Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立小劇場『五月文楽公演 第一部』1等席

2005年05月22日 | 文楽
『近江源氏先陣館』「和田兵衛上使の段」「盛綱陣屋の段」
三月の歌舞伎と較べながらの鑑賞となった。歌舞伎はどちらかというと、役の心理を大事に情を訴えるものとなっているが文楽は物語の全体の筋で見せていく。

文楽のほうは「和田兵衛上使の段」がついたので盛綱の家族の物語でもあることがよくわかる。母と妻がなぜ陣屋にいるのか…孫、息子のためにと、押しかけちゃう強い女たちであることが示される。かなり意外な展開であった。この段では微妙と早瀬は「武家の女」としての規範のなかで動く女たちである。歌舞伎と違って小四郎がかなり重要な役割を担っていることもわかる。小四郎と小三郎は表裏一体のような存在だ。どちらにも有り得た運命。

小四郎が小三郎を捉え陣屋に戻ってきたシーンでの早瀬はただただ息子の手柄うれしさに誇らしげでいる。かなり気の強そうな女性として描かれている。歌舞伎では魁春さんが優しげな雰囲気を作っていたので、だいぶ印象が違う。

ここの場で武家の女の顔から祖母の顔に変化していくのが祖母、微妙。非常に押さえた感情を見せる遣い手の文雀さん。とても表情が繊細でじんわりと想いが伝わってくる。「盛綱陣屋の段」で小三郎に切腹を迫るときの表情がいい。情に流されていない風情なのに心が揺れ動いてる様がよくわかる。小三郎はいかにも少年らしい風情、母会いたさに命乞いをするシーンが哀れで、後半父のため切腹するシーンの健気さが活きる。

小三郎の母篝火は子を案じ、ひたすら子供を案じる優しい母だった。福助さんの激しい母とは随分と違う。三月歌舞伎ではかなり「情」を見せた場だったんだなーと思った。文楽は首実検の部分があっさりしている。盛綱はかなり心情を押さえた表情。非常に複雑なものをすべてハラに飲み込んでいる感じに見えた。この部分があっさりしているだけに、家族の情の哀しさという部分より戦いという大きな流れに飲み込まれていく悲哀のほうが強くでていました。

太夫さんはお二人とも強い調子の方で迫力がありました。物語主体でおしていくというのはこの語りの調子から感じられたものもあったように思います。

『冥途の飛脚』「淡路町の段」「封印切の段」「道行相合かご」
歌舞伎では『恋飛脚大和往来』として演じられるのだが歌舞伎と文楽ではかなり人物像の組み立てが違う。「封印切の段」の前段があるので、筋の流れと登場人物の性格付けがよくわかる。文楽での忠兵衛は世間知らずの馬鹿ぼんぼんだった…。歌舞伎では多少男気があるんだけど、文楽では思考がかなり幼く性格的にも非常に弱く流されるまま身の破滅を招くタイプ。ありゃ~こんなにダメ男なのか。でも、玉男さんが操る忠兵衛はそんな性格付けですら、非常に可愛げで色気がある。母性本能くすぐり系でしかも品があるのでいやらしくない。こら~、そんなことしてる場合か、とツッコミ入れつつも憎めない。そして目が離せない。脇に控えて動かないときですらついつい目が忠兵衛にいく。人形であって人形じゃない。なんなんだろう、このオーラは。まさしく忠兵衛としてそこにいる。封印切りをしてしまうその瞬間の激情が全身から出て、心の葛藤がまさしく見えた。

このだめ忠兵衛に対し梅川は歌舞伎よりかなりしっかりして利口な女。どちらかというと姉さん恋人な雰囲気。底辺を生きて来たたくましさと知恵と分別がある。そんな女だから、きちんと忠兵衛に意見を言う。だけど忠兵衛の気持ちにほだされ、恋に生きるほうを選ぶ梅川はとても哀しい存在。でも自ら運命を決める強さがあるので、行く末が見えようとも後悔はしないようにも見えた、蓑助さんが操る梅川はやはりすごい存在感と色気。障子に身をもたれ遠くを見つめているかのような場は、半身しか見せず動きもない。それなのにそこから漂う物憂げな色気はなんなのーー!。

忠兵衛に封印切りをさせてしまう八右衛門は歌舞伎とまるで違う性格付けだった。歌舞伎ではライバルでちょっといやみなやつなんだけど文楽では友人想いの非常にいい男。友人の身を心から案じ、画策しようとしてそれが裏目に出てしまう。というか、八右衛門の気持ちがなぜわからーん<忠兵衛。そしてまた忠兵衛が大それたことをしでかしたとわかってて気持ちを受け取ってあげる八右衛門。なんていいやつなんだ。

