Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

『盟三五大切』 源五兵衛の解釈のそれぞれ

2009年11月29日 | Memo
『盟三五大切』源五兵衛の解釈のそれぞれ

ちょっと自分のなかで整理したくなったのでメモ。

『盟三五大切』は近年になって復活されて上演回数も少ないので、役者によってかなり印象が変わる作品。それをちょっと自分のなかで整理してみました。(言うまでもなく私が観て感じた解釈です。観た人それぞれ印象も変化すると思います)

男としてのタイプ。狂気と正気のあり方。赤穂浪士としての心持あたりが解釈の分かれ道でしょうか。

●幸四郎さん
無骨でお人よしな武士として存在。小万に入れあげていることで自分と周りがまったく見えてない。デレデレしている様は傍からみているとかなり格好悪い状況。叔父に対しても八右衛門に対しても完全に上の空。自分を見失っている。騙されたことにより精神の均衡を失い始める。感情を失い、ひたすら騙した三五郎と小万に執着しはじめ、付け狙う。本当の意味での狂気に入り込み、そのまま狂った世界の住人となったまま周囲のお膳立てで義士へと加わる。源五兵衛なかで小万はたぶん死んでない。自分のものとして仲良く膳を囲む仲になったと信じている。またそのなかで三五郎の忠義も当然として受け入れる。自分の望むものが当然としてそこにある。

●染五郎さん
世間知らずで疑うことを知らない単純で弱い男。田舎ではそれなりに秋波も送られたが遊びは知らず女との付き合い方を知らない。小万に惚れてもらっていると信じ、自分が彼女に入れあげている自覚がない。仇討ちへの思いが心の底にしっかりありつつも、現実に目を背け絶えず気持ちが揺れている。小万と忠義の重さが同等にあり、そこのせめぎあい。そのなかでその場、その場で流される弱い人間。三五郎、小万夫婦に騙されたことで現実の重さに耐え切れず歪んでいく。狂気と正気の境に立ち、自身の覚悟の弱さを暴いた夫婦への怒り、そしてその弱い自身の怒りに負の感情が肥大していく。自分ではどうすることもできない弱さゆえに狂気の世界の深みへ自ら進んでいく。小万夫婦を殺すことで解放されようとする。赤子は三五郎の代替として機能。小万は自身の想いの確かなものの象徴であり、本来望んでいたはずのものとは違う掛け違った運命の象徴のなかでの愛憎の反転としてある。図らずも三五郎に「正気」の世界へ戻してもらう。殺しへの充足感のなさは染五郎さんだけが表現していました。ラスト、三五郎と小万に対しての申し訳なさと感謝が底にある。

●吉右衛門さん
それなりに田舎では遊んでいたものの、所詮洗練されていない田舎武士。手馴れた江戸者の手管に騙されている。遊んでいるつもりが、小万に嵌っていってしまった風情。叔父やも八右衛門の忠告には耳が痛く、自分の立場、状況の自覚はできている。が、三五郎、小万夫婦に騙されたことを知りプライドを傷つけられ逆上。そのプライドの代価として小万に執着し狂気と正気の狭間で揺れ動く。ふと我に返る瞬間を覗かせながらも憤怒の気持ちを抑えられない。小万と三五郎の身代わりの赤子を殺すことで鬱憤を晴らし自己満足。その後、モヤが晴れていくように自分の立場を理解していく。ラストは三五郎、小万に対しては後ろ冷たさを感じている雰囲気。

●勘三郎さん
単純でお人よし。武士の道をちょっと忘れかけている。小万のおかげで町人としての生活が楽しい。叔父、八右衛門の忠告は耳にきちんと入れたものの、小万の様子を目にすると、彼女と一緒にいることが自分の道ではないかと単純に思い込む。その場の状況の流れやすい。騙されたことを知った後は自分の単純さに付け込まれたことへ怒り、田舎ものとバカにされたコンプレックスからくる怒りに我を失う。歪んだ狂気ではなく度を失うほどの真っ直ぐな怒り。三五郎への怒りのほうが強い。小万は三五郎のもの、として怒りを向ける。怒りの果ての殺人の果てに小心者の根がのぞき、自分の立場を理解していく。(この頃は狂気の表現より純粋な怒りの素直な目が印象的でしたが、今の勘三郎さんが演じたらもっと狂気の色合いが出そうな気もしています)

●仁左衛門さん
二枚目然とした色男の武士。女にモテて遊びなれてはいるが本気の恋をしたことがない。浪士としての自覚を芯に持ちつつも小万に本気で惚れこみあえて武士の道に目をそむけている。そこまで惚れこんだ小万に裏切られ、だまされた悔しさに突っ走る。三五郎は眼中に無し。あくまで小万に執着。正気のままただひたすら小万を追う。自覚的な殺し。小万を手中にしたことの満足感とともに義士へと加わる。基本、義士へ加わることは蛇足でしかない。三五郎の忠義もほぼ眼中にない。小万を手に入れたことの満足で終っている。だからこそ「これがのうてはかなうまい」の台詞がないのだろう。


こう書いてみると役者の資質がよくみえますね。私のなかでは幸四郎さん、染五郎さんは狂気をそのまま精神の歪みとして提示する部分でやはり親子だなと思います。が、染五郎さんの不破数右衛門としての在り様は吉右衛門さんに似てる。また吉右衛門さんと勘三郎さんは役者としての資質は違うものの目指す方向が似てるなと思います。仁左衛門さんは二枚目を自覚して色悪として演じてきたなと。いつか三津五郎さんと團十郎さんのも観て見たいですね。特に三津五郎さんは町人から見た「武士」の象徴として演じていたと知り合いから伺っています。これは非常に観て見たい。

