Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第二部』2回目 3等A席真ん中

2005年08月26日 | 歌舞伎
『伊勢音頭恋寝刃』
前回17日に観た時のほうが私好みだったかも。確かに前回よりテンポは良かったとは思うんだけど、舞台に流れる空気感がピリッとしてなかった…。

三津五郎さんは前回同様すっきりと芯の強さがある貢。姿はとてもいいしキメの姿の美しさも十分で、、相変わらず台詞はわかりやすい。でもやっぱりすっきりしすぎるような気がするんだけどなあ。大膳ではかなり色気があるのに、貢には色気があまり出て無い。もっと柔らかさとか色気があるほうがいいなあ。それに後半の狂気と凄みがもうひとつ足りない。妖刀に魅入られる狂気とか、そこからくる冷酷さといった部分があまり体に表れてこない。

勘三郎さんの万野は関西のおばちゃん度アップ。そして愛嬌がたっぷりすぎて意地の悪さが立っていなかった…。あれえ?前回の寂しいまでの底意地の悪さはどこへ?ああいう万野だから妖刀の魔を引き寄せてしまうのだ、と納得いきそうだった部分がなくなってるよーー。浅はかさゆえの貢への意地悪としか見えなくて、憎めなさ過ぎてしまう。なんというか貢は妖刀に魅入られてしまったがために大量殺人をおかすのだけど、その狭間のシーンでのきっかけになる万野は貢の殺意を引き金にさせるだけの「魔」が、人の「魔」を引き出すそのギリギリの部分が、あったほうがいいような気がするのよね。前回、それがちょっと見えそうだったので期待してたのにーー。これはもう私が求める万野像ということなんだけどね。それを前回ちょっと見せてもらったような気がしちゃったのよ…ううっ。

お紺@福助さん、とっても綺麗なんだけどねえ。何かが足りない。貢@三津五郎さんとお紺@福助さんの間に流れないといけない情があまり見えないんだよねえ。これは福助さんだけのせいじゃないと思うんだけど…。


『けいせい倭荘子 蝶の道行』
毒々しい舞台美術と派手な衣装に若干引きぎみだった前回。あまりのキッチュぶりに数日残像が残っていたくらいで…。でもそのおかげ?で2回目にしてすっかり慣れました(笑)。これもありと思って見てみると、あら結構可愛いじゃん、とか(笑)そう思わないと、また美術に気を取られて二人の表情を見逃しちゃうしね…。次回はぜひ武智演出はやめてくださいまし。

それにつけてもこの舞台での染五郎&孝太郎コンビは本当に美しく見える。二人ともどこか儚げな表情をしているせいかしら?前回観た時よりかなり恋人同士の情感が出ていた。かといって表情を出しすぎることもないので甘ったるいクドさもなかった。そして前回より踊りがふわっと軽やかになってよりファンタジックになっていたように思う。ただそのせいなのか後半スピード感はなくなっていたような気が?でもその代わり、蝶の軽やかさが感じられ、今回のほうが蝶の精としての儚さを感じた。

ここからは今回の染五郎&孝太郎コンビの「蝶の道行」に感じた雰囲気をちょっとばかり妄想モードで(笑)。

「けいせい倭荘子」での年齢設定は知らないけど助国と小槙はロミオ&ジュリエットのように二人ともまだとっても若い恋人同士で恋に突っ走った、足に地が付いてないカップルだったんじゃなかろうか。お互いを愛しいと思うその気持ち優先。だからこそ死後、実らなかった恋の強い想いが魂を蝶の精へと転化させたのだろう。特に中盤での現世の時の思い出話の見初めの部分はもろロミ&ジュリだし、夫婦の部分もどことなくままごとのようでまだまだ「恋」だけといった趣があり、どうしてもそう感じる。そしてそれゆえの儚さ脆さが見えたような気がする。

小槙@孝太郎は自ら死を選んだわけじゃなく、だから夢の国へ来てしまったことで助国に会えたことがただただ嬉しい、そんな感じ。後を追った助国@染五郎はまた引き裂かれるんじゃないかと不安そう。現世で添えなかったことの哀しみが絶えず付き纏っているかのようだ。ラストの助国@染五郎の死ぬ場面では魂になってすら許されない恋の哀しさがみえ、それを追うかのような小槙@孝太郎さんはどこまでも一緒にとの切ない思いで寄り添うように死んでいったかのようだった。

余談:あれえ?「けいせい倭荘子」って最近ではいつ上演されたっけ?なんだか観たような気がしてきた??似たような筋の歌舞伎、他にあったっけ?前回の梅玉さん&時蔵さんの「蝶の道行」を観てるだけかな。本筋のほう、なにかひっかかるんだよなあ。


