Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席中央方センター

2011年02月25日 | 歌舞伎
ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席中央方センター

千穐楽を拝見。演目が演目だけに千穐楽のお遊びはさすがにまったく無し。いくつか細かいハプニングがありましたが、さりげなく周囲の役者がその役そのままできちんとフォローしてさすがだなあと感心しました。

芝居が終って拍手がなかなかやまず、まさかのカーテンコール。最後が逮夜の場だからこそできたのでしょう。本当に急遽出たという感じでした。与兵衛の姿だけどまったく与兵衛じゃない素の可愛げな染五郎さんがそこに立っておりました。亀治郎さんはお風呂中で出られず(笑)。染五郎さんは真摯に「これからも色々試行錯誤しながら歌舞伎の灯を消さないよう努力し頑張りたい。皆様よろしく」というようなことをご挨拶。

『女殺油地獄』
毎週のように観て4回目の観劇です。今月の『女殺油地獄』は歌舞伎での入れごとをだいぶ削ぎ落とし「逮夜の場」のいくつかの台詞、行動の補足はありつつほぼ文楽の床本(原作)通りの上演でした。4回拝見してわかったのは、今までの歌舞伎では与兵衛を主にクローズアップさせたものでしたが今回、原作通りにしたことで与兵衛のみならず河内屋家族と豊島家族の物語も大きく浮かんできていたということ。文楽でこの演目を観た場合、語る人、人形を操る人でそれぞれの人物像の印象は変わるものの、与兵衛の存在が河内屋家族の悲劇となり、またお吉と子供の悲劇へと繋がっていく物語としての印象を強くします。今回のルテ銀版『女殺油地獄』はその趣きを濃く出ていた、出していたように思います。いつの時代も変わることのない人の営みとそのなかにある哀しみがより強く伝わってくる芝居でした。

そのなかで染五郎さんの与兵衛は毎回のように造詣を変えてきていました。千穐楽もまた違う造詣をしてきていました。ものの見事に本当に毎回毎回違う与兵衛で実のところまだまだ消化しきれてません。でもこの4回で感じたのは染五郎さんは仁左衛門さんが作り上げてきた『女殺油地獄』の与兵衛とは違う与兵衛をこれから作っていくんだなということ。染五郎さん、あえて大変な道を選んだんだなと思いました。

千穐楽の与兵衛@染五郎さんは「魔(狂気)」の部分が無い与兵衛だった。私は4回観劇のなかで魔に完全に支配された与兵衛と弱い人そのものの与兵衛の両極端を観たことになる。そういう部分で染五郎さんは与兵衛という人物の落としどころをどこつけるかまだ定まってない気がしました。たぶん、次の機会に演じるときに見極めそこを深めていくんだろうと思う。

個人的印象で言わせていただければ、今回の「新地の場」「逮夜の場」の演出は魔の禍々しい部分が強い与兵衛で演じたほうがより効果的に見せられると思う。そして染五郎さんもまずはそこに与兵衛を見つけ出そうとしていたように思う。10日周辺がその最たるものの造詣としてあった。この造詣は演劇としてはかなり面白い効果があったし面白かった。ただし、魔王の取替えっ子のようなひたすらに底知れぬ悪(今で言うサイコ系)に満ち満ちた与兵衛は怖すぎてというか気持ち悪すぎて観客から拒絶反応をくらっていた。あまりに怖すぎて芝居が終ったあと拍手したものか染五郎さんファンの私でさえ悩みましたから(笑) 共演者でさえそこに付いていって芝居できたのは秀太郎さんくらいだったように見えた。

魔と人の間で揺れ動きつつ人としての弱さに比重を置き始めたのが3週目後半あたりか。19日は寂しいを抱え甘える方向を間違った与兵衛のからっぽな性根に魔が差し、その魔と弱い自分との狭間に揺れ動いた与兵衛だった。この時は殺すと決意した時はまだ人。殺し場の途中で人でない「狂い」が入ってた。

染五郎さんは殺し場での表情も毎回違っています。追い詰めていく過程で帯を掴んだ瞬間に狂っているように「ニタリ」と笑い狂ったように追い詰めていったり(初日)、手に触った瞬間から終始恍惚感がはいったように余裕をもって追い詰めて楽しんでいるかのようだったり(10日)、手に触った瞬間、ニマ~っと笑い子供のように楽しげになって追い詰めたり(19日)、ただひたすらおびえながらも殺さねば殺さねばと必死になっていたり(千穐楽)。

今思えばルテ銀版として今回の「逮夜の場」まで通す上でバランスのよい与兵衛は19日あたりだったような気がします。19日のこの日は豊島屋へふらふらと焼香をあげに行くときはとても意識的だった。何も考えずに遊べる自分と罪の意識におびえる自分の狭間で誰か自分を止めてくれと。心が引き裂かれていた。

『女殺油地獄』千穐楽は染五郎さんはどうくるか。まったく予測がつきませんでた。そしてこの日の与兵衛は性根という器すら出来上がってない未分化な甘えたな子供のような与兵衛だった。訳も無く寂しい、寂しい、誰か愛して愛して。愛してもらっている実感をもてずに、その自覚すらまだ芽生えてないまま絶えず人を試して、愛してくれてる?愛してくれてる?と問いかけてるようだった。とても未成熟な本当に哀れな与兵衛だった。その自分の弱さから逃げて逃げて、それゆえに人を不幸に陥れる。

