シアターコクーン『十二夜』ソワレ S席中央上手寄り
串田和美潤色・演出の『十二夜』。まさしく串田さんの『十二夜』だった。いい意味でやられた。私が想像してた&期待していた『十二夜』の思いっきり斜め上をいっていた。賑やかなロマンチックコメディを期待していたのだけど串田さんの描く『十二夜』はどこか物悲しく人生のアイロニーに満ちたものだった。人は誰しもが喪失感を抱えてそれだからこそ誰か求めるのだ、とそういう部分を際立たせている。
また芝居そのものを二重、三重構造にし、演じることの本質を問いかけているかのようでもあった。『十二夜』という物語をそのまま提示するのではなく、旅芸人たちの劇中劇にし、またその劇中劇を含むこの芝居そのものをもうひとつ大きくスクリーンに見立てた額のなかに押し込み、絶えず「観る側の立場」を意識させる。そういう意味で観客を巻き込もうとしていない。どこか幕が張ったその距離感。十二夜を旅芸人が演じ、その旅芸人たちを演じる役者がいて、またその物語を語るメタな視点がある。その大枠を語る視点の持ち主が串田さんという演出家。どこまでが演じることになるのか。人はそうやって生きていくものなのかもしれない、そんなことを感じさせる。
ただ、この構図が壊れる一瞬がある。ヴャイオラ/セバスチャンの独白シーン。串田さんの企みはここの1点にあったのか、それとも松たか子という役者が図らずも飛び越えてしまったのかはわからない。でもその部分は串田『十二夜』の「何かを失くして、それでも生きていく人の強さと物悲しさ」の核の部分が表出しその哀しみの感情の共有で芝居として閉じられた空間が破れ観客が繋がった瞬間のように私には思えた。でもそれは松たか子演じる女の子が発する「芝居に戻りましょう」の一言でまた閉じられるのだけど。
またこのシーンがあることで串田『十二夜』の旅芸人たちの構図のなかにも何か物語が潜んでいるように思える。ヴャイオラ/セバスチャンを演じる女の子は大事な誰かを喪失したのだと。その喪失を慰めるための芝居が彼らが演じはじめた『十二夜』なんではないかと。葬送のための祝祭劇だったのかもしれないと。
こんな風にメタ視点が幾重にも重なったような面白い感覚の芝居だった。その反面、語りが時に脇道に逸れ、なかなか本道に戻らないような冗漫さを感じさせる部分があった。『十二夜』そのものの語り上に、もうひとつ語り手がいるせいかもしれない。もう少し小さい小屋で見たかったかも。にしても串田さんもブレない人だなあ、とつくづく思った。串田演出作品ではやはりメタ視点が際立つ『桜姫現代版』が大好きなんだけどその次に好きかも。
役者さんたちはレベル高かったです。串田さんの意図する『十二夜』のトーンに皆がしっかり合わせてきているのが印象的。串田さんが描く絵のように輪郭がどこかしら軽やか。また素直で邪気がなくキュート。個人的に今回笹野さんと串田さんの芝居の質があまりに似ていてビックリ。今まではそう思ったことがないのだけど、同じ劇団にいて同じ空気を吸ってきたからだろうか。狂言廻し的なキャラクターとしの存在に同じ空気を感じさせた。今回の芝居のトーンを決めていたのはこの二人。
ヴァイオラ(シザーリオ)/セバスチャン@松たか子さん、女の子格好は最初のほんの少し、しかも後姿のみ。後はセバスチャンに似せた男装した格好そのままで通します。着替えなし。シーザリオ/セバスチャンでいる時、外観は男の子にはどうやってみえない。ボーイッシュな可愛らしい女の子です。でも純粋で初々しくて「女性」としてではなく十代の女の子としてそこに存在していた。一生懸命に兄の真似をして生きていこうとするヴァイオラが存在の中心。そしてこのヴァイオラはどこか未成熟だ。唯一の頼りはオーシーノ公爵ではなく兄セバスチャン。
