Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

帝国劇場『キャンディード』 S席2階前方センター

2010年06月26日 | 演劇
帝国劇場『キャンディード』 S席2階前方センター

得チケが出てたので両親を連れていきました。まだミュージカル初心者の私ですが面白さにハマりそうです。

『キャンディード』は18世紀の古い物語ですが現代に十二分に通じるテーマの芝居でした。わりと重いテーマで悲惨な場面も多い。人間の欲望、戦争の悲惨さ、自然災害の悲惨さ、宗教の怖さ(宗教による征服、戦争)、哲学に振り回される人間、、性善と性悪の対立、などなど。しかし無垢(無知)な青年の成長譚でもあるので物語に入り込みやすいです。女性の描き方も古い物語なのに色んな部分で堂に入っているし。 色々と考えさせられるテーマでもあるけど、ミュージカルとしての歌を楽しませる部分も十分だし、役者さんも皆とても良かったし本当に面白かった。

役者さんはお初に生で舞台を拝見する市村政親さんと『ロマンス』で気に入った井上芳雄さん目当てだったけど、今回、私が目が釘付けだったのは阿知波悟美さん!TVではよく拝見する女優さんだったんですけど、この方、舞台女優さんだったんですね。本当に素晴らしかったです!!

老女@阿知波さん、老女の身の上話の長丁場のシーンがお見事でした。悲惨な境遇のなかひたすら生きてきた女がそこにいました。思わず涙が出そうになってしまいました。台詞が本当にお上手なんですがそれだけじゃなく、歌もダンスも上手いんですよ~~。身のこなしが綺麗です。TVのイメージで拝見するとビックリします。

マーティン@村井国夫さんが出てくると芝居が締まります。ベテランの凄さを思い知っりました。

ヴォルテール&パングロス@市村政親さんは存在感があります。立ち振る舞いが美しいんですよ。それと芝居に品のいいユーモアがあって人気があるのがわかります。

キャンディード@井上芳雄さんはキャンディードという役柄にピッタリ。無知で素直な青年像をいやみなく演じていました。また歌がとても伸びやかでいいです。

クネゴンデ@新妻聖子さん、難しい歌をよくぞあれだけこなしたってだけで感心。

『キャンディード』のバースタイン作曲の楽曲、相当難しいです。序曲がとっても素敵だった~~。

私はジョン・ケアード演出は性に合うみたいです。今のところ『ジェーン・エア』、『レ・ミゼラブル』、『ベガーズ・オペラ(DVD)』、そして今回の『キャンディード』と全部当たり!これからも逃さないで観ていくことにしよう。

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【キャスト】
ヴォルテール&パングロス:市村正親
キャンディード:井上芳雄
クネゴンデ:新妻聖子
マキシミリアン:坂元健児
マーティン:村井国夫
老女:阿知波悟美
ヴァンデルデンデュール:安崎求
パケット:須藤香菜
カカンボ:駒田 一

アンサンブル:
阿部よしつぐ/石井雅登/伊藤俊彦/大澤恒夫/小西のりゆき
中井智彦/野島直人/藤田光之/水野栄治
亜久里夏代/稲田みづ紀/井上珠美/折井理子/さとう未知子/鈴木智香子

アンサンブル・スイング:
寺元健一郎/西村寿彦/藤村はるか/麦谷八絵

【スタッフ】
原作=ヴォルテール
作曲=レナード・バーンスタイン
台本=ヒュー・ホイラー
作詞=リチャード・ウィルバー

歌詞補作=スティーブン・ソンドハイム、ジョン・ラトゥーシュ、
リリアン・ヘルマン、ドロシー・パーカー、レナード・バーンスタイン
訳=吉田美枝
訳詞=松田直行
台本改訂・演出=ジョン・ケアード
装置=ユン・ぺ
装置原案=ジョン・ネピア

