Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』4回目 1等1階席花道寄り 

2005年06月25日 | 歌舞伎
『信州川中島合戦』(『輝虎配膳』)
4回目にしてようやく輝虎が1枚づつ脱いでいく白い胴着の模様の違いを拝見。微妙に白の色合いも違っていた。やっぱり梅玉@輝虎は私的ツボのようだ。出てきた途端、ニマニマしてしまう。おひげを生やした武将が正装してまじめくさった顔して配膳する図なんてヘタすりゃ滑稽なだけになりそうなのにきちんと貫禄もあるし出の緊張感の保ちようが素晴らしいなあ。この方の声の涼やかさが輝虎が部下の忠告をまじめに受け入れようと努力しているという部分がちゃんと芯の通ったものになるだろう。でもやっぱり怒りだしちゃう短気ぷりが可愛い。あやうく輝虎のブロマイド写真を買ってしまうとこだった。もう一回観てたら買ったかも(笑)

越路@秀太郎さんが豪胆なクセのある老母ぷりに磨きがかかっていた。佇まいに存在感が増していたように思う。花道での引っ込みでのすべてを飲み込み覚悟を決めたような表情には圧倒させられました。反対に嫁のお勝@時蔵さんのホッとした爽やかな笑顔を見せ、いそいそと姑の後を追う。女二人の対照的な引っ込みが印象的でした。

それにしても時代物として本当に端正で良い舞台でした。

『素襖落』
吉右衛門@太郎冠者さんがノリまくっていた。いつもの愛嬌が自然と体からこぼれ落ちとても楽しそうに演じてらした。酔いっぷりも見事。やはりこの方は素晴らしいなあ。ニンに合いそうにないものでもしっかりモノにしてくる。

富十郎さん@大名某の声のハリがやはり戻ってきている。爽やかでスコーンと耳に入ってくる歯切れのいい台詞廻し。この方の歯切れのよさは誰にもマネできないだろう。これからもまだまだ活躍していただきたい。

『恋飛脚大和往来』「封印切」「新口村」
今月、4回ほどこの演目を観てやっぱり上方和事って難しいんだなあとつくづく思いました。上方の雰囲気を出すことの難しさ、はんなりな風情を出す難しさ、じゃらじゃらした軽みを出す難しさ、突っ込み芸の難しさ。そしてネイティブではない大阪弁をこなすことの難しさ。そして今回、江戸生まれ江戸育ちの染五郎がどこまで出せるか、その挑戦を観てきました。正直、残念だけど上方の雰囲気は最後まであまり出せてなかったように思う。まるで無いわけじゃなく、どことなく漂わせるとこまではいったかなあとも思うのだけどやはり上方ならではのねっとりした桃色オーラは薄味だったかな。こういうのって一朝一夕に出てくるものではないんだよね。でもね、それでも仁左衛門さん、秀太郎さんの強力バックアップの元で、とても良いものを観せてくれたなあと個人的には思います。きっと染ちゃんにとってこの経験はかなり大きなものとなるでしょう。そして孝太郎さんにとっても。この二人の頑張りに拍手。

今回はかなりのめり込んで観てしまったので染五郎@忠兵衛に贔屓目全開になりそうです。染ふぁん以外の方は割り引いて読んでください(笑)

「封印切」
1階の真近かで観てみて、未熟な部分が改めて見えてしまった部分もありました。特に「封印切」の前半、上方の雰囲気がどうしても出てなくて薄いままであった。こればかりはもう仕方ないかと思ってはいたのだけど、やはりもう少しふわふわじゃらけた雰囲気が欲しかったなあと贅沢な要求をしてしまう。柔らかさはだいぶ出てきていて、軽くひょこひょこと出てくる花道の出はとっても可愛らしかった。この浮世離れした感じは上方さを演じて出してるわけではなく染本人の柄からきてるものなんだろうなあ。だからなんつーかふにょふにょじゃなくてひょこひょこっと出てくる感じ?江戸風味のぼんぼんなんだよね。

それと「会いに行こうか行くまいか」の部分もサラサラと流れてしまう。だって染忠兵衛はもう会いに行くつもりなんだもん。逡巡してないわけよ。ととっ、と井筒屋の前に来ちゃう。でもそれが近くで観ると川さんにどうしても会いたいのね、と思ってしまってとっても可愛いく思えてしまう。だから対面した時の喜びがまあなんつーか笑ってしまうほどアホなんだわさ。「川ぁぁぁ~~」の甘えた声はどうよ。でまたその時の孝太郎さん@梅川の「忠ぅぅぅさぁぁん」がいじらしくって会えてうれしいって気持ちが爆発しておりました。

孝太郎さん@梅川がほんと急激に柔らか味が出てきたなあ。遊女らしいはんなりとした色気も随分と出てきてて、なにより台詞回しがふんわりと優しげで甘える口調になっていた。あ、これぞ梅川だ、と思いました。体もかなり殺してきてて染五郎@忠兵衛の胸元にすっぽりと入り込んでいた。

裏口でのらぶらぶモードは前で観る方がよりわかる。小さい声でお互いちょこちょこ言い合ってるんだね、知らなかった。お互いじゃらじゃら拗ねあってて、でもここは梅川が一枚上手。やっぱり姉さん恋人だ。ただ甘えてるだけの声じゃない、ちゃんと忠兵衛が行かないようにうまくうまく誘導している。その極め付けが「あっ、イタタ」なんだね(笑)。忠兵衛はもうすっかり梅川と離れられない。自分の弱さを自覚しつつも優先順位が梅川になってしまっている、そんな感じだ。この二人を見守る秀太郎さん@おえんがとっても優しいまなざしだ。二人のことを守ってやらなくちゃ、って本気で思ってる。それが伝わってきた。おえんさん、好きだ~。

そして、やっぱりこの後の後半の場がどんどん良くなっている。観るたびに緊張感が増すのはどういうことなんだろう。仁左衛門@八右衛門の悪態はもうほんと見事。とんとんと間がよくて、金持ちぼんぼんの嫌らしさ全開。それを2階で聞いている染忠兵衛の義太夫のノリのよさと心情の出し方も見事だった。あんなにきちんとノれる人だったんだー、と感激してしまった。あまりに自然に義太夫と合っていて染忠兵衛自身が声に出して語ってしまってるかのよう。どこかの今月の感想で、このシーンを染忠兵衛が語ってるかのように捉えている人がいた。違うよ、あれは体の動きだけで見せてるんだよ。

でね、ここって染忠さんばかり観ちゃうんだけど、ふと梅川のほうに視線を向けてみた。そしたら梅川が八右衛門の悪態に「違うもん、忠さん、そんな人じゃない、絶対違うもん」って表情をしているように見えた。ええっーー、忠兵衛と梅川の気持ちがシンクロしてるっ。そうか、そうなんかーーーと、ここでもう私は冷静に観られなくなってしまった。