特にこの日、与兵衛はあんなに継父の顔色を伺うものだっけ?というくらい継父の愛情を試していた。愛されることだけに貪欲でその飢えゆえに刹那的に金を散財し、女・酒遊びをする。愛することがなんなのか理解できていない。しかし愛されていない自分と思っていたこの与兵衛はあの晩、親の愛情は悟れるのだ。愛されていたと。だがあまりに子供じみ近視眼すぎる与兵衛は、今度はその親のためにお吉の親切を測り始めてしまう。自分のしでかしたことが親の難儀になることはわかっても、お吉の難儀、他人の難儀を推し量れない。そしてその先の遊びは現実逃避なんだろうなと思った。「人の嘆き人の難儀」がどういうものかなにか悟り始めていながら、そこに蓋をしようとしている。だからまったく楽しめてない、そんな気がした。

豊島屋へふらふらと焼香をあげに行くときは無自覚。自分で自分を持て余し、知らず知らずに向かってしまった風情だった。そして自分の愚かさを本当の意味で悟ったような気がする。でも、そんな自分をなお、庇おうとする兄にそんなことをしてくれるな、バカだ、バカだと突き放す。こんな自分にかかずらった皆が今度はバカにみえてきたんじゃないかなあ。自分の愚かさへの自嘲の笑いと、こんな俺で悪かったなという冷ややかさが同居していた気がする。自分を笑い、それでもやっぱりこんな自分を判って欲しかったのかもしない。

それで、千穐楽の与兵衛は本当に弱くて哀しい人なので逮夜の場での開き直りの強さと齟齬がおきていたような気がする。魔が忍び込んでいないので、あそこはあんなに強そうでは、与兵衛のあらゆる面での弱さと摺り合わなくなっている。まずはもっと必死に逃げようとしないと。染五郎さんの立ち回りが上手すぎるのかもしれないけど、妙に強くみえちゃうのですよ。一世一度のばか力にみえない。たぶん、あの場の演出・演技はどちらかというと魔が強いほうでの立ち振る舞い。与兵衛の人物像を変えていく過程で、新しく作った場だしまだどう落とし込むか揺れてる段階で直しきれなかったかなと。とはいえあの逮夜の場は見物人それぞれが観たいものを観る場のような気もして。あの一連の芝居と最後の笑みは人によってかなり解釈が変わるかなとも思う。しかしながら、もし千穐楽での子供じみた弱さにもがく、捩れてしまった与兵衛の彼なりの本気の本気の生き方を演じるなら少し変えていかないといけないかなと思う。染五郎さんの今後の落しどころ次第かな。

あと、初日に戻りますけど、初日の染与兵衛は仁左衛門さん与兵衛(解釈は孝夫時代のほうだった。自分は愛されていると、そこにあぐらをかいていた傲慢さと憎みきれない甘さ)をかなり髣髴させるものだった。ああ、これはソックリだという部分が多かった。そこからどんどん変えていった。次の週ではほとんど仁左衛門さん与兵衛の影が消えていた。千穐楽、一瞬初日近くに戻したか?と思ったけど、甘えた、甘ったれな甘さはあるけど、愛されたがりな部分が正反対。何をしても許されるという傲慢さはなく、愛されてないと感じてしまう、よるべない寂しさのほうが勝る。「おれもおれを可愛がるおやじが愛しい」の絶叫が哀しいまでに本物だ。

そこで染五郎さんは自分の与兵衛への道を歩むんだな、と痛烈に感じたんですよね。あとは、どのように持っていくかは今後演じる時の染五郎さん次第。今までの仁左衛門さんが練り上げた歌舞伎の入れごとを戻す可能性もあるし、それは今回で得た色んなものから次へと繋げていくんだろう。たぶん、仁左衛門さんにも秀太郎さんにはそれは伝えたんだろうなという気がします。秀太郎さん、ほんとによくコロコロと変えて来た与兵衛に対応してくれていました。他の役者や観客が置いてきぼりになりそうな与兵衛にさえ、しっかり対応していてさすがと思いました。染五郎さん、次回演じる時は落しどころをある程度見極めて深めていくことをしていってほしい。それにつけてもやはり歌舞伎用の多少大きめな小屋で見たいなあ。今回、殺し場がほんと窮屈そうでみてて可哀相だった。たっぷりみせてこれなかった花道の短さ含めて。小屋次第で印象がかなりまた変わってくるだろうと思う。

お吉@亀治郎さん、後半に入ってからの造詣は見事だったと思います。秀太郎さん、孝太郎さんにある「大阪のおせっかいなおばちゃん」な部分は元より出せない、また雀右衛門さんのような色気がありつつも包容力のある母たるお吉を造詣した場合、亀治郎さんの場合、大きな母性がまだないために色気のほうが立ってしまう可能性がある。しかし、お吉に色気がありすぎると、悲劇が際立たない。『女殺油地獄』は心中ものじゃないのだ。理不尽な理由で理不尽に殺される、その悲劇をどう体現するのか。亀治郎さんは極力色気を抑えてきていました。ほんのり人妻の色気は感じさせるものの、母の顔をしっかり持ち、与兵衛も自分の子供もどことなく一緒くたにしているような世話好きの面と一家を切り盛りする少しばかり気の強い凛としたお吉を造詣してきていた。だからこそ、殺されようとする場での、「今死んでは年端もいかぬ子が流浪する。それが不憫死にとうない」の必死の嘆願、「お光、お伝」の叫びが際立つ。子ゆえに死にたくない、その必死さ。与兵衛の親のための必死さとお吉の子のための必死さの対比がどうにもやりきれない理不尽さを際立たす。

おさわ@秀太郎さん、今月のおさわは絶品としか言いようがない。与兵衛の母としての存在感、哀しいまでの「母」の顔。強さと弱さが絶妙に立ち現れる。そして、与兵衛が強くでればそれ以上の大きさを出しきつめにキッパリと、与兵衛が弱さをみせれば強さのなかに愛情が含まれる優しげな声色に。その加減が毎回のように違う。さりげないんだけど今月の与兵衛の母そのものだった。また、夫婦の情愛の部分でも、夫婦間の絶妙な距離をみせる。信頼と遠慮と。

