Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

シアターコクーン『NODA MAP 贋作・罪と罰』2回目 S席1F舞台裏座席後方

2006年01月29日 | 演劇
シアターコクーン『NODA MAP 贋作・罪と罰』2回目 S席1F舞台裏座席後方

先月、この芝居を観た時は私はいわゆる野田演劇はほぼ初見(生で観た舞台は歌舞伎『研辰の討たれ』のみ)で、いわゆる野田演劇の方法論を知らないままの観劇で最初のうちどうしても入り込めず、大川の川辺のシーンでようやく物語のなかに入っていけたのですが、2回目の今回は最初から入っていけたように思います。(私の1回目感想)

それにしてもやはりシンプルな舞台のなかに喚起される言葉と情景のリアルさには感嘆する。言葉がなぜこんなにキラキラと光って見えるのだろう。私はいったい何をみているんだろう。私は言葉を観ていました。決して技巧を凝らした言葉ではないのにとても美しく感じる。

そして今回は芝居を観て楽しむという部分以外に「人の生(せい)ってなんなんだろう?」と考えてしまいました。「人が生きていくこと」への揺れを私は感じました。そして「人は生きていくべき」と言い切るのではなくたぶん願いとして「生きていてください」と投げかけているのではないかなあとそう感じました。精神主義、物質主義、そのどちらも徹底的にちゃかしてはいるけれど、たぶん信用はしていないけれど、そのすべてをひっくるめて「人の生」への希望を捨てない。だから切ないのだ。生きていくことの不安定さを突きつけられているかのようだった。

以下、もうほとんど感想じゃありません。いつもの妄想モードな思考の弄びです。

この芝居は松たか子演じる三条英に、三条英を演じる松たか子に、何かを感じることができなければ、たぶん「面白いね」くらいでそれほどひっかかってこないものかもしれないとも思った。それぐらい英を演じる役者が引っ張っていかないと立ち上がってこない物語だ。そして私は松たかこ子造詣した英という人物にとても複雑な感情を抱いてしまうのだ。「理想のために人を殺すことが許されるのか」、机上の論理を踏み越えて殺人を犯してしまった英。松たか子の英にはそこに本当の意味での狂気はない。あくまでものびやかで真っ直ぐな精神。だからこそ、恐い。

英の未成熟な硬質さは、10代の少女が犯した殺人や殺人未遂事件を思い起こさせた。彼女たちの殺人はある部分とても無邪気だ。現実感がほんの少し希薄だったがための、それこそ机上の彼女たちだけの論理に従ってしまっただけのようなものに私は思えて、それゆえに私は彼女たちを受け入れたくないと強烈に思ってしまっていた。その感覚を『贋作・罪と罰』の英の殺人に感じてしまった。英自身の咆哮のような悲鳴とともに行なわれる殺人。

だからこそ目が離せなかった。ギリギリの精神のバランス。笑うことができない英はその未成熟さゆえに無防備であまりに純粋だ。時に子供のようにさえ見える。方向を見失った迷子のよう。その孤独をも自覚しないまま何かに追い詰められていく。その焦燥感がどこからきているのか、わかっていないんだろう。美しく感じていた風景も、身近にあった音も感じなくなって「人殺し」という事実が覆いかぶさり何か違うと感じているのに頭がついていかない、認められない。それは自身を拒絶していることに他ならないに。

それを受け止める才谷は「男」だけどどちらかというと父性に傾いている。何が起ころうとも全てを受け入れてくれる彼の存在を認めることにより、ようやく英は自身を、そして罪を受け入れる。その瞬間の英@松たかこの嗚咽とも叫びともつかないあの声はいったいなんだろう。その瞬間だけは言葉ではなく声無き声の力に圧倒された。一言では言い表せない声。その声を吐き出した後の英はようやく穏やかな顔になる。笑顔では無いのだけど、居場所を見つけたそんな顔だった。どこかへようやく辿り着いたのだ。

そしてすべての人に「生きていてください」と願い、未来に向かって「誠実に生きていく」と誓い、愛するものに「愛してる」と告白する。しかし英のその言葉をあざ笑うかのように英の父に愛する才谷は殺される。それが英につきつけられた罰なのだろう。牢獄から出た英はそれでも生きていくのだろうか。たぶん生きていかなければと、きっと思うだろう。その時、英は大川の風をどのように感じるのだろう。ひどく残酷でだからとても切なくて私は泣いてしまった。でも英を受け入れられない自分もいる。でもずっと考えていかないといけないんだろうなあ。