染忠兵衛はほんとギリギリまで我慢してる。そして大好きな親父様のことも引き金になったと思うけど、でも最後は梅川の泣きが男の意地を奮い立たせるんだよ。梅川を泣かせてはおけない。その気持ちのように私には観えた。もう必死なんだよね。なんとかしなくちゃ、ただそれだけまるで余裕はなし。だってなんとかできる金は無いんだもの。あるのは御用金のみ。だから飛び出したものの恐いんだよね。「借りた50両は返した」とすでに半泣き。ごめん、ここやっぱ染ちゃん可愛い。それから八右衛門のネチネチとした挑発に対抗する時はもうほんとただただ必死の形相。この場って完全に染自身と忠兵衛が重なっていた。染なのか忠兵衛なのか、どちらが必死なのかもうわかんない。ここでの仁左衛門さん、ほんと恐くなってた。忠兵衛が持ってる金はどうやら彼自身の金じゃなさそうだと気が付いてる。それを冷静に追い詰めていく部分が垣間見えた。ここの八右衛門はちょっとリキが入っていた。染の必死の形相に触発されたのかな?と染に良いように考えてみた。

染忠兵衛は梅川のことをやっぱりすごく気にしてる。挑発に乗ったらおしまいだとわかってるんだけど、でもどうにしかしてやりたい。どうしよどうしよってパニくってる。梅川は期待してたのかな、忠兵衛のウソを信じたかったんだよね。冷静に考えたらお金は用意できてないってわかっただろうに。でもなんとかしてくれるって。だから八右衛門に追い込まれて焦って何もできない忠兵衛の姿につい泣いてしまう。梅川の泣きが忠兵衛の手に力を入れさせた。その一瞬の激情。最初は自分でもそんなことをしたのが信じられないかのような表情を見せて、そこから一気にいくんだね。覚悟とかそんなのはしてない、たぶんこの先の死が見えちゃったのかもしれない。まさしくここでの染は完全にどこかイっちゃってる空虚な目つきだった。そして梅川のほうをちょっと観て、そこで覚悟を決めたんだろうか、もう呆然としながらもそこからままよでどんどん封印切をしていっていた。この一瞬一瞬の心の動きが見事に表情に表れていた。もう痛々しくて泣けてきた。染は役に成りきっていたんじゃないかな。染ちゃんは時に染ちゃんじゃなくその役柄にしか見えない瞬間がある役者だ。染の色を色ととして強く出せないのは歌舞伎役者として損だろうか?でもそんな染ちゃんがやっぱり好きだ。

「あっ、やっちまったな」そんな表情を見せた仁左衛門さん@八右衛門の去り際の「この首が付いてはいない……」と言う時の凄みは恐かった。ああ、やっぱりわかっててやってたんだ。仁左さん、そんなに底意地の悪い八右衛門でいいんですか?と思った。最初の頃のちょっと可愛らしい八右衛門からプライドを傷つけられたら何しでかすかわからない金持ちぼんぼんになっていた。

八右衛門が去っていったあと、忠兵衛は逃げたくて逃げたくしょうがない。そんな様子に気が付かず身請けされたことにただただ喜ぶ梅川。ほんと無邪気に喜ぶんだよなー。うきうきしちゃって忠兵衛のことよくみてないのね。自分の嬉しさで手一杯。

はい、ここからきましたよ。ええ、キターーーーー!でした、二人とも。忠兵衛の「一緒に死んでくれ」の切羽詰った様子の切なさよ。これだーーー。正直、染はこの日ちょっとばかり声が出ていなかった。ああ、やっぱり嗄れちゃったかと。だからここの部分の悲痛さをどこまで出せるかなあと思っていたけど、嗄れた声が逆にプラスに出た部分があった。必死に搾り出すその声がすごく切なかった。Bestな声のときの切羽詰った台詞廻しを本当は聞きたかったけど、でも今回はこれで十分だ。弱くて自分だけでは自分を支えきれない、そんな弱さがあった。梅川も「どうしょう~」って嘆くところが「私がさせたんだ、私だ…忠さんごめん、どうしょう」そんな気持ちが含まれていた。やっぱりすごく切ない嘆きだった。最初の頃は「忠さん、なんてことを」というニュアンスが強かったと思うのだけど先週から、二人のこととして嘆いていた。ここ、「忠さん、梅川はわかってくれてるよ」ってうれしかったなあ。染忠さんは孤独じゃないんだよね、ここで。しっかり二人の絆があって。だから孝太郎さん@梅川がここまでもってきてくれたのがうれしくて、心のなかでありがとうって思った。

取り繕って店に出た途端、恐怖に打ち震える二人。花道から去っていく二人の絶望感がひしひしと伝わってきた。先が無い、ただただ逃げるしかない二人に胸が締め付けられた。おえんさんは事情を知らないから笑顔なんだよね。そのコントラストになんともいえない気持ちになった。

もうここまで書く自分が恥ずかしい。アホなのは私だよ。なんでここまで入れ込んでるのよ…。と自己ツッコミをしないと書いてられません…。書いちゃったけどさ。

「新口村」
観るたびにどんどん梅川・忠兵衛が美しくなっている。贔屓目じゃないと思うのよ。何度も観てるからアラも見えてくると思ったんだけど、浅黄幕が落とされた時の出の二人がほんとに美しいの。若い役者がやるからこその透明感があるからだろうか。二人とも儚くてもろい人形のようだ。特に染ちゃんは一瞬本物の文楽人形のように見える。ほっかむりした姿に硬質な崩れそうな美しさがある。そしてふわっと動き出して、ちゃんと血が通った人間なんだってちょっとホッとする。ここの二人の仕草がなんともいえない。お互いのいたわりようが優しくて。帯を直したり、冷え切った手を温めあったり、さりげない仕草がとても印象的に映る。

最初のうちは忠兵衛が男として頑張ってるんだよね。自分が知ってる土地だからなるべく梅川を不安にさせないようにと。でも、父の姿を見た途端、ダメなんだよ。父恋しさの子供に帰っちゃう。やっぱ弱い人だよなあ。梅川はそんな忠さんを守ろうとする。だから姉さん女房になっちゃうんだよね。情味がますます出てきてより優しい梅川を出そうとしているのが見えた。そりゃあ、やっぱり雀右衛門さんの梅川と較べたら深みとかふわ~と漂う色気とかちょとした可愛らしさとかはまだまだ足りないんだけど、これはやはり一朝一夕ではなかなか出ないものだものね。

この場は仁左衛門さん@孫右衛門の花道の出の細かい芸に感心した。雪道を歩いているのがよくわかる。父親としての切ない想いもやはり深くなっていた。ここでの仁左衛門さんはとても小さく見える。老人の身体をしっかり作ってくる。さきほどまで八右衛門だったとは信じられない。やっぱり上手いよなあ。

でも今回ばかりはどうしても梅川・忠兵衛に思い入れが深くなってて二人ばかり観ていた。一緒に死ぬことも出来ない二人の逃避行が切なくて切なくて。

歌舞伎座『六月大歌舞伎 夜の部』 1等1階席

2005年06月19日 | 歌舞伎
『盟三五大切』
因果に因果が絡み、そしてすれ違いを生み縺れあう。因業因果の物語が核となりながらも活き活きと江戸庶民の姿が描かれているのも特徴で、ごく普通の生活のなかに潜む闇を際立たせる。

源五兵衛は初役の吉右衛門さん。吉右衛門さんの源五兵衛はあくまでも「人」として一貫性を持たせた役造り。芸者小万に入れあげ武士としての意地も面目も忘れた無骨な男。人のよさそうな雰囲気がその無骨さを際立たせ、人としての弱さをそこに見出す。だから騙され裏切られたと知った時の怒りは男の意地。武士としてのプライドが二人を許さない。どうにかしてやりたい、その思いつめた先が大量殺人である。あくまでも「人」が残っている源五兵衛であった。だから、小万の首を相手にするときは凄みより哀しさが漂う。ラスト、真相が明かされ三五郎に罪を引き受けてもらい義士へ加わるその時、その罪がそのまま三五郎へと移行し「鬼」がすっかり落とされる。吉右衛門さんらしいおおらかな雰囲気がそうさせるのだが、それってどうなんだろう。どこかイッちゃってる凄みというものが無いせいで、確かに人として一貫性はあるのだけど、得体のしれない恐さがほとんど伝わってこない。