追記:
南北が意図した『盟三五大切』の物語構造が気になり始める。

南北がわざわざ『五大力』に『忠臣蔵』を絡めたことで単純な町人と武士の対立構造が相互構造になっている。町人⇔武士。『盟三五大切』ではほとんどの人物が町人と武士の二重性を抱えている。富森助右衛門と八右衛門、三五郎の取り巻き連中は「単」。他は主役三人(薩摩源五兵衛 実は不破数右衛門/芸者の小万 実は神谷召使お六/ 笹野屋三五郎 実は徳右衛門倅千太郎)のみならず、長屋でも家主弥助 実は神谷下郎土手平であり、また長屋の住人たちも実は浪士。ほとんどが町人としての存在と武家の人間の二重性を帯びている。「情」の町人の世界から「忠義」の武士の世界への転換。この構造をみると、大詰は『忠臣蔵』のなかの「本来あるべき姿」へ戻ることが必然。「これがのうてはかなうまい」はすごく重要な言葉だ。源五兵衛がこの言葉を言うのは「三五郎の「義」の姿が「本来」なのだ、と「義」こそが「仇討ちを成功」させるものだ」と感じ入る言葉なんだ。通り一遍に愛憎ものとしてみると三五郎が死んでいく時に冷たい言葉と捉えがち。でも、違うと思う。

やっぱ南北さんは凄いね。「義」がどれほどのものかという視点がありつつ「義」に返す。四谷怪談と一対な作品というのもよくわかる。歌舞伎の作劇方法論に忠実なのに近代的な感覚がある。

歌舞伎座 COME ON!

2009年11月27日 | Memo
歌舞伎座 COME ON!


楽しいものを見つけました。期間限定で貼り付けます。某CMと比べるともっと楽しいです。

あら?埋め込み不可なんですね。URLを貼り付けておきます。
http://www.youtube.com/user/gigamaku#p/a/u/1/ZcL_xY3oWC4

http://www.youtube.com/user/gigamaku#p/a/u/0/KCkTgPjjq0o

出演者:
片岡松次郎/ 尾上みどり/中村京純/尾上辰巳/中村福太郎

新橋演舞場『十一月花形歌舞伎 昼の部』 1等1階前方花道寄り

2009年11月23日 | 歌舞伎
新橋演舞場『十一月花形歌舞伎 昼の部』2回目 1等1階前方花道寄り

『通し狂言 盟三五大切』
面白かった~。全体としては、裏忠臣蔵というべき不幸な因果の果ての物語という部分が明快な芝居としての面白さを今回も感じました。また、織田さんの演出もその方向性でやってきたかなと感じたりも。

若い役者がやることでのリアルさがうまく物語の核を浮き出してきたということで、あまりに不条理なその因果がやるせなく、感情移入を拒む悲惨さがストレートに伝わってくる。向いている方向は同じなのに、すべてが掛け違い小さい悪が大きな悪へと転化していってしまう。その増幅の果ての「忠義」。そして忠臣蔵外伝としての因果が極めて明快に浮き出て、それぞれキャラクターの行動の多面性をも浮き出していた。それにしても裏忠臣蔵としてこんなに皮肉に満ちた演目もないだろう。さすが大南北さんだ。

今回、この配役はどうなんだろう?と思っていた源五兵衛@染五郎さん、三五郎@菊之助さん、小万@亀治郎さんがそれぞれが思った以上に役にしっかり嵌って演じていたのも大きいかな。この三人のアンサンブルがかなり良かったという所が私的にかなりの収穫です。演じる方向性が同じだったという言うべきか。目指すところをお互いに判って作り上げてきたなあと。そして花形の勢いで見せるのではなく芝居の骨格をきちんと演じてこようとする姿勢も良かったな。こいうもの、という枠のなかに囚われず自分たちの芝居を目指してという意識も役者のそれぞれに見られた感じがする。役者にとって難しい生世話もので、しかもまだ上演回数が少なく、いわゆる型がほとんど決まっていないこの芝居のなかで役柄をどう演じていくかという部分を彼らなりの部分できちんと造詣して演じてきていた。先輩をなぞるだけではなく役柄の解釈をしっかり体のなかに入れようとしていた。勿論、「芸」を見せるという部分でまだまだな所は勿論ありましたけど、今後の期待もできるという部分含めて、この配役で観られて良かったなあと思いました。この演目に関しては、この配役で数年後にまた観たいです。まあその前に染五郎さんの三五郎に、菊之助さんの小万も是非見てみたいんですけどね。

いつか平成15年の幸四郎・菊五郎・時蔵版の『盟三五大切』の魔に魅入られたようなドロドロした不条理も極めりな芝居を観せてくれるんじゃないかなと期待したりして。まあそれにはあと20年後、なのかもしれませんが(笑)

源五兵衛@染五郎さん、源五兵衛実は不破数右衛門としての武士としての立場の一貫性のなかで少しづつどす黒い感情に支配され狂気に陥っていく様を描き出した。あくまでも仇討ちへの思いが心の底にあるにも関わらず、負の感情を抑えることのできない弱い男です。

前半は非常に世間知らずで疑うことを知らない単純で真っ直ぐなどこか無骨な源五兵衛。とはいえ、染五郎さんはいわゆる、むさくるしい系の無骨さはありません。特別、二枚目の拵えをしているわけではなく少々野暮ったい化粧をしてはいるのですが素が綺麗なのでどうしてもそれなりに良い男には見えてしまいます。そこをまったくモテナイ男ではなくそれなりに秋波は送られたことはあるけど、女との付き合い方を知らないといった風情として演じてきたような感じで、だから小万に惚れられていることを信じ込んでいるという感じでしょうか。自分が惚れ込んでしまっている自覚があまり無さそうな雰囲気です。それこそ野暮な男として、粋な三五郎@菊之助さんとの対比は活きていたと思います。そして世間知らずなふわふわした感じがあったことで、小万が騙したことを後悔するようなキャラクターとして存在していました。

ただあえて言わせていただければやはり見た目が無骨で野暮に見えきれない部分で、もっと源五兵衛自身が惚れこんで足が地に付いてない、上の空的なふらふら感をもっと表に出したほうが裏切られた時の怒りが印象的になるかなと思ったり。もしくはどうせなら『御浜御殿綱豊卿』で演じた助右衛門くらいの田舎臭い拵えのほうが説得力は増したかなと思いますね。前半、人の良さが出ている頃はいわゆる白塗りではないものの白ぽい薄めの砥粉なのでどうしても元の二枚目風情が外に出てきてしまいます。昭和51年の辰之助・仁左衛門(孝夫)・玉三郎で復活狂言として初演された時から、一幕目の源五兵衛は白ぽい拵えのようですので、現行の上演はそれを踏襲しているのでしょう。まずは善人が小悪党に騙されている、という部分を視覚的に表現しようとしての拵えだったりするのかな?と思ったりもしましたが、野暮で無骨なキャラクターのはずなので、思い切ってそこを表現する拵えでもいいかなと。

