Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

新橋演舞場『阿弖流為 昼の部』 3等A席前方センター

2015年07月27日 | 歌舞伎
新橋演舞場『阿弖流為 昼の部』 3等A席前方センター

27日(月)千穐楽

新橋演舞場『阿弖流為』千穐楽です。おめでとうございます。

「わひとを ひとり 百(もも)な人、人は云へども抵抗(たむかひ)もせず」の阿弖流為@染五郎さんの声が耳について離れない。染五郎さの声は美声じゃないけどドラマチックな声だと思うのです。そして「我が名は悪路王阿弖流為、北天の戦神なり!」での阿弖流為@染五郎さんの運命を呑み込んで突き進む強さと哀しさ、そこにある爆発力が凄かった。鬼神になった後の阿弖流為@染五郎さんの場面は頭にある色々を忘れさせるというか、ひたすら口あけて観る感じになる。それで一瞬、「物語の今までの粗などどーでもいい、これが観れたから」とか思うわけ。役者の力技としかいいようがない。

阿弖流為は最期まで人としては救われないまま蝦夷とアラハバキの想い全てを呑み込んで戦神として消えていきました。ラストの二人は田村麻呂のあの二人の魂は救われていて欲しいとの夢かな。阿弖流為と鈴鹿は人として一緒にはいられないという呪いからは解放されずに終わったと思う。アラハバキは鈴鹿の魂はすでに喰らっていたんじゃないかと。谷にいたのは喰らいきれなかった人の心の残り香。そういう意味では阿弖流為と鈴鹿は傍にいるとも言えなくはないかな?

今回の阿弖流為は私は途中からは半分人で半分神の領域に入り込んだ存在だったと思う。人と神、その部分で魂は引き裂かれていたと私は解釈中。最終的に阿弖流為はやはりアラハバキの元に行ったと思うなあ。魂はあなたのもとへゆくと誓ってるわけだし。だからあの最後の阿弖流為と鈴鹿はやっぱり田村麻呂の夢だろうなあ。

私は今回の阿弖流為だったらいっそのこと最後まで鬼神として昇華してくれたほうが良かった。隈を完全に描いちゃってそのままで。歌舞伎らしいよ? 鬼神になったままでもそこに「人の魂」を見せても問題ないと思う。一騎打ちから鬼としての力を使わないでわざと打たれる流れは変える必要ないし。ラスト人としての魂の欠片(刀に鈴鹿との思い出の品を付けてるとか)を田村麻呂に最後に預けて「頼んだぞ」の流れで。

しつこいようだけど今回の『阿弖流為』の改悪部分は許しません。阿弖流為という人物を13年前の設定の若造のままのみならず、矮小化させたのはやっぱり納得いかない。それとやはり今回、蝦夷の里や民がみえてこなかったのも納得いかない。蝦夷の民たちの生活やそこの根ざしたキャラクターもいなかったし(巫女とトリックスターだけだもんね)。今回、阿弖流為は自ら蝦夷を捨てた人間になってしまっているので、故郷への想いも強く描かれないし戻る理由も薄くなってるし…。『アテルイ』にあった、まつろわぬ民への共感やその運命への抗いが薄れたのはなんでだろうなあ。

でも今回の脚本の粗の部分含めて出来うる限りの部分で役者たちは膨らませて演じているし、出来うる限り演出を考えてくれているというのは複数回観て十二分に伝わってきたので、大阪では何も考えず観ようと思いました。染五郎さんの阿弖流為は見納めかなと思うし。

中島さんが描きたい阿弖流為が若造でなければいけなのであれば、そこを変えていけないのであれば染五郎さんが演じるには今回で超ギリでした。いや、遅かったに足を掛けているくらい。個人的には今の染五郎さんに合う阿弖流為像に変えて欲しかった。あとは15年後の金太郎ちゃん阿弖流為に期待。でも、今回の脚本を底本にするのであれば再演の折には絶対に故郷を捨てようとした理由づけ部分を強固なものにしてください。できれば13年前の『アテルイ』の脚本を底本にしていただきたいくらいです。『阿弖流為』の田村麻呂は年上のほうが内容的にしっくりくる。

なんだかんだ書きましたがあのハードな舞台が大きなトラブルなく無事に盛況に終わって良かったです。基本的にはとても楽しみました。楽しい芝居をありがとうございました。今日は皆のアイドル、くま子ちゃんがカテコに出てきてくれてとても嬉しかったです。

