Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立小劇場『九月文楽公演 第一部』 1等真ん中下手寄り

2012年09月15日 | 文楽
国立小劇場『九月文楽公演 第一部』 1等真ん中下手寄り

第一部公演は歌舞伎でもよく上演される演目で比べながら拝見。

『粂仙人吉野花王』
この演目は珍しく歌舞伎『鳴神』のほうが先にあって文楽に取り入れたんだそうな。女性の人形に珍しく足が付いていました。時代設定と名前が違うだけで内容はほとんど歌舞伎と同じ。芝居構成がまんま歌舞伎と同じ。ただ文楽のほうが粂仙人(歌舞伎:鳴神上人)と花ます(歌舞伎:雲の絶間姫)のかけひきがちょっと少なくて仙人がすぐ破戒してしまう(笑)。この演目に関しては役者の腕云々はその時々であるけれど全体の見せ方やかけひきの面白さで歌舞伎のほうに軍配があがるかな。とはいえ文楽には文楽のよさはありエロチックな場面でも品が保たれ華やかな舞台を気持ちよく楽しめる。

太夫では千歳大夫が花ますの仕方話をほんのり色気を含ませつつくっきりと聴かせてきて、言葉をハッキリ聴かせるだけじゃない情感が出てきたなあと思いました。

人形では、清十郎さんの花ますがかけひきの部分で自信をもってというより一生懸命にな雰囲気があって可愛らしかったです。玉也さんの粂仙人は生真面目でお硬い感じがありころっと破戒してしまう様子に可笑し味を与えていました。

『夏祭浪花鑑』
歌舞伎でもよく上演されますがこの演目に関しては歌舞伎独特の入れごとがほとんどないことを知りました。戯曲自体がかなりよく出来た構成なので演出変えたり入れごとが入る隙があまり無いのかもしれない。

歌舞伎では省略されてしまう「道具屋内の段」がつきます。この段を見ると磯之丞の女癖のひどさが…。ほんとにひどい男だ。こんな男のためになぜ身を張らなきゃいけないの?って感じでした…。磯之丞は若い女性のとこに預けちゃダメだ、っていうのはよーくわかりました。道具屋の段がなくてもダメ男だと思っていたけどほんとにひどいダメ男…。磯之丞を守る理由が知りたいです。「住吉鳥居前の段」より前の段を復活してもらいたいです。「道具屋内の段」は場面として外しやすい場面だなとは思いましたが義平次の性根の悪さとか磯之丞のだらしなさはよくわかりますので物語としての説得力は増しますね。

太夫では文字久大夫が住大夫休演で2場面を語ることになりましたがかなり頑張ってらして場の情景がしっかり伝わってくる語りで聴き応えがありました。「長町裏」での団七の源大夫さんは調子があまり良くないのか声量があまりなく祭の音に声が時々消されてしまい気の毒。他の段で語っていただくという選択はなかったのでしょうか。

人形では蓑助さんのお辰が格の違いを見せます。蓑助さんが女の人形を遣うのは久しぶりに拝見しましたがやはりこの方は女のほうが本領ですね。人形に血肉を与えるのが本当に上手い。お辰の凛とした色気とそのなかの鉄火な性根を細かい仕草で見事に伝えてきます。玉女さんの団七が大きくダイナミック。このところ人形の全体の形が良くなってきて勢いが出てきたかなと思います。勘十郎さんの義平次はこせこせした細かい仕草が上手く義平次の性根のいやらしさをあますことなく表現。

パルコ劇場『其礼成心中』前方センター席

2012年08月21日 | 文楽
パルコ劇場『其礼成心中』前方センター席

素直に楽しかったです!おふくちゃん、超可愛いかったー!ツボ!カテコで技芸員さんたちがとても良いお顔をしていてなんだかそれがとても嬉しかった。

まさしく「三谷」文楽だなあとまずは思いました。三谷さんらしい題材で登場人物たちの使い方だったから。そして同じ伝統芸能を手掛けたパルコ歌舞伎『決闘!高田馬場』にそっくりだ~とも思いました。どこが似てるのかと言えば主役を狂言廻しにして周囲を動かす手法、そして舞台面の演出も似ていました。実は私はパルコ歌舞伎に関してはキャラクターたちは全員が愛おしかったけど「物語」が好きじゃなかった。でも三谷文楽はキャラクターだけでなく「物語」自体を素直に受け入れられた。どこか違うのかなと思ったんですが今回の『其礼也心中』には三谷さん独特のシニカルさや毒がほとんどなかったせいに思う。三谷さんから観た文楽や近松門左衛門に対するツッコミなどもとても素直だしなにより「生きる」ことへの肯定をそのまま描いている。そこが後味のよさに繋がったかなと。