東京千秋楽のこの日、英役の松たか子さん以外の役者さんたちは前回観た時より肩の力が抜けリラックスした表情のように思いました。その代わり、ちょっと台詞を噛んだり間違ったりと危うい部分もありましたが…(笑)。まあそこは前回観ていた分、補完しながら見ていました。それでも役への入り込み方は断然良かったです。松たか子さんは終始張り詰めていました。英という役は緩んではもう英ではなくなってしまう、そういうキャラクター。その英を演じることはかなりの精神力がいるんじゃないのかなあと、カーテンコールの時でさえ笑顔が出ていない表情の彼女を見て思いました。英から抜け出して笑ってくれないかなあなんて思いながらずっと追いかけてみていると、表情が緩んだ瞬間を一瞬だけ見ることができました。それは最後の最後カーテンコールからはけていく時に古田さんが声を掛けた時でした。

歌舞伎座『坂田藤十郎襲名披露 寿初春大歌舞伎 夜の部』 1等席1階花道寄り真ん中

2006年01月21日 | 歌舞伎
歌舞伎座『坂田藤十郎襲名披露 寿 初春大歌舞伎 夜の部』 1等席1階花道寄り真ん中

『藤十郎の恋』
坂田藤十郎は『大経師昔暦(おさん茂兵衛)』を演じるのに悩み、不義の心を知るため人妻お梶に偽りの恋を仕掛け、真相を知ったお梶は楽屋で自殺してしまう、といった藤十郎の役者の業を描く物語。いわゆるバックステージものですね。

今回の配役が個人的に面白かったです。昨年『大経師昔暦』に出演した時蔵さん、歌六さんがいて、またバックステージもの『夢の仲蔵 千本桜』で出演した芦燕さん、高麗蔵さん、友右衛門さん、宗之助さん、錦吾さん、鐵之助さんが大挙出演。昨年の『大経師昔暦』と『夢の仲蔵』を観ていると別な部分でもかなり楽しめるうまい配役。

しかしこの芝居、本物の女性が出てくるので本物女性も女形がやり、女形も女形がやるその妙な按配が不思議な感覚でした。髪型で判別できるようになっていましたがそれにしてもどちらがどちらか一瞬わからなくなるし(笑)こういう芝居を観ると歌舞伎を観るときは女形さんを「男が演じる女」として見ずに「女」として変換して見ているんだなあと思いますね。<私だけ?

さて、舞台の感想ですが、ああ上方だなあと思いながら見ていました。配役的には関東の役者さんが多いのにきちんとはんなりした空気が流れているんですよね。どこがポイントかなあと思ったんですがまずは衣装の色使いでしょうねえ。色の組み合わせが華やかで視覚的にまず上方がきちんと演出されている。そして酒宴の場というくだけた場でいきなり始まるので大阪弁のやりとりに無理矢理感がないのもまったりとした空気を上手く感じさせたのかも。舞台裏の楽屋風景はもう無条件で面白かった。ああいう役者さんたちの日常の一コマが切り取られているシーンてなんだかほんと好きなのよ。

藤十郎役の扇雀さんは非常に神妙に演じていたような感じでした。いつもの押しの強さがなかった。お父様の新藤十郎さんに教わった通りに演じてるんだろうなという印象。きちんと上方の雰囲気が出てはいたけど、まだなぞってるだけな雰囲気も。なんというか藤十郎という役者の華とか芸に対する執念、業など、そういう部分をあまり感じられず説得力があまりなかった。丁寧にやりすぎて印象が薄くなった感じなのかな。

お梶の時蔵さんは昨年おさんを演じているだけあって役にすんなりハマってとても良かった。離れの座敷では人妻としての色気と藤さまに憧れている可愛らしさがあり、楽屋で真相を知って傷つけられた悲しい表情に女としての意地がみえとても説得力ある造詣だったと思う。

袖崎の宗之助さんのキャラが「女形」として少し声を低めにとり男の部分をさりげなく出してるとこが可愛らしかった。というか『夢の仲蔵』の常世兄さんだーーと勝手に喜んでました。最近、宗之助さんは表情が豊かになってきてとても良くなってきたと思う。

霧浪千寿の高麗蔵さんの立女形としてのプライドの高そうな雰囲気がすっきりとしたお顔と相まっていいキャラ造詣。

『口上』
キンキラ襖が見たかったけど歌舞伎座での襖も上方らしい色合いと柄で華やかでした。総勢18名の口上は壮観でした。今回の襲名は何代目がつかない(ほんとは四代目)いわば新たに坂田藤十郎像を作っていくという70歳過ぎた鴈治郎さんだから許された襲名という感じがある。それを皆が暖かい目で見守り、今まで鴈治郎さんにお世話になった分、応援していきますよという雰囲気でした。口上って役者さんたちがただ並んで御挨拶するだけなのになんだか楽しい。今回お披露目の扇雀さんの長男、虎之介くんがとっても可愛らしかった。新藤十郎さんより拍手をもらっていました。

『伽羅先代萩』
素晴らしい舞台でした。これぞ義太夫狂言だよ、という濃密な空間がそこにありました。新藤十郎さん政岡を筆頭に役者のバランスもよく終始、緊迫感溢れたとても良い芝居でした。丸本物の大歌舞伎の醍醐味というのはこういうとこにあるんだよと突きつけられた感じ。