カテコで染五郎さんは「歌舞伎NEXTがこれから続くといいなと思っています」とご挨拶。そして「『阿弖流為』は大阪へ乗り込みます」と。あまり間をおかずに歌舞伎NEXTという形の歌舞伎上演が回数を重ねていけることをファンの一人として祈ります。歌舞伎NEXTとしての第一弾として『阿弖流為』は成功だと個人的は思っているけどそれほど間をおかずに次が必要だと感じる。次は「いのうえ演出×中島かずき脚本」でなくてもいいと思う。ただし、新感線の先行作品の歌舞伎化ではない「いのうえ演出×中島かずき脚本」での完全新作歌舞伎も絶対必要。

つらつらと雑感。

今回の『阿弖流為』は女形の可能性を広げたと思う。立烏帽子、御霊御前、阿毛斗のキャラは今までの女形の範囲からみると逸脱しているけど成立させた。女形は発散する役が少なく身体的にも辛いので最近女形一本でやろうとする人が少なくなってるけど、こういう役もできるとなればまた変わるかも。

アラハバキという存在は古来存在した人間くさいけど人智を超えた道理の持ち主の畏怖する対象の神様だと思うなあ。すべて受け入れて生きてきた時代から人が中心に変化していく時代に消えかかっている神ともいうね。うん、やっぱ、阿弖流為を殺したのは「人」ですかね。神と同じように人も残酷。

立烏帽子がアラハバキの一部でなぜあるはずくま子をなぜ嫌うのか?という話になり、くま子が人間の領域に近づきすぎて自然の掟を破った存在だかということ結論に。ちなみにくま子ははぐれ熊だと思われます。

黒御簾での生演奏がとても素敵だったんだけど、音と言えば一人で頑張ってた附け打ちの山崎さんがやっぱ凄かったとしか。かなり腕に負担があったのでは?と思うけど、ドラムとのセッションは超かっこよかったし、千秋楽のくま子とのやりとりにほっこりした。

今回、誰かが足りない感をずっと感じていましたが、それはいつも染五郎さんの新しい試みをそばで見守ってくれている錦吾さんが今回、いらっしゃらなかったということでした。友人と阿弖流為の父ということで補完しようということになりました。

京屋好きとしては今回、『阿弖流為』で京三郎さんを注目してくださった方が少なからずいるようで嬉しい。ラストの幕外からハネトとしてしなやかに舞台から花道、仮花道までかなり移動しながら踊っていた女形さんがそうです。

阿弖流為が巻いてるショールと鈴鹿が髪に巻いている布地ってお揃いだよね?あの柄の手拭いが欲しい。

新橋演舞場『阿弖流為 昼の部』 1等1階前方上手寄り 

2015年07月25日 | 歌舞伎
新橋演舞場『阿弖流為 昼の部』 1等1階前方上手寄り

25日(土)昼の部

今日の『阿弖流為』は今回の脚本改変での不満、ツッコミは消えないもののかなり満足する方向に着実に手直ししてくださっているわ、進化しているわ、なので「良し、これならいい、これはきたかも!!」でした。映像、今日くらいのを撮ってほしかった。先週に比べてはるかに良くなってた。

どんどん芝居にメリハリがついて芝居が密になってきていますね。進化させようという意気込みも感じます。余裕は無いとは思うのですが観客を楽しませようという熱があるというか。なので脚本のアラが気になりつつも楽しんでしまえる。非常にアンビヴァレンツな気持ちにさせる芝居ではあります。

私が「阿弖流為が神の遣いから鈴鹿を守る場で守るために一瞬抱きしめてから危ないと突き放すとかさ」とぶつくさに言ってた場面がなんと、これに近くなってた!!いのうえさん、ありがとう、ありがとう。でももっとがっつり抱きしめてくれていいのよ?(笑)

鮭リレーは蛮甲→後ずさりぎみwの阿弖流為に。「シャケだけにシャケ(避け)られなかった」腕の中でビチビチさせて、腹から裂いて一言「シャケた(避けた)!」でちょっと間を置き客席大爆笑。その後、染ちゃんと七くんが笑顔でうなずき合ってのはなにかな?
 