新作文楽としてどう観たかという部分の感想では、よくやった!と言いたいです。古典の良さと新作ならではの弾けた部分がうまく融合してたと思う。カタカナや英語まじりの現代語をしっかり義太夫に乗せてきたことが文楽の骨格をしっかり守った形になったと思う。文楽がまずは「語り」だという部分をしっかり見せてきたのが成功だと思う。そして新作ならではの部分では人形の見せ方。古典をきちんと入れ込んで従来の美しさを見せる一方で足遣いをわざわざ見せたり、初心者がどうなってるの?と疑問に思う部分を大胆に見せたり。また、新作だからこそできたであろう人形の動き方も。いまどきの仕草をさせたりある意味型破りなことをしている。おふくちゃんなんて、ホリ&麻阿@亀ちゃん並だよ(笑)。若手(といっても歌舞伎でいう花形世代以上だけどね)だから出来たことじゃないかと思う。

最初のうちは現代語を義太夫の乗せる言葉使いにどうしても慣れなくてムズムズしていたことは否めない。でも周囲の反応の良さも手伝って観ているうちに言葉を聴き取ろうとするストレスなく観られることが大事なんだなと思い直す。だって新作なんだもの。

後半観劇も手伝ってか太夫さんも人形遣いさんもよくまとまっていたと思う。特に太夫さんたちほんとよく語ってきたと思うし三味線の音色には初心者さんも「おおっ」って思ってくれたんじゃないかな~。人形のほうはいかにも若手な遣い方で「ここもっと見せられるとこなのに~」な不満もありつつガンバレ~~と応援モードになってしまった(^^;)けど思い切りのよさの部分で若手だから、固定観念に縛られないでこういう見せ方ができたなとも思った。

音に関してはPA使いしてたのが若干不満。それと主役夫婦の女形と立役の遣い手が逆なのはもったいなかったかも?

私は古典どっぷりな歌舞伎ファンだったけど新作歌舞伎に鍛えられた(笑)&新作は必要の立場から新作ものには甘い面もあるという事は書いておく。歌舞伎がそうであるように文楽にも両輪は必要だと思う。三谷さんが完全に書き下ろしでやってくれたことに意義があると思う。そして若手たち中心で創り上げたということも。若手たちは創作する力を養ったと同時に自分たちの足りない部分も学んだと思う。そういうのって大事。そしてなんというか観客も一緒に育っていけばいいんだよ。

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三谷文楽 「 其礼成心中 」
公演日程 2012年8月11日(土)~8月22日(水)
作・演出 三谷幸喜

出演 :
義太夫:竹本千歳大夫 豊竹呂勢大夫 豊竹睦大夫 豊竹靖大夫 

三味線:鶴澤清介 鶴澤清志郎 鶴澤清丈 鶴澤 清公 

人形:吉田幸助 吉田一輔 吉田玉佳 桐竹紋臣 桐竹紋秀 吉田玉勢 吉田簑紫郎 吉田玉翔 吉田玉誉 吉田簑次 吉田玉彦 吉田玉路 吉田簑之

囃子:望月太明蔵社中

元禄十六年四月七日、大坂の曾根崎天神の森で醤油屋の手代徳兵衛と北新地の天満屋のお抱え女であるお初が心中死を遂げた。この心中事件を題材に近松門左衛門が書いた物語が『曽根崎心中』。この近松が書いた『曽根崎心中』は大ヒット。その後、なぜかこの天神の森は第二、第三のお初と徳兵衛と言わんばかりに心中のメッカとなっていた。
その天神の森の近所にある饅頭屋。夫婦が営むこの饅頭屋だが、自分の家の目と鼻の先で心中を繰り返され、店から客は縁起がわると遠のき、饅頭屋は傾きかけていた。
ある夜、毎度のように若い男女が天神の森で心中しようとしていた。これ以上心中が出ないよう見回りをしていた饅頭屋の親父は、とにかく自分の家の近所で心中を繰り返されるのが嫌な一心で、この男女に「ここで死ぬな」と説得する。自分の饅頭屋まで連れてくると、女房と共に思い至った二人に死ぬことを思いとどまらせ、あげくの果てには腹が空いている二人に饅頭を食わせてやった。
この事件をきっかけに、ちょっとした親父の思いつきから突如饅頭屋が流行出す。だがそれも、長くは続かなかった――
(あらすじは公式HPより)

国立小劇場『文楽九月公演 第一部』 1等前方下手寄り

2011年09月17日 | 文楽
国立小劇場『文楽九月公演 第一部』1等前方下手寄り

『寿式三番叟』
国立45周年のお祝いと3月11日の東日本大震災を受けて、天下泰平・国土安穏の祈りを込めた上演。能楽『翁』を人形浄瑠璃に仕立てた演目とのこと。

竹本6名、三味線6名、そして黒御簾のなかでもお囃子が演奏されかなり華やかな演奏。声が少々衰えたかなと思うものの住太夫さんが中心になってリードし統一感のあるいい演奏でした。