父徳兵衛@彦三郎さん、独特の無骨な味わいの徳兵衛だった。前半、台詞が入りきってないうちは少しばかり存在が弱かったように思いけど、後半になり家族に対する様々な想いをしっかりと表現してくださったように思う。自分の立場の複雑さ、そのなかで家族とどう対応していけばいいのか、悩み悩みながら一生懸命に生きてきたそんな徳兵衛さんだった。主だった先代に似た与兵衛を見るにつけ、従から主になった自分に負い目をもってしまったのかなあ。だからもしかしたら、どこか与兵衛と距離感があったのかもしれないなあ。そこを与兵衛に見透かされてたのかもしれない。そんなことも感じさせた。

兄太兵衛@亀鶴さん、生真面目で心根がとっても優しい兄。存在感が増していた。小さいころから聞き分けがよく、また母の立場を思いやれるはしこい子だったんだろうな。真っ直ぐに真っ直ぐに生きられる人。家族が大事で弟のこともいつもいつも心配してたんだろう。与兵衛は真っ直ぐなそんな兄が羨ましかったかな。兄の優しさが悔しかったりしたのかも。

おかち@宗之助さん、まだまだ幼い素直さのあるおかちでした。可愛がられて育ち、それでもちょっと遠慮がちで。与兵衛はワガママで乱暴な兄だけど、優しい時はとことん優しかったんじゃないかな。だからどんなことされても憎めない、大好きなんだよね。

ああ、なんだか今月のルテ銀の河内屋の人々は「家族」だったなあ。なんだろ、家族ってなんだろう?そんなことを考えた、



覚書(3/1up):
いまだ今回のルテ銀版『女殺油地獄』を友人たちと考えている。そのなかでいくつか覚書として。友人とのやりとりなので会話文になっています。

*今回の『女殺油地獄』は「家族の物語」でした。与兵衛という人物が照らし出した家族の物語だったような気がする。そして後半週に見せた染五郎与兵衛は愛ゆえに闇を抱え、愛ゆえに歪んでしまった与兵衛だったかなあと。なぜここまで考えちゃうかというと、やっぱり色々齟齬もおきた場ではあるけど「新地の場」「逮夜の場」をつけたせいだと思うんですよね。なぜ、与兵衛はこうなってしまったのかとか、なぜこういう人なんだろう?という思いと共に残されたお吉の家族、そしてなにより与兵衛の家族の哀れさがみえるから。他の人の感想を聞くと単純に人を殺した与兵衛が逮捕されてスッキリした気分で芝居を観終えた人もいるし、やはり、あそこで自分のなにを投影するかで感想は変わるんだなって思います。

*それにしても歌舞伎でこれだけあれこれ考えることって珍しい気がします。良くも悪くもカタルシスに気持ちが高揚することが多いですから。今回の油地獄はそこからは外れますよね。で、今に通じる演劇として成り立たせた染五郎さんって不思議な役者だなって思いました。染五郎さんて色んな部分で境界線上にいる役者なのかなあって思います。

*『女殺油地獄』の「新地の場」、「逮夜の場」は近松にとっては必然なんだと今回思いました。この物語って与兵衛の話ってだけじゃなく、親とか(義理ある仲の親)とか商家の家族とか共同体の話でもあるんだなって印象を強くした。近松は性根の悪い、甘やかされたはみだしものの与兵衛と、それでも身内として、身内が可愛い家族を描いたんだと思う。そうすると逮夜の場って必要なんだよね。それを共同体の皆が糾弾し捕まえる、そうでないと社会としては立ち行かないから。

与兵衛の最後の言葉って反省しているようにも反省していないようにも読める。そこをどう解釈するかでも変わるよね。時代性を考えたら近松は悪いことをしたという自覚が芽生えたというニュアンスで書いたのだったと私は思う。仏の慈悲をまだ信じてる時代だから。

それで、与兵衛の「性根が悪い」部分を強くすると、共同体のなか、はみ出しものを抱える家族の悲劇やそこに強く関わった家族の悲劇がみえてくる。与兵衛の「心の弱さゆえ」を強調すると、お互いの愛情を掛け違った親子の悲劇とその対称としてお吉と夫・子供の悲劇が強くみえてくる。

染五郎さんの造詣があまりに揺れていたのでまだそこが明確になる時とならない時があったけど。逮夜の場の今回の演出や造詣は性根が悪い部分を強調すると納得いった。でも心の弱さを出すと、あそこは別な演出、芝居が必要かなと思う。この場合、たぶんお吉の旦那と与兵衛の兄の役者がもっと大きい役者だとそこら辺もっとよかったんだと思う。与兵衛より格上感のある役者がお吉の旦那と与兵衛の兄だと印象がだいぶ変わる。

いま、歌舞伎でも文楽でもそこが明確に出てないのは「殺し場」が大きな見せ場になってるから。原作だとあれほど追い掛け回さずに一気に殺している。本来はあそこはあれほど突出した場じゃないんだよね。歌舞伎の様式美を入れたために少し変質したんだと思う。今の文楽はそこを逆輸入しちゃってる。

染五郎さんは最初のうちは「性根の悪さ」と原作にみえる家族の悲劇を強調するつもりだった思う。殺し場も劇場の間口の狭さのせいでたっぷりできなかったせいもあるけど、あえてたっぷりみせないという選択でもあったかなと今は思っています。でも、そこの部分で造詣を押し通さなかったのはなぜかな?っていまグルグルと考えてる。染五郎さん、観客に憎まれきると演じる前は言っていた。途中からなぜ与兵衛はこうなったのかな?って今度は考え始めちゃったのか、もしくは、演じてて違和感があったのか、どこで演じたら自分にしっくりくるか、を模索してたのか。

