Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

大阪松竹座『朧の森に棲む鬼』1等1階前方センター・1等1階中央前方寄り花道外

2007年02月28日 | 演劇
大阪松竹座『朧の森に棲む鬼』1等1階前方センター・1等1階中央前方寄り花道外

観劇日:2月24日ソワレ 前楽 1等1階前方センター
観劇日:2月25日マチネ 大千穐楽 1等1階中央前方寄り花道外

【感想そのニ】役者編

ライ@市川染五郎
大阪に来てライの表情の振れ幅が拡がっていたと思う。最初の頃の単なる小悪党なライに愛嬌が増していて非常に魅力的だった。嘘と真実の狭間を行ったり来たりしているなかでもどこかしら真っ直ぐなライ。最初の頃はちょっと背を丸めて動作を荒っぽくして所詮は小物の雰囲気を見せる。そのなかでチラリチラリと「悪の顔」を見せていく。そして最初の頃のどこか愛嬌のある悪党から少しづつ上へ昇るたびに愛嬌というオーラは無くなって行き、悪に染まった凄みのあるオーラを身に纏っていく。少しづつ貫禄を帯び、動作は美しく、滴るような色気、そして体が大きく見え始める。ゆらゆらと体に纏うそのオーラは毒々しく、狂気を帯び始めていく。色ぽい眼差しのなかに冷ややかな光を湛える視線、歪ませた口元、端正な顔が歪むからかえってぞっとする。終盤、追い詰められてからの焦点が定まらない視線と表情は恐ろしく、でもなぜか美しい。この変化の鮮やかさ。染五郎演じるライには「醜悪さ」がない。あくまでも悪という狂気の華であった。

それにしても3時間という舞台でこの振り幅は相当なものじゃないかと思う。手順の多い芝居でここまで役にハマりきることができるってどういうことなんだろうなとあらためて感心してしまう。今回の芝居で染ちゃんはカーテンコールでもライが抜けていなかったように見受けられた。最初の挨拶の時までは完全にライだ。キッとした表情で冷たい視線のまま。衣装を着替えて出てきた時もまだ表情は硬い。3回目、4回目くらいでようやく柔らかな笑顔になっていく。カテコがある芝居で今までだったらいつもは一気に素に戻っていたり、テンション高くはじけるかどちらかの染だったりしているのしか見たことがなかったので、今回ちょっと心配してしまいました。でも考えたら観客が捉えたライというキャラの余韻を壊さないため、だったのかもしれないですね。あの壮絶なラストからいきなりはじけられるわけないし。新感線公演では大抵投げキッスをしてくれるんだけど(これがまた投げ方が優雅で美しいんですよね)今回はほとんど無しでした。千穐楽では最後の最後ようやく1回だけふわ~っと投げてくれました。やっぱりやってくれるとファン心理としては嬉しいのです(笑)

キンタ@阿部サダヲ
大阪でキンタは「わんこ」になってました。尻尾をぶんぶん振っているのが見えるようだった(笑)ますます憎めない純粋で可愛いキャラになっていました。もっとクセのある芝居になっていくかな?と新橋演舞場の楽で思ったんですけど、予想はいい方向に裏切られました。こんなに素直な芝居をしてくるとは思わなかった。あくまでもキンタというキャラの範囲で役を膨らませていました。にしてもキンタ@サダヲとライ@染五郎とのコンビがこうもしっくりくるとは。二人の資質の違いがお互いをうまく引き立ててる感じでした。染五郎が屈折した切なさを表現してるとすればサダヲは素直な切なさを表現する。まさかライとキンタコンビに萌えるとは思ってもみなかったです。

