Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

新国立小劇場『タトゥー』 A席後方センター

2009年05月31日 | 演劇
新国立小劇場『タトゥー』 A席後方センター

主題は2007年7月パルコ劇場で上演された長塚圭史さん作・演出の『SISTERS』(私の感想)と同じ。近親相姦、そのなかで支配する、されるものの関係を描く。芝居として緊迫感があったのは2時間15分あった『SISTERS』。『タトゥー』は1時間30分の作品だったが岡田利規さんの演出および役者の力量不足の面があり途中だれてしまったのが残念。脚本として緻密なのは『タトゥー』のほうだと思うのだが、芝居は戯曲だけで成り立つものではないのだなというのを感じた。

ただ、思っていた以上に面白く観られた。重すぎる内容を感情をある程度排することで観やすい芝居にしていた。それが良いか悪いかは別としてこういうやり方で提示していくのはアリだと思う。咀嚼を観客に委ねることでまずはこういうテーマに関して「拒絶反応」をあまり起こさせずに、いったん「芝居」として受け入れることが出来るのではないかと思う。

ドイツの戯曲家のデーア・ローアー女史の作品の骨格がまず良い。1992年に発表された作品とのこと。主題に目新しさはないかもしれないが、たぶん、ずっと問いかけをしていかなければいけないモチーフとして残っていける作品なのではないかと思う。ドイツの作家だけあって、近親相姦のタブー、そのなかの歪んだ愛情という部分のほかに、支配・支配されるものの関係がナチスのユダヤ人迫害時の優越意識の問題も孕んでいるような気がした。この作品のなかでは支配する側の言い分としてアフリカ人の女性蔑視の問題を「文化」として捉える形をとっている。こういう非常にデリケートな話題をストレートに会話として提示していく大胆さは欧米の作家ならではかもしれない。

また台詞が独特。センテンスが短く、いわゆる文章になっていない。言葉のずらしがあって詩のような感じ。翻訳した時にどの程度作者の意図を拾い上げているのかはわからないが、文体を崩してあるのは元々の戯曲からだそうだ。イマドキの若者言葉は翻訳した時点で変えたのかな?とは思う。

演出の面では舞台美術を現代美術作家の塩田千春が手掛けた圧迫感のある窓枠を重ねて構築した大きな作品を天上からぶらさげたのは効果的だったと思う。その作品から中途半端な形でテーブルや椅子、ベットなどがぶらさがり上下できるようになっている。このいびつさのある作品があるだけで父の力の支配、歪んだ家族関係などが強調される。舞台面の作り方はかなり私の好みであった。

ただそのなかでモニターを使って時々映像を流す場がいくつかあったのだが必然性をまったく感じず。歪んだものを表すノイズにすらなってない中途半端な使い方。このごろの演出家はモニターを使いすぎだ。しかもほとんど効果なしだし…。

役者の使い方が独特でした。台詞をほとんどフラットにしている。いわゆる棒読み。野田秀樹さんもかなり台詞をフラットにしゃべらせる演出家だけど岡田利規さんはもっと極端。ただ、今回その岡田メソッド?をどれだけ役者が表現できていたかはこの作品だけではわからず。役者によって、フラットの加減がだいぶ違っていて、台詞をどう伝えるべきか意識の統一はされてない感じがした。しかしながら役者の力量は関係なくフラットな台詞廻しのおかげで戯曲の内容が非常にわかりやすくは提示されていた。

また動きも独特。自然な動きがあまりない。台詞に対して動きが不自然。それがダンスのようにも見える。そういう部分で芝居というよりパフォーマンスアート的な雰囲気もあった。特に衣装が生成りで立体的な生地での衣装でいわゆるアート系なものだから尚更その感を受けた。そのため役者の「感情」が粒だたないきらいがあり、内容の重さのわりに緊迫感やカタルシスが生まれてこない。その部分で主題の悲惨さが十分に伝わってこない。私としてはもっと伝えて欲しかった。

演出を意図的に平坦にしているのだろうけど終始平坦にしすぎ。もしこの演出で90分を持たせようとするのであればかなり役者を揃えないと難しいのではないかと思う。また、最初から家族を「歪んだ」ものとして提示したのも少々疑問。表面的に繕っている家族をまずは見せて、だんだん歪んだものをみせていけば、観客の興味をもっと惹いたのではないかと思う。

実際、あらすじは

「気さくで働き者で家族思いの父、家事と仕事を両立しながら控えめに家を支える母、仲良く喧嘩するしっかりものの姉とやんちゃな妹、どこにでもある普通の平穏な家庭、それはこの家族の一表面であると同時に「なんとしても失いたくない」心の拠り所になっている。その願いの陰で行われる父の蛮行。」

というもの。しかし、今回は最初から家族全員が病んでるという部分を見せてしまっていた。あきらかに歪んだ関係が役者が出てきた瞬間からそこにあった。だがまずはこの普通の平穏な家庭を見せるべきだったのではないか?そして少しづつ不穏な空気を纏わせていけば、かなりスリリングな芝居になったと思う。

そのなかで役者さんたちは個々、頑張っていた。

父ヴォルフ@吹越満さんは映像で大好きな役者さんですが生の舞台はお初で観ました。上手い役者さんだと思う。ただ今回フラットな台詞廻しには苦労させられていたような。感情が噴出しそうなところを無理矢理押さえて棒読みにしている感じ。フラットのなかに感情を出す、という部分で苦労されていた…もったいないなあと思いました。ただ、不条理な言い分で支配する男の怖さ、狂気は見事に体現されていた。あれほど細く小柄な方なのだけど有無を言わさない威圧感をまとっていた。そしてそれだけでなくそのなかに男の矮小さをも感じさせる。この方は別の舞台でも観て見たいです。

妹ルル@内田慈さん、たぶん、この芝居の岡田メソッドに一番合っていた役者さんだと思う。台詞廻し、動き、共に一番しっくりきていました。フラットな台詞のなかに微妙な感情表現を含ませて愛情に飢えた攻撃的で心が脆いルルを体現していました。

母ユーレ@広岡由里子さん、他の役者さんがどこかしらに硬質さを滲ませているなかで唯一肉体の湿度、血を感じさせた役者さん。岡田メソッドに合っていたかどうかはわからないのだけど、この方がいることの違和感が芝居にはかなり活きていたような気がする。自分のことで精一杯の立場がよく見えました。犬ぐるみを着せられたのは効果的とは思えず。

