Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

国立小劇場『二月文楽公演 第三部』 1等真ん中

2006年02月26日 | 文楽
国立小劇場『二月文楽公演 第三部』 1等真ん中

『天網島時雨炬燵』「河庄の段」「天満紙屋内の段」
近松の「心中天網島」の改作バージョンだそう。「河庄」は歌舞伎で鴈治郎さんで観ていますが後半の話は知らなかった。治兵衛の性格に納得がいきません…。第三部は床が揃っていると聞いていたので楽しみにしていましたが、皆さん迫力があって素晴らしかったです。人形のほうは蓑助さんが格の違いみせた感じ。ラストの心中のリアルさにかなり驚きました。ああいう無様な死に方も見せるですね~。

「河庄の段」
つい最近、鴈治郎さんと雀右衛門さんの歌舞伎で観ているのですんなり話に入れた。しかし治兵衛ってほんとダメ男だよなあ。この話はダメ男に惚れた女の悲劇って感じもする…。

この段はなんといっても住太夫さんの語りが素晴らしかった。個々のキャラクターの心情がストレートに伝わってくるんですよね。それぞれの語り分けが見事で情景が膨らんでくる。でも声質的には時代もののほうがより住太夫さんの魅力が出るような気もしました。前回の寺子屋が印象に残りすぎかも。

紙屋治兵衛@桐竹勘十郎さんはダメ男ぶりがなかなか。憔悴しきった様子など見てて哀れを催す(笑)もう少し柔らかい色気があるといいなあ。

紀の国屋小春@吉田和生さんは楚々して可愛らしい。が、ちょっと色気不足で存在感も足りないような。和生さんは素直なお姫様系は結構、良いなあと思っていたんだけど、こういう役は難しいんですね。

粉屋孫右衛門@吉田玉女さんは実直で優しそうな孫右衛門を細やかに遣っていた感じがしました。


「天満紙屋内の段」
この段での治兵衛の性格がコロコロ変わるのが納得いきません。別の人の手が入った改作のためなんでしょうけど、見ているとこいつ多重人格者か?と思うほどで感情移入できない…。周りの善意を完全に無視して心中に赴く治兵衛と小春の二人に哀れさをまーったく感じない。場面場面では面白かったりするんですが、流れで見ると不可解な気持ちになってしまう。改作じゃないほうが観て見たいです。

この段ではなんといってもおさん@吉田簔助さん。やっぱりこの方が操る人形は凄い。血肉が通っているんですよ。生きてるの。ひとつひとつの表情の細やかさに圧倒させられます。それにしてもおさんは健気すぎる。惚れた弱みでしょうか。こういう尽くす恩ほどでああいうダメ男に惚れちゃうんですよねえ。

この段で気になったのは治兵衛のお末ちゃんの扱い。白い着物に書かれた手紙を読むシーン、いつもあんなに乱暴なんですか?父のために尼さんにさせられたのに、ひどすぎ。

床では豊竹嶋大夫さんの語りと鶴澤清介さんが気に入りました。特に三味線の音がかなり好みです。

★かしまし娘さんの感想。ツッコミが楽しいです。
『2月文楽 国立劇場 天網島時雨炬燵 』

歌舞伎座『二月大歌舞伎 昼の部』 1等花道寄り前方

2006年02月25日 | 歌舞伎
歌舞伎座『二月大歌舞伎 昼の部』 1等花道寄り前方

『春調娘七種』
十郎の橋之助さん、五郎の歌昇さん、静御前の芝雀さん、それぞれがキャラクターに合っていて春らしい華やかな舞踊になっていました。

私的には芝雀さんメインで見ていましたが可愛いわ~とそれだけで満足だったりしました。手捌きがとてもしなやかでおっとりとたおやかな静御前でした。お父様にちょっと似てきたかなあ。

橋之助さんは白塗りの拵えがよく似合いきれいでした。柔らか味もあり女形でもいけるなあとか思ったり(福助さんにやっぱり似てるんですが橋之助さんのほうがすっきりとした美人さんになりそう)。踊りも丁寧に美しく踊っていたと思います。

