Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

PARCO劇場『決闘!高田馬場』4回目 千秋楽 中央やや前方寄り

2006年03月26日 | 歌舞伎
PARCO劇場『決闘!高田馬場』4回目 千秋楽 中央やや前方寄り

パルコ歌舞伎4回目は大楽。3回目観劇でもやもやがふっきれ、今日は楽しむぞと思い、そして本当に心の底から楽しみました。楽しかった~!

最初からお祭り騒ぎなるだろうとの予想に反し、始まる5分前から客席は異常な緊張感に包まれていました。あの空気はいったいなんだったんだろう。私まで緊張してしまった。でも芝居がはじまると一気にテンションが上がっていきました。さすがにノリが違う感じ。しかし役者さんたちはほとんど大筋を外れず気合の入った芝居。それでもところどころ、この日だからこそやったんだね、な小ネタも満載でした。

☆おもん@澤村宗之助さん、普段の役のイメージからすると大人しいタイプの役者さんなのかと思っていたのですが意外や意外に弾けられるタイプの役者さんのようです。いかにも長屋のおかみさんの気が強くて、でも心根は優しくて、だらしない旦那にちょっと呆れつつも心底惚れててしまっているおもんがピッタリでした。何気にみせる上目遣いでにら蔵を見つめるお顔が超ラブリー。犬との立ち回りでは最初の頃に比べ、後半はひとつひとつキッチリ見せ場にしてました。またアドリブがきく役者でもあるなあと。私が見た回で印象的だったのは花道代わりの通路で吉右衛門さんを見つけ「あら、ここにも安兵衛さんが」とニンマリと笑いながら通り過ぎていった一場面。これを観て、宗之助さんの亡くなった師匠の柔軟性溢れた演技をされていた宗十郎さんを思い出しました。

千秋楽ネタ:偽喧嘩のために男に扮装するシーンでいつもいかにもな太い眉毛を付けて演じているのですが今回は髭まで付けてました。このお髭のことは直前まで相手役の高麗蔵さんに内緒にしていたらしく、普段動じない高麗蔵さんが「ぶっ」と思わず吹き出していました(笑)。

☆にら蔵@市川高麗蔵さん、この方のすっきりした風貌と演技が今回のにら蔵にピタッとハマった時、博打打ちで夢ばかり追いかけ、いわゆる甲斐性無しなんだけど根はいいやつな長屋に住む粋な江戸っ子が現れました。ドタバタしていても何気にキレのいい動きときちっとした姿を決めていくんですよね。持ち味が存分に活かされて、この方の世話物をもっと色々見たいなあと思わせてくれました。

千秋楽ネタ:おもん@宗之助さんに対して「この一月、おまえはいつも俺に衝撃を与えてくれたよなあ…」と愚痴ってました。

☆六郎左衛門@松本錦吾さん、武士として、そして安兵衛の叔父としてちょうど良い重量感がありました。無骨にまっすぐ生きてきたんだろうと思わせる六郎左衛門は非常にかっこよかったです。あくまでも真面目に、しかし四角四面ではない情をみせる。そのバランスが絶妙でした。個人的にこの『決闘!高田馬場』という芝居のなかで惚れそうになったのは六郎左衛門でした。後妻にいってもいいわとか…だって剣の腕前は見事だし、女性には優しそうなんだもん(笑)

千秋楽ネタ:まさかやるとは思わなかった。でもさりげなくやっていた。又八が安兵衛の布団を乱暴に敷き、思わず上掛けをばさっと六郎左衛門のほうに投げつけてしまい、それを受け止め又八に返すというシーン。なんとこの日はその布団をさっと避けてました(笑)。そして投げ出されたその布団を後でそーっと引き寄せ又八に返してました。この間(マ)と終始真面目な顔の取り合わせが妙におかしく、笑いを誘っておりました。錦吾さん、何かやりたかったのねっ。また高田馬場での庄左衛門との立会いでは「オラオラ来いや」とばかりに挑発していたのも今回初めて見ました!

☆洪庵先生@坂東橘太郎さん、終始和み系キャラで、ほわっとした存在感。声がね、なんだか良いんですよ。お話してると気が休まる、そういう感じ。藪医者と知りつつ、つい訪ねていってしまいそうな洪庵先生でした。それにしてもあの体の柔らかさは凄いですね。菊五郎劇団でよく拝見してるような気がしますが、これからもっと注目していきたい役者さんになりました。

千秋楽ネタ:やりたかったんでしょうねえ。たぶんやりたくてウズウズしてたんじゃないかなあ。アドリブネタとしては一番インパクトありましたよ!安兵衛に「手首が痛いから診て」と言われ、いつもは足首を診ちゃうという設定なんですが、この日はなんと安兵衛の胸元に手を突っ込み乳首を診ようとしてました。安兵衛@染ちゃん、くすぐられて焦りまくり(笑)またその次の「喉が痛いから診て」ではなんと見立てが「風邪ですな」のはずだったのに「脱腸ですな」に変わってました。「今年の脱腸はタチが悪くて」とか(笑)これには大爆笑。さすがの染ちゃんも切り返しが出来ず目が点状態「薬はもういいや」と立ち去っていきました~。
    
☆おウメ@市村萬次郎さん、アクの強いばあさんキャラをなんとも愛らしく演じてくださいました。かなりアクの強い台詞や場面が多いにも関わらず終始「女としての可愛らしさ」の範疇に納めてくる。これはお見事というしかありません。女形だからこそできたおウメ造詣なんじゃないかと思います。それにしてもどこからどうみても長屋のばあさんにしか見えない。特にこの方の独特の声があまりにハマりすぎておウメさんが実在しているような気になってきます。