松たか子の凄いところはヴァイオラとセバスチャンの演じ分け。衣装を替えるわけでもなく、男装そのままで、芝居そのものも声質もことさら変えるわけではないのに明らかに違うことが伝わる。ヴァイオラ、セバスチャンを混乱することがない。そして二人が同時に存在する場面は圧巻。コロコロとヴァイオラとセバスチャンが入れ替わる。ただ、寂しく切ない気持ちを抱えたヴァイオラと彼女を慰める優しいセバスチャンが同時にそこにいる。一つの肉体に二人がいた。そしてヴァイオラと彼女を演じる女の子が同一化され、何者でもないただの「喪失感を抱える人」としてそこにいる。
フェステ(道化)@笹野高史さん、ある意味主役といえるほどの活躍。基本的に本筋じゃないところで絡む役回りなんですが、実は物語全体の狂言廻しという二重構造の役回りを魅力的に飄々と演じている。どこか哀愁を帯びた姿もピッタリ。笹野さんには独特の存在感がありますね。
マルヴォーリオ@串田和美さん、相変わらずの声の通らないハスキーボイス。舞台役者としてはこの声質はかなり損していると思うし、この声ゆえに存在感を失うこともある串田さんですが、今回は声質含めてかなりのハマり役でとても魅力的でした。滑稽で哀れで、でもどこかキュートなマルヴォーリオ。真面目ですぎるがゆえの悲喜劇を描き出し狂言廻し的な雰囲気をも醸し出す。しかし、感覚的な部分でお若いなあと…少年ぽい部分があるんですよね。
オリヴィア@りょうさん、まず綺麗、細い、顔が小さいが第一印象。でも舞台役者として存在感がある。どことなく、少年、少女ぽい雰囲気を纏う役者さんたちのなかで一人、大人の雰囲気を醸し出していたかも。その大人な雰囲気のオリヴィアが幼そうなシザーリオを好きになるところが面白く、コメディエンヌな部分も見せてとても素敵でした。映像で拝見するりょうさんはクールな雰囲気ですが舞台では楽しげでちょっと印象が代わりました。衣装が黒から少しづつ赤に変わっていくのもオリヴィアの情熱を表してて良かった。
オーシーノ@石丸幹二さん、顔も声も正当二枚目な役者さんです。彼のオーシーノ公爵は公爵という元々の品位ある存在ではなくあくまでも恋するオーシーノを演じている等身大の男として存在。どこかお茶目に楽しげに演じていました。サックスがかなりお上手なのでビックリ。歌声を聴かせてくれるシーンがあるのですが非常に澄んだよく通る声。松たか子ちゃんのデュエットのシーン、良かったなあ。
アンドルー・エイギュチーク@片岡亀蔵さん、ビックリするほど今回の串田ワールドに馴染んでました。亀蔵さんなので飛び道具的なエイギュチークとして使うのだろうと思いきや、なんとも品のよい可愛らしいおばかなボンボンのエイギュチーク。亀蔵さん、現代劇もいけるやん。なんだかもう可愛くて可愛くて。
マライア@荻野目慶子さん、どんな魔性の女になるのやらと思っておりましたら、コロコロと良く笑うちょっといたずらっ娘なマライアでした。こういう風に荻野目慶子さんと使うとは。役者の使い方含めて串田さん、色々外してきたなあと思いました。
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シアターコクーン『十二夜』
公演日程:2011年1月4日(火)~26日(水)
白い砂浜のむこうの行列、あれはお葬式?あんなに静かに、冥土の旅のように。
それとも結婚式?あんなに揺れて、陽炎のように。
これはみんな、fool-阿呆たちが観ている夢です。fool-阿呆たちの影が奏でる音楽です。
伝説の音楽劇「上海バンスキング」の16年ぶりの再演、そして農民ラップを渋谷に響かせたコクーン歌舞伎「佐倉義民傳」と、2010年のシアターコクーンを沸かせた串田和美が、2011年の幕開けに手がけるのは、主演に松たか子を迎えたシェイクスピア、ロマンティック・コメディ「十二夜」。船の遭難で離れ離れになった双子の兄妹の周りでこんがらがっていく複雑な片思いの糸。シニカルないたずらや馬鹿騒ぎのあげく、劇的に糸が解けてハッピーエンドというストーリーではありますが・・・。
センス溢れる演出と魅力的な俳優陣によって、はたしてどんな夢の跡が残るのか!?
音楽と笑いとウィットを盛り込んだ、この世に二つとない上質な喜劇の誕生にぜひご期待ください!!