歌昇さんは血気盛んな若者を弾むようなメリハリのある踊りで表現。ころっとした体系がかわいらしく五月人形にようでした。


『一谷嫩軍記』「陣門・組打」
やはり最近の幸四郎さんの演出の試みを面白く感じる。『熊谷陣屋』の場を知らないと理解しずらいこの難しい場を若者の悲劇と親子の物語としてひとつの芝居として見せようという意欲は思った以上に成功していたと思う。観客たちがかなり集中して観ていたのが感じられた。ドラマとしての緩急があり、だらける部分が無かったのは大したものだ。演出的に大きく変えたのは2ケ所。

まず「陣門」で直実が小次郎を敵陣から抱えて出てくる場面、従来だと助け出された小次郎(実は敦盛)の顔を見せないのですが今回、花道七三で兜がズレてしまい一瞬顔を見せる趣向。助け出されたのが小次郎ではないことを観客にハッキリ示していました。「陣門・組打」「熊谷陣屋」を通して見せる場合、陣屋で明かされる驚きが悲劇性を高めるのでまったく必要がないと思いますが「陣門・組打」のみの上演の場合はこれもありかなと思います。従来のやり方だと『熊谷陣屋』を知らない人が観た場合、混乱してしまい物語を味わうまでいかないことが多く話が難しいと捉えられがちだからです。まあ、今回のこんなに親切な演出でしかも『熊谷陣屋』を観たばかりだというのに混乱した人も若干名いましたが…。「いったいどこで摩り替わったの?」と聞かれた日にゃ、幸四郎さんもガックリでしょう(笑)福助さんと芝のぶさん、似てないと思うんだけどねえ。

「組討」では須磨の浅瀬で直実と小次郎扮する敦盛が馬に乗ったままで立ち回りをする場。従来の歌舞伎の演出だとまず浅瀬では大人が立ち回りをし、海のなかに入り込んでの立ち回りでは子役を使った「遠見」という演出をとる。距離感を出すために演出なのだが今回、遠見を使わない演出。これは観客側に緊張感を持続してもらうためにカットしたと思われます。子役を使った「遠見」は子役の可愛らしさとともに、歌舞伎らしい面白い演出ではあるのですが、いかにも紙芝居的な場面になってしまい、観客側の緊張が完全に崩れてしまい笑いを誘う場でもあります。ここのカットは私の好みからすると大賛成ですね。直実と小次郎親子の悲劇性のドラマが凝縮し、特に小次郎の痛々しさが増すように思います。

ただ今回思ったのはやはり「陣門・組打」「熊谷陣屋」は通しでやるべき演目だろうと。今度きちんと通しでやってほしいです。国立あたりでやらないかなあ。

熊谷直実の幸四郎さん、いかにも坂東武者といった風貌と存在感が良かったです。それと台詞回しの巧みさにはやはり惚れ惚れします。最近、台詞回しの緩急が鋭くなってきたように思う。特に今回は義太夫のノリがよく掛け合いの間が素晴らしかったです。今回、前回(4年前)以上に父の情が濃い直実でした。かなり悲哀が強調されていましたが、親子の物語としては等身大で悲嘆の深さ心情がすんなりと伝わってきます。ただ個人的な好みからすると、初っ端から苦しみ泣きすぎかなと思うのだけどね。小次郎の首を打つまでは押さえたほうがより苦しさが見えるのではないかと思う。でも他の役者(他二名の役者のを見てます)もこの「組打」の場は最初からかなり豪快に苦しんで泣いてるよなあ。んで、いつもそれじゃバレるだろ?と思っていたんでした。今回もやはりそう思った。でもあのくらい迷い泣かないと場がもたない難しい場なのかなあ。もっと抑えても伝えるだけのものを幸四郎さんは持っていると思うんだけど。そういう演技をしたら歌舞伎は心理劇じゃないとか言われちゃうんだろうか?