姉アニータ@柴本幸さん、大河『風林火山』でデビューの新人。今回が初舞台です。すらりとした容姿と品のよさが持ち味でしょうか。父に蹂躙されている娘の弱さ、女の強さの両方の佇まいをきちんと体現できていたと思います。しかし、さすがにこの難しい舞台をこなすには荷が重過ぎた感じも。棒読みが単なる棒読み。凛とした声でかろうじて納得いく雰囲気はあったのだけど…。娘が主体になって物語が動く後半のシーンで場を持たせられてなかった。引っ張っているだけの力量がまだないので、完全に場がだれてしまう。

またアニータの恋人パウル@鈴木浩介さんが、とにかく弱い。まず台詞にまったく説得力がない。どこを切り取っても彼が発する言葉と彼の佇まいに納得できるものがない。役の解釈不足な気がするのだけど…。岡田メソッドに合わないタイプの役者さんなのかもしれない。ファンの人すいません。でもどうにも今回の役は納得できる出来ではありませんでした。

後半の大事な場面でのアニータとパウルに力がなかったのが今回、ちょっと痛かったかなあ。一番、歪んだ人と人の関係性が象徴されるシーンなのに説得力が生まれなかったのがなあ…もったいないなあ。


『タトゥー』
【戯曲】デーア・ローアー
【翻訳】三輪玲子
【演出】岡田利規
【美術】塩田千春
【配役】
ヴォルフ:吹越満
アニータ:柴本幸
パウル:鈴木浩介
ルル:内田慈
ユーレ:広岡由里子

【ストーリー】
気さくで働き者で家族思いの父、家事と仕事を両立しながら控えめに家を支える母、仲良く喧嘩するしっかりものの姉とやんちゃな妹、どこにでもある普通の平穏な家庭、それはこの家族の一表面であると同時に「なんとしても失いたくない」心の拠り所になっている。その願いの陰で行われる父の蛮行。
長年かけて築いてきた温かい家庭の体面を保ちたい母ユーレは、娘の犠牲を見て見ぬふりをするが、自分を統括しきれず自虐行為で発散する。そんな母を軽蔑し、父の愛が姉だけに向けられているのを妬む妹ルルは、自分の未熟とコンプレックスを攻撃性に変える。家族のため、家族が崩壊したら困る自身のため父との関係を受け入れる姉アニータは、平穏な日常と残酷な悪夢の間を行き来する。マイホーム・パパを自負する父ヴォルフは、家族の依存心を利用して野蛮な慣習を正当化し、強大な支配力を発揮していくが、実はそんな家族に誰よりも依存しているのがこの父であった。
そんな日常の中、花屋の店員パウルとの出会いによって、アニータに訪れたまたとない「機会」は、諦めかけていた未来への希望を蘇らせるが……。

国立小劇場『五月文楽公演 第二部』 1等中央センター

2009年05月24日 | 文楽
国立小劇場『五月文楽公演 第二部『ひらかな盛衰記』』1等中央センター

文楽、観る度に思うけどやっぱり面白い。さて今回は『ひらかな盛衰記』の梶原源太をめぐる段の上演です。歌舞伎では梶原館の段~源太勘当の段までしか現在上演されていません。なので勘当のあとのお話を初めて知りました。あと、『逆艪』の段に出てくるお筆が出てきて、おお~繋がっている~と感動(笑)。歌舞伎だと『源太勘当』と『逆艪』だけしか上演されないので、どう繋がっているか皆目判らなかったんですよね。いずれ全段を通して見たいものです。歌舞伎じゃもう上演しないでしょうし、物語本位の文楽で観たいですね。でも一日がかりになるから全段はなかなか無理かしら。

『ひらかな盛衰記』
「梶原館の段」
「先陣問答の段」
「源太勘当の段」
「辻法印の段」
「神崎揚屋の段」
「奥座敷の段」

前半の「梶原館の段」「先陣問答の段」 「源太勘当の段」は歌舞伎で上演される段。歌舞伎化された場合かなり変化することもあるのですがこの段に関しては文楽と歌舞伎、ほとんど同じ形でした。違うなと思ったのは弟、梶原平次景高のキャラ。文楽ではただの乱暴者という感じだけど、歌舞伎では母に弱い甘えん坊キャラに方向になっていて憎めない感じになっている。あと母延寿は歌舞伎ではもう少し強い感じがあるかな。母のキャラは演じる役者によっても変わるので一概には言えないですが、文楽のほうがより源太が可哀相というのを表に出している感じがしました。

前半の段は 「源太勘当の段」を語った千歳太夫がメリハリがあってよかった。この方は一本調子のイメージがあったのだけど最近よくなってきていると思う。もう少し情感を持たせることができたらな。

後半が「辻法印の段」「神崎揚屋の段」「奥座敷の段」。こちらの段は千鳥が梅ヶ枝という傾城になって源太を支えてるというお話になっていました。「辻法印の段」はいわゆるチャリ場。ここの場の源太、どうしようもないアホぼんになってたなあ…お百姓さんを騙したらあかんよ(^^;)。しれ~っとしているとこがまあ、憎たらしいこと(笑)。法印のニセ弁慶が笑えました。

「神崎揚屋の段」「奥座敷の段」は梅ヶ枝の男を想う気持ち、そして母延寿の情けが描かれていきます。「神崎揚屋の段」の梅ヶ枝の「たった300両で愛しい男を死なせるもんか。傾城に成下げっても、操を守っているこの私を捨てて戦場に行く男って何~?。ああ、お金が欲しい~(超意訳。下記青字が本文)」と嘆く身も蓋もない狂乱が凄かった(笑)。