今日は演劇全般色々よく見ている友人と一緒。開口一番「面白かった。新作歌舞伎のなかで一番出来がいい。いさぎよい」と言ってくれた。嬉しい。友人がえらく気に入ってたのは照明であれは凄いと。今回、座組みの雰囲気が非常に良い。中村兄弟、運動神経いいね~~~、いい役もらってたね~。蛮甲のキャラが新感線(笑) 手負いの染ちゃんは魅力、あれは染ちゃんにしかできないね。あんな少ない人数でよくやれた。という感想。

とはいえ、やはりしっかり観るタイプなのでツッコミも多数(笑)
1:阿弖流為と田村麻呂のキャラ造形(陰陽はあるけどね)が似てて、対比がないね(二人を活かしきれてない)。
2:田村麻呂があんな子供ぽくていいの?あれに託せる? 
3:阿弖流為があの立烏帽子を鈴鹿が違いすぎるので勘違いするのはヘン、おばかちゃんに見えちゃうよ。
4:朝廷側の都合をみせる比重が大きく、蝦夷側の民の切実感と結局は隷属させられる哀しみを描ききれてないね。
5:阿弖流為の立ち廻り、大陸風にする必要あったの?もっと日本の殺陣のほうがよかった。日本舞踊的な振付のほうがよかったのでは?

ツッコミはこのくらいかな。

そんなツッコミがあったあとでの会話。立烏帽子は阿弖流為と話す時は鈴鹿の声にしたほうがよくない?それより、そもそも恋愛関係にする必要なかったのでは?「13年前は違ってたんだよ~」というと、そっちのほうがいいと。 私は今回の改変をするのであれば立烏帽子のなかに鈴鹿の魂を内包させるべきだろうと思うのよね。姿を借りるうえで鈴鹿の強い想いも潜んでるとか。まあ、脚本をかなり変えないといけなくなるけどね。などなど。

こんな会話のあとでつらつら考えたのですがここ最近の染五郎さんんの新作歌舞伎で私が一番好きなのは『伏見の富くじ』なのはまだ変わらず。これはあきらかに世話物の歌舞伎NEXTだと思うので歌舞伎NEXTってつけて東京で上演したらいい。新感線タッグの歌舞伎NEXTは今の年齢の染五郎さんに当てて新作書いての上演をよろしくです!というのが結論かな。

新橋演舞場『阿弖流為 昼の部』 1等1階前方センター

2015年07月17日 | 歌舞伎
新橋演舞場『阿弖流為』 1等1階前方センター

17日(土)昼の部

中日過ぎて役者さん個々が役を深化させて芝居にメリハリが出てきて見応えが出てきていた。染五郎さんの仕掛けた祭りだもの乗らないでかとノッて観ているし十二分に楽しんでいる。ただ進化していてさえ今回の脚本の改変でのアラに納得いかない。改変の意味が見いだせない。せめて阿弖流為と鈴鹿がなぜ出奔しようとするまで追い詰められたのか、という部分の理由がもっと強固であれば…。明らかにまったく説得力ないんですよねえ。何かしらの人としての弱さみせるか、必然的な理由があるか。今の染五郎なら必然的な理由のほうが欲しいとは思うけど。13年前ならまた別。あとやっぱり阿弖流為に最初の段階で思いださせちゃダメだと思う。今回、その部分の仕掛けが中途半端。前回だと終盤のあのシーンは「人」として生きられない絶望感がそこにあって、それでもまだ人として何かをなしたいという行動原理があったけど今回はそこが曖昧になってしまった。それに伴って蝦夷への想いも見えづらくなり、感情移入ができない。

阿弖流為をひとりの男として側面を描こうとするのであれば(今回の人物関係にするのであれば)、男としての一番大事な心の部分を蹂躙された怒りやら生きてると信じていた希望のカケラを失った絶望を少しでいいから描くべきだと思うんですよねえ。そこすっ飛ばしすぎでは?

私は今回の物語改変なら誰かが正気にさせなければいけないのであれば鈴鹿だろうと思んですよね。あと人の心に戻すのも。田村麻呂があんなに直情的な若者設定じゃなければよかったんだけど…。「普通なら信頼しちゃけいないよね、子供すぎるよねえ」(母曰く)って…。田村麻呂のキャラが熱血漢&単純が強すぎるというか。阿弖流為と田村麻呂の関係性ももうひと押しなんとかならなかったかなと。

今回のアラの大半はたぶん、染五郎さんが大人になったってとこ、中島さんが補完できてないってことなのかなとは思っている。

蛮甲とくま子のやりとりからなぜか鮭リレー。どうやら日ネタの場面になった模様(笑) 蛮甲→阿弖流為「シャケ、ケ、ケ、ケガニ?!」→烏帽子「ニ、ニ、ニタマゴ!(たぶん)」→蝦夷の民「?!!」あたふた、あたふた→すかさず引き取り、蝦夷の民の川原さん「シャケで遊ぶんじゃねえ!」とポイッ(笑) 