小次郎の福助さん。基本、やっぱり女形さんだなあという若武者でした。足運びとか女性ぽいのですよね。たぶん、そのせいかと思うのですが初陣で血気に逸る10代の若々しさがみえてこない。これはとても残念でした。ただ、甲冑姿がとても美しく、敦盛と見間違わせるだけの品の良さがありました。それと子としての情のあり方がとてもよく伝わってきて泣かせてくれました。やはり上手いなあとつくずく。福助さんは一貫して小次郎であり、父母を思うやるせない気持ちが表情に現われていてとても切ない小次郎でした。今回の直実と小次郎親子はかなり濃い情のやりとりがあるのでちょっと濃すぎるかなとも思うのですが、それだけに悲劇性があり、なんだかんだこの親子のありかたが好きだったりもします。小次郎/敦盛のなかでは染五郎がいかにも10代の凛とした品があって儚い命を散らした悲劇という感じでこちらも大好きだったんですが、親子の悲哀の部分では福助さんのほうがドラマチックでした。

玉織姫の芝雀さん、とても良かった~。やっぱりとっても可愛いし<無条件で可愛く感じるのは贔屓目でしょうけど(笑)。世間知らずなお姫様といった風情ピッタリで、婚約者を探す切ない呼び声がいじらしい。恋する夫のために必死になって戦場をさまよい歩く、そんな姿に説得力があるのが結構すごいと思う。姫らしい気位も持ち合わせ、キリッとした部分もみせるだけに、手負いになり目がみえない情況で偽首を愛する夫として嘆き悲しむ姿が切なすぎて涙が出てきます。芝雀さんのかきくどきは声の透明感も手伝って一言一言に哀しみが伝わってくる。なんだか一段と上手くなったかも。

平山の錦吾さんはハマリ役。4年前に観た時も非常に良いと思ったんだけど、今回も本当に素晴らしくいい出来。この敵役が上手くないと話が進まないのよね。憎々しげで小ずるい感じがよくでてる。かといって武将としての存在感もきちんとありヘンな小物感がない。メリハリのある台詞回しと芝居。いい役者さんだなあ。

さてこの芝居に欠かせないのが馬二頭。どちらも表情があり、いい芝居をしてくれました。

今回、義太夫も非常によく謡っていて聴き応えがありました。前半が東太夫さん、後半が綾太夫さん。情景と心情がよく伝わってきて、また役者との間がかなり密に合っていた感じでした。


『お染久松 浮塒鴎』
この演目は芝翫さんにつきる。存在感の大きさとオーラが見事。出てきた瞬間、場が締まったもの。またこういうメリハリのある舞踊は本当にお上手だしなんといっても体の表情が豊か。

お染の菊之助さんと久松の橋之助さんは恋人同士の情感が全然伝わってこない…。菊之助さんは体の使い方が上手になってきている。夜の部で踊りこんでいるおかげかな。大店のお嬢様風情はよく出ていたけど、恋する娘がみえてこない。橋之助さんは曽我十郎のほうが似合っていたし、踊りも良かった。久松のほうはなんとも印象が浅い。久松という役柄がニンではないんだと思う。十郎が良かっただけにこちらの出来がちょっと残念。


『極付 幡随長兵衛』
きゃー、吉右衛門さんカッコイイ!の一言で終わらせてもいいかなと(笑)なんかもう、吉右衛門さんのための芝居って思ってしまうほどピッタリでした。任侠の親分としての懐の大きさが見事に出ていました。体もいつも以上に大きく見えましたねえ。煙管の扱いや着替えの手つきひとつひとつが粋。台詞廻しにキレがあって迫力もあった。張ったときの台詞回しが幸四郎さんにソックリで「ああ兄弟だなあ」と思いました。台詞回しの巧みさはこの兄弟、独特のものを持っている。ただし持ち味がほんとに違うけど。この芝居だったら長兵衛は吉右衛門さん、幸四郎さんは水野でしょう。ああ、この二人の対決が見て観たい。凄まじい丁々発止になりそう。

