Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

サントリーホール『エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル』D席2階P席

2006年04月26日 | 音楽
サントリーホール『エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル』D席2階P席

とりあえず、すげ~が感想(笑)テクニックがとにかく凄いんですよ。また音色の多彩さにビックリ。音がひとつひとつクリアなのに流れるようにひとつにまとまって広がっていく。音色が非常に多彩でさまざまな印象を残す。鋭角な輪郭のある音ではなく強い音でも非常に柔らかで丸みを帯びている。とても繊細なんだけどパワーがありました。また集中度がかなり高くとてつもなく緊張感がある演奏。

情感溢れるといった演奏ではなくて、心の琴線に触れるとかそういうものではないんだけど意識下に何か残す不思議な個性の持ち主。感性で弾くタイプではなく、とても素直で真摯に楽譜に向き合い、表現している風に感じる。超絶テクニックでとてつもなく美しい音色を聴かせる割に自分の感性を表に出すのが苦手そうな不器用そうな感じを音から受けたのだけど、どこか感覚的な部分になんとなくユニークなものを感じる。まだ彼自身の強い個性というものが表に表れていないのだけど。音に投影された生ぽい感じを受けるキーシンの曲の解釈が妙に気になるのよね。それにしてもこれほどのハイレベルな演奏家でこれぞという個性が固まっていないのは珍しいのではないかしら。色がまだ白なのだ。子供のようと言ったら失礼でしょうか。どこか純真すぎるものを感じます。でもどことなく自我の萌芽が感じられた瞬間があったような感覚。私はキーシンさんのCDは聴き込んではいますが生演奏は初です。だからそんなことを言うほど知っちゃいなんですけど、でもね「意識の変容」を感じたんです。あと3~4年経ってからまたキーシンさんの演奏を聴きたいと思います。

私が何かを感じたのはベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 op2-3』。演奏としてはBestな出来と感じるまではいかなかったんです。特に第一楽章は篭った感じで伸びが足りず第二楽章でようやく音が澄んできたもののちょっとテンポの作り方が独特で、何かが違う。私のイメージするベートーヴェンとは少々違うものでした。そしてたぶん、曲想とは違うであろう、非常に混沌とした焦燥感みたいなものとそこから抜けようとする意思みたいなものがうねっているように感じたのです。ひどく不安定な感覚と研ぎ澄まされコントロールされた力。とても気になる印象的な演奏でした。

ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 op81a「告別」』 はきらびやかで力強く、伸びやかな音が繰り広げられる。ベートーヴェンらしいドラマチックさのなかにどことなく甘さのある素敵な演奏。

ショパン『スケルツォ全4曲』はとにかく真直ぐな演奏で甘さがない。あまりの多彩な音色にただ聴き惚れていました。あまり考える余地なしというかどんな音を繰り出してくるんだろうかと曲を聴いたというより音を聴いたという感じでした。

アンコールはほぼ1時間…。これには本気でビックリ。演奏が凄いので観客は賞賛の意味で拍手を続けただけで、アンコールを要求してたわけじゃないと思うんですよ。私も実際、アンコール曲を期待してたわけじゃないし。キーシンさんは律儀に観客のいる全方向にいちいち向いておじぎをしてくれます。その誠実さの表れなんでしょうか、拍手が続く限りアンコールに応え弾いてしまうという感じが…。それが続くと後半、キーシンさんが何かピアノにとりつかれてしまったかのごとくにみえて、大丈夫なのかなあと思ってしまいました。でも可哀想かなと思いつつ結局私も最後まで拍手し続けちゃいましたけど(^^;)

ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第3番 ハ長調 op2-3』
ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ第26番 変ホ長調 op81a「告別」』
ショパン『スケルツォ全4曲』

アンコール曲:
シマノフスキ『エチュード 変ロ短調 op4-3』
ショパン『エチュード 嬰ハ短調 op10-4』
リスト『ハンガリー狂詩曲 第10番』
モーツァルト『トルコ行進曲』
ショパン『ワルツ 第7番 op64-2』
ショパン『小犬のワルツ』
ブラームス『ワルツ 第15番』

