Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

NHKホール『NHK交響楽団 第1511回定期公演 Cプログラム』D席3F中央上手寄り

2005年09月30日 | 音楽
NHKホール『NHK交響楽団 第1511回定期公演 Cプログラム』D席3F中央上手寄り

ウラディーミル・アシュケナージ(指揮)

ワディム・レーピン(Vn)をひさびさに聴きたいなと思ったのとアシュケナージ氏の指揮がどういうものかも聴きたかったので行ってみました。レーピンを聴くのは10年ぶり。以前はテクニック先行という感じでしたが、今回、音に深みが出てきていました。テクニックは相変わらず見事で一人三重奏か?という超絶技巧。アシュケナージ氏の指揮ぶりは品よく丁寧な曲作りをしているという感じがしました。強烈な個性とかそういうタイプの指揮者ではないかも。


ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品61』 ワディム・レーピン(Vn)
N響はやはり弦が良いですねえ。よくまとまっていて流れるように響く。とてもまとまりのある端正なオーケストラの音出しなかでレーピンは骨太で真っ直ぐな深い音色を聞かせる。華やかな音ではないのだけど、コクのあるまろやかな音色。特に低音の響きがいい。丁寧で奇をてらわない真摯な演奏ぶりでした。3章のときなどはあまりに音がきれいに絡むので超絶技巧を聴かせてると思わせないほど。またその弦の響きの深さには驚いた。最近、あらためてベートーヴェンていいなあと思う。音が素直に体に染みる。


ショスタコーヴィチ『交響曲第8番ハ短調作品65』
アシュケナージ氏の指揮を聴くならまずはロシアものだろうと期待しておりましたが、期待にたがわずとても良い緊張感のある演奏を聴かせていただきました。ショスタコーヴィチは旋律で聞かせる作曲家ではないのでオケの音作りが鮮明にみえますね。アシュケナージ氏は非常に緻密に丁寧な曲作りをしていたと思います。そしてわりと骨太にしっかりとひとつひとつの音を鮮明にさせていた感じがしました。

弦と木管とパーカッションがとてもレベルの高い出来。これで金管が揃っていたら言うことなしだったのになあーー。N響の金管は個々のレベルがバラバラという感じが。良い人も勿論いるんですが、全体的に揃ってないし、迫力がない。うーんもったない。ただ、一部の金管以外は本当に素晴らしい演奏でした。聴く方も音を聞き逃さないように耳をそばだてオケと観客との間に良い緊張感もあって、とても満足しました。


アンコール曲:
バッハ『無伴奏ヴァイオリン・パルテイータ 第2番 サラバンド』 ワディム・レーピン(Vn)
1曲目が終わった時点でレーピンさんがアンコールを弾いてくれました。やはり低音の響かせ方が魅力だ。深く滑らか。来年、リサイタルをする予定らしいので是非聴きにいこう。

国立小劇場『九月文楽公演 第二部』 1等後方下手

2005年09月24日 | 文楽
国立小劇場『九月文楽公演 第二部』 1等後方下手

二演目ともかなり濃かった…見ごたえがあって素晴らしかったんですがそれだけにかなり精神的にもぐったりしました。文楽はその世界に入り込んじゃう感覚があって自分もその場にいたような感覚で観てしまうのよね。

『菅原伝授手習鑑』「寺入りの段」「寺子屋の段」
いたずらしたり遊んだりしてる子供たちが可愛い。それぞれきちんと個性があって、先生がいない隙にワイワイしてる様子がほほえましい。歌舞伎でも子供が出てくると無条件に可愛いと思うんだけど人形でもやはり同じだわ。いかにも田舎の子供らしい素朴な感じがよく出ている。一人、管秀才だけは気品ある佇まいで真面目にお勉強。でもちゃんと仲良しさんもいるようで安心、てな感じで感情移入して観てしまう。

千代が小太郎を連れて来る段になると、歌舞伎で『賀の祝』を観たばかりなだけに、すでに悲劇に至る道筋が鮮明なので胸が痛む。小太郎は管秀才とは違って品はあるけど、いかにも武士の子な風貌。人形の頭(かしら)の顔もきちんと考えられてるんだなあと。