音楽監督・歌唱指導=山口也
照明=中川隆一
衣裳=半田悦子
音響=本間俊哉
ヘアメイク=宮内宏明
振付=広崎うらん
指揮=塩田明弘
演出助手=鈴木ひがし
プロデューサー=田口豪孝、坂本義和

国立大劇場『歌舞伎鑑賞教室『鳴神』』 1等席2階センター

2010年06月13日 | 歌舞伎
国立大劇場『歌舞伎鑑賞教室『鳴神』』 1等席2階センター

『歌舞伎のみかた』
解説の宗之助さんは語り口が柔らかでわかりやすい。しかし、歌舞伎のお約束の部分を盛りだくさんに一通りが~っと説明していって丁寧なんだか雑なんだか、ここを説明するぞ、ってところのメリハリがあまりなく全体に平坦。ちょっと台本がよろしくないような…。また、観客二人を舞台にあげて色々やらせるんだけど、あれこれやらせすぎ。もっと減らしてもいいと思う。慣れてない人が一生懸命やってるのは微笑ましいけど…。『鳴神』の物語への前振りもなんとなく中途半端な構成。途中から少し飽きました。

『歌舞伎十八番の内 鳴神』
孝太郎さんも愛之助さんも口跡がいいし、判りやすく演じようという意識も見られる芝居で内容は判りやすかった。でも、その分薄味に感じました。この演目自体は華やかで判りやすいので初心者向けのだとは思うし、悪くはなかったのだけど、なんというか濃い空気感というかこの演目にあるワクワク感が少なめだったかな。

絶間姫@孝太郎さん、どういう立場の姫かって部分での芝居としてはとても良い良かったと思う。内裏に使える姫としての格や怜悧さのバランスがよく、また特に身体の使い方が相変わらず非常に丁寧で決まりの姿がハッとするほど美しかったりもした。でも造詣や動きがいいのに肝心の台詞に緩急があまりなくて芝居のメリハリがついてない。全体に平坦な感じになって、絶間姫の魅力が浮き立ってこない感じ。もっと台詞の緩急が上手い人だと思うのだけど、今回は台詞を言うのでいっぱいいっぱいな感じ。

緩急がないために馴れ初め語りの情景が立ってこないし、なにより鳴神に聞かせようという意識が根底に無いというか、誰に語ってるのかな?という雰囲気に。騙そうという意識を見せないのと誰に向かって語ろうとしているのかという意識は違うと思うんですよね。鳴神や黒雲坊、白雲坊に聞かせてる感じがしないのでこの語りに鳴神上人が思わず聞きほれる、という説得力が薄くなっていた感じがしました。絶間姫だけがその舞台いるというように見えてしまいました。この部分は絶間姫の見せ所だからいいのかなとも思いましたが、あの後の絶間姫と鳴神の力関係を見せる部分がちょっと際立たない感じでした。鳴神にお酒を飲ませる場の台詞のなだめすかしのところが意外と盛り上がらなかったのはそのせいかなと。とりあえず、緩急のつけ方をもっと工夫してほしいです。あと、恋する男のために使命を帯びてきたという恋する乙女の部分もそこはかとなく感じさせてほしかったかな。鳴神を騙すという部分に一直線すぎる感じというか。全体的にはキッパリとして意思が強い魅力的な姫だけになんだかもったいなかったです。

鳴神@愛之助さん、全体的に線が太くキャラに骨太さがあります。台詞廻しも仁左衛門さん写しで安定感があります。すべての声がきちんとよく出ている。しかし、どことなく全体に卒なくこなしてる感じも。十分な出来だとは思ったんですが物足りなさも感じました。なんといいますかちょっと俗ぽい鳴神だったかなあと。「青さ」がなくて、純な可愛いさがあまりないというか。高僧としての品はきちんとあったと思いますが、佇まいが世俗のことよ~く存じておりますって雰囲気。浮世離れしたとこがない。私は鳴神は「浮世離れ」した「青さ」があってこそ、と思うんですよね。そこがあるから、破戒した時の落差が際立つ。しかし愛之助さんには、その落差の面白さがありません。絶間姫@孝太郎に酒を飲まされる部分でのやりとりの面白さがもうひとつ際立たなかったのは絶間姫@孝太郎の緩急の部分だけでなく鳴神@愛之助さんの人物造詣の部分でも足りない部分かなあ。