『銘作左小刀 京人形』
左甚五郎@橋之助さんのご機嫌な雰囲気が楽しい。高麗蔵さんの女房おとくがやはりいいなあ。

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第一部』2回目 1等1F席後ろ花道寄り

2005年08月26日 | 歌舞伎
第1部、第2部を通しでみましたが『金閣寺』が一番楽しかったです。演目的になんだかんだと丸本物が好きみたいだ。だから文楽にもすんなりハマったのかも。まずは1部の感想を。

『祇園祭礼信仰記 金閣寺』
ある意味、此下東吉の潜入事件簿(笑)。今回目を惹いたのは前回物足りなかった東吉@染五郎。まだ力みすぎな部分があるなとか、前半はそこはかとなく愛嬌をのせて欲しいなとか、気になるほどではないけど声が高く張るとこが割れちゃって伸びが足りないとか、まあまだまだな部分はあるけれど、三津五郎さん相手に堂々と演じてかなり良い出来だと思った。前回、性根の部分が薄くスマートすぎて印象も薄くなりがちだった部分がしっかり明確に伝わるようになっていた。慶寿院尼がいる場所を気にしつつ引っ込む部分などさりげないシーンにもきちんと表情がのっていた。また見せ場でのキメの姿の美しさとキメる時の間のよさで観客からその見せ場ひとつひとつに拍手を貰っていたのが印象的。また前回より力みが減ったせいか動きに優雅さも見えた。台詞廻しはちょっと重いかなとは思うものの、緩急が非常に良なっていてノリのよさが際立っていた。染ちゃんの義太夫のノリの良さが最近際立つようになってきたと思う。もっと義太夫物をやって欲しい。姿は幸四郎さん似だけどなんとなく初代吉右衛門さんの雰囲気があるように感じたのは気のせいかしらん。

大膳@三津五郎さんはもう安定しているので安心して気持ちよく観られる。本日は色気もたっぷりで前回感じられなかった大きさも見えた。でも、国崩しの不気味なスケールの大きさはまだまだかな。それにしても三津五郎さんの台詞術にはいつもながら惚れ惚れしますな。

雪姫@福助さんはやはり前回同様、前半が可愛らしくて好きだ~。後半はやはりちょっとアダぽさが見え隠れ。大膳のサドっ気に火をつけるにはあれでも良いのかしらん。ただ桜吹雪のなかの立ち姿にかなり風情が出てきたのはとても良かったなあ。でもやっぱり降ってくる桜の量が少ないと思うわ。個人的にはもっとどっさり降らして欲しい。で、爪先鼠をするところをもう少したっぷりやってほしかったなあ。こういう場はたっぷりやりそうな福助さんだけど、今回あっさりぎみのような気がする。あとやっぱり旦那への情がもう少し欲しいかなあ。

狩野之介直信@勘三郎さんは嘆きつつもやっぱりまだ諦めてない感がする。でも雪姫への信頼が非常によくみえてさすが。

『橋弁慶』
前回観た時よりはメリハリが利いていたような感じ。でもやはりもっと勢いとか緊迫感が欲しいなあ。

今回は主役二人より演奏のほうについ気が取られてしまった。長唄、三味線、鳴り物がバランスがよく非常にハリのあるかなり良い演奏でした。

『雨乞狐』
勢いにまかせて、という部分がなきにしもあらずだった狐に柔らかさが出てきておちゃめ度アップ。とても可愛いかったです。あと小野道風にしっとり感も出てきてなかなか。すべてのキャラに品のよさが滲んでいたのも印象的。勘太郎くんの踊りは本当にとても端正ですねえ。

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第三部』2回目 1等花道外後方

2005年08月20日 | 歌舞伎
『法界坊』
前回14日に3等A席で観劇したときより楽しんで観ることができた。芝居全体にメリハリとまとまりが出てきたのと勘三郎さんの調子がかなり良くなってきた、ということもあるが、座席の問題も大きいとも思った。近くで観てようやく、なるほどそういう芝居もやっていたのか、と納得したり、表情が細かくころころ変わる様を楽しんだり。特に1幕目、2幕目はそれが顕著だ。でもなんといっても前回同様本当に楽しんだのは「隅田川の場」だったんだけどね。今回観た勘三郎さんの双面の気迫は素晴らしいものがあった。この大喜利の場だけでも満足できそうなくらい勘三郎さんの圧倒的な舞台支配力にほれぼれ。その代わりバランス的に他の役者がちょっとかすんでしまった感はあるけど、それは仕方がない。