源蔵夫婦、「せまじきものは宮使え」の苦渋を見せる。身代わりをどんな気持ちで探していたのだろう。主君の子を守るため他人の子を殺す。子供がいない夫婦だからそれが決意できたのかな?とか。自分の子がいれば自分の子を身代わりにしたのだろうけど。今まで(歌舞伎観劇時)は松王丸家族の悲劇だけを考えていたのだけど、今回、この夫婦の在り様をとても考えてしまった。主君は彼らにとって「神」にも等しい(実際、神聖化されてる人だし)、ただの忠義だけでなく信心からという部分もあったりするのかなとか。

そんなこを考えてしまったのはあまりに「物語」がストレートに入ってきてしまったせい。この物語は今の感覚ではどうしても受け入れがたい感覚の物語だ。しかし歌舞伎にはこういうお話はとても多い。そして、そういうお話だからと歌舞伎の場合、一場面一場面の人としての感情の揺れ方のほうに意識がいってしまうので、わりと「物語」としての違和感を感じなかったような気がする。あらためて悲惨な物語だったのだなあと思った。この場の語りの住太夫さんの苦渋の深さがそれを考えさせたのかもしれない。それほどにどうしようもない切羽詰った雰囲気があった。そしてその後の子供たちが親たちに呼び出されるシーンの軽妙な語りへの切り替えも見事。田舎の親たちと源蔵、松王丸の身分、知性の違いがくっきりと。これには本当に驚いた。

松王丸の登場の段では松王丸、大きい!それが第一印象。でも最初の出からほんとの病人に見えてしまった。すでに悲しみに打ちひしがれているかのようだ。なぜだろう?そう見えてしまった。こういう松王丸でいいのかな?語りからはそれを感じたのではなく、人形のほうにそれを感じた。ただ、首実検に入ったシーンでは哀哭が真に迫っていた。心の底からの慟哭。

松王丸と千代夫婦が真相を語る部分は実はちょっと物足りなかった。もっともっと悲しみを湛えて欲しかった。


『女殺油地獄』「徳庵堤の段」「河内屋内の段」「豊島屋油店の段」「逮夜の段」
近松、すごい。この物語は300年近く前に描かれたものだ。でも「現在」に置き換えても通じる世界。その現代性、普遍性に驚かされた。

与兵衛は自分自身と目先のことしか考えない短絡的で暴力的な男だ。いまでいうドメスティクバイオレンス男。そしてその性格は親が甘いことで助長している。そしてたぶん外面は悪くもないのだろう。甘やかされて育ったがゆえの可愛げなところをもっている。だからこそ、親はつい甘くなり、お吉は近所のよしみだからと与兵衛に親切にしてしまう。そしてそれをアダにして、先の考えも及ばずに強盗殺人をおかす与兵衛。こんな事件、いまでもよく耳にする。その現代性ゆえになんともいえない恐さを感じ、また殺される側の哀れさに胸が痛む。

それにしても「豊島屋油店の段」の殺しのシーンには驚いた。あんなにダイナミックで臨場感溢れたものだとは。油は油に見立てた光るビニールのようなものを舞台にかけるだけ。滑って転んでの人形の動きで油のつるつるした床を表現する。人形が端から端までつる~っと滑っていくんですがどうやってあれをやってるのかわからない。後ろから拝見したいと思いました。

お吉を遣うのは蓑助さん。ほんとにこの方が操る人形には華と艶がある。人形とは思えず、かといって人間の佇まいでもない独特の風情を持つ。柔らか味、美しさそしてなにより表情が豊かだ。娘たちの髪を梳くときの優しげな表情、櫛を欠いて不安に思う表情、与兵衛の親の話を聴く親切心ある表情、そして与兵衛に襲われ、子供を残して死にたくないと必死になる形相。「生きてる」としかいいようがない。そして無念そうに手を上げ空を掴みようにして息絶える瞬間、ああ本当に殺されてしまった…ついそう思ってしまった。