最初は歌舞伎と較べようとしていたけど途中からそんなのは頭から抜けてしまい、筋が判っているのにはらはらどきどきしながら観てしまった。恐るべし人間国宝の芸。

「道行相合かご」では玉男さんから勘十郎さんへ変わった。同じ人形なのにどこか違う。どこが違うのかわからないけど、「あっ、芸が若いな」と素人の私でもわかる。

この道行きの段で終わらせるのは非常に寂しい気持ちになってしまう。「封印切り」で終わらせても良かったかな?とは思ったけど雪道を忠兵衛と梅川がお互いを思う合いながら歩く姿は美しく切なかった。

歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 昼の部』3等A席 2回目

2005年05月21日 | 歌舞伎
『菅原伝授手習鑑』「車引」
初日で観た時の異様な緊迫感はさすがに無くなってましたが非常にいい絵面での舞台を見せてもらいました。今回目に惹いたのは七之助くんが非常に良くなっていたという部分。元々台詞にきちんと心情はのっていたのですがよりきちんと届くものになっておりました。また小さくまとまりすぎていた見得もかなり大きさが出てきてました。それでいて柔らか味もきちんとありました。勘太郎くんの体の美しさには相変わらずほれぼれ。台詞にちょっと気負いがありすぎて時々不安定になる部分もありましたが、やはり素晴らしい気迫。それでも声自体はかなり安定してきたと思う。海老蔵もこなれたせいか、ますます大きさが出て格を見せました。力が入るときの形が良いですね。これでもう少し台詞が…略。声はあんな良いのにっ。

『芋掘長者』
相変わらずほのぼの楽しく拝見。皆さん、とっても楽しそうに演じてらしてその楽しさが伝わってきます。もう少し練っていけば再演ありでしょう。三津五郎さんと橋之助さんコンビが相変わらず息があっていて楽しいし、権十郎さんと高麗蔵さんのコンビが初日より芝居っ気が出ていて、万次郎さんはいつもよりとっても可愛い腰元さんだった。

『弥栄芝居賑』
これも賑やかで襲名披露にふさわしいお祭り的な演目。これだけは1階で観たかった。ただ雀右衛門さんの弱々しい姿には本気で心配になりました。気力がちょっと戻ってないみたいですね。体調がお悪いわけではないそうです。今回も染ちゃんと芝雀さんのみ集中拝見。舞台写真も買っちゃった。

『梅雨小袖昔八丈』(『髪結新三』)
前回、物足りなくて、これを再見するためだけにチケット入手に奔走したのですが、来られて良かった!

勘三郎さん、非常に良くなっていて、悪の色気もたっぷり、愛嬌もたっぷり、江戸弁もたっぷり。今回は悪さを前面に出してきてました。とはいっても所詮、小悪党なんですが、その落差も魅力。立ち姿の良さとともに、今回は目の使い方が非常に良かったです。目線ひとつで悪党のいやーな色気が出てました。でもって粋でカッコイイんだからねえ、女心がくすぐられます(笑)

染五郎の勝奴もかなり良くなっていました。きっちり性根をわきまえた演技で細かい仕事がきちんと意味を持っておりました。ちゃっかりしつつも新三の弟分として新三を慕いお互い気心がしれてる部分がきちんと出てました。二人の掛け合いのテンポが合い新三と勝奴の関係性が高くなってました。初日観た時は、ちょっと手順に追われてる部分と、新三と張り合いすぎている部分があり『髪結新三』のなかの勝奴から少しベクトルが外れそうになっていたので、ちょっと不安視してたのですがきちん修正してきました。それでいて、染ちゃんならではの個性であるすっきりさは失ってませんでした。また、台詞廻しも初日ちょっとあっさりぎみで江戸弁のちゃきちゃきさが少し足りなかった部分も非常に良くなっていました。これは勘三郎さんも初日あたり薄かった部分をきちんとたっぷりやってくれるようになったのでお互いの相乗効果で、だったのでしょう。これは贔屓だからという部分で書きますが染ちゃんで新三が観たいです。ちょっと面白い新三になりそうな気がします。

三津五郎さんは忠七、大家とも安定したものを見せてくれていました。今回、大家のほうがかなり活き活きしていました。勘三郎さんとは気心しれているせいでしょう、アドリブまで飛び出しておりました。かなり楽しそう。これでもう少し狡猾さがあるとなお良いですね<贅沢な要求。

お熊の菊之助は前回より可愛げな部分が出てて、後半押入れから出された時のしどけなさに色気がでてよかったです。

富十郎さんは後半になっても台詞の間が悪い…非常に残念です。声にいつもの張りもなかったですねえ。うーん、源七親分はもっと決まってないと締まらないだけどなあ…。親分としての貫禄や意地はきちんとあるんだけど、むむっ…。