それにしてもやはり今回のこの演出は小さい小屋向けだと思った。この演出の芝居をきちんと臨場感溢れるものとして楽しめるのは桟敷席と1等1階席と2階席前方の客だろうなと。もちろん他の演目でも役者の肉体を身近に感じる席で観るとかなり満足度が高くなる。それの部分を抜かしても、今回はあまりにもこじんまりと舞台を作りすぎ。個人的な好みだろうがまず舞台上の人形はいらない。ドッキリさせる演出もあるけど、ただのおまけみたいな演出だ。あの演出が無くても十分面白く出来る。それとやっぱり舞台から降りた役者たちをそのまま下で芝居させすぎ。通路として使うのは全然ありだ。全部舞台上でやれとはいわない。1階席の客の特権はあっていい。だけど、場の情況を見せる場まで下にいさせるのはあまりいい手法とはいえない。小芝居は近くで見るとダイレクトなノリとして伝わるし、前回でこういうのがあるのかと判ってみていたせいもあるけど、さほどうるさくは感じなかった。それと全体的に役者の雰囲気がまとまってきたため浮くことがなくなってきたせいでもあると思う。ただやはり内輪ウケのノリに付いていけるかどうかという部分は無きにしも非ず。

さて、主たる役者や気になる役者個々に言及するのが私の感想の流儀なので前回あまり気が乗らなかったのだけど今回は頑張って書いてみる。(前回含めての感想です)

法界坊の勘三郎さん、なんといっても場の支配力や人を惹きつけるオーラが見事。ただ今回あまりに愛嬌をのせすぎのような気がする。1幕目はそれで十分だと思うのだけど2幕目にそれを引きずりすぎ。2幕目に法界坊の人としての嫌らしさや恐さをもっと見せつけたほうがいいと思う。1F席の近くで観た時に実は結構表情に嫌らしさを見せてるのはわかったんだけど、それでも「笑い」に走りすぎて凄みがきかないのだ。2幕目に霊になってまで執着をみせる嫌らしさを強調できたら大喜利の場が唐突でなくなるはず。せっかく双面での切り替えや異様さを見事に表現されていて緊迫感ある素晴らしいものを見せてるからなおさらそう思う。

要助の福助さんがきちんと男になっていたのが意外。真女形が立役をやるとみょうになよなよして男に見えなかったりするのですが福助さんははんなりした風情のなかに骨太さもありました。しかしこの要助はすべてにおいて他人事のような表情をしているのです。勘十郎にいたぶられるときですら、どこか浮世離れ。そこが面白い味わいでした。

番頭正八の亀蔵さんはなんというか、もうこの怪演はアリで結構です、そのままいっちゃってください、という感じでした。あの異様な動きにはビックリ。何度見ても驚いてしまうし、笑えるし。でもこの不気味でおかしな動きがきちんと番頭のいやらしさを体現しているところが見事だなと。

勘十郎の勘太郎くんはお父さんに声や間の取り方が似てきた。コミックリリーフとしてなかなかの出来。ただ、この役には若すぎる。最初3Fで観たときはなかなかインパクトがあって、こういう役も出来るのねと感心したのだけど、そのインパクトが無くなり1Fでみると、勘十郎という役が持ついやらしさとか執着心とかがあまり出てない。品が良すぎるのだろう。ただ、この年齢でこういうコミカルな役をここまで演じられる資質に「次期の勘九郎」という文字が脳裏に浮かぶ。女船頭おさくは丁寧に演じている。

野分姫の七之助くんは可愛らしかったです。堅さがおぼこな姫らしくて、何かといえば短刀で自害しようとする少女まんがちっくな表現が様になっていた。私は七之助くんの女形の硬質な高い声がわりと好みです。

甚三郎の橋之助さんはこういう役回りを演じると本当に活き活きとしてくる。素直に二枚目だねえと思った。今月は橋之助さんは1~3部すべてで持ち味が活かせる役まわりだった。だがその持ち味ををきちんと活かしきれるかは役者の実力。そういう意味で今月は非常によかった。

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第一部』 2等2F席下手寄り

2005年08月20日 | 歌舞伎
『祇園祭礼信仰記 金閣寺』
舞台装置と衣装が華やかで登場人物も姫は姫らしく可憐で一途、悪役は悪役らしいふてぶてしさで、正義の人は知恵者で身が軽く、悪役実は正義の人の鮮やかな切り替えとそれぞれが「らしい」いかにも「歌舞伎」といった時代物。役者の魅力で見せる出し物の一つ。