「必ず気遣ひなさるゝな。エヽわたしが心充のあるといふたはみんな嘘。お前の命が助けたいばっかりぢゃわいな。何の好もない奥の客が三百両の金くれうぞ。今宵中に調へねば、鎧も戻らず、源太様の望みも叶はず。金ならたった三百両で、可愛い男を殺すか。アヽ金がほしいなァ」二八十六で、文付けられて、二九の十八で、ついその心。四五の二十なら、一期に一度。わしゃ帯とかぬ。「エヽなんぢゃの。人の心も知らず、面白さうに唄ひくっさる。あの唄を聞くにつけても、源太様に馴染め館を立ち退き、君傾城になりさがっても一度客に帯とかず、一日なりと夫婦にならうと思ひ思はれた女房を振捨て、この度の軍に誉れを取り、勘当が赦されたいと思し召す、男の心はどんな物ぢゃ。何かにつけて女程思ひ切りのない物はない。男故なら勤めするも厭はねど、またどの様な悲しいめを見やうも知れぬ。それも金故。何をいふても三百両の金がほしい」

よくよく考えたら梅ヶ枝って源太のために傾城になったはずなのに、結局、身は売らず、生活のために大事な鎧を質草にしちゃってるんだよね…千鳥ちゃんも源太同様に生活能力がないかも?でも「お金が無い、お金が欲しい~」って半狂乱になる梅ヶ枝には、そうよねえ、いつの時代もやっぱりお金は大事よね、と同情した私でした(笑)

で、やはり出てくるのは親。親心って、哀しいですよねえ。

後半の段はやはり「神崎揚屋の段」の嶋太夫さんが良かったです。特に梅ヶ枝狂乱の場の迫力が素晴らしかった。「奥座敷の段」の咲甫大夫は綺麗な声ですね。女を語る部分が多かったせいか、歌舞伎の女形さんの声の出し方というか台詞廻しによく似てるなあなんて思ったりしました。

人形は源太のカシラはもちろん二枚目の「源太」です。ほんと綺麗な顔をしているカシラですよねえ。今回初めて源太は「げんた」じゃなく「げんだ」だということを知りました。歌舞伎では「げんた」って言っているよね?源太は風流男、色男の代名詞で二枚目中の二枚目。

しかし今回、源太を操る和生さんはそこまでの二枚目にはなっていなかったかなあ。源太には女がこの男のためならば、というオーラが必要よね。母も恋人もこぞって助けようとしてるんだから。色気と母性本能くすぐる系の雰囲気がないと。でも残念ながらそこまでの吸引力が薄かった。もっと二枚目然としていてほしいなあ。文楽の二枚目はヘタレが相場だけど、でも単なるヘタレに見えちゃいけないと思うのよね。

勘十郎さんの千鳥・傾城梅ヶ枝は品がよく、それでいて華やか。形がどこを取っても相変わらず綺麗です。細かい仕草も丁寧だし、心情がきちんと見える。特に狂乱の場がとてもよかったです。形が崩れるぎりぎりのところでみせて迫力がある。狂乱の途中でカシラを変えていた。傾城のふっくら艶のあるカシラから娘のカシラに変化させる。傾城梅ヶ枝から千鳥という女に完全に戻ったということなのでしょうか。

玉也さんの延寿が控えめながら情け深い芯のある老母でなかなか良かった。

清十郎さんのお筆は凛とした強さを見せていました。

新橋演舞場『五月大歌舞伎 夜の部』 3等B席センター上手寄り

2009年05月22日 | 歌舞伎
新橋演舞場『五月大歌舞伎 夜の部』2回目 3等B席上手寄り

昼の部に続き、夜の部も通して観ました。疲れるかと思いましたが、時間が短めなのと気分が変わる演目並びということもあり最後まで楽しく拝見。

『鬼平犯科帳「狐火」』
16日拝見した時よりだいぶ締まってて面白くなっていた。脚本が芝居として練りきれていないし登場人物の掘り下げも足りないのはやはり気になるものの、一場の一場のやりとりがこなれて濃くなっていたような感じがしました。

長谷川平蔵@吉右衛門さんがきちんと台詞が入っていて、悠々と色ぽく「お頭」然としていたのが大きいかな。やはり鬼平にど~んとした存在感がないと芝居が締まらないですから。前回はなんとなく「おおお、鬼平だ~」というものが薄かったんだなと思いました。

前回不満だった、おまさ@芝雀さん、『狐火』での悩めるおまさとしての愁いをだいぶ出してきていた。そのなかで情の濃いおまさ像が浮き出てきて、芝居のなかで違和感がなくなったという所も今回面白く感じた一因かな。又太郎に対して、とても色気があったのも良かったです。

又太郎@錦之助さん、表と裏の顔のメリハリがだいぶ出てきた感じです。そのなかで一途におまさを思い、裏の顔での矜持を一本気に守ってきた真っ直ぐさがあって素敵でした。

文吉@染五郎さん、やはり一気に空気を動かしていきます。佇まいと台詞で空気をピンと張っていくだけの技量には感心します。気の弱い小心ものゆえに人として落ちて行ってしまった空虚さのなかに、兄や恋しい人を慕う気持ちを捨てられない哀しさをみせてきました。今回のほうが文吉は哀しい人なんだな、というのが伝わってきた。わざと兄の手にかかって死ぬ、という行動にすんなりハマった感がありました。

瀬戸川の源七@歌六さん、ますます味わい深いキャラクターを造詣してきました。台詞廻しと声のトーンの使い分けが本当に上手い。


『於染久松色読販「お染の七役」』
とにかく楽しい、楽しい。そしてこの日は観客の反応もかなり楽しかったです。初心者らしき方や若い方がいつもより多くて、「え~?!」「え~?!」といちいち驚きながら観ていたのが印象的。また善六@錦吾さんの「ウィッシュ」と「そんなの関係ねえ」、奉公人&丁稚の「だいじょぶだいじょぶ」がえらく受けていた。場内爆笑&拍手。「錦吾さん、よかったねえ、若い観客がいっぱいで~」と思いました(笑)

福助さん、やっぱり早替りが早い!とにかく見せる、ということに徹底しているのが潔くて観ていて気持ちがいいです。初心者が多いとみてとったのか、今回はサービス精神旺盛がいつも以上だったような?お六は個人的にやっぱりやりすぎかなあ。あまり顔を作りこまないほうがかえって悪婆の色気や凄みがでるんじゃないかしら。そのなかで可愛い女が表現できれば最強だと思う。今回はお光も少々やりすぎだったかな。狂気を表現するのに妙な笑顔を作っていた。前回、ほとんど顔を変えず目だけで十分表現できていたし、そのほうがいじらしい雰囲気で良かったと思う。16日の時くらいに抑えて欲しかったなあ。お客さんたちは喜んでいたんだけど…初心者にはわかりやすくていいのかな?どうなんだろう。難しいところだなあ。お染も必要以上にぶりぶり?な雰囲気だったけど、こちらはとっても可愛いので私はこのくらいでも好き。他のお役は相変わらず非常に良し!