以下まだまだ続きます。

マダレ@古田新太
シキブ@高田聖子
ツナ@秋山菜津子
シュテン@真木よう子
イチノオオキミ@田山涼成
ウラベ@粟根まこと
サダミツ@小須田康人

大阪松竹座『朧の森に棲む鬼』 1等1階前方センター・1等1階中央前方寄り花道外

2007年02月24日 | 演劇
大阪松竹座『朧の森に棲む鬼』1等1階前方センター・1等1階中央前方寄り花道外

観劇日:2月24日ソワレ 前楽 1等1階前方センター
観劇日:2月25日マチネ 大千穐楽 1等1階中央前方寄り花道外

【感想その一】

2月24日~25日に大阪へ『朧の森に棲む鬼』観劇遠征してきました。東京公演でもかなりハマり込んでいたのですが大阪では完全に魂を持っていかれました…。自分でも想定外の出来事で正直混乱ぎみ。いったいこの芝居のどこが私の琴線に触れるのか、まだよくわかっていないのですが…。あまりの切なさに胸が潰れてしまいそうでした。二幕目以降は息もまともに出来ない有様(苦笑)。ラストなんて観てるのが辛すぎて、でも観たいという矛盾した気持ちが渦巻いてました。思い出すだけでも胸が痛いです。いつもだったらすぐに再演を、と思うのですが今回ばかりは今のところそういう気分になりません。落ち着いたらまた観たいと思うに違いないのですが…。

まずは24日ソワレ、前楽。新橋演舞場千穐楽以来、約1ケ月ぶりの『朧の森に棲む鬼』観劇。大阪ではどうなっているかなという期待とあと2回でこの公演が終わってしまうんだという寂しさとが入り混じりながら席へと向かいました。今回、席が1列目ど真ん中でした。水しぶきが、血しぶきが自分の顔に飛んでくるわ、マントや剣がごくごく目の前で翻るわ、しゃがんだ役者の顔が目の前にだわ。ライ@染ちゃんの汗が飛んで来た日にゃ、もうどうしましょう、と(笑)私、完全に固まってました。身動きできない、ただただ舞台に釘付け。

そして25日マチネ、大千穐楽。もうこれで本当に最後。寂しいような、でも早く解放してあげたい思いもありな気分で席へと向かいました。席は7列目花道外。ここは花道での芝居がしっかり見えて、特に第二幕でのライの引っ込みが真正面から観られたのが喜び。今まで横からしか見られなかったから。で、想像以上に怖いほどの壮絶さでやっぱりただ息をのんで観るばかり。

大阪松竹座は新橋演舞場に比べたら全体的にハコが小さいです。その分、臨場感は増すだろうとは思っていたのですが、確かに役者息遣いはこちらのほうが近いとは思うのですが演舞場での芝居に見慣れてしまった目には狭すぎると思いました。めいっぱい舞台を使ってはいたものの、役者さんたちは今にもはみ出しそうな勢い。主役級の役者たちに至ってはどことなく窮屈そうにみえたりる場面も多々。センターに立つ役者さんたちの体の動かし方って、やっぱり違うなあとつくづく思ったりしました。存在感とかオーラとか、そういう厚みが違う。まさか松竹座のキャパでの舞台が小さいだなんて思うとは思ってもみなかった。舞台に大きさに合わせ演出で立ち位置や動線をいくつか変えており、そのため多少芝居の印象が変わる部分もありました。

とはいえ、やはりのめり込んで観たことには変わりなく、今回で6回目の観劇なのにまったく飽きないで観ている自分に多少呆れつつ、役者たちの熱い芝居にひたすら感嘆するばかり。もう舞台上では物語の登場人物がそのまま立ち上がっているような気がしました。染五郎演じるライはもうライにしかみえないし、阿部サダヲはキンタでしかない。彼らは演じているんだとわかっていても、あの舞台でライとキンタは生きている、とそう思いました。ツナとシキブにもそう感じた。マダレはやっぱり古田新太は古田新太な感じだったけど(笑)この人は自分にキャラを引き寄せるタイプの役者なんだと思う。でもそれがマダレというキャラにうまくハマっていた。