今回はなにより大膳役の三津五郎さんが上手さを見せた。大膳という役は単なる悪役ではない。国を動かそうとする大きさ、そして邪悪だが姑息、子供っぽい愛嬌もあり、そして女をいたぶる部分に色気もなくてはいけない。かなり難しい役と思うのだがしっかり見せてくれた。それにしても、三津五郎さんがやるとなんとわかりやすくなることか。とにかく台詞が明快、かつどういう人物なのかという表情も明快。楷書の演技とはこういうことを言うのだと思う(楷書というと幅がなさそうなイメージだが、そういう意味の楷書ではない。名人の楷書だ)。三津五郎さんの大膳は不気味な大きさといったものは残念ながらまだ無いのだが、その代わり憎めない愛嬌ある色気が出ており、また見得の決まりが美しい。それと時代に張る声が本当に良い。太くてハリがあり調子もある。小柄でありながら荒事をニンにできるのはこの台詞術のおかげもあるだろう、見事だ。

雪姫の福助さんは前半がとても可憐で美しかった。佇まいに品があり切ない表情に哀れさが見えた。声が随分と復活してきたようで、まだ高音の伸びは足りないけど、可愛らしい声がだいぶ出てて一段と姫らしさが引き立った。おずおずと大膳の元を訪れる風情も愛らしい。ただ、後半が色気を出しすぎのような気もする。表情が豊かすぎるというか、大膳との立ち回りや踏みつけられる部分の表情に姫らしからぬ陶酔した崩れた表情が見え隠れする。それが福助さんの魅力でもあるんだけど、雪姫に関してはもう少し硬さのある色気が欲しいような…。あと旦那一途な情が少し薄いような感じがする。追い詰められてどうにかして、というより「私がなんとかしてやる」という意思の強さ。まあこれもありだけど。ここら辺は解釈方法だろうから好みの問題かな。桜吹雪が舞うシーン、桜が少ないと思ったのは私だけ?「桜が多すぎないか?」という感想が多いみたいだけど、雀右衛門さんの時はもっと多かった。かき集めてねずみを描くのだもの、多くなくちゃね(笑)ただ、桜の塊が落ちてくるのはいただけない。スタッフの人、もう少し頑張って!

正義の味方、此下東吉に染五郎。悪の大膳と正反対の役がこの東吉。爽やかで真っ直ぐ、そして智恵も回り、身軽でかつ武芸に秀でて強いというまさしくヒーロー。いやあ、これは染ちゃんのニンですな。爽やかで機知に富み、という役を体現する凛とした姿。声もだいぶ前に出るようになって爽やかな台詞回しがなかなか心地よい。張るときに少し割れるのが残念だが、ひゅっと裏返る声が前は聞きづらい台詞回しになりがちだったのに、その声できちんと聞かせるようになっている。それと義太夫のノリが非常にいいし、ひとつひとつの動作が丁寧で美しい、ちょっとした裾捌きがきれいに決まるし、見せる。こういう部分で目を惹くようになってきたのねえ。時代ものらしい重厚さがありつつ、颯爽とした真っ直ぐな若々しい正義感がある。んが、やはり足りない部分も。一生懸命勤めているゆえにか、ちょっと硬すぎる。あまりに真っ直ぐすぎてそれじゃ大膳を騙せないだだろうと。最初は大膳に取り入ろうとする愛嬌が必要なのでは?もう少し柔らか味があったほうがいい。へりくだる部分が中途半端なので本性を現す部分での落差の面白みが減る。大膳のほうに愛嬌があるからなおさらもっと可愛らしい愛嬌が必要なんではないかしらん。そこに色気が加わると最強。

橋之助さんの佐藤正清は押し出しが強くて姿はいいがもっと最初は憎たらしい部分がほしい。なんとなく人のよさが見え隠れする。悪役実は…の差があまりでない。この方は姿形はとても良いのでもっと悪の部分をしっかり出せるようになれば一皮向けて大きくなりそうなんだけどなあ。

狩野之介直信の勘三郎さん、はんなりした風情と華はさすがだと思うが絵師にはみえないかな。雪姫が助けなくちゃと思わせるような切ない雰囲気があまりない…実は強そうとかに見える。

『橋弁慶』
人気者若手二人の共演。初々しさはあるけどまだまだこれから、かな。

七之助くんの牛若丸は外見がとても「らしく」ていいけどもう少し隙の無さとかそういう緊張感が欲しいような。

獅童さんの弁慶は姿が大きいし声も良いし、見た目はバッチリ。キメの部分も頑張ってるのはわかる。けどぎこちなさのほうが目立つ。未熟でもそれなりの気迫が込められたものがあればいいのだが残念ながら伝わってこなかった。役者としての資質はかなり良いと思うのでもう少し頑張ってほしい。