サントリーホール『ヨーヨー・マ 無伴奏チェロ リサイタル Bプログラム』C席 2F P席

2005年05月17日 | 音楽
生で聴かなくては本当の音はわからない。アルゲリッチのピアノを聴いた時に痛感したけれど、今回もつくづくと感じた。ヨーヨー・マはアルゲリッチの時以上に音がCDの音とまるで違っていた。私はヨーヨー・マは明るく軽やかで端正な音を出す人という認識だった。彼のJ.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲』のCDは何度も聴いている。そこから思い浮かべる生の音を精一杯想像していったのだけど、想像以上、いや想像の範囲外の音だった。

あんなに音を響かせるとは…第一音を響かせた途端ホール内が音に包まれた。うそお、なにこれ?えっ?だってこれたった1本のチェロの音なんだよね?どうして、こんなに音が響いてるの?とただただ驚き、そして力強く情熱的な演奏に圧倒されました。低音はお腹にずーんと響いてくるし、中音から高音にかけては音が舞い上がりそして降り注いでくる。空気が音と混ざり合ってる、そんな気がしたくらい。そしてなんて色彩豊かなんだろう。何重にも音が混ざり合うその深い音色は人を包み込むようなそんな暖かさもありました。ああ、ほんとなんて素敵な音なんだろう。音に包み込まれ引き込まれ、とても心豊かな気分になれました。今日聞いたなかでは3曲目の『無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調』が、凄かったです。この曲ではどこか違う世界へ連れて行ってもらった感じ。音を映像を見てるような気がしてしまいました。

アンコールは3曲。NHK『シルクロード』からの曲だと思うのだけど中国大陸の情景が浮かんでくる独特の音色。複数の楽器で奏でられたかと思うばかりの素晴らしい音色でした。2曲目はとても複雑な旋律で激しい曲調のものでした。テクニックの素晴らしさを堪能。それでいて音をかなり端正に出してました。本当にいろんな音色を出せる人なんだなーと感じ入りました。拍手が鳴り止まず3曲目はほんとうに「これが最後だよ、短いやつをね」といった手振りをして弾いてくれた。

そうそう、バッハを弾いているときにごくたまに高音の不思議な音が混じることがありました。激しい音出しの時にどこからか非常に高いキュンとした音色が鳴るのです。これって勢いあまって他の弦を叩いてしまった音なのでしょうか?どう考えても曲本来の音ではありえないと思うのですが、非常に不思議な音で気になりました。なんだかヨーヨー・マが弾いてる側で見えない誰さんが楽器にちょっといたずらしてる、みたいな…。音を外したとか?とかそういう感じじゃないんですよ。きちんと音が出ている合間に聴こえるのです。あれほんとなんだったんだろう?

ヨーヨー・マの姿勢の美しさも目に惹きました。背中を本当にまっすぐさせて、真摯に弾いている、そんな雰囲気でした。真後ろだったので顔の表情が見れなかったのがしごく残念。時々ふっと宙を見上げるそのときのお顔が見たかった。チェロを弾いている時以外はドキュメンタリー番組などで見る時と同じ顔。とてもにこやかでちょっとおちゃめな雰囲気。可愛いといってもいいくらいでカリスマ的な雰囲気はない。だからこそ、今回の演奏には本気で驚いた。前以上にとっても好きな演奏家になりました。Aプロのほうも聞きたかった~。また来日したら絶対聞こう。

J.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲第4番変ホ長調』
J.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲第2番二短調』
J.S.バッハ『無伴奏チェロ組曲第6番ニ長調』

アンコール曲:
チャオ・チービン『草原の夏』
ジョージ・クラム『無伴奏チェロ・ソナタより 第3楽章 トッカータ』
モリコーネ『海の上のピアニストより 夢を奏でて』

歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 夜の部』1等席1階 2回目

2005年05月15日 | 歌舞伎
『義経千本桜』「川連法眼館の場」
6日に観たときは菊五郎さん、そろそろ「四の切」はきついかな?と思ったのですが、とんでもございません前言撤回させていただきます。前回はまだまだエンジンがかかっていなかったというところでしょうか。今回の気合の入り方は尋常じゃありませんでした。本物のほうはもちろん狐のほうも素晴らしい忠信でした。なんというか格の違いを若手に見せ付けた感があります。形といい動きといい美しく決まって、また人外の雰囲気もきっちり出てました。台詞のノリもよく、観ていてわくわくさせられました。菊五郎さんがご自分の十八番のお役をパーフェクトに近い形で演じられたように思います。若いものにお手本をみせたるという気概が感じられました。素敵だわ。