歌舞伎座『九月大歌舞伎 昼の部』 3等A席前方花道上

2005年09月23日 | 歌舞伎
歌舞伎座『九月大歌舞伎 昼の部』 3等席前方花道上

芝翫さんの存在感に圧倒され、吉右衛門さんと富十郎さんの骨太な演技に魅了され、時蔵さんの美しさを堪能した夜の部。

『平家蟹』
開演と同時に場内を真っ暗にし緞帳をスクリーン代わりに源平物語絵巻を次々と映し出す。そこに白石加代子のナレーションがかぶり、今回の物語の発端となった壇ノ浦の戦いの様子を語る。大河ドラマ『義経』を意識し、ストーリーをより観客に判りやすくするための演出。白石さんの独特の語りがこれから始まる世界観を印象付ける。劇中のなかでも同様の話を登場人物たちが語るのでちょっと説明過剰と思う部分もあるけれど、「これからなにか始まるぞ」という空気感を作るのにはいい手法だったのではないだろうか。

平家に使えていた女官たちの没落後の生活という視点のありかたが面白い。貧困のなか身を売ることしかできない女、またそれすらもできない女は浜辺で食べ物を拾う日々…。そういう女のなかに玉蟲、玉琴という姉妹がいる。姉の玉蟲は女官の格好のまま日々源氏を恨み暮らしている。妹の玉琴は現実を受け入れ、身を売り暮らす。

芝翫さんの玉蟲の存在感が凄かった。狂気の淵に身を置く異様さが芝翫さん独特の風貌も相まって恐いまでの迫力。軒下の現れる平家蟹を源氏の武将たちとして語りかけるシーンには背筋が寒くなった。ほんとに恐い…。そこには玉蟲という女性は居らず、妄執に取り込まれた存在がいた。また衣装の深紅の長袴が異様さを際立たせていたと思う。ずずっと引きずる長袴に源氏の恨みの血が染みているかのよう。妹に毒酒を飲ませ、苦しむ様を平然と観ている視線の恐さ。そういう非情さのなかに、「源氏の追っ手がきたらどうしよう」と一瞬怯えをみせる表情の落差、そして蟹に誘われるように海の底へ沈んでいくときの歓喜と官能の表情が見事だった。

魁春さんの玉琴は生活のために身を売る女としての色気を漂わせながらも品格は失わない。そして敵方の武士と恋仲になったことをへの嬉しさが全身からこぼれ可愛らしい。落ちぶれた境遇のなか、生きていくことに喜びを見出せた女。そのしなやかな精神が見える玉琴であった。ああ、女だなあ、そう思った。今回、芝翫さんと魁春さんからは「女」がとてもよく見えた。この二人の「女」像は女としてとても近しいものだった。

橋之助さんの与五郎が好演。すっきりと爽やかな姿と明るさが玉琴に未来をみせた男として説得力があった。またそういう男だからこそ殺されてしまう運命だったんだとも納得する。与五郎が狂気と正反対の位置にいることで、玉蟲の怨念が怨念として際立つものになる。

左團次さんの残月は、煩悩をまだ完全に落としきれていない僧としての存在感があり、とてもいい出来。左團次さんはますます味が出てきましたね。


『勧進帳』
富十郎さんの富樫が素晴らしかった。人生の機微をわきまえた大人の富樫。情に流されるわけではなく、冷静に見極めをしながらも男気をみせる、そんな富樫。台詞回しのひとつひとつのなかに感情のありかたがしっかりと伝わってきました。役人としての厳しさ、弁慶の熱い思いに突き動かされる心、義経一行だと判ったうえでの決断の、どんどん変化していく声のトーンに惚れ惚れ。素晴らしい、見事です。声がかなりハリを取り戻されていてよく通っていたので迫力がありました。引き上げのシーンでは背を向けて天を仰いでみせた。その一瞬に死の覚悟がみえました。