『雨乞狐』
踊りの名手といわれる勘太郎くんの躍動感溢れる楽しい演目。120%の力を出し切ってやっているんじゃなかと思うほど一生懸命に踊る姿がすがすがしい。そしてひとつひとつの動作が本当に美しい。手先、足先にまで神経が行き届いている。また5変化する役どころでがらりと雰囲気を変える表現力も見事だ。しっとりしたものでもきちんと空間を埋めることができるのが天才といわれるゆえんだろう。小野道風、狐の嫁での踊りは芝翫さんのほうの血を感じた。お父さんにはない風情がある。

東京国立近代美術館フィルムセンター 記録映画『一谷嫩軍記』「熊谷陣屋」

2005年08月17日 | 舞台関連映像(映画・TV・DVD)
昭和18年の7世松本幸四郎が弁慶をしたDVD『勧進帳』を観たときに感じたのだが、この時代の歌舞伎の人物造詣は非常にリアルだ。言葉のひとつひとつ、そして表情のひとつひとつに説得力がある。なんというか人物描写の陰影が濃く、役の性根の幅と深さが感じられる。個々のキャラクターそれぞれが本当に生きた人間として役がたちのぼってきているかのようだ。とても惹き付けられ、圧倒させられた。

初代吉右衛門さんの熊谷は押し出しが強いわけではないのだがとても品格があり、その押さえた表情に男としての豪胆な強さと内に秘めた情の深さがみえる。そして型が手順になっていないのに驚く。気持ちがあってそのうえで型がある感じ。見得なども極める寸前で止める感じであっさり。そのかわりその動きは非常に美しい。心情と動きがまさしく一体となって流れている。それにしても、花道での引っ込みの素晴らしさににはただ感嘆し涙するしかない。我が子を自分の手にかけた、その悲痛な気持ちがここで爆発する。とても押さえられた表現なのに心のなかで泣いているのがみえるのだ。これを書いていて映像を思い出すだけで涙がこみ上げてきてしまう。

歌右衛門さんの相模は武家の女としての凛とした強さと母性を兼ね備えた女性であった。とてもしなやかで色気がありながらもしっかりとした芯の強さを感じる。この方の動きは一種独特のものがある。特に手の動きが印象的でそこから女としての情念が醸し出されているかのようだ。(蛇足だが、相模役の私的ベストは雀右衛門さん。歌右衛門さんの相模を見てもそれは変わらなかった)

弥陀六役の白鸚さんはまだこの時40歳代だと思うのだけど、しっかり老人としてそこに居た。そして骨太で隙の無い存在感のある弥陀六だった。なんか、すごいね、この方は。そこにいるだけで存在感があって、そしてちょっとした場も見せ場にしてしまう。敦盛が入った葛籠を担ぎ上げようとするその瞬間、葛籠の重みが手に取るようにわかる。たったそれだけのシーンなのに凄みすら感じた。敦盛という存在がそこに現れた瞬間…。

義経役の17代目勘三郎さんの武将としてのどっしりした重みも印象的。


一谷嫩軍記(107分・35mm・パートカラー)
東京劇場を1950年1月28日と29日の2日間借り切り、初代中村吉右衛門(1886-1954)の当たり狂言「熊谷陣屋」を撮影した記録映画(撮影前日までは17世中村勘三郎の襲名披露興行が同劇場で行われていた)。マキノ正博が監督、岡崎宏三等がキャメラを担当しており、キャメラ8台(9台という記録もある)を操作しながら同時録音で撮影された。タイトルバックと見せ場のワンシーンのみカラー映像になる。使用されたフィルムは翌年1951年に公開される初の長篇カラー作品『カルメン故郷に帰る』で本格的に用いられたリバーサル方式の「フジカラー」である。(素材提供:川喜多記念映画文化財団、復元作業:育映社、IMAGICA)

’50(プレミアピクチュア)(監)マキノ正博 (原)並木宗輔 他 (撮)岡崎宏三 他(出)中村吉右衛門(初代)、中村芝翫(6代目中村歌右衛門)、松本幸四郎(初代松本白鸚)、中村勘三郎(17代目)、澤村訥升(7代目澤村宗十郎)、中村又五郎、中村吉之丞




歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第二部』 3等A席真ん中上手寄り

2005年08月17日 | 歌舞伎
『伊勢音頭恋寝刃』
夏狂言として知られる廓を舞台にしているこの演目。団扇、浴衣姿といった風俗描写が涼を呼びまた残酷な殺しの様式美の陰惨さで心も冷やす。