世話物の女房役はひさびさかな?の玉三郎さんも良かったですね。いかにも任侠の女房って感じの色気と強さ。旦那が死に行くとわかっていながらも気丈に振舞う、その風情がさすがだなと。また、着物を着替えさせる時の切ない表情も素敵だった。まあでも玉様がこういう役をやるとついあとで子分連れて殴りこみしそうとかも思いますが…。あねさんっ!ついていきますとか言っちゃいますよ(笑)。しかし、やはり今月の玉様は膝かどこか足を痛めるような気がしますね。ところどころ裾捌きとかいつもと違います。

水野の菊五郎さん、品がありつつの尊大な殿様でした。菊五郎さん独特の鷹揚さがところどころ出てしまっていて、もう少し鋭さがあってもいいかなあとは思いましたが、きちんと長兵衛@吉右衛門さんを受けて丁寧な芝居。

唐犬権兵衛の段四郎さんが、柄に合うかな?と思っていたのですが意外や意外、結構ハマっていて印象を残しました。上手いですね。

他、それぞれ役者さんたちがいいバランスで配置されていて、またしっかりと芝居をしていてとても良かったです。ケンカが始まってからの劇中劇をしていた役者陣があたふたおろおろとかなり細かい芝居をしていたのが、ついつい目にいってしまうくらい面白かったです。

歌舞伎座『二月大歌舞伎 夜の部』 1等花道寄り前方

2006年02月18日 | 歌舞伎
歌舞伎座『二月大歌舞伎 夜の部』1等花道寄り前方

『梶原平三誉石切』
梶原の参詣の花道での出を無くし、浅黄幕が落とされるとすでに大名連中勢ぞろい。ここから始める今回の演出には賛否というより否の意見しか目にしない。梶原平三がいかにも主役で正義の側と一瞬でわからせる格好の出の演出が無いとはどういうことだ?と思うのも無理はない。役者にとってもせっかくの役者ぶりを観客にみせる美味しい場面なはずだ。その美味しい場面をあえて切った幸四郎さんは『梶原平三誉石切』という芝居を平三の役者ぶりを堪能する芝居ではなく「物語」として見せた。なるほど、こうきたか!私は非常に面白く拝見した。

最初から大名が居並んでいる場をみせることで平家側の武将として、梶原平三と大庭三郎が同格であることが見て取れる。そのため、観客側は梶原にそれほど思い入れをすることはない。そこに六郎太夫と梢の父娘が花道からやってくる。観客の興味は六郎太夫親子へいくはずだ。娘のために刀を売りたい老父の必死の体と、心配そうに父を見守る娘の清楚でけなけな風情。そうなのだ、観客の思い入れはどこへいくかというとたぶんにこの父娘であろう。ここでの主役はこの父娘なのだ。刀を買ってもらえるのか一緒にハラハラドキドキ。またこの親子はどういったわけでそんなに必死なのかと思いをめぐらせる。おおっ、サスペンスフル。

大名たちはどう出るか。大庭三郎は刀が欲しくてたまらない、だが弟の俣野五郎はちと根性悪。「名刀でなかったらどうする?」「確かにほんとに名刀か?」そこでようやく目利きの梶原平三の存在が大事な存在としていることになる。ここでの梶原はあくまでも平家の武将としているものの、刀の目利きとしはどちらにも公平な立場として存在していることが知れる。刀の目利きとしての鋭さをみせつつ、六郎太夫の話を聞く真剣な面持ちが信頼できる人間として在る。また情に訴えかけられ心動かされる様もあくまでも親子の情愛に感嘆し、命がけの六郎太夫の気概に納得するいった風情。梶原@幸四郎さんは完全に受けの芝居に徹している。

だから胴斬りで六郎太夫を助けた時も、情けをかけた武将としての梶原でしかないのだが、大名たちが立ち去り、六郎太夫が自害しようとするのをたしなめ実は源氏に心を寄せていてとこっそり真相語る部分から一気にもう一回り懐の大きい人物としての梶原をみせていく。前半にしっかりと父娘の情愛をみせ、受けに徹していた梶原だからこそ、その真相の意外性とともにこの後半、一気に主役として立ち上がっていく。この視点の切り替えが源氏側が正義という視点に重なり、大きな流れのドラマとして動いていく。なんとも見事な『梶原平三誉石切』という物語の切り取り方であることか。<こういう演出に感心しきりな私は自分が基本、物語読みでそのなかにミステリ読み属性があるのを確信したわ。