後半、どんどん色が濃くなり狂気に入り込むにつれどす黒く感じさせる顔は砥粉の色の濃さと目の化粧もさることながら、恨みや狂気といった感情が顔に表れていました。正気じゃない顔は端正な顔が歪む部分で壮絶さと凄みがありました。染五郎さんの源五兵衛は正気と狂気の狭間に両の足が立っている感じ。負の感情を押さえ込もうという意識がどこかしらに透けて見えるのにどす黒い負の感情の渦に飲み込まれていく。普通と普通ではない、その境界線は誰にでもあり、そこを超える超えないか、だけなのだ、という人の多重性が見えた気がしました。

どこか現実から目を背けていた源五兵衛が仇討ちに加わる100両を手にしたことで、すべての現実を突きつけられるのですね。自分に本懐がどこにあるのか迷い始め亀裂ができていく。女に溺れてしまっている自分、仇討ちと女のどちらが大事か迷っている自分、そして惚れてくれていたはずの女が実は自分に惚れていなかった、そんなものが一気に突きつけられる。そこから源五兵衛に歪みが生じていく。負の感情が支配しはじめていく。染五郎さんの源五兵衛は三五郎と小万への怒りだけでなく自身への怒りも内包しているかのようです。しかしその鬱憤は外へと向けていく。自身の弱さを認められない、そのために少しづつ狂っていく。偏執的な怒りが人としての道を狂わせて行く。

自分のために心砕いてくれる人々へ感謝の念がありながら、負に引きづられてしまう。その負の感情の支配をもう少し早く見せてもいいかなとは思いましたが五人切りから小万殺しへの狂気の道筋とじわりじわりとみせていくので四谷鬼横丁での小万殺しが強烈。小万を手に入れる、そこに気持ちが凝縮しはじめてしまう様が伝わってくる。いつも唐突に思う子殺しが必然としてストレートに伝わり息を呑むしかない。またそのリアルな心持のはずの凄惨な殺しの場に様式美が立ち昇る。ああ、これが歌舞伎なんだな、と改めて思う。

小万への首への思い入れは愛憎相反するものが渦巻いているなかでの哀のように見えました。仇討ちに参加するにせよ、なににせよ死に赴く身のなか、確かなものを手に入れられなかった者が唯一手に入れたもの。愛おしいと思えるものを手に入れ、自分がようやく見えてきたんだろうなと。源五兵衛@染五郎さんは殺しで充足感を感じているようには見えません。本来望んでいたはずのものとは違う掛け違った運命への哀しみがあったように思えました。だからこそ、三五郎の因果の果ての忠義がその運命を本来あるべきところに戻した時に「これがのうてはかなうまい」になるのかなと。義士に戻してもらえたことで、源五兵衛の歪みはなくなります。しかし、「忠義」を選ぶことでしか真っ当ではない武士という立場のなんと不自由なことか、源五兵衛は解放もされず救われないままです。自分の罪を自分で贖えないのですから。しかし世間には「忠義者」と讃えられる運命は、傍からみると滑稽なほどに哀れです。

家主弥助@染五郎さんはやはり楽しそうです。飄々とした因業じじいとしての存在感がスパイスとして利いています。こういう老け役は若い役者がやると無理感がどうしても出てしまうので、若さが透けてしまっていましたが、お金に汚い強欲さの部分はきちんとあったと思います。ただ、この役はもっと根の部分での強欲さが必要な気がします。根っからの悪党という部分があると、因果に絡み取られて「悪」になってしまう源五兵衛、三五郎、小万との対比が出て、またひとつ深い物語が立ち上ってくるような気もしました。

三五郎@菊之助さん、前回拝見した時はどうも色気が薄く幼い感じがあったのですが、その部分かなり良くなっていました。骨太さをだいぶ出してきて、鯔背な色男という部分にだいぶ説得力が出てきたかなと。まだ、押しの強い滴るような色気ではないですが、芯のある男ぽさの部分で良い感じになってきたなあと。菊之助さんは案外、骨太さを持ち合わせているんですよね。いかにも男の子、という感覚が体の中にあるような気がします(夜の部のお嬢でも思いましたが)。また、 前回かなり距離があるなあと思っていた小万@亀治郎さんとのやりとりに密接度が出てきて、ちゃんと夫婦に見えていました。小万を引っ張っていくという感じではないのですが、小万が自分の惚れていることを自覚しての甘え、みたいな部分がありました。

粋な色気のある軽さや小悪党風情はやはりまだまだかなと思うものの、三五郎の性根の実は千太郎の部分はやはり明快。爽やかな部分はその方向性で納得がいく。忠義に報いる父親のためという部分がすんなり腑に落ち、またのために源五兵衛の「負」を被ることが「子」として救われるんだなと思える。町人としての情の部分が勝った三五郎なので、武士としてしか存在価値のない源五兵衛との対比がかなりしっかり見えてきたような気がする。

小万@亀治郎さん、時に前に出すぎがち亀治郎さんですが、今回は非常にバランスのいい演じようです。前回拝見した時と比べると芸者の粋な色気は勿論のこと、三五郎@菊之助さん旦那が大好きという可愛らしい情の部分がしっかりとありました。どうしてもしっかり者の年上女房に見えてしまいますが、三五郎@菊之助さんの距離がすごく近くなっていて夫婦間の気安さみたいな部分がちゃんと出ていました。また、しっかり者という部分が見えることでかえって源五兵衛を騙したことへの後悔の念があることが際立ち根の部分の純粋さが伝わります、