*与兵衛とってのお吉は心理的に親の代替とも読める。親に認められていないと感じる与兵衛にとっては、どうしようもないわね、と言いつつそのままの与兵衛を受け入れている存在は重要。それがなぜ殺されなければいけないのか。代替が必要なくなったから。これは穿ちすぎなフロイト的解釈だな(笑)

愛情に敏感で計ることでしか人生を送っていなかったために、金を貸してくれないという行為が与兵衛そのものへの拒絶と受け取ってしまう。

ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席中央方センター

2011年02月19日 | 歌舞伎
ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席中央方センター

今月『女殺油地獄』、毎週見てますが毎回、染五郎さんの与兵衛の造詣が違う。かなり違ってる。もしかしたら毎日違うのかも?と思うほど。前回と今回が違いすぎてまだ消化しきれてない…。今回19日(土)の与兵衛はどこかよるべない不安を芯に抱えていた感じがした。そのせいか全体的にいつの時代も変わらない人の哀しさみたいなのが際立っていたように思う。与兵衛のどうしようもなさは虚構ではなく今もあるものとして提示されていた。だからやりきれない。

特に10日(金)に観た時と今回観た時の印象がかなり違う。ほんとにビックリするほど違ってて、それをどう考えたらいいのか。たまたま私と同じ10日と今回19日に観劇した友人も同じように感じているので私の一方的な見方ではないと思う。友人と席も全然違ってたし。『女殺油地獄』、10日の日は魔に魅入られていた。それだけは言える。色んな意味で役者全員がどこかしら魔に入り込んでいた。そのなかで染五郎さんの与兵衛は禍々しいオーラを放っていた。それこそ魔王が河内屋に取替えっ子として置いていったかのように。恐ろしく不気味で気持ち悪かった。最初からどこかしら歪んでいた。だからお吉を殺すのも必然であり、そのどこが悪いという哄笑があった。

しかし今回の染五郎さん与兵衛は悲しいほどに人であった。寂しい寂しいとひたすら人に甘えて甘えきる与兵衛だった。 根無し草。感情の赴くままにふらりふらりと揺れている。「情」がわからないわけではない、むしろその「情」が欲しくてたまらない。自分が優先、何をしてもいつかは許される、許されてきてしまった大きな子供。その時の感情のままに動く。ある意味無垢でそれゆえにとても弱い。その弱さを隠すための虚勢暴力。それでいて嫌われるということを恐れているかのようだ。愛される、愛されない、そこが基準。自分のために何かしてくれる、それが愛情だと勘違いしている。そして追い詰められその何もないポッカリを空いたその弱い性根にぽんと魔が飛び込んでいってしまった感じがした。

19日の染五郎さんの与兵衛はその場、その場の感情にとても素直だ。両親の情に反省する、その言葉も本物だ。自分を愛してくれてる、そう確信できれば本気で申し訳ないと思うのだろうし、だからなおのこと追い詰められていく。そしていつもは優しいお吉がきっぱりとお金を貸すことを拒絶した時の絶望感の深さ、そして愛されないことの苛立ち。「こなたの娘が可愛い程、おれもおれを可愛がるおやじが愛しい」の台詞をこれほど切実に響かせた与兵衛があっただろうか。ひとつひとつが本当の言葉として出てくる。しかし、その言葉が出た途端にすぐ消えてしまうのだ。愛されることに敏感でも愛することがわからない男だから。殺しの場は与兵衛とお吉は正反対だ。与兵衛は親に愛されるために殺そうとし、お吉は子供を愛するために死にたくない。必死に刀を振り回す与兵衛のその飢えたからっぽの心のぽんと魔が入る瞬間があった。どこかおびえてるかのような与兵衛が楽しげになる瞬間が。魔が差す、まさしく19日の与兵衛は魔が差してしまった哀しい男だった。

それにしても与兵衛の笑み、毎回違うので観た時で印象がかなり違います。私には理解しがたい笑みというより、性根の部分の表出のように思えてなりません。染与兵衛の最後の笑みは観劇した人の受け取りでかなり違う解釈になりそうです。私は初日は殺し以降狂気に入ったと感じ、10日は元の性根の腐った部分が表出したと感じました。なので与兵衛の怖さばかり受け取った気がする。しかし19日は自嘲と自尊心の狭間での哀しい笑みのように見えて実は19日はとても可哀想な人だ、という感触でした。

今回の「逮夜の場」の与兵衛は染五郎さんだからできた与兵衛かなという感じがしています。与兵衛の捕り方が出てきた後の立ち振る舞いや表情は原作にはない。あそこは染五郎さんの解釈での造詣。そういう意味であそこの与兵衛は完全に染五郎さんのものなんですよね。

しかし、殺し場での義太夫との掛け合い、ノリが染五郎さん、亀治郎さんともかなり良くなってた。初日の時から「おおっ!」とは思ったけど、まだ手順に追われる部分がみえた。19日は気持ちが乗った上でだった。

お吉@亀治郎さん、ビックリするほど良くなっていた。人妻の何気ない色気というのも滲み出てて、また母としての顔もそのなかにしっかりあった。また芯にある気の強さ、きっぱりした部分がある為、与兵衛がお吉から絶対にお金を貸してもらえないと絶望するのがよくわかる。10日までは亀治郎さんの気の強さがうまく機能してなかった部分があったけど物語の流れに乗れてた。何よりよくなったのは子供ゆえに死にたくないという気持ちが溢れてる部分、しっかり表現できるようになったいたところ。よりお吉の死に様が哀れになっていた。また演出も子供の声をより効果的にしてきたのも大きいかな。お吉が死んでしまい居間に取り残されたところで赤ん坊の泣き声がひっそりと延々と聞こえてくるようになっていました。

