初参加の市川段之さん@門四郎もかなり印象的です。表情の作り方がほんとに上手い。しかも美味しくできる役柄をほんとに美味しくしてる。とっても楽しくて明るくて、でも単純じゃない。どことなく不思議な役者さんです。

宗之助さん@常世の造詣もとてもよかったです。他の女形の役の人たちが「女」を強調しているのとは違って、「兄さん」なんですよね。可愛いんだけどただ可愛いだけじゃない、そんな雰囲気を見せてました。大人しい、そんな形容がついてしまう宗之助さんですが、そろそろ自己主張の時なんではないでしょうか。

ああ、もう一人一人語りたくなってしまいますよ。今回書かなかった他の役者さんたちも相当完成度が高かったです。彼らの役者としてのレベルの高さを思い知らされました。そして、それぞれのキャラクターに芝居のしどころを作っている「仲蔵」シリーズはもっと続けて欲しいなあと思います。そしてこれがきっかけで古典歌舞伎でもいつもと違う面を見せてくれることも期待したいです。新作ってこういう部分があるからやっぱり新作歌舞伎も必要なんだなあとも思いました。

アートスフィア『歌舞伎 夢の担い手たち』センター

2005年10月20日 | 歌舞伎
アートスフィア『歌舞伎 夢の担い手たち』センター

正式には「坂上みきのビューティフルpresents 『歌舞伎 夢の担い手たち』」です。東京FMのパーソナリティ坂上みきさん司会での愛之助さんと染五郎さんトークショー。

<第一部>

まず染五郎さん登場。坂上みきさんと仲良しらしく、お互い息のあったつっこみ、ぼけ、つっこみが繰り返される(笑)。どんどん話が逸れていくのが可笑しい。早く本筋聞かせて~と思う部分もあったけど、かなり楽しいトークでした。染ちゃんは真面目なんだけどちょっと天然入ってる感じ。

次が愛之助さん登場。さすが大阪人という感じでくだけた話ぷりがこれまた楽しい。テンションの上がり具合がかなりすごかった。どうやら『狐狸狐狸ばなし』の千秋楽ということもありご自分いわく「ナチュラルハイ」だったらしい(笑)

きっとこれが終わったら千秋楽の打ち上げをするつもりなんでしょう。『狐狸狐狸ばなし』共演者の名取裕子さん達が見えられていました。近くに座ってらしたんですが凄い美人。やっぱ一般人とは違うわと思った。

<第二部>

封印切の実演をするということで、これを楽しみにしていました。まずは坂上さん、染五郎さん、愛之助さんの三人で江戸歌舞伎と上方歌舞伎のことについてのトーク。それから実演だったのですがなんとビックリなことに、2畳のタタミと火鉢だけを置いた小さなスペースで羽織袴姿の二人が素顔のままで実演。えええ~、素踊りならぬ素芝居。しかもトークしたすぐ後でインターバルがないまま、いきなり芝居を始める。この二人の切り替えの早さと集中力には脱帽。役者魂を見せていただきました、という感じ。これを観られただけでも行ったかいがあったというものだ。

芝居のほうはお互い役を変えて同じ場を演じる。「封印切」の八右衛門の挑発に乗り、忠兵衛がつい封印切をしてしまう場面。最初は染五郎@忠兵衛に愛之助@八右衛門で次が愛之助@忠兵衛に染五郎@八右衛門。個人的好みもあると思うが染五郎@忠兵衛に愛之助@八右衛門がどちらもニンにあっていて良い芝居になっていたと思う。

以下個々の感想:

染五郎@忠兵衛は今年6月にやったばかりということもあるだろうが、「つっころばし」風情が良く出ていた。切羽詰った追い詰められ感や、迷いと意地とのない交ぜな表情、まさしく忠兵衛であった。また印象的だったのが動きの美しさ。手の動き、体全体の形が絵になっていた。また手先、足先まで神経が行き届いた柔らかさを持っていた。仁左衛門さんにしっかり習った成果だろう。

愛之助@八右衛門は今年お正月にやったばかり。さすがネイティブな大阪弁での悪態はテンポもよく、そこはかとなく愛嬌がありつつも金持ちぼんぼんの意地の悪さがよく見えた。

愛之助@忠兵衛も今年お正月にやったばかり。当たり前であるが大阪弁での台詞廻しはこちらのほうが断然上。ただ思ったほど「つっころばし」風情が出ていない。骨太でしっかりしすぎているのだ。忠兵衛の弱さが見えてこない。あとどことなく所作がせわしない感じも。二人とも松嶋屋型だと思うのだけど、愛之助さんのほうは鴈治郎型ぽかったような?