御園座『陽春大歌舞伎』2等2階センター/1等1階前方センター

2006年04月23日 | 歌舞伎
御園座『陽春大歌舞伎』2等2階センター/1等席前方センター

4月22日(土)と4月23日(日)の二日連続の鑑賞です。まとめて感想を書きます。

1日目はまずは舞台全体を俯瞰してみたかったので2等席を取りました。2階7列目センターでしたが花道も七三は確実に見え、歌舞伎座2階席より断然観やすかったです。ほぼストレスなし。2日目は奮発して特別席。2列目センターで、前すぎかな?と危惧していたのですが、舞台自体が歌舞伎座より低めに設置されているので首も痛くならず、脇や奥が見切れることもほとんどなくかなりの良席。歌舞伎座で4列目~5列目あたりのイメージかな。御園座は趣があまりない劇場でしたが見やすさでいえばかなり良い劇場でした。

『梶原平三誉石切』
染五郎が初代播磨屋型の基本で演じる。梶原平三@染五郎は色んな部分で若い梶原でしたが思った以上に素敵でした。きちっと基本の部分を丁寧にしっかり演じつつ、染五郎ならではという部分もあり、とても爽やかでやんちゃな可愛らしさがある梶原。

花道の出がなんとも華やか。立ち姿の背筋のラインがとても美しく、いつもより大きく見えた。いかにも爽やかで品のいい梶原平三。線の太さはないものの無理に作りこむことなく等身大の正義感と知将としての存在感をみせました。染五郎らしい、と思ったのは刀の目利きの場面。見た瞬間に「良い刀だ」と惚れ惚れする様で目をキラキラさせて、いいもん見せてもらってますという表情をしてみせるのだ。いわゆる刀オタクって感じが全身から滲み出ている。そこがなんとも可愛らしく男の可愛らしさがある。二つ堂を試す場での刀を扱う細かい手順の手捌きは丁寧。幸四郎さんや吉右衛門さんのようにメリハリのある手捌きとまではいかないが、集中度が高いので印象を残す。

六郎太夫親子の訴えを聞く場はじっと受けの芝居。ぐっとハラで受けるという部分はいかにも若く、誠実に聞いているという風情はあるもののもう少し心情が滲みだしてくるといいと思う。少々クールな感じを受けてしまったのでもうちょっと濃くてもいい。自分の立場を明かす場ではその若さも悪い方向にはいかず、若さゆえの正義感にもみえて、そのやんちゃさのある愛嬌が色気にも通じていた。石切では気合が入って背中でもきちんと見せていた。ただ、そのあとの「刀も刀」のノリはもっと大きくやってもいいなあ。あそこは大げさにやるくらいのほうが楽しくっていいです。22日拝見の時には「役者も役者」の大向こうがかかりました(ちょいとタイミングが悪かったけど)。

幸四郎さんに習ったのだとは思いますが所々、吉右衛門さんを彷彿させました。友たちは仁左衛門さんにも似ていると言っていました。演じ方は全然違うし、私は幸四郎さん×吉衛門さんミックスプラスアルファ染個性かなとしか思わなかったのですが、確かに凛と背筋が伸びた立ち姿と品のいい色気が仁左衛門さんとダブるところがあったのかなと思いました。

大庭三郎景親@歌六さん、この方は二月歌舞伎座での六郎太夫が非常にいい味を出されていましたが、今回はがらりと変わって悪役。やはり上手い。悪役としての底の浅さがありながら武将としての品と大きさは失わない。主役を立てる控えぶりのなかで存在感を失わずにいる。今回この役だけなのがかなりもったいない。

俣野五郎景久@亀三郎さんは赤っ面が似合い憎々しげな表情をよくつけていた。太くよく出る声が役柄にも合いとても良かったです。目線がたまにちょっとウロウロしがちなのでその部分を極める時に合わせてくるともっといいかな。このところ、亀三郎さんは個性が出てきていい役者さんになってきたなあと思う。