鬼門の喜兵衛@染五郎さん、本当にカッコイイです。凄みがあるし、時々ふっと抜け感を出すところも崩れすぎず、ほんと良い感じ。華やかさも増した感じがするなあ。久太の死体を久作に仕立てる時の得体の知れない凄みには迫力があり、立ち回りの部分で前回より大きさが出てた。お六に「かかあ」って呼びかけるところの言い回し、信頼と甘えが含まれてて印象的。この台詞廻し好きです。

新橋演舞場『五月大歌舞伎 昼の部』 1等1階前方上手寄り

2009年05月22日 | 歌舞伎
新橋演舞場『五月大歌舞伎 昼の部』2回目 1等1階前方上手寄り

昼の部はやっぱり『金閣寺』がとっても良い。役者が揃ってて見ごたえがある。9日に観た時も良かったけどやはりこなれた今回のほうが締まってた。ちょうど役者さんに疲れが見える頃かと思うけど、集中度高めだし、空気が密だった。

『金閣寺』
大膳@吉右衛門さん、大膳はほんと良いですね。国崩しの大きさもさることながら、英雄色を好む、といった色気があるのが素敵です。冷え冷えとした凄み、ではなく大物ゆえの我侭加減が楽しい大膳です。9日に拝見した時より台詞の押し出しがあって存在感が増していました。楽しく演じているような感じです。

東吉@染五郎さん、爽やかで武将の品格がある東吉です。義太夫のノリがますます良くなっていて、台詞廻しに安定感がありました。またどこを切り取っても惚れ惚れするほど姿が美しい。特に見せ場の碁笥を井戸から手を濡らさずに拾い取る場では存在感もしっかりあって湧かせていました。どうですか?と言わんばかりにふっと微笑む顔に少しばかり策士の顔が見えていました。立ち回りはキレがよく、大きさもだいぶ出てきて華やかさがありました。これでもう少し前に出る感じというかご機嫌な役という雰囲気がでるとなお良くなると思います。以前、納涼で三津五郎さんの大膳と演じた時のほうがご機嫌さがあったような気がするのですが…。さすがに吉右衛門さんの前ではまずは神妙にという感じでしょうか。

雪姫@芝雀さんは前半がとにかく絶品です。愁いを帯びた表情と台詞が見事。また、愛らしい風貌のなかに夫を想うそこはかとない色気を漂わせ、大膳が執着するのも無理は無い姫ぶり。時々、雀右衛門さんを思わせる濃厚オーラの風情も垣間見られとても良かったです。雪姫が初役なんて思えないほどの演じようでした。後半の人形振りは9日の時よりはだいぶこなれていて、ほんの少しだけど「らしく」なってきたかなと思いました。でもやっぱり柔らかさのほうが強く人形ぽくはないのだけど。しかしながら、人形振りの無表情のなかに気持ちが入っているのがヒシヒシと伝わってきました。奇跡が起こす、その気迫があったればこそ縄が切れたのだ、というところが鮮明に今回は伝わってきました。また縄が解け、また人形振りを解いた瞬間、感情がわっと解き放たれ、その喜びが一気に押し寄せてきた感じを受けました。もう少し人形振りがこなれて人形と人との落差が出たら相当なカタルシスがそこに出てくるのではないかと思いました。私はこの演出、やはり好きです。

その部分で人形振りの後見との息がだいぶ合ってきたとのかなと。後見も余裕がでてきた感じでバタバタした感じが無くなっていました。主遣いの京蔵さんは位置取りが上手いんだけどもう少し背の反らし方を「らしい」感じにしてもいいかな。左遣いの京珠くんのほうは付いていくのが精一杯な感じでまだまだ…。しかし重い衣装をつけた芝雀さんを持ち上げるのは相当大変でしょうがしっかり支え腰がぶれないのはお見事です。また芝雀さんの顔に付いた花びらを、さっと取ってあげていて細かい気配りができるようになっていたのも褒めましょう。

『心猿/近江のお兼』
お猿の面がやっぱり可愛いです。『近江のお兼』は華やかでいいですね。今回、晒布を綺麗に振るれない場面がいくつかあって力任せ?なところがありましたが、それでも福助さんの明るさが楽しかったです。立ち回りの名題下の方々の動きにキレがありました。お馬さんも相変わらず見事。

『眠駱駝物語「らくだ」』
久六@吉右衛門さん、やっぱり屑屋さんには見えないですねえ…。また所々まだ台詞が入っておらず台詞のテンポがよくなくて…、なのでトントンと運んでいる芝居のはずがトントンと進んでいかず。それでも、面白くないわけではないところが役者さんとして地力があるのでしょう。

半次@歌昇さんは前回より非常に良かったです。強面の裏にある根の部分で義理人情を大切にしているところでの巻き込まれ型の悲哀を滲ませて、こういうキャラもいいなあと思いました。吉右衛門さんをフォローしながらの熱演、ご苦労様です。

馬吉@由次郎さんのリアル死体風味のらくだはなんか良い感じ。結構好きです。

あと家主@段四郎さん、おいく@歌六さんの大家夫婦がリアクションが楽しくなってて楽しかったです。

サントリーホール『クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル』 P席後方

2009年05月18日 | 音楽
サントリーホール『クリスチャン・ツィメルマン ピアノリサイタル』 P席後方

ツィメルマンさんの音色は激しい音ですらどこか丸みを帯びた優しい音です。非常に美しい色彩豊かな透明感のある水彩画のよう。演奏もあくまでも端正にそれでいて個性的。若い時はもっと鋭角的な音だったように思うのですが、音の美しさを求めてきたらこういう演奏になったという感じでしょうか。リサイタルは3年ぶりです。今回の演奏は選曲がとてもツィメルマンさんに合っていたように思います。