翁が簑助さん、千歳が勘十郎さんの師弟コンビが静々と粛々と舞います。

そして二人三番叟の華やかで楽しい踊りが場内を盛り上げます。途中、疲れてサボったりするのが人形浄瑠璃らしい演出。とっても楽しくてワクワクしました。

三番叟を操るのが若手の幸助さんと一輔さん。幸助さんは若干ゆるいとこもあるものの動きが大胆。一輔さんは芯がぶれず非常に端正。二人とも人形に華がありコントロールが上手い&音の捉まえ方が良いと思います。今後伸びるといいな。注目していきたいと思います。

『伽羅先代萩』「御殿の段」
歌舞伎では何度も拝見していますが文楽で『伽羅先代萩』を観るのは初めてです。演出がほぼ歌舞伎と同じでした。本行に近づけて上演した歌舞伎も観ておりますが、普段上演される定番の歌舞伎演出のほうでも歌舞伎独特の入れごとはあまりないのだなと確認。

お茶道具を使ってのまま炊きがそのままにも驚きました。あのゆったりとした時間は文楽も同じなんですね。政岡の心情や子供たちの待ちわびる健気な様子をじっくりと見せる。退屈を評されることも多い場ですが、やはりこの場での政岡と鶴千代、千松の心情や健気な情景をみせてこと次の悲惨な場がインパクトを持つのでしょうね。

今回、やはりどうしても歌舞伎と比べながら観ておりましたが、歌舞伎の行動様式が「情」の部分を押し出すのに比べ、「物語」をみせるという部分でその「情」もさることながら「義」が根底にあるのだなという印象。歌舞伎も演者が違うと印象がかなり変わるのと同様に語る太夫さんや人形を操る人によっても印象は変わるとは思いますが。

今回は八汐@簑助さんには空恐ろしいほどの非情さをがあり、政岡@紋寿@政岡さんはまずは鶴千代君を守る「忠義」のほうが際立っておりました。紋寿さんの政岡は乳母としての心持ちが強く、またとても控えめ。

今回観た限りでは人形であるゆえに物語に沿った感情のありかたがシンプルすぎるかなと。政岡の苦しみはまずは忠義の行動に隠され、八汐の短絡的な詰めの甘さは子供を弄り殺しにするという行動だけに集約されてしまいひたすら非情さが際立つ。封建制度に殉じた母子の悲劇は際立ちましたが心情に沿いにくい。

個人的には役者が演じていることで演じる以上にどうしても纏ってしまう「情」がどこかしら滲み出てしまう歌舞伎のほうが好みかもしれません。今のところ、「御殿の段」の栄御前登場後の場は2004年の玉三郎さん政岡と2006年の藤十郎さん政岡が好きですね。まま炊きの場に関しては藤十郎さんのが一番好き。

栄御前@文雀さんがさすがの品格と佇まいでした。文雀さん、お元気そうでなにより。栄御前の頭が若いので驚きました。歌舞伎だとかなりお年な雰囲気で演じられるので…。

『伽羅先代萩』は文楽でも一度通しで観たいですね。

『近頃河原の達引』「堀川猿回しの段」
こちらも歌舞伎で拝見したことのある演目。朴訥と情味溢れる我當さんの与次郎が印象に残っています。

親子兄妹の情愛のしみじみとした演目。文楽のほうがおしゅんと伝兵衛の経緯がよくわかったかも。与次郎@勘十郎さん、すっきりとした爽やかな与次郎。もう少し泥臭くていいかなあ。ちょっと知的すぎるかも。私の与次郎のイメージとしては頭がよくなくて不器用だけど愛情豊かな人物なんですよね。我當さんの与次郎がピッタリすぎたのかな。

お猿さんが可愛かったです。一人で二匹のお猿を操るのは大変でしょうねえ。活き活きとしていました。ちょっと見せ場が長かったけど(笑)

母@勘壽さんの三味線の手が床とピッタリだった。すごい!

切の語りの源大夫さんがお声が出ず辛そうでした。相三味線の息子さんの藤蔵さんが一生懸命フォローしようとされていた感じ。

神奈川芸術劇場『杉本文楽 曾根崎心中』 S席1階L席

2011年08月14日 | 文楽
神奈川芸術劇場『杉本文楽 曾根崎心中』 S席1階L席

初日を観に行きました。KAATは文楽観るには大きすぎ。私は1階L席(実際は中二階)でしたけど残念ながら人形の細かい表情がみえず。二階、三階席の人、双眼鏡ないときつかったんじゃないかな~。 1階サイド席は奥行きのある舞台使いを観るにはちょうど良いポジションではありましたが、舞台の大きさと人形の大きさのバランスの悪さも感じました。特に最初の一人遣いでのお初がちんまりしてみえて…。舞台のインパクトに負けていました。

全体的に試みとしては面白かったです。ただ思ったほど新味な感じはせず。現行の演出からほとんど逸脱してないかなと。古典芸能としての文楽の枠組みの強固さを思い知った感。