芝居の相性という部分ではやはり染五郎さんとのほうが空気感は濃くなる感じではありますねがへたすると小万は源五兵衛にちょっと気がなくもない?と感じさせた部分は前回に比べてほとんど無くなっていました。また殺しの場が源五兵衛に対する恐怖心、三五郎と子への情がたっぷりあるためにもっと凄惨で悲惨な場になっていた感じがします。それにしても源五兵衛@染五郎さんと小万@亀治郎さんの殺しの場の濃度は高いですねえ。

染五郎さん、菊之助さん、亀治郎さんの今回の配役での『盟三五大切』はかなり冒険だったと思います。誰しもがなぜこの演目でこの配役と疑問に思っていたと思います。それが思いもよらずに面白いものを作り上げてきた。それはこの三人がこの芝居で目指す方向性が同じだったからかなと思います。素地が一緒だからかなあ。この三人の空気感が同じだったんですよね。

そういえばこの物語の因果関係って「源五兵衛→小万→三五郎→源五兵衛(不破数右衛門)」のループなんですよね。そこをきっちり弁えた『盟三五大切』だったな。芝居の面白さって物語の面白さだけでなく、演じる役者の演じようによっていくらでも変化させられるという部分の面白さもあるなと。この演目はまだ上演回数が少なく練られていない部分含めてかなり難しい演目だとは思うけど、主役三人は冒険したかいがあったと思う。

歌舞伎座『さよなら公演 吉例顔見世大歌舞伎 夜の部』 1等2階前方花道上

2009年11月15日 | 歌舞伎
歌舞伎座『さよなら公演 吉例顔見世大歌舞伎 夜の部』 1等2階前方花道上

『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』
個人的には2007年2月の『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』の時のほうがトータルバランスとしては好みなんですが今月も顔見世らしいいかにも大歌舞伎といった濃い空間になっており見応えがありました。今回、都合で昼の部が拝見できないのですが、昼の部から通して観たかったです。

『五段目  山崎街道鉄砲渡しの場/二つ玉の場』
勘平@菊五郎さん、やはり上手いですね。雨の薄暗闇のなかの出来事という状況がちょっとした動き、仕草目線でハッキリ伝わってきます。その情景描写が勘平の心の揺れとリンクする。さすがにちょっと手馴れた部分で貫禄がありすぎるかなと思うところもありますが。若い頃の菊五郎さんの勘平にはもっと「弱さゆえの考え無しの愚かさ」が見えたんですが、今回、愚かさの質が変わったかなと。存在感に貫禄があるので罪の重さの自覚がありつつ、というように見えました。

斧定九郎@梅玉さん、前回(2007年)演じられた時は凄みはあまり感じられないものの所作の美しさが際立った梅玉さん。今回は所作の美しさもさることながらかなり凄みを感じさせてきました。どこか浮世離れした冷酷さ、みたいな空気感。

猪がとってものんびりしてました(笑)
       
『六段目  与市兵衛内勘平腹切の場』
勘平@菊五郎さん、武士としての意地やプライドが高い勘平さんでした。どんなことをしてでも主君への恩返し、強いては仇討ちの仲間に入らねば気が休まらなかったんだろうと。色に耽ったばっかりに、の自分の思慮の足りなさそんな「後悔」を背負っていたんだなと感じさせました。自らの命を絶つことでようやく救われたかなと。なのでいわゆる精神的に追い詰められた、という緊迫感は感じないのだけど、こういう方向性もあるんだなと思った腹切の場でした。

おかや@東蔵さん、良かったです。なんというか、情の濃さだけでなく芯の部分骨太な強さとかしっかりもの、という部分が表に出たおかや。たくましいという部分で私が今までイメージしてきたおかやとは違うのだけど、勘平を逃がすまいとする部分に感情だけが先立つのでなくきちんと状況を納得したいという気持ちが伝わってきて、賢い女性だな、という部分を感じさせた。このおかや像もいいなあと思いながら拝見したんですが、これが意図せずしてだったでしょうが七段の兄妹像にも繋がってきて、非常に面白かったです。

お軽@時蔵さんは品のある楚々とした女房。

一文字屋お才@芝翫さん、カッコイイです。何事にも動じず胆の据わった女将。

源六@左團次さん、チャキチャキしたこういうお役は久々に拝見しました。こういう役もお似合いです。

千崎弥五郎@権十郎さん、良いです。千崎弥五郎は権十郎さん、というイメージが付いてしまってます。武士しての厳しい佇まいのなか、仲間を思いやる気持ちが滲みでてんですよね。

不破数右衛門@段四郎さん、持ち味なんでしょう、優しい大らかさのある不破数右衛門です。南北が描いた『盟三五大切』の不破数右衛門とのギャップが…(笑)

『七段目  祇園一力茶屋の場』
この段の何が良かったって、個人的には平右衛門@幸四郎さん。足軽風情に見えるのだろうか?重々しくなってしまわないか?なぜこの役を?と思っていたのですが見てビックリ。こんなに納得ができる平右衛門、初めて見ました。存在感がちょっとありすぎるかな?とは思うのですが身分の低さが出の瞬間からわかる。足軽の立場をここまで表現してくるとは思わなかった。姿勢、歩き格好、声のトーンで身分の低さを体現。といっても卑屈な雰囲気ではなく仇討ちに加わりたい一心のマジメな気性の持ち主でしっかり者というのがストレートに伝わってくる。そして何より、良いなと思ったのが終始きちんとお軽の兄としていたこと。、無骨だけど家族想いのとても優しい平右衛門です。そのなかで平右衛門一家がきちんとみえる、彼ら家族の姿が見えてくる。これは素晴らしいと思う。利発さで百姓の身分ながら足軽として抱えられた人なんだじゃないかなと思わせる造詣。

妹への接し方がなんともいえず良いんですよね。ヘタすると兄妹のやりとりがじゃらつきに見えてしまいがちな場面ですが、そういうものが一切なかった。 この平右衛門は兄妹の気安さやそのなかでのきちんとした距離感がある。それゆえに身分の低い足軽という立場の悲哀が、そしてなによりこの妹の悲しみをきちんと受け止めてあげることによりこの家族の哀しみが強く伝わってきます。