「御殿」
今回は藤十郎さんの芸の深さを思い知った。山城屋さんの台詞回しが苦手なんて言ってる場合じゃないよと。正直、ここまでのものが観れるとは思ってもみなかった。とにかく藤十郎さんの政岡は本当に見事だった。本行の文楽に近づけた演出ということだが、これが見事に歌舞伎として消化されていた。生身の役者が演じるからこその情感と義太夫のイキが絶妙に絡んだものだった。体に義太夫が染み込んでいるからこそ気持ち本位で糸に乗れるのだとつくづく思い知ったよ。柔らかさを生かした体の使い方のうまさもさることながら緩急の使い分けが絶妙な台詞廻しも本当に見事。

またすべて部分で政岡の乳母としてのそして母としての気持ち本位での芝居があった。型を型として見せてない。まま炊きではお茶のお手前の作法を丁寧にやるのではなく、焦った風に米を手で研ぎ水を入れ焚いていた。早く食べさせてやりたいという気持ちがよく伝わってくるものだった。また乳母としてまず何より鶴千代君を守るという姿勢を貫いていた。千松が短剣でなぶられるシーンでは今までだと打掛で鶴千代君を隠すのだが藤十郎さんはさっと部屋に入れ、まず守る姿勢を取る。その上で我が子がなぶられているのを必死で堪える。政岡の立場の辛さをここで見事に表していた。そして我が子の亡骸を前にしたくどき。ここがまた凄かったなあ。母としての悲痛さだけでなくそのなかに八汐への仇討ちを決意して見せたような気がする。その緊迫感たるや、手に汗握ってしまった。とにかく藤十郎さんの政岡は素晴らしいの一言につきる。

千松の虎之介くんと鶴千代の鶴松くんの子役二人が藤十郎さんの熱演に負けないくらいとても良かった。子供らしいけなげさがありつつ千松は武家の息子としての芯が、鶴千代は殿としての品格が、それぞれきちんとありそしてなにより二人ともしっかり気持ちが入っていました。将来が楽しみ。

八汐の梅玉さんが藤十郎さん@政岡とのバランスがとてもいい八汐でこれまた想像以上に良い出来。熱い政岡に対し、冷ややかに顔色をいっさい変えない冷淡極まる八汐。この攻めではなく受けの八汐がうまく藤十郎さん@政岡の対極に位置することになり、より対決の場に緊迫感が出た。またその押さえた部分にお局としての大きさと品格が出て、女同士の戦いではなく政治的対決がより鮮明になったように思います。

栄御前の秀太郎さんはふてぶてしさと、政岡が味方だと勘違いしてからの馴れ馴れしさの切り替えが上手い。ちょっと心配してた格の大きさもきちんと出ていました。

沖の井の魁春さんがきっぱりとした品格があり、八汐に相対する間がとてもよく政岡を気遣う部分が見えたのがさすが。

「床下」
短い場だけど幸四郎・吉右衛門兄弟対決、さすがに見ごたえがありました。

まず、荒獅子男之助の吉右衛門さんが出た瞬間、でかいっ。荒事の豪快さがあるだけではなく床下に潜み鶴千代君を守っていたという鬱憤したパワーがあり、、そして単なる荒事の記号になりそうな男之助を仁木を逃した悔しさを滲ませた台詞で男之助という人物としてきちんと造詣をして見せた。気合入りまくりでしたねー。

そして仁木弾正の幸四郎さん。すっぽんから出た瞬間の妖気たるや凄まじい。妖術使いとしての怪しさ、悪人としてのふてぶてしい笑いの凄み。幸四郎さんは今の役者のなかで随一の仁木役者だと思う。またゆらゆらと灯に照らされたその姿はいつもの倍増しで美しい。カッコイイよ~。最近、世話物に新境地を開いている幸四郎さんだけど、ぜひ実悪もやっていただきたい。

『島の千歳』
今月の福助さんはやはりいつも以上に綺麗に見える気がする。振袖姿が可愛らしかった。踊りのほうは神妙に丁寧に踊っていてたおやか。きちんとした品もありました。

『関三奴』
勢いのある楽しい踊りで打ち出しにちょうどいい華やかさ。重い演目の『先代萩』の後だけに『島の千歳』と合わせて一服の清涼剤。

二人で踊る『関三奴』はほぼ同じ振り付けなのでつい見比べてしまう。橋之助さんと染五郎さんは踊りの質がまったく違うので合わせるのが大変だったんじゃないかなあ。で橋之助さんファンには大変失礼ながら染五郎のほうが踊りは断然上手ですね。染五郎の踊りは体の軸がぶれず、足捌き、手捌きが本当にきれいでとても丁寧。余計な動きをせず手先、足先きをしなやかに大きく先のほう出すので動きがまろかや。きちんと曲の音のど真ん中にいる楷書の踊りだった。また踏み込む時にしっかり腰が入ってるので足拍子の音も非常に良い音が出ていました。また毛槍の捌きも体との位置関係がとてもきれいで投げる時もきれいに放物線を描いていた。