染五郎@八右衛門は4年前に大阪松竹座一度やっている。私は未見だが評判は良かったらしい。で期待したが、台詞回しが硬すぎ。大阪弁を言うので精一杯という感じでテンポのよさがでない。また金持ちぼんぼん風情はあるけれど意地の悪さがほとんど無し。しかも立ち振る舞いが上品すぎないか?その代わり「八右衛門って忠兵衛とお友達だったんだよな、そういえば」な親しい間柄な距離感は出てたけどね…。

日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』昼の部 A席前方中央上手寄り

2005年10月16日 | 歌舞伎
日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』 A席前方中央上手寄り

私はいわゆるバックステージものが大好きなんですが、この『夢の仲蔵 千本桜』はその点でかなり秀逸な芝居だと今回も思いました。江戸時代の歌舞伎の世界でのバックステージを観せようなんて、よくぞ思いついてくれました。「舞台の上で狂えねえ役者は役者じゃあねえ!」それを役者がこの舞台で言う。この芝居の「役者の業」の部分にやはり惹かれる。舞台の虚が真になる瞬間、そういう舞台をみせて欲しいと私は思ってるんだなあと思いました。

今回は新橋演舞場での初演に較べてかなり「歌舞伎」らしい雰囲気がありました。初演時はストレートプレイとの印象が強かったのですが舞台裏の場面を世話物に近づけたような感じ。それは幸四郎さんと染五郎さんが初演時はかなり現代劇に近い演じ方をしていたのに、今回少し世話ものに近い演じ方にしてたせいかなとも思いました。初演では周囲の歌舞伎役者さんの演じようと少し乖離してる感じがあったのですが、今回役者全体の演じようのバランスがとてもよくなっていました。それは周囲の役者さんたちもいわゆる現代劇の演じ方に慣れた部分もあってお互いは歩み寄れた結果のような気がします。

またやはり物語構成と舞台構成、演出が本当にお見事だなと。物語としては舞台裏と表舞台のリンクのさせかたが上手い。『義経千本桜』の狐忠信の親への情愛や「すし屋」の権太の悲劇の親子物語を仲蔵と此蔵師弟の関係性をうまくリンクさせ、また幸四郎・染五郎親子が演じることで二重性、三重性の意味合いが持たされる。それとは別に江戸時代の楽屋裏風景を役割分担をハッキリさせた個性あるキャラクターを登場させ端的に見せるのも上手い。歌舞伎を知っているとなおさら楽しめる台詞の数々も嬉しい。

舞台構成、演出もかなり秀逸で、セリをうまく使った舞台構成は縦横に奥行きを持たせ舞台転換の間のよさが臨場感を持たせる。この転換の上手さを歌舞伎座で観たいと思いました。それと前回は新橋演舞場を使い、廻り舞台で表舞台と楽屋を転換させていたのですが今回、廻り舞台のない日生劇場。どう処理するのかと思ったら、いやはや力技で持ってきました。スピーディさを失わせなかった演出には正直驚きました。こうきたか!また舞台裏の闇からスポットライトを浴びた表舞台へと移動する様など、物語と舞台構成をほんとうにうまくリンクさせた演出だと思います。

さて、内容のほうなのですが、バックステージ部分と劇中劇で演じられる『義経千本桜』の歌舞伎がちょうど半々くらいでしょうか。もしかしたら『義経千本桜』が多いくらいかな?このバランスが非常に難しいところでしょうね。バックステージ部分をたっぷり観たい人と歌舞伎をたっぷり観たい人それぞれ不満が出る可能性がある。私はどちらかということもう少しバックステージ部分での仲蔵と此蔵師弟の葛藤を観たかったような気がします。それを演じられるだけのものを幸四郎さん、染五郎の両方が持っていると思うので。ただ、歌舞伎初心者に『義経千本桜』という歌舞伎狂言に興味を持たせるという部分と舞台裏と表舞台のリンクという意味ではちょうどいい分量かなとも思います。

『義経千本桜』の見所をコンパクトなダイジェスト版に仕立て生演奏、生声で見せたのはいわゆるストレートプレイしか知らない歌舞伎初心者にとってわりといい試みだと思ったのですが、初心者ではない私に判断はつきかねます。一緒に行った歌舞伎初心者の夫婦は最初どうしようと思ったらしいのですがかなり楽しく観られたと言ってくれました。また観た方の感想を拾っていっても初心者のほうがすんなり観てる人のほうが多かった。歌舞伎を知っている人のほうが「難しいんじゃないか?」と心配してる。でも歌舞伎初心者のころ私はイヤホンガイドを借りたことがありません。それでも歌舞伎って楽しいと思いましたし、そんなに親切丁寧でなくても、と思わなくも無いです。勿論、この『夢の仲蔵 千本桜』の多重性のある物語を楽しむためにはストーリーがリンクしていることを知らないで観るより、知っていたほうがより楽しめるのでイヤホンガイドはあってもよかったかもしれません。

前回と較べてしまいますが、今回のほうが歌舞伎の部分がより劇中劇としての機能を果たしてました。同じ配役で2回目ということが大きく作用したのか、個々の役柄の個性が劇中劇のなかにも現れていました。前回、表舞台の部分でそれほど役柄が反映してなかったように思います。あくまでも幸四郎の知盛であり、染五郎の忠信、のほうが大きく出てたように思います。しかし、今回拝見して、仲蔵の知盛、此蔵の忠信でした。どの部分で役に成りきるか、今回はあくまでも『夢の仲蔵』としての役柄で一貫させた役つくりをしてきた感じがしました。仲間内で舞台の評価を言う台詞(「めいっぱいやりすぎて硬すぎる」というようなこと)があるのですが、それに沿った演じ方でした。前回と較べると幸四郎さん、染五郎さんは劇中劇の歌舞伎の演じ方がかなり変化していました。ただそうしたことで、「歌舞伎」のほうの登場人物のキャラクター性が薄れてしまった部分もあるような気がします。だとしたらやはりバックステージ部分をもっと濃くしてもよかったんじゃないかとは思います。