台詞のやりとりの間合いをトントンと進ませることで場の状況の明るいものから一気に悲劇へと向かう道筋を明確にしていきます。細かく濃い芝居ではあるけど、感情はしっかり抑え、受けの芝居をすることでかえって密でメリハリのある空間を作り上げていた。

お軽@福助さん、柄(色気ありすぎ)や表情の作りでちょっと損してるけど、性根の部分のお軽の造詣はとても良いです。娘気分が抜けない勘平一途の利発な、おきゃんなお軽。甘えた雰囲気も妹キャラとしての甘えだし、どこか遊女として洗練されてない部分を垣間見せている。そして何より、きちんと勘平一途な可愛らしさがあって良いと思います。先行きの楽観から、兄の態度に不安を抱き、一気に哀しみに陥る、その道筋がしっかりと見えます。感情が先にたつお軽ですが平右衛門@幸四郎さんが抑えた芝居で受けるので、その感情が素直に現れてきます。たぶん幸四郎さんとの相性もいいのでしょう。ただ、顔の造作が派手な分、色気がありすぎるのと表情が大げさになりがちな部分をもう少し押さえてくれたらなと。もっと良いお軽になると思う。

由良之助@仁左衛門さん、亡君への想い一途にそこに向かって緻密に行動してきた由良之助という感じでした。絶えず神経を張り詰めているがゆえに、九太夫に手紙の一部を読まれ、また手紙をお軽に読まれてしまう失態に対し自身への怒りの激しさゆえに、臍を咬む思いで犠牲を強いる決意をするのだろう、と思わせた厳しい由良之助でした。立ち姿の美しさや台詞廻しの硬軟使い分けの上手さなど、さすがとは思わせてくれたのですが由良之助としてはちょっと鋭すぎるかなあ。個人的にはもっとゆるりとした色気や大きさが欲しいのですがそこら辺あまりなかったですね。私のイメージする由良さんとはちょっと違うかな。個人的に仁左衛門さんは仮名手本忠臣蔵のなかでは勘平が一番似合うような気がする…。

斧九太夫@錦吾さん、この役に錦吾さんかあ、と驚いた役。最近こういう役まわりも多くなってはきましたが、腹黒でこすっからい雰囲気がまったく無い方なので…。今回、ちゃっかりしているもののあくどい九太夫ではなく、お茶目さも感じられてしまい、なんだか可哀相に感じてしまいました(^^;)

『十一段目 高家表門討入りの場/奥庭泉水の場/炭部屋本懐の場/両国橋引揚の場』
十一段目は付け足し感も感じられるところですが、今回は締めの場面としてカタルシスがありました。場面転換が非常に良かったです。

小林平八郎@歌昇さんと竹森喜多八@錦之助さんの立廻りが見事でした。かなり立ち回りの手が早いのでわくわくしました。カッコイイなあ。小林平八郎@歌昇さんの内掛けを腰に巻いた拵えがまたなんとも良かったです。あの格好での立ち回りは大変でしょうけど視覚的に華やか。

服部逸郎@梅玉さんがラスト美味しいところを持っていきましたねえ。

最後、引き上げてくる由良之助@仁左衛門さんは神妙な面持を崩さず、それでいて本懐を遂げた充足感を感じさせました。綺麗な姿です。

新橋演舞場『十一月花形歌舞伎 夜の部』 3等B席上手寄り

2009年11月07日 | 歌舞伎
新橋演舞場『十一月花形歌舞伎 夜の部』 3等B席上手寄り

昼の会食でちょっと飲みすぎてほろ酔い加減での観劇。なのでちょっと緩めな感じで観たかもしれません。居眠りしたらどうしようと思っていたんですが、三階席の『三人吉三巴白浪』での居眠り率がかなり高くて、「あれ?なんで?」とかえってシャッキリ寝ないで頑張って観ちゃいました。しかし、『三人吉三巴白浪』で居眠り率が高くなるとは思わなかった。確かに若手の薄めな芝居ではあったかもしれないけど昼の部の『盟三五大切』のほうだったら登場人物に感情移入できないし、暗いしで居眠りが出てもわからなくもないのだけど、これよりも『三人吉三』は筋は入り組んでいるけど物語自体が断然面白いし感情移入もしやすいから意外と初心者(居眠りしてた人が初心者とは限らないけど)でもいける気がしてたんだけど…。私が観た日が悪かったのかな?と思ったけど、居眠りは他の日も多かったとか。そろそろ時代的に黙阿弥の世界も遠くなりにけりだったりするのかなあ?

それにしても『三人吉三巴白浪』に関しては若手のほうが熱気が出て面白くなるだろうとなと期待が大きくなりすぎたかも。少々辛口になってしまった…。


『三人吉三巴白浪』
この演目は若手のほうが等身大の刹那的な生きていることの不安感の陰や躍動感が出るかなと思って期待してたんですが、その部分がほとんど無かったのが残念。かといって若手ならではの物語の核の部分、が浮かんでくるという面白さも残念ながら薄かったかな。因果による悲劇が浮き立つ物語中心主義の部分ということであればコクーン歌舞伎での『三人吉三』が串田演出がさほど好みじゃない私でもなんだかんだ「さすが黙阿弥」と感じさせてくれて面白かったし、それとつい比べてしまうので損は損だったかも。全体的に若手の頑張りは観ていて気持ちよかったのだけどなんだかここぞという盛り上がりに欠けてしまっていた。でも個人的に、ラストのお嬢@菊之助くんの華やかな立ち回りで挽回してもらいました。

この演目で非常に良かったのは花形歌舞伎のなかでまず言及するのはちょっと反則だとは思うけど土左衛門伝吉@歌六さん。初役だそうだけど、そうとは思えない深い造詣。この人だけは大歌舞伎。歌六さんはクセのある老け役ほど活き活きとしますね。土左衛門伝吉のなかにある複雑な陰影と骨太さが余すことなく表現されていました。それにしても上手い、と唸ってしまいました。この方が出ている場は見事に芝居が締まっていました。相手をうまく受け止めてフォローする受けの芝居がとにかく見事でした。

源次坊@亀寿さんがかなり良い味を出されていました。この役ってこんなに存在感ある役だっけ?と思いました。飄々とした可笑し味と考えなしの口の軽い小物感が楽しい。着実にいい役者さんになっているなと思う。