貢に初役の三津五郎さん、白地の絣の着物に黒の羽織姿がよく似合う。和事の柔らかさのなかに一本筋が通った二枚目「ぴんとこな」と言われる役。三津五郎さんはかなりすっきりと芯の強さが表に出ている。伊勢の御師(下級神官)ながら武士という面を強調しているのでお家騒動に絡む話というのが非常にわかりやすい。三津五郎さんは役を理詰めで表現するような部分があり、それが話の本筋を際立たせるのだと思う。その丁寧な演じように小ささを感じることがあったのだが、最近はそこに大きさが加わって見ごたえのあるものを見せてくれるようになったと思う。ただ、今回の貢に関しては理知が勝ちすぎて、短絡的にカッと頭に血がのぼるタイプに見えないのが残念。この人ならば冷静に対処できるんじゃ?と思ってしまう。それに妖刀に魅入られる部分の凄みがまだちょっと足りない。すっきりしすぎているんだよな。もう少し柔らかみと人としての甘さがあるほうが説得力ができると思うんだけどな。

貢をいたぶる仲居万野にやはり初役の勘三郎さん。意地の悪さのなかにも勘三郎さん持ち味の愛嬌がそこはかとなく感じられ妙な色気があるのが良い。人をいたぶり人間の醜さをあらわにすることに喜びを見出し、相手を自分の心の醜さと同じところにまで引き下げることで自分を支えてるかのような、そんな哀れな女にも見えた。なんとなく寂しい雰囲気を漂わせているように見えたのは気のせいか。貢を追い込む部分ではもっと女のねちねちした嫌らしさがあるほうがいいかなあ。いやーな女、にまではまだ至ってなかった。こういう部分は女形がやるほうが嫌らしさが出るのかな。

お紺役の福助さん、風情があって姿も美しかったのだがどことなく精彩に欠いた感じがした。丁寧に演じているとは思うのだけど貢に対する想いがあまり出ておらず、愛想尽かしに緊迫感がなかった。何か遊女としての暮らしに疲れ果てて投げやりになってるようなお紺にみえました。福助さん、こういう役は得意だと思うのだけど…。今年いまひとつ乗り切れてない感じがしますね。

お鹿役の弥十郎さんは思ったより可愛らしいお鹿を造詣してました。大柄でごつい方なのでかなり滑稽味が出すぎてしまうのでは?と心配していたけど、お顔を作りすぎなかったのがよかったのかもしれません。きちんと女になっていたのは見事。ただ、やはりまだ女の哀しさや意地といったものがまだ薄いですね。でも、立役ばかりの弥十郎さんにしてみたらかなりの出来だと思います。

喜助の橋之助さんはこういう役が本当にハマる。粋で愛嬌もあって、芯の通った正義感がみえる。私的に今年になって橋之助をかなり見直した。これであともう一段大きな役で良いものを見せてくれるといいなあ。

お岸の七之助は可愛らしかったです。心配げな台詞も廻しもなかなか。立ち振る舞いはまだ硬いですが、女形としての資質が非常にあると思う。

全体としては亀蔵さん、錦吾さんなどの脇が揃っていたせいもありなかなかまとまった良い芝居でした。脇がきちんと仕事をしてくれていると見ごたえがでます。


『蝶の道行』
ええっと、あのキッチュな舞台美術と衣装はなんですか?思わずのけぞりそうになりました。悪趣味すぎてインパクトはありますがっ。美術と衣装が殺しあってるし、どうにもこうにも…。曲と踊りはなかなか良いものだと思うので美術と衣装をどうか再考してシンプルにしていただきたく…。

踊りのほうは染五郎と孝太郎さんがしっかり世界観を作り上げており、二人とも非常に美しくみえました。染五郎は助国というキャラクターに哀しさを纏わせて憂いを見せ、ラスト哀しさのなか息絶えていったような感じであった。わりと最後のほうはケレンもある踊りだけどヘンに過剰にしなくてすっきり踊っていたのがよかった。この日は回転で軸のバランスを崩しちゃったとこもあったけど、次のとこで見せ場をたっぷりやりそうなとこを我慢して押さえて踊っていたのが非常に好感。美術と衣装がくどいので、あのくらい表情を押さえて端正に踊ってくれたほうがいい。孝太郎さんの小槙は可愛らしく、華やぎがあった。染ちゃんが表情を押さえている分、恋する娘の表情を出していたように思う。これ以上、この二人が表情たっぷりに恋人同士の情感を出したらくどすぎるだろう。このまま端正さを失わないでいってくれるといいな。それにしても染ちゃん、痩せたかな?またまた美人さんになってる。