橋之助さんは表情が豊かで奴の愛嬌を前面に押し出して雰囲気で見せる踊り。動きが細かいので一見派手に見えるけど、総じてちょっと雑。勢いはあるけど手先、足先の位置があんまりきれいじゃないなあ。それと踏み込みが浅いのか染五郎と一緒に踊っている時、拍子を踏む音があまり鳴っていない。染五郎ばかりがきっちり鳴らしているので踊りのリズムを染に任せているのかな?と思ったくらいだった。

サントリーホール『イツァーク・パールマン ヴァイオリン・リサイタル』 C席 2F P席

2006年01月16日 | 音楽
サントリーホール『イツァーク・パールマン ヴァイオリン・リサイタル』C席 2F P席

パールマン氏は生ではかなり前に一度だけ聴きに行ったことがありますがCDで聴くよりかなり渋い静かな内省的な音出しだった記憶があります。今回久しぶりに拝聴してやはり音はちょっと地味で音量もそれほどあるタイプではありませんでしたがとても暖かい優しい音色でした。また記憶していた内省的な部分はなく、どちらかというとわかりやすく観客と共に音楽を楽しみましょうといった開放的なものを感じました。とても楽しそうに演奏されていてそれがこちらにも伝わってくる。また本当に丁寧に一音一音を聴かせるという感じで、その音がとても柔らかく綺麗。特に高中音がふわっと伸びた時の音が本当に心地良い音色でした。音に圧倒されるとか、感性の深さに触れるとか、超絶技巧に感動するとか、そういうコンサートではありませんでしたがとてもアットホームな暖かく心地良い空気のなか楽しい音楽を聴いたという感じでした。

バッハはちょっと音が硬くさらっとした感じで1曲目ということもありあまり乗ってないかなーという印象。フォーレからはかなり音が伸びてきて聴き応えがあり、フォス『3アメリカン・ピース』は曲調の面白さもありかなり好きな演奏でした。クライスラーは得意とするだけあって音の美しさが断然光ってきて、見事な演奏。またその繊細で美しい音色がとても暖かく、聴いていてこちらの気持ちが和み暖かい気持ちになっていきました。本当に素敵な演奏でした。

パールマン氏は小児麻痺のせいで足が不自由で上半身だけでヴァイオリンを演奏します。音量がそれほどないのはそのせいなのだろうなあと今回改めて思いましたが、それをカヴァーするだけのテクニックの見事さと心から音楽を愛し、それを伝えようとするその姿勢が彼を一流にさせているんだなと感じました。

ピアノ伴奏のロハン・デ・シルヴァ氏の演奏が伴奏者としてかなり良かったです。シルヴァ氏のピアノはとても柔らかく綺麗な音色。しかもバランスが絶妙なのです。前に出るときはしっかり出て、押さえるとこと押さえ、パールマン氏の音色に絶妙に絡んでいました。


J.S.バッハ『ヴァイオリン・ソナタ第4番 ハ短調 BWV1017』
フォーレ『ヴァイオリン・ソナタ第1番 イ長調 op.13』
フォス『3アメリカン・ピース』
クライスラー『クープランの様式によるルイ13世の歌とパヴァーヌ』
チャイコフスキー/クライスラー『ユーモレスク』
クライスラー『美しきロスマリン op.55-4』
チャイコフスキー/クライスラー『アンダンテ・カンタービレ』
クライスラー『愛の喜び』
アルベニス/クライスラー『タンゴ op.165-2』
ヴィエニャフスキ/クライスラー『カプリース イ短調』:

国立大劇場『通し狂言  曽我梅菊念力弦』 1等A席中央花道寄り後方

2006年01月14日 | 歌舞伎
国立大劇場『通し狂言  曽我梅菊念力弦』 1等A席中央花道寄り後方

「うわ、まさしく南北だよ」の見せ場、見せ場を強引に筋立てしてみました的ごった煮の楽しい芝居でした。菊五郎劇団の新作に付き物と思っていたまったり感は全然感じませんでした。私は菊五郎劇団は純粋な復活狂言の時のほうが好きかも。それとも今月たまたま「まったり感」がなかっただけかしらん?それにしても南北の趣向を趣向として見せる芝居は私やっぱり好き~。今回、無理矢理筋立てを通そうとしていなかったのも私の好みに合ったのかも。一場、一場で楽しいわ~、面白いわ~、綺麗だわ~とか、おいおいそれでいいのかとツッコミしまくりつつ、ただただ楽しみました。んで、やっぱり私のツボは芝雀さんでした。綺麗だわ、可愛いわ、健気だわ、もうなんだか好きなのよ~。それと松緑さんはやっぱり陽性のキャラのほうが断然良いと思う。『夏ノ夜ノ夢』の妖精パックは是非とも観たい。