J.S.バッハ『パルティータ第2番』
会場のせいか、ペダルを強く踏みすぎたのか、出だしの音が響きすぎて’ウォンウォン’と鳴ってしまっていて、あれ?と思いましたがそれはすぐに解消され、とても綺麗で優雅な優しい音が流れ出しました。端正な音のの連なりがふわあと浮かんで重厚さのなかに優しい色が見えてきた気がしました。個人的好みから言いますとバッハをピアノで聴くと輪郭が強すぎてしまうなあといつも思ってしまい、今回もそういう意味ではやっぱりちょっと強いなとは思ったんですが、後半のあくまでも美しく響く音色が素敵でした。

ベートーヴェン『ピアノ・ソナタ 第32番』
ゆるりと始めたと思うと途中からいきなりテンポが速くなりました。あの速さでミスタッチがないのが凄いなあ。しかも、音が濁らない。特に高音が非常に綺麗。それと弱音の美しさが本当に素晴らしい。特に第二章からがとても良かったです。音が美しい蝶々に変身して舞っているかのようでした。

ブラームス『4つの小品 作品119』
音が前半プログラムの時に増して優しく美しい。音の響き方が違うなあと思ったのですがどうやら休憩中に鍵盤を変えたらしいです。この曲はどこかリラックスして弾いていたような雰囲気があって、サロンで聴いているような気分になりました。とても滑らかでベルベットのような肌ざわりの音色。ブラームスって音が重い、というイメージだったのですがとても綺麗でロマンチックな曲でした。

シマノフスキ『ポーランド民謡の主題による変奏曲』
シマノフスキ、生演奏で聴いたのは初めてですし、この曲は初めて聴きました。とても素敵な曲でした。この曲が今回の演奏会のなかで一番の出来、秀逸。絶品といって言い出来だったと思います。本当に素晴らしい演奏でした。様々な音の繋がりがなんと豊かなことか。音のひとつひとつがキラキラと粒立ち、その音たちがうねるように迫ってくる。聴き応えありました。

アンコールは無しでしたけど十分に満足した演奏会でした。

【曲目】
J.S.バッハ:パルティータ第2番 ハ短調 BWV826
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第32番 ハ短調 作品111
--------
ブラームス:4つの小品 作品119
シマノフスキ:ポーランド民謡の主題による変奏曲 作品10

新橋演舞場『五月大歌舞伎 夜の部』 1等前方センター

2009年05月16日 | 歌舞伎
新橋演舞場『五月大歌舞伎 夜の部』 1等前方センター

期待していた『鬼平犯科帳「狐火」』がもうひとつだったかな。その代わり、『於染久松色読販「お染の七役」』が非常に面白かったです。

『鬼平犯科帳「狐火」』
『鬼平犯科帳』の歌舞伎化第二弾です。前回の『大川端の隠居』がなかなか良い出来だったので期待したのですが、今回は脚本も演出も練りこみ不足というか…。まず脚本が説明台詞が多すぎて単調、場も多すぎ。演出も場の多さをうまく捌ききれてないし、場面の作り方も単調で動きが少ない。しかも、どこに芝居の焦点を持ってくるか、という部分で焦点がボケてしまっている。芝居にメリハリが足りない。なので気持ちがなかなか盛り上がれない。飽きてしまうことは無いのだけど、どこに焦点を絞って見たらいいのかみえないのが難点。鬼平が全体を締める役としてポイント使いをするのはいい、ただ今回、主になるはずのおまさ、又太郎、文吉のどこに主眼を置いているのかが不明瞭。たぶん、今回の実質の主役は密偵おまさなのかな、という感じはあったけどそこまで人物像が浮き立ってきていなかった。

う~ん、原作を知らない&TV版も見ていないのでなんともいえないのだけど舞台にするポイントが難しい内容なのだろうか?にしてもやっぱ脚色がイマイチな気がするなあ。どこに視点があるのか見えずらい。芝居として動いたと思ったのが後半の又太郎と文吉兄弟の喧嘩のシーンなのでどうせなら又太郎と文吉兄弟の葛藤を最初からきちんと追った方が良かったかもしれない。

最初に跡目を継ぐシーンでまだ仲の良い兄弟を、しかし文吉の気の弱さのなかに屈折したものを見せ、それから数年後と判るように、薬問屋での文吉の畜生働きを見せる。そして今回、最初の場になった凶行後の薬問屋に。鬼平はこの場で登場、料理屋笹屋をカットし、この場でおまさに聞き込みを依頼するという風に繋げてみたらどうだろう。この時点で又太郎がどういう盗賊になっているか観客は知らないでいるので、おまさの葛藤も活きるし、兄弟の喧嘩の場も活きる。

あとは後鉄の場~源七茶屋のシーンはそのままで、幕間を入れる(次のシーンへの大道具セットの音がうるさすぎなので)。旅籠泉屋から~文吉隠れ家へ転換でいいと思う。そして兄弟喧嘩の場の途中でおまさが飛び込んで来るべきだ。兄とおまさが揃ったことで、嫉妬心をあらわにしつつ、本来の気の弱い頃の文吉の顔が少しづつ出てきてしまうというほうが人物描写もすんなり納得できると思うし。とかつい勝手なことを書いてしまいます…(^^;)

長谷川平蔵@吉右衛門さん、鬼平だねえ、お頭だねえ、という感じですかね。そこにいるだけですっかり鬼平。美味しいところだけ、そしてラスト総取りしてみました、な登場でした(笑)。でも出番ほんとに少なめなのでファンはちょっと物足りなかったかもしれないですね。

密偵おまさ@芝雀さん、きちんと演じていて悪くはないとは思うけど物語を引っ張っていく力が足りなかった…。おまさのイメージのどこか妖艶さのある色気が芝雀さんには無いというのはあるけれど、それは単にイメージだけなのでそれをひっくり返すことだってできる。男に一途な女の可愛らしさの部分が強調されてもそれはそれで芝居としてはありだと思うのです。だからイメージと雰囲気が違うという部分は、それはそれとして観られる。とはいえ、従来の「おまさ」像をひっくり返すだけのインパクトは無かったかな。男が惑う系の色気がもっと欲しいと思ってしまった…。その人物造詣の部分とは別に、この物語ではおまさが芯なんだ、という存在感や佇まい、吸引力が足りない。説明台詞が多いのは可哀相だけど、そのなかでおまさの過去の影や葛藤をしっかり見せてこないと。あくまでも脇役としての存在感でしかなくて、だからおまさの長谷川平蔵に対する気持ちや葛藤、又太郎を思う哀しみが浮き立ってこないんだよなあ。ほっそりされていて拵えは似合っていて可愛らしかったんだけど…可憐さが「おまさ」像にどうしても繋がらないのが、ニンじゃないってことなんでしょうねえ。