千秋楽ネタ:安兵衛におんぶしてもらって医者に行くシーンの最後に舞台上で病気のウメの扮装(普段の着物の上に寝巻きを羽織ってる状態)を安兵衛@染ちゃんに手伝ってもらいながら解くのですが、その時に染ちゃんに「ひと月のあいだどうもありがとうございました」とお礼をおっしゃってました。また、安兵衛が痺れ薬のため立ち上がれないシーンでは右京に「なんとかせい、年寄りの知恵袋というではないか」と言われ、右京@亀治郎に「歌わなかった人に言われたかないね」と切り返してました!(亀ちゃんは、このシーンの前の人形劇で「パルコ歌舞伎」主題歌を歌ってとねだられ断っていた)。この絶妙なタイミングったらなかった。大爆笑になったのは言うまでもない。本来は「あんよは上手」と囃すシーンでしたが、その後、立ち上がる際の附け打ちがすぐに入ってしまい安兵衛@染ちゃんは自力で立ち上がってました(笑)附け打ちさん、タイミング早過ぎないかぁ?(笑)

勘太郎さん、亀治郎さん、染五郎さんについては24日観劇感想に書いたので簡単に。

☆又八&堀部弥兵衛@中村勘太郎さん、千秋楽でも熱血安兵衛ラブな又八でした。彼は無邪気さだけでなく屈折した表情を随分と上手く見せられるようになりましたね。

千秋楽ネタ:長屋回想シーンで又八が「これが蓋を開けてみれば果し合いって言うじゃないですかっ」と言わねばならないところ「これがフエを開けてみれば」とか噛んでましたが「噛んでない」「噛んでない!!」と逆切れ。安兵衛に弥兵衛@勘太くんが「婿になってほしい」とお願いするシーンではどんどん頭を下げていくうちに床に体全体がペッタリ張り付いてました。安兵衛@染ちゃんに「何やってるんだ?」と問われ「死んだばあさんに呼ばれたんじゃ」とか何とか。その後、腰曲げながら起き上がると、染ちゃんに「今、腰の伸びてたじゃないかー!」とツッコミ入れられてました。

☆右京&ホリ&庄左衛門@市川亀治郎さん、最後まで120%の前のめりでの力いっぱいの芝居を見せてくれました。いつもどこか計算して芝居をしている感じを受ける亀ちゃんですが今回はたぶん自身の計算を越えてしまった部分があるのではないかと思います。

千秋楽ネタ:元来が非常に真面目な方なのでしょう、4回拝見して4回ともアドリブをしているという部分は一切なく、しかしその真面目に受け答えしてしまっている部分で笑わせていました。人形劇で勘太くんに歌ってとねだられ「3役もやってる、来月は金毘羅だしもういっぱいいっぱいなんだよっ」と断る姿や庄左衛門で体力の限界とばかりにヘロヘロになっている姿が本当なだけに笑えます。
        
☆安兵衛&中津川祐範@市川染五郎さん、役を膨らませていくことに関してはやはり独特のものがあるなあ。どんな役であろうと役柄の生き方をどこかしらに滲ませ、そこに染五郎自身の味というものを出せるようになってきたと思う。今回かなり骨太な存在感を出せるようになったかなと思う。千秋楽では座長としての顔がそこここに出ていました。皆が皆、小ネタを炸裂するなかしっかりそれを回収しまくって、芝居の流れに目配りするその姿にちょっと感心してしまった。染ちゃんが座長としての責任をしっかり背負っていたからこそ周囲の皆がノビノビと楽しそうに遊べたのかもしれない。そういう結束の強さがストレートに出ていた千秋楽だった。座長としてもよく頑張ったねと褒めたい(^^)

千秋楽ネタ:回想シーンでの安兵衛と又八の会話。喧嘩指南と思いきや喧嘩をした後は片付けましょうになっていくのが可笑しいのだけど、ここの会話が微妙にいつも違うので三谷さんオリジナルがどこまでで染ちゃんのアドリブがどこまでなのかが気になる。千秋楽では釘が刺ささってしまい引っこ抜いた目玉話が長かった。「目玉が道に落ちていたら大変だぞ」「「きゃ、どこ観てるのよ又八さん」って大事になっちゃうだろ」なんてことをボソボソと話のだけど、このシュールな会話が染ちゃんと勘太くんの素の会話のようにもみえる(笑)


カーテンコールは何度あったかな?途中で数えるのをやめました。鳴物さんたちも自己アピールしてるし、ほんとに皆が皆、楽しみながら頑張っていったんだなあというのが見えました、三谷さんも御簾のなかに紛れ込んで顔を見せてくださいました。染五郎、亀治郎、勘太郎の三人はカーテンコールで早替わりを披露。まさかカーテンコールでやるとは思いませんでした(笑)

染ちゃん:安兵衛→中津川祐範→安兵衛
亀ちゃん:右京→村上庄左衛門→右京
勘太くん:又八→堀部弥兵衛→又八

しかもそれぞれ役に成りきってのご挨拶が笑えました。染ちゃんは中津川祐範の時だけ投げキッスしてるし、亀ちゃんは庄左衛門の時に祐範@染にベッタリくっついてるし、勘太くんも堀部弥兵衛の時はしっかりじじむさーく手を振っていた(笑)

途中、染ちゃんが座長としてご挨拶。全員が一丸となってやりきったというという自負が感じられました。うん、ほんとに皆が皆、素敵だったよ。そして新作歌舞伎の可能性を広げてみせた、そんな予感がしました。

PARCO劇場『決闘!高田馬場』3回目 真ん中上手寄り

2006年03月24日 | 歌舞伎
PARCO劇場『決闘!高田馬場』3回目 真ん中上手寄り

チケットが浮いてしまったとの連絡に何人かに声を掛けたのだが生憎この日程で行ける人が見つからず、すでに3回も行けることになっていたのに思わず「私が引き取ってもいい?」と引き取ってしまった分の観劇Dayでした。実は1回目を観た時に、ちょっと後悔しかけた。これを4回観るのか…と。なぜなら楽しい芝居ではあるのだけど、どこか腑に落ちない脚本に多少ガッカリでもあったから。だけど、染ファンとしては染ちゃんが三谷さんと長年温めてきて実現させた新作歌舞伎、応援しないでなんとする、こうなったら見届けてやる、とそんな想いでもいた。