7年ぶりの吉右衛門さんの弁慶。以前拝見したときより大きさがありました。とても骨太で理知に長けた存在としての弁慶でした。また「俺にまかせろ」そんな豪胆さが見え、そこはかとなく男の色気を感じさせる。弁慶の男としての魅力、それが富樫を動かしたようにみえました。台詞回しはいつも以上に低音を響かせて時代物の重厚さのほうが前面に。ただ、重量感をみせようとしたためか、動きが多少重く見えたのが残念。足捌きがちょっとお疲れぎみのようにみえました。

福助さんの義経はとても神妙に丁寧に演じられていたように思います。じっと静かに運命を受け入れるかのように座わっている感じでした。ただ座る姿勢がとても目立つような気がしてしまったのですが、福助さんの華がそう見せたのかな?それとどうしても女性に見えてしまいます。しかしながら弁慶を労う部分では落ち着きがあり武将としての品格がありました。声を低く出そうとしてちょっと無理して出してる感じがあったのが残念。多少声が高くてもいいと思う。

四天王、番卒はどちらも物足りなかったですね。四天王はまとまりというか結束心があまり感じられなかった。また義経のために血気に逸る、そんな部分もあまりみえず。番卒のほうは緊張感があまりないようにみえました。太刀持ちの児太郎くんは調子が悪かったのでしょうか?動作がもたもた…。しっかり出来る子なはずなので余計な心配をしてしまいました。

勧進帳はドラマの面白さのほかに舞台が「絵」になる瞬間がいくつかあるのですが今回「絵」は残念ながらあまり感じませんでした。なんでだろう?


『忠臣連理の鉢植 植木屋』「浅草観音の場」 「染井植木屋の場」 「奥庭菊畑の場」
忠臣蔵外伝で舞台は江戸、なのですがなぜか上方狂言という不思議な演目。長らく途絶えてた演目だか、確かにそれほど面白みのある芝居ではない。半分は役者の色で見せるもの。よほど主役の弥五郎に吸引力がないと後半少々だれる。それにラストお蘭の方の自害で終わるのが後味が悪いし。今回、血が妙にリアルでした…。

主人公の義士である弥五郎がつっころばしの風情で演じられる。この女好きで女々しくて頼りない弥五郎を梅玉さんが演じる。柔らか味を出すのも上手な方なので上方風味がしっかり出てましたし、可愛げな部分と、義士である部分の堅さがいい感じで同居しておりました。「浅草観音の場」ではその不思議なキャラクター活きてなかなか良かった。しかしながら二幕では堅さのほうが勝り、拗ねてぷんすかする部分のじゃらじゃら感が足りなかったかなあ。恋する男の浅はかさがあまり無いのね。知的な部分のほうが先にたつのでお蘭の方の真意に気がつかないでいるという部分に説得力がない。上方狂言の男を演じるのって難しいんだわと今回も。

お高(お蘭の方)は美しかった~。恋敵視している若い娘二人とは格が違うんだと、出の佇まいからしてわからせる。大人の女としての余裕と艶やかさ。そして恋する弥五郎の前では一途で健気な女。利用されているとわかりながらも命をかけて弥五郎を愛する。その魂の美しさが姿に表れていました。また逢瀬後のちょっとした仕草で恋人同士の濃厚な時間を持ったのだとわかるその色気が見事。昼の部の精彩に欠いた桜丸とは別人のようだ。この方は立役はしないで女形一本のほうがいいのではないかしら。

歌舞伎座『九月大歌舞伎 昼の部』1等席1階前方真ん中

2005年09月18日 | 歌舞伎
歌舞伎座『九月大歌舞伎 昼の部』1等席1階前方真ん中

『正札附根元草摺』
荒事と踊りを組み合わせた演目。この両方を表現するのって難しいんじゃないのかしら?とちょっと思いました。絵面は大層綺麗なんですが踊りで表現しなくても?と思わなくもない…。

曽我五郎の橋之助さんは荒事の拵えがとても似合い大きく見えました。この方は歌舞伎役者としての資質はとても良いものがあるなあと今回も感じました。ですが力強さとか勢いが今もう一歩足りない感じ。どこがどうというのがよくわからないのですが。