三五郎の仁左衛門さんはすっきりと美しく、女が自分の言うことを聞くとわかっている、そんな小悪党。吉右衛門さん@源五兵衛と対照的な雰囲気ながら、実は目指すものは同じという役どころを憎めない愛嬌を持ち味にやはり「人」として一貫性がある三五郎を造詣する。自分の目的のためには手段を選ばないがそれが忠義のためと信じている、そんな雰囲気だ。だから真相を知ったときに、今までの自分の罪を自覚し忠義の道を選び取る。やはり哀れさが先にたつ。本来元々の性格が歪んでいるはずの三五郎だが、その部分があまり見えなかった。またこの方は美しいだけに悪役をするときにはそこに凄みが効いて女を惑わす色気となるのだが、今回相手が硬質さがある時蔵さんなだけに少々色気がすっきりとした方向に向いてしまったように思う。私としては三五郎にはもう少しいやらしい色気が欲しかったかも。

ただ吉右衛門さんと仁左衛門さんの両方が同じ方向を向いているので物語のバランスはとてもいいものではあったかな。また二人の存在感の素晴らしさというのも堪能できました。

そしてこの二人に絡む小万の時蔵さんは非常によかった。江戸の芸者のイキのよさがありつつ三五郎のためだけにその場その場で流されていく女。非常に美しく色気があり小万という役にすっぽり入り込んでいたように思う。身のこなしや情感などは前回、同じ小万を演じたときよりかなり良くなっていたように思う。この方の硬質な色気が華やぎを増してきた。

どこかしら曲がってしまっている登場人物のなかでつねに真っ直ぐな精神の持ち主が六七八右衛門。主人をつねに思いやる忠僕を染五郎が演じる。染五郎はこういう真っ直ぐな気持ちで誰かを慕うという役柄が似合う。八右衛門は主人を心配してお小言を言いまくっているわりに甲斐甲斐しく世話をやき、主人のために怒り泣く。そして処刑されるのがわかっていても身代わりに自分が捕まることすらする。もうほんと健気なんですわ。そんな健気な若侍を前半は深刻にならず生活に疲れた風情がありつつも軽やかに時にコミカルに演じる染。ぷうっとホッペを膨らませる姿がなんとも可愛らしくて、主人が大好きで大好きでたまらない子犬のようだ。今月の染はどうもにも可愛らしくて困る(笑)。そして後半はなんとも切ない。主人が人殺しの罪で捕まりそうになったとき、意を決して自分がやったと名乗り出る。ここで今までの雰囲気をガラリと変え、苦渋に満ちた表情を見せる。この一瞬だけ場の揺らぎが消える。真っ当な精神の八右衛門の人としての力。忠義の皮肉を超えた人としての情がある。こういう場を作るのが染ちゃんは上手いと思う。

さて、この南北作品を観るのは二度目である。今回の『盟三五大切』と前回の『盟三五大切』を較べてみると個人的に前回観た幸四郎さん@源五兵衛と菊五郎さん@三五郎の時のほうが舞台として濃密でグロテスクな奇怪さと美しさがあって好きです。幸四郎さんの裏切られたと知った後のスコンと狂気にハマりこんだ源五兵衛の凄みにはすごいものがありました。どこを何を見ているかわからない得体の知れないもの、まさしく鬼として存在していました。そしてそのまま殺人鬼として義士へ加わるその皮肉さを見事に体現されていたと思います。また菊五郎さんの三五郎はエロスを感じさせる色気があり、人を騙すことを楽しむかのような自信過剰さがあり、そんな小悪党が父への忠義のために罪を被る皮肉さがありました。この二人は南北の人物造詣の過剰さをそのまま舞台で体現していた。その過剰さゆえに絵画的な退廃美がそこにありました。

『桜姫』の感想でもちょっと書いたのですが私はやはりこういうナンセスぶりを全面に出した南北作品には整合性を求めないんです。忠義の代表としてある『忠臣蔵』の義士たちのなかに実は人として崩れた者もいたかもしれないという、この視点の意地悪さ。凄いよね。この作品での南北の人物造詣は「訳のわからなさ」「一貫性のなさ」だと思います。人としての多面性をよりグロテスクに造詣してると。その人としての乖離性が体現されたとき、より世界観の独自性を生み舞台空間にゆがんだ美しさを現していく、と思うのです。

個人的に吉右衛門さんと仁左衛門さんはとっても大好きな役者さんなので、この二人の競演はかなり楽しみにしていました。そして今回、ほとんどの場合いつもベタ褒めする二人に対して物足りないと書くのが非常に大変で、感想を書くのにかなり苦労しました。なぜ物足りないのか?それを探るのに時間がかかったと言うべきか。演目によって役者のハマり具合ってほんと変わるんだなあと感じた次第。

また、私個人的な部分でも自分がどういう「舞台」が好きなのかその方向もだいぶわかってもきたということでもあるのかもしれません。ちなみに今回は過剰さやズレを求めていますが、かといってすべての「歌舞伎」にそれを求めてはいません。端正で整合性が取れた舞台も大好きだし、大仰な時代物に整合性を求めるときもあります。演目次第ということですが、そこら辺の趣味が自分でも曖昧だったのですがなんとなくわかってきたような気がする。


『良寛と子守』
富十郎さんの1歳8ヶ月のお子さん、愛子ちゃんのお披露目を兼ねた演目。まだ2歳にもなっていない子を舞台に立たせるなんて人間国宝と言えどもたんなる親バカ。

でもね、この愛子ちゃんが可愛いわけよ。どうやったって目線は子供にいくわな。舞台にいるかと思えば下手に引っ込み、また出てきてと自由奔放。ヘタすりゃ、いやヘタしなくても一人舞台状態っすよ。富十郎さんの踊りが目に入ってこない…。でも、またこの愛子ちゃんが凄いのよ。30分もの間のほとんどの時間、愛子ちゃんを立たせてるのだけど、ポイントのとこはちゃんと押さえていて舞台の段取り通りこなしているのだ。それに、いちいち仕草が可愛くてねえ。花道まで良寛さんを迎えに行ったり、他の子役と一緒に手拍子したり、泣く演技をしたり。それと子守役の尾上右近くんの踊りをマネしようとして足を動かしたり。ここまで出るのは正直大したものだと思う。

また、他の子役もお見事で愛子ちゃんに気を取られないでちゃんと演技してるのにも驚いた。それと富十郎さんも親バカだとは思ったけど、良寛という役としてブレないで舞台に立っていたのはさすがだなと。ちょろちょろする愛子ちゃんに目線を絶対向けないんだよね。

そうそうひさびさに尾上右近くんを拝見しましたがやはり踊りの素質があるなあ。手先足先の動きがとてもきれい。ちょうど声変わりの時期かな?女の子の声を出すのに苦労してました。


『教草吉原雀』
大人のしっとりとした華やかな踊りを見せていただき、夜の部最後の演目としてとても気持ちのいいものでした。この演目を観ないで帰ってしまう観客が多かったけど絶対に勿体無いよー。梅玉さんと魁春さん兄弟が鳥売り夫婦を演じ、鳥刺しに歌昇さん。