又太郎@錦之助さん、いやみのない二枚ぶりで、かと言って爽やかすぎない部分も表現しバランスのいい又太郎。表と裏の顔の使い分けもよく、盗賊の顔があるのだな、という部分をきちんと見せる。もう少し盗賊の顔の時に影があってもいいかなと思うけど、盗人の矜持を持ち、弟を心配する又太郎はとても似合っていたと思う。

文吉@染五郎さん、一場だけの出演。この場だけいきなりの登場ですべてが説明台詞になってしまい、文吉の人となりがハッキリしないまま、いきなり文吉の屈折、弱さを見せなければならず難しかったのではないかと思うが、よく見せてきたと思う。まず、出の瞬間に華があった。場の空気を動かすのがやはり上手い。感情表現が上手いので物語がそこで転がっていく。凄惨な顔つきでヤクザな雰囲気を醸し出すなかに投げやりで屈折した小心者の文吉という青年の哀れさを見せていく。死に場所を探しているかのようなもっと陰な雰囲気があってもいいかもしれない。

瀬戸川の源七@歌六さん、相変わらず上手い。特にこういう役は得意なのだなあ。人物像に線の太さや深みがあって、説得力がある。台詞や表情の間が本当にいい。今、真っ当に生きている、という部分がしっかりしているなかで元、盗賊の鋭さがある。つくづく芸達者な役者さんだ。

相模の彦十@段四郎さんの味わいがとてもいい。粂八@歌昇さんがいつもは同心なのに~と思ってしまいつつ、意外と違和感なく密偵役にハマっていました。お久@隼人くん、声がきつそうだったけど華があって良かったと思います。


『於染久松色読販「お染の七役」』
とっても楽しかったです。見ていて猿之助さんの七月の復活狂言での早替わりのワクワクした楽しさを思い出した。福助さんも猿之助劇団にいたんだし、ある意味後継者の一人でもあるんだなあと思ったりしました。座組みに段四郎さんがいらしたし。芯の福助さんだけじゃなく、役者の皆さんたちが一生懸命で、とっても楽しそうで、そんな姿を拝見するのが嬉しくて。まずは「楽しかった~~~~」の一言。

七役の福助さん、まずは早替わりが早い、早い。舞台裏がわかっていても「わぁ!」と声が出てしまうほど。裏では爆走中、というのを想像しても楽しい。今の年齢・体力だからこそこのスピードが出るのでしょうね。また早替わりの見せ方もうまい。吹き替えにマスクなど使わずにやったのも潔く、マスクを使わないほうがかえって効果的だというとこを見せた。とにかくこの早替わりだけでも舞台を沸かせてきます。でも、それだけでなく七役の演じわけ、メリハリがとても良かった。声の調子をかなり変化させてくるので判りやすいし、七役個々の人物像もきちんと作り込んでいたと思います。

まず、良いのは久松がきちんと立役に見えること。久松はかなりポイント、ポイントで重要な役割を果たすキャラクターなんだけど、久松に存在感があったために物語のなかの午王吉光の短刀と折紙を巡るお家騒動の部分がきちんと見えたところがまず◎。お染は愛想振りまきすぎなところはあったもののとても可愛らしく華やか。奥女中竹川は武家の格と芯の強さがありかなり良い出来。芸者小糸は小粋さと色気のバランスが良く、後家貞昌も少しの出番ながら娘を思う義母にきちんと見え十分。物狂いのお光、やりすぎという感想も聞いていて心配していたのだが、特別顔を崩すことなく、美しいなかに物狂いの目を見せて、いじらしさが表に出て非常に良かったと思う。一番芝居がたっぷりできる、土手のお六。拵えがよく似合い、イナセでカッコイイ女。おっ、これも良い感じ、と思ったんだけど、強請の場でのお六がさすがにやりすぎ。顔の表情を作りすぎて、時々下品になってしまう。唯一、ある程度やりすぎてもこの芝居ではいいや、と思っていたのだけど、このお六の強請の場だけはどうも、「そこまではやるべきでないのでは?」と残念だったところ。でも最後の立ち回りのところはとてもかっこよかったです。

鬼門の喜兵衛@染五郎さん、かっこいいです!悪の凄みのなかにも愛嬌を滲ませて憎めないキャラクターを造詣して非常に良かったです。低めの声がよく通り、台詞廻しも聞いていて気持ちがいい。また、剃刀を持った見得の決まりが腰低く決まり形良く、棺桶上の見得も大きかったです。観る前は線が細くみえてしまうかな?と思っていましたが骨太さもきちんとあり、とても似合っていました。染五郎さんの悪役には鋭さと色気がありますね。また、喜兵衛は生足全開だったりしますが舞踊で鍛えた太ももにはつい目がいってしまいます(笑)

百姓久作@段四郎さん、今月はどの役もいい味わい。久作は朴訥ながらしっかり者。情も深く、段四郎さんならではの存在感。鬼門の喜兵衛が持ち役の段四郎さんがこういう朴訥な味わいのお役に存在感を出すというのも上手さでしょう。

善六@錦吾さん、真面目にじっくりお染を狙っている感じです。それが時々、笑いの方向に崩れるのが楽しいです。え?錦吾さんがこれやっちゃうの?という驚きとそのギャップの面白さがありました。こういう役を思い切りやってくださいるのが嬉しいです。またイマドキ?のギャクをやっても品が落ちないのがとても良いです。ご本人も楽しそう。

久太@蝶十郎さん、弥忠太@吉之助さん、加減のある面白味を出して印象的。

山家屋清兵衛@歌昇さん、真面目な持ち味がちょうど良く、捌き役の心持ちが前に出ていました。お染の許嫁って感じはしなかったかな。

女猿曳きお作@高麗蔵さん、船頭長吉@錦之助さん、箸休め的な舞踊をすっきりと明るく、いい雰囲気でした。

そういえば後半の久松とお染の踊りは吹き替えを使った早替わりを何度も行うんだけど、吹き替えの方々もしっかり踊れないと出来ないところ。皆さんしっかり踊ってらしてそれも見事だなあと思いました。お染の吹き替えはたぶん京紫さん。