仲蔵の幸四郎さん、この方の存在感、懐の深い演技に、やはり上手いと。台詞の緩急、感情の見せ方の際立ち方はちょっと別格ですね。今回の仲蔵は自分の芝居に対する情熱と座頭としての責任感の狭間で悩む仲蔵でした。前回はもうちょっと俗ぽい仲蔵だったと思うのですが、今回は「芝居狂い」に戻りたいがなかなかそこまでふっきれてない部分を際立たせてたようでした。またラストの知盛の台詞は完全に此蔵に向かって言った台詞となっていました。前回、入水の部分がないのが物足りなかったのですが、今回は「おさらば」、その台詞の哀切さでキリとした部分のほうに納得がいきました。あくまでも仲蔵と此蔵の物語としての終わらせ方。

此蔵の染五郎、この2年間で一回り大きくなったところを見せました。華と存在感がかなり際立ってました。そして前回以上に此蔵としての親恋しさ、仲蔵恋しさに引き裂かれた複雑な心情を見事に表現していました。また後半で神経をピリピリ張り詰めさせ、「殺人」を犯してしまった狂気を身にまとったまま表舞台に立ち忠信を演じる、そういう演技の深さをみせたのにはちょっと感嘆。明るさのなかに見せる鋭い視線に艶やかな色気が出ており、姿の美しさ、所作の美しさ、2年前に比べるとかなりの急成長ぶり。また忠信の踊りでしっかり情景を見せられるようになったのもやはり上手くなったなあと。キメの部分も美しい。それと仲蔵の生い立ちを語るシーンでの演じわけがかなりきちんとできていた。特に義母おしゅんの部分が個人的にかなり良かったと思います。

ただ、イキのよい明るいキャラクターのなかに野心溢れる3階さんとしてのギラギラしたものを見せて説得力を持たせるのには今回くらいが限界かも。今回、華がありすぎて「野心があるし実力もそこそこあるが主役にさせるだけのものがまだ無い下っ端の役者」といった設定にそぐわなくなってきている気がしました。此蔵の秘めた暗さや切なさの部分と相まったギラギラした野心さはまだ線の細さや硬さがあった2年前の前回のほうが見えてたと思う。また、今回此蔵として演じた源九郎狐の忠信は神経を張り詰めた暗さのあるものでしたが、個人的には此蔵の暗さを劇中劇のなかではほとんど見せなかった(見せられなかった?)前回のふわ~っと柔らか味と色気を見せた雰囲気のほうが実は好きなんですけどね。まあ、染ちゃんが忠信に成り切ったものは『義経千本桜』本興行のほうで見せてもらうしかないですね。

中村大吉の高麗蔵さんが前回以上に小悪党さが出ていたのが驚き。前は少し無理してる感じがあったのですが今回は大吉の持つ世を拗ねた目つき、暗い情念を見事に演じてました。非常に端正な演技をする役者さんですが、今回で一皮剥けるかもしれません。

森田勘弥の秀太郎さんは軽妙洒脱に飄々と演じてらっしゃいました。座元としての世慣れた雰囲気もあって、ご本人が是非やりたかったという勘弥役を活き活きと。小柄ですがとても華のある方だなあと改めて思いました ただ前回の中村里好役が本当に素晴らしく良かったので、どうしても里好役で観たかったと思ってしまった部分もあります。劇中劇での古風ではんりとした色気の静御前は絶品だったなあ。幕外での立女形としてのプライドの出し方とかも独特で。ううっ、また観たいなあ。

中村里好の上村吉弥さん、声が美しく色気と美貌もありとても良かったとは思うのですが、秀太郎さんの里好とつい較べてしまい…。立女役としての格とかプライドとか、そういう部分で物足りなさを感じてしまった。

河竹新七の友右衛門さん。前回、おおらかで品があり人としての大きさのある森田勘弥を造詣されて非常にいいものを見せてくださっていたのですが、今回は勘弥役を譲って、座付の狂言作家を演じられていました。いやあ、これも良かったですねえ。作家としての業の部分をしっかり出されていて、予想以上に芸達者のところを見せてくださいました。普段は品のいい役ばかりですが、クセのある役も十分にいけると思います。

その他にも錦吾さん、鐵之助さん、宗之助さん、錦弥さん、段之さんなどなど皆さん、非常に活き活きと演じていらした印象。このお芝居では普段歌舞伎座では観られない役者さんのいつもと違った面も見せてくれるのもいいんですよね。


★宗之助さんのサイトに「夢の仲蔵」の楽屋レポが載ってました。
http://www002.upp.so-net.ne.jp/online/
TOPページの松竹座レポートからどうぞ。

国立大劇場『通し狂言 貞操花鳥羽恋塚』 3等席中央

2005年10月15日 | 歌舞伎
国立大劇場『通し狂言 貞操花鳥羽恋塚』 3等席中央

休憩入れて5時間の長丁場。病み上がりの身には少々きつかったけどなかなか楽しめました。「平家物語」から取った題材をオムニバス形式で見せる筋立て。一応、通しとしての物語の一貫性はあるものの登場人物が盛りだくさんすぎて、ひとつの物語としての一貫性を追って観ようとすると訳がわからなくなりそう。