普段掛からない「観音廻り」、やっぱり必要ない場だね~とは思ったんですが確立された演出がない分、一番演出に自由度を感じた。シンプルで暗い舞台で弾かせた三味線と胡弓の音は耳が研ぎすまされる分インパクトがあり引き込まれる。ただ音響は悪くはないと思うがヘンな方向に残響。 そのヘンな方向の残響のせいでPA使いに聞こえるのはちょっとどうか…。映像使用もあったがただの説明映像であまり意味を感じず。そして奥行きがありすぎて一人遣いの人形は生かされてなかった。

生玉の社の場での三人遣いから人形が生きてくる。またシンプルな舞台背景だけに物語を語り聞かせる「文楽」というものが見えてくる。空間の広がりの開放感はありつつ場が基本、平面の使い方になるからだと思う。そこは崩せないのだなと。

基本、暗い舞台にピンスポという演出。最初こそインパクトはあれどその演出ばかりが続き目が慣れると演出としてのメリハリがなくなる。照明の使い方、もう少しメリハリ利かせてほしかった。また青系のピンスポだと人形や着物の美しさが際立たない感じ。また暗い中で人形遣いが皆頭巾を被って操るのは「人形」を目立たせるためであろうけれど、個人的には「出遣い」の表現のほうがなぜか立体的に人形が映えるような気がする。

しかし、舞台の新演出となるとシンプルな方向ばかりにいくのはなぜだろう。舞台背景を作りこんだ立体的で緻密な演出という方向の選択は難しいのかな。スタイリッシュでおしゃれ感はあるが、単に引き算をしただけにも見える。人形自体の演出が従来と変化がないのでそう思ったのかもしれない。立ち居地、表現そのものはほぼ変化なし。なので従来の曽根崎心中の演出を突っ込んで解体してるわけではない。もっと現代アート的な面白さを求めていたのでそこはもっと突っ込んで欲しかったかなあ。三人遣いの遣い手たちをピンスポで多角的に見せる演出は世田谷パブリックシアターで野村萬斎さん主催の『MANSAI◎解体新書/その拾四「ひとがた(人形)」~自己と他者のディスタンス~』ですでに見せていただいてたので大きな驚きがなかったというのもあるかも。

ラストの「死」は魂が入ったまま。木偶に戻さない「死」。魂が入ったままだと死を美しく演出してしまうのだな。死への恍惚(sexのイメージもある)がそこにある。私は通常演出の死の悲惨さを含んだ「死」のほうが好み。えぐいほどの死を見せたほうが二人の生き様がみえる気がするのです。

今回の演出、ヨーロッパの人が喜びそうだなと思いました。仏教に根ざした日本の「死」の観念をシンプルに綺麗に表現したってところで。今回の杉本さん演出は映像的。スクリーンのイメージとして出来上がってるのを舞台化したんじゃないか?と思いました。

杉本演出だからではないのだけど…。『曽根崎心中』を観るたびに思うんですけど九平次のキャラが突っ込みどころ満載。裏切りが唐突すぎるんだよね。徳兵衛が兄弟仲とまで思っていた親友のはずなのに。どういう人物造詣だよ、近松さん!!

太夫・三味線、人形遣いとも皆さん力が入っててよかったです。太夫・三味線方にとっては特に音が響く劇場ということもあったんでしょうけど。鶴澤清治さんの三味線は心に沁みる。

簑助さんは今回は徳兵衛を遣う。出来ればお初が観たかったけど…。最初のうちいつもより動きが小さく感じた。後半にいくにつれ簑助さんらしい表情豊かな徳兵衛がふんわりと浮いて出てきた。簑助さんの徳兵衛は精神が未熟な幼さを抱えてる感じだった。自分というものに自信がなく絶えず揺れている。

勘十郎さんのお初はかなり大人だったな。芯が強く潔い。弱い徳兵衛を守る姉さん恋人のようだった。可憐さとか初恋に浮かれるという少女ぽさみたいなものがないので死に向かう様に切なさはなかったかな。その代わり死ぬざまの覚悟の強さに透明感のあるエロスがりました。

杉本文楽、なんだかんだ書きましたけど見る価値は大いにありました。新しい試みはこれからも色々していっていただきたいです。最後、カテコがありました。簑助さんがお茶目。嶋大夫さんがヨーダだった(笑)、可愛い。勘十郎さんの消耗ぶりに新しいことをすることの大変さが伝わってきました。

国立文楽劇場『夏休み文楽特別公演 第一部「親子劇場」』後方センター

2010年07月18日 | 文楽
国立文楽劇場『夏休み文楽特別公演 第一部「親子劇場」』後方センター

7/18(日)

当日券で入りました。客入りは6~7割程度だったかなあ。

文楽劇場は文楽を観るには少々大きい感じでしたが小屋としては非常に良かったです。座席はどこからでも観やすいし、ハレ感のある雰囲気もいい。また来る機会を作りたいです。

『解説 文楽へのごあんない』
初心者向けの文楽教室。基本的な人形の操り方と上演する『雪狐々姿湖』の簡単な説明。ざっと一通りって感じでした。話ぶりがちょっと早すぎる気がした。もう少し丁寧にやってくれてもいいような。大阪のテンポなのかしらん?