【スタッフ】
作: W.シェイクスピア
翻訳: 松岡和子
潤色・演出・美術・衣裳: 串田和美
音楽: つのだたかし
照明: 斎藤茂男
音響: 市来邦比古
ヘアメイク: 西川直子
美術・衣裳助手: 松岡泉
衣裳進行: 中野かおる
演出助手: 矢本翼子
舞台監督: 大垣敏朗
【出演者】
ヴャイオラ(シーザリオ)/セバスチャン:松たか子
オーシーノ:石丸幹二
オリヴィアりょう
マライア:荻野目慶子
サー・トービー・ベルチ:大森博史
船長、アントーニオ:真那胡敬二、
役人:小西康久
ヴァレンタイン:酒向芳
フェイビアン:内田紳一郎
キューリオ:片岡正二郎
ジャグリング:目黒陽介
アコーディオン:小春
チューバ:ギデオン・ジュークス
リュート、司祭:つのだたかし
パーカッション、リコーダー:飯塚直子、
サー・アンドルー・エイギュチーク:片岡亀蔵
マルヴォーリオ:串田和美
フェステ:笹野高史
串田和美潤色・演出の『十二夜』。まさしく串田さんの『十二夜』だった。いい意味でやられた。私が想像してた&期待していた『十二夜』の思いっきり斜め上をいっていた。賑やかなロマンチックコメディを期待していたのだけど串田さんの描く『十二夜』はどこか物悲しく人生のアイロニーに満ちたものだった。人は誰しもが喪失感を抱えてそれだからこそ誰か求めるのだ、とそういう部分を際立たせている。
また芝居そのものを二重、三重構造にし、演じることの本質を問いかけているかのようでもあった。『十二夜』という物語をそのまま提示するのではなく、旅芸人たちの劇中劇にし、またその劇中劇を含むこの芝居そのものをもうひとつ大きくスクリーンに見立てた額のなかに押し込み、絶えず「観る側の立場」を意識させる。そういう意味で観客を巻き込もうとしていない。どこか幕が張ったその距離感。十二夜を旅芸人が演じ、その旅芸人たちを演じる役者がいて、またその物語を語るメタな視点がある。その大枠を語る視点の持ち主が串田さんという演出家。どこまでが演じることになるのか。人はそうやって生きていくものなのかもしれない、そんなことを感じさせる。
ただ、この構図が壊れる一瞬がある。ヴャイオラ/セバスチャンの独白シーン。串田さんの企みはここの1点にあったのか、それとも松たか子という役者が図らずも飛び越えてしまったのかはわからない。でもその部分は串田『十二夜』の「何かを失くして、それでも生きていく人の強さと物悲しさ」の核の部分が表出しその哀しみの感情の共有で芝居として閉じられた空間が破れ観客が繋がった瞬間のように私には思えた。でもそれは松たか子演じる女の子が発する「芝居に戻りましょう」の一言でまた閉じられるのだけど。
またこのシーンがあることで串田『十二夜』の旅芸人たちの構図のなかにも何か物語が潜んでいるように思える。ヴャイオラ/セバスチャンを演じる女の子は大事な誰かを喪失したのだと。その喪失を慰めるための芝居が彼らが演じはじめた『十二夜』なんではないかと。葬送のための祝祭劇だったのかもしれないと。
こんな風にメタ視点が幾重にも重なったような面白い感覚の芝居だった。その反面、語りが時に脇道に逸れ、なかなか本道に戻らないような冗漫さを感じさせる部分があった。『十二夜』そのものの語り上に、もうひとつ語り手がいるせいかもしれない。もう少し小さい小屋で見たかったかも。にしても串田さんもブレない人だなあ、とつくづく思った。串田演出作品ではやはりメタ視点が際立つ『桜姫現代版』が大好きなんだけどその次に好きかも。
役者さんたちはレベル高かったです。串田さんの意図する『十二夜』のトーンに皆がしっかり合わせてきているのが印象的。串田さんが描く絵のように輪郭がどこかしら軽やか。また素直で邪気がなくキュート。個人的に今回笹野さんと串田さんの芝居の質があまりに似ていてビックリ。今まではそう思ったことがないのだけど、同じ劇団にいて同じ空気を吸ってきたからだろうか。狂言廻し的なキャラクターとしの存在に同じ空気を感じさせた。今回の芝居のトーンを決めていたのはこの二人。
ヴァイオラ(シザーリオ)/セバスチャン@松たか子さん、女の子格好は最初のほんの少し、しかも後姿のみ。後はセバスチャンに似せた男装した格好そのままで通します。着替えなし。シーザリオ/セバスチャンでいる時、外観は男の子にはどうやってみえない。ボーイッシュな可愛らしい女の子です。でも純粋で初々しくて「女性」としてではなく十代の女の子としてそこに存在していた。一生懸命に兄の真似をして生きていこうとするヴァイオラが存在の中心。そしてこのヴァイオラはどこか未成熟だ。唯一の頼りはオーシーノ公爵ではなく兄セバスチャン。