主たる人物だけでも源頼政、頼豪阿闍梨の物語、崇徳院等の物語、遠藤武者盛遠、袈裟御前、渡辺亘の物語の三本が語られる。一応、それぞれ独立した物語として楽しめるようになっているので気分を切り替えて観たほうが面白いかも。ヘタに全体像をつかもうとすると物語として薄くなってしまう可能性が。四世南北は顔見世狂言のつもりで書いたようだが、確かに各幕ごとで役者たちの見せ所を作ったお話なんだなあという感じでした。場面場面はかなり面白い出来なのに全幕一貫してものとしてみるとチグハグさが気になって「物語」としてなんだったんだろう?という…。そういう部分で、チグハグさを楽しむのもいいのかも。

南北ってやっぱり一貫性を求めてはいけない物語作家なんだなと思う。一場一場をどう見せるか、人物像もその場その場での気持ち本位。それが南北ものの登場人物の面白さに繋がる。ただ今回、どうやら演出的に一貫性を求めてしまってる感がある、それが面白みを薄くしてるような気もした。一場一場、しっかりたっぷり見せてくれたらもっと面白かったかもなあ。おどろおどろしい部分や、仕掛けなど、そういうとこはたっぷりやってましたが、なんとなく筋立てをわかりやすくしすぎてる気が…。いや、単に私が複雑怪奇なお話が好きだからなんですけどね。難しいとの感想が多かったので気負って観たら、案外わかりやすくて、あら?とか(笑)。

それと役者がかなり揃っていたのだけどそれでも中心人物をやる役者が足りないという贅沢な芝居で今回重要人物に関しては一人二役が多かった。でも一人二役でないほうがより面白かっただろうと思う。あまり一人二役の意味はなかったし。個々の登場人物が「○○実は□□」という設定キャラクターばかりなので、ひとつの役を一人で集中してやったほうがたっぷり感は出ただろうなあ。役者さんたちはかなり頑張っていたんだけどね。

今回は若手がかなり頑張っていたという印象。もちろんベテランの存在感あってこそ、それが際立ったのですが皆さん成長しているなあととても嬉しく思いながら観ていました。

松緑さんは崇徳院で迫力のある筋違いの宙乗りをみせてくれて、そこは面白かったのですがだいぶ大きさは出てきたものの凄みや狂気といったものがほとんど無いのが今後の課題かな。雰囲気が明るすぎるのですね。その代わり、音平(蔵人)のほうが非常にいい出来だったと思います。まっすぐさ、奴らしい面白み等がよくでてました。

孝太郎さんは待宵の侍従と薫をしっかり演じ分けてましたね。待宵の侍従は人妻らしいしっとりとした雰囲気で、薫のほうはおっとりと可愛らしい姫でした。個人的には薫のほうがかなり可愛らしくて気に入りました。

信二郎さんは平宗盛と長谷部信連という正反対の二役をしっかりこなしていました。悪役の宗盛は少々線が細いかなとは思ったものの、しっかり押し出しもあり、重い台詞回しも無理せずきちんと出していたのが印象的。「毛抜」の弾正を経験した効果でしょうか。長谷部信連のほうはニンにあっていてすっきりとした良い出来でした。

他に若手では男女蔵さん、玉太郎さん、亀三郎さん、亀寿さん、それぞれ持ち味を活かしてメリハリのある芝居を見せてくれたと思います。特に男女蔵さんの憎まれ役は非常に良かった。存在感が出るようになりましたねえ。

ベテランでは富十郎さんが少々、やっぱり衰えたなあとの印象を持ってしまったのですがそれでも存在感は抜群でした。なんだかんだいっても最後の場を締めてくれたのは富十郎さんの遠藤武者だったかな。袈裟御前との町家の暮らしを再現してみせた宿六役が絶品でした(笑)このメリハリがつけられるのはベテランならでは。時代からがらりと世話に落としてみせる。うまい。

時蔵さんはこのところ美しさに輝きが増してきましたねえ。今回は小磯と袈裟御前の二役。どちらも堅実。小磯は可愛らしく、またいきなり姫にさせらたときの戸惑いぶりのちょっと天然はいったほわーっとした部分がなんともいえない時蔵さんらしい味わい。袈裟御前は艶やかで芯のある大人の女。やはり町家の暮らしを再現してみせた時の世話の台詞回しがまた絶品。今非常に充実している女形さんでしょうねえ。

歌舞伎座『芸術祭十月歌舞伎 夜の部』 3等A席前方真ん中

2005年10月10日 | 歌舞伎
歌舞伎座『芸術祭十月歌舞伎 夜の部』3等A席前方真ん中


『双蝶々曲輪日記』「引窓」
全体的にさらっと雰囲気で見せる世話のほうに重点を置いた「引窓」でした。たっぷりとした情の濃さや重量感はないものの話の筋がすんなり伝わるわかりやすいものになっていたように思います。

与兵衛のちに十次兵衛の菊五郎さんは無理せず自分のキャラに合わせてきた演じ様だったと思います。町人として生きてきたというキャラクターを全面に押し出し飄々ととても明るい与兵衛でした。武士になったばかりの町人という部分を丁寧に演じていたと思います。しかしすっきりしすぎてて田舎ものの無骨さ無頼さがないのが残念かなあ。2枚目すぎるのよね。それと十次兵衛という武士としての立場の苦渋の選択という部分が少々薄い。あくまでも与兵衛というキャラで一貫した作りでした。