小学生三人に体験させるコーナーがありましたが、大阪の子供達は元気に挙手していました。それにしても人形を操るのは大変そうでした。


『雪狐々姿湖』「崑山の秋」「猟師源左の家より冬の湖畔」

高見順=原作 有吉佐和子=作 四世鶴澤清六=作曲 西川鯉三郎=振付

いわゆる新作文楽という括りでしょうか。信州の伝承物語を文楽にしたものだそうです。狐の姫が人間の恋したための悲劇。きちんと義太夫に乗せているのだけど、どことなく新歌舞伎を連想。異種婚譚という似たモチーフの『狐と笛吹き』を思い出したためかも。

子供向けかと思いましたら言葉は現代語でわかりやすいけど子供に阿ってるわけじゃないし御伽噺の残酷さもしっかり描いていてなかなか面白かったです。狐たちが可愛いし。人間側も良い人ってところでの悲劇なので素直に見られたっていうのもあるかな。最後の場はかなり迫力がありました。嶋太夫さんの語り、非常にわかりやすく良かったです。

主人公の狐、白百合には文楽の女性特有の怖いくらいの恋の一途さがあるのが、とてもらしかった。こういう姫の一途な心情は人形でみるほうがストレートに伝わってくる気がする。主遣いは和生さん、師匠譲りの品がありつつしっかり異のオーラがある白百合でした。

狐姫の許婚のコン平がいい男(雄)でねえ。人間に恋しちゃった白百合を、白百合のために応援しちゃう狐くん。なんだか可哀想やら可愛いやら。私ならこちらを選ぶ、とか思いました(笑)。

また、右コン、左コンの双子の弟狐くんが可愛すぎて涙を誘う。

あらためて感想書いてみると結構この演目好きかも。人形をもうちょっと近くで見たかったな。

国立小劇場『二月文楽公演 第二部』 1等前方センター

2010年02月15日 | 文楽
国立小劇場『二月文楽公演 第二部』 1等前方センター

第二部は近松門左衛門の『大経師昔暦』の通し上演です。この演目は歌舞伎で拝見して印象深かったものです。歌舞伎は「大経師内の段」のみをうまくアレンジして一幕物に仕立てての上演でした。その時は運命論的物語と思いましたが文楽で通しで見るともっと悲惨というか不条理な物語でした。昔と今では価値観が違うので不条理、と思うのは現代人の感覚かもしれませんが…。それにしても可哀相すぎなお話だわ~。詳細感想後日。

『大経師昔暦』

おさん@文雀/茂兵衛@和生/お玉@清十郎/大経師以春@玉志/助右衛門@文司/おさんの母@簑二郎

「大経師内の段」
松香/喜一朗
綱大夫/清二郎

「岡崎村梅龍内の段」
文字久/清馗
住大夫/錦糸

「奥丹波隠れ家の段」
三輪・南都・芳穂・津国・文字栄さん/富助



国立小劇場『九月文楽公演 第二部』 1等後方下手寄り

2009年09月19日 | 文楽
国立小劇場『九月文楽公演 第二部』 1等後方下手寄り

劇場は満員御礼。第二部は人間国宝揃い踏みですから人気が高いのも当然。初心者らしき方々も多かったような気がします。まだまだ和ブームが続いているからかな? 第二部は『伊賀越道中双六』「沼津の段」、『艶容女舞衣』「酒屋の段」の二演目の上演。

『伊賀越道中双六』「沼津の段」
「沼津の段」は今年夏の歌舞伎巡業で観たばかりの演目。比べてみると歌舞伎「沼津の段」は本行に対し、入れ事がかなり多かった。ここまで歌舞伎独特の入れ事が多い演目も珍しいかも。歌舞伎はより華やかに、そして観客サービスの部分が多い。あと話の流れも少しだけ変えている。歌舞伎ver.のほうが道中のほのぼのと後半の悲劇の落差が激しく、その部分で泣かせてくる。文楽は物語が一貫しているので落差はないけど流れがとても自然で少しづつじんわりと泣かせてくる。

綱大夫さんは少し語りが弱い部分はあったけど平作が非常にリアル。住大夫さんはお得意演目というだけあって、場の情景を非常にわかりやすく、そしてそれぞれの人物の情の部分を丁寧に語ってくる。住太夫さんもやはり平作が一番良かったな。住大夫さんの細やかな語りで老父の切ないまでの心情がじわ~っと伝わってきました。この年齢だからこその説得力かな。十兵衛の理に勝る情に納得させられてしまう。


『艶容女舞衣』「酒屋の段」
この話、ハッキリ言ってひどい話なんですよ。なのに、「きーーーっ、ひどいっ」って思わなかった。なんでだろ?お園さんがあんなにも清らかだったからだろうか。

