『猿若江戸の初櫓』
勘太郎くんが楽しそうに活き活きと踊っていて見ていて気持ちいい。彼の踊りは形が本当にきれいだ。柔らかさとも持ち合わせているし、いずれ勘三郎さんの当り役をきちんと受け継いでいくだろうなあと思わせました。しかしこの年齢でこの技量は大したものだ。天性の素質を持ち合わせているうえに相当な努力をしているのだろう。愛嬌もだいぶ出てきた感じですね。
七之助の代わりにでた福助さんは終始ニコニコと勘太郎くんを見守っている感じ。引き立て役にまわったか、踊りのほうが珍しく印象に残らない出来。あれれ?福助さんの踊りっていつもはとても華やかで絶対印象に残るのだけど。
『平家女護島』
役者が揃った舞台でした。非常にバランスがよく、それぞれの役者たちが役の性根をわきまえつつ持ち味を発揮し、かなり見ごたえのあるものになっておりました。『俊寛』は今までも色んな役者で何度も見ているのだけど、今回ほど「物語」がくっきり浮かんできたのは初めて。
今回の幸四郎さんの俊寛は珍しく感情が内に入るキャラクターではなく、周囲に向いている俊寛であった。以前拝見した時は心の内に篭っていた風情があって、島に残るのも自らのため、船が行ってしまってからは完全に虚無感に陥り、「おーい」の呼びかけも自分に向いていた感じでした。ラストは崖の上で冥界への入り口に立ったかのような、目線の先に何も見えてない恐いまでの無表情で、ああ、たぶんこの人はこのまま死ぬんだろうなという救いようのない暗さがあったように思います。
ところが今回、成経・千鳥夫婦を見つめるまなざしに優しさがあり、妻、東屋への思慕をより明確に表現していたため、後半の俊寛の行動が情に突き動かされたものになっていました。そして一人残され、「おーい」と叫ぶその表情は様々に揺れ動いていた。皆を送り出すための、どこまで行ってしまったのを確かめるための、行ってしまうんだなという寂しさを、そして孤独に耐えかねての未練の、そして孤独感に打ちひしがれ寂寥感漂わせて。たった二文字の「おーい」の呼びかけにこれほどまでに色んな想いをのせて聞かせられるのは幸四郎さんぐらいなものだ。寂しさに押しつぶされそうな「おーい」と聞いた時、知らず知らず涙がこぼれてきてしまいました。自ら選んだものの達観できずに船を追いかけ、最後、脱力感でぼんやり遠くを見つめる俊寛。救いはないのだけど、情味があってきっとこのまま諦め切れないで生きていくんだろうなあと、そんな人間らしい「凡人」の俊寛を幸四郎さんで見ようとは。この解釈は、たぶん幸四郎さんが先代勘三郎さんに教えを請うた時のものなんじゃないのかな?と思いました。今回、勘三郎襲名ということであえてこの俊寛を持ってきたのだと思う。
もう一人の主役の千鳥の魁春さんが目を見張るほど良かった。一途で可愛らしいだけでなく、海女としての強さがきちんと出ていて一人残されたときのくどきに説得力がありました。とても自分の立場をわきまえている千鳥なので俊寛が船の乗せようとする場面の戸惑いにとても心根が優しい女性なんだなあという部分も見えました。その千鳥と夫婦になる成経の秀太郎さんがとても可愛げな品があり、恋する二人のほのぼの感じが出て良かった。そのおかげで後半の引き離されそうになる部分の悲劇が活きて、俊寛が妻が殺されたと知った時の悲しみが引き離されようとする成経・千鳥夫婦に重ねあわされ、この二人のためにも、といった心情がきれいに見えてきて、この物語が夫婦の愛情の物語でもあるといったものがクローズアップされたように思います。
また、段四郎さんの瀬尾の憎々しげな大きさも見事で、幸四郎さんの俊寛がなおのこと活きてきた感じ。東蔵さんの康頼もみんなの世話係的な存在感があり、丹左衛門の梅玉さんは爽やかで情を見せつつも理が勝つキャラクターがピッタリ。
『口上』