濡髪長五郎の左團次さんもかなりすっきりとしたスマートさのある作り。母への情が明快に見えたのは見事でした。大きさもありますし、見かけも思った以上に濡髪長五郎らしさがありました。ただすっきりしすぎてお相撲さんらしい、もっさりとした雰囲気や人を殺めてきたという翳があまりなかったかなー。

母お幸の田之助さん、とても情の強い母でした。わりと神経の細やかな心優しいといった風情。また小さい頃に別れた子を思う一途な想いが非常にハッキリしていました。濡髪を助けようとする部分では子猫を守る母猫といった雰囲気をなんとなく感じ、なりふり構わずといった部分の「母」の強さが見えたような気がしました。

お早の魁春さんが非常に良かった。手に入ったお役ではあるけれど、よりいっそう艶のある色気があり、また気配りのできる優しさが随所に。またひとつひとつ丁寧に動いてらして、お早という存在がとても明確に出てました。この座組のなかでは一番たっぷりとした演じ方だったと思います。


『日高川入相花王』
玉三郎さんの人形振りでの日高川。さぞかし美しいだろう、うっとりさせてくれるだろうと期待大だった演目。玉三郎さんの人形振りの上手さは「本当の人形のよう」という部分で現在の歌舞伎役者のなかでは随一だろうと思う。そして確かに、人形のように美しく、文楽人形のようであった。そして私は「あれ?小さい」と思ってしまったのだ。さて、この場合、人形のように小さく見えたのは良いことだったのだろうか?私は玉三郎さんの人形振りはこれで3回目である。前回は人形のようだと思えども、非常に大きく見えた。そう、玉三郎さんというのはカメラがクローズアップするかのように遠くから見てでさえ自分の視覚のなかで大きく見えること多い存在感ある役者の一人だ。ところが今回、とても小さく感じた。本物の人形のように。玉三郎さんはあまりに「文楽人形」を意識しすぎているのではないか?振りがあまりに小さくまとめられすぎている。胸の使いかた、頭の使い方、以前の人形振りでのお七やお三輪の時はもっと大胆に体を動かしていたと思うのだけど…そのケレン味を最近嫌っているのだろうか?

でもなにより、あれ?と思ったのは恋する娘の情念がほとんど伝わってこなかったこと。なんでだろう?なぜ?私が受け取れなかっただけ?でも人形振りから離れた最後の岸から上がってきた清姫の体全体からは恨みの情念が立ちのぼっていたかのようだった。その一瞬、ようやく「いつもの玉様だ」とホッとしたのだった。

後見の菊之助さんは人形を操るというより人形に引っ張られていた。タイミングを合わせるのは難しいとは思うがもう少し余裕が欲しい。


『心中天網島』「玩辞楼十二曲の内 河庄」
この芝居はもう鴈治郎さんの芸を楽しめばいい芝居だろうと思う。私は鴈治郎さんの鼻をすする台詞廻しがとても苦手だ。でもやっぱり観るたびに凄い役者だなあと思う。体の作り方の上手さ、風情の出し方、色気と愛嬌の絶妙なバランス。ほんとアホな男なんだけど憎めない上方の男を見事に体現している。和事ってこういうものを言うんだなと、あらためて思い知らされた。

小雪の雀右衛門さんは風情が絶品。死ぬしかない運命を背負った女としての弱さがありそして絶えず意識が治兵衛に向いている。色気があるのに楚々としている、こういう雰囲気は雀右衛門さんならでは。また倒れた時の姿の美しさは見事だ。どうか雀右衛門さんの倒れた姿をちょっとでもいいから目にしてみて欲しい。決して床にべたっと倒れることはしない。倒れてなお美しいのだ。ただやはりお年のせいか、声が弱く台詞は3階席に届くのがやっと。間は悪くなかったと思うのだけど、プロンプがついていた。足運びも辛そうだ。でもやはり雀右衛門さんでなければいみられないという芸の凄さがある。

孫右衛門の我當さんが良い味わいを出していた。実直さがうまく出ており、そこがときに滑稽味に繋がり、また人としての温かみに繋がっている。武士の化けた町人の切り替えの戻りの部分も少しづつ町人らしさを見せていって違和感がない。

江戸屋太兵衛の東蔵さん、河内屋お庄の田之助さんが手堅い出来。


★トラックバックさせていただきたいのにうまくいかないのでリンク
一閑堂さま「負け犬の遠吠え」 まさしく私もこのタイトルを付けたかったです(笑)

歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎 昼の部』 3等A席前方花道上

2005年10月08日 | 歌舞伎
歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎 昼の部』3等A席前方花道上

『廓三番叟』
20分ほどの短い踊りでしたが明るく華やかな舞台で気持ちがわくわくしてきてとても楽しめました。傾城の芝雀さんは打掛姿がよく似合い、可愛らしさのなかにほんのり色気も漂わせておりました。踊りはだいぶ精進しているのでしょう、丁寧に品よく踊ってました。手先の動きがとてもきれいになってきたように思います。新造の亀治郎さんは主張のあるしっかりとした踊りで目をひきました。少々細かく動きすぎかな?と思う部分もありましたが、全体的に彼自身にだいぶ華やかさが出てきたような感じ。太鼓持の翫雀さんは軽やかに楽しそうに踊ってらしていい感じ。