おさわ@秀太郎さん、ますます「子供が可愛い、出来の悪い子供ほど可愛い」母そのものだった。哀しいおさわさんだった。

父徳兵衛@彦三郎さん、焦った部分がなくなってきていい感じに。大阪の商人風情には遠いものの義父としての不器用さがとてもよい味わいに。

豊嶋屋七左衛門@門之助さん、亀治郎さんとの息が合ってきてお吉と夫婦らしい雰囲気になっていました。マジメで夫婦揃って堅実な生活をおくってきた人という感じ。また「逮夜の場」ではまだ与兵衛に対抗しきれてないかなと思う部分もあれどやりきれない悲しみがだいぶ前に出てきたかなあと。

ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第一部『於染久松色読販 -お染七役-』』 1等席前方花道寄り

2011年02月12日 | 歌舞伎
ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第一部『於染久松色読販 -お染七役-』』 1等席前方花道寄り

全体的に初日より面白くなってました。まあどうしてもこの演目は趣向で見せるものなので、軽く観るという感じにはなりますけど。歌舞伎座や演舞場で観た同じ演目に比べてしまうと今回はいかにも花形という感じですが反対にそこに軽やかさがあって楽しいという部分も。

7役@亀治郎さん、初日に比べてかなり役のメリハリをつけてきた。今一歩だった後家貞昌/奥女中竹川/芸者小糸を明快にしてきていました。特に竹川に格と貫禄がついて良かったです。土手のお六はだれが演じても演じやすい一番目立つ役だとは思いますが、それでも亀ちゃんらしい上手さを見せてきていたと思います。何より楽しそうだし。また初日に観た時にはなかった喜兵衛が死んだことに対しての悲しみもしっかり見せてました。ま、すぐにどうだ、と言わんばかりの楽しげな顔にはなってますけどね (笑)。お光は序幕はあまりよろしくないです。いじらしさがあんまり無い。でも大詰の狂いのとこは非常に良いです。舞踊の上手さが際立つし、狂いのある女性は亀ちゃん、上手いよね。お染は、愛らしさがちょっと足りないかなあ。声が出ない&顔が痩せちゃってふっくら感がないからだと思う。

喜兵衛@染五郎さん、初日よりメリハリ利いて骨太さが出てたと思います。声もほんとよく出てる。この役にはちょっとカッコよすぎるような気がしますけど凄みと抜けの部分を上手く出してたかなあと。ほんとはもっと泥臭いほうが面白いんでしょうけど、まあそういう意味では大仰に演じてもスマートな感じになってしまいますね。若い亀治郎さん相手だからなおさらかな?福助さん相手の時のほうが抜け感はあったような気がするんだけど、どうでしょう?にしてもあの筋肉質な太ももはついつい見ちゃいますね~。

久作@門之助さん、今回はちょっと乗ってなかったですね。安定感のある門之助さんらしくない。台詞はつっかえるわ、何より気持ちが入りきってない感じで。どうしちゃったんだろう??ニンじゃない役で悩み中なのかしらん?

山家屋清兵衛@友右衛門さん、やはりさすがに上手い。まあ、脇が若いのが多いせいでちょっと年齢いきすぎ?って感じもさせるけど。ちゃんと場を締めてくれています。

番頭の錦弥さん、緩急が出てきて健闘中というところ。

船頭長吉@亀鶴さん、女猿廻しお作@笑也さんは本当に良いですねえ。この二人、もっと色々観て見たいです。

ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席前方センター

2011年02月10日 | 歌舞伎
ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 1等席前方センター

なんとなくふらっとチケットを取っての観劇。今回はふらっと飲みに行って深酒したあとにデザート食べてニマニマしてたところに水をぶっかけられたような心持になりました…。なんだろ、満足、満足っていう充足感ではなく、呆然って感じなのだけど、でもこれを観て本当に良かったという充実感があるというか…説明しずらいのですが…。

初日も拝見していますが初日に観た時よりだいぶ変化していました。あと2回目で冷静にきちんと見られたおかげで、良い方向と悪い方向の両方もみえた感じです。近くで観て劇場の舞台の狭さがかなり今回の舞台に影響していることも。

たぶん、今回の染五郎さんの『女殺油地獄』はル テアトル銀座版としての『女殺油地獄』で、今回しか観られないものになるかもしれない。他の歌舞伎専用の劇場で演じる時はまたかなり違うものになるし、してくると思う。今月、観る人はしっかり覚えておくといいかも。年齢とか芸の積み重ねで変わるという部分ではなく、このル テアトル銀座という劇場だからこうなったという部分がかなりある。私は今回、歌舞伎だけど歌舞伎じゃないものを観ている感覚になった。私たちが歌舞伎を見る時に感覚的に感じるそのいわゆる歌舞伎ならではの「間」「余韻」「カタルシス」が無い。最近の野田さん、三谷さん、クドカン、乱歩の新作歌舞伎にすらそれはあった。だけど、今回それが無いのだ。「こういうもの」としての間の余韻が無い。狭さゆえに出せなかった部分とあえてやった部分との両方だと思う。

それは諸刃の剣として出てくる。だから物足りなさも当然出てくる。特に「豊島屋宅内」では舞台の狭さが殺しのダイナミズムを減じている。でもまた一方で近松が描き出したかったであろう世界観がより強調されたものになっていたような気もする。今回、「人の営み」のなかで一人では生きていけないからこその情と切なさや愚かさがあり、そしてそこに潜む澱のようなものが浮き出てた。近松の晩年の作品だというこの作品、何を描き出したかったのだろうか。どこか底知れぬ怖さがある。