また、団蔵さんもベテランの風格を見せてくださいました。ほんとうに素晴らしい形の良さ、そして堂々たる台詞回し。

その反面、若手への物足りなさがよく見えてしまった場でもありました。菊之助さん、脇に控えているときに形が崩れてしまい、素に戻っている部分度々。海老蔵さん、前半、台詞が少し良くなっていたかなーと思ったら後半糸から完全外れてた(涙)。あのヘンなクセのある独特の声の出し方はだいぶ慣れてきて、これも個性と受け入れようかと思い始めましたよ…私的に笑える域に達してきた。松緑さん、どうした、形悪いぞおお。でも台詞回しはかなり良くなってきてるなあとも思いました。若手の皆さん、まだまだこれから頑張れというところでしょうか。

『鷺娘』
今月の私の『鷺娘』鑑賞は祟られているのか…。今回はビニール袋を思いっきりガサガサさせているお客が近くにいました(涙)。踊っている玉さまの目の前でよくそんなことできるよなっ(怒)。

それと席が前方なので足捌きがきちんと見えないのがちょっと悲しかった。『鷺娘』は少し後ろの席での鑑賞のほうが良いですね。でも表情がよく拝見できて、切ないお顔の時がなんとも美しかったのが印象的でした。それにしてもやはり玉三郎さんの入り込み方が凄い。今回も異空間を見事に作り上げていました。そして今回確信しました。玉三郎さんはあえて険しい道を選ぼうとしていることを。ケレン味を捨てにかかってます。ごくシンプルにできる限り最小限の動きで表現をしようとされている。能の舞をかなり意識されていると私は感じました。どう歌舞伎と融合させていくのか、楽しみになってまいりました。

長唄連中の演奏が見事でした。ここまで揃ってると良いオーケストラを聴いている時と同じくらい音に気持ちが引き寄せられる。

『研辰の討たれ』
前回以上にまとまりがあってエネルギーが渦巻いてました。役者たちの「やってやるんだ」といった必死さと一体感が伝わってくる。それでいて楽しんでいるのもわかる。みんなが全力疾走している姿を観るだけでこちらもエネルギー充填。ただ笑うだけじゃなく、ポンと最後突き放されたことで、何かを考える。考えなくてもいいし、でも考えてもいいじゃん、そんな感じ。

勘三郎さんがやっぱり凄いなと。それと福助さんの「あっぱれじゃ!」には邪気を祓う力があるような気がしちゃったよ。さすがに今回はきっちり脇の人たちの表情を観る事ができました。七之助は細いのにやはり華があって目立つ。獅堂さんは芝居どころを心得ていて前へ出ることができるのがやはりダテに人気もんじゃないことを見せた。弥十郎さんのステップ練習がとってもキュートで、芝のぶさんは女にしか見えないあだっぽさ。橋之助さんの僧がとっても良い味をだしていてさりげなく場の空気を変える。この橋之助さんの僧の言葉も結構大事なポイントなんだなーというのが今回ハッキリしました。

平井兄弟の打ち合いの迫力は近くで見るとすごいものがあった。染ちゃんと勘太郎くんの丁々発止。演技の質、動きの質がほんとに違うんだなーというのもよく見えた。染ちゃんはやはり高麗屋&播磨屋だなーと思うし、勘太郎くんは見事に中村屋だ。踊りの部分で染ちゃんが勘太郎くんがうらやましいというのもよくわかる。体の柔らかさキレは天性のもんだ。でも存在感、情感はやっぱ染ちゃんが断然抜きん出てる。それぞれの家の芸って、やはりあるのかなーと。

そういえば、今回、勘三郎さんの笑わせに落ちたのはなんと珍しく勘太郎くんでした。あんな勘太郎くん初めて見たよ(笑)。染ちゃんは役に成り切っていたみたいで終始生真面目な雰囲気だった。その真面目な顔でネタをしているから可笑しい。しかし染ちゃんてば、ああいう若侍の格好がなんであんなに似合うだろう?少年ぽさがあるんだよなー。本日、染ちゃんはちょっとお疲れだったか、京劇もどきの回転のとこでタイミングをちょっとだけ外してた。これもまた珍しいかも。

東京オペラシティ『ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル』1等1階

2005年05月10日 | 音楽
ヒラリー・ハーンは私はCDも聴いたことがなく、かなり若いということしか知識がなかったのですが、ヴァイオリンのリサイタルはとてもひさびさで楽しみにしていました。そして期待以上のかなり素敵な演奏を聴かせてもらいました。背筋をピンと張り、無駄の無い美しい演奏スタイルで奏でられるヴァイオリンの音色は非常に真っ直ぐで透明感のある音色。それとテクニックがすごいですね。音がまったくといっていいほどブレないし、どんな音でも美しい。それと繊細な音出しにも関わらず音量もしっかりしてました。特にバッハの演奏が素晴らしいものでした。ドラマチックな曲想をそのままシンプルかつ豊かにとても伸びやかに演奏しており、音が空へ舞い上るような感じでハーンの若々しいまっすぐな魂を感じました。ソロはバッハ『無伴奏ソナタ第3番』1曲のみだったのですがもっとソロで色々聞かせて欲しかった。