この芝居、それぞれのキャラクターが一筋縄じゃいかなくてとても魅力的。でも、今回なんだかんだやっぱり主役のライが中心にいてこその舞台なんだなと思いました。ライというキャラが立ち上がらないことには物語が立ち上がってこない。ライの心情は描かれず、観客の心情から徹底的に突き放された悪役。そのキャラをどう見せていくか。そして染五郎はライを「ライ」としてとても魅力的に膨らみを持たせて立ち上げてきたと思う。あのライがいたからこその今回の『朧の森に棲む鬼』だった。これって染贔屓な物言いですか?でもそれしか書き様がないんだもの(笑)

大阪では座組みのまとまりが密になっていたせいか人と人との関係がより深くなっていたように思う。ライとキンタ、シキブとオオキミ、マダレとツナ、ライとシキブ、ツナ、シュテン、それぞれの関係がそれぞれに鮮明に際立っていて、より哀しく切ない物語の方向に向いていた。

ライ@染五郎は悪役非道ぶりがupしていたのと同時にライという人となりの揺れ幅も大きくなっていたように思う。今回、なぜかライはひどく寂しい人なんだと感じた。一切人を信用していないし信用するほうがバカだと自身でも思っているけど、知らず知らずにどこか心の奥底では見返りを求めてくることのない愛情を求めているかのようだった。愛情を一切受けずに育ち、頭が良すぎるために世を拗ね怒りを抱えていたんじゃないんだろうかと思わせた。朧たちにそこを見透かされ、力を貰ったことでどこかバランスが崩れた。朧たちに植えつけられた野望はライの「人への怒り」を増幅させていった。

キンタのことは腕っぷしのないライにとっては世を渡るための便利な道具とも思っていただろうけど、何かをライに見返り求めることなく信頼と情を寄せてくっついてまわるキンタは可愛い弟分として唯一「情」を持った存在でもあったんじゃないかと思う。なぜそう思ったのかというと、ライとキンタの関係がすごーく密接になっていたから。新橋演舞場でも後半はかなり兄貴分と弟分としての空気が密接になっていたけど、大阪ではそれがお神酒徳利状態だった。キンタ@阿部サダヲはわんこのように真っ直ぐなキラキラした目でライを見つめ心から信頼ているし、ライはそんなキンタを「おまえはバカだ」と言いながらもひどく優しい顔をして見守っている。ライは何があろうとこいつは絶対俺に付いて来る、と信じ込んでいたんじゃないかな。

一幕目でライはキンタに「お前だけは騙さない」と言う。キンタが欲しい言葉だから、それだから言っているんだけど、ここはライもキンタを騙そうって気もないような気がする。衒いなくキンタを見つめるその姿はまだ真っ直ぐだ、野望はあっても狂気までには触れていない。

それと二人の関係で象徴的にみえたところはここだけじゃなく、日ネタのところではあったんですがヤスマサ将軍からのツナへ宛てた手紙を読むくだり。「飛ばさんかい!」とツナにキンタが殴られてしまい、キンタがライに殴られたほっぺを見せて「ほらあ、飛ばさないからこうなる」と訴えるところ。

前楽ではライ@染ちゃんがごめんごめんという感じでキンタの頭をナデナデして慰めていた。二人ともかなり可愛かったしほのぼのしたシーンになっていました。そして千穐楽ではなんとライがキンタのことをごめんね、よしよしって感じでハグしてた~。キンタ@サダヲちゃん、素でビックリして照れてた。ハグされた時には「ありがとうございまっす」とか叫んでた。その様子をツナ@秋山さんはうんうんとうなずいてニコニコしてたようでした。その後、ライがツナのほうを向いて「飛ばします!」ときっぱり言って続けていました。なぜかここ大拍手でした(笑)私は萌え死ぬかと思いましたわ、ええ。