『阿弖流為』は基本、新感線の「いのうえ歌舞伎」を歌舞伎者だけで演じている7~9割。そこに1割~3割程度、歌舞伎手法を入れ込んでいくつか見せ場に仕立ててる感じ。その見せ方を違和感なく綺麗に融合させてきたのは役者の力でしょうね。

いのうえ歌舞伎手法と歌舞伎手法を5対5とは言わないまでも6対4くらいのものが観たい。なので歌舞伎NEXTに次があるのなら従来の新感線のものの書き換えではなく完全な新作を作って欲しい。そういう意味で『阿修羅城の瞳』は新感線のものだと痛感した。あれこそ脚本も演出も完成されすぎている。『阿修羅城の瞳』は舞台が江戸末期で南北なので『阿弖流為』よりは歌舞伎手法を使いやすい演目ではあるのだけど、その部分は普通に染五郎さんが新感線のなかでやってたわけでそのままの演出で十分なんですよね。あと邪空は年下だと意味がないので古ちんを連れてくるくらいできるならありかなあ。邪空は同世代(上下1~3歳程度。出門より少し年上のほうがしっくりくる)の設定は変えたらあかん。凄惨な過去あってのあの話なので。邪空のほうが鮮明に覚えてないとダメでしょと。『阿修羅城の瞳』の歌舞伎化を願っていたけど今回の『阿弖流為』を観て、ちょっとどうかな?と思い始めてる。

*『阿弖流為』のなかの歌舞伎所作:

最初の場の立烏帽子と田村麻呂の殺陣の途中、スローモーになる部分は歌舞伎の立ち回り。阿弖流為と田村麻呂との殺陣の場面でもあり。

随鏡宅内での阿弖流為の名乗りは荒事のツラネと所作ごと(舞踊仕立て)(通常の2倍速かそれ以上の早さ)。

田村麻呂の名乗りは世話物(黙阿弥)七五調(通常スピード)

阿弖流為と田村麻呂の見得合戦(通常より間は短い)。

阿弖流為と随鏡の兵との立ち回りは早めのスピードのなかでトンボ(兵たちが皆でくるっと回転して足をVの字にして決まるとこ)を切らせている。

阿弖流為と神の使いとの戦いは歌舞伎所作での立ち廻り。阿弖流為と竜神との戦いも歌舞伎所作での立ち廻り。どちらも早間でやっている 。

田村麻呂と黒縄と蛮甲の三人のゆったりめの踊っているような立ち廻りはだんまりという手法。

阿弖流為が朝廷に騙された後、鬼と化して長槍で花道を飛ぶように駆けていくのは飛び六方。これも歌舞伎より早間。

田村麻呂が悪鬼と化した阿弖流為の元に行く時の低く構えた形も歌舞伎の型。その後の走りは歌舞伎ではない。

そもそも、歌舞伎では皆、あんなスピードで花道は走りません(笑)

歌舞伎所作の部分で目立つところではこんな感じかな~。もっとあると思うんだけど、わかる人補完してくれたら。そういえば染五郎さんの阿弖流為は阿弖流為独特の立ち廻り含めて色んな部分で舞踊の要素高めに感じた。友人もそう感じたそうなので、意識してるのかな?

新橋演舞場『阿弖流為 昼の部』 1等2階席前方上手寄り

2015年07月07日 | 歌舞伎
新橋演舞場『阿弖流為 昼の部』 1等2階席前方上手寄り

9日(木)昼の部

2階からも観たくて急遽足した観劇です。平日昼の部のせいか年齢層が幅広く歌舞伎慣れしてる感じもなく新感線慣れしてる感じでもない客層だったけど拍手が続きお約束のカテコでスタンディングオベーションになり幕閉めてからのカテコが2回。今日のような客層で平日でもということは確実に成功してるんだなって感じました。

全体的にだいぶメリハリは出てきた感じがしました。新感線手法と歌舞伎手法が少しづつだけど融合し始めてるかな?という感触もありました。初日はかなり乖離しててぎくしゃくしてたから、どうなるかと思ったんですけど。

二階から拝見すると照明がかなり綺麗です。ただ綺麗なだけじゃなく物語に沿ったかなり凝った照明。あと立ち廻りの手もよくわかってこれも皆の動きが美しく綺麗で発見が多かったです。

初日に気になっていた阿弖流為と立烏帽子/鈴鹿の関係性が少しだけ濃くなってたような感じ。もっともっと濃くなってほしい。でもやっぱり阿弖流為・鈴鹿の改変部分での物語的フォローが欲しい。今のままでは説得力に欠ける。なぜ、こういう変えかたをしたのだろう?