『通し狂言 加賀見山旧錦絵』
期待半分、不安半分の観劇でした。そしてそれは私的には「やっぱり」と思ってしまった内容でした。私はこの芝居にはたっぷりとした濃いものを求めていたのですが、残念ながらすっきりと品のよいものになっておりました。配役を尾上を菊五郎さん、岩藤を玉三郎さんでやったらさぞかし面白いものになっただろうとそんな第一印象。ただし、全体的には物足りないものだったのですが個々の役者の芸や個性はしっかり堪能できたという点では満足度もありました。

菊五郎さんの芸の個性というものは岩藤という徹底した理不尽なきわまりない憎まれ役には向かないのがよくみえました。ただその代わり、予想外な「岩藤」像を見せてもらい、それは大変面白いものでした。岩藤は大抵、立役が演じ押し出しの強さや凄み、憎々しげな部分を強調することで徹底的な悪役として存在させます。ところが菊五郎さんは声は少々低めに作ってはいましたが顔の造りも体全体の形も完全に女形として岩藤を演じておりました。かなり美しくたおやかな「女」の部分が強調された岩藤。お局としての格がしっかりあり、わきまえる部分がきちんと見えすぎるのだ。底意の悪さとかがあんまり見えない。また、どうしても菊五郎さん独特の愛嬌がプライドは高いがそれほどそれを鼻にひっかけてるようないやらしさを感じさせない。

尾上が武道のたしなみが無いのを知っていてわざと御前試合をと意地悪をしかけ、反対にお初にやられてしまう部分で少々哀れさを感じてしまう。悔しさを湛えた後姿の美しさは権力を嵩に着てというより、自身の地位への不安感をみせる。尾上を陥れようと画策するのは、だからこその悪巧みであったかと、そう思わせてしまう。草履討ちの場ですら、とにかくプライドを傷つけられたそのお返しでついやってしまっているような、本当に憎くてやっているようには見えない。どこか女の浅はかさ哀れさが付き纏う。この時の岩藤の引き上げの後姿は恥をかかされたお返しができたという晴れやかさがある。死に至らしめようとする非情さ、とはまではいかないのだ。陰謀ではなくあくまでも女同士の意地の張り合い。大奥にいるお局としての品格がありすぎるのだろう。それをしっかり表現できる菊五郎さんの「女形」の芸には感心した。ただ「岩藤」としては少々押し出しが弱すぎやしないだろうか?菊五郎さんの愛嬌はどちらかというと、商人の出で、たぶん如才なさと利発さで中老に上り詰めたであろう尾上のほうがしっくりくるような気がしてしまった。


尾上役の玉三郎さんの最初の出の覇気の無さに驚く。いったいどうしたことだ。最初から少々仕事に疲れた女に見える。大姫への思いやりへの情、そのなかに姫に頼まれたことをしっかりこなしきたという自信、その両方の凛とした表情が伝わってこない。この場は大姫の覚えめでたい中老としての忠節と利発さが見えないといけないのではないか。岩藤が姫の前で卑しい嫉妬心を燃やすほどの「勢い」というものを垣間見せるべきだろう。

これは玉三郎さんの尾上というキャラクターの解釈が変わったと見ていいのか?それとも玉三郎さん自身が今疲れてしまっていて、覇気が見えないのか。そのどちらかは私にはわからない。でも前回の玉三郎さんの尾上の最初の場は追い詰められてさえ、「なんとかできないものか」との意地があり活き活きとしていた。また大姫への忠節もよりハッキリしていた。だからこそつい、岩藤の存在を忘れて大姫の前に出てしまっていたのだ。ところが今回、あまりにもぼんやりとしてしすぎている。これは菊五郎さんの岩藤があまり憎憎しさがないためのメリハリがないせいもあるとは思うのだけど…それにしてももう少しきっぱりした部分があってもいいのではないか。この場で尾上という人の一本気な部分がみえないと後半の辱めを受けた部分でのショックが際立ってみえない。すでにこの場で岩藤から武道のたしなみを問われる部分でガックリ気持ちが落ち込みすぎている。お初が助け舟を出そうと勢いこんで登場するシーン、それほど嬉しそうじゃないんだよね…。またお初が岩藤軍団をやっつけて岩藤の卑怯な手に再試合を申し込み、たしなめる部分も、なんというか、以前はもっとお初に対して嬉しそうな顔を見せたと思う。わりと単純に喜怒哀楽をみせる、そういうちょっと自由闊達な商人出らしいキャラクターを以前は造詣していなかったか?今回は押さえに押さえすぎて武家の女にしかみえないのですが…。うーん、うーんなんだろう。ここの流れが全体のトーンをメリハリがないものにしてしまったような気がする。なんというか、全体的に今回の尾上は最初から疲れきっている。