梅玉さんの踊りは本当に上手い。柔らか味とキレのよさのバランスが抜群なのだ。手先足先の美しさ、ほれぼれしちゃう。またこの演目では今まで踊りはさほど上手いと思ったことがなかった魁春さんが非常に良かった。特に吉原の客と遊女を見立てた部分にしっとり感があっていい感じ。それにしても魁春さんの女形としての体の殺し方ってほんと見事だよな~。この兄弟の見ごたえのある踊りに歌昇さんのキレのよい踊りが加わり、さらに見ごたえが。最後の3人のぶっかえりも見事で華やでした。満足。

歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』 3等A席 3回目

2005年06月17日 | 歌舞伎
3回目鑑賞です。「飽きない?」と何人かに言われましたがこれがなぜか飽きないんですよね。もちろん目当ては『恋飛脚大和往来』で、これは染ちゃんがどう変化していくのか観ているのでまーったく飽きない。で、ついでに観てる他の2演目ですが『輝虎配膳』が結構お気に入りで3回目でも十分楽しんでしまいました。

『信州川中島合戦』(『輝虎配膳』)
一番、飽きがきそうな演目かもと思っていたのですが、これがなぜか飽きない。座組みが私の好みなのかもしれない。華はないけれどかっちりした芝居。それともしかして私、梅玉さん@輝虎が結構好きなのかも?しごく真面目にやっているのにどこか可笑し味があって、怒りに震えるとこがなんかだか可愛いし…(笑)。それと日を追うごとに各役者の役への入り込み方がきちんと見えるのも面白い。直江山城守の歌六さん、唐衣の東蔵さんがさりげなーく良い芝居してるんだ。

『素襖落』
吉右衛門さんがようやくノってきたかなー。ずいぶんと愛嬌が出てきてメリハリがついてきた。富十郎さんの声と足捌きがかなり復活。うわー、うれしい。今月はお子様たちと一緒に立っているし、気持ちにハリがあるのではないかしら。とても楽しげに演じてらしている。

『恋飛脚大和往来』「封印切」「新口村」

「封印切」
染五郎@忠兵衛の雰囲気が少しづつではあるけれどやはり柔らか味が増してきた。ぐっと肩を下げて歩き方も腰を落として軽く柔らかく歩き、丸みを出そうとしている。自分がまだ鷹揚なはんなりした雰囲気が身に付いてないことは自覚していると思うのだけど、そこをきちんとまずは技術的な面からアプローチしているのだろう。ただ、花道の出がやっぱりサラサラとあっさり気味にしている。川さんに会いたくて急いてる感じのほうを強く出したいのかもしれない。でも上方の雰囲気を出すにはたっぷりしたほうがいいような気がするなあ。うーん、どうなのかなあ。裏口の場ではずいぶんと佇まいがよくなってきた。ただやはり拗ねるときの台詞回しは硬い。ここの場が一番大阪弁に苦労してる感じがある。でも梅川が好きで好きでの、らぶらぶの雰囲気はますます出ていて染忠さんと孝太郎さん@梅川の息がぴったりしていて二人とも可愛らしい。そのせいか、おえんの思い出話の部分も可愛らしくなってきている。

後半、2階で八右衛門の悪態を聞いているところがほんとに良くなっている。義太夫にごく自然に乗っていてきちんと心情が出て見ごたえが出てきた。そして八右衛門に挑発されて階下を降りてからのやりとりの緊迫感はお見事。仁左衛門さんの愛嬌ある敵役にがっつり食らい付いて離さない。どうみても仁左衛門さんのほうが格上なんだけど、きちんと丁々発止になっていたよ。それにしても半べそ状態の染忠さんの可愛いこと可愛いこと(笑)全体的に染忠さんは可愛らしさが増していて母性本能くすぐられまくり…お姉さんどーしよーって感じです。今回の染忠が好きな人って絶対、姉属性の人だと思う。

激情から封印切に至る場の表情がどんどん変わっていく様はやはり染ちゃんうまいと思う。そしてそろそろキタかもキタかも。物足りなかった梅川に真相を打ち明けるときの女々しさと哀れさの部分のくどきに切なさが増した。でも個人的にはもっともっとと思う。かなり贅沢言ってる気がするけどそんな染忠さんが見たいんだもの。声がだいぶ戻っててきた感じが今月していたけれど、今日はところどころヒヤッとさせる部分があったのでこのまま潰さないでと祈るばかり。

孝太郎さん@梅川が今回かなり大進歩。台詞回しが優しげになり、かなり良くなっている。それに伴い柔らか味が出てきた。表情もふわっとした感じになり忠兵衛一途な恋する乙女な雰囲気が。そのため身請けしてくれたとうれしくてうれしくて忠兵衛のヘンな様子にも気が付かず単純に喜ぶ部分が「ああもうわかってないなあ」とこちらに思わせる梅川の単純な恋の盲目ぷりが際立った。そしてその後の真相を知った時の嘆きに悲痛さが加わった。キタかもキタかもーー。孝太郎さん、やっぱりここまで持ってきてくれた。やはりところどころ姉さん恋人なしっかりした雰囲気は残るがこれはこの人の持ち味でいいかもしれない。染忠さんが可愛げすぎるし…(^^;)。あとはもっと色気欲しいなあ。それと染ちゃんが忠兵衛の体を作るためにしっかりと体を殺してきているので良い方向に出ていた孝太郎さん持ち味の小ささが目立たなくなってる。大変かもしれないが、染ちゃんに合わせてもっと体を小さくしていかないと華奢な哀れな雰囲気が出なくなる危険が。

「新口村」
染五郎@忠兵衛がとっても美人さんになってます。仕草も非常に優しい雰囲気。梅川の肩を抱く部分や帯を直してあげるシーンなどもそっとそっと気遣う感じ。気弱になり巻き添えにした梅川にすまないと思いながらも離れられないといった風情。また父、孫右衛門を窓から伺うその視線が切ない目でしっかり父を追っている。短慮で弱くて、まだ子供な忠さん。孫右衛門が年をとってからの子供ですごーく可愛がられて育ったのかなーと思いながら見てました。

孝太郎さん@梅川の姉さん恋人の雰囲気がここでは非常にいい方向に出てきた。そして孫右衛門を助けてるシーンでは忠さんの代わりに私が親孝行してあげるんだという気持ちがあるように見えました。そして孫右衛門へは「私のために忠さんを罪人にしてしまった」申し訳なさが出てかなり情味が増してきた。仕草もとても優しくなっていた。どうして親子を対面させたいと思い、目隠しを取るその決断の意思の強さが孝太郎さんらしくて良い。対面させた後の遠慮がちに二人から離れているシーンは切なかった。

渋谷コクーン『桜姫』 2等 中2階席

2005年06月17日 | 歌舞伎
TVで『三人吉三』と『夏祭浪速鑑』は拝見していますが生で観る初コクーン歌舞伎です。コクーン歌舞伎には臨場感溢れた独自の演出といったイメージがあり『桜姫』にもそこを期待していきました。