全体としては芝居が締まってました。台詞が危うい人が減ったせいでしょうけど…(笑)。一場、一場が流れずきちんと明確になってきた感じです。ただ、明確になった部分で、改めて上方の雰囲気は少なめだなというのも痛感。役者がほとんど江戸の役者ですので仕方がありませんが…やっぱり…。義太夫が感覚的に身に沁みてる世代の役者さんだと江戸の役者でも雰囲気は出せるのだけど…。いまやもうその方々は舞台にほとんど立てない状態ですから…。特に前半「徳庵堤の場」で感じる。「河内屋宅内」で物語が動き始めたあたりから気にならなくなってはくるのだけど。そしてグッと面白くなってくるのはやはり後半「豊島屋宅内」~「逮夜の段」。そして今回感じたのは今月のル テアトル銀座版『女殺油地獄』は「逮夜の段」あってこその『女殺油地獄』。蛇足どころではない。芝居のカタルシスが無い代わりに深い深い哀しみと闇がありました。染五郎さん、相当リスキーなことをやってきた。「豊島屋宅内」をたっぷり見せたほうがカタルシスがあり絶対受けがいいはず。でもそこをあえて今回外してきた。

与兵衛@染五郎さん、可愛いけど情けなかったり、格好良かったり格好悪かったり、素直だったり捻くれてたり、プライドがあったり無かったり、すべて相反するものが同居している。そして性根が空っぽで底の部分が腐ってる…その事に無自覚。周囲がそれに飲み込まれて不幸になっていく。とりあえず観客に好かれようのない与兵衛かも…。根っこが腐ってるので悪の華すら咲かない。でも器がとても綺麗なので「情」という種を植えれば育つんじゃないか?って周囲に淡い期待を持たせちゃたんじゃないかな~って今回は思った。そして、その与兵衛はひたすら人の情を喰らって喰らいつくしてなお、阿弥陀如来の慈悲を喰らおうとしている美しくも醜い餓鬼であった。救いようのない最悪男なんで気持ちがゲッソリする。与兵衛、人として本気でダメだよ…。

もうね、染五郎さんの事、私は大好きなんですが染与兵衛は愛せません。無理っ!染与兵衛には殺されたくないですね。でも染五郎さんファンとしては「染ちゃん素敵」という部分もやっぱりあるわけで、可愛らしいとこでニマニマしちゃったり、色ぽさにドキドキしてみたり、なりふりかまわない必死さに切なくなったり、でもそれ以上に与兵衛は不気味すぎてそんな気持ちになれない部分もあり、なってはいけない気分にもなり、とてつもなくアンビヴァレンツな気持ちに…。

与兵衛@染五郎さん、芸という部分ではまだまだすごく足りない部分はある。もっと柔らか味や緩急が必要だと思うし、人物像の輪郭をしっかりと描くという部分はまだまだ足りないと思う。でも、義太夫にのって表現していく事がどういうことかがようやく身につき始めていると感じる。だから一気にじゃなくていい、少しづつモノにしていって欲しいと、そう思うだけだ。物語を咀嚼しそこを表現する力がかなりあることを見せてきただけで私には十分。

お吉@亀治郎さん、いま少し迷いが出てる気がした。らしさを押さえて「上方の世話好きなしっかり者のおかみさん」になろうとしているところでどこか齟齬がでてきちゃったんじゃないかなあ?与兵衛を男として見てない、子供に対するような心持ちの部分は私は気に入っている。ただ、亀ちゃんにまだ母性を表現する部分が足りないんだよね。だからその部分で「しっかり者」の部分だけが強調されてしまう。ただ、子供のために死にたくないという悲痛さの部分はとても悲痛で切ない。恐怖心で逃げ回るのではなく心の底から死にたくないという必死さがあってそこは見事。

母おさわ@秀太郎さんは今回ちょっと言うことなし。だって、ほんとに自然に与兵衛の母なんだもの。おさわは与兵衛のことまだ小さい子供にしか見えてないんだよね。大きななりした子供。心配で心配でしょうがない。そしてどこかまだ信じてる。ほんとは悪い子じゃないと。なんて哀しい母なんだろう。前回演じた時のおさわからはそこまで実は伝わってこなかった。でも今回の秀太郎さんは凄いと思う。

父徳兵衛@彦三郎さん、今回はちょっとどうしたの?っていうくらい、もうひとつ感が…。なんだろ無骨な父という部分はやっぱりとっても良い。秀太郎さんのおさわとのバランスも良い。でも、すごく焦っちゃってる感じ。どうもまだプロンプが外れてないですね。たぶん、台詞は覚えたようでプロンプの声とほんとど重なるし、プロンプの声がかなり小さいので後ろのほうでは気がつかないかも。たぶん、きっかけをまだしっかり覚えきってないのかも。なんかそのせいかどうか、アクセクアクセクしちゃってるんです。ここはたっぷり、とかここはゆったり動いてとか、心情を伝えるための間とか余韻が足りなさすぎるんです。それと台詞を張りすぎてる部分も。台詞をつっかえつっかえしてた時のほうがその分、間があって徳兵衛のやるせなさとか無骨さとかが出てたような…。う~ん、う~ん、今後余裕がでてしっかり芝居ができるといいんですが…。

小菊@高麗蔵さん、復活おめでとう!!だし、綺麗なんだけど、なんだけど~~。どう見てもお江戸のチャキチャキの芸者だよ~~。惚れた男に一筋だぜな侠気がありそうだ…。む~ん、とりあえず冒頭、お江戸にみえるのは高麗蔵さんの空気感が大きいかも…。小菊は与兵衛に惚れてる女じゃないんだよね、金があるほうに行く。だからやわやわと手練手管でうまく男に惚れさせるような雰囲気がほしい。