今回の阿弖流為@染五郎さんは13年前に比べ骨太になっただけにかなり孤独な雰囲気を受ける。都での阿弖流為は一人で追放されて埋めるものを見つけられず心をすり減らしてしまったようにみえた。もう取り戻せないとこまできちゃった感。人として救われてほしいんだけど今のところ最後まで孤独なままで終わってる。

13年前の『アテルイ』の時のアテルイは戦神として殉じても人としては救われてたように思うんだけど。この印象の違いはなんだろうなあ。今回の阿弖流為は人に戻り切れてないように思うんだよね。染五郎さんの阿弖流為の台詞廻しがより哀愁を帯びているせいだろうか。まだ時々、言葉が走ってしまうクセも出ちゃってるけどこの台詞廻しと声がたまらなく好きだったりする。

新感線のテンポに歌舞伎手法を組み込むのに、かなりアレンジさせてスピード感を出してやっているのはやはり染五郎さん。かなり大変そうで、まだ成功してるとこと成功しきれてないとこがあるけど創作舞踊を作ってきている経験が活きてるかも。いのうえさんはやはりスピード感を大事にしてるんですね。染ちゃんがそのスピード感と従来の歌舞伎手法をなんとか融合させようとしているのは舞台から伝わってくる。

無碍随鏡@宗之助さん、しっかり演じてらしてるけど、どうせならもっと気持ち悪く演じてもいいんじゃないかな~。弾けられる方なんだし、女形中心の方なんだし、もっと粘っこいキャラにしたほうが活きるような。今の段階ではもったないな~と。

飛連通@廣太郎くんがだいぶよくなってきたかな。あんなに台詞あったんだ的な(笑)翔連通@鶴松くんは台詞は少な目だけに存在感出すの苦労してるかも。

初日から気になってたけど今日強く感じたのは附け打ちの手数が多すぎること。なんにでも付ければいいってものではない。附け打ちの山崎さんもあれでは大変すぎる。一人でやってらしてるんだし。もう少し減らしてあげてほしい。歌舞伎役者は静寂を支配できるんだし。

附けだけじゃなく音楽ももう少し減らしてほしいぞ。ここぞという時の見せ場、かえって音を入れず附け打ちがだけのほうが効果が出そうだし。とはいえ、初歌舞伎演出だし、盛りだくさんにしたいのもわかるし、いのうえさんも試行錯誤だと思う。まだ最初の一歩だ。

新感線の殺陣には意味がある。キャラクターの性格も表してるしその時々の感情も表している。『朧の森に棲む鬼』のライだとそこらへんすぐにわかる。ライのキャラが変化するにつれどんどん変化していくから。『アテルイ』もわかりやすかった。今回の『阿弖流為』だと歌舞伎の殺陣も入るから少し見えにくくなった気がちょっとする。

俯瞰して観ると物語的にやはり気になるところが初日以上に…。前半幕、阿弖流為にあそこで「鈴鹿」と呼ばせちゃいけいない気がするなあ。今回の阿弖流為と立烏帽子/鈴鹿の関係性の見せ方に今のところどうしても納得いかない。なんでだろ?と少し『アテルイ』を見返したけど西牟田さんの立烏帽子は水野美紀ちゃん鈴鹿と比べるとクールではあるけどやっぱ可愛らしい。アテルイ大好きオーラ満載だった。だから後半が活きてる。今回、女形でやった良さは今回ほんと十分認めるけど仕掛けの面白さ(一応ネタばれ回避)は減ってる気がする。せめて関係性を前回から改変しなければまだ納得いったけど。変えてきた意味が本気でみえないんですよねえ…。

それと堤真一さんの田村麻呂は最初からそこに立ってるだけで阿弖流為が信頼を寄せたくなるような人物だったけど、今回は若者すぎてその度量はさすがにないし…。だからこその今回の増やしたシーンがあるわけなんだけど今回の’あのシーン’に説得力がでたとは思えないんだけど。清濁の濁がないんですよね、今回の田村麻呂。飲みこんでいるからこその陽と濁を知らない真っ直ぐさの陽は質が違う。濁を知るからこそへの信頼ならわかるんですが…。今回、こういうように書き換えたんなら、やはり阿弖流為の人物造形というか田村麻呂に対する立ち位置も変えるべきだったと思う。