それと、騙されたと知って怒り狂う場が全体的に少々迫力不足。見得に溜めがないのと、決まりの溜めが少ないので勢いが減じてる。立ち回りももう少し大きさが欲しいし、六法も腰が決まりきってないので勢いが足りない。飛ぶように行って欲しかった。

白雲坊@松之助さん、黒雲坊@橘太郎さん、ほどのよい滑稽味があり安心して拝見。

新宿文化センター大ホール『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 特別公演 「私と踊って」』

2010年06月12日 | 演劇
新宿文化センター大ホール『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 特別公演 「私と踊って」』A席2階センター

ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の特別公演『私と踊って』を観て来ました。ピナの作品を観るのは『カフェ・ミュラー』『春の祭典』『パレルモパレルモ』に続いて4本目。

1年前にピナは亡くなりました。その喪失をこの作品で改めて思い知った感じ。ピナにはもっと早くに出会いたかった。でも私は彼女が生きているうちに彼女の作品と彼女のダンスに出会えたことに感謝すべきなのだろう。ピナの作品は私の心にそして身体に響く。ヒリヒリした痛みと生きていく切なさと。追悼公演という意識もあったのか、観ていて涙がこぼれた。ピナは人の痛みを表現する。怒り、哀しみ、切なさ、そいうものを包括したうえで「ただ生きること」を作品にした。激しくも静謐。そのなかでユーモアを忘れないのも素敵。

『私と踊って』はかなり初期のほうの作品だけあってシンプルで力強さがある作品だった。男女の愛情のすれ違いを主題にしつつも、それだけに収まらない。暴力、精神的抑圧を受けながらも相手を求める女達、また反対に男達もどこか不安を抱えその不満、欲求を相手に求める。そのコミュニケーションの断絶への怒りと哀しみに彩られ、不安定な世界に立っている。逃げようとしても逃げられない、逃げたくない。「どうか私と踊って」と絶えず求めていく、その姿に、あがきながらも人は人と関係していかなければ生きていけない弱さと、ただ生きることへの力強さとの両方がある。人が生きていくことへの絶望、不安、希望、願い、そんなものがただそこに提示される。考えて、感じて、そう言われているかのようだった。

ピナの境界線ギリギリな相反するものを統合する視点はなんだろう。不安と希望とそれがいつでも等価としてある。ひどく私的な視点、感覚ながらそれを見事に普遍的なテーマとして昇華させ作品として提示する。

それゆえか、ピナの不在の大きさを今回のダンスのなかにどことなく感じた。ピナの世界をそのままの形にして残すことは無理なんだなと。でもダンサーたちの伝えようという気持ちは強く伝わってもきた。ピナの精神を伝えよう、そこに集中していたんじゃないかな。今後、ヴッパタール舞踊団がどうなっていくかわからないけど、今回彼らでこの作品を観られたことに感謝。そして改めてピナの作品に出会えたことにひたすら感謝。

ピナの凄さは人の醜い部分をすべて身の内に包みこんでいったって部分だな。怒りの表出があれほど激しく鋭いのに、その怒りが美しく感じるのはそのせいだ。世界を愛しむことができた人だ。 ピナの視点の在り様は普遍的なもの。でも私にはその視点そのものには独特なものを感じる。何が?と問われても説明できなんだけど。

繰り返し繰り返し繰り返し、そこに不安もあるけれど、エネルギーもある。

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『私と踊って Komm tanz mit mir』(1977初演)
振付・演出: ピナ・バウシュ
美術・衣裳: ロルフ・ボルツィク
音楽: 古いドイツ歌謡より
リュート伴奏、独唱、合唱