『桜姫』感想を書く前にまず書いておかなくてはと思う。、私は桜姫にはかなりの思い入れがあります。私が「歌舞伎」ってなんだか凄いものと感じさせてくれたのが玉三郎・仁左衛門(当時・孝夫)の『桜姫東文章』なのです。あまりに思い入れがありすぎて昨年7月の玉三郎・澤瀉屋一門版は私のなかの超絶に美しかったあの玉三郎・仁左衛門(当時・孝夫)版舞台のイメージが崩れるのがイヤで観にいかなかったくらい。まあなんせ昔過ぎて場面場面はきっちり覚えてるもののちゃんと全場面を覚えてはいない状態です。しかも、ちゃんと調べたら私が観たのは仁左衛門さんが権助と清玄二役の時。でもなぜか清玄は団十郎さんで覚えています。清玄@団十郎さんのほうは実際の舞台はどう考えても観ているわけはなくTVで見たものと実際観たものとごっちゃにしているのか、仁左衛門さん@清玄を団十郎さんと勘違いして覚えているのか?記憶が定かではありません。そんな状態ではありますがやはり較べて観てしまったことは否めません。

さて、どう書いたらいいでしょう。まず第一印象として演出がそれほど歌舞伎から崩していないなと。勿論、歌舞伎ですし、確かに『三人吉三』と『夏祭浪速鑑』も「歌舞伎」から逸脱したものを造っているわけではないのですが、いわゆる型からはかなり崩してきていて、それがうまく臨場感に繋げてきているという気がしていたのですよ。それが今回の『桜姫』では型から崩そうとした部分が成功しておらず、従来の型で見せた部分は成功していると、そう思いました。歌舞伎というものを型から崩して見せることがどれだけ難しいものか、と思い知らされました。反対に型さえきちんとできればある程度は見せられるものなのだとも。

まず第一幕、因果に至る発端の清玄と白菊丸の心中事件をきちんと場面として見せないのはどう考えても失敗ではなかろうか?このせいで清玄のキャラクターが曖昧になってしまったような気がする。このシーンは短くて済むし、『桜姫』の世界観を端的に現すシーンでもあると思うのだけど。語りと絵で見せるのはお家の重宝騒動のほうではないか?とか。私的には実のところ「絵」は必要なかった。むしろ邪魔。想像させる部分がエロチックだったりするのに全部見せてしまう。それってどうなのよ?見せすぎは興ざめにつながる。

第一幕は今までの『桜姫東文章』のイメージから離そうとして雛段や空間の上に造った欄干で芝居をさせていたのだが、確かにユニークとは思えど役者の動きが小さくなってしまいダイナミックさに欠け、臨場感もでない。そのためか役者たちがあまり美しく見えない。特に福助さんが女形のグロテスクさだけが強調されたような気がしなくもない。(ん?南北的にはこれは成功なのか?)小さい空間でしかも型から外そうとした前半は役者が活きないで終わってしまったような気がする。悪五郎と七郎の追いかけっこなどはしごくまじめにやることで面白さを見せていたなと感心はしたのだけど。そのくらいかなー。

第二幕は第一幕の小ささが無くなりかなり面白く見せていた。岩渕庵室の造りがいい。平面的な造りの歌舞伎座と違ってこれはコクーン歌舞伎ならではかも。ここでようやく役者たちが活きて来た。そして、小細工をしなくなって従来の型に近い部分での演じよう。このほうがより美しく見えるのが皮肉といえば皮肉。特に橋之助さんが活き活きとしててうまさを見せる。福助さんもようやく持ち味が出た。ただ残月と長浦の笑いの部分がちょっとしつこかったかなー。

次の権助宅はモノクロのセット。このセット以外でここの演出は人物像の描き方は違うもののいわゆる歌舞伎のセオリーから外してないように思う。そのほうが見せ場として成り立つ。『桜姫東文章』という話自体がこの場の組み立てを崩させないのかな?と思わせましたが、どうなんでしょう。ここでの桜姫の福助さん、玉三郎版桜姫の呪縛から逃れられてないように見受けられました。台詞回しが玉さまそっくり。福助さんらしい独特の可愛らしい台詞回しがほとんど出てなかった。権助を殺すシーンはリアル志向。ここはわりとインパクトがあってコクーン独自性があったと思う。ただこのリアルをラストに繋げなくても。ラストの桜姫狂乱はかえってつまらない…あまりにも普通すぎて。めでたしめでたしで終わったほうが南北らしくて良かったんじゃないかな~。桜が舞うセットは美しくてよかったです。

全体的に話の筋や人物に一貫性を持たせたことで面白み、物語の濃厚さが薄れたような気がします。南北の人物の切り取り方ってかなり振幅が激しく、一貫性がなく、場面場面で肥大化させたり卑小化させたり。その一貫性のなさから「人」を映し出す作家では?と勝手に思っていて、またそこに面白さを見つけているので、そのナンセンスの面白みがなくなってしまうとなーとか。エログロナンセンスって南北作品のある一面だと思うのよねー。その最たるものがこの作品だと思っていたのになあ。そこが見せ場じゃないのかえ?今回の桜姫は最初から「女」でしかない。あまりにも一貫しすぎてて稚児~姫~女郎~姫というころころと変化するキャラクターの振幅の激しさのなかに儚さを見るのがいいお話だと思っていたんだけど、その部分がまったくなくなってしまっていた。私的に『桜姫東文章』にはバランスの悪さに美を求めるってやつがありまして…私の勝手な要望かもしれないけど。むー、桜姫は硬質でちょっとバランスを欠いたタイプの女形のほうがしっくりくるのかもしれない。

#となると今現在の玉三郎さんも以前ほどの振幅の激しさは出せてないかも…。やはり美しい思い出はそのままにしておいて良かったのかも。まっ、玉・ニザコンビが再演だったら行っちゃうかもしれんが。

あさひ7オユキさん@口上はあまり評判がよろしくないようだけど、あれは「今」の見世物小屋的案内人としてちょうどいいかなと思う。語りを完全に「現在」にしたことでいったん観客を突き放して「物語」を見せるという感覚に陥らせる。そこからは観客が舞台に同調しようが、物語を観るだけなのはお任せ。時々素に戻らせて熱狂させない、これは確かに「今」だなーと。あさひ7オユキさんに関しては普通の語りではなく歌わせたほうが説得力がある人だと思うのでどうせなら歌で口上してほしかったな。歌う時、いいお声してるんですよ。

福助さん@桜姫は最初の姫の部分がトウがたちすぎていた。声が潰れていて高い声が出なかったのも一原因と思うが、みるからに成熟してて子供も産んでそうな雰囲気。これでは一見無垢で清楚そうな姫が実は…の面白さが出ない。後半は姫と成熟した女の部分がちょうど半々のいい位置にある場なので福助さんらしいよさも出てたけど、女郎に落ちた部分の衝撃的な落差が残念ながら無い。ゆえに女郎、風鈴お鈴と桜姫のちゃんぽん言葉に面白味を見つけられず。しかも可愛らしい声が出てないのでなおさら。なんというか、福助さんの「女」を出せる部分が今回ストレートに出すぎてしまった感じ。

橋之助さん@清玄&権助はどちらにも一定のうまさを見せたけど、清玄のほうがより魅力的でした。特に岩渕庵室の場での清玄は色気もあってなかなか。権助のほうは小悪党ぶりは非常にいいのだけど、ただの小悪党ではなくもっと凄みのある悪の美しさが必要ではないかなー。どうにも人のよさがそこかしこににじみ出てるんですが…。