舞鶴の魁春さんはやはりこのところ役者ぶりが大きくなったなあと思います。相変わらず体のつくりかたが綺麗でたおやか。でも踊りはあまり上手ではないような…(^^;)特に今回は力強さも求められた踊りですしねえ。この方はしなやかで女らしい踊りのほうが似合うと思います。


『菅原伝授手習鑑』「賀の祝」
全体的に地味ではありましたが緊張感を持続させ、なかなかまとまりのある舞台でした。

白太夫の段四郎さんが初役ながらしみじみとした味わいを見せてくれ今後持ち役になるのではないかと思いました。最初のうちはところどころ台詞が怪しいところもありましたがそれをカバーしてありあまる親としての情が伝わってきました。また芯のある強さがかえって悲哀を感じさせるもので、台詞がもっとこなれてきたらかなり良い白太夫になるのではないかしら。

三兄弟の女房たちたちがそれぞれ良い演じぶりでした。千代の芝雀さんは皆をまとめるしっかり女房としての細やかな部分と旦那の松王丸のことをつい自慢してしまう可愛らしさがさりげなく同居していて確実なところを見せる。細かい声の作り方がとてもいい。もう少し女房としての色気が漂わせることができたら本当に良い千代になると思う。

春の扇雀さんが華やかさがあるがいつもよりかなり押さえた表情で丁寧な演じよう。がこの方は最近、顔に気の強さが出てしまい梅王丸の女房としての優しさが表面に出てこないのが少々難点。顔の作りを柔らかくしてほしいかな。

八重の福助さんが非常に品よく可愛らしく演じてとてもよかった。福助さんは表情が豊か過ぎてアダぽくなりがちなので時代物のときはかなり押さえた演じようの時のほうがとても良いものが出る。憂いを帯びながら玄関先で桜丸を待つ風情が絶品。また後半の嘆きは上手さがでて切ない心情がよく出ていた。

さて三兄弟もそれぞれニンにあった役回りでしたが梅王丸の歌昇さんが一歩抜きん出ていた感じですね。体躯を生かしたのびやかな見得。梅王丸の血気盛んな勢いと、後半の父の想いを飲み込んだ表情ともに台詞回しのよさと相まってとても明快。

桜丸の時蔵さんは、出は憂いを帯びたいい表情だったんですが、そのあとがどうも薄い。時蔵さんには珍しく華が出ていない大人しすぎる桜丸でした。むー、残念。

松王丸の橋之助さんは姿とか形は本当に良い。子供ぽい可愛らしさもあり「賀の祝」の場での松王丸はニンだと思うんだけど、やっぱりどこか物足りない。なんだろうなあ。松王丸としての芯が感じられないせいだろうか。それと台詞回しの緩急がもう少し欲しい。


『豊後道成寺』
雀右衛門さんが本当に素晴らしかった。85歳とは思えない娘らしい可愛らしさと色気が全身からこぼれ落ちるよう。満開の桜の屏風のみの舞台中央から静かにセリであがってきた時のなんともいえない美しさよ。もう姿の美しさとしか言い様がないですね。残念ながら膝を痛められていて足捌きはかなり不自由だ。すっ、すっと動けなくて流れるような踊りとは言えない。なのにいつしかそんなことは気にならなくなっていた。

派手さがまったくないごくごくシンプルな振り付け、そして自由のきかない足のために踊る場所もかなり狭い。にも関わらず、あの広い舞台を支配しきっていた。恋する娘としての愛らしさ、恥じらい、一途さ、それが一瞬の切れ目なく踊られていく。なだらかな肩の線の美しさ、手のしなやかさ、可愛らしさと憂いを同居させたまなざし、どこをとっても恋する娘。そして衣装を引き抜いた後半は(引き抜き後の衣装が派手ではないのだけど美しい)、少しづつ恨みの情念が体に纏っていく。たとえようもない深いところから来る、そんな情念。大きくない手の動き、かすかな体の傾き具合、そんな最小限の動きに情念の揺らめきがみえる。そして最後の爆発したような恨みの目の鋭さと絶望。ゆっくりとにぎられていく手の平には自らの純粋な魂を握りつぶすかのようだった。そして異に入り込む。私は涙が出そうだった。