文雀さんのお園が絶品だった。とても可憐で純粋で、そしてとてもまっすぐに半七を愛している。その切ないまでの想いがキラキラと輝いていました。その透明感のある佇まいに「聖」を感じた。美しかった、その美しさに涙が出そうになった。ドロドロとした感情をすべて包み込んでしまったような存在。ラスト、お園さんが皆を抱擁しているようなそんな錯覚さえ覚えてしまった私でした。ああ、やっぱり文楽っていいなあって思った。文雀さんのお園は文楽だからこそ成り立つ「女」だったように思う。

嶋太夫さんの語りも良かった。文雀さんのお園に集中していくうちに嶋太夫さんの語りがしっかり耳に入ってきて語りと人形のバランスの良さを感じました。

国立小劇場『五月文楽公演 第二部』 1等中央センター

2009年05月24日 | 文楽
国立小劇場『五月文楽公演 第二部『ひらかな盛衰記』』1等中央センター

文楽、観る度に思うけどやっぱり面白い。さて今回は『ひらかな盛衰記』の梶原源太をめぐる段の上演です。歌舞伎では梶原館の段~源太勘当の段までしか現在上演されていません。なので勘当のあとのお話を初めて知りました。あと、『逆艪』の段に出てくるお筆が出てきて、おお~繋がっている~と感動(笑)。歌舞伎だと『源太勘当』と『逆艪』だけしか上演されないので、どう繋がっているか皆目判らなかったんですよね。いずれ全段を通して見たいものです。歌舞伎じゃもう上演しないでしょうし、物語本位の文楽で観たいですね。でも一日がかりになるから全段はなかなか無理かしら。

『ひらかな盛衰記』
「梶原館の段」
「先陣問答の段」
「源太勘当の段」
「辻法印の段」
「神崎揚屋の段」
「奥座敷の段」

前半の「梶原館の段」「先陣問答の段」 「源太勘当の段」は歌舞伎で上演される段。歌舞伎化された場合かなり変化することもあるのですがこの段に関しては文楽と歌舞伎、ほとんど同じ形でした。違うなと思ったのは弟、梶原平次景高のキャラ。文楽ではただの乱暴者という感じだけど、歌舞伎では母に弱い甘えん坊キャラに方向になっていて憎めない感じになっている。あと母延寿は歌舞伎ではもう少し強い感じがあるかな。母のキャラは演じる役者によっても変わるので一概には言えないですが、文楽のほうがより源太が可哀相というのを表に出している感じがしました。

前半の段は 「源太勘当の段」を語った千歳太夫がメリハリがあってよかった。この方は一本調子のイメージがあったのだけど最近よくなってきていると思う。もう少し情感を持たせることができたらな。

後半が「辻法印の段」「神崎揚屋の段」「奥座敷の段」。こちらの段は千鳥が梅ヶ枝という傾城になって源太を支えてるというお話になっていました。「辻法印の段」はいわゆるチャリ場。ここの場の源太、どうしようもないアホぼんになってたなあ…お百姓さんを騙したらあかんよ(^^;)。しれ~っとしているとこがまあ、憎たらしいこと(笑)。法印のニセ弁慶が笑えました。

「神崎揚屋の段」「奥座敷の段」は梅ヶ枝の男を想う気持ち、そして母延寿の情けが描かれていきます。「神崎揚屋の段」の梅ヶ枝の「たった300両で愛しい男を死なせるもんか。傾城に成下げっても、操を守っているこの私を捨てて戦場に行く男って何~?。ああ、お金が欲しい~(超意訳。下記青字が本文)」と嘆く身も蓋もない狂乱が凄かった(笑)。

「必ず気遣ひなさるゝな。エヽわたしが心充のあるといふたはみんな嘘。お前の命が助けたいばっかりぢゃわいな。何の好もない奥の客が三百両の金くれうぞ。今宵中に調へねば、鎧も戻らず、源太様の望みも叶はず。金ならたった三百両で、可愛い男を殺すか。アヽ金がほしいなァ」二八十六で、文付けられて、二九の十八で、ついその心。四五の二十なら、一期に一度。わしゃ帯とかぬ。「エヽなんぢゃの。人の心も知らず、面白さうに唄ひくっさる。あの唄を聞くにつけても、源太様に馴染め館を立ち退き、君傾城になりさがっても一度客に帯とかず、一日なりと夫婦にならうと思ひ思はれた女房を振捨て、この度の軍に誉れを取り、勘当が赦されたいと思し召す、男の心はどんな物ぢゃ。何かにつけて女程思ひ切りのない物はない。男故なら勤めするも厭はねど、またどの様な悲しいめを見やうも知れぬ。それも金故。何をいふても三百両の金がほしい」

よくよく考えたら梅ヶ枝って源太のために傾城になったはずなのに、結局、身は売らず、生活のために大事な鎧を質草にしちゃってるんだよね…千鳥ちゃんも源太同様に生活能力がないかも?でも「お金が無い、お金が欲しい~」って半狂乱になる梅ヶ枝には、そうよねえ、いつの時代もやっぱりお金は大事よね、と同情した私でした(笑)