そして、出が無かった分、花道での引っ込みをたっぷりする。通常だと単に刀を買い取りお金を渡し父娘を助けるという晴れやかさで引っ込むところだが、梶原@幸四郎さんはもうひとつそこにドラマを作り今後の行く末を暗示してみせる。これからも平家の武将なれど源氏を助けるつもりとの複雑な心情をみせ、六郎太夫へ含むものを約するかのように目配せしあうのだ。これからおこる戦いへの暗示。流れゆくドラマがそこにあった。深読みしすぎと言われようと、物語としての面白さがこの芝居にはあった。

梶原平三の幸四郎さんは生真面目な雰囲気で捌き役を作り込み前半は終始ハラで受け、後半は知将としての大きさを出して主役としての存在感をみせていく。そして絶妙な台詞回しの緩急がそこにうまく絡んで盛り上げる。幸四郎さんの台詞回しは「唄う」という形容がピッタリくる。非常に音楽的だ。今回はいつもよりストレートにわかりやすく台詞を聴かせていたように思う。また立ち振る舞いの美しさには惚れ惚れ。特に刀を目利きするときの細かい動きがとてもシャープで美しい。いかにもな動きではなくさりげない部分で見せる。

六郎太夫の歌六さん、上手さを見せる。娘への深い愛情がよくみえ、また一筋縄ではいかない秘めた強さのある六郎太夫であった。表情がとても細かく真に迫っている。また義太夫へのノリのよさ、形のよさが今回よくみえた。そういう部分で細かい表情と大きく感情をみせるときのメリハリがとても良い。歌六さんはご自分の持ち味の雰囲気でみせるのではなく、きちっと役柄の本質を捉えた部分で演じるタイプの役者なのではないかと思う。幸四郎さんに質が似ているので、お互い表面に見えるだけの人物じゃないという二重性をみせる部分で今回非常にいいバランスだった。『息子』の老父役でもいい味を出されていたし、老け役も出来る役者としてこれからももっと役の幅を広げていく役者になるだろう。

梢役の芝雀さん、可憐で愛らしくまた芯の通った情愛が感じられるとてもいい梢だった。梢はそれほどされていないのだけど、梢は芝雀さんが一番しっくりいく。この方はお父さんの雀右衛門さんのように相手を思う気持ちを体から出せる役者になってきたんじゃないかしら。相手の間に合わせるのも上手い。そして可憐な娘役はこの人の右に出るものがいないと思わせるだけのものがある。ますます「娘」に磨きがかかっている。そしてほんのり色気がさすようにもなってきたと思う。このまましっかりとこの持ち味を活かしていってほしい。

大庭三郎役の彦三郎さん、敵役なのだが武将として品格を忘れず、丁寧な演じよう。押し出しは強くないのだがその分、梶原と同格の大名としての存在をアピールしていてやはり今回の芝居のなかでバランスがいい位置にいたように思う。

俣野五郎役の愛之助さん、多少シャープさは残るものの赤っ面がよく似合い骨太さがあってよく頑張っていた。動きもとても明快でひとつひとつが丁寧なので形も美しい。声もよく出ていた。ただ敵役としてはもう少し憎たらしい雰囲気が欲しかったかな。幸四郎さんは今までも愛之助さんを何気に重要な役で起用している。芝居のカンのよさを気に入ってるんじゃないかと推測してみる。

並び大名は敵役側に並んだ4名がしっかり芝居に反応しているに対し、梶原側はベテラン2名がちょっと気がのってない風情。もう少し気を入れてやっていただきたい。それだけに若手の2人松也くん、蒔車さんの行儀のよさが目に付いた。