こんなの見せられたら、もうこの二人信頼している同士にしか見えないわけですよ。ライがキンタのこと何にも思っていなかったなんて思えません。

一幕目のラスト、シュテンに裏切られたと知ったライは怒りを爆発させる。凄まじいほどの怒りと憎しみ。彼の憎しみはシュテン一党へ、だけではない。自分を裏切ってきた「人間たち全般」に対してだ。あれほどの憎しみの心の奥底の本音をライはキンタに見せている。たぶん、ライはキンタは当たり前のようにあくまでも無条件に自分に付いて来ると信じていたように思う。そのライが完全にキレたのはキンタがシュテンの命乞いをした瞬間。自分の思いを共有してくれてなかったキンタにライは「裏切られた」と思ったのだろう。「人を愛する」ことを知らないライにとってはキンタの行動は理解できないんじゃないかな。もう憎しみの対象でしかない。「情」の部分を自ら切り捨てたライはここで完全に狂気に陥り始める。歪んだ笑い声がそれを物語る。ライが自分が本当に欲しいものさえわからないまま欲望への道をひたすらに向かっていくだけの者に成り果てた瞬間でもあったかもしれない。

ただ、ライは人を欲している。無防備なほどに。キンタを殺した後はマダレを、自分と同じ種類の人間として仲間だと信じ込むし、ツナを求めずにはいられない。ライがツナを求めるのはツナが強く旦那のことを思っているからだと思う。そんな強い想いを自分に向けて欲しいのだろう。憎しみでもいい、まっすぐに「ライ」のみを求めてくれる存在が欲しいのではないかな、って思ってしまう。ライはひどく哀しい人だ。悪の道でしか自分を表現できず、本当に欲しいものを見つけられない。

大阪公演でのライは人としての哀れさがとてもあった。だからライの最後がより切なく哀しかった。孤独な歪んだ魂の咆哮に涙してしまうのはそのせい。

シアターコクーン『ひばり』 S席中央下手寄り

2007年02月18日 | 演劇
シアターコクーン『ひばり』S席中央下手寄り

演出:蜷川幸雄
主演:松たか子

思った以上に面白かった。 アヌイの戯曲をきちんと読んでみたくなりました。構成が面白いし、内容が非常に密。 キリスト教というものを理解していないとたぶんこの戯曲の本質は読み取れないんだろうとは思う。宗教の形而上学の部分は把握しきれない部分がかなりある。だけど、ただの宗教裁判だけに留まらない芝居なので感覚的なところで受け入れられる。基本的に「人間賛歌」の物語として私は受け取った。また、規範に抗うジャンヌには「人」として「女」として自由に生きるための犠牲と代償を一身に受け止めてしまった少女として共感を覚えた。あのラストはかえって切ない。

宗教裁判のなかで語られた神を愛することと人を愛することは同列にしてはいけない、その形而上学の部分がどうしても受け入れられなかった。一神教というものはそういうものだ、と頭でわかっても感情の部分で否定したくなる。

後日補完

国立小劇場『二月文楽公演第二部 摂州合邦辻』1等前方上手寄り

2007年02月17日 | 文楽
国立小劇場『二月文楽公演第二部 摂州合邦辻』1等前方上手寄り

いやあ、凄かった。住太夫さんはやっぱちょっと別格だ、と本日つくづく思いました。住太夫さんが語ると情景が際立って人物像にふくらみが出るですよねえ。しかも一人一人の個性がふわ~っと立ち上がってくる感じ。名人芸とはこういうことなんでしょうね。三味線の錦糸さんの切々とした音色もピッタリで。それと文雀さんの玉手御前が素晴らしいです。玉手御前ってかなり混乱したキャラクターだと思うんですが、文雀さんのは一本筋が通ってるの。なんというか透明感があって、哀しくて美しい玉手でした。

歌舞伎座『通し狂言 仮名手本忠臣蔵 夜の部』1等1階後方センター

2007年02月11日 | 歌舞伎
歌舞伎座『通し狂言 仮名手本忠臣蔵 夜の部』1等1階後方センター

昼の部の余韻が残ったままでの観劇でしたので通し狂言の醍醐味をうまく味わえたかなと。夜の部も本当に良かったです。大満足。それにしても今月はやはり「まさしく大歌舞伎」。まだ始まって1週間ちょっとだというのに芝居の密度が高いです。役者が揃うというのはこういうことなんだと。主役級が揃うだけじゃダメなんだということもつくづく。今回は脇の脇までかなり充実しています。