ピアノ伴奏者はナタリー・シュウ。正直なことを書けば、この人の激しく鋭角的な強い音色は透明感のある繊細な音色のヒラリー・ハーンの伴奏には合っていないような気がしました。ピアノ単体で聴けばパワフルで聞き応えのある演奏家だとは思うのですが、とにかく今回聴いた限り、ハーンの音と喧嘩してしまいソナタとしてはいま一歩。音色が合っていればピアノが強くても丁々発止の面白さが出ると思うのですが、今回はどうも噛み合っているようには思えませんでした。ハーンには柔らかいタッチのピアニストのほうが合いそうな気がします。まあ、私個人の好みだとも思うのですが、ピアノの関してはどちらかというと柔らかいタッチの音色が好きなので。ヴァイオリンとピアノの音色が寄り添い踊っているような絶妙なソナタが私の理想です。

モーツァルト『ソナタ第32番 ヘ長調K.376』
バッハ『無伴奏ソナタ第3番 ハ長調 BWV1005』
モーツァルト『ソナタ第28番 ホ短調K.304』
フォーレ『ソナタ第1番 イ長調 op.13』

アンコール曲:
バッハ『シシリエンヌ』
ストラビンスキー『ロシアの歌』

歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 夜の部』3等A席

2005年05月06日 | 歌舞伎
『義経千本桜』「川連法眼館の場」
全体的にまったりでちょっと薄味の場でした。なんとなくピリッしてなくて途中だれた部分も…なんだろうノリが悪いというか…。いつもまとまりの良い菊五郎劇団にしては珍しい。

私は菊五郎さんの狐、忠信は柔らか味があって大好きなんですが、今回「四の切」をするにはそろそろお年かなあという部分がありました。元々ケレン味が少ないだけにかえって肩で息をしているのがかなり辛そうに見えてしまう。それとあまり人外な雰囲気が今回無かったですねえ。親子の情愛のほうを大切にしたせいでしょうか。それでも十八番だけあって全体的には華やかで柔らか味のあるものは見せていただきました。本物の忠信のほうがさすがというべきかな。義経の家来としての立場が明快に見え、情味もしっかりありつつ、きりっとした端正な武将でした。

静御前の菊之助が非常に美しく、きちんと義経への愛情がみえる台詞廻しがとてもいい。義太夫をよく勉強してきているなという感じです。動きも台詞もうまくノっていて良い出来でした。

駿河、亀井の家来二人の姿も良かったです。団蔵さん、松緑さんともに形が非常にきれいでした。松緑さん、だいぶ存在感が出てきてるような感じがしました。個人的に「四の切」は松緑さんで観たいなとちょっと思いました。

義経の海老蔵は義経ぽくないけど大層美しかったです。台詞廻しは相変わらず…以下略。

『鷺娘』
玉三郎さんの鷺娘は機会があるたびに観て、いつも感動させられているのですが、今回かなり気合が入ってらっしゃるな~と。指先、足先ひとつ、すべてに神経が行き届いたなんともいえない美しい姿。また恋情が以前に増して体全体から立ち昇ってくるようでした。また瀕死の白鳥をイメージした玉三郎さんならではの絶命の踊りはいつ観ても涙が出そうになる。激しくも切ない恋情が鷺の形をとって狂い踊っているような気すらします。この演出は日本舞踏らしからぬ雰囲気を醸し出し、異世界へいざなわれそうな不思議な感覚を覚えます。また、長唄連中の演奏も素晴らしく、深々と降る雪の冷たい風が通り抜けたような気がいたしました。

ただ、この日は携帯電話を長時間鳴らしたバカがいて、静かな美しい場を壊しました。この時、一瞬玉三郎さんの集中力が切れたかと思われます。あまりに繊細な舞台なので、ふっと空気が変わるのがわかるんですよね。途中から一気にボルテージをあげていってましたし、観客もすぐさま舞台へ引き戻されていましたが。ああ、ほんとに残念だ~。

『研辰の討たれ』
役者たちの心意気に打たれました。なんていうの、役者全員からパワーが伝わってくるんですよ。そしてどんどん観客を飲み込んでいく。舞台と観客との一体感をストレートに感じさせる舞台でした。