豊嶋屋七左衛門@門之助さん、しっかり演じてるんだけど、なんかまだ厚みがない。もっと七左衛門の人となりを見せて欲しいというか。亀治郎さんのお吉の強さにも対応できてないというか…夫婦感もあまり無いし。まあ門之助さんのせいだけでないかもだけど。もっと厚みがあると大詰の場でもっと活きると思うんだけど。

ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 3等席センター

2011年02月01日 | 歌舞伎
ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第二部『女殺油地獄』』 3等席センター

『女殺油地獄』
これはやはり物語自体がよく出来てる。芝居として面白い。いわゆる演劇好きの人も観るといいよ、と今日もつくづく思った。近松、凄いなあ。

今回は通しで上演。最初の幕からいつもと少し違います。お大尽たちの舟遊びから始まる。そこから「河内屋宅内の場」、「豊嶋屋内の場」までは通常と同じ。そこからいつもは演じられない北の新地の場~逮夜供養の場がつきます。「北の新地の場~逮夜供養の場」は流れがスムースで文楽で通しで観た時に感じた蛇足感はほとんど無かったです。この場が付くことにより与兵衛の人間としての複雑さ、どうしようもなさがみえてきます。また、逮夜の場に兄が再登場するのでこういう男を家族にもった者の悲哀をもまた感じさせました。

「北の新地の場~逮夜供養の場」は歌舞伎ではほとんど上演されない場だけに観やすいように脚色をしたとのことでほぼ新しい演出で作られた場と考えていいと思います。それだけに芝居の場としては初日はまだ手探りな雰囲気も。もっとこなれてきて場が締まるともっと面白くなるかも。「逮夜供養の場」を付けると、殺しの場で得られるカタルシスはなく役者にとっては豊嶋屋内の場までで終わらせたほうが観客が盛り上がった所で終えられるので良いのでは?と思う。しかし、通すことの意義も今回充分にあったと思う。今回の演出は定番にしても悪くない出来かも。

与兵衛@染五郎さん、10年ぶりの与兵衛ですがかなりの成長ぶりかと思います。非常にニンに合う役という持ち味だけではない蓄積してきた芸の部分でも見せてきました。まず何がって台詞。台詞廻しが非常に良くなってる。義太夫のノリが10年前と全然違うし、かなり工夫もされている。それだけで役の説得力が増すんだなと。初日ゆえの硬さとかメリハリというか緩急が足りない部分は勿論やはりあったけど、与兵衛はこういう男なんだという説得力がかなりありました。コロコロとその場その場で態度が変わる性根の無さというか、その時々の感覚を本気で生きてる与兵衛だった。自己中心的なんだけど、親への甘え、申し訳ないと思ってる様も本物。だから皆ついつい許してきちゃってどんどん増長しちゃったんだなあって感じです。

「豊嶋屋内の場」の殺しの場がやっぱり一番の見せ場だし見応えも一番ありました。染五郎さんのコロコロ変わる表情と台詞の調子は見ものかと。染五郎さん、絶対さよなら公演の仁左衛門さんの油地獄を毎日のように観てたに違いないと思いました。時々、オーバーラップしてきました。特に台詞廻しが似てるんですね。仁左衛門さんと比べたら勿論、歌舞伎の美学、芸としての完成度はまだ低いけど、代わりにどうしようもない必死さとか未成熟さ切ないまでのバカさ加減がありました。仁左衛門さんの場合は確信犯的な性根の悪さを「豊嶋屋内の場」で見せてきますが、染五郎さんはこの場では、性根の悪さというよりは根無し草のような、その場その場でころころ感情が変わる性根の無さのほうをより強調している感じです。

そして「北の新地の場~逮夜供養の場」を付けた事により、染五郎さん独自の与兵衛というものも見せてくる。ノー天気で小心者と思えばふらっと大胆な行動に出、開き直る。この大詰めでの与兵衛の表情はなんとも空恐ろしい表情でした。「豊嶋屋内の場」までは悪いなりにどこか可愛げがありますが、大詰でそこをひっくりかえします。ちょっとゾッとしてしまいました。

お吉@亀治郎さん、意外や意外、ハマってました。しっかりもので世話好きの女房という基本線をしっかり守って妙な色気を出さずかなり神妙に演じていました。いかにも上方の商家の世話好きおかみさんといった風情の孝太郎さんとは雰囲気とは違い、真面目でしっかりしていて気が強そうだけど根の部分が優しい感じ。亀治郎さんのお吉は与兵衛に対して警戒心がまったくないんですよね。まったくしょうがない子ねえって感じで対応しているような気が私にはしました。男相手というより子供を相手にしている感じというか。孝太郎さんの場合だとお姉さん目線ではああるけど同等な部分があって与兵衛に少し警戒心を持っている感じがあるのですが、亀治郎さんは姉目線というより母目線ぽい。 殺しの場は染五郎さんと亀治郎さん息の合い方がかなりピッタリで迫力。二人とも舞踊が上手いということもあるのでしょうが、滑稽な場でもあるのに絵になる。

母おさわ@秀太郎さん、さすがに出てくるだけで場を締めてきます。また上方の空気を運んできてくださった、という感じでした。おさわの母の子供可愛さゆえの強さ、愚かさがしっかり伝わってきました。とても切なかったです。相手が若い染五郎さんなので、母としての立場がなお一層浮き立ったかなと。それゆえかさよなら公演で演じた時よりだいぶ若い雰囲気もありました。彦三郎さんとのバランスも非常に良い。前回の徳兵衛の歌六さんだとやっぱ若すぎたんだな、とちょっと思いました。

父徳兵衛@彦三郎さん、全部プロンプ付でした…。ほぼきっかけ待ちだけなので早いうちにプロンプは外れるとは思うのですが…彦三郎さんに限らず高齢の役者さんの何人か若干危うい感じ…。とはいえ、彦三郎さんの徳兵衛には無骨さがあって思った以上に良かったです。上方の商人にはさすがに見えませんが、芯がしっかりしてそうなのに与兵衛には何もいえない、愛情を表すのに不器用なタイプという雰囲気が私は気に入りました。 それとおさわ秀太郎さんとのバランスが非常に良かったです。こういう人だから番頭あがりでも、おさわは再婚したんだろうって説得力がありました。