十三郎@松也くん、今月、急成長しているかも。丁寧に演じるだけでなく十三郎の心の揺れや哀れさを感じさせる出来。

おとせ@梅枝くん、確実です。この年齢でここまで演じられるのが本当に見事です。底辺で生きつつも凛としたおとせです。

和尚吉三@松緑さん、難しい役をかなり頑張って演じていました。松緑さんはタイプとしては團十郎さんタイプの和尚だと思う。自分の柄に引き寄せて役柄を見せていく。大川端はここ数年何度も演じてきている為もあるのでしょうが、安定感があり兄貴分としての存在感もしっかりありました。根の明るい喧嘩にはつい割って入ってしまう江戸っ子気風があるのが特に良いと思います。父伝吉との場は歌六さんに助けられつつ、何年かぶりに父に会うことでの気負いや意地っ張りの部分があってなかなかのもの。吉祥院の場は本堂でのところが良く、和尚の立場としてどう転ぶかをうまく隠しつつ、兄貴として肝が据わったところをみせる。ただ、裏手墓地の場はさすがに手に余った感じ。必死に頑張っています、というだけじゃ見せられない場なので本当に大変だろうが、ここはもっと悲痛な情感をしっかりと台詞で聞かせ、態度で見せてこないと。ここは役の柄に合うというだけじゃまったく持たない場なのでただもう技術を磨いていくしかないんだろうと思う。

お嬢吉三@菊之助さん、外観は女の子な可愛いらしさがあるけど男の子としての一本筋があるいかにも音羽屋のお嬢。倒錯めいた色気やアウトローとして育てられた陰な部分での陶酔した屈折は少なめ。女装した盗賊とはいえ江戸の義理人情が芯にある捌けた気性と外観のギャップが面白いお嬢だなと個人的には感じました。ただ幼い頃にかどわかしにあったという生い立ちの歪みからくるこってりとした空気感というかお嬢にはどこか屈折した色気が欲しいかなと思うので、それを考えると菊之助さんのお嬢はちょっとさっぱりしすぎかな。その色気の部分で、おおっと思ったのが大詰の立ち回り。女装した男としての骨ぽさの部分で非常に色気が出ていて、これはいいぞ、と思いました。立ち回りの時の体の使い方がお父様の菊五郎さんを彷彿させる出来。そこに色気があって本当に良かった。この雰囲気を前半にも!って思いました。

今のところ、菊之助さんは同じ黙阿弥でも弁天小僧のほうがニンにはあっているのでしょうね。ただ、姿形はお嬢にぴったりだし、本来持っているはずの独特のたっぷりとした色気(20歳代前半にはそれがありました)が今ちょっと表に出てきてないだけのような気がするので、今後も演じていくだろう役ですししっかりと物にしてきてほしい。昼の部でも感じたけど、声の使い方がこのところ本当に良くなっていて台詞のトーンの使い分けが見事。聞いていて気持ちが良い台詞になっているのがとにかく良い。声の使い方の上手さは花形のなかでも随一かと思う。ただ、そこに情感をうまくのせているか、という部分で、まだまだ一生懸命に、というところから抜け出せていないかなと。なんだろ、菊之助さんは感情をぶつけていかないとどうにもならない、という舞台をもっと体験していくべきだろうなと思う。そういう意味で昼の部の三五郎を期待しているのだけど。

お坊吉三@愛之助さん、それこそかなり頑張ってきちんと演じていたと思います。仁左衛門さんのお坊の完全写し。というより完全コピーって思ってしまいました。これだけ台詞回しも動きも同じようにできるということは、かなり器用というだけでなく、努力されているのでしょう。でもそれ以上のものを感じず。似せてはいても仁左衛門さんにある、甘さのある浮世離れした色気と世を拗ねた鋭い陰を残念ながら愛之助さんからは感じないので、こうなるとオリジナルの仁左衛門さんはこうだった、ああだったという見方になってしまい、どうも入り込めません…。

大川端では、ほろ酔い加減にまずみえない、体の置き方が甘い、立ち回りがいまひとつ上手くない。伝吉との場では鋭さがない、金を取ろうとする刹那的な翳も感じないし、と比べちゃいけない仁左衛門さんと比べてしまう。大詰も仁左衛門さんのほうがもっと動いてたなあ、とか…。観ている私がそんな自分にゲッソリで疲れてしまって…。

納涼のときの「豊志賀の死」の新吉を演じた勘太郎くんの勘三郎さんに似すぎの芝居の時にも思いましたが…。似すぎるのも良し悪しかなあ…。普通はだれそれ写しと言っても、演じている役者の個性のなかで、ああ、だれそれを彷彿させるなという部分で、良い芸の継承がなされていると思うんですけど。人それぞれ、親子で似ていてすら、やはり姿も個性も違う。役者が芸を継承するってそういうことだと思うんです。そのなかでその時代、時代の芝居というものが出来上がっていくわけで。型なんてものは型に嵌ることだけじゃないと思うんですよね。まあ、こんなことを書いているのは私がそういういかにも写しました、という芝居が好みではないだけなのかもしれません…。


『鬼揃紅葉狩』
とっても華やかで楽しかったです。いかにも猿之助さん演出の舞踊だなあと感じました。猿之助さんの舞踊が大好きな私にとって、猿之助さんのこういう舞踊はもう拝見できないのかな、と少し寂しくも感じましたが、確実に次世代に継承されていることに頼もしくも感じ、感慨深かったです。

更科の前実は戸隠山の鬼女@亀治郎さん、さすがによく動いていましたねえ。猿之助さん演出の通り、しっかりと踊りきろうという気構えが伝わってきました。舞踊だと時に亀ちゃん本人の自意識(無意識に、なんでしょうけど顔が素に見えると感じる時がある)が前に出てくる時もありますが、この舞踊に関してはそれがなかったですね。踊りにかなり集中していて、振りの一手一手を丁寧にしっかりと表現していたのが印象的。亀治郎さんの踊りは前段の姫の時は柔らか。姫らしい高貴なという部分若干足りなめな気もしましたが姫から鬼女への切り替えも体全身でみせて上手い。鬼女では全身を使い切ってという感じです。いかにも猿之助さん、好きそう、やりそう~、この振り、得意だよねえって思いながら、亀ちゃんには猿之助さんの雰囲気も感じつつ、やっぱりどこかお父様の段四郎さんの雰囲気をも感じたりしました。不思議。