今回の書き換えからすると阿弖流為を阿弖流為に戻すのは「鈴鹿」じゃないとダメなんじゃ?と思う。やはり一人二役の意味をまだ見いだせてない。阿弖流為の報われなさは前回『アテルイ』の時よりひどいと思う。朝廷側のドラマの比重が大きくなってちょっとバランスが悪すぎる…。蝦夷の民の想いがどこにも描かれていない。滅びゆく世界のなかで「人」はどう生きるべきか。今回、脚本の改変の部分で意識せずに古き世界への共感が少なくなっている。阿弖流為の想い、蝦夷の民たちの想いが見えてこないのはそのせい。龍が人が同じ世界で暮らした古き世界と龍がいなくなった新しき世界との戦い。もっと対にしてほしかった。

『阿弖流為』に関しては13年前の『アテルイ』があるゆえにいのうさんの演出がそこから逃れられていない(完成度高かったし)&中島さんが阿弖流為のキャラを13年前の染五郎さんアテルイの時のままで今の染五郎さんに合わせて書き換えをしなかったというのもあり「この次」への入り口にしか見えない。

歌舞伎NEXTは松竹が命名したそうなので、いのうえ演出ありきなのか染五郎ありきなのかは「この次」があってわかることでしょうね。ただ言えることは染ちゃんの熱意があったればこそ今回のは実現したってことは間違いないってことだけかな。なんにせよ、「この次」は必要でしょうね。

今回の設定と噛み合わなすぎて、どうにも気になるんですよ。それでも初日は染五郎さんが夢を実現したことやら、いのうえ歌舞伎がいわゆる歌舞伎に参入してきたことやら、役者の熱やらで楽しければまあいいやと思ったんですが二階からひきで観たせいか尚更気になって…。

なんとなくいのうえひでのり氏が『阿修羅城の瞳』を以前は歌舞伎化できるって言ってたのに今回、新感線のほうがいいと言ったのはそういうことかな~?と思ってみたり。違うかな。一番、歌舞伎にしやすい題材ではあるんだけどまったく違うものになってしまう可能性が大きいことに気が付く。

新橋演舞場『阿弖流為』 1等1階席前方上手寄り

2015年07月05日 | 歌舞伎
新橋演舞場『阿弖流為』 1等1階席前方上手寄り

歌舞伎NEXTと銘打たれた染五郎×いのうえひでのり×中島かずきがタッグを組んだ新作歌舞伎です。今回は13年前に劇団☆新感線で上演された染五郎さん主演の『アテルイ』という作品の歌舞伎化です。

初日を拝見する限りでは今回は新感線テイストが強く歌舞伎味はスパイス程度な感じ。新幹線7割、歌舞伎3割というところでしょうか。場の転換がスピーディで立ち廻りも早く、台詞も現代語です。いつもの劇団☆新感線と違うのは音楽が生演奏。楽器は和楽器とドラムやギターとの共演。効果音はいつも通りですが、附けの部分が本職の附け打ちさんとなっています。役者さんは主要な役はすべて歌舞伎役者さんですがモブに歌舞伎役者さんの他にアクションクラブの方と普通の役者さん数名(すべて男性)が入っています。

今回の『阿弖流為』はそれこそ新感線ファンや中島脚本のグレンラガンやキラレキルが好きな人に観てもらいたいなぁと思いました。これを観たら歌舞伎の自由さがわかってもらえると思う。言葉もテンポも「今」だし、なにより熱気があって楽しいです。歌舞伎に慣れてない人にはちょうどいいかも。

私個人には初見では、もっと歌舞伎の間合いでの芝居を期待していたのと歌舞伎化するうえで改変された物語に整合性が取れなくなってるのと、と気になるところはいっぱいでした。なので最初のうちはどーかなあっと思ったり色々と思うことはあったけど、終盤の勢い、役者の熱でのグルーブ感が素晴らしくてどーでもいい、とにかく、かっこよくて、切なくて、かっこよかった、これの感覚好き!!という気持ちが湧いてきました。次作で新感線テイストと歌舞伎味がもっと融合させていけると良いな。

芝居が終わった瞬間スタンディングオベーションになりカーテンコールが3回かな。座頭の染五郎さんのご挨拶がありました。「歌舞伎NEXTの記念すべきスタートの日に立ち会えたことを、今日お越しの皆様が誇りに思えるよう、はじまったばかりですが、残りの日程、頑張ります」と。