初演は見ていなくて、DVDで観ました。そのときは「面白いけど歌舞伎では無いかな?」なんて感想を書いたのです。この舞台は「今の歌舞伎」の方法論からするとこれは外れていると思うから。だって、どんな場面でも脇の脇までしっかり動いて表情つくって演じているのだもの。(これに較べたら劇団☆新感線の「いのうえ歌舞伎」のほうがよほど「歌舞伎」だ。まったくベクトルが違う演劇を較べても?いえいえ、でもね、このふたつに共通点は笑いとパワーだ。そんなこともチラっと掠めました。ああそれにしても、いのうえひでのりさん、歌舞伎座で演出しませんか?本気でいけると思うよ。)

でも実際に観せられると、歌舞伎か歌舞伎じゃないか、なんてどうでもよくなりますね。いいじゃん、こういうのがあっても。面白いと思ったものをなんでも吸収してきた演劇が歌舞伎だったのだもの。今ある面白いものを見せないでどうする?そんな想いで勘三郎さんはこれを舞台にかけたのでしょうね。歌舞伎は古典じゃなくて現在の演劇でもあるんだと、戦っている役者たちへの勘三郎さんからのエールにすら感じてしまった。これを襲名披露にかけた勘三郎さん、すごいよ。ああ、そうだよ、私はそういった人たちが好きなのだ。

とにかく勘三郎さんの吸引力がすさまじい。機関銃のようにしゃべりまくり動き回って、一時もじっとしてないない。表情もくるくる変化して、様々な顔を見せる。愛嬌のある顔、ずるがしこい顔、切ない顔、知らず知らず勘三郎さんのほうに目が惹きつけられる。かなりこれに命かけてる?な迫力が。必死ってこういうことなんだよな、と。

家老の三津五郎さんの飄々とした動きも素晴らしい。三津五郎さんがスキップしているってだけで笑えます。とにかくこの方のキレのある動きは並の人じゃできません。こういうものを見せられると、歌舞伎でこの演目を見せてもらえるうれしさを覚えます。

平井兄弟の兄、九市郎は染五郎、弟、才次郎は勘太郎。この踊りが得意な二人の早い打ち合いや、動きは観てて素直にうわーカッコイイと思いますね。この二人だからこその動きがたっぷり。そしてそれだけではなくしっかり物語りのキーとして存在できるものを持っている。九市郎はラスト、がらりと空気を変えなくてはいけない役目を背負っているのだけど、それを見事にたった一言で変えてみせた。「ようやく仇討ちができた」ではなく「ようやく殺せた」と言ってしまうこの一言に様々な想いを込め、場の空気を変えさせる、改めてこういう時の染五郎のうまさを感じた。勘三郎襲名披露だし兄弟役は勘太郎&七之助になってもおかしくなかった。でもなぜ染五郎か?ああこれだ、と思いましたね。そしてそれを受ける勘太郎が兄、九市郎の想いを飲み込んだ台詞を聞かせる。こういう台詞を聞かせられるようになった勘太郎の成長も素晴らしい。そんな最後の場はしっかり「歌舞伎」になっていたと思います。

奥方とおよしの福助さんはかなりはじけてます。このはじけっぷり、見事です。福助さんじゃなきゃこの役無理なんじゃなかしら。念願の「あっぱれじゃ」が聞けてうれしいい。それとおみねの扇雀の小技きかせての表情もすんごいです。およし&おみね姉妹はかなり強烈。

しかし、なんといっても脇役たちがかなり活き活きしているのが非常に印象的かも。普段はじっと動かないで控えている脇の人々が目をきらきらさせて動き回っている。この姿を見られただけでも観たかいがあったというものかも。

カーテンコールがありました。一人一人の顔が笑顔ではなく、とても真剣な顔をされてました。どれほどの想いでやっているのか、と。その覚悟が見えたように感じました。そしてほんの少し、猿之助さんの姿を思い浮かべている私がいました。ファンというわけではないのですが、彼の十八番でもある『義経千本桜』を観て猿之助さんの忠信を思い出したせいかな。今のところ私の狐忠信マイベストは猿之助さんなのです。彼の生き様に想いを馳せてしまいました。猿之助さんにも歌舞伎座で新作をやらせてあげたいな。

歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 昼の部』3等A席

2005年05月03日 | 歌舞伎
『菅原伝授手習鑑』「車引」
様式美としての絵面が美しい場ひとつ。その代わり役者の大きさが問われる場でもあるが、若手の勢いが良い場にしていました。

とにかく目を見張ったのは梅王丸の勘太郎。彼はこのところ成長著しいと思う。荒事は中村屋ではそれほど得意としていないはずだが、勘太郎にはこちらの素質も十分にある。とにかく、ポーズひとつひとつが非常に美しいし、低く張る声もきちんと出ている。これは見事だ。また隈取した顔の古風さになんともいい味がある。また絵面のよさだけでなく場面場面でしっかり心情が表れているのが、いわゆるうまさがある勘太郎らしい味わい。気迫が素晴らしく、あの存在感たっぷりの海老蔵を押していたところも。いまのところいわゆる華はあまりないタイプの役者ではあるが少しづつではあるが役者ぶりの大きさが出てきた。父親にはない古怪さを出せる役者になるやもしれない。