『京鹿子娘二人道成寺』
今回、一番楽しみにしていたのは『京鹿子娘二人道成寺』だったんだけど、前回のほうが好きだ。どこがどう違うのかわからないのだけど、今回のほうがエンターテイメント性はあがった気がするけどその代わり情感が減った気がする。まあ、この踊りは二人の美しさにただ見とれて楽しむものだろうとは思う。前回もそれは思ったのだ。だが、なんともいえない陶酔感を味あわせてくれたのは前回のほうだった。踊りのレベルとしては菊之助さんのレベルが上がった分、今回のほうが質としては上だろうと思う。だが踊りの質の違い、花子としての女心を表す表情の違いがハッキリみえ、また二人の花子としての本体と影の境界が曖昧でその部分をいったりきたりしてる二人の微妙なバランスがあった2年前の姉妹のような雰囲気のほうが私は好きだ。

今回は本体と影の役割分担がハッキリしすぎている。その分、わかりやすくはなっていたけど、清姫の正体があまりにもみえすぎてかえって変化に乏しいものになってしまったような気が…。好みの問題だろうけど…。

玉三郎さんの花子は最初から徹底して蛇身だ。絶えず鐘を意識し恨みの目で見つめる。そして娘というよりすでに妖艶さと暗さを纏う女としている。花子に恨みを自覚させ惑わすためだけにいる。こちらの世界に来いと誘う。こういう世界観を徹底してみせるという部分では見事だ。玉三郎さんの美しさ、流れるような踊り、そして何より異界を覗かせる目がそれを見事に表している。菊之助花子(本体)とシンクロしながら踊る部分ではシンクロしながらもどこか本体を絡め取るような雰囲気をみせる。後半になると完全に本体を支配しながら踊ってる感がある。そして表情が少しづつ若々しくさえなっていく。ただ今回、踊りの部分で玉三郎さんは足を痛めてるのかしら?ところどころ気になる足運びの時があった。特に鞠歌で膝を折る時の足運びがスムーズではない。あれっ?思うほどぎこちなかったり…。その分、気迫はありましたが、大丈夫かしら。

菊之助さんは柔らか味が出てきて成長ぶりを見せた。清純な色気があり、白拍子というより生娘といったほうがしっくりくる透明感。前回、必死さがみえた部分に余裕がでてきてかなり踊りの形が綺麗になってきていた。一人で踊る場の空間が断然、密になってきていました。そして玉三郎さんとのシンクロ度があがっていました。このシンクロ具合は実は私はあまりシンクロして欲しくなかったりもしたんだけど…。菊之助さんの踊りは流れるような玉三郎さんの踊りに対してメリハリが明快なタイプのちょっと古風な踊り手だと思っていて、その違いがありつつの踊りのほうが二人の花子の個性の違いがみえて面白かったんですけどね。今回は玉三郎さんに近づいていながらも表情をあまりつけていない分、後半玉三郎花子(影)のあやつり人形のようにみえてしまいました。


『人情噺小判一両』
菊五郎さんと吉右衛門さんという役者でなんとか見せたけど本がダメダメというか私はこの話嫌い。これに限らず宇野信夫とは相性が悪い…好きじゃないかも。

今の感覚からすると受け入れがたい後味の悪い話だ。人情がアダとなることを肯定するその感覚がもうダメ。今の殺伐とした世の中にダメ押しするつもりですか?と。時代ものだったら、その時代に気持ちを馳せ今の感覚でわからない部分を許容できるのだが、タイトルに「人情噺」と入っててしかも昭和に入ってからの芝居と思うとどうにもその語り口の浅さが許せない~。

役者は皆さん、素晴らしかったですよ。特に安七の菊五郎さんが持ち味を活かして絶品だ。飄々と江戸っ子を体現する。台詞の間のよさといい、身のこなしの軽やかさといい、言うことないし。一番真っ当なのが安七なんだよね。人として正論の持ち主なんだよね。救われて欲しいじゃん。気持ちよく笑ってほしいじゃん。なのに、なんだよ、この本(怒)

浅尾申三郎の吉右衛門さんはご自分の持ち味の大きさと愛嬌で演じる。存在感は大したものだ。だけど浅尾申三郎という人物像の浅さをカバーするのは難しそうだった。なんとなく戸惑いながら演じているようにも思えた。気持ちがどこか乗ってない。しょうがないと思う。浅尾という人物はあまりに単純すぎる。安七を単純に持ち上げて気分よくさせたあと、図らずも思い切り絶望へ落とす、それだけの役割だからだ。せめて孫市に絡むなんらかの背景があればまだしも…。