そして、この3回目の観劇が出来たことに感謝している。2週間ぶりに観て改めて「これは歌舞伎だ」とそういう想いを強くした舞台だったからだ。1回目、2回目を観た時よりはるかに歌舞伎色が強く出ていた。どちらかというと三谷色を強く出し、三谷ワールドと歌舞伎の接着剤の役割であった染五郎と勘太郎が強引に三谷ワールドを歌舞伎の世界に引きずり込んだ結果であったと私にはそう思えた。(千秋楽では少しその部分を三谷ワールドに戻していたような気がする、そういう意味でこの日を観られたのが嬉しい)

主演三人の役割もハッキリみえた。図式にするとこう。

勘太郎(世話物の住人であり町人&三谷世界の住人) 染五郎(世話(町人世界)と時代(武士世界)を行ったりきたり&三谷世界と歌舞伎の世界を行ったり来たり) 亀治郎(時代物の住人であり武士&歌舞伎世界の住人)

上手くハメこんだものだと感心した。そして見事に体現してみせた役者たちにはただ感心するばかり。

私が「これが歌舞伎だ」とそう確信したのは歌舞伎役者でしか表現できない江戸の世界がきちんと見えたから。どこがどう変化したのか、それはもう空気としか表現できないのだけど。三谷ワールドは非常に「今」の世界だ。そのなかに「江戸」の世界しいては歌舞伎の世界を上手くエッセンスとしてmixしていた、と前2回観た時は思った。だが今回は違っていた。『決闘!高田馬場』という舞台上にふわ~っと江戸の粋が立ち上っていた。テンポは相変わらずいいし、ノリも変わらない。ただ、座組みのチームワークがますます良くなってキャラクターがより明快になり、今時なギャグをしようとも「今」の世界ではない「江戸」の住人によりなっていたことと、また現代劇の台詞回し寄りの勘太郎と染五郎が早い台詞回しのなかに江戸の匂いを感じさせるテンポを持ち込んでいたのが大きいと私には思えた。なんというか、あの芝居に登場しない江戸時代の人々の往来が垣間見えたのだ。舞台が膨らんだ瞬間だった。そしてそれは「物語」に起こったではなく、まさしく「歌舞伎役者」が「歌舞伎役者」としてそこにいた結果だった。それを感じた瞬間、私は素直に彼らに賛辞を送ろうと思った。「物語」に喰い足りないものがあろうとそれを凌駕するものを見せた彼らに。

またドラマとしての広がりも少しだけど見えた。安兵衛@染五郎さんと又八@勘太郎さんの関係性がより結びつきの強いものになっていた。この日この二人の最後の場で今まで右京@亀次郎さんのコメディ部分が強く、笑いが起きていたその瞬間を二人の力技でドラマに持っていった。周囲で泣きはじめている人すらいた(観客のすすり泣きの声は前回は聞かなかった)。私には「泣き」までのカタルシスは残念ながら感じなかったのだけど、それでも又八が命を掛けるほどに安兵衛に期待し求めてたもの、そしてそれを悟った安兵衛の悲痛さは十分に伝わってきた。役に戸惑っていたようにみえた染五郎と勘太郎、この二人が吹っ切れたように役にハマりこんでいたからこそ出来た緊張感のある場だったのだろうと思う。

■役者について

安兵衛@染五郎さん、表情が非常に良くなっていました。ダメになってしまている安兵衛では薄々自覚しつつ認めたくないその狭間で揺れ動く顔、過去の安兵衛は飄々と優しさをみせながらその優しさをちょっとハスに構えみせる無骨さのある顔、そして本当の意味で走り出した瞬間の決然たる顔と。その豊かな表情すべてのなかになにやら艶やかさ色っぽさがありました。長屋の住人たちは単に恩があるから安兵衛が好きなのではなく、愛すべき人間だから好きなのだろうと、そういう説得力が増していたように思う。基本的に立場関係無く、とても「人」が好きな安兵衛。そしてつい甘えてしまえるだけの信頼を持っていた又八に裏切られたと知った瞬間の激情もようやくわかったような気もした。

*愚痴を書くまいと思ったのだけど「武士」として「剣の道」を生きることを怖がった「己自身に負けていた」安兵衛をもっときちんと描いてほしかったと、やはり思ってしまう…。そしてその安兵衛に対する又八の想いも。この二人の友情のあり方がキーポイントだと思うんだけどなあああ。

中津川祐範@染五郎さんはますますキモくなっていました(笑)<褒めてます。あの微妙な足運びどうやってるんだろう?安兵衛でハジけられない分、こちらで発散していますという感じ。にしても祐範だけでなく友人の村上庄左衛門、中津川道場門下生の面々もゲイなんだよね。なぜにゲイ設定にしたんだろう?面白いからだけかな?武士の間で衆道は普通にあった時代というのも一応考えてたりしたのかな?三谷さん、新撰組ではあえて外したネタなのにね。ま、天下のNHKじゃ無理そうだけどな(笑)

又八@勘太郎さんも表情が豊かになっていた。無邪気なまでの素直さで安兵衛を慕い、だからこそ落ちぶれてしまった安兵衛に歯がゆい気持ちを抱いている、そんな又八でした。安兵衛に向ける又八の想いって「愛」だよなーって思う。思う気持ちが強いほど憎しみにもなり、でも愛しているものの本当の姿を見たい気持ちも捨てられない。安兵衛しか見えてない、だからこそ自分の命だけでなく周囲の命すら、安兵衛にかけてしまったんだと、今回はそれがよくわかった。勘太郎くんの熱演がそのまま又八の熱い気持ちと重なった。にしても安兵衛と又八の長屋での1シーンは微妙にシュールな空間となる。この二人でしか出せない密な空間になる。何か共通するものがあるんだろうなと思うんだけど、それが何かはわからない(笑)