平維茂@松緑さんが素晴らしい出来だと思う。いやあ、やっぱり松緑さん、体の使い方がこのところ断然良くなっているなあ。気品も感じさせ、なにより鬼女に対峙する強さがしっかりあるのが本当に良い。それにしてもいつも思うけど松緑くんは立ち回り上手いですよね。こういう時の体のリズムと太刀捌きが綺麗なんですよね。

若手の頑張りも良かったです。従者の亀寿くん、種太郎くんは台詞も体の動きもきちんと松緑さんに付いていってた。また鬼女の侍女たちもよく頑張っていました。まだ振りが揃っていない部分もありますが勢いがあって良い。巳之助くんが化粧が上手くなった?かなりの美女ぶりだったような。

新橋演舞場『十一月花形歌舞伎 昼の部』 3等A席前方センター

2009年11月03日 | 歌舞伎
新橋演舞場『十一月花形歌舞伎 昼の部』 3等A席前方センター

初日明けて3日目を拝見。本日の席は3等A席センター。花道七三がギリギリ見えるなかなか良い席でした。

『通し狂言 盟三五大切』
色々と心配しておりましたが、これが想像以上に面白くて嬉しい驚き。いわゆる所詮花形な拙さが良しの芝居ではなく、しっかりと見せて来る芝居になってました。勿論、幹部連中の芝居にある濃厚な空気感には及ぶべきもないのだけど、きちんとした歌舞伎を見た~っという気にさせてくれました。また若手の配役ならではの役と実年齢とがリンクすることのリアルさがうまく作用していて物語がどこか不条理感があるはずの芝居に納得感を持たせてしまっていました。これが良いの悪いのかは判断つかないのだけど、でもとっても面白かったことは事実。

私は不条理も極めりな分裂した異の空気を感じさせてくれた平成15年の幸四郎・菊五郎・時蔵の『通し狂言 盟三五大切』がとっても好きで、今でも強烈に思い出すほど。で、これはたぶん、もうどうやっても私のなかでの地位は変わらない。(この他に吉右衛門さん、仁左衛門さん、勘三郎さんのを拝見しております)

で、今回もここと比べて、どこまでやれるか?という部分で観ようとしたのですが比べられなかった。だって全然違う芝居になっていたんですもの。若手だから、という部分だけでなく、複雑な人間関係が絡んだ愛憎劇の部分が強く出ていた幹部連中の芝居とは違って、この物語の根底にある「あだ討ち」の部分が表層に出たことによってそれぞれのキャラに妙な説得力が出ている。特に源五兵衛と三五郎の行動が、その自己中心的な行動に意味を持たせてしまっていた。

なんだ?これは?ってもんでした(笑)。これはちょっと予想外の展開で、とにかく面白くて、拙い部分含めてこの面子で「今」の彼らで見られて良かったなあと。たぶん、この面子で今後も演じていくような気がする。そしてその時々の年齢でまた違った面白いものを魅せてくるんじゃないかと思う。そういう予感をさせる芝居だった。

そしてその若手の役者さんたちですが、とっても良かったです。必死にやってる部分プラスアルファの魅力がありましたもん。私、観る前はこの配役に少々不安視していたのですが今回この配役で大満足です。

源五兵衛@染五郎さん、出色と言っていいのではないでしょうか。非常に良かったです。実はこの役、似合うのだろうか?甘すぎて単なる色悪の伊右衛門ぽくなっちゃうんじゃないのと思っておりましたが…染五郎さん申し訳ありません、謝ります(^^;)。まずは芯としての存在感が十分にありました。そして源五兵衛の人となりの描写がほんとに上手かった。また殺しの場のリアルさと様式美のバランスが見事で凄惨な場の薄ら寒い緊迫した空気を見事に作り上げていた。

染五郎さんの源五兵衛は、実は不破数右衛門としての武士としての立場の一貫性のなかどこか世間知らずの無骨な一途さがある源五兵衛です。その無骨さのなかにどこか男の色気がありました。決して色悪ではない、純な部分での色気。小万と一緒にいられることが嬉しくてたまらない恋に不器用な部分を見せつつ、仇討ちへの思いも捨てることが出来ずにいる、その揺れがよく見え、小万への愛情と仇討ちへの思いが確実に同じ重さで同居していることに違和感を持たせない造詣でした。

またそして裏切られたそれゆえに武士としてのプライドと愛憎の狭間で少しづつ「人の非ず」になっていくその過程がよく見えた。染五郎さんの場合は一気に「鬼」になっていくのではないんですね。場ごとにどんどん鬼になっていく。殺したい相手を殺せないその怒りがどんどん溜まり、そして悪鬼になっていく。その頂点が四谷鬼横丁での小万殺し。その怖さといったらなかった。その怒りが愛情の反転としての憎しみとして表現されている。

この場は染五郎さんと小万の亀治郎さんの芝居の上手さ&踊り上手さが存分に活かされたんじゃないかと思います。恐ろしい場なのに美しかったです。

そして源五兵衛@染五郎さんは殺したかった相手、そこまで愛情深く思っていた相手を殺したことで、ふと人に返っていく。小万の首をなんといとおしそうに見つめるのだろう。その切ないまなざしは、憑き物が落ちたようでもあった。なので、最後の愛染院の場、いつも唐突さが南北らしいと思っていたのだけど、少しづつ人に返る場として機能していた。怒りが落ち着き、周りが少しづつ見え始めている、そんな源五兵衛にみえた。忠義ゆえに「殺し」がすべて許されてしまう、歌舞伎らしい場として活きていたように見えました。