ようやく兄弟並んでのきちんとした舞台出演の七之助の桜丸。兄弟揃っての最初の出がよかった。編み笠を被って顔を見せないのにしみじみと兄弟の絆が見える。顔を見せてからは桜丸としての美しさも十分。だがもう少し柔らかさが欲しいところ。声がちょっと高いかなと思ったけどよく通る。初日でしかもきちんとした役は2ケ月ぶりの七之助はかなり緊張しているように思えた。丁寧にやろうとして小さくなってしまっていたのが残念。見得も少し流れ気味。桜丸は雰囲気を出さないといけない役なので難しいとは思うが頑張れ。

松王丸の海老蔵はさすがに荒事では大きさが出る。芯がきちんとして存在感があった。また形もほんとうに良い。初日のせいかちょっともたもたした部分があり、黒子さんとの息があわない部分があったのが残念だった。それにしてもやっぱり海老蔵の稚気溢れる大きな華と荒事にピッタリの低音で響く声は素晴らしい。ただやはり台詞回しが…。どうしてこうなるのか?。うーん、うーん、どないして?「よっしゃ、それだ!」と思わせるものを聞かせてよ~。正直、お父さんより相当な資質を持っているんだから、期待しないほうがおかしいよね。私が彼に期待しすぎてるのかなあ。

杉王丸を子役が演じ、声もしっかり、見得もしっかりで非常に良い出来。あれ?誰だろう?と思うものの筋書きを買っておらず分からない。「中村屋!」と大向こうがかかり、成駒屋のおちびちゃんの誰かかな?と思っていた私は???状態。あとで清水大希くんだとわかり納得。この子のセンスよさは荒事にも出ていた。今月より、中村屋の部屋子になったとのこと。いまどき珍しい。ぜひ頑張っていい役者になって欲しい。

時平の左團次さんは今回はちょっと敵役として成り立ってませんでした。奇怪さが全然無いし、皆を圧倒させるだけの押し出しもない。気持ちが乗っていなかったのだろうか?非常に残念でした。

『芋掘長者』
三津五郎さんが45年ぶりに復活させた舞踏劇。芋ほり百姓が恋こがれるお姫様の婿選びでの舞い比べの座に友人と赴き、舞比べするうちにやけくそに踊った芋ほり踊りがお姫様のお気に召し。といった3月の『鰯売り』と似た雰囲気の楽しい狂言。岡村柿紅作だけあって滑稽のなかにきちんと羽目物の上品さがある。思った以上に楽しい舞踏劇でした。新作に近いものだけあって、まだ全体のまとまりはなかったけど、役者それぞれの持ち味は十分出てました。これはもっと練っていけたら、今後もかかる演目になるでしょう。

なんといっても芋ほり藤五郎の三津五郎さんの踊りが見所。だって踊りの名手の三津五郎さんがヘタくそに踊る姿などめったに見られるものじゃない。ヘタな踊りも可愛らしい。やけくそに踊る芋ほり踊りではキレの良いいつものうまさを見せる。

緑御前の亀治郎さんがおっとり上品なお姫様なっていました。ほよ~、これは意外や意外。あまりおっとりさを見せたことのない亀治郎さんだったけど赤姫もいいいねえ。腰ふり踊りでも品が崩れてなかったよ。

藤五郎の友達の治五郎に橋之助さん。ひさびさに拝見しましたが、こういう友人を応援して頑張っちゃう役に非常にいいものを出す。ちょっと押しだしが強いけど人が良いという雰囲気をきちんと出せる。踊りも丁寧でよかった。

『弥栄芝居賑』 
猿若座に集まった男伊達、女伊達が新、勘三郎を祝うという芝居仕立てにした口上の一種。本舞台に中村屋一門が勢ぞろいし、両花道に役者が揃う、という贅沢な一幕。これは1階席でみないと華やかさは味わえない。3階席で見た私は花道は前二人しか見えず、声だけで何人役者を当てられるか自分でゲームをしてました。声だけで当られずとも名乗る前のつらねの内容でほとんどわかったかも。ちょっとうれしい(笑)。

男伊達、女伊達が本舞台に揃うのはほんとちょっと。幹部連中はさすがの貫禄。若手は華やか。でもほとんど贔屓の役者しか観てなかったかも。染ちゃんは男伊達の格好がやたらと似合ってました。松緑さんに貫禄でてきたのも印象的。女伊達は…すいません、芝雀さんばっかり追いかけてました。若手に負けないくらい可愛らしく、それでいて上品な色気がありましたわ。ええ、小柄で地味ですけどね、美しかったです。やっぱり私この方のお顔大好きかも。金丸座で拝見した時より少しほっそりされてました。芝雀さんのお富が見たいと痛切に思いました。ああ、でも近場の巡業の日程が合わない…どうしよう。