他キャラ感想追加するかも。

歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』3等A席 2回目鑑賞

2005年06月12日 | 歌舞伎
『信州川中島合戦』(『輝虎配膳』)
初日近くでもかなり完成度が高い舞台だったのですがもっと引き締まった舞台になっておりました。やはりなんといっても役者配置のバランスが良いということが面白いものにしているなと。

輝虎の梅玉さんがやはりいい。ニンに合っているのだろう。怒りの部分に大きさが出てきたように思う。越路の秀太郎さんに豪胆な品格が出てきたのが一番目を引いた。膳をひっくり返すシーンでの死を覚悟した決然たる態度が体全体に現れていた。引っ込みの花道での演技が見たい。時蔵さん、東蔵さん、歌六さんも心情がきちんと体に入った演技でますます良くなっていた。

『素襖落』
吉右衛門さんの踊りに大きさが出てきた分、見ごたえがでてきた。ただやはりメリハリがまだしっかり出てない。あともう一歩。愛嬌の部分はだいぶ自然な感じになってきたけどやはりまだ硬さが残る。富十郎さんの声にハリが戻りつつあるかな。タイミングもよくなってきた。フォローする立場になっている歌昇さんはさりげない部分で愛嬌のある面白みとキレを見せる。やはり上手い。

『恋飛脚大和往来』「封印切」「新口村」
染五郎さんと孝太郎さんの若手コンビの成長が著しいと思う。この二人に足りない柔らか味が出てきた。それと忠兵衛と梅川のラブラブぷりに拍車がかかってる。これはかなりいい。この二人の密接度の高さが悲劇に至る道筋を際立たせている。

「封印切」
まず、染五郎の雰囲気が柔らかくなってきた。肩の線に丸みが出てきた感じがする。ただやはりはんなりな雰囲気までには至っていない。あと前半の場で軽さがまだまだ足りない。和事の軽さを出すのは難しいのだなとつくづく。「逢いに行こうか、戻ろうか」の花道での出が急いている感じがあるのだがここはもっとたっぷり、そしてもう少し軽い感じにしたほうが忠兵衛らしいと思う。ただ、その後の梅川とのじゃらじゃら感はかなり良くなってきた。おえんじゃなくてもツッコミを入れたくなるくらい。ここの部分でもう少し柔らかい色気があるといいんだけどなー。もっとぐっと肩のラインを落として胸のところで色気を、とか。かなり無理な注文?(^^;)

良くなってきたのは後半。2階で八右衛門の悪態を聞いている部分あたりからとにかく形がよくなっている。キメの形が非常にいいと存在感が出てくるのだな。むっとした様子、梅川のためと我慢している様子、それを上半身だけの動きでよく見せている。背中を向けてすらきっちり心情がのっているのがわかる。前回、この部分で存在感が無かったんだけどかなり出てきた。ここらあたりから時に良い意味で仁左衛門さんにドキッとするくらい似てる部分がありました。

そして怒りのあまり階下へ降りる部分。ここはもっと高ぶった感情を出してきてもいいかな。でもその後がすごい気迫でした。仁左衛門さんにがっちり食らい付いていた。テンポも良くなってきて、前回、仁左衛門さんに軽くいなされている、と思った部分がなくなってきた。だから封印切りに至る部分で相当な迫力が出てきた。激情の部分をしっかり出してきて、梅川の泣きで、感情が一気にグッときて「ままよ」と封印を切る、この激情の部分が前回はあっさりいかにも自然な流れでやっていたのをかなりたっぷりとしてきた。やはりたっぷりするほうが見応えがある。

またそこからの染ちゃんの表情がすごかった。激情、空虚、そこに梅川へ想いをふと見せてから我に返っての恐怖心とどんどん変化させている。それが3階からでもしっかりわかる。だいぶ忠兵衛の性根を自分のモノにしつつある。そして絶えず梅川のほうに気持ちがいっている部分が非常によくみえた。言い争いの部分では八右衛門のほうにしっかり向いてるし梅川を見ているわけじゃない。なのに梅川に気を配っているのがわかる。なんだかとても情の濃い忠兵衛だった。ここの部分は仁左衛門さん忠兵衛とは違う染忠兵衛が形つくられそうな予感。心配だった声もよく出していて、くどきに切なさも出てきた。でも個人的にはここはもっと切なさが欲しい。もっともっと出来るはずだ。出来ると思うからかなり高い要求だとは思うけど書いておく。

染忠兵衛が八右衛門に食らい付いて迫力が出てきたせいか、仁左衛門さんの八右衛門に愛嬌だけでなく金持ちぼんぼんの嫌らしさ、そして捨て台詞に凄みが出てた。うわあ、恐いよっ。やっぱり前回は手加減してたんじゃないのかしら…。

孝太郎さんの梅川にも柔らかさがでてきて、情味というものが台詞に出てきていた。この情味が色気につながりそうな雰囲気も。まだまだ足りないけどふんわりした台詞回しになってきたなと。これをもっともっと出してふわふわした色気を出していってほしい。忠さんしか見えてない可愛らしさは十分にあるんだけど、どことなく孝太郎さんの梅川にはわりと姉さん女房ちっくなしっかりさがある。でも歌舞伎の梅川はもっと頼りなげな憂いがある可愛さのほうが似合うんじゃないかなあ。ただ、小柄な部分をいかしてぐっと相手方の胸元に入り込み表情に一途さを見せるのは上手い。忠兵衛に真相を聞く前のうれしげな雰囲気も良かった。ただ真相を聞いてからの嘆きをもっともっと悲痛にしてほしい。自分のために封印を切らせてしまった、という慟哭にちかい嘆きがほしい。だってあれだけラブなんだよ。ただの泣きじゃダメなんだよー。難しい注文だろうけど、個人的に今回の「封印切」の梅川に一番物足りない部分だったりします。

「新口村」
染忠兵衛と孝太郎さん梅川に存在感が出てきた。最初の出はムシロで顔と身体のほとんどを隠してるんだけど二人がお互いにしっかり寄り添っている形がよく、この出から拍手がきたよ。そのくらいいい形だった。そしてムシロを取ったその姿がなんとも美しい。ここでまた更に大きな拍手が。前回も勿論美しかったけど、ここまでの美しさがなかった。そうなのだ、この二人の姿の形が非常に良くなっているのだ。お互いがお互いを必要としている、そして気遣い合う、その姿がなんとも良くなっていた。

しかし、染ちゃん、こんなに義太夫のノリがよかったっけ?ほんとひとつひとつのポーズが絵になってきている。義太夫へのノリがしっかり身体に入ってさりげないのにきっちりしてて非常にいい。それに伴い台詞まわしがより情味、切なさが増してきた。梅川への気遣いもより鮮明。そしてやっぱりちょっと子供ぽくて愛らしい。うん、ここの染ちゃんはほんと良い。

孝太郎さんの梅川も忠兵衛への想いがしっかりと出て、私が支えてあげなくちゃな雰囲気がとてもよかった。また孫右衛門への気遣いの優しさがより優しい雰囲気になり、情味がでてきた。でももっとしっとりした色気が欲しいなあ。この場は梅川がキーとなるのでかなり神経細やかに演じなければいけないのだろう。ここで憂いと気遣いの両方を出すのはかなり難しそうだ。孝太郎さんの梅川は雀右衛門さんに教わっていて、今回もその形を丁寧に丁寧にやろうとしているのはよくわかる。台詞回しが時折、雀右衛門さんぽくなるのには驚いた。でも情味の部分がまだまだ足りない。なぞるという部分からもう一歩抜けて、より「想い」というものを身体から出してほしい。細々した仕草の形が前回よりほんとうに良いだけに、やっぱりもっと上を求めちゃう。