で、やはり出てくるのは親。親心って、哀しいですよねえ。

後半の段はやはり「神崎揚屋の段」の嶋太夫さんが良かったです。特に梅ヶ枝狂乱の場の迫力が素晴らしかった。「奥座敷の段」の咲甫大夫は綺麗な声ですね。女を語る部分が多かったせいか、歌舞伎の女形さんの声の出し方というか台詞廻しによく似てるなあなんて思ったりしました。

人形は源太のカシラはもちろん二枚目の「源太」です。ほんと綺麗な顔をしているカシラですよねえ。今回初めて源太は「げんた」じゃなく「げんだ」だということを知りました。歌舞伎では「げんた」って言っているよね?源太は風流男、色男の代名詞で二枚目中の二枚目。

しかし今回、源太を操る和生さんはそこまでの二枚目にはなっていなかったかなあ。源太には女がこの男のためならば、というオーラが必要よね。母も恋人もこぞって助けようとしてるんだから。色気と母性本能くすぐる系の雰囲気がないと。でも残念ながらそこまでの吸引力が薄かった。もっと二枚目然としていてほしいなあ。文楽の二枚目はヘタレが相場だけど、でも単なるヘタレに見えちゃいけないと思うのよね。

勘十郎さんの千鳥・傾城梅ヶ枝は品がよく、それでいて華やか。形がどこを取っても相変わらず綺麗です。細かい仕草も丁寧だし、心情がきちんと見える。特に狂乱の場がとてもよかったです。形が崩れるぎりぎりのところでみせて迫力がある。狂乱の途中でカシラを変えていた。傾城のふっくら艶のあるカシラから娘のカシラに変化させる。傾城梅ヶ枝から千鳥という女に完全に戻ったということなのでしょうか。

玉也さんの延寿が控えめながら情け深い芯のある老母でなかなか良かった。

清十郎さんのお筆は凛とした強さを見せていました。

国立小劇場『二月文楽公演 第二部』 1等席前方センター

2009年02月14日 | 文楽
国立小劇場『二月文楽公演 第二部『女殺油地獄』』 1等席前方センター

二月文楽公演『女殺油地獄』を観てきました。『女殺油地獄』を文楽で観るのは200年公演以来2回目。この演目、やはり面白いです。「今」でも通じる話。あまりに酷い話なのでノワール系OKな人じゃないと精神的ダメージは大きいかも。親の心、子知らずというか、子が親や周囲の人の情をこれでもかと足蹴にする世界。それに殺しの場がリアルなんですよね…悲惨。 また同じ演目を見てみると物語優先な文楽でも語る人や操る人でかなり物語の解釈や情景が変わるというのが今回の発見でもありました。

それにしても文楽の与兵衛は性根がとことん腐っていますね。ほんとに酷い男です。今回、与兵衛を操ったのは勘十郎さん。2004年のときも勘十郎さんでしたが、今回のほうが悪さ度UPだった。まったく可愛げ無しです。前回はなんだかんだ親の愛情を感じている与兵衛だったと思いますが今回は、何を考えているんだか、わからない不気味さがありました。今回、勘十郎さん自身の顔も少々悪人面になってましたよ(笑)

桐竹紋寿さんのお吉さんがいかにも優しくてしっかりもののおかみさん。きっちりした女性なんだろうなという雰囲気。女というより母の顔のほうが強いので、殺される場にエロスが少ない。その分、悲惨な場だというリアルさが勝る。なんというかカタルシスがないんですよね。殺しの場が本当に単なる殺しの場。

今回、与兵衛があまりに人間味がなくて、お吉さんが心情を訴える余裕なく唖然としたまま殺されていった感じ。2004年の時はお吉さんの悲劇、だったけど今回はお吉さん一家に降りかかった悲劇という感じがしました。なんというか心情より情景のほうがクッキリしていたというか。前回2004年の時は殺しの場で与兵衛とお吉さんの1対1の関係性がみえたんですよ。だからかえってお吉さんの心情が浮かびあがってきた。蓑助さんが操ったお吉さんの存在感がそう感じさせたというのもあるでしょう。語りも情の部分が濃かったのかも。

清十郎さんの妹おかちのが楚々として可愛らしい。存在感があって、襲名して一皮剥けた感じがしました。

玉也さんの徳兵衛、玉英さんのお沢の夫婦がなんだかとってもよかった。単に甘やかしてるだけの親じゃないんだよね。そこら辺の具合がバランスいいというか。押さえぎみの表情に「親」の切なさがあったと思う。