六郎太夫@錦吾さんはいつも通りの手堅い出来。しかし、このところピタッと役にハマることが多かった錦吾さんにしては印象は薄い。気概のある一本筋が通った人物という部分はとても良かったのだが、父としての情愛の部分があまり出ていなかった。梢のことを思う父親としての切なさ優しさをもっと表現してほしかったな。錦吾さんが筋書きでおっしゃっているように六郎太夫という人物を演じるのは難しいんだろうなあ。

梢@高麗蔵さんは楚々としたはしこい娘。とても丁寧に演じていたのだがこの方のすっきりとした持ち味が裏目に出た感じがしました。娘らしい可愛らしさと色気、また父を心配する情の部分などが、もうひとつ足りない。最近の梢は芝雀さんとか福助さんとか濃い情をみせる役者さんで見てきたせいもあり、もっと情の濃い梢を求めてしまう。

余談:二月に歌舞伎座でかけた幸四郎さんの変形バージョン『梶原平三誉石切』が思った以上にかなり演出を変えていたのだとあらためて思った。幸四郎さんのはよりドラマチックに昇華されていたのだなあ。あれは今現在の幸四郎さんの実力&歌六さんの演技力&芝雀さんの健気な可憐さがあってこそのバージョンだった。このあいだの1回きりのバージョンになってしまうのだろうか。ちょっともったいない気がしてきた。


『本朝廿四孝・狐火』
芝雀@八重垣姫がまさしく赤姫らしいおっとりとした品のよさと芯の強さを見せ、また踊りもかなりの頑張りようで非常に良い出来。琴を入れた常磐津の演奏で、構成もこの一場で独立して見せられるようになっておりほぼ新作といっていい舞踊劇でした。30分ほどの短いものですがとても華やかで見せ場もたっぷりあり、これは今後定番演目になっていけるものだと思う。

芝雀さん渾身の出来と言っていいのではないかと思います。八重垣姫としての恋心の切々した心情がまっすぐに伝わり、なんともいじらしくまさしく赤姫としての存在としていました。「翼が欲しい、羽が欲しい、飛んで行きたい」の台詞に切なさと焦燥感と芯の強さと、そういうものが凝縮されておりました。そして衣装の引き抜き後の狐つきになった瞬間の異の表情には驚かされました。尋常ならざるそのパワーあふれる目つきが素晴らしかったです。

いわゆる踊りとしては決して上出来とまでは言えないのですがそれでも見せるという部分でとてもよく見せていたと思います。手さばきはしなやかでひとつひとつ丁寧で気持ちが込もっています。足さばきのほうが後半少々重さを感じさせてしまう部分があるのが残念でしたがキメの形はとてもきれいでした。立ち回りもとっても頑張っていました。もっともっと踊りこんで当たり役にしていただきたいです。


『勧進帳』
いつも思うけど幸四郎さんが弁慶の時の四天王の動きはいつも際立って素晴らしいです。今回は錦吾さん、高麗蔵さん、亀三郎さん、亀寿さん。気迫十分なのは勿論のこと、揃った時の統率された動きの美しさにはいつも感嘆します。この美しさが観られるのは1階ではなく2階、3階から俯瞰してみたとき。上から見たときにより鮮明にわかります。弁慶一行と富樫一行が対峙する場も美しい絵となります。この緻密な演出に今回もほれぼれ。演奏も素晴らしかったです。『勧進帳』の時って皆さん、いつも以上に気合がはいりますよねえ。

染五郎@富樫、2年前国立で演じた時よりもレベルアップ。突っ込こんでいくだけの富樫だった部分が受ける富樫の部分をみせ演技に緩急がついた。若さゆえの功名心をみせた富樫から、今回は関守としての責任感や人間的な大きさを垣間見せる。前回以上に能史らしいたたずまい。目の化粧法も少し変えてきて鋭さを強調していた目からもう少し素直でまっすぐな眼差しの目。そして背筋がピンの張ったどこまでも真直ぐで若者らしい正義感あふれる富樫。弁慶と対峙する場でやりとりが明快。問答のテンポが今までよりゆっくりめ。探りあいの部分が強調される。また呼び止めの素早さ、鋭さは見事。ちょっと焦った風なのがかえって感情が伝わり良い。また折檻を止める部分での台詞廻しがかなり前回と変えてきた。本気でやめてくれとの必死感がある。梶原平三でも等身大を感じたが、今回の富樫にも等身大という言葉が浮かんだ。まさしく青年の富樫でした。