口上ってやはり、大事だなあと。周囲からの祝辞を受け、その言葉を真摯に受け止めることで、新たな「勘三郎」という役者に変化していくんだろうなあと思った。19人もずらりと並ぶ舞台は圧巻でした。口上を述べる役者個々の個性も見ていて楽しい。ただ雀右衛門さんがかなりお疲れのようなな雰囲気でちょっと心配。つっかえつっかえで声も小さい。でも、きちんと話そうと頑張るお姿に拍手。
『一條大蔵譚』
初めて観る演目で昼の部では一番楽しみにしていたのだけど出演者が濃かったわりになんとなく物語としてのまとまりが薄かったように思う。脇がちょっと精彩を欠いていたためと思う…残念だったなあ。
勘三郎さんの作り阿呆は可愛らしくて前半は本当に阿呆に見える…。可愛げなので楽しく観れるのだけどあんなに阿呆面でいいのかしら?と思う部分も。だが後半の正気の姿と落差が出るので視覚的にわかりやすい。正気を見せる部分はもう少し大きさがあってもいいかなあとも思ったけど、阿呆と正気の切り替えはお見事で義太夫の糸にのるといった部分で確実に表情豊かにのせてきて素晴らしかった。ここまでひとつひとつきれいに動いてくれると観てて本当に気持ちいい。
常盤御前の雀右衛門さんが座ってるだけで美しさと品格を出していたのはさすがと思わせたのだけど、そこまで。かなり体調が悪そうでほとんど義太夫に乗り切れていない…。声も弱々しく、いつものオーラが発揮しきれていなくて、ちょっと動くたびにこちらがハラハラドキドキ(涙)。だ、大丈夫なんでしょうか?
仁左衛門さんの鬼次郎、玉三郎さんのお京はいわゆる御馳走の配役。二人が並ぶと本当に美しいし華やか。勘三郎さんの引き立て役にまわり、丁寧に控えめに演じてはいるもののやはり役不足でかえって物足りない。所作の美しさなどみるべきところは確かにあった。だが役柄的に役者が必死さを出すべき役回りだと思うのだけど、その部分があまり伝わってこなかったんだよなー。
その反面、鳴瀬の小山三さんと勘解由の源左衛門さんは頑張っていた。大役を任されちょっと気負った感じはあったけど、きちんと演じていて印象に残しました。
勘太郎くんが楽しそうに活き活きと踊っていて見ていて気持ちいい。彼の踊りは形が本当にきれいだ。柔らかさとも持ち合わせているし、いずれ勘三郎さんの当り役をきちんと受け継いでいくだろうなあと思わせました。しかしこの年齢でこの技量は大したものだ。天性の素質を持ち合わせているうえに相当な努力をしているのだろう。愛嬌もだいぶ出てきた感じですね。
七之助の代わりにでた福助さんは終始ニコニコと勘太郎くんを見守っている感じ。引き立て役にまわったか、踊りのほうが珍しく印象に残らない出来。あれれ?福助さんの踊りっていつもはとても華やかで絶対印象に残るのだけど。
『平家女護島』
役者が揃った舞台でした。非常にバランスがよく、それぞれの役者たちが役の性根をわきまえつつ持ち味を発揮し、かなり見ごたえのあるものになっておりました。『俊寛』は今までも色んな役者で何度も見ているのだけど、今回ほど「物語」がくっきり浮かんできたのは初めて。
今回の幸四郎さんの俊寛は珍しく感情が内に入るキャラクターではなく、周囲に向いている俊寛であった。以前拝見した時は心の内に篭っていた風情があって、島に残るのも自らのため、船が行ってしまってからは完全に虚無感に陥り、「おーい」の呼びかけも自分に向いていた感じでした。ラストは崖の上で冥界への入り口に立ったかのような、目線の先に何も見えてない恐いまでの無表情で、ああ、たぶんこの人はこのまま死ぬんだろうなという救いようのない暗さがあったように思います。