詳細感想後日

簡単に。

勘平@菊五郎さん、勘平に関しては私は菊五郎さんのがいまのところ一番好きなんです。なんというか勘平の愚かしさがリアルでいいんですよ。ただ、10年前あたりの頃のほうが好み。今月はある意味洗練されてしまっていたような。

お軽@玉三郎さん、七段のお軽は、もう玉さまのもの、という感じがしてしまいます。はい、七段のお軽は言うことなしです。久々に玉さま萌えしました。六段のお軽も前観たときよりかなり良かったです。

六段目は吉之丞さんのおかやが本当に素晴らしいです。これだよこれ~。

平右衛門@仁左衛門さん、自分の愛嬌の部分をうまく出して、また丁寧な人物造詣&ノリのよさで見せ場をかっさらっていきます。華もあるしやっぱり上手い。ニザ玉コンビの相性のよさも炸裂といったところです。ただし、足軽にはどーしても見えないよう。

歌舞伎座『通し狂言 仮名手本忠臣蔵 昼の部』1等1階後方センター

2007年02月10日 | 歌舞伎
歌舞伎座『通し狂言 仮名手本忠臣蔵 昼の部』1等1階後方センター

『仮名手本忠臣蔵』を通しで上演する時だけのお楽しみが開演前の口上です。舞台中央の幕前に人形が現れ、えっへんと咳払いしながら配役(名題役者のみ)を口上するのです。今回は15分ほどかかりました。この悠長さが時代を感じさせ、またこれから『仮名手本忠臣蔵』を観るんだというウキウキした気分にさせてくれます。そしてこの後の幕開けも独特です。析の音に合わせ、ゆっくりゆっくり幕が開いていきます。『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』を観る楽しみのひとつが、このような儀式的な部分を残して上演してくれるという部分です。ここだけ時間の流れが違うんですよねえ。

幕開け、まだ役者たちに命が吹き込まれていません。人形のようにだらりと並ぶ面々。義太夫が名前を語ると顔をあげ動き始めるのです。これは人形浄瑠璃から歌舞伎へと移されたことを物語るものです。面白い趣向ですよね。『仮名手本忠臣蔵』の大序でしか観られない光景です。またこの場は絵面がとても美しいのです。『仮名手本忠臣蔵』、特に昼の部のBestな席は1階中央から後方の席ですね。計算された絵面があり、また花道が多様されしかも重要な場面が多いのです。

大序 「鶴ヶ岡社頭兜改めの場」
高師直、若狭之助、塩冶判官の並びがなんとも個性溢れ、また大きさがあって見ててため息が出るくらいの存在感。

高師直の富十郎さんの存在感の大きさが凄いですね。師直の位取りの高さを表していると同時に役者の格というものを見せ付けた感じです。小柄な富十郎さんですが他の役者を圧倒していました。本当に見事です。また顔世御前に言い寄るところがどことなくお茶目。我侭じじいでイヤなやつなのですがどことなく憎めない師直です。

若狭之助の吉右衛門さん、浅黄色の衣装がお似合いでビックリするほど(笑)若々しいです。いつも以上にいい男。直情型の若狭之助をストレートに演じられていて青くさい、一本木さがよく出ておりました。

塩冶判官の菊五郎さん、若いっ、可愛らしい~。おっとりと品がよく、温厚さがひと目でわかる塩冶判官。柔らかな雰囲気がほんといいです。形も綺麗~。

顔世御前の魁春さん、品格が見事。とても理知的な顔世御前でその内面の美しさというものが滲み出てて、師直に言い寄られるのもむべなるかな。奥方としての可愛らしさもさりげなくあって
 