台詞廻しに関して今回、随分と工夫してきてゆったりと朗々と語ろうとしていたように思う。かなり謡うような感じになり音の強弱・高低の幅が広い台詞廻し。幸四郎さんの弁慶に合わせてきたのだろう。かなり難しそうだ。低めにとる声は響き心地よいが反対に高めにとる声のほうはまだまだ不安定。台詞廻しの芯の部分を捕らえ切れてない感じ。それと受けの部分のところでまだハラに収めるというところが少し足りないかなあ。ミーハー観点から言うととにかくやっぱり綺麗でかっこいい。そしてどこを切り取っても動きが本当に美しい。動きの美しさがこのところ際立ってみえる。しなやかで鋭い。

芝雀さん@義経、この方の義経が素晴らしかったです。今回芝雀さんは気合がいつもと違うような気がするわ。前回、ちょっと子供ぽさがありふわっとした儚さを感じさせたのだけど、今回は武将としてのキリッとした表情がきちんとありつつ、非常に優しい情味溢れる義経でした。弁慶に手を差し伸べる姿、一緒に泣く姿がとても美しく、そして心からの情愛をみせる。なんともいえない良い表情をされるんです。今月、芝雀さんに関しては期待以上のものをみせてもらいました。

幸四郎さん@弁慶。力のこもった弁慶をみせる。声がかなり伸びて、台詞廻しに迫力があった。特に延世の舞は絶品です。2年前の国立の時よりかなり良い出来というか、2年前に比べ、存在感やオーラが凄いことになってました。やはりこのところ調子が良いだけあるなあ。たぶん、久々に歌舞伎にどっぷり浸かっているせいなのではないかしらん?出てきた瞬間、The主役のオーラがビシバシ。幸四郎さんの弁慶は非常にストイックで厳しい。ひたすら真っ向勝負で一瞬の隙もみせない。ただひたすら義経を逃すためだけの1点集中。余裕をみせながらも実は余裕がない弁慶なのかもしれない。一本気で真面目。

がしかし、それだけの厳しい弁慶であるのに手馴れた役のせいか台詞廻しの部分に余裕がありすぎて、命懸けという緊張感があまり伝わってこないのが残念だ。あまりに朗々と謡いすぎ。それだけ台詞廻しの完成度が高いということでもあるのだが。たぶんに染五郎@富樫がまだ対等でない部分も大きいとは思う…。染ちゃんの富樫自体は非常に良い解釈だし、形や動きも良いのだけど。でもまだまだ対等ではないんだよね。

幸四郎さん弁慶で非常に気になる部分が一箇所ある。義経に労をねぎらわれる場で気が逸れているのでは?思う瞬間がたまにあるのだ。毎回じゃないのでその時の気持ちの集中度の違いなんだろうけど。と書いててフト思ったのだが気持ち本位の芝居をする幸四郎さんがあの大事な場で気を逸らすだろうか?もしや、幸四郎さん的には「御前に座してるのだから身支度を整えないと」という気持ちで手が動くのかもしれない。ただ、その仕草が幸四郎弁慶にはどうにもそぐわないのだ。もっとおおらかで愛嬌のある弁慶がやったら気にならない仕草かもしれない。ところが幸四郎さんだと威圧感があるので一瞬どうにも不遜な雰囲気を醸し出してしまうのだ。あそこの部分がないほうがよりよく見えるので気持ち本位でやっていたとしても我慢してほしいなあ。