新橋演舞場『五月大歌舞伎 昼の部』 1等1階前方下手寄り

2009年05月09日 | 歌舞伎
新橋演舞場『五月大歌舞伎 昼の部』 1等1階前方下手寄り

演目並び的に物足りなく感じるかな?どんな感じかなあと心配していたんですが、面白かったです。

『金閣寺』
大膳@吉右衛門さんがでっけ~、カッコイイ。いやあ、仁木よりこっちのほうが断然良いですね。冷酷な感じとか倒錯した危ない雰囲気とか(幸四郎さんの大膳はこっちタイプ)は無いけど、国崩しの大きさや、女好き系の色気があってとっても良いです。声も先月より出てて、朗々とした台詞廻しも迫力。

鬼藤太@錦之助さんは線の細さを感じさせず、骨太さがありつつ、兄に心酔してる感じもよく出ててピッタリ。錦之助さん、声が割れなくなってきましたよね。

軍平、実は佐藤正清@歌六さん、ほんとこの方はなんでもこなしますね。こういう赤っ面も似合うし、時代物の張った声もよく出る。しかも肚に一物ある、って部分をさりげなくしっかり見せてくる。

此下東吉後に真柴久吉@染五郎さん、思った以上にきちんと存在感があって良かったです。見せ所での決まり決まりが本当に綺麗だし、軍師としてのはしこさがしっかりあり、納涼の時にやったときにはちょっと見えづらかった武将としての格もありました。それと声がよく出てて聞かせどころの台詞廻しに迫力があった。さすがに大膳@吉右衛門さんとの碁打ちのとこでは格の違いが見えちゃったけど、それはしょうがないですね。張り合おうという気概も見えるので十分な出来と思います。あともう少しご機嫌な役という部分が前に出てくるともっと良くなりそう。

直信@福助さん、愁いを帯びた佇まいで存在感がありました。しかし、福助さんと芝雀さんが夫婦役ってなかなか無い組み合わせですね。ある意味濃い夫婦だなあ(笑)

雪姫@芝雀さん、まず最初の別室での部分、上手からだと桜の木に邪魔されてまったく見えません。声はすれども姿が見えず。歌舞伎座だと上手からでも見えたような気がするのだけど…。舞台の広さが違うせいでしょうか?そういえば以前も普通なら見切れないはずの芝居が演舞場だと見切れたことがありました。なので姿がどう、という感想は書けないのですが台詞だけでも雪姫の戸惑いや切ない心情がしっかり伝わってきました。芝雀さんは台詞が最近ほんとに上手くなったと思う。

姿がきちんと見られたのは大膳と東吉の碁打ち中に中央の部屋へと入ってきてから。あら?だいぶ痩せられたかも?痩せると雀右衛門さんに似ますね。綺麗と可愛いの中間な感じ。薄いピンクの衣装が似合います。ゆったりゆったり袖を振るしぐさがとても可愛い。やっぱ芝雀さんは姫役者だなあと思います。姫をやる時、以前はおぼこな雰囲気のほうが強く今まであんまり色気がなかったように思うけど今回は人妻の色気が十分あったと思う。

さて、今回目玉の「爪先鼠」の段の人形振り。これは、えっとそのう…あまり人形に見えないかも…。動きがまず人形じゃない。どうしても必死に自ら動いてるとしか見えないんですね。それと足元がちょっとバタつきがち。人形振りは難しいというけれど、本当なんだなあとつくづく。踊りが決して上手ではない方なので多大な期待はしてなかったけど…一生懸命、人形振りをしようとしています、で終っています。む~ん、ちょっと残念なり。こなれてくればもう少し良くなりそうかなとは思います。後見の方々も頑張っていらしたし息が合えば、バタバタした感じも減るでしょうし。人形振りの時だけ簪を足して文楽人形に似せていました。この拵えが非常に可愛いかった。キラキラと揺れる簪が顔に影を落とすのも良い感じ。

それにしてもこの人形振りの場、かなりの見せ場ですね。芝雀さんの技術うんぬんを抜かせばこの京屋型の人形振りは派手だしかなりアクロバティクだし、とても面白い。型としては今後も上演してもいいと思うくらいこの演出も好きです。人形振りが上手い役者さんでも見てみたいです。

人形振りを終えてからの雪姫@芝雀さん、汗だくながらも息をあげずに台詞を繋げたのはさすがだと思いました。一途な想いというものが台詞で伝わってくるんですよね。引っ込みでの刀を鏡代わりにして髪直しをする部分、さらりとしながらも色ぽくて良かったです。今回、人形振りの意義はかなり認めるけど、芝雀さんは台詞で聴かせるタイプの役者なので『金閣寺』ではこのところずっと演じられてきている成駒屋型のほうが合うとは思う。次回は成駒屋型でお願いしたいかなあ。

「爪先鼠」の段の葵大夫さんの熱演がなかなか良かったです。この方は女形を語る時のほうが良さが出る大夫さんのような気がします。

『心猿/近江のお兼』
『心猿』は滅多に上演されない短い舞踊。お猿の面(すっぽりと被る形)を付けて、白馬と共に賑やかに踊ります。お猿の面は木で出来ているそうでかなり重いそう。とても可愛らしいお猿さんです。踊りも振りが可愛らしく小猿な雰囲気。

『心猿』から『近江のお兼』へは引き抜きで。まず驚いたのは白馬が引き抜きで栗毛に変身。馬が引き抜きするとは思わなかったです。楽しい。福助さんは赤の消し幕内での着替え。『近江のお兼』は團十郎娘と謳われる怪力の娘。福助さんの骨太さや愛嬌が役に合っていて楽しい一幕になっておりました。いつものちょっと表情過多な部分はありましたがこの舞踊では気にならなかったです。日本舞踊らしいまあるいしなやかな踊りでした。


『眠駱駝物語「らくだ」』
勘三郎さん、三津五郎さんで演じられた抱腹絶倒な『らくだ』と同じものを求めると「これは違う」となりそうです。かなり味わいが違う。語り口の違い、という部分で観るとそれはそれで可笑し味はありました。気軽にさらりと味わえるので悪くはないかなと。「あはは」という笑いではなくクスクス笑い。