このお芝居はまだまだこれから日々進化していくと思います。歌舞伎NEXTの始まりに立ち会えた喜びをかみしめております。染五郎さんの夢のひとつがまた叶い、始まりました。それを肌で実感した時に涙が出てしまいました。芝居への感動ではなく染五郎さんの強い想いからの実現に。

芝居自体の感想はというと初日感たっぷりだったけど、みんなが魅力的だった。まだまだな感じはたくさんだけど、新感線テイストと歌舞伎の融合の部分でまだちぐはぐな部分も多々だし主役三人のキャラはまだ手探り感いっぱいだったけど、でもそれでも勢いと熱気はすごい。周囲の役者がさすがにもうかなり固まってるので芝居としてはまったく崩れないし。

阿弖流為@染五郎さん、芯が太くなって男ぽくなったし、熱く熱く演じてるけど、でもやっぱりどこか人離れしたとこが最初からある。纏う空気感というか。なんだろ?実は弁慶を演じた時にも思ったんだけど。そしてとてもとても孤独にみえた。行き場のない孤独。今回、阿弖流為の孤独がまだどこに行きつく見えてない。それは脚色のせいでもあり役者の持つオーラが変わったせいでもあり、相手の役者が変わったせいでもあり。私的にはそこが見えてきてほしい。

13年経った今の染五郎さんのあてて書き換えしてもらえてないので、演じるうえで落としどころを見つけるのは大変そうです。13年前のアテルイはほんの若造で、それがその時の染五郎さんの年齢にとても合っていたと思います。しかし、いまや完全に大人になりきった役者・染五郎ですから。

ミーハーファン的には染阿弖流為が出てきた瞬間、ほんとに40男っすか?えっ?まじですか?綺麗すぎるだろ、でしたが(笑)空に向ける角度の時の顔のラインが綺麗すぎて。あと目が妙に透明感があって。またカラコン入れてるのかな?美しく気高く、孤高の人。

田村麻呂@勘九郎さん、きちんと勘九郎くんに当てて書き換えしてもらった&役を膨らませてもらっていたのでそのまま演じるだけで熱血で純粋で真直ぐな人間くさいとても良い男キャラ。ただ阿弖流為の魂を揺さぶる男にはまだちょっとみえない。阿弖流為@染五郎をすべて受け止めるような度量大きさとかないですし。13年前の堤さん演じる田村麻呂より美味しい役になっていますが、役割的にどうなっていくかというところ。

烏帽子/鈴鹿@七之助さん、何を書いてもネタばれになりそう。なので役の部分ではなく。良い意味で書くのだけど新作歌舞伎だと存在感が増す。風貌のスタイリッシュさと運動神経のよさと生来の間のうまさが活きるのかなと思う。凛とした部分と少女性のあるオーラが今回の役に嵌ってました。

正直なところ烏帽子/鈴鹿に関しては、今回一人に集約した意味はまだ見いだせてない。阿弖流為との関係性がかえって薄くなってるのはどういうことなんでしょう?これは脚本の改変部分を膨らませてないせい。田村麻呂のキャラは改変部分で役を膨らませたのに阿弖流為は膨らませるどころか、その部分はかなりおざなりにされてしまいました。対、勘九郎くん田村麻呂だと今の染阿弖流為は大きすぎるのかもとも思ったんですが…。そういう意味で染ちゃんもどう演じていくか難しそう。ダンドリに追われてたとか台詞がとか以外に今回の『阿弖流為』なかで阿弖流為@染五郎さんが一番、役に入り込めてなかったと思う。

御霊御前@萬次郎さん、「アテルイ」での金久美子さんのイメージが強く萬次郎さんはどういう感じでいくのか想像つかなかった。怪しさ満載でいくのかと思いきや、びっくりの美女で驚愕。草笛光子ばりでエメラルドグリーンの爪が違和感ない。怪しいではなく妖しさ抜群の怪演ぶり。

蛮甲@亀蔵さん、「アテルイ」の時のいっけいさんとじゅんさんとよし子姐さんをミックスしたキャラになってた。蛮甲に関しては今回のほうが幅が出て良いキャラになってたと思う。新作歌舞伎の時の亀像さんは若干飛び道具キャラが多い。いわゆるストプレの亀像さんはピュアキャラなのにっ。

稀継@彌十郎さん、こちらも何を書いてもネタバレになりそうなのは困った。アテガキではなく、役の幅の広さが物を言ったという感じがしました。ううっ、書きたいのに書けないのつらいですね。かなりの好演かと。