ただ、その疲れ具合は後半には活きて来るのだけど。蘭奢待を草履にすりかえられなすすべもなく岩藤に草履で打ち据えられる。その頼りない風情などは絶品である。この時の尾上は自分自身が陥れられる隙を作ってしまったという後悔となすすべもないことの屈辱、そのない交ぜな気持ちであろう。ただただ、ここで内省に陥る。悔しさがみえないのは玉三郎さんが尾上はどこか脆すぎる精神の持ち主だと解釈しているのだろうか。やはり前回の印象とは異なる。とぼとぼと花道を下がる、その惚けたような魂の抜け殻のような風情はすでに「死」を暗示させる。その解釈の尾上としての玉三郎さんの一挙一動は凄まじいほどに虚無感を漂わせる。その雰囲気には圧倒させられた。本当に見事な造詣だとは思う。だからこそ部屋に戻った尾上の上の空、もう死を覚悟している、すでに完全に諦めている、その心理を丁寧にみせていく。自分の落ち度を責めに責め、そして町人出のコンプレックスがここで恨み節のように出てくる。すでに愚痴ではない、呪詛のよう。お初の気遣いに涙し、母への想いを見せるそのシーンですら自己憐憫のようにもみえる。「自殺」、そこに向かう女としての説得力は確かにかなりあった。そこしか道はないと思い定めるだけの負のエネルギー。この尾上像はある意味見事な造詣だと、そう思う。でも今回の尾上の終始鬱の人のような覇気のなさは私には観ていて、どうにもそれでいのだろうか?という思いがぬぐいきれないままであった。


なにか割り切れない岩藤と尾上に対して菊之助演じるお初は歌舞伎らしいおおらかで勢いのあるお初像で、見ていて救われた。かなり一生懸命勉強してきたのであろうなと思わせる、きっぱりした台詞廻しとノリのよさ。そして先輩にぶつかっていこうとする勢いが見ていてとても気持ちのいいものでした。ちょっと無骨でまっすぐなお初。尾上を慕い、甲斐甲斐しく世話をするけなげさもあり、一段と華が出てきたように思いました。張り切りすぎて、男の子にしかみえない体の作りになっていたのが少々残念ではありましたが。もう少し柔らかく体を作れると思うので、そこはまだ今回の大役をこなすのに必死で体にまで気が回ってない感じなのでしょうか。後半よくなっているといいですね。また、凛とした声も今回のお初にはピッタリ。ちょっとばかり緩急がなくて、絶えずテンションが高い感じがあるのも残念。尾上を心配しながら世話をする場はもっと心配気な感じが欲しいし、尾上の自害で岩藤に恨みを返すと誓う部分の怒りもちょっと薄く感じてしまう。もう少し、感情の起伏を台詞にのせられたらなあ。菊之助さんは感情がなかなか外に表れないタイプのように見受けられる、もう少し素直に役の感情を自分の感情に沿わせて演じてもいいんじゃないのかなーと思うときがある。もう少しでそれが出そうと思う一歩手前でさらっと次のシーンに行く。私としては若いのだし、多少はみ出した感情でも出してくれたらなあと思うのだ。

かなりレベルの高い芝居だなと思ったものの、観ていてあまりに自分のなかでさら~と流れてしまい心動かされることがほとんど無かった。好きな役者が揃っていただけに、とても残念でしょうがない。今回の感想はほとんど自分でなぜそう思ったのかの検証になっているので、感想ですらなくなっているような気がする…。しかし我ながら書きすぎだ(苦笑)。最近の玉様は演技の質を変えてきてるのはわかる。でもそれが今までの大輪の華のオーラを薄めている気がするのは気のせいだろうか?一時期、容貌が衰えたな、と思った時期がある。その時ですら圧倒的なオーラは消えてはいなかった。ところが容貌を取り戻してきた最近になってオーラが落ちてると感じさせてしまうのはなぜなのだろう。


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一閑堂さま「玉三郎vs菊五郎」

歌舞伎座『十月大歌舞伎』演目・配役

2005年10月02日 | 歌舞伎
平成17年10月2日(日)初日~26日(水)千穐楽

【昼の部】(午前11時開演)

一、 『廓三番叟』

傾城千歳太夫---芝雀
新造梅里-------亀治郎
太鼓持藤中-----翫雀


二、 『通し狂言 加賀見山旧錦絵』
序 幕 試合の場
二幕目 草履打の場
三幕目 尾上部屋の場
烏啼きの場
元の尾上部屋の場
大 詰 仕返しの場

中老尾上------玉三郎
召使お初------菊之助
奴伊達平------権十郎
牛島主税------竹志郎改め薪 車
息女大姫------隼人
庵崎求女------松也
剣沢弾正------左團次
局岩藤--------菊五郎


【夜の部】(午後4時30分開演)

一、 『双蝶々曲輪日記』「引窓」

南与兵衛後に南方十次兵衛---菊五郎
女房お早------------------魁春
平岡丹平------------------團 蔵
三原伝造------------------権十郎
濡髪長五郎----------------左團次
母お幸--------------------田之助


二、 『日高川入相花王』坂東玉三郎人形振りにて相勤め申し候

清姫--------------玉三郎
船頭--------------竹志郎改め薪車
人形遣い----------菊之助


三、 『心中天網島』「玩辞楼十二曲の内 河庄」

紙屋治兵衛---------鴈治郎
粉屋孫右衛門-------我當
丁稚三五郎---------壱太郎
五貫屋善六---------竹三郎
江戸屋太兵衛-------東蔵
河内屋お庄---------田之助
紀の国屋小春-------雀右衛門

http://www.kabuki-za.co.jp/info/kougyou/0510/10kg_1.html

シアターコクーン『天保十二年のシェイクスピア』A席2階上手

2005年10月01日 | 演劇
シアターコクーン『天保十二年のシェイクスピア』A席2階上手

事前情報をまったく入れずにいたので音楽劇だとすら知らず、皆が歌いだして「えっ?もしやこれミュージカル?」と驚いたりして(笑)シェイクスピア全37品をすべて戯曲のなかに盛り込んだパロディ劇。4時間という長さがまったく気にならずかなり愉しみました。上等のエンターテイメントだったと思います。でもこの作品、シェイクスピアの主作品やバーンスタインの『ウェストサイドストーリー』を知ってないと面白さ半減かな?