そしてもう一役の家主弥助@染五郎さん、こちらは楽しそうです。きちんと「じじい」としての佇まいがありました。時々、若さが見えてしまっていたけど、十分な出来かと思います。強欲さのなかにどこか飄々とした抜け感もあってスパイスとして効いていた。しかし、亀治郎さんと菊之助さん相手のせいかでっかく見えますね(文字通りの背が高く)、出てきた瞬間、彌十郎さんかと思いました(笑)。

三五郎@菊之助さん、ここまでの立役を最近やっていないことを考えたら、かなり頑張っていたと思います。まずは台詞廻しがとても良い。声のトーンを色々と使い分けしながら場面場面での三五郎の面持ちをきちんと表現していたし、崩す時のちょっとした間も良いですね。また立ち振る舞いも鯔背という部分をかなり意識してきちんと立役として存在していた。

三五郎というキャラクターにしては爽やかすぎて色気があまり感じられないのはさすがにちょっと物足りないのだけど…源五兵衛より色気が薄いのはどうかと思う。 小万@亀治郎さんとのやりとりに濃厚の色気が必要かと思うのだけど、それをあまり感じさせず夫婦という感じがあまり見えない。小万を自分の好きなように動かすだけの色気と力関係がどうしても薄くみえてしまう。まだ始まって間もないこともあると思うが、菊之助さんと亀治郎さんがお互いなんとなく遠慮しあってるというか気持ち上での密接度が足りないせいもあるかも。今後、色気ももっと出てくるといいなあ。今回の座組みで刺激を受けてくれるといいのだけど。染五郎さん、亀治郎さんに引っ張ってもらってる感じがあるし影響は受けるんじゃないと期待している。  

ただし、その代わりと言ってはなんだけど、三五郎実は千太郎の部分がかなり明瞭で、三五郎の考えなしの行動ゆえの因果が明快に伝わってきた。小悪党の色気、嫌らしさが薄いせいで、お金欲しさが忠義に報いる父親のためという部分がすんなり腑に落ちる。菊五郎さんが演じる三五郎のように色気のあるあっけらかんとした小悪党風情がありつつ、この部分が強調されるほうが個人的には面白いとは思うのだけど、菊之助さんの三五郎はこれはこれで忠義という根の深い価値観が図らずも出てしまった部分で納得させられてしまったのでした。

小万@亀治郎さん、京屋さん写しでとご本人が言うように雀右衛門さんの雰囲気をよく捉えて出過ぎることもなく、しかし情の濃さを感じさせる小万。抜けの部分の芝居でも砕けすぎずに丁寧に風情を大切にしつつ演じているのがわかる。情の濃さは四谷鬼横丁で源五兵衛に殺されようとするところの子へ思いを表現する部分で特によく出ていてその悲痛さが源五兵衛@染五郎さんの非情さとともに殺しの場を盛り上げていた。そういう意味で、芝居の相性は染五郎さんととても良く、源五兵衛と小万の時のほうが空気感が濃密。芝居としてみると源五兵衛が勘違いするのも無理はないという感じを受けます(笑)

本来なら三五郎への一途な愛情を感じさせないといけないと思うのですがそこの部分がまだ少し薄め。きちんと演じようとしているのだけど、まだ菊之助さんとの間合いを計ってる感じが。菊之助さんの立役相手に女形で、というのは初めてかな?そこら辺の芝居のあり方はこれからかなと思う。今の段階ではどうしても亀治郎さんが引っ張っていっている感じがあり、夫婦というより姉弟にも見えてしまう(^^;)

八右衛門@愛之助さん、う~ん、正直期待したほどではなかったかなあ。八右衛門は美味しい役だと思うんですよ、それなのに存在感薄すぎ。ソツなくこなしてるだけという感じが…。平成15年の時に八右衛門を演じた時は忠義一途の可愛らしい八右衛門だったと思うのですが、今回その可愛らしさがあまりなく、また世慣れた感じが強すぎて忠義一途な雰囲気も薄い。美味しい役を美味しい役にしきれていない感じが。実力からするとこんなものではないと思うのですが、今のところ多分夜の部のお坊に力が入っているのだろうし、舞踊の『弥生の花浅草祭』がかなり大変そうなので、それでいっぱいいっぱいなのかな。今後、良くなっていきますように。

賤ヶ谷伴右衛門実はごろつき勘九郎@亀蔵さんはいかにもな造詣でハマっている。今月、これだけ?もったいないかも。

廻し男幸八@亀寿くん、内びん虎蔵@松也くん、芸者菊野@梅枝くんの三五郎の取り巻き連中がしっかりと脇を固める。亀寿くんは安定感が出てきたなあと思う。松也くんは緩急が上手い。梅枝くんはこのところ存在感がかなり出てきましたね。
 
同心了心@竹三郎さん、富森助右衛門@家橘さんがきちんと締めます。

『四変化 弥生の花浅草祭』
松緑さんと愛之助さんの力量の差がちょっと見えてしまいますね…。松緑さんが引っ張って愛之助さんが一生懸命に付いていっているという感じでした。松緑さんはこのところ踊りが非常に良くなってきていますね。体の置き方が綺麗ですし、余裕があります。

今のところ二人のバランスがいまひとつなので派手な踊りのわりにもう一歩盛り上がらないかも…。『神功皇后と武内宿禰』と『通人・野暮大尽』はそれぞれが踊りを見せるというところなのでここは持ち味がそれぞれ活きて良かったと思います。

ただ『三社祭』が丁々発止といかないのが残念。この踊り、観ていてウキウキさせる踊りだと思うのですが観客を引き込む求心力が出てきていなかったですね。『石橋』は毛振りなので必然的に盛り上がるはずですが、こちらも思ったほどは盛り上がらない。毛振りの種類も回数も多くかなり見応えがあるのですが、どうしても二人のバランスでみるとここぞ、というところで一気にボルテージがあがらない感じというか。久々に拝見した松緑さんの毛振りは勢いがあるし腰からきちんと入っていてとても綺麗です。見ていて惚れ惚れ。反対に愛之助さんは上半身が揺れてしまっていて…。愛之助さんは初役ですしね。松緑さんのレベルを求めるのは酷かな。こなれてもう少し余裕がでてくれば、観てる側も楽しめるようになるかなと思います。