これは、歌舞伎舞踊としての最高峰の境地に達したものだったのではなかっただろうか。気持ちだけで踊る、そういうものだった。


『東海道中膝栗毛』
東京にいるのに愛・地球博のアナウンスを聞き、モリゾー・キッコロに遭遇できました(笑)。

しかしここまでグダグダというかだらだらな芝居を歌舞伎座で目にしようとは…しかも無駄すぎるほどに豪華な面子。この面子でこれをやりますか…。いや一応楽しんだけどさ、なんかもっと違う演目はなかったのか?と小一時間ほど…。なんでしょうねえ、あちらこちらに有名な歌舞伎の場や台詞が仕掛けられ一場面一場面はそう悪くないとは思うんですが演出がひどすぎますね。舞台転換ありすぎ、時間かかりすぎ。もう少し工夫のしようがあるでしょうと。手締めの終わり方は楽しかったですがやはり幕閉めのタイミングがぐだぐだ…最初から最後までぐだぐだって…これアリですか?

役者さん個々は非常に良かった。みんな真面目なのね。富十郎さんが一番楽しそうだったかな。あそこまでハジけてくれたほうが観てて楽しいですね。でも声がちょっと弱かったなあ。やはり声が完全に元には戻ることはないのかなあ…。吉右衛門さんはどう演じたらいいか迷いがあるような感じ。でもすっとぼけた味わいが良かったです。私が観た時には「雪隠の戸を」というところを「雪隠のドアを」と言ってしまいアタフタされてました(笑)次の場で「おれ変なこと言ちゃうし…」とアドリブフォロー。どちらも笑いを誘っておりました。

福助さんと信二郎さんのスリコンビがいい味を出してました。福助さん、こういうはすっぱな役が本当に似合うしかっこいいわ。最近観たなかで一番綺麗に見えた。それがいいのか悪いのかは別としてね(^^;)。信二郎さんは最近急激に自分の味が出てきた役者さんですね。爽やかでちょっと茶目っ気があって、いい感じ。

細木妙珍役の歌江さんは細木数子まんまでした(笑)。見た目からしてほんとにそっくりだし、「ずばり言うわよ」などの言い回しもそっくりでさすがに笑えました。先代仁左衛門、先代勘三郎、歌右衛門の声帯模写は当時を知ってる方なら楽しめたのでしょうが私は残念ながら。でも富十郎さんのまねはそっくりだった。さすが声帯模写が得意な役者さんだけある。また妙珍の弟子の京蔵さんのハジけっぷりが楽しい。

ビックリしたのは翫雀さんの二役。どちらも配役を知らなければ翫雀さんとは判らないようなメイクでのご出演。いやはや、徹底してます。そういう意味では個人的に東蔵さんにも驚かされましたがっ。

皆さんいつもよりかなり崩して?きてるなかできっちり歌舞伎を演じていたのが芝雀さんと梅玉さん。この二人はどこも崩してきてない。つい、崩したくなるような演目のなかである意味すごいと思います、ええ。芝雀さん好きとしては美少女剣士ぷりと仇討ち姿の娘姿が萌え。可愛い~~。やっぱりまだ娘が似合うな。梅玉さんは真面目ぶりが最後締めていて良かったです。