孫右衛門の仁左衛門さんも子供可愛さだけでなく父親としての苦しい複雑な想いをしっかり出してきた。よりしみじみと忠兵衛を想う気持ちが伝わってくる。表情を派手にしてくるかと思ったけど、ここはしっかり押さえぎみにしていた。そのあとで一気に感情を出す、その緩急が上手い。より情を出してきたため前回よりすすり泣きの声があちこちから。

そういえば「覚悟極めて名乗つて出い」で思わず忠兵衛が戸口から出てきてしまい、「今じゃない、今ではない」という孫右衛門の切ない台詞のシーンで客席から笑いがこぼれるのはどうなんだろう?みんな、台詞がわからないのか、染が出のタイミングを間違った?と思って笑うお客さんもいたような気が。ただ今回この部分、染がさっと引っ込むのではなく親の様子を伺いながら少しづつ戸を閉めるという演出したのはわかりやすくなっててよかったかも。

サントリーホール『ミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル』D席 RA席

2005年06月09日 | 音楽
私にとってミハイル・プレトニョフは意識してCDを聴いたことがないピアニストでした。曲目が良かったのとロシアのピアニストということだけでチケットを取りました。調べたらかなり有名なピアニストで、最近では映画『戦場のピアニスト』の劇中のピアノの音色がこの方のものだったようです。私はチケットを取ってからあえて音を聞き込まないまま聴きに行きました。ここ最近、行く演奏会は当りばかりなのですが今回も「よくチケットを取る気になったよ、私」と自分を褒めたいくらい素晴らしい演奏を聴かせてもらい、ただただ圧倒されて帰宅しました。こういうピアニストもいるのか、と。

一流と言われている人の演奏会で毎回思うのですが、第一音からもう音がただの楽器の音じゃない、なにか違うんですよね。今回も第一音で「あっ、きたっ。今回も当りだ」と思いました。ロシアのピアニストというと華やかな音色でダイナミックというイメージがあったのですが、ミハイル・プレトニョフ氏の音はいわゆる華やかな音ではありませんでした。なんというか低音の作り方が独特で力強くとても重い音と言ったらいいのかな。重い音といっても音色は素晴らしく美しいのです。弱い音はあくまでも柔らかく透明感があり、強い音は冷たい海が荒れて岩に砕け散るそんなイメージを起こさせる激しくそれでいて硬くない呑みこまれそうな音。音が幾重にも重なりオーケストラを聴いていると思わせる瞬間も。

またプレトニョフ氏の48歳とは思えないほどの感性の深さに驚かされました、老成してると言ってもいいくらい。派手な演奏では決してないのだけど、圧倒的な力を持った音の持ち主ですね。そしてまた、聴く側の感性を求められる、そんな演奏でもありました。ただ愉しませる、そういうタイプの音楽家ではないように思いました。

ベートーヴェンでは非常に内省的な音とでもいうのでしょうか。圧倒的な音であるにもかかわらずどちらかというとドラマチック性を極力排した淡々とした演奏で、音が地の上で留まり、音を舞い上がらせない。心の澱の部分に直接訴えかけてくる。恐いとすら思いました。ベートンヴェンの「悲愴」はまさしく「悲愴」そのものでした。地の底から問いかけてくるようなそんな感がしました。なぜか7番と8番を続けて弾いてました。なんでだろう?拍手する暇を与えてもらえませんでした。7、8番を同じ種類の曲として解釈されているのでしょうか。

ショパンではその内省的な雰囲気はなくなり、非常に端正にひとつひとつの音を大事に丁寧に扱っている、そういう印象。短い曲を積み重ねていく演奏なので曲の解釈をするというより純粋に音と曲を聞かせようとしていた感じでした。非常に重い音なのにキラキラと音が光ってました。端正に弾いてるだけにテクニックの素晴らしさがよくわかりました。

この方のちょっと独特の音だしに完全に魅了されたところでアンコール曲。なんと4曲も弾いてくださったのですが、この4曲がこれまた素晴らしく、しかもアンコールを聴いたというよりもう一度演奏会を聴いた気分。だって3曲目がショパンのバラード1番ですよ。なんちゅう体力だ、さすが熊のようなロシア人(笑)。そしてそしてこのショパンが非常に素晴らしかった。胸にじーんと染み入る深い深い音色でした。

ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第7番ニ長調』
ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第8番ハ短調「悲愴」』
ショパン『24の前奏曲op.28』

アンコール曲:
ショパン『乙女の祈り』
リスト『小人の踊り』
ショパン『バラード1番』
チャイコフスキー『夜想曲』

歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』3等A席

2005年06月05日 | 歌舞伎
『信州川中島合戦』(『輝虎配膳』)
長尾輝虎は、敵方の軍師である山本勘助を味方につけるべく勘助の母、越路と嫁、お勝を屋敷に招待し、自ら配膳し丁重にもてなすが、意図を察した越路は膳をひっくり返し断固拒否。怒りのあまり輝虎は越路を切り殺そうとするが…。

33年ぶりの上演ということだけど、なぜに長年途絶えていたんだろう?と不思議に思うほど面白い演目だった。時代物らしい絵巻物としての面白さもあるし登場人物もクセのある面々だし、見せ場たっぷりでした。配役がとてもバランスが良かったことも面白さに繋がったのかも。見ごたえありました。

輝虎の梅玉さんが役柄にぴったり。一見冷静なようで激情に走る役が似合います。また大将としての格がきちんとあるのが見事。大将がお膳を運ぶという趣向に真剣さがあるので話に説得力がでる。

越路の秀太郎さんの一筋縄ではいかない肝っ玉母さんぶりがなかなか。クセがある老母というのがよくわかる。また義太夫の糸ののりかたが大仰でなくさりげないのにかっちりしているのに感心。時代物も案外似合う。ただ声が細いのがちょっと残念。もう品格といった部分での重さがあってもいいかな。

お勝の時蔵さんが非常にいい。嫁の立場をわきまえた控えめな佇まいと義母を助けるために必死になるキッパリとした姿どちらにも美しさがある。お勝はどもりのため輝虎を制するのに琴を弾きながら歌うという手段で訴える。右手で琴を弾き、左手で輝虎を止める、こういう普通なら有り得ない姿を美しく見せる様式美が時代物にはあるんだよねー。このところ時蔵さんは充実している。役柄に知的な部分があると俄然輝く。役者として一皮向けてきた感がある。

直江山城守の歌六さん、唐衣の東蔵さんが控えめながらもきちんと脇をこなしバランスのいい存在感。この二人は脇役として非常にいい位置にいる役者だと思う。

『素襖落』
太郎冠者の吉右衛門さん。この演目は吉右衛門さんにとってちょっと冒険じゃないかなーと思った。 太郎冠者としての踊りのキレとかひょうきんさが足りない。芝居っ気が必要となる那須与市の踊りの部分にはうまさを見せたけど全体的にはメリハリが足りなかったと思う。もっと茶目っ気を出していってほしい。後半こなれてくることを期待。

大名の富十郎さん、プロンプなしでちゃんと台詞が言えていた。そんなで喜ぶなって感じですが…。大名としての格を出しながら可愛げもあって富十郎さんらしさがあって良かったと思う。でもやはり足捌きはちょっと衰えてるかも。踊りが上手な方だっただけに観ててちょっと切ない。これから盛り返していっていただきたいな。