阿毛斗@新悟くん、歌舞伎『阿弖流為』になって一番変わったキャラだけど大正解。超カッコイイよ。女形ならではなキャラは烏帽子だけでなく阿毛斗もだと思う。中性的な雰囲気で演じててそれがとても素敵だった。声のよさも活きてたし。

佐渡馬黒縄@橘太郎さんのはワル可愛くて、でもただそれだけじゃない大人ぶりもありで良かった~。拵えが一番歌舞伎でした!三頭身的な(笑) それがまた可愛い。そしてやっぱり体がよく動く。

全体的に主題には色々考えさせられました。どちらにも義があり、でもそれは決して正義にはならず正解もない。人はなぜ戦うことしかできないのだろう。忘却は幸せでもあり不幸せでもある。永遠の主題なのだろう。「阿弖流為」にもその普遍性はある。歴史ものだけどファンタジィであることは、「忘れられた巨人」が神話であることと同じかな。だからこそ描ける世界なのかも。竜は倒され、神も倒される。まあ、「阿弖流為」はなんだかんだ超エンタメで少年まんが(男同士の友情と命を張った戦い、カッコエエ)なので「義」を考える部分の主題は投げかけるだけに終わってはいるのだけど。ほんのり余韻として残る感じかな。

とりあえず、これからどう進化していくのか楽しみです。私的に外してほしくなかった所が残っていたのも嬉しい。くま子ちゃんも削らないでいてくれて、ありがとう!(笑)とはいえ、改変した脚本や演出面でかなりアラが出てて言いたいことあるけど。

中島脚本はアラも魅力でそこをいのうえ演出と役者が埋めていくんだけど、今回、阿弖流為の人物造形に関しては演出でもおざなりになった部分をまったく埋めてない。特に烏帽子・鈴鹿との関係性。あと田村麻呂のキャラが変ったのでそことの関係性も少し変えていいんじゃないかと。ほんとはまだまだあるんだけどこれから改善していくと思うからまだ言わない。終盤になっても違和感あったら書こうかな。

にしても阿弖流為と鈴鹿のらぶらぶなシーンを入れて欲しかった。少しだけでいいから。それがあるとだいぶ意味合いが出てくると思うんですよね~。あと烏帽子(鈴鹿に時に)が時々可愛らしく阿弖流為らぶになってみるとか。西牟田さんときはそれがあったからなお切なかった。漢だけを出したいのであれば以前の阿弖流為と鈴鹿との関係性そのままのほうがスッキリしたと思うんですよねえ…。わざわざ変えたのであれば膨らましてほしかった。

あ、今回、衣装が動きやすそうにみえなくてそれも少し心配。特に阿弖流為の衣装、分厚いというか着込みさせすぎなような。染五郎さんも若くないんだから、あれだけの立ち廻りをさせるなら考えてあげて。

拝見して、かなりハードな芝居だと思いました。出演者の皆さん、相当ハードな芝居なので怪我せずに無事にやりきって欲しいです。八百屋舞台だから一歩間違えれば危ない。それと附け打ちさんも腱鞘炎に気を付けて。

とりあえず、初日の雑感でした。

歌舞伎座『七月大歌舞伎 夜の部』 3等A席前方センター

2015年07月04日 | 歌舞伎
歌舞伎座『七月大歌舞伎 夜の部』 3等A席前方センター

『熊谷陣屋』

梅玉さんと魁春さん、鉄板。この兄弟ほんと貴重。

播磨屋というより團十郎さんな熊谷でした。台詞は相変わらず。

『怪談 牡丹燈篭』
面白かった~。

玉三郎さんのお峰は絶品だし何より女として可愛い。玉三郎さんのお峰の嫉妬は旦那が好きだからこその悔しさが伝わるのがたまりません。

中車さんもかなり良かった。小心ものだけどごく普通の男。それが少しづつ欲望にのまれていく様がよく伝わってきて身近な存在としてありました。声もよく出てましたねえ。

玉三郎さんと中車さんの二人、思った以上に息が合っていました。

ラストは今まで観てきたものと違ってました。今回のラストは哀しい終わり方かな。いつものほうが好きですが今回のも余韻があって良いなあと思いました。

円朝の猿之助さんは段四郎さんソックリだった。やはりこういう語りも巧いね。馬子の海老蔵さんは楽しそうに。お馬鹿きゃらが似合う。