それにしてもお客さんの期待度がなにやら特別な感じがした。『勧進帳』は人気演目だし、歌舞伎座でも国立でもワッと盛り上がる。でも何かが違う。客席のワクワク度がもっとダイレクトなのだ。幸四郎さん出演の時は中高年のおじ様方が普段の歌舞伎の時より多い。御園座でも普段歌舞伎を観ないおじ様方が奥さんと一緒に来ているなという雰囲気の方が多かった。まさしく幸四郎さんの弁慶を観に、その目的でやって来るのだ。そして弁慶の出の拍手の多さに期待度を感じ、そして引っ込みでの万来の拍手に「観てよかった」との想いが感じられる。引っ込みでの拍手で鳴り物が聞こえなくなるほどの拍手。ここだけ観客が増えたの?と思うばかりのすさまじい拍手の音、音。それを聞いて、なぜ幸四郎さんが弁慶をやり続けるのかわかったような気がした。回数を重ねることが目的ではないと幸四郎さんはおっしゃる。でも、私はちょっと意地悪く、七代目と自分を重ねようと目指しての数字が目的かな?と思ったりしたことがある。でもそれは違うなとわかった。ただ多くの人に『勧進帳』を観てもらいたい、お客さんが観たいと思う限り続けたい、それが表向きの言葉だけでなく本心だろう。そしてあの万来の拍手が聞こえる限り、やり続けるのだろう。あの拍手は役者冥利につきるだろう。役者としてあれが聞きたくてやるんだろうなあ。

歌舞伎座『四月大歌舞伎 夜の部』 3等A席前方上手寄り

2006年04月16日 | 歌舞伎
歌舞伎座『六世中村歌右衛門五年祭追善興行 四月大歌舞伎 夜の部』3等A席前方上手寄り

『井伊大老』
短縮版だった。短縮版だと夫婦の情愛のみクローズアップされる。しかし静の方の館の場だけの短縮版より井伊大老の取り巻く政治状況や、正室の昌子と愛妾の静の方の対比をみせるフルヴァージョンのほうが「死」「別れ」の緊迫感のなかでの情愛がより強調されもっと切なくなるのにと思った。

井伊大老の吉右衛門さん、鷹揚とした殿様らしい大きい存在感。過去を振り返りしみじみと述懐する台詞の巧みさ。持ち味を活かした手堅い出来。しかしながら井伊大老としてはもう少し人物像に厳しいものがあってもいいと思う。また「死」への覚悟といったものがあまり滲み出てなかったのが残念。

静の方の魁春さん、楚々とした品のよさで長年連れ添った愛妾として控えめながら直弼一途な可愛らしさを出す。とても丁寧に演じているし、繊細な表情も悪くはないが、ニンとしてはまだ正室の昌子かなあとか少し思いました。

静の方に関して雀右衛門さんと比べるほうが酷だろうなとは思う。連れ添った年月の重み、信頼しあっているからこその深い愛情、また女を忘れない色気と可愛らしさ、そして「死」を予感して覚悟している直弼のことを包み込む優しさ、そんなものすべてが表現されていた雀右衛門さんの静の方は一生忘れられないだろうとあらためて思った。

禅師の富十郎さん、飄々とした雰囲気はなかなかいいがもう少し枯れた味わいもほしいかな。

なんというか、この座組みだとあまり「死」が見えてこないのよね。うーん私的には『井伊大老』は2年前の幸四郎さん・雀右衛門さんの時のが今のところベストだ。


『口上』
歌右衛門さんの5年祭ということで皆さん、思い出話をされていました。又五郎さんがお元気そうでなにより。雀右衛門さんが少々お元気がないのがちょっと気になった。全般的に左團次さん以外は神妙な口上だったかな。その後に新・松江&新・玉太郎の襲名披露。玉太郎くんが元気で可愛らしかったです。

私の歌右衛門さんの思い出話を少し。私は歌右衛門さん生観劇にぎりぎり間に合いました。とはいってもまだ「歌舞伎」を観るという感覚もなく出演する役者の名前もよくわからない、ただ祖母や母に「お芝居」に連れてもらえるというワクワク感で観ていた時期。私にとって歌右衛門さんは色んな意味で「妖怪」でした。風貌の異様さ(としか当時は思えませんでした)、放つオーラは異界の妖気、そして超絶な体の柔らかさしなやかさ、凄かったとしか言いようがありません。観た演目すら覚えてないのですが今でも印象は強烈です。