姫御寮の魁春さん、踊りはさほど上手ではないんだけど、やっぱり赤姫姿が似合うわ~。一時、容貌に急激な衰えを感じさせたけど最近戻してきた感じがする。うれしい。

『恋飛脚大和往来』「封印切」「新口村」
演目的には面白いものだとわかっているものの、何度か観ている演目だけに役者の力量もよくみえてしまうものでもある。しかもかなり演出や人物像の違いがあるとはいえ本筋が同じ人間国宝が操るかなりレベルの高い文楽『冥途の飛脚』を最近観ていることもあり、染五郎が忠兵衛をどこまでできるのか、ただただ心配で不安な気持ちでの鑑賞となった。その心配は杞憂だったと書きたいところだけど、やはりまだまだな部分が多かった。ただ未熟な二人の破滅の物語なので芸の未熟さや若さがうまくマッチしている部分もあり、またベテランの強力なサポートを得て思ったほど未熟さが悪い方向にはでておらず今後期待を持たせる出来だったと思う。

まずは仁左衛門が格の違いを見せ付ける。やっぱりすごいよ。上方和事つーのはな、と見せ付けてくれた。八右衛門の仁左衛門さんの存在感、気持ちのいい大阪弁、柔らかさ、滑稽味、そして軽さと色気。歌舞伎のなかの八右衛門は敵役なのだけど、仁左衛門さんの持ち味で愛嬌がある。もうー、なんだよー、すごいよ、と感嘆するしかない。手の内の入ったお役なので軽くとんとんと演じている。言い争いの場はうまい役者はアドリブでこなすんだそうだけど、お見事にアドリブもかましてました。そして未熟な染五郎を受け止める度量の深さが見える。良かったね、染ちゃん、こういう素晴らしい先輩に教わっていけるなんて、とつくづく思った。

「新口村」での父親、孫右衛門のほうは父親として息子愛しさのやるせない気持ち、切ない気持ちがストレートに伝わってくる。陰で聞いているであろう息子に、親としての心情を語りかける所などの台詞がとてもいい。非常に人間味溢れる造詣。ただ以前、雀右衛門さんとの競演でやった「新口村」の時のほうが孫右衛門の父親としての苦しい複雑な想いが出ていたように思う。前回と演出も多少違うのでその部分でまだ少し工夫している最中なのかも。それと雀右衛門さんの梅川の切々と訴えてくる情味が素晴らしかったのでそのコンビネーションの良さのなかでという部分もあったと思う。、ここはこれから孝太郎さんの梅川がその情味をどの程度出せるかにもあるかも。後半どうなっていくか楽しみ。ラストの泣きは上方特有の浪花節的な泣きで、おじさま連中を泣かせにくる(笑)そういや私の父も前に「新口村」を観劇した時、このシーンでだだ泣きしてたな。

さすがと思ったのが秀太郎さんのおえん。本領発揮といったところ。茶屋のおかみとしての崩れた色気。それでいて人のいいおせっかいな部分がしっかりと。若い二人にタイミングよく鋭い突っ込みをしたり、自分も若いときはと回想しつつ自分ツッコミをしたりする場面など、大阪の女だな~としっかり身に付いたものが出ている。また、梅川への思いやりがきちんと情のある人として描いている。女を売り物にはしているけど、預かった女はきちんと世話をするといったおかみ像がほんと素敵だ。この方も未熟な染五郎と孝太郎をしっかりサポートしてくれているのがよくみえる。仁左衛門と秀太郎さん二人の強力なタッグが見事にきちんと歌舞伎座でみせる芝居を作り上げている。

また槌屋治右衛門の東蔵さんが旦那としての大きさと情をみせてやはりうまさを見せる。脇が揃っているとほんと芝居が締まる。

さて、若手二人。

まずは梅川の孝太郎さん。地味ではあるけどある程度手の内にいれている役なので丁寧にしっかりと演じている。恋する女としてのいじらしさ、遊女としての哀れさがきちんと出ている。梅川の性根をきちんとわきまえての控えめながら可愛気な雰囲気がとてもいいし、忠兵衛一筋の健気さが似合っている。ただ色気といったものがあまり無いのが残念だ。忠兵衛と八右衛門がハマるだけの色気が欲しい。また梅川には憂いといったものも必要な気がするけどその部分が出てない。なんというかふわ~っとした柔らか味が少ないのだなあ。上方系の役者とはいえ東京育ちの孝太郎さんには難しい部分なのか。理のほうが先にたつ感じがどうしてもある。「新口村」でみせる孫右衛門への気遣いの優しさは持ち味が活かされてはいるものの、やはりもっともっと情味があっていいかな。ここは最近、雀右衛門さんの素晴らしいものを観てしまっているので、どうやっても較べてしまう。ただ習ったものをしっかりやっていこうとする姿勢は非常に良かったです。

そして染五郎の出来ですがまあ、正直なところ玉男さんの忠兵衛&仁左衛門さんの忠兵衛というかなりハイレベルなものと較べて観ることは出来ない。あそこにいつか追いついて欲しい、それだけだ。ただ思った以上に可能性を見つけられたのがうれしい。

昨年12月の国立でかけた上方和事『花雪恋手鑑』での出来から較べると段違いに進歩している。よく勉強してきたと感心した。柔らか味はやっぱり足りない。ふわーとした空気を醸し出すはんなりした色気のある風情も残念ながら無い。軽さも前半もう少し欲しい。でも品のいい浮世離れしたぼんぼんな雰囲気、そして忠兵衛という人間としての性根はきちんと捉えていたと思う。人としての弱さ、若い恋愛のうきうきした心持ち、男の意地、「ままよ」と開き直り破滅へ向かう時の空虚さ、やったことに愕然とし恐怖に震えながら取り繕う様、そして梅川へ真相を打ち明けての女々しさ哀れさ、逃避行での梅川への思いやり、父恋しさの子供っぽさ、そういう部分をまだまだ荒さばかりが目立つけど上滑りではなく、きちんと出していた。今後しっかり自分のなかで消化して物にしていけたら、良いものになっていくだろう。

八右衛門との意地の張り合いも、そりゃもう仁左衛門さんと全然対等になってないんだけど食らい付こうとする気迫が出ていたし、場面場面でのキメの形もかなり頑張っていた。また声も荒れたままではあるけど思った以上によく出していた。ただ「封印切」の段のラストの梅川に一緒に逃げてくれとかきくどく部分は声の調子が良ければ、もっと切ないくどきが出来たはずと思ってしまうのが本当に惜しい。

「新口村」では和事の雰囲気が足りなくても十分見せられる場なので忠兵衛としては、しどころがあまり無い場面のわりに染ちゃんならではの良さが見えた。梅川を気使うさりげない仕草が非常に良い。梅川と離れてまた手を繋ぎなおすシーンで自分の手に息を吹きかけて暖めてから手を取るという仕草があるのだけど、ここが梅川に冷たい思いをさせたくないといった気遣いに見えるのだ。ちょっとした場面なのだけど、これを印象的なシーンとして見せられるのは染ちゃんの雰囲気ならではのような気がする。この場面は染ちゃんのオリジナルの仕草ではないと思うのだけど、今までは印象に残っておらず見逃していた。また父に会いたくてたまらず梅川の配慮で対面するシーンなどは幼い子供のよう。忠兵衛の子供ぽさがよく表現されていた。