床では「河内屋の段 奥」の呂勢太夫さん、鶴澤清治さんのコンビと「豊島屋の段」の咲太夫さん、燕三さんコンビがかなり良かったです。

呂勢太夫さん、こんなに語れる人だったっけ?と驚くほど。鶴澤清治さんの三味線のキレ味と深い低音がいつもながら見事。咲太夫さんはキャラクターの味付けが上手いというか、その時々の場の空気がとてもわかりやすくて、殺しの場に至る人の心の揺れや情景がしっかり伝わってきました。燕三さんは音色が多彩。

DVD『NHKスペシャル 人間国宝ふたり 吉田玉男・竹本住大夫』

2008年09月21日 | 文楽
DVD『NHKスペシャル 人間国宝ふたり 吉田玉男・竹本住大夫』

ドキュメント「NHKスペシャル 人間国宝ふたり ~文楽・終わりなき芸の道~」と、大阪・国立文楽劇場で収録された公演「文楽 心中天網島 北新地河庄の段」の2部構成。


「NHKスペシャル 人間国宝ふたり ~文楽・終わりなき芸の道~」

なんだか、もうただただ圧倒させられるばかり。終わりなき芸の道と副題が付けられているけどまさしくそういう世界にいる人たちの凄みというか厳しい世界のほんの一端をみせてもらったという感じです。文楽は完全なる実力主義の世界。そのなかで芸を極めることを目指す人々にただもう感嘆するばかり。そして観ているうちになんだか涙がこぼれてしまう。すでに亡くなった方々が何人かいて、その姿を拝見するからという感傷ではなく(私には残念ながらその資格がない)、まだこういう世界が生きているんだという重さやそういうなかにいて極めようとする人々の真摯な姿をみて、なんだか生きていくということの凄さというか、そんなものに感じ入った。

淡々と飄々としていながら芯の部分でかなり熱いものを持っているを感じさせる玉男さん(当時82歳、2006年に没)。「年齢を得て枯れることで生まれる芸がある」という。舞台に立ち続けたいという情熱をさらりと言ってのけるところの凄み。映像でみてでさえ、玉男さんが遣う人形にはオーラがある。遣う玉男さんには表情はない、玉男さんの感情すべてが人形に乗り移っているかのようだ。まずどこを切り取って隙のない姿の美しさがあり、そこに繊細で緻密な表情がある、それが一体となって人形に情感、風情が現れて大きなオーラとなって纏う。玉男さんの人形、もっと見たかったなあ。

反対に住大夫さんは感情豊かで熱い人。情熱をどんどん人にぶつけていく、怖いくらいに。弟子への稽古の激しさはすごい。大夫になって21年の中堅大夫に罵詈雑言ですよ。でも、素人が見ていても明らかにレベルが違うのでもうしょうがないという感じ。その中堅大夫もピンで聞いたら上手いとしか思えない語り。でもまだまだその上があるんだ、ということがわかる。その上を目指すための稽古。そして、その厳しい稽古を付ける住大夫さんのすごいところは今の地位を得ても先輩太夫に稽古を付けてもらうってところですよ。自身の研鑽あってこそのあの稽古なんだとわかります。これじゃ後輩も食らい付いていくしか道はないでしょうねえ。

そしてその住大夫さんに稽古をつける四世竹本越路大夫さん(人間国宝)がこれまた凄いんですよ。住大夫さんにがんがんダメ出しを出すんだけどもうこれがもう、声といい語りといい現役を退いた後ですらここまで語れるのか、という…。文楽の一時代を築いたといわれる大夫さんというのが納得。しかもこの大夫さんにして「修行するにはもう一生涯欲しい」というこの世界、どんだけ深いんだと思う。

こういう世界で成り立っている文楽という伝統芸能を絶やしてほしくない、とも痛烈に思った。時代に沿っていくことも必要、と玉男さんは言う。変化していく、ことが宿命なら受け入れなければいけないこともあるのだろう。ただ、そこに信念がないといけないと思う。漫然としていてはただ滅びるだけだ。歌舞伎の世界もそれは同じだろうね。


「文楽 心中天網島 北新地河庄の段」

舞台映像なので生の臨場感には到底及ばないと思うものの、凄かった。ビックリした。私、歌舞伎でこの演目を観ている。歌舞伎もほぼ本行と同じ演出。なんだけどまったく受ける印象が違う。ここまで違うなんて思ってもみなかった。同じ芝居なのに受ける印象が180度違うんだけど…。こんなに切ない話だったの…。紙屋治兵衛のキャラがとにかく違う。もう、なんだろバカな男だけどすんごい切ない。なんで?なんで?うそおお。玉男さんが操る治兵衛って実は想像つかなかった。でもこれならわかる。そうか、そうかあ。こういう造詣なんだ。

そして孫右衛門の内心の苦渋も、もっと深い。人と人との絆の深さがそこのある。最盛期の文吾さんがどれだけのものだったのかもようやくわかった。私は最晩年の力が落ちてしまったしまったものしか見て無いから…。

住大夫さんの語りもほんと情感があって切なさに胸が抉られそう。こういう話だったの、というか私この舞台の心中天網島のほうが好きだ。これ観れてよかった、ほんと良かった。