お正月は曽我物という約束を守れば何を書いてもいいでしょ、とばかりに「おその六三郎」(『八重霞浪花浜荻』)と「おはん長右衛門」(『桂川連理柵』)の世話物パロディを主体に曽我物を加えた三つの話を綯い交ぜにした芝居。世話物のほうが本筋になっているためか曽我物の対面の場もかなり世話に崩してありました。

今回の芝居で観る限りは曽我物はいかにもおまけといった感じで、南北が大好きな「実は××」が無く本筋に絡んでこなったのですが、原作ではもう少し絡ませてあるのでしょうか?曽我兄弟が前面出ない代わりにおその、おはん姉妹を曽我家断絶のために苦労を強いられている武家の娘という設定にしていますが、まあとりあえず強引に関連付けてみましたというとこですか。こちらの筋は有名な心中物の話のパロディということですが元ネタがわからなくても十分楽しめるようになっていました。思ったより南北の隠微な下世話な雰囲気は無かったけど、お正月に観るにはこのくらいサラッとしているほうが楽しめますね。それと本筋に絡まないものの対面の場の華やかさがお正月気分を盛り立てていたように思いました。また大詰にきちんとオチをつけず大立ち回りで華やかに終わらせたのも良かった。あまり考えずに気分よく楽しく過ごせる芝居でありました。

菊五郎さん@大工六三郎はいなせな姿が似合い、見事な粋な男っぷり。やはりこういう役が一番似合います。文句なし。@新藤徳次郎の悪党のほうも色気があって女がコロッと惚れてしまうような色男ぶり。ただし、もう少し悪党としての凄みが効いたらなあと思う場面もいくつか。菊五郎さんの悪党はどこか色んな部分で甘さがある。それが必要な役の時は本当に色ぽくて素敵なのだが(同じ南北の悪党でも『盟三五大切』の三五郎は絶品)、芯から悪党という部分が欲しい時にちょっと物足りなく思う。

菊之助さん@おその&おはんはとにかく美しい。どこをとっても美しくいるというのはなかなか出来ないと思うのですがそれが出来ているのが見事。菊ちゃんは女形は当分は玉三郎さん路線でいくのでしょうね。私としては違う方向性のほうがいいと思っていたのだけど、今はこの路線でかなり成功しているので見守っていこうと思います。また今回はだいぶ風情と表情がでるようになっていました。やはり体の作りが硬いなと思う部分もありましたが、今回、婀娜ぽさがなかなかに良かったですねえ。割と年より背伸びしている感の表情の時のほうが似合いますね。菊ちゃんは年齢のわりに大人びた雰囲気があり、若々しい子供ぽい無邪気な雰囲気があまり無いのですよね。それがどの方向に行くのかはわかりませんが、今は良い方向に来つつあると思います。でも私は、菊ちゃんに無邪気さ、若々しさといった部分も表現してほしいと思っているのですが…まあ、それはこれからのお楽しみということで。

おその、おはん姉妹は同じ穴の狢という部分で同一人物としてみても良いキャラクターだと思われるので演じ分けは必要ないでしょう。同じ役者が二役やり、どちらがどちらか判らなくなりそうな錯綜した雰囲気が面白いと思いました。

松緑さん@曽我五郎時致は稚気溢れた雰囲気で曽我物のとしての雰囲気をしっかり出してきてとても良かったです。ポーズひとつひとつに気を使った姿がとてもきれい決まっていました。台詞もだいぶ聞きやすくなっていますね。これでもう少し抑揚をつけリズムをつけられると聞き応えがでると思うのですが、音楽的なリズム感のある台詞廻しをするのは難しいのでしょうねえ。富十郎さんとの丁々発止の場なのでついつい比べてしまいます。@七郎助のほうは松緑さんの成長ぶりを感じました。世話物の松緑さんはどうしても子供ぽさのほうが先にたつことが多かったように思いますがいなせな感じがきちんと出ており大人としての雰囲気が出るようになっていました。また明るい雰囲気が本当に似合います。

芝雀さん@大磯の虎はとにかく艶やかで綺麗。しっかり格もあり存在感が今までより出てきたのではないかしら。@女房おきぬのほうもピッタリ。苦労してきた女性としてのしたたかがありつつ、情の濃いしっかり女房。にしてもおきぬの自己犠牲ぶりは人が良いにもほどがある。またそれを納得させちゃう風情が芝雀さんにはあるんだけど。こういう役に似合いすぎっ。それにしても最近、艶が出てきたと思うのは私だけかしらん。声も相変わらず素敵だしうっとり見つめておりました。

松也くん@才次郎がビックリのコメディリリーフぶり。松也くんの芸達者ぶりは本当に見事だ。顔の作りこみもすごいが、表情のつけかた、動き方も迷いがないし細かい。そして、がらりと美女になった@化粧坂の少将も見事。顔も綺麗だけど、なにより女形としての体の作りがきちんとできている。この年齢であの柔らかさを出せる役者はそうはいない。どうかこのままいい役者として伸びていってくれることを祈る。