しかし考えてみたら蝶の精になった悲恋の恋人同士が地獄の火責めというコセンプトもすげーな。それにしても、この踊りは素踊りで見せてくれたほうがよほどこちらに訴えかけてくるんじゃないかと思ったよ。


『京人形』
こちらの踊りは舞台がすっきりとしてて内容も楽しいものなので気分転換によかった。人形の名匠、左甚五郎の橋之助さんがきびきびとキレのいい踊りを見せて気持ちがいい。扇雀さんは踊りが上手いという感じはしなかったけど人形ぶりは本当の木彫りの人形という感じで楽しかった。左甚五郎の奥さん(高麗蔵さん)は物分りがいい奥さんだねー。なんというかオタクな旦那を暖かく見守る奥さんって感じ(笑)

歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第三部』「法界坊」 3等A席後方下手寄り

2005年08月14日 | 歌舞伎
5月、7月に引き続き外部演出家の歌舞伎公演。野田さん、蜷川さん、串田さんという演出家の歌舞伎を見てきて、野田さんの演出家としての個性って凄いものがあるんだなと思いました。野田さんは役者たちを野田色に染めていた。蜷川さんと串田さんはわりと役者の個性を大事にしている感じを受けました。私としてはどうせなら「歌舞伎」を演出家の色に染めちゃえば面白いかもという期待感を持っているようです。そういうスタンスでの観劇でしたので、平成中村座の歌舞伎を観るという視点が人とちょっと違うかもしれません。ああ、私ったら言い訳から入ってますね。でも自分の偽らざる感想をきちんと書きたいので書きます。

『法界坊』
串田演出の歌舞伎を生で観るのはコークン『桜姫』に続いて2度目。ビデオでは平成中村座『夏祭浪花鑑』、コクーン『三人吉三』を観ております。串田さんの場合は古典歌舞伎のエッセンスを大事にしつつ、「今」に通じる臨場感を出そうとしているような気がします。ただ生で拝見した『桜姫』と今回の『法界坊』、2作品を観た限りではわりとこじんまりまとまっている感じがしました。ビデオで観た2作品からのイメージではもう少しダイナミックな臨場感があるのかなーと期待していたのですが…。

なんというか『法界坊』は「隅田川の場」以外は小劇場系の芝居という感じが。元々小さい小屋用に演出したものだし、昔ながらの大衆演劇である歌舞伎を再現ということであれば正しい方向性なのだろうか?確かにそれを「今」に再現するのであれば小劇場系にならざるおえないのかなと思いますが…。まあ確かに大衆演劇たる歌舞伎にはなっていました。周囲の観客の頻発する大笑い、大声でのツッコミ、そして一緒に歌を歌う方までいました。もしかしたら私のなかで、こういう観客に驚いて少し引いてしまった部分があるのかもしれない。

でも歌舞伎座でかける時点で大きい小屋向けの演出に変えていく必要もあるのではないかしら?と私は思ってしまうのだ。うーん、この演目は初見なので見当違いなことを言っているかもしれませんが…。

それにしても役者たちに小芝居をさせすぎではないでしょうか?全員に小芝居をさせ、笑わせようとし、それを延々に繰り返す。かえってメリハリがなくなり笑えるものも笑えなくなってしまいました。なんというか笑いの緩急が全然無いんですよね。終始、どこかで笑わせようとする姿勢がみえすぎるというか。小さい小屋で観れば、役者たちの表情や勢いで臨場感を感じられたと思うのですが、今回3Fから観た限りではそれほど勢いのある臨場感も感じられませんでした。

面白くなかったというわけではないのです。間の上手さや、動きの面白さに思わず笑ってしまう部分は多かった。でも全体として「ああ、面白かった~」という満足する笑いでもなかったのです。『法界坊』は喜劇ではあるけど、怪談でもあって、その筋立てを読む限り、欲と恨みの得体の知れない恐さも、もう少し際立たせてもよかったのではないでしょうか。そうすることによって笑いもその場の雰囲気だけの笑いにならず、また「隅田川の場」も生きてくるのでは?。正攻法で演じられた最後の場が一番ダイナミックに感じられ面白く感じてしまった。これでは頭の固い歌舞伎ファンのようではないか、と自分にツッコミを入れつつも、正直なとこそう思ってしまったのだからしょうがない。いったい、なぜ私が不満に思ってしまうのか、まだ自分のなかで消化しきれていない。1等席でもう一度観るのでそれまで考えておこう。