足利直義の信二郎さん、難しい役だと思うのですが持ち味の品の良さが活かされてきちんと存在感がありました。

三段目 「足利館門前進物の場」
息抜きの場ではあるのですが次の段に続く布石をきちんと判らせないといけない場でもあります。

鷺坂伴内の錦吾さんがユーモラスな場面をやりすぎず、師直の家臣としての顔もきちんと見せます。ここが単に笑いの場に流れてしまうと「刃傷の場」へ繋がりませんからちょうどいいバランスだなと思いました。

加古川本蔵の幸太郎さん、若狭之助の家臣としての立場が明快。九段に繋がる加古川本蔵としての存在感があり、大好演と言っていいと思います。九段では大幹部の役者が演じる本蔵ですがこの段はそうではありません。なのでヘタするとうまく九段の本蔵に繋がらなかったりするのですが、こう言っては失礼ですが幸太郎さんクラスの方がここまでしっかり演じられているというのは褒められるべきことだと思います。

同「松の間刃傷の場」
大序の高師直、若狭之助、塩冶判官が登場ですがこの段は少しくだけた雰囲気となります。

富十郎さんの師直、品を落とさずに演じきります。富十郎さんの生来の明るさで「意地悪さ」という部分が殺がれているのが少々残念ではありますが、存在感にインパクトがあります。判官をいじめる台詞廻しが時々べらんめいになるのです。なぜか「あっ、歌舞伎だ」って訳も無く思ってしまいました。ここがちょっと面白かったです。

若狭之助の吉右衛門さん、憤懣やるかたない表情がいいです。ほんとに直情型(笑)鋭すぎ、と思わなくもないけど、富十郎さんの師直とのやりとりの間がよくて師直にだんだん気をそがれてしまうとこなど、なーんか良いです。困った人だ、と苦々しそうに引っ込む部分に華がありました。

塩冶判官の菊五郎さん、おっとりとした風情で品がよく楚々してとっても優しそうな判官です。とばっちりを受けて師直に意地悪されるのが本当に可哀想になってきます。少しづつ怒りを溜めていくのがよくわかります。刀をかけるところではキレた、というよりプライドを傷つけられた悲しみから、という感じでした。

富十郎さんの師直と塩冶判官の菊五郎さんだと刃傷にまで発展しなさそうな雰囲気があって、緊迫感が少しばかり足りないかなあ、とは思いましたがこれは役者のニンからでしょうから、二人の品のよい芸を見てるだけでも楽しいです。

四段目 「扇ヶ谷塩冶判官切腹の場」「表門城明渡しの場」

三段目から幕間無しで四段目に入ります。物語としての緊張感が途切れないので集中して観ることになり、芝居にどっぷりと浸かることが出来ます。とはいえ2時間半の長丁場、観終わった時に少々疲れましたけど(笑)。

石堂右馬之丞の梅玉さんが良いです。堅苦しくなく柔らかすぎず、こういう折り目正しいお役にピッタリ。

薬師寺次郎左衛門の左團次さん、緊迫した場のなかでふっと息をつける間を作ります。

塩冶判官の菊五郎さん、淡々と運命を受け入れる判官でした。無念さ、の部分が少しあっさりしすぎかなあと思わなくもないのですが、それでもあくまでも品よく柔らかでいる判官だからこそか「由良之助はまだか」と待ちわびる姿に哀しみが湛えられ一筋の光を求めているかのようでもありました。「まだか」と力弥へ問うやりとりに胸が痛み泣けてきます。

判官の「まだか」を受け止める力弥に梅枝くん。一生懸命さがけなげでとても良かったです。「いまだ参上つかまつりませぬ」の台詞が悲痛で、判官と共に由良之助を待ちわびる気持ちが伝わってきました。