富十郎さん@工藤左衛門祐経は格が見事。またとても爽やかで決してただの悪人ではない大きさをみせる。間が少々危ういところもあったが歯切れのいい朗々とした台詞回しが本当に心地良い。このリズム感を継げる役者、いないだろうなあ…。

團蔵さん@梶野長兵衛がかなりいい味を出しておりました。悪党としての鋭さ、ずるさがしっかりある上に、いきがる様子のなかに人としての弱さが垣間見えかなり良かったです。

萬次郎さん@舞鶴は大ヒットです。いいっ。もうとにかく良い!女の強さ可愛さがたっぷりあって、ちょっと古風な雰囲気も良し。正直、ツボ。可愛い。

信二郎さん@山姥の権九郎、いかにも小悪党風情なんだけどどこか可笑し味があるのは信二郎さんの個性でしょうか。カッコイイんだかカッコ悪いんだかよくわからない髭面が妙に印象的です(笑)

歌舞伎座『坂田藤十郎襲名披露 寿 初春大歌舞伎 昼の部』 3A席上手寄り真ん中

2006年01月08日 | 歌舞伎
歌舞伎座『坂田藤十郎襲名披露 寿 初春大歌舞伎 昼の部』 3A席上手寄り真ん中

『鶴寿千歳』
箏曲と囃子による雅な舞踊。真っ白な衣装に少し赤を効かせた平安朝の衣装がとても美しく、雄鶴の梅玉さんと雌鶴の時蔵さんのとても品のいいきれいな舞が映えていました。曲もとても素敵でおめでたい気分になる。


『夕霧名残の正月 由縁の月』
初代藤十郎さんが伊左衛門を演じて大当りをとった作品ということだが原本が残っておらず今回ほぼ新作。傾城夕霧が亡くなったのこと悲しむ伊左衛門の前に夕霧が亡霊となって現われ束の間の逢瀬後、また消えていくという短い演目。今回は夕霧が消えた後にいきなり口上が始まるのでせっかくの余韻が楽しめないのがちょっと残念でした。

伊左衛門の新藤十郎さんは本物の紙衣を着て登場。3階からだと紙の質感がわからず普通の着物のようにみえた。色鮮やかなのは紙だから出る色なのかしら。藤十郎さんのつっころばし。やはり身のこなし、風情ともに見事。

夕霧の雀右衛門さんがとても儚げで美しい。体全体から情の厚さを感じさせ雀右衛門さんだからこその風情が素晴らしい。この演目はこの二人の美しい姿と風情を楽しめばいい。短い演目でしたが濃厚な空間を作り上げていました。

扇屋の主人夫婦が我當さんと秀太郎さん。このお二人が言葉の柔らかさと佇まいで上方の雰囲気を醸し出すのに一役買っている。新藤十郎さん、我當さん、秀太郎さんが揃った口上では上方独特の空気感ある舞台を守っていっていただきたいなあと思いました。


『奥州安達原』
環宮明御殿の場だけだと人間関係がちょっとわかりずらいですね。それでもこの場を見せ場としてきちんと昇華して見せてくれたのでかなり見ごたえがありました。

前半は親子の物語。安倍貞任と駆け落ちをして勘当された平杖直方の娘、袖萩は父の難儀(環宮が誘拐されその責任をとって切腹)を知り、盲目となり落ちぶれた芸人となった身で子供を連れ、親の元へとやってくる。しかし父は拒絶し家へ入れようとはしない。間に立つ母もなすすべがなく袖萩に祭文を歌わせることで娘の気持ちを聞こうとする。切々と祭文歌い許しを乞う袖萩だが父は許そうとはしない。結局、直方は自害、袖萩も自害してしまう。後半は武将同士の丁々発止。直方の自害を見届けた勅使桂中納言教氏が立ち去ろうとするが、八幡太郎義家が桂中納言教氏が安倍貞任と見破る。見破られた貞任は駆けつけた弟、宗任とともに戦いを挑もうとするが、義家はそれを止め戦場での再会を約束する。

袖萩の福助さんが非常に良かったです。ひたすら泣きの芝居なのですが母としての顔、娘としての顔がしっかりみえて、感情過多になりすぎない細やかな表情がありました。昨年12月での「重の井」でも同じ親子ものの泣きだったのですが今月のほうがたっぷりしていながらも抑制がきいてストレートに感情に沿うことができました。受け止めてくれる役者陣も良かったのでしょう。福助さんの上手さが引き立ち、とても切ない女性としての存在感がありました。また泣きの芝居のときの顔がこのところ妙に老けてみえていたのですが、今回とても美しく若々しくみえました。