凧売りの河原崎権十郎も良い味を出していた。凧売りも今の感覚では正論の人だ。子供だからといって「盗み」を見逃すことはやっちゃいけない。ちょっとケンカぱやいけど市井の人としてしっかり生きて来たというプライドの持ち主。そこがよくみえた。

話的には発端からまずもう話しがおかしい。子供だからそれくらい許してやれよ。安市がついつい庇うのはわかる。でもそれを期待する武士の子供って…なんというかうーん。そして父の孫市は周りのことをまったく考えないでプライドだけでとっとと自害。この無理矢理な展開はいったいどうしたものか。納得いかない筋立てだとしか言い様がない。

ただこの芝居で収穫だと思ったことがひとつだけある。菊吉共演が今後も続いてほしいと思わせるものがあったという部分だ。菊五郎さんの軽やかな愛嬌と吉右衛門さんのおおらかな愛嬌がふんわりとしたなんともいい空気感を醸し出していた。

国立小劇場『二月文楽公演 第二部』 1等前方下手

2006年02月11日 | 文楽
国立小劇場『二月文楽公演 第二部』 1等前方下手


『小鍛冶』
歌舞伎で猿之助さん、勘九郎さんでの舞台を観ている演目。比べるというより、猿之助さんの素晴らしかった舞台がどうにも目の前に浮かんできてしまって、文楽と歌舞伎の二重写しのようなヘンな感覚での観劇となった。

前半、松羽目の場で宗近と老翁のやりとりがあり、宗近@勘弥さんが品が良くて爽やかでした。後半は鍛冶場で刀を打つ場。宗近と稲荷明神の呼吸が最初合わなかったけど後半よく合わせてきていました。打つ音が、宗近のほうが非常に良い音が出てるのですが稲荷明神のほうは篭った音。神様のほうが響かないと?と思うんだけど。人形の位置関係のせいかしら?

稲荷明神の踊り方は楽しいですね。人形ならではのいかにも人外な動きをさせていました。しかしながら、とにかく猿之助さんの狐らしい神がかり的オーラがあった踊りと、勘九郎さんの品の良い丁寧な宗近と、そして何よりこの二人の息の合い方が絶妙だった1997年12月の歌舞伎座での踊りが目にチラついて…物足りなさが残りました。(9年前…もうそんなに前だったんだと驚きました。それほど印象に強く残っています)

太夫と三味線が居並んでの演奏は迫力があって聴いてて気持ちよかったです。


『曽根崎心中』「生玉社前の段」「天満屋の段」「天神森の段」
第二部のお目当ては『曽根崎心中』でした。1月に観たばかりの坂田藤十郎さんの『曽根崎心中』と較べて観てみたかったのだ。私は断然、文楽の『曽根崎心中』のほうが好きだ。文楽のほうが役者の色が無いだけに世界観がよくみえ、純粋に恋ゆえの心中に思えた。

義太夫は「生玉社前の段」はわりと情感を押さえ、情景を語る感じで、話の導入部としてとてもわかりやすかった。また思い入れがたっぷりしていない分、お初の若々しさが出ていたような感じ。「天満屋の段」はしっかり語っていたなという印象。一途なお初の強さがよくみえました。「天神森の段」の場はとても風情を感じました。曲が良いのかな。物悲しい雰囲気がありました。

人形のほうは「生玉社前の段」「天満屋の段」がいかにも人形という感じで、生きているというふくらみがあまり無かったのですが「天神森の段」で蓑助さんのお初は出てきた瞬間、人形に血肉がついていました。佇まいに清楚な色気が漂い、そして恋に生きる一途さと、死を決意したものの哀しみがありました。勘十郎さんの徳兵衛にはお初を受け止めるだけのものがしっかりあったように思います。初日でしたがイキもあっていましたし、死への道行の切なさ哀れさがよくみえました。