堀部弥兵衛@勘太郎さんは完全に遊んでますね。どうやったら観客、(いや染ちゃんと亀ちゃんを、かも)笑わせようかとあの手この手をつくしてる。この日は父親と野田秀樹氏(この日観劇)を「チビのくせにうるさいんだよ」とのたまい、ホリにベチっと叩かれて「星三つです!」と堺正章氏(この日観劇)のマネをしておりました(笑)

小野寺右京@亀治郎さん。右京はやはり立場的に「庶民のヒーロー、安兵衛」の運命をつかさどる存在として三谷さん視点を請け負っているキャラクターかなあと思いました。亀治郎さん自身の演技は変化することはないだろうと思ってその通りではあったんだけど、それでもいい具合に肩の力が抜けて伸び伸びと自分の役割を楽しそうに演じているなあと観ていてちょっとほのぼのしてしまった。最初は猿之助さんに似てると思った台詞回しだけど、肩の力が抜けた分、お父様の段四郎さんに似てるなと今回思いました。

ホリちゃんは、とにかく女性からみて強力キャラだと思う。「後つけちゃった~(るん)」とか言い方がほんとに可愛い。声が戻ってなかったのが本当に残念だ。ホリは亀ちゃんの声の調子が良い時のほうがより弾けてて可愛らしかったです<後半に観た方々。

庄左衛門は完全に捨ててましたね(笑)。亀ちゃん休憩ターイム。その投げやりな姿がかえって笑えました。この部分で相当、染ちゃんに頼っているのがみえた。染ちゃん、フォローするのに必死(笑)。というか染があまりにごく普通にさらりと演技続行するんでわからなかったけど、どう考えても疲れ具合は同じだろう…。何かの雑誌で亀ちゃんが「全面的に染五郎さんを頼り切っています」と言っていたのはこのことだったか~(笑)

歌舞伎座『 三月大歌舞伎 夜の部』 3等A席前方上手寄り

2006年03月19日 | 歌舞伎
歌舞伎座『十三代目片岡仁左衛門十三回忌追善 三月大歌舞伎 夜の部』3等A席前方上手寄り

簡略版。後日詳細感想を書く予定。

『近頃河原の達引 お俊 伝兵衛』
ストーリー自体はさほど面白いものではないと思うのだけど、役者がそれぞれニンにぴったり合っていい味わいの芝居になっていた。我童さんがかなり良かったですね。朴訥して、人柄が滲み出るような、肉親への情のあり方が素晴らしい。秀太郎さんはひさびさに娘役を拝見しましたが独特の色気があってピッタリ。藤十郎はさんは出るだけで濃密な空間を作りやはりさすが。


『二人椀久』
富十郎さんが若々しく当たり役を踊りさすが。菊之助さんはとにかく綺麗。かなり体の作り方が上手くなってきていました。でも雀右衛門さんの姿を舞台に探してしまう私がいました…。あの濃厚な情を感じさせた『二人椀久』はもう観られないのでしょうか…。


『水天宮利生深川 筆屋幸兵衛』
いわゆるザンギリもの。明治という時代にうまくのっていけない元武士の家族の悲劇。子役の健気さも手伝い、暗い話ではあるが無理矢理なハッピーエンドが良しとなる。狂いの場での水天宮にまつわるさりげない趣向(「船弁慶」など)は黙阿弥らしい。時代に取り残された男を幸四郎さんは現在にも通じる悲劇としてとらえ、リアルな人物造詣をしてみせる。だが幸四郎さんはあまり暗く重い物語に見せたくなかったのか心中を決意する場はとてもよかったのに、結局子供を殺せず狂気に陥る場を軽く大仰にみせてなんとなく中途半端。いつものようにスコンと深刻に狂気に陥ったほうが幸四郎さんには合う。狂気に笑いに含ませるのは難しい。それにしても、この話は今の世の中に置いても違和感のない物語ではある。黙阿弥の時代性は「今」でも違和感を感じさせないものがある。しかしながら明治という時代をみせる芝居としては通しでやったほうが面白そうだなとも思った。なぜこの場だけ残ったのかなあ。

歌舞伎座『 三月大歌舞伎 昼の部』 3等A席中央

2006年03月18日 | 歌舞伎
歌舞伎座『十三代目片岡仁左衛門十三回忌追善 三月大歌舞伎 昼の部』3等A席中央

簡略版。

『吉例寿曽我』
大掛かりな舞台装置の面白さもあり役者も若手~中堅が揃ってのThe歌舞伎的演目。いかにもな古風な雰囲気がいい。だんまりでは芝雀さんにターゲットオン。大磯の虎がすっかり持ち役になった感がある。それだけの格を見せ、しなやかな色気をみせる。それだけで満足。


『義経千本桜』「吉野山」
意外な拾い物といったところ。正直なところ幸四郎さんの忠信は吉右衛門さん(巡業公演で拝見している)以上にニンじゃないだろうとまったく期待していなかった。でやっぱり、踊りはさほど上手いわけではないし、狐らしい柔らかさもない、愛嬌もないし色気もないし…(ひどい言い様だなっ…をい)。しかし『吉野山』の場を物語ることに重点を置き、静御前との主従関係としての忠信としての役割をきちんとわきまえシンプルに表現し想像していたより良い出来。それになんといってもキメの時の形がやはり見事。踊りがさほど上手くない(失礼!)のにきちんと見せることができるのはこの姿形の美しさがあるからだろう。また福助さんの静御前が美しさとともに白拍子としての色気がいかんなく発揮されなんとも華やかな場になった。