袖萩の娘の山口千春ちゃんがまたとても上手かった。ひとつひとつの仕草が丁寧で母を思う気持ちがしっかりと伝わってくる。本当に健気で愛らしい。福助さんと千春ちゃんの上手さがお互いを引き立てていた感じ。本当に見応えがありました。

袖萩の母、浜夕の吉之丞さんの終始母としての佇まいも素晴らしかった。武家の女としての品格があり、母として自分の意のまま動けない立場の厳しさに耐える姿に切なさがありました。耐えに耐えているからこそ、思わず袖萩親子に打掛を投げてやる瞬間の母の強い気持ちがより見えるのだと思う。

平杖直方の段四郎さんは武将であるがための厳しい父としての存在感があり、最後ようやく心情を吐露する場面での台詞に切なさがありました。

安倍貞任の吉右衛門さんは、姿の大きさと迫力が見事。勅旨としての直衣姿での佇まいは本性を垣間見せつつも勅旨としての品格を持ち、貞任とバレた後の見著し後は不気味さを湛えひたすら大きい。とにかくカッコよかったです。また不気味な面だけでなく、夫と親としての感情をみせる部分で苦渋をみせ人間らしさがあり、安倍貞任というキャラクターが活きていました。通しで見たいなあ。

安倍宗任の歌昇さんは拵えもピッタリだし、声も良いし出来としては悪くないのだけど、どこかインパクトに欠けたかな。この場だけだと宗任の役柄がとてもいやな輩にしか見えないのがマイナス要因かも。

八幡太郎義家の染五郎は凛々しく爽やか。立ち姿もきれいだ。がしかし若造すぎる。貞任、宗任兄弟を受け止めるハラが足りない。懐の深さとか大きさが欲しい。どう贔屓目にみてもただの気の良いおぼっちゃま…(笑)。しかも吉右衛門さんを必死に見つめすぎだってばっ。いや、勉強したい気持ちはわかるんだけどね。ここはしっかりと八幡太郎義家になりきっていただきたい。


『花競四季寿 万才』
芝翫さんが休演の為、一人で踊る予定を福助さんと扇雀さん二人が代行出演。重い演目のあとの箸休めという感じの短い華やかな踊りでした。男女の連れ舞になっていたけど芝翫さん出演の時はどういう踊りだったんだろう?福助さんと扇雀さん、共に丁寧に踊っておりました。福助さんがとっても綺麗なので、ついつい福助さんばかり見てしまいました。


『曽根崎心中』
実は観るのが初めてです。かなり前に両親が鴈治郎さんの当り役だからとかなり楽しみにして観てきて「とにかくダメ、苦手、合わなかった」と今でも「あれで鴈治郎さんに苦手意識を持った」と散々言っているので観るのが恐かったのだ。それであえてパスしてきた演目だったけど、観ないことには始まらないということで、襲名披露はいい機会なのでしっかり観てみることにする。新藤十郎さんの台詞回しは私も苦手だけど、体の使い方の上手さにはいつも感心しているし。それに近松門左衛門の名作といわれてる作品ですからね。

実際あった心中事件を元に脚色しているということですが、確かに下世話な興味をひくカップルだなあとの第一印象。あんまりこの心中に切なさは感じませんでした。やむにやまれぬという部分が薄く感じるのはなぜだろう?確かに二人は追い詰められてはいるんだけど、「死ぬ」ということにやたらと積極的だし、「恋のための死」に憧れて本気でやっちゃったのね感が…。これが演じている藤十郎さんのお初だからなのか、元々そういう心中だったのか。まあ、脚本と役者の相乗効果かもしれない。

お初の藤十郎さん、手馴れている役ということもあるのだろう可愛らしく艶然と演じてらした。可愛らしさが計算高い仕草にもみえるのだけど、世慣れた遊女であれば意識しないであのくらいはやってしまうだろうとも思わせる。情と計算とのすれすれの位置にあるお初だからこその心中かな。終始、お初主導なのが納得いく「女」が演出する「死」だなと思った。うーん、深読みしすぎですかねえ。藤十郎さんのお初には追い詰められた緊迫感を感じないのですよね…。藤十郎さんはさすがに声が若くはないのが残念だけど、やはり体の使い方が見事。ひとつひとつが絵になるようなちょっとした体の置きかたが良いのですよねえ。それに上方役者特有のねっとりした色気と柔らかさには、ほれぼれしてしまう。今、この雰囲気を出せる役者は彼以外いないでしょうね。泣きになると本当に洟を啜るため、ずるずると聞きずらい台詞回しになるのがやはり苦手だけど、かといってこの風情を出せる人もいないと思うとやはり今観ておくべき役者でもあるかなあと思う。

徳兵衛の翫雀さんが藤十郎さん相手に頑張っていたなあという印象。丁寧に徳兵衛という人物を拾い上げて演じていたように思う。ただ思ったほどはんなり風情は無く、わりとすっきりしていた。お初がかなり濃厚なので受ける徳兵衛もどうせなら恋に一途なラブラブモードの濃厚な風情があっても良かったかな~。かなり真面目系の徳兵衛でした。