松たか子の凄いところはヴァイオラとセバスチャンの演じ分け。衣装を替えるわけでもなく、男装そのままで、芝居そのものも声質もことさら変えるわけではないのに明らかに違うことが伝わる。ヴァイオラ、セバスチャンを混乱することがない。そして二人が同時に存在する場面は圧巻。コロコロとヴァイオラとセバスチャンが入れ替わる。ただ、寂しく切ない気持ちを抱えたヴァイオラと彼女を慰める優しいセバスチャンが同時にそこにいる。一つの肉体に二人がいた。そしてヴァイオラと彼女を演じる女の子が同一化され、何者でもないただの「喪失感を抱える人」としてそこにいる。
フェステ(道化)@笹野高史さん、ある意味主役といえるほどの活躍。基本的に本筋じゃないところで絡む役回りなんですが、実は物語全体の狂言廻しという二重構造の役回りを魅力的に飄々と演じている。どこか哀愁を帯びた姿もピッタリ。笹野さんには独特の存在感がありますね。
マルヴォーリオ@串田和美さん、相変わらずの声の通らないハスキーボイス。舞台役者としてはこの声質はかなり損していると思うし、この声ゆえに存在感を失うこともある串田さんですが、今回は声質含めてかなりのハマり役でとても魅力的でした。滑稽で哀れで、でもどこかキュートなマルヴォーリオ。真面目ですぎるがゆえの悲喜劇を描き出し狂言廻し的な雰囲気をも醸し出す。しかし、感覚的な部分でお若いなあと…少年ぽい部分があるんですよね。
オリヴィア@りょうさん、まず綺麗、細い、顔が小さいが第一印象。でも舞台役者として存在感がある。どことなく、少年、少女ぽい雰囲気を纏う役者さんたちのなかで一人、大人の雰囲気を醸し出していたかも。その大人な雰囲気のオリヴィアが幼そうなシザーリオを好きになるところが面白く、コメディエンヌな部分も見せてとても素敵でした。映像で拝見するりょうさんはクールな雰囲気ですが舞台では楽しげでちょっと印象が代わりました。衣装が黒から少しづつ赤に変わっていくのもオリヴィアの情熱を表してて良かった。
オーシーノ@石丸幹二さん、顔も声も正当二枚目な役者さんです。彼のオーシーノ公爵は公爵という元々の品位ある存在ではなくあくまでも恋するオーシーノを演じている等身大の男として存在。どこかお茶目に楽しげに演じていました。サックスがかなりお上手なのでビックリ。歌声を聴かせてくれるシーンがあるのですが非常に澄んだよく通る声。松たか子ちゃんのデュエットのシーン、良かったなあ。
アンドルー・エイギュチーク@片岡亀蔵さん、ビックリするほど今回の串田ワールドに馴染んでました。亀蔵さんなので飛び道具的なエイギュチークとして使うのだろうと思いきや、なんとも品のよい可愛らしいおばかなボンボンのエイギュチーク。亀蔵さん、現代劇もいけるやん。なんだかもう可愛くて可愛くて。
マライア@荻野目慶子さん、どんな魔性の女になるのやらと思っておりましたら、コロコロと良く笑うちょっといたずらっ娘なマライアでした。こういう風に荻野目慶子さんと使うとは。役者の使い方含めて串田さん、色々外してきたなあと思いました。
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シアターコクーン『十二夜』
公演日程:2011年1月4日(火)~26日(水)
白い砂浜のむこうの行列、あれはお葬式?あんなに静かに、冥土の旅のように。
それとも結婚式?あんなに揺れて、陽炎のように。
これはみんな、fool-阿呆たちが観ている夢です。fool-阿呆たちの影が奏でる音楽です。
伝説の音楽劇「上海バンスキング」の16年ぶりの再演、そして農民ラップを渋谷に響かせたコクーン歌舞伎「佐倉義民傳」と、2010年のシアターコクーンを沸かせた串田和美が、2011年の幕開けに手がけるのは、主演に松たか子を迎えたシェイクスピア、ロマンティック・コメディ「十二夜」。船の遭難で離れ離れになった双子の兄妹の周りでこんがらがっていく複雑な片思いの糸。シニカルないたずらや馬鹿騒ぎのあげく、劇的に糸が解けてハッピーエンドというストーリーではありますが・・・。
センス溢れる演出と魅力的な俳優陣によって、はたしてどんな夢の跡が残るのか!?
音楽と笑いとウィットを盛り込んだ、この世に二つとない上質な喜劇の誕生にぜひご期待ください!!
【スタッフ】
作: W.シェイクスピア
翻訳: 松岡和子
潤色・演出・美術・衣裳: 串田和美
音楽: つのだたかし
照明: 斎藤茂男
音響: 市来邦比古
ヘアメイク: 西川直子
美術・衣裳助手: 松岡泉
衣裳進行: 中野かおる
演出助手: 矢本翼子
舞台監督: 大垣敏朗
【出演者】
ヴャイオラ(シーザリオ)/セバスチャン:松たか子
オーシーノ:石丸幹二
オリヴィアりょう
マライア:荻野目慶子
サー・トービー・ベルチ:大森博史
船長、アントーニオ:真那胡敬二、
役人:小西康久
ヴァレンタイン:酒向芳
フェイビアン:内田紳一郎
キューリオ:片岡正二郎
ジャグリング:目黒陽介
アコーディオン:小春
チューバ:ギデオン・ジュークス
リュート、司祭:つのだたかし
パーカッション、リコーダー:飯塚直子、
サー・アンドルー・エイギュチーク:片岡亀蔵
マルヴォーリオ:串田和美
フェステ:笹野高史