小菊@笑也さん、高麗蔵さん休演のための代役です。代役のお知らせを読んでいなかったので最初??状態でした。それにしても笑也さんファンの方に見せたいくらい超可愛いかったです。笑也さんはふんわり感があって、しなしなと上手く手管を使ってる感じがします。

(高麗蔵さんはインフルエンザのため休演。お大事にしてください。早く治って復帰できますように。)

太兵衛@亀鶴さん、与兵衛の兄です。普段は「河内屋宅内の場」だけの出番ですが今回は「逮夜供養の場」が付くことで、兄の生真面目さ、優しさが際立ちます。亀鶴さんさんの生真面目さは柔らか味がありますね。今回の太兵衛にピッタリだったと思います。また、染五郎さん与兵衛と年齢が近いので、兄弟の性根の違いが対照的に出ていい効果があったと思います。兄はこんなに性根の良い人なのに…と悲哀を感じさせました。

豊嶋屋七左衛門@門之助さん、森右衛門@錦吾さん、おかち@宗之助さん、小栗八弥@亀三郎さんとしっかり周囲を固めます。

個人的に夜の部のほうが芝居の空気感は密だったと思います。たぶん、昼より脇の役者さんがしっかり固める感があるせいかなと思いました。そういえば、殺しの場で豊嶋屋の庇がいきなりドーンと落ちてました。これはハプニングよねえ??

ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第一部 『於染久松色読販 -お染七役-』』 3等席センター

2011年02月01日 | 歌舞伎
ル テアトル銀座『二月花形歌舞伎 第一部『於染久松色読販 -お染七役-』』 3等席センター

劇場はロビーに歌舞伎座仕様な品揃えぽい和物物販あり。それと白とピンクの繭玉を飾り、いつものルテ銀に比べると華やかな感じです。劇場内も赤い提灯が掛けられ歌舞伎公演の雰囲気を出しておました。

また変形花道をつけただけではなく回り舞台もこしらえていました。大道具さん、すごいっ!!このおかげで歌舞伎らしい転換が出来ており、思った以上にル テアトル銀座での歌舞伎上演もありだなと思いました。

『於染久松色読販 -お染七役-』
段取りの多い芝居ですが初日からしっかり見せてきました。さすがに芝居全体のメリハリはまだまだですが花形らしくテンポがよくて楽しかったです。今回は猿之助型ということで、最初の場で7役をすべて見せます。最初に全部の役柄を把握させるため、筋がわかりやすくなると同時に早替わりを見せていくぞという前振りにも効果的でした。

油屋娘お染/丁稚久松/許嫁お光/後家貞昌/奥女中竹川/芸者小糸/土手のお六@亀治郎さん、最初に出てきた瞬間、あまりの激痩せぶりにちょっとビックリ。いつもはふっくらな頬がこけてる…。あとお染の高い声が掠れてしまって声の調子が若干やられてる感じもあり、最初は心配してしまいました。しかしよく動いて疲れは全然見せませんでしたし、声のほうは後半にいくにつれしっかり出てました。声のほうは喉が温まっていない状態だったのかもしれません。

とにかく早替わりがかなり見事でした。どこで替わるか分かっていても思わず「おおっ」と感心することしきり。澤瀉屋の早替わりの技術って本当に凄いし、それをやってのけるだけの集中力がある。役ごとの演じわけ、メリハリは初役の初日だけあってまだ十分ではないかな。土手のお六が忠義の部分がしっかりした悪婆で悪に崩れきっていないマジメな部分が垣間見られて面白い造詣。非常に楽しそうに演じて一番の出来かと。染五郎さんの喜兵衛との相性も良くかなり自然体な夫婦ぶり。息が合っていました。あとは、お光が非常に良かった。熱が帯びた物狂い風情が良い。またさすが舞踊上手というところをみせる。それと最近、立役も多いせいか久松もかなりしっくりきてて良かった。芸者小糸はそれなりに。後家貞昌と奥女中竹川はまだ手に余る感じ。後半、もっと良くなっていくと思います。これを拝見して個人的にはやはり亀ちゃんは女形のほうが魅力的だなと思う。

喜兵衛@染五郎さん、何度か手がけているお役ということもあり凄みを利かせつつも軽妙にどことなく色気のある悪役を演じていました。もう少し緩急が欲しいところですが存在感がありました。低めに出す声もよく通り、緩急の効いた台詞廻しも良い感じ。 染五郎さんは骨太な役をやると最近は吉右衛門さんの雰囲気のほうに似ますね。相変わらず座り胼胝が素晴らしい御足(笑)

船頭長吉@亀鶴さん、女猿廻しお作@笑也さんがとても良かった。なんというか雰囲気がとても良いのです。人の良さが滲み出ており、舞踊もすっきりと丁寧。

油屋太郎七@秀調さん、山家屋清兵衛@友右衛門さん、ベテランとしてしっかりとした存在感。特に友右衛門さんはこういうお役はしっくり来ます。

久作@門之助さん、忠義の部分が前にでてる久作でした。情味の部分はまだちょっと薄めかな。しかし、門之助さんは色んな役をしっかりこなす役者さんですねえ。

多三郎@宗之助さん、可愛らしい若旦那でした。さぞかし頼りなさそうに見えるかと思っていましたが思ったよりしっかりしてそうに見えるかも。

善六@錦弥さん、大抜擢じゃないでしょうか。ちょっと真面目すぎる感じですがこなれてきて、どうなるか。