久六@吉右衛門さん、まずはどうしても懐の広い、という雰囲気が抜けず、柄も大きすぎてちゃっかりしているものの気が弱い、というキャラに馴染まないように見えてしまう。基本、ニンじゃないかなと。気弱さという部分があまり見えないんですよね。ただ大きな体を小さく縮めて、という部分でほんのり可笑し味は出てるかなとは思います。どうやら台詞は入りきっていないようで、台詞のテンポがよくないのが残念です。ぽんぽんと調子よく台詞が出てくると面白さがupするのではないかなと思います。酒に酔い始めてから、強気になっていくサマはなかなかいい感じでした。

半次@歌昇さん、遊び人というより強面を気取っているけど根は優しい半次。まあ、喧嘩の仲裁を頼まれるくらいですから、このキャラでもありかなと。十分過不足なく演じていると思います。ただ、相手が吉右衛門さんなだけに少々バランスが悪くなってしまって損しているかなと。いくら凄んでも久六@吉右衛門さんだと怖がりそうにないというか…。なので立場が逆転した後半はすんなり納得できるんですが。ただ前半と後半の落差が出ないので…。なかなか役者のバランスが難しいですね。

家主佐兵衛@歌六さん、老け役も上手いです。ほんとなんでもこなしますよねえ。でも手強すぎて死体を踊らせるくらいじゃ嫌がりそうにないかも(笑)

おいく@段四郎さん、可愛いおかみさんだなあ。拝見してるだけでなんとなくニコニコしてしまう可愛らしさがあります。

馬吉@由次郎さん、細っこい体で死体役、お似合いです。死体でもなんとなくほのぼのしてしまい遊び人には見えないけれど(笑)。カンカンノウ、そして常磐津での操られぶりはなかなかお上手でした。

歌舞伎座『さよなら公演 五月大歌舞伎 夜の部』 3等B席下手寄り

2009年05月05日 | 歌舞伎
歌舞伎座『さよなら公演 五月大歌舞伎 夜の部』 3等B席下手寄り

『恋湊博多諷』「毛剃」
初めて観る演目。九州を舞台に密貿易する海賊の珍しいお話というので一度ぜひ観てみたかったものです。観てみると長崎の異国情緒を取り入れてはいるものの、近松門左衛門らしい恋模様のお話でした。

毛剃九右衛門@團十郎さんと小松屋宗七@藤十郎さんの正反対なキャラクターの対比が面白かったです。まったく芸風の違う團十郎と藤十郎さんがそれぞれまったく違う空気感を醸し出していて、交じり合うことがないのですが、このお芝居ではその対立が活きていたように思います。また大掛かりな船の舞台装置のスケール感と、繊細なワインやグラスなどの小道具の対比も面白く、絵面的にも面白い舞台でした。前段がなぜかちょっとまったりしてるので、もう少しテンポアップすると締まって面白くなりそう。

毛剃九右衛門@團十郎さん、縮れ毛の鬘に唐服や派手な更紗の着物がお似合いで堂々たる頭目。そのなかにどこか人のよさを滲ませ、後半、宗七と小女郎を助けてやろうというキャラクターにすんなり沿う。九州なまりの言葉はうまく聞き取れなかったのだけどいかにも、な感じが出ていたと思う。「汐見の見得」は期待しすぎたか、もう少し力強さが欲しかったような気がする。後段の奥田屋の場のほうが人物造詣として活きた感じ。大きさと船乗りの無骨さを独特の明るいキャラで見せていく。

小松屋宗七@藤十郎さん、いかにも和事の色男。宗七はそのなかでも甘さはあるものの芯があって手強い部分をしっかり持っている。その人物造詣がハッキリしているので物語の核はこの宗七だということがわかる。藤十郎さんの上手さだろう。

傾城小女郎@菊之助さん、とても綺麗で華やか。台詞回しにも体にも柔らか味も出ててなかなか良い出来。さすがに大御所のなかに入るのでたっぷりした空気感や情味が足りないなと思う部分はあれど、一途さはよくでていたと思う。

奥田屋女将 お松@秀太郎さん、こういう役は本当に似合う。ぽんぽんと出る台詞といい、ちょっと俗っ気のあるところといい、絶品。

毛剃の手下たちに権十郎さん、市蔵さん、亀蔵さん、松江さん、男女蔵さん、亀鶴さん、と揃って芝居を盛り立てていました。

『小猿七之助 御守殿お滝』「夕立」
清元の短い舞踊。お話的にはどうなんだ、という感じですが…(笑)

小悪党の七之助@菊五郎さんがとにかくカッコイイです。女を弄ぶふてぶてしい素振りのなかに色気があって素敵です。

お滝@時蔵さんは品のいい御殿女中さんで綺麗。


『神田ばやし』
いつも書いてるんですが私は宇野信夫の戯曲(『人情噺小判一両』『ひと夜』『堀部彌兵衛』等)は好みではありせん。人に対してかなりシニカルな視点があってどこかひねくれているしそのわりに人物描写がちょっと浅いし、今回もやはり好みではありませんでした。

ストーリー云々別として最初の大家さんのところに集まった長屋の人々の情景は役者さんたちがそれぞれピッタリでしたし楽しかったです。

大家彦兵衛@三津五郎さんは何をやらせても上手いですが、こういう老け役も味わい深く、緻密な芝居で場を締めていきます。受けて出て、のバランスが程よいのですよね。

長屋連中のなかでは、おらく@市蔵さんの可笑し味、惣助@團蔵さんのすっとぼけていながらも気の短い様、大家女房おかね@右之助の人のよさそうな雰囲気、おみつ@梅枝の可愛らしさなどが目立ったかな。

留吉@海老蔵さん、この役は普段だったら松緑くんが演じそうな役ですね。海老蔵さんは世話物の空気のなかにまだハマっていませんでした。それと台詞回しが…あまりにトロトロとしているのでちょっと足りない人のように感じられて…。留吉の朴訥さ、孤独さがあまり伝わってこなかったです。ただ、おみつとのやりとりはほのぼのした雰囲気が伝わってきてそこは良かったです。

『鴛鴦襖恋睦』
用事があり残念ながらパス。