ちなみに5月の野田さんの『研辰の討たれ』はかなり楽しんだし、小劇場系芝居が嫌いなわけではなく、むしろ好きな部分もある。劇団☆新感線が好きなくらいだからね(笑)。それに串田演出が苦手なわけでもない。現代劇『コーカサスの白墨の輪』は面白く観たし。たぶん、今回何か違うものを求めてしまっていたのかもしれない。勘三郎さんの法界坊が『研辰の討たれ』の辰次と似たキャラクターだったので新鮮味がなく見えてしまったという部分もあるのかな。菊五郎さんか吉右衛門さんでの『法界坊』を観て見たいとちょっと思いながらみてました。

仮面での吹き替え

2005年08月03日 | Memo
7月歌舞伎座『十二夜』で主膳之助と琵琶姫を同時に並ばせる時、吹き替えの役者に菊之助さんの顔の型を取った仮面をかぶせておりました。角度によって仮面のふちがハッキリわかるのと、表情が無いということで仮面だと気が付かれた人も多かったと思います。一人何役かこなす時に仮面での吹き替えをしたのは私が覚えている限りでは歌舞伎座で玉三郎さんが演じた『於染久松色読販 新版お染の七役』の時からだったような気がします?もっと前からやっていたことがあるのでしょうか?

(踊りで立場を変化させるために隈取の仮面をかぶっての取替えはあったような記憶はありますが、これはいわゆる吹き替えということではありせんし、使い方の意味合いが違うと思うので、こういう場合を抜かして。)

さて、この仮面での吹き替えは私はいまのところ効果をあげるどころか反対に早替わりの効果を半減させていると思うので賛成できません。しかも、仮面という無機質なものを見せられると違和感が残ります。言い方が悪いかもしれませんが不気味。今まで歌舞伎では吹き替えを仮面を使わず効果的に使ってきたと思います。あまり似て無くても、同じ人だと認識さえさせれば人間の脳は簡単に「似てる」と判断してくれるものです。ちなみに玉三郎さんの時の仮面での吹き替えは不評だったと思うのですが…少なくても私の周囲および、Web上の感想では大半がそうだったように思います。


今回の『十二夜』でいえば2回ほど並ぶシーンがありましたが吹き替えは2回とも主膳之助のほうでした。私はすぐに仮面と知れて、あーあ、仮面かとがっくりきました。なので、仮面の表情のなさへの違和感のみが残りました。ただ私の感想は別として、仮面と気が付かなかった方もいらっしゃいます。気が付かなかった方は吹き替えの役者さんが菊之助さんに非常によく似ていると思われたようですが、ここにも実は弊害がありました。

ここは主膳之助→琵琶姫への早替わりを見せる場でもあったはずですが、残念ながら早替わりの効果を見せることは出来ていませんでした。この一端は仮面での吹き替え。一瞬、どちらがどちらか判らないのでは、早替わりの意味が無いのですよね。最初から二人並べてても今回、場の見せ場としてそれほど変わらなかったと思います。せっかく、菊ちゃんが頑張って着替えてるにっ、と思ったのは私だけではないはず。まあ、これは仮面のせいだけではなく、どちらかというと早替わりを見せる演出方法が悪かった部分が大きいとも思います。それは別の機会に。

『新口村』でなぜ笑うのか?

2005年08月01日 | Memo
NHK『芸術劇場』で6月上演された『恋飛脚大和往来』の『新口村』がさっそく放映。
早すぎない?要望が多かったのかな?はて?

で、観てて思ったんだけどこの録画日では笑いが聞こえなかったのでホッとしたのだが「覚悟極めて名乗つて出い」で思わず忠兵衛が戸口から出てきてしまい、「今じゃない、今ではない」という孫右衛門の切ない台詞のシーンで一部ではあったけど客席から笑いがこぼれて気になっていた。なぜ笑えるの?どこが笑えたのか知りたいよ。

浄瑠璃のこの↓シーンです。歌舞伎もほぼこれにならってます。これ読んでも笑えるのかなあ?

「懐しい子の顔を、見ぬやうに、見ぬやうにと、雑行ながら神たゝきも、不便さからでござるはい不便さからでござるはいの。アヽとは云ふものゝ、若死するも人の一生。義理ある親を牢へ入れ、おめ/\と逃げ隠れは、末世末代不孝の悪名。所詮逃れぬ命なら、一日なりと妙閑殿を、早ふ牢から出すのが孝行。サヽヽヽヽヽ覚悟極めて名乗つて出い/\アヽ今じやない/\。今の事ではないはいやい。シタガそれもどうぞ親の目にかゝらぬところで、縄かゝつてくれヨ」