『時雨西行』
あんまり好みの踊りではありませんでした…。面白みを感じられず。でも梅玉さんの端正な踊りは大好き。今回も品があって爽やか。藤十郎さんはいつもの色気を押さえ気味に丁寧に踊ってらした感じ。菩薩様になった瞬間、ふわっと大きく見えたのがやはりさすがです。しかしいつもより全体的に踊りがちょっと重い感じがしたのですがお疲れ?


『伊勢音頭恋寝刃』
貢は仁左衛門さんが私には一番しっくりくる。品の良い硬さのなかに甘さをみせる。そのバランスが絶妙。端正ななかに柔らかい愛嬌をみせ、そして武士としてのきりっとした部分もみせるまさしく「ぴんとこな」の貢です。それにしても決まりの姿の美しさにはいつもながらほれぼれします。また妖刀に引きずられ人を殺めはじめる時の冷たい狂気の目がなんとも妖しく美しい。仁左衛門さんの風貌の美しさが際立ちます。

時蔵さんのお紺がかなり良かったです。美しさだけでなく存在感が出てきました。貢を思うお紺としての性根が立ち振る舞い、台詞の端々にありとても素敵でした。この方はここ数年で一気に一皮向けた感があります。

梅玉さんのはしこくて鋭さのある喜助もとても良かったです。

期待してた福助さんの万野は作りすぎのような…。非常に攻撃的な万野。前のめりすぎてメリハリが効かない。柄に合う役だと思ったけど、あんなに老けた感じにしないくてもいいと思うし、いつもの可愛らしいネチこさでやればいいのになあと思いました。いつもの色気もほとんど出てなかったですね。もっと年増の色気を出してくるかと思ったのですが…。福助さんにはたぶん、まだ歌右衛門さんや芝翫さんが出す、冷ややかさ底意地の悪さというものが出せないのだと思う。これはやはり年齢や柄や、色んな部分でまだ若いからだと思う。無理せず福助さんの年齢にあった相応の万野像を見つけてほしい。

東蔵さんのお鹿も可愛らしさがちょっと足りないかなあ。やはり作りすぎ。東蔵さんにしては珍しく気負った感じがした。そのせいかきつめなお鹿造詣。

勘太郎さんのお岸は体はでかいけど可愛らしく健気な雰囲気があってなかなか。雰囲気作りが上手いのでしょう。

国立大劇場『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団』S席真ん中上手寄り

2006年04月08日 | 演劇
国立大劇場『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団』S席真ん中上手寄り

『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団』、コンテンポラリーダンス鑑賞です。ダンスはクラシックバレエを一時期わりと観ていて、モダンダンスはベジャールのみという鑑賞歴。そんな私にコンテンポラリーダンスが分るのか?とちょっと不安でしたがどうせなら一切知識を入れないで観ようとチラシも読まずに臨みました。そして予想以上にかなり面白く拝見しました。

今回の『ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団』の演目はピナ・バウシュの初期作品『カフェ・ミュラー』と『春の祭典』。わかるわからない、というものではなく感覚的に非常にストレートに訴えかけてくるダンスでした。不安感、閉塞感、激情、そんなものがドカンと心に訴えかけてきて、気が付かないうちに自分のなかですさまじく頭がフル回転しはじめるのがわかりました。非常に感覚的かつ生理的な部分でまず受け止めてそれを咀嚼しつつ身体表現のエネルギーを受け止めるという感じ。うむむ、ダンスの感想は音楽の感想以上に書くのが難しいですね。でも後日、もう少し詳細感想を書けるといいなと思っています。

しかし、また鑑賞対象が増えちゃた。コンテンポラリーダンスは一度は観てみようくらいでしたがなんと思いっきり自分の好みの範疇だった。文学でいえば境界線系の本という感じかなあ。揺れの幅が大きい。ああ、咀嚼するのが非常に楽しいんですけどっ。