それにしても今月はこれだけにしか出ない役者さんも何人かいる。ちょっともったいないんじゃないの?今月の配役バランスをもう少し考えても…と思ってしまうのは何人かの贔屓役者がこれだけの出演だからか…。

『梅雨小袖昔八丈』 (「髪結新三」)
世話物のなかでも江戸情緒や季節感がたっぷり盛り込んであり、江戸にタイムスリップさせてくれるようなお芝居。特に永代橋での絵面といったら、ほんとうに素晴らしい。小悪党が主人公でちょっとひどいお話ではあるんだけど私この芝居、大好きです。

髪結新三は勿論、勘三郎さん。この芝居は勘三郎さんの十八番で、私が勘三郎さんが演じたお役のなかで一番良いと思った役。だからもう今回も絶対見逃せないぞと。勘三郎さんの江戸弁の粋のよさに惚れ惚れ。この粋のよさは江戸弁が体に沁み込んでいないと出てこないだろう。愛嬌のよさと小悪党ぶりが同居した立ち振る舞いに色気がある。なんか立ち姿とかが妙にかっこいいんですよねえ。ただまだエンジン全開とはいっていないようで髪結いの場でのちゃきちゃきとした手際とか、凄みをきかせる部分がちょっと物足りない。台詞のキレもまだまだ。前回拝見した勘三郎さん新三はこんなもんじゃなかった。うわー、困った、もっとBestなものが見たいよっ。たぶんこなれていくうちに良くなっていくと思うので後半を見ないといけないかもと思ってしまった。昼の部をこの1回しかチケットを取らなかったのを大後悔。戻りかヤフオクを狙うしか…。

忠七と長兵衛二役に三津五郎さん。三津五郎さんの忠七は柔らかい感じとちょっと弱そうなところがお見事。新三に弄ばれてしまい、悔しい表情を出しながら耐えるしかない風情がいい。この正反対の役、家主長兵衛ではがらりと変わる。はんなり風情からきっちりイヤな爺になっている。三津五郎さん、やっぱりうまいよなあ。三津五郎さんの家主は業欲爺ではなく計算高い家主。非常い理知的な部分があり、新三からお金を巻き上がるやりとりがやたらとわかりやすかった。鰹半身の意味がよくわかったよ。今までピンと来なかった私は新三なみの抜け作かも(笑)初日ならでは?だったのが三津五郎さんが珍しく台詞を言い間違えていた。「顔を水で」を「水を顔で」と言っていた。勘三郎さんと三津五郎さん、そこはイキのあったところをみせ、アドリブでうまく誤魔化していました。

弥太五郎源七の富十郎さんは見事なもの。台詞はまだ入ってなくてプロンプ付きでしたが、とにかく貫禄で押していく。この役は格がないと情けないだけの役になってしまうのだけど、格上な人物としてきちんと存在していました。

勝奴の染五郎は前回の勘九郎時代の『髪結新三』でも同じ役。あの時は新三にちょろちょろくっつき回る子犬風情がありましたが今回はすっかり成犬な勝奴。相変わらず細々した家事の部分が丁寧な仕事ぶり。前回と違ったのが、すっきりイキな部分とちゃっかりした愛嬌のある部分を見せつつも、前回あまり見えなかった悪党風情が出ていました。以前は新三に言われたことしかやらないで、側に控えていたという感じだったけど、今回は新三が留守の時にもお熊に手を出してただろうという部分がみえました。源七と新三のやりとりではスキあらばな殺気もみえた。勝奴は新三よりかなり小物でちょっと抜け作でちゃっかりしてるというのがイメージだったけど、今回の染五郎はちょっと違う部分もみせ少々意外な勝奴だったかも。それにしても以前の勝奴の時より顔を眉を下げた形で描いて情けない顔を作っていたのだけど、そのわりにかっこよく見えすぎるような気が…かっこよくて悪いわけじゃないんだけどね…。うーん、以前はそう思ったことないのになあ。そういう意味では以前より存在感が増したということなのかもしれない。後半こなれたときの勝奴が見たい。

お熊の菊之助はお嬢様風情がぴったり。ちょっとした色気を出して、男を惑わしそうな部分もあり、手篭めにされちゃうお熊像がしっかりとみえ、もしや『髪結新三』ってとってもひどい話だったのね、な説得力がありました。しかし、菊之助さんの女形はこういうお嬢様風情の時が今のところ一番よさが出てると思う。ここ最近、以前あった妙な色気といったものが少し消えてたような気がしてたけど今回復活。これだよ、これ~、この菊ちゃんが好きなのよ~。