ところが今回、成経・千鳥夫婦を見つめるまなざしに優しさがあり、妻、東屋への思慕をより明確に表現していたため、後半の俊寛の行動が情に突き動かされたものになっていました。そして一人残され、「おーい」と叫ぶその表情は様々に揺れ動いていた。皆を送り出すための、どこまで行ってしまったのを確かめるための、行ってしまうんだなという寂しさを、そして孤独に耐えかねての未練の、そして孤独感に打ちひしがれ寂寥感漂わせて。たった二文字の「おーい」の呼びかけにこれほどまでに色んな想いをのせて聞かせられるのは幸四郎さんぐらいなものだ。寂しさに押しつぶされそうな「おーい」と聞いた時、知らず知らず涙がこぼれてきてしまいました。自ら選んだものの達観できずに船を追いかけ、最後、脱力感でぼんやり遠くを見つめる俊寛。救いはないのだけど、情味があってきっとこのまま諦め切れないで生きていくんだろうなあと、そんな人間らしい「凡人」の俊寛を幸四郎さんで見ようとは。この解釈は、たぶん幸四郎さんが先代勘三郎さんに教えを請うた時のものなんじゃないのかな?と思いました。今回、勘三郎襲名ということであえてこの俊寛を持ってきたのだと思う。
もう一人の主役の千鳥の魁春さんが目を見張るほど良かった。一途で可愛らしいだけでなく、海女としての強さがきちんと出ていて一人残されたときのくどきに説得力がありました。とても自分の立場をわきまえている千鳥なので俊寛が船の乗せようとする場面の戸惑いにとても心根が優しい女性なんだなあという部分も見えました。その千鳥と夫婦になる成経の秀太郎さんがとても可愛げな品があり、恋する二人のほのぼの感じが出て良かった。そのおかげで後半の引き離されそうになる部分の悲劇が活きて、俊寛が妻が殺されたと知った時の悲しみが引き離されようとする成経・千鳥夫婦に重ねあわされ、この二人のためにも、といった心情がきれいに見えてきて、この物語が夫婦の愛情の物語でもあるといったものがクローズアップされたように思います。
また、段四郎さんの瀬尾の憎々しげな大きさも見事で、幸四郎さんの俊寛がなおのこと活きてきた感じ。東蔵さんの康頼もみんなの世話係的な存在感があり、丹左衛門の梅玉さんは爽やかで情を見せつつも理が勝つキャラクターがピッタリ。
『口上』
口上ってやはり、大事だなあと。周囲からの祝辞を受け、その言葉を真摯に受け止めることで、新たな「勘三郎」という役者に変化していくんだろうなあと思った。19人もずらりと並ぶ舞台は圧巻でした。口上を述べる役者個々の個性も見ていて楽しい。ただ雀右衛門さんがかなりお疲れのようなな雰囲気でちょっと心配。つっかえつっかえで声も小さい。でも、きちんと話そうと頑張るお姿に拍手。
『一條大蔵譚』
初めて観る演目で昼の部では一番楽しみにしていたのだけど出演者が濃かったわりになんとなく物語としてのまとまりが薄かったように思う。脇がちょっと精彩を欠いていたためと思う…残念だったなあ。
勘三郎さんの作り阿呆は可愛らしくて前半は本当に阿呆に見える…。可愛げなので楽しく観れるのだけどあんなに阿呆面でいいのかしら?と思う部分も。だが後半の正気の姿と落差が出るので視覚的にわかりやすい。正気を見せる部分はもう少し大きさがあってもいいかなあとも思ったけど、阿呆と正気の切り替えはお見事で義太夫の糸にのるといった部分で確実に表情豊かにのせてきて素晴らしかった。ここまでひとつひとつきれいに動いてくれると観てて本当に気持ちいい。
常盤御前の雀右衛門さんが座ってるだけで美しさと品格を出していたのはさすがと思わせたのだけど、そこまで。かなり体調が悪そうでほとんど義太夫に乗り切れていない…。声も弱々しく、いつものオーラが発揮しきれていなくて、ちょっと動くたびにこちらがハラハラドキドキ(涙)。だ、大丈夫なんでしょうか?
仁左衛門さんの鬼次郎、玉三郎さんのお京はいわゆる御馳走の配役。二人が並ぶと本当に美しいし華やか。勘三郎さんの引き立て役にまわり、丁寧に控えめに演じてはいるもののやはり役不足でかえって物足りない。所作の美しさなどみるべきところは確かにあった。だが役柄的に役者が必死さを出すべき役回りだと思うのだけど、その部分があまり伝わってこなかったんだよなー。
その反面、鳴瀬の小山三さんと勘解由の源左衛門さんは頑張っていた。大役を任されちょっと気負った感じはあったけど、きちんと演じていて印象に残しました。