まっ、愛・地球博で、愛と平和だもんね…おおらかな気持ちで楽しみのが吉。

世田谷パブリックシアター『獅子虎傅 阿吽堂 vol.1 ~ヤハイヤ~』

2005年09月17日 | 音楽
世田谷パブリックシアター『獅子虎傅 阿吽堂 vol.1 ~ヤハイヤ~』2階中央

『囃子ワークショップ』
亀井広忠・田中傳次郎の小鼓、大鼓、太鼓、掛け声に関してのレクチャーでした。印象に残ったことを。

・いつもなら真ん中に体のでかい貫禄のある次男、田中傳左衛門がいるのですが今回なぜいないかというと玉三郎さんに拉致されたから(笑)
・次回は三兄弟揃ってやります!と2回目宣言。
・小鼓は長年使い込んだものが音が良い。江戸時代のものと明治時代のものと音比べ。歴然と違いました(驚)
・いい鼓が年々減っているらしいです。古い鼓があったら花瓶などにせず大事にしてくださいとのこと。
・小鼓は乾燥に弱い。演奏中でも音がどんどん変わっていってしまうので息を吹きかけたりして湿り気を含ませ調整している。
・小鼓の皮は薄くて千円札くらいの薄さで馬の柔らかい部分に皮で出来ている。
・まともな音を出すのに10年かかる。
・大鼓は小鼓と反対に乾燥させ締めてから音を鳴らす。乾燥させないものはボケた音で乾燥させた後の音は鋭く張りのある音でした。
・大鼓も馬の皮だが背中などの強い部分を使用。
・太鼓は牛の皮で作られていてバチを使って演奏。
・お祭りなどで演奏する時の姿勢と歌舞伎の演奏の時は姿勢が違う。歌舞伎の舞台上では体を大きくして演奏するので大変。
・大鼓と小鼓の掛け合いは阿吽の呼吸で。お互い背を向けていてもピッタリ合わせていく。
・能での掛け声は登場人物の情況、心境を現すためのもの。


『歌舞伎囃子~音~』
とても音が心地よく、知らず知らず気分がノってきて踊り手がいないにも関わらずふわっと情景が浮かんでくる演奏でした。この演奏で気分がかなり高揚しました。

笛:福原寛
小鼓:田中傳次郎
大鼓:田中傳八郎
唄:松永忠次郎
三味線:今藤長龍郎・今藤龍市郎


『舞と囃子による能楽五変化~神・男・女・狂・鬼~』
亀井広忠さんのハリがある鋭い声にちょっと圧倒させられました。大鼓の鋭い空へ抜ける音と相まって見事な演奏。また能の囃子はどこか硬質な空気を感じます。そして観世喜正さんの舞がまた見事。面もつけず衣装もつけない舞であるのに異の世界へいざなわれました。最小限の動きで見事な五変化。実はパンフを読んでおらず五変化の内容を知らずに観ていたのですが、はっきりと神・男・女・狂・鬼が見えてきました。

仕舞:観世喜正
大鼓:亀井広忠
太鼓:大川典良
小鼓:観世新九郎
笛:田中義和


『舞踊 道成寺組曲』
これがまた素晴らしい演奏でした。太鼓、大鼓、小鼓、笛というたったこれだけの囃子だけで見事に道成寺の世界を築き上げていました。また大鼓の亀井広忠さんの鋭い声と小鼓の観世新九郎さんの哀愁味帯びた声の掛け合いが見事で掛け声だけでこれだけのものが表現できるのかと驚きました。そして藤間勘十郎さんのしなやかで情感がこめられた踊りも素晴らしかったです。非常に押さえられた振り付けでありながらもしっかりと情念というものが伝わってきました。かなりお若いのにその表現力に目を見張りました。

舞踊:藤間勘十郎
大鼓:亀井広忠
太鼓:田中傳次郎
小鼓:観世新九郎
笛:田中義和

国立小劇場『九月文楽公演 第一部』1等後方下手

2005年09月10日 | 文楽
国立小劇場『九月文楽公演 第一部』1等後方下手

『芦屋道満大内鑑』
「大内の段」「加茂館の段」「保名物狂の段」「葛の葉子別れの段」「信田森二人奴の段」

初日公演で満員御礼でした。『葛の葉子別れの段』で保名を操る予定だった吉田玉男さんが体調不良のため休演。代役はお弟子さんの吉田玉女さん。

配役:http://www.ntj.jac.go.jp/cgi-bin/pre/performance_img.cgi?img=94_4.jpg

陰陽師の安倍晴明が安倍保名と信太の森の白狐との間に生まれた子とという伝説をもとにした物語。最愛の恋人、榊の前を亡くし気のふれた保名が信太の森にさまよい、恋人の妹、葛の葉と出会い正気を戻す。その時に偶然助けた白狐がその後、傷ついた保名を葛の葉に化けて助ける、というお話。歌舞伎では「保名物狂の段」の舞踊と「葛の葉子別れの段」がよくかかります。現在、歌舞伎では通しでかかることはほとんど無いんじゃないかな。私は観たことがありません。