由良之助の幸四郎さん。まずは出が見事です。判官待ちわびるるだけの器量、大きさがしっかりと。そして場の空気を一変させます。この人が来たからには何かが動く、そう感じさせるだけの「熱」を帯びるのです。また平伏する姿が非情に美しい。 幸四郎さんの由良之助は主君個人への敬愛が非常に強いのです。判官の目線を受け止め、気持ちを察し飲み込むところ、などただひたすらに判官の心を受け止めるかのようです。またそれでいて家臣である立場、「恐れ多い」という気持ちも忘れない態度も見事です。亡くなった判官の身支度をする時の幸四郎さんの由良之助のなんと丁寧で優しげなこと。また諸士たちへきっぱりと諌めるところの緊迫感も見事でした。ここは周囲の役者も良かったです。元禄忠臣蔵で諸士を演じた役者がほとんどだったのも功を奏したのだと思います。気持ちの入り方が皆さん深かったです。

余談:以前、主役たちが頑張ってるのに周囲が気持ちが全然入っていない時を観たことがありますが、あの時、ほんとにダレまくった場になってて、周囲が揃わないと芝居はほんとにダメだと痛感したのですが、そういう意味で今回の『仮名手本忠臣蔵』はどの場も締まってました。

しかし後半、由良之助の幸四郎さんに違和感を感じます。実録風だから違和感を覚えているのではありません。すでに四段目は幸四郎さん以外の役者も感情が先に立つ実録風です。九代目団十郎の演出と言われている実録風の型らしいのですが、私は今まで、四段目の由良之助は幸四郎さん、吉衛門さん、団十郎さんのこの型のものしか観ていないので四段目はこういうものとして受け入れています。(どうやら白鸚さんか二世松緑さんのも見てるようなのですが…。なんせ歌舞伎に興味がない頃で、七段目の由良之助はイメージとしてかろうじて記憶に残っていますが(映像で補完されてる可能性大)、四段目は残念ながらまったく記憶にないです)

また、この四段目では、諸士たちの悲痛さや殉死覚悟の浮き足立った様のリアルな芝居にかえって胸を打つことが度々。今回も門外に由良之助が一人残るまではどっぷりと浸って観ていましたし、幸四郎さんの主君への敬愛溢れる芝居に感銘を受けてもいました。門外に由良之助が一人残るまでは非常に良い出来だったと思うのです。いえ、一人残り、判官の形見の刀を取り出し、血を舐め、主君の想いを飲み込むところなどは、悲壮感溢れ、色気さえ感じさせ一際印象的だったりもしました。

でもね、ここがあまりに主君個人への想いが出すぎなんですよ。悲しみが深すぎて、「仇討ち」が由良之助個人の発露に見えちゃうんです。「家」やら「家臣」を背負ってないんですね。でもって、仇討ちの決意を秘めての引っ込みが、なんと一人でそのまま師直のとこに乗り込んで壮絶に討ち死にして後追いしそうなんです。これじゃハードボイルドです(笑)今回、何か幸四郎さんの由良之助が違うなあと思って、何がかな?と考えた末、こういうことだ、と思い当たったのでした。まあ今回の菊五郎さんの判官が可憐だったので、ある意味、これでも素敵ですけど(笑)忠臣蔵じゃなくなります。 由良之助には「仇討ち」をハラに秘めて心で泣いてじっくり花道を歩いて欲しいんですよね。

斧九太夫の芦燕さん。このところお年かなあ(81歳ですからねぇ)という弱々しい芝居が多かったように思う芦燕さんでしたが今回、九太夫役者としての意地を見せてくださいました。九太夫というのは身の保身ばかり考えてる器の小さい人間なんですが、家老としての格は見せないといけません。単なる悪役、小物にならずに存在感をきちんとみせ、器の小ささにイヤミがない。見事でした。

原郷右衛門の東蔵さんも良かったです。東蔵さんはどんな役でもほぼ確実にきっちりこなす役者さんですが、こういう補佐役で実利的なお役に一際よさが出る役者さんだと思います。

続く:

「浄瑠璃 道行旅路の花聟」