久右衛門の我當さんはこういう役が本当に似合いますね。上手さとかそういうものではないのだけど、とてもいい味を出されます。

九平次の橋之助さんは江戸っ子でしたねえ。思いっきり浮いていました。どこをどうとっても江戸からひょいと大阪に遊びに来た若旦那。うーん、いいんでしょうか?ただ、徳兵衛を追い詰める悪役としては「いやなやつ」としての存在感はありましたけど。にしても九平次って『恋飛脚大和往来』での八右衛門の役割だと思うのですがお初に横恋慕するわけでもなく徳兵衛を心配してでもなく、本気で品性が悪い人物だなあ。

2005年統括

2006年01月01日 | 年間統括
2005年統括

歌舞伎41回、演劇5回、文楽4回、舞踊1回、クラシックコンサート13回、邦楽コンサート1回、トーク1回の計66回

<<1月>>
歌舞伎座『寿初春大歌舞伎 夜の部』
浅草公会堂『新春浅草歌舞伎 第二部』
歌舞伎座『寿初春大歌舞伎 昼の部』
サントリーホール『マルタ・アルゲリッチの協奏曲 ~グルダを楽しく想い出す会~』

<<2月>>
すみだトリフォニーホール『グローバル・フィル第34回定期演奏会』
世田谷パプリック・シアター『コーカサスの白墨の輪』
NHKホール『NHK交響楽団 第1535回定期演奏会 プログラムA』
国立小劇場『二月文楽公演 第三部』

<<3月>>
歌舞伎座『三月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 夜の部』
歌舞伎座『三月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 昼の部』


<<4月>>
歌舞伎座『四月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 夜の部』
金丸座『こんぴら大歌舞伎 第二部』
金丸座『こんぴら大歌舞伎 第一部』

<<5月>>
歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 昼の部』
歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 夜の部』
東京オペラシティ『ヒラリー・ハーン ヴァイオリン・リサイタル』
歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 夜の部』
サントリーホール『ヨーヨー・マ 無伴奏チェロ リサイタル Bプログラム』
歌舞伎座『五月大歌舞伎 中村勘三郎襲名披露 昼の部』
国立小劇場『五月文楽公演 第一部』

<<6月>>
歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』
サントリーホール『ミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル』D席
歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』
渋谷コクーン『桜姫』
歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』
歌舞伎座『六月大歌舞伎 夜の部』
歌舞伎座『六月大歌舞伎 昼の部』 

<<7月>>
大宮ソニックシティ大ホール『二代目中村魁春襲名披露』
歌舞伎座『七月大歌舞伎 十二夜』
国立劇場『社会人のための歌舞伎鑑賞教室』『義経千本桜「川連法眼館の場」』 
歌舞伎座『七月大歌舞伎 十二夜』
サントリーホール『プッチーニ・ガラ』

<<8月>>
歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第三部』
歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第二部』
歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第一部』
歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第三部』
歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第一部』
歌舞伎座『八月納涼歌舞伎 第二部』

<<9月>>
国立小劇場『九月文楽公演』 第一部『芦屋道満大内鑑』
歌舞伎座『九月大歌舞伎』昼の部
世田谷パブリックシアター『邦楽コンサート 獅子虎傅 阿吽堂 vol.1』
歌舞伎座『九月大歌舞伎』夜の部
国立小劇場『九月文楽公演』 第二部『菅原伝授手習鑑』『女殺油地獄』
NHKホール『NHK交響楽団 第1511回定期公演』

<<10月鑑賞予定>>

シアターコクーン『天保12年のシェイクスピア』
NHKホール『NHK交響楽団 第1511回定期公演 Cプログラム』
歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎 昼の部』
歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎 夜の部』
国立大劇場『通し狂言 貞操花鳥羽恋塚』
日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』
アートスフィア『歌舞伎 夢の担い手たち』
日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』
日生劇場『夢の仲蔵 千本桜』

<11月鑑賞予定>
歌舞伎座『十一月大歌舞伎』昼の部
サントリーホール『ホセ・カレーラス リサイタル』
サントリーホール『マウリッツオ・ポリーニ ピアノリサイタル』ベートーヴェン・プログラム
サントリーホール『マウリッツオ・ポリーニ ピアノリサイタル』ショパン・プログラム
新橋演舞場『児雷也豪傑譚話』
歌舞伎座『十一月大歌舞伎』夜の部
歌舞伎座『十一月大歌舞伎』昼の部
歌舞伎座『第十回記念 梅津貴昶の会』夜の部

<<12月>>
国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』
東京オペラ・シティ『ピエール=ロラン・エマール ピアノリサイタル』
歌舞伎座『十二月大歌舞伎』夜の部
国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』
国立大劇場『通し狂言 天衣紛上野初花』