今回の文楽は完全通しではありませんが、安倍保名がなぜ狐との間に晴明をもうけるに至ったがよくわかる組み立てでした。やはり通し上演はいい。歌舞伎座でもそろそろ丸本物ものの通し狂言をやってくれないかなー、と思った次第。

本日は初日ながらかなり濃密でまとまりのあるものをみせていただき、非常に満足。今回は太夫さん達の声がかなりストレートに響いてきました。もしや初日周辺は声にまだ疲れがないせい?今までも同じ方々のを聞いてるはずなのですが、皆さん以前聞いたときより非常にハリのある良いお声に聞こえました。人形のほうは文雀さんが非常に良いものを見せてくださいました。

「大内の段」
話の発端が端的にわかり、あーなるほどここから始まったのかと。やはりね、何事にも発端があるんですよ。ここで道満の名が出てきて陰陽師とそれを召抱える大臣の勢力争いということがわかります。

「加茂館の段」
吉田和生さんの榊の前が可愛らしい色気があり、なんとなく菊ちゃん(尾上菊之助)ぽいなーと思いながらみてました(笑)玉女さんの保名はとてもすっきりとした品があり優しげな感じ。この保名と榊の前の若い恋人同士はとても初々しかったです。対する、桐竹勘十郎さんの加茂の後室が押し出しが強く悪女ぽい色気もありなかなかのど迫力で恐かったっす。しかし、結構残虐なお話でしたね。自害する榊の前が可哀想。目の前で恋人に死なれてはそりゃ保名も狂うわな。しかし、保名ってなんとなく地に足がついてなくてふわふわしててちょっとばかり弱い人なのね、だから運が無いんだわというのもよくわかった。

「保名物狂の段」
人形で踊りってどうなの?と思っていたのですがうわー、ちゃんと踊ってる。すごい。玉女さんの保名は本当に上品でまっすぐな感じ。踊りの形も非常に端正で美しかったです。扇の扱いも上手い。ただちょっとばかり色気が足りないなあと。柔らか味とかそういうものが薄いのね。あと物狂いの雰囲気も端正すぎてあまりなかったかな。でもこれを出すのは相当難しいでしょうねえ。歌舞伎でもその雰囲気を出せる人はいないですから。

桐竹紋豊さんの葛の葉姫が品のあるしなやかな娘らしい色気があり美しい姫という印象を残し、目を惹きました。また玉也さんの奴与勘平が力強くユーモラスな雰囲気がよかったです。

「葛の葉子別れの段」
今回なんといっても「葛の葉子別れの段」の女房葛の葉の文雀さんがかなり素晴らしかったです。紋豊さんの葛の葉姫もなかなか良かったのですが文雀さんの女房葛の葉が出てくると歴然と違う。同じ顔の人形なのにーー。女房としての成熟した色気があらわれている。そして子をあやすときの優しい手つきは人形とは思えない。心配げにちょっと首をかしげるなんともいえない楚々とした風情の美しさ。そして狐の本性を少しづつあらわにしていく人と獣の狭間の怪しさ。狐葛の葉に変身したの時の人間離れした美しさはなんだろう。そして何より子別れの場面では母としての情がほとばしる。もうこの場では胸が締め付けられ涙がじわじわと。本当に素晴らしかったです。ううっ、こう書いてても涙が出そう。また竹本綱太夫さんの語りがとてもよかったです。力強くそれでいて細やかな情も感じさせてくれました。

こうなると玉女さんの保名も優しげでとてもよかったのですが、格の違いがちょっと見えてしまいましたねえ。玉男さんだったら、保名の心情がもっと細やかでそれでいて迫力があって色気のあるものだったろうとつい想像してしまって。

「信田森二人奴の段」
大立ち回りの場でとても楽しかったです。与勘平と野干平のやりとりの語りの言葉遊びもわかりやすくてわくわくさせる段でした。