『菅原伝授手習鑑』「道明寺」
昼の部一番の目当てでした。前回通しで観た時にかなり面白く拝見していたのでとても期待していたのだけど今回は役者が揃っていたわりに全体的にちょっと薄味。仁左衛門さん、前回のほうが良かったような気がする…。芝翫さんもちょっと調子が良くなさそうで、いつものたっぷりした濃厚なオーラが薄めだったし…。この場だけ上演するのは難しいのかなあ。うーん、うーん。

PARCO劇場『決闘!高田馬場』2回目 前方真ん中

2006年03月12日 | 歌舞伎
PARCO劇場『決闘!高田馬場』前方真ん中

PARCO歌舞伎『決闘!高田馬場』2回目に行ってきました。やっぱりとりあえず楽しいんですよ。2時間15分、舞台とともに疾走する感じがあります。エンターテイメントとしてかなり上等の部類にはいる芝居だと思う。何より、主役から脇役に到るまで、また裏方の皆も活き活きとやっている、それこそ全力疾走しているその姿を見るだけでもうワクワクし、応援したくなる。「芝居」を作り上げることが好きで、脇にも裏方にも愛着をもって接する三谷さんならではの舞台であろうと思う。そして歌舞伎ファンに美味しい演出と三谷ファンに美味しい味付けをし、とにかく観客を楽しませよう、そういうノリの舞台。だからもう場面、場面を楽しめばいいんだろうと思う。そういう部分では本当に楽しく見られるものになっている。

今回、前回拝見した時より役者さんたちもかなりメリハリが出てきたし、演出もだいぶ整理されてきた。

■演出面が整理されてきた。

・長屋の住人の安兵衛とのエピソード部分が少しタイトになり、ダレ場が減った。

・黒子が出していた障害物を中川道場の面々が出していた。安兵衛たちを邪魔しているものたちの存在がここでもアピールできていて良い変更だと思う。

・幕切れの安兵衛の見せ場の間を少したっぷり取り、印象的に見えるようになっていた。

■役者

染五郎さん、安兵衛にかなり表情に深みが出てきた。単なるダメ男ではない、何かを捨ててしまった哀しさがみえていた。ただ、その安兵衛の想いを拾い出す脚本ではない部分で後半それを活かすことが出来ないでいるのがやはり残念ではある。ただ、それでも愛すべき安兵衛としての存在を飄々と軽やかにてらいなく演じきっている。とことんダメな存在になってしまっても愛すべきものがある、そういう雰囲気がきちんとあるからこそ、多少齟齬のあるキャラクターでも英雄としての運命をもつべき人物として納得させてしまうのだと思う。体のキレが前回より良く、見事なトンボを切っていた。走る姿もますます美しくなっており、またラストの走りの時の表情は本当に良い表情をしていた。先へただ向かうその目がひたすら神々しいまで澄んでいた。名乗りをあげたその瞬間はただひたすらかっこよかった。

中津川祐範のほうは楽しそう。安兵衛と対照的な部分でメリハリが利いてきたので早変わりが効果的。かなり濃いキャラになってきてインパクトが出来てきていました。

勘太郎さんは一生懸命。その一生懸命さが又八というキャラに合っていてとても良いのだけど、安兵衛に対する気持ちの揺れの部分がどうもまだ上手くハマってこない。これは脚本が荒すぎるので求めるのが酷なんだろうと思うけど、後半単に投げやりになって思考停止に陥ってしまった又八になってしまっている。ようやく、心の揺れを出す場では右京に邪魔されるしね…。この場、右京は笑いに走るべきではないと思うんだけどなあ。又八最後の真剣な場が真剣な場として受け止められない人も何人かいた。笑うシーンじゃないよね?なところで笑いが起こるのは直前まで笑わせるシーンを持ってきてるからではないかしら。前半の回想シーンでの安兵衛と又八のじゃれあっているかのような間柄のほのぼのさが良いだけに、もう少しなんとかできないかなあと思う。

亀治郎さんはやはり三役ともキャラ立ちしている。基礎がしっかりしているうえで、「見せる」という部分をきちんと意識してやれる。これはかなりすごいことだと思う。特に右京は120%、とにかく全力を出し尽くして前のめりになりながら演じているように思う。しかし右京が熱演のあまりヘタするとウザキャラ一歩手前まできているのは三谷さん的にOKなんだろうか?。歌舞伎的要素の体現が彼にかかっているのだけど、あれ以上いくとパロディになりかねない不安がある。コメディとしてのキャラとしては十分機能しすぎなくらい。この右京、立ち位置が「作者・三谷」の立ち位置なんではないかと思ってきた。「運命(物語)」を支配する立場。うーん、さすがに穿ちすぎかも。

今回はホリと庄左衛門は少々息切れ状態。亀ちゃん大丈夫かな?ホリは声がかなりきつそうで、はじけっぷりが少し大人しくなってしまっていた。前回のほうが良かったなあ。早く声が治るといいですね。

庄左衛門のほうは完全に素の亀ちゃんが出ていたよ。ぜーはーぜーはーと酸素不足で台詞が飛んでしまったらしく、なんと対決相手の菅野六郎左衛門@錦吾さんに「すいません、本当に何を言うか台詞を忘れてしまいました」とか謝ってました(笑)。ここまでボロボロな亀ちゃんを見たら応援するきゃないでしょう。

対する錦吾さんはまったく動じず、そのまま芝居続行。染ちゃんもさりげなくフォロー。高麗屋さんはこういうハプニングにほんとに強い(笑)にしてもやはり菅野六郎左衛門@錦吾さんの存在は見事だと思う。唯一、キャラ立ちはしていない役柄なのだけど、ピシッと締める役割として素晴らしい仕事をしている。

にら蔵@高麗蔵さん、おもん@宗之助さんがだいぶメリハリが出てきて、上手くキャラクターにハマってきていた。見せ場をきちんと見せ場にできているように思う。

おウメ@萬次郎さんはますます可愛らしい婆さんになっていた。いくつになっても女らしい気持ちを忘れない、ステキな女性だ。女形さんの愛らしさって、本当に独特なものがある。いやらしくない可愛さなんだよねえ。

あと、中津川門下生をやっている皆さんが、もうあちこちでやっぱり大活躍。なにげにやっぱり走り回っています。ワンちゃんたちにまでなっちゃうわ、背中踏まれるわ、下手から上手からわらわらと出ては入り出ては入り。そのなかでは乙女系男子を受け持ってる坂東翔太さんが美味しすぎます。


■でもやっぱり注文をつけたくなる私…。

前回3/3(金)に拝見した時に「物足りなさ」が残りました。そしてそれがどこにあるのか、その大部分が脚本の部分に対してということがわかっていたので、割り切って楽しもうとも思っていました。だからとにかく笑って拍手して楽しみました。だけどやはり、もうこれは私の性分としかいいようがないけど、ストーリーがわかっているだけに「どの部分が足りなくて、私としてはこうして欲しかったか」がやっぱり次々と浮かんできてしまう。どうしても「人間同士の濃いドラマ」を求めてしまうんですよ。 染ちゃんが安兵衛というキャラに膨らみを持たせてきた分、かえって脚本の人物掘り下げの部分が足りないことが明確になっていたかなと…。

前回、安兵衛はヘラヘラと酔っ払って人として落ちぶれた姿をさらしているその姿が安兵衛そのままの姿でしかなかったのだが、今回は、自分を見失い、酔うことで自分を誤魔化し、その弱さを自覚している哀しい人間、という部分が滲み出てきていた。しかしながらなぜそうなるに至ったかの心情は描かれず、また自身の弱さを指摘され、自身を正面から見つめていく、そんな部分も描かれない。弱さから這い上がろうとする人間的成長を垣間見せる部分もなく、根底にあるはずの人に優しくできる気骨ある人間として周囲の人間へ対する想いも語る場所もない。すべて一方的に「あなたはこういう人だ」「おまえはこうあるべき」「こうあらねばならぬ」と言われ、ただそのなかに身を投じるしかない。自身が納得しないうちに、走り出す。これでは安兵衛というキャラクターに感情移入することができない。

前回は又八と安兵衛との関係性と右京と安兵衛の関係性が深くあらねばならないのでは?と書いたのだが、実はちょっと違うかもしれないと思った。

今回観て右京と安兵衛の関係性はあまり必要ではなく、又八と安兵衛の関係性、そして叔父の六郎左衛門との関係性が深くなければいけなかったのではないかと思った。なぜ高田馬場へ向かわねばならないのか、そこのモチベーションの部分で叔父との関係が必要であろう。安兵衛の叔父への思いがあり、そして、又八の安兵衛への思いがあってこそ「高田馬場」へ向かう意味付けがなされる。その部分がすっかり抜け落ちている。

安兵衛の叔父への思い。叔父は安兵衛を息子のように思い、心配している。そこが語られるのに、安兵衛は叔父のことをどう思っているのかが語られない。「叔父のために」その部分をきちんと見せる場があれば、ただ「運命に翻弄」されるだけの記号としての安兵衛ではなく、「人間」としての安兵衛が立ち上がってくると思うのだけどなあ。

又八の安兵衛への思い、という部分でも又八の安兵衛に対する心情が描ききれていない。そのため気持ちの変化がどこで、どう起こったのかが見えてこず、どう悩み何を思ってきたのかが見えない。だから又八と安兵衛の最後の会話に説得力が出てこない。「男気のある武士としての安兵衛」を何が何でも見たかったと起こした行動なのであれば、長屋の住人を危険な場所に置いて引っ張っていくのは右京ではなく又八のほうであれば良かったのではないだろうか。さすれば、まだ説得力が出たような気がする。

右京の役回りは「友人」としてではなく「庶民のヒーロー、安兵衛」の運命をつかさどる存在。「安兵衛」を英雄に祭り上げるための存在。ドラマに割って入り、「人間」としての安兵衛を許さない。あるべき存在として虚像を作り上げる。だから大事なところで割って入ってくるのだ。

長屋の住人たち、「安兵衛」を触媒にした「自分探し」。なぜ安兵衛を応援するのか、彼のためではなく自分の生き方を探すため。安兵衛のために死ぬのではなく自分の行き先を定め満足のために死んでいく。だから安兵衛の後押しをするモチベーションにそれほど関わってこないようにみえるのはそのせいかなあ。

日生劇場『夏ノ夜ノ夢』 B席前方下手寄り

2006年03月05日 | 演劇
日生劇場『夏ノ夜ノ夢』 B席前方下手寄り

日生劇場に『夏ノ夜ノ夢』初日を観にいきました。面白くないわけじゃないけどわくわくもしなかった…。ラスト以外は作りとしては悪くはなかったと思うのだけど、芝居ができている人が少なかった。それゆえに今回、あらためて歌舞伎役者っていうのは地力があるんだと思い知らされた。きちんと伝えることができていたのは松緑さんだった。台詞廻しは相変わらず舌足らず炸裂ぎみでしたが、一番伝わってきたよ。体が重量級という部分を抜かしても存在感も一番あった。キャラ的には私が期待した陽性キャラではなかったのがとてつもなく残念。おちゃめさとかはずむような軽やかさとか、そんなのものを出したほうが楽しいものになったんじゃないかなあ。脚色と演出との両方が松緑さんに陽性キャラを求めてはいなかった。あまり妖精らしからぬ等身大の青年ちっくなパックでした。

全体的なことをいえばメリハリがほとんど無く、とにかく長く感じた。原作がどうのというより、演出と脚色と役者の力とのバランスで冗長散漫になったような気がする。

演出と脚色は、中途半端。何を描きたかったのか。「エロス」と「人間界と異界の境界線」といったところであろうか。やりたいことはなんとなくはわかったのだけど、大劇場での商業演劇という枠組みのなかでやり切れなかったのだろう、それは薄められ何もかもが中途半端。おかげで原作の錯綜する物語の面白さも薄められ、喜劇としての面白味も失われてしまった。骨格はそのまま使っているので、なんだかんだと物語性は失われていないという部分で「面白くない」とまではいかない。ところどこは楽しい。でも結局その楽しい部分は力がある役者が舞台の上にいた時のみという…。

異界への畏敬が失われた人間界へのメッセージがラストにあるのだけど、どうして言葉で語らせるかね。なぜ「物語」のなかにそれを生み出せないのか。ラストの処理は安易すぎてかなりがっかり。祭の場だけで十分。妖精パックを妖精王と人間の女性の間に生まれたあいの子、という設定にしているのだけど、これがうまく機能していない。

役者のなかでよかったのはまずはパック役の松緑さん。一番脚色されたキャラクターではあるが、その等身大の青年としての存在と、どこにいても浮いてしまう存在としてきちんと伝えるべきものを伝えていた。ただ、このキャラクターは松緑さんの良さをそれほど伝えてはいない。お茶目でいたずらっ子で終始軽口を叩く、そんなキャラのほうが似合ったと思う。

オーベロン役の村井国夫も存在感があった。舞台での居場所をよくわかっているという感じがした。感情のメリハリもいい。

タイターニア役の床嶋佳子さんはエロスを醸し出す女王として存在していた。身のこなしも美しく魅力的でした。 TVで見る顔とはまったく違いました。地力がある女優さんだと思いました。

上記三人だけかな、あの大きい舞台できちんと芝居を見せてくれたのは。あとはクィンス@住田隆とボトム@マイケル 富岡の二人を含む村の劇団青年たちはなかなか頑張っていた。でも皆が揃って、ようやく場を持たせるという感じ。ラストの見せ場でも最初はいいんだけど段々、冗漫な感じになっていく。間のメリハリが足りないというか…。

まあ、単独で言及できるのはこのくらいかなあ。

本来、主役にならなければいけない四人組はTVでは決して悪くないキャラクターたちだと思うのだけど、大きい舞台でやる芝居にはまったくなっていなかった。脇役だったら、こんなに酷評しないのだけど物語を転がしていかなければいけない立場ということを考えたら力不足は否めません。台詞をただしゃべればいいってもんじゃない。叫べばいいってもんじゃない。この実力を身近でみている演出家と脚色家、もっとなんとか考えてあげればよかったにとさえ思った。それなりの見せ方があるんじゃないのかなー。シンプルな芝居は実力がないと無理でしょう。

PARCO劇場『決闘!高田馬場』 1回目 前方上手

2006年03月03日 | 歌舞伎
PARCO劇場『決闘!高田馬場』前方上手

今回はネタばれをせずに感想を書きました。たぶんかなりわかりずらい感想になっていると思いますが自分的メモなのでご容赦を。

一、観た直後の全体的な感想:

一言でいえば面白かった。思っていた以上にいかにも三谷さんらしい群像劇でした。主役の安兵衛は狂言廻しとしての存在。安兵衛を取り巻く人々の物語でありました。三谷さん本人が「脚本で勝負」と言うだけあってやっつけ?(稽古しながら書いてたらしいですから(笑))とは思えない緻密さがありました。個人的にはもう少し練る余地ありとも思いましたが新作ということを考えたらかなりの出来じゃないかな。演出のほうは正攻法と小劇場的なものを上手くmixした感じ。前半はかなりいい感じ進むのですが後半はもう少しメリハリがほしいかなあ。メリハリがつけばもっと盛り上がるだろうなと思いました。スピード感を出したいのはわかるけど、好みからするともう少し溜めの部分が欲しい。まあ多分やりながら少しづつこなれていくとは思いますが。とか、どうしても演出部分が気になってしょうがない私でした(笑)

歌舞伎としてはいわゆる歌舞伎の世話物として一環した雰囲気があったと思います。役者の力と音の力が大きかったかなと思いました。PARCO劇場というキャパならではの面白さもありましたが、きちんとした花道があればなあと思うシーンがいくつかあったのでもっと大きい小屋で観たいなあと思ってみたりも。十分歌舞伎座でかけられる脚本だと思いました。


二、役者のこと

配役:
中山安兵衛・中津川祐範…市川染五郎
小野寺右京・堀部ホリ・村上庄左衛門…市川亀治郎
又八・堀部弥兵衛…中村勘太郎
おウメ…市村萬次郎  
にら蔵…市川高麗蔵
おもん…沢村宗之助  
洪庵先生…坂東橘太郎  
菅野六郎左衛門…松本錦吾  

ベテランが伊達にベテランでないことを改めて感じ入る。若手は良い意味でも悪い意味でも浮き足立っていたのだがそこに重石としての存在感をみせ場を締める。

安兵衛@染五郎さん、狂言回し的役柄で終始受けの芝居をしなければいけない安兵衛というキャラクターにまだ入り込めていない感じがある。手探り状態。感情の振幅を出せないキャラクターなので感情の揺れを見せる部分が得意な染五郎の持ち味を生かすことができない。なので染ちゃんへのアテガキのわりにかなり冒険的。ダメ浪人~優しき男~優しさゆえの弱さ~運命に走らされる男~英雄。その変遷をどこまで割り切ってやるか、もしくはどこまで幅を広げて演じるか。どの方向へ行くかはまだ見えない。最後の幕切れ、案外に英雄的オーラは見せていた。台詞回しの間がテンポを早くしようとして良いリズムに乗れてないような気がする。先を急ぎすぎ。落ち着いていきましょう(笑)

中津川祐範@染五郎、スパイスとしての役柄だがこちらのほうが活き活きとしている。マゼンダ色の着物が似合い、ゲイ系オーラを醸し出すに違和感ない(大笑)。それはいいことなのか?おい(大笑)。そっち系キャラが似合うなあああ。『アオドクロ』の天魔王さまも両刀使いぽかったし…。

小野寺右京@亀治郎さん。亀治郎さんは三役ともほぼ100%に近い出来上がりのように思える。右京役に関しては猿之助さんソックリで驚いた。ええっ?似せてるの?それともつい似ちゃったの?台詞回しがもう猿之助さんにダブりまくり。場の空気が読めないというキャラクターを大仰に作りこみ笑いを誘う。非常にメリハリがあり、見せ場を見事にさらっていく。安兵衛との関係性で、最後の安兵衛との場でほんの少し迷いがみえた。友人としているべきか、運命へと押し出す道化的位置にいるべきか。

堀部ホリ@亀治郎さんは『十二夜』の麻阿の発展系。一途すぎて恐いお嬢様。素敵すぎ。亀ちゃんしかできない女形造詣かも。恐いのに可愛い(笑)

村上庄左衛門@亀治郎さん。息も絶え絶えのいっぱいいっぱいの亀ちゃんが見られる。この芝居じゃないと見れないかも。計算しつくす亀ちゃんの思惑を超えた表情が出てくる可能性大な美味しいキャラ。

又八@勘太郎さん、やっぱりこの人は上手いなと思う。でもまだこなれていない。又八の心情を捉え切れていない。後半の又八の立ち位置を表現しきれてない感じ。ここは脚本の荒さに原因があると思う。安兵衛と又八の関係性の深さをもっと描いてほしかった。他の住人とは違う深さがないといけないのではないかしら。ただ、いつも思うが染五郎と勘太郎の相性はとてもいい。二人並んでいるだけで親密な空気が流れる。脚本の荒さはその空気感に多少助けられている部分があった。後半、こなれてくると深さが出てくるかもしれない。役柄的には『新選組!』の平助そのままで意外性がなかったかなあ。ところどころ、勘三郎さんにそっくりだった。血だねえ。

堀部弥兵衛@勘太郎さんはわけのわからなさが良かった(笑)パワフルじーちゃん。変人としか思えないキャラなのだけど飄々とした感じがあるのは勘太郎くんならではかも。

おウメ@萬次郎さん、見事に世話物での長屋のおかみさんだった。その味わいを逸脱することなくはじけたキャラクターを可愛らしく演じていた。美味しいキャラをきちんと美味しくしてみせる力量。また、歌舞伎役者としての意地みたいなのも感じた。

菅野六郎左衛門@錦吾さん、唯一ごく普通のキャラクターなのだが締める存在としてきっちりいた。しかも菅野六郎左衛門として自然な味わい。佇まいといい、叔父として気遣う優しさが滲み出る台詞といい、先月『一谷嫩軍記』で平山をやっていた人物は思えない。お見事。
  
にら蔵@高麗蔵さん、おもん@宗之助さんはかっちり演じているという範囲。メリハリがもう少し欲しいかな。にら蔵&おもん夫婦はかなりキャラ立ちしているので、その部分をもっと押し出してもいい。見せ場がありすぎてかえって丁寧にやろうという意識が先にたっている感じかも。特に宗之助さんは立ち回りの部分を「おいらが主役」気分でやってくださいまし。
    
洪庵先生@橘太郎さん、長屋でのスパイス的存在。とぼけた感じがいい。


三、落ち着いてから、思ったこと。

「面白かった」その感情しか残らない。後をひかない。感覚的な面白さ。あるがままを受け入れるだけ。余韻が残らない。思考を刺激されない。

安兵衛は『義経千本桜』の義経的役割。安兵衛自身の本質は語られない。運命が決定事項ゆえ人々が見聞きした安兵衛でしかない。象徴であり記号。いわゆる英雄譚。

物語としては前半世話物、後半時代物へ移行というようにも取れる。物語的な部分で「歌舞伎らしい造詣」に思えた。計算でか、たまたまか?

箱庭的物語。

みどり狂言的。前後が無い。

祝祭的芝居。

安兵衛からの視点は一切なし。よって見せ場がない。いわゆる芝居のしどころを封印されている。

安兵衛を取り巻く人々の思いが主眼。生き方の模索。長屋連中と安兵衛と精神的な関係性は実は薄い。

右京、又八は安兵衛との関係性は深くあるべきだろうがそこが今回、荒すぎてほとんど洩れている。

心情の拾い出しがネタに走りすぎ見えてこない。

死への扱い。捨て駒。すべてを捨てて神になる。まさしく英雄譚。

人形は可愛いが語られる言葉が表面的になってしまってそこにある感情が伝わらない。すでにある「物語」のなかでの物語でしかない。

文楽のありかた。物語を物語として伝える。そこが面白い。自己投影もしやすい。

歌舞伎は「役者」を介するために役者の感情、解釈が入る余地がある。その余地を広げるか広げないか。観客と役者の感情のぶつかりあいがでる。


四、独り言
「物足りなさの原因」
私が求めた部分にある。私は歌舞伎に単に「物語」のみを求めていないらしい。役者を介した時点で役者の解釈(感情)を求める。行間を読みたいタイプ。解釈を膨らますことに楽しさを感じる。今回の芝居のキャラクターに深みはなかった。感情のぶつかりあいをあえて外してあるような物語だった。そこが物足りない。たぶん本来の「歌舞伎」に求てはいけないものを求めているのかもしれない。私にとっての娯楽って何だろう?