シェイクスピア作品は『リア王』『オセロ』『ハムレット』『マクベス』『リチャード三世』『ロミオとジュリエット』『十二夜』『間違いの喜劇』あたりさえ押さえておけばほぼ楽しめると思います。もちろん全作品を知っているとなおのこと楽しいとは思います。さすがに全作品まったく知らない人はいないと思うのですが、シェイクスピア作品を知らなくてもエンターテイメントとして十分楽しめる芝居だとも思います。それにしても脚本のいのうえひさしさん、よくぞまあ、ここまでうまく組み立てたものです。ちょっと脱帽。特に言葉遊びの部分が素晴らしいね。いのうえさんの言葉遊びは時代性を感じさせない部分で書いているのがすごい。またハムレットの「To be, or no to be」の様々な日本語訳を取り込んでいたのも面白かった。今回上演するにあたってかなり削ったらしいですが、元の戯曲を読みたくなりました。もちろんシェイクスピア作品を読んでからの話になるでしょうが(笑)

そして、シェイクスピア作品のエッセンスをこれでもかと詰め込んだ芝居をしっかり天保12年の物語としてテンポよく4時間をまったく飽きさせずにきちんと見せた蜷川さんの演出に7月歌舞伎座の『十二夜』の演出はなんだったんだ?とちょっと思いました。やはり、歌舞伎というものに対して相当遠慮があったんじゃないのかなー。

その代わり、歌舞伎座の経験をかなり今回、活かしてきたのでは?とも思いました。かなり歌舞伎風味を取り入れていたのですが拍子木のタイミング、下座音楽の使い方、長方形の単純な座敷のセットの使い方等、かなり違和感なく使っていましたし、なんといっても早代わりの手法は歌舞伎のときよりかなりいい見せ方でした(笑)。また一人二役の吹き替えも今回のほうが自然。仮面も使用してませんでした。このほうが違和感無いのよね。まあ、いわゆる歌舞伎の見得や、文楽人形ぶりのシーンはさすがにほほえましいといった程度ですが…わざわざ使わなくてもいいだろうとも思う。伝統芸能を知らない人にとっては新鮮なのだろうか?

それと実は全体的に、劇団☆新感線のいのうえひでのり氏演出とコクーン歌舞伎『桜姫』の串田和美演出を洗練させて蜷川演出風味を加えた芝居という風にも見えました。要所要所で「ちょーん」と拍子木の音が入り、照明での場面切り替えは劇団☆新感線を連想させるし、劇中に案内人がいて座敷のセットをこきたない格好した農民が出し入れしテンポよく進める方法は串田さんの『桜姫』に似てるし。これって、たまたまってことなのかな?それとも蜷川さんが二人の演出を取り込んだのかな?。それでなくても芝居に歌に踊りに殺陣がありってことでどうしても劇団☆新感線と較べちゃう。確かいのうえひでのり氏は以前に『天保12年のシェイクスピア』をやってるんだよね。今回これ見たら確かに新感線向きの芝居だと思った。劇団☆新感線の芝居だよと言われても違和感ないと思う。それにしては随分スマートで洗練されてるけど。それでもお祭り騒ぎや猥雑もあるし、さすが蜷川さん長年商業演劇に携わってきたことだけはある。エンターテイメントとしての演出としてわかりやすく、それでいて泥臭くなくて洗練されて品が良い。

役者さんたちは皆さんかなりハイレベルで個々の力量に感心しました。伊達に豪華な面子を揃えていない。適材適所、皆さん活き活きと魅力的に演じていました。考えたら、皆さんセンターに立つ役者ばっかり揃えてきてるんだよね。彼らを観ててまるでストレスがかからないというのはかなり大きいね。喜劇として単純に楽しむ芝居なので感情の振幅をしっかり見せるものではないものの、台詞が明快で個々の登場人物としてのキャラクターとしてしっかり作りこんでいる。大仰な芝居がピタリとはまり、活き活きとした登場人物たちがそこにいた。私やっぱりある程度完成された芝居が好きなんだなーと思いました。

役者のなかでは木場勝己さんの緩急のうまさ、白石加代子さんの圧倒的な存在感が吉田鋼太郎さんの心情の出し方の上手さが印象的。唐沢さんは口八丁でのし上がろうとする前半がとてもよかった、後半はもっとギラギラドロドロした悪役にしてほしかったかな。爽やかさが邪魔をした感じ。篠原涼子が予想以上に上手く、特におぼこ系のほうが合っていたのが意外。殺陣はちょいとひ弱だったけど伝法な姉御もなかなか。藤原竜也は華があってとても可愛らしい。リズム感があやしく、殺陣がいまひとつ決まらないのが残念…腰が高すぎるせいか?。女形ぽくするシーンがあったのだがそこが色っぽかった。勝村政信さんはあくまで真面目に。そのシリアス一辺倒の演じ方が妙